Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203



こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ハッピー・デス・デイ 2U』。殺される誕生日を繰り返すループホラー『ハッピー・デス・デイ』の続編です。公開が遅れていた長野でしたが、きっちり2週間、間を置いて公開されましたね。別に同時にやってくれてもいいのに。あと、映画館に私一人だろうなーと思ってたんですけど、終わってみたら五人もいたのは地味にびっくりしました。


で、観たところいい話ではあったのですが、うーんと首を傾げてしまう映画でした。もっとほしかった。そんな感想をこれから始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―あらすじ―

ビッチな主人公ツリーの終わることのない誕生日はついに終わり、彼女はなんとか新しい生活を始める。
一度犯した過ちは二度としないことを誓って。
少なくとも、そう彼女はそう思っていたが…。






映画情報は公式サイトをご覧ください。


前作『ハッピー・デス・デイ』の感想はこちら↓










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









前作『ハッピー・デス・デイ』で、死のループを断ち切ったツリー。さて、続編はどうやって始まるのかなと思ったら、スクリーンに映し出されたのは、金髪のアジア系男性。前作ではカーターに「メス犬とやったな!」と言うだけの端役だった彼が、いきなりの大抜擢です。


彼の名前がライアンであることも明かされ、二人の仲間と共に何やら研究をしています。彼らの研究が前作での停電の原因だったわけですが、それを理由に学部長から研究の中止を言い渡されます。やりきれない思いを抱えるライアン。彼のスマートフォンには、どこからか彼を撮った写真が送られます。撮影者を探しうろつくライアン。そこに出現したベビーマスクによって、ライアンは殺されてしまいます。が、ここでライアンがまた目覚める。いや、お前がループするんかい!と心の中で叫んだものです。


ライアンはそのことをツリーとカーターに話します。すぐに状況を理解するツリー。さすが経験者、話が早い。ここでちゃんと前作のおさらいをしてくれるのは親切でしたね。そして、3人は研究室へと向かいます。そこにあったのは周囲を金属のアームで囲まれた球体。その名も量子反応炉・シシー。そのシシーがループの原因となっていたことがここで早々に明かされます。オカルトでもなんでもなく、れっきとした科学でした。いや、でも超科学はオカルトとそんな変わらないか。


あの前作の感想で、私いろいろ予想を立てたんですよ。「tree」に「h」を入れると「three」だとか、3の倍数が関係している、666は悪魔の数字とかね。で、我慢比べをしていた学生の描写から考えると「実は2周目からのスタートなのではないか」という結論に達したのですが、そんなことは全ッ然関係ありませんでしたね。カーターも特に何もありませんでしたし、母親の名前は明かされませんでしたし、原因超科学だし。いっそ清々しいくらいです。あの時間は何だったんでしょうか。まあ予想を立てるのは楽しかったからいいんですけど。












このままだとライアンはまた死んでしまう。じゃあ、安全なところに行こうと3人が向かったのは、バスケットボールの試合会場。ここベビーマスクがいっぱいで怖かったですね。しかし、ライアンは本物のベビーマスクに見つかってしまい、逃げる羽目に。この一連のシーンがこの映画で一番緊張感あったかなぁ。ミスリードもあって。ここを上回るシーンがなかったのは少し残念でした。


ただ、ここでライアンは殺されずに済み、ベビーマスクは研究所に縛られることに。その正体はなんとライアン本人。といっても厳密にいえば別の次元から来たライアンBで、同じ次元に二人いるとヤバさがヤバいので、ライアンBは「オネガイ...殺シテ...」と懇願します。ただ、ビビったライアンAはシシーを起動。止めに来た学部長&警備員までも、まとめてぶっ飛ばします。謎のスローで。


次の瞬間、目覚めるツリー。彼女は再び9月18日、誕生日に戻ってしまいます。これには当然ツリーもブチ切れ。ふざけんなテンションで、何度も見た光景を後にしていきます。しかし、今度のループは何かが違う。ロリーは毒入りケーキを用意していないですし、ダニエルとカーターは付き合っています。そして、なによりも最大の違いは2年前に死んだ母親が生きていること。彼女は別の次元、パラレルワールドにぶっ飛ばされてしまったのです。あ、『2U』って『2 Universe』っていう意味だったんだ。


でも、この次元でも殺人鬼トゥームズは存在していました。トゥームズを止めようとするツリーでしたが、ロリーを助けられず、さらには下手こいてしまい過って死亡。また、朝にループします。ここからは前作と同様、ループを止める手がかり探し。その手法は、不正アルゴリズムをどうたらこうたらして、シシーを起動させる方法を虱潰しにしていくというトライ&エラー。うわ、これ『Dr.STONE』で見たやつだ…!めちゃくちゃ科学の子やんけ…!前作同様ポップな音楽が流れ、コメディチックに死んでいくツリー。特に、上空から落ちる瞬間に中指を立てて、Fポーズをしているのは笑うしかありませんでしたね。あそこ超いい。




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何回目かの試行錯誤を繰り返し、ツリーたちはいよいよシシーを起動させることに成功します。ここで、シシーに迫られるのは選択。母親が生きているこの次元か、カーターと恋をする元いた次元かという選択です。これはすなわち過去対未来の選択となっていました。『ハッピー・デス・デイ 2U』は生きるための選択の物語なのです。


人生とは、時間とは不可逆的なものです。一度した選択と言うのは、選び直すことができません。しかし、選び直すチャンスを得たツリーは、母親が生きている次元を選択します。もし、人生をある地点からやり直すことができたら、私たちはどちらを選ぶのでしょうか。まあ私はどっちのルートを選んでも、私が私で変わらない限り、起こることは変わらないから意味ないなーとか思ってしまうのですが、人生をやり直したいという人は、わりに多いのではないでしょうか。


しかし、ツリーのスマートフォンには母親との知らない写真が収められており、存在しない記憶を母親の口から語られます。ここでツリーが覚えたのは空虚さ。自分を形作ってきたものが分からないという不安です。揺れるツリー。そこに映るテレビのニュース。カーターはトゥームズと格闘の末、死んでしまいます。ツリーは意を決して、親の車で変電所に激突し、ループを断ち切ることを回避。それはシシー起動の1秒前でした。


ツリーは再度、研究室に行き、カーターと恋をする元いた次元に戻ることを決意します。悲しい思い出だって今の自分を形作っている。それが欠けてしまえば、もう自分ではなくなってしまう。そのことを認識したツリー。悲劇や後悔をも受け入れる彼女に、あの時こうすればよかった...と悩んでいる人はハッとさせられることでしょう。あの時の経験がなければ今の自分はいない。あの時の経験が自分を成長させたのだと。


前作と今作を通して、ツリーは過去から未来を選ぶように変わっていきました。それは、すなわち過去を受け入れて成長したということ。ツリーと母親が話す最後のシーンは、それを如実に表していましたね。うまく言葉にできないツリーと、優しく抱き寄せる母親と。「人を成長させるもの。それは愛よ」という母親の台詞と、その後の二人でケーキの蝋燭を吹き消すシーンに不覚にも目頭が熱くなってしまいました。


また、ツリーは今作で最初の人のことを顧みない態度から、友達が殺されそう!助けなきゃ!という態度に成長しているんですよね。あのビッチがここまで来たか...と感慨深いです。さらに、その後は友情パワーが発揮されるといった熱い展開もあり、自分が変われば他人も変わるんだなと実感させられます。ライアンの仲間の一人、サマーの奮闘ぶりがよかったですね。あの必死な感じが。












と、ツリー自らの奮闘と、仲間たちのアシストもあって、無事ツリーは元の次元に戻ることができ、今作はハッピーエンドを迎えます。悲しい過去を受け入れることで成長する一人の少女の物語として、好感度は高いのですが、実は、作品自体の満足度はあまり高くなかったんですよね。それはひとえに、今作が全然怖くなかったことに尽きます。


私が今作を見た率直な感想が「いや、いいんだけど、もうこれホラー映画じゃなくない?」というものでした。だって思うじゃないですか。ホラー映画の続編だったら、恐怖がパワーアップしているものだって。実際、予告編でも規模の大きさを窺わせていましたし、言葉通り怖いもの見たさで観に行った部分も大きかったんですよね。


でも、今作でのホラー要素は序盤の数シーンのみに留められており、残りは謎解き・成長・友情パワーで占められています。別に悪くはないのですが、怖いシーンは前作の5分の1くらいで、さらなる恐怖を求めて観ていた私は、ここでちょっとガックリきてしまいました。だって後半、ホラーとは別ジャンルになっているんですもの。ジュブナイルSFになっているんですもの。これはこれで私の大好物ではあるんですけど、今作に限っては、ホラーにもっと軸足を残して、こっちの方向には突っ走ってほしくなかったかなというのが正直なところです。


あといくつか不満点を挙げると、ループの理由は明かさないか、もっと超常的なものがよかったことや、犯人の動機一緒じゃんということや、最後の最後でスッキリしないことがあるんですけど、やはり怖くなかったというのが、一番残念なポイントでした。うーん…なんか悔しい…。また今度リベンジの意味も込めてホラー映画観ようかな…。直近だと『アナベル 死霊博物館』ですかね…。あと『IT』の続編も…。頑張ろう...。




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以上で感想は終了となります。『ハッピー・デス・デイ 2U』。前作を上回る怖さを期待しなければ、十分楽しめる映画だと思います。コメディ要素も健在ですしね。前作を観た方であれば、観て損はしないと思いますよ。あまり強くは勧められないですけど。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『いちごの唄』。銀杏BOYZの曲がモチーフになった小説の映画化です。私は、小説も読んでいませんし、銀杏BOYZに詳しいわけでもありません。でも、好きな俳優さんが何人か出ているので、観たいとは思っていたんですよね。公開は7月だったんですけど、長野では遅れてこのタイミングでの公開となりました。よくあることよ。


そして、観たところ傑作かどうかは置いといて、個人的に超好きな映画だったので、その感想をこれから書いていきたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キャストについて~コウタのレンズで観た若手女優さんたちが超魅力的~
・ストーリーについて~「正しくない」を肯定する優しさ~






―あらすじ―

恋をした。七夕、親友の命日にだけ会える、僕たちの”女神”に。


コウタは不器用だけど優しい心を持つ青年。たったひとりの親友・伸二は、中学生の頃2人が“天の川の女神”と崇めていたクラスメイトの千日を交通事故から守り亡くなった。10年後の七夕、伸二の命日。コウタと千日は偶然高円寺で再会する。「また会えないかな」「そうしよう。今日会ったところで、来年の今日・・・また。」毎年ふたりは七夕に会い、環七通りを散歩する。しかしある年、千日は伸二との過去の秘密を語り「もう会うのは終わりにしよう」と告げる・・・。

(映画『いちごの唄』公式サイトより引用)





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・キャストについて~コウタのレンズで観た若手女優さんたちが超魅力的~



まず、この映画の主人公である笹沢コウタを演じたのは、古舘佑太郎さん。『ひよっこ』などの出演作を持ち、ミュージシャンとしても活躍している彼ですが、個人的には初めましての俳優さんです。しかし、今作での彼の演技は凄まじくよかったんですよね。特筆すべきはそのピュアさと、計り知れないチェリー感です。


顔はカッコいいのに、情けなさと冴えなさが凄くて。かつて「天の川の女神」と見ていた天野千日(あまのちか。通称:あーちゃん)に偶然再会した時も、挙動不審さが凄く、女の人に免疫がないんだろうなと窺わせます。一方的にまくしたてたり、不器用に笑ってみせたり。特に好きだったのがリュックの紐を触る仕草です。分かる…!分かるぞその気持ち…!女性と喋る時って脳がフル回転しているから、手が落ち着いていられないんだよな…!私もリュックしょってるし、よくやるわ…!チェリーしぐさを凄い研究してるな…!


私が映画を評価する基準って、ちゃんと物語に筋が通っているかとか、ストーリーが破綻していないかとか理論的なものではあまりなくて。ぶっちゃけよく分からないですし。それよりもキャラクターに感情移入できたかという感覚的なものを大事にしているんですよね。私もチェリーですし、思春期拗らせ真っ最中のコウタには、自分の分身かと見間違うほど移入して観てました。古舘さんの演技は過度にデフォルメされてましたけど、それも個人的にはプラスに働いています。私はあんなに喋らないですけど、大体コウタと似たような感じですね。


そのコウタが「天の川の女神」と称する天野千日を演じたのは、『夜空はいつも最高密度の青色だ』『きみの鳥はうたえる』などで知られる石橋静河さん。高い鼻と中分けの髪型が明るいんだけど、どこか影のある千日という役柄にぴったりでしたね。初対面の時は、コウタのテンションに押されて、頷きがちだったんですが、2回目に会った時の笑顔がこれまたいいんですよね。それまでの感情を抑えている感じとのギャップで、うわっ…マジでミューズやん…!ってなりました。コウタと反対の自然体の演技はいいコントラストになっていましたし、言い表せない神秘性がありましたよね。それが後半の展開に効いてくるのも良かったと思います。


コウタの親友で映画のキーパーソンとなる伸二。こちらは物語の都合上、中学生のみの登場でしたが、演じた小林喜日さんの爽やかさがよかったですね。映画を前に進めていくエンジンとなっていました。レタス畑にダイブしたときの「世界に勝った気がする」は名言だと思います。コウタと二人でだいぶする時の青春感半端なかったですよね。行為的にはいけないし、中二なんですけど、圧倒的な清々しさがありました。




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あ、ここからは大体若手女優さんの話になります。基本気持ち悪いですが、どうかご容赦を。


さて、千日の中学生時代を演じたのは『ちはやふる―結び―』などの出演作を持ち、今話題の清原果那さんです。その特徴と言えば何と言っても目力の強さですよね。睨まれたら動かなくなりそうなくらい。これほどまでに視線に強さを感じる女優さんはなかなかいないのではないでしょうか。セリフがあまり多い役どころではなかったのですが、視線に強弱をつけたりして感情を表現する様子は凄まじささえ感じます。微かにほほ笑む表情にやられました。


続いて、コウタがボランティア先で出会う被災者の女の子(名前は明かされなかった)。彼女を演じたのが蒔田彩珠さんです。『三度目の殺人』など是枝裕和監督の作品に多く出演している蒔田さんですが、去年観た『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』での演技がめちゃくちゃよかったんですよ。あの冷めているようで、実は不安でいっぱいな弱いキャラクターを好演していて。今回『いちごの唄』を観に行ったのも、蒔田さんが出演しているからというのが大きな理由の一つです。


で、観たところ期待を上回る演技を見せていたんですよ。彼女は震災で両親を失ったというキャラクターなんですが、それを存分に感じさせる佇まいに、小さく首を横に振る仕草。ほしいものはある?という問いかけに対する音楽という呟きはとても切実なものでした。再びコウタのもとを訪ねるシーンでも完全に立ち直ったわけではないことが、表情から滲み出ていて。顔立ちは結構はっきりとしているんですけど、その弱さがとても印象的でした。


さらに、コウタの隣人のアケミを演じたのが岸井ゆきのさん。岸井さんと言えば直近で言えば『愛がなんだ』の怪演が記憶に新しいですよね。好きな相手に全力で尽くす様は、依存と言っても差し支えなく、ホラーに近しいものを感じた覚えがあります。その『愛がなんだ』で、自分の中で一気に注目の女優さんとなってしまって。今回『いちごの唄』を観たのも、岸井さんが出ているからという理由がだいぶ大きいですしね。


結論から申し上げますと、『いちごの唄』では『愛がなんだ』とはまた違ったパンクな岸井さんを見ることができます。赤みがかった黒髪に棘のついた革ジャン。目元のメイクも濃く、やさぐれ感も大幅アップ。これまた基本酒を飲んでいるのですが、酔っ払いの命令口調が逆に清々しくて好きです。コウタの部屋に乗り込んだときの怪演は必見。まあ、さすがに暴力はやりすぎだと思いますけどね。血が出るほど殴ってますし。惜しむらくは前半で退場してしまったことでしょうか。もっと長い時間観ていたかったですけど、そうなると今度は物語が進まないので難しいところです。




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他にも今週公開の『アイネクライネナハトムジーク』に出演する恒松祐里さんも少ない出番ながらよかったですし、『いちごの唄』って若手女優さんが凄い魅力的なんですよ。これはどういうことかと考えたときに、この映画がコウタ視点で描かれているのが大きいなと思ったんですよね。コウタはチェリーで、終わらない思春期の真っただ中にいるピュアピュア野郎です。思春期って女性がやたら魅力的に見えるじゃないですか。いや、別に思春期終わっても魅力的ですけど、なんか第二次性徴という身体的な変化も合わさって、3割り増しぐらいで魅力的に映るんですよね。コウタのチェリー、思春期というレンズを通して観た女性たちは、それぞれその魅力を最大限に発揮していました。


そして、これは私も同じことでした。私のチェリーレンズを通して見ると、映画の中はまた違った世界。あぁ石橋静河さんと談笑してぇ。清原果那さんに睨まれてぇ。蒔田彩珠さんをかばいてぇ。岸井ゆきのさんに罵られてぇ。メチャクチャにされてぇ。悶々とした思いを抱えながら、羨ましく観ていました。きっとコウタも同じように感じていたんだろうなぁ。


繰り返しになりますけど『いちごの唄』って、コウタのチェリーレンズを通して見た世界の話なんですよ。なので結構チェリーならではの妄想が酷くて。「天の川の女神」なんてその代表例ですし、登場する女性もどこか理想的。最後の展開なんてチェリーの妄想の極致みたいな展開ですし、そのあどけなさや恥ずかしさは確実に見る人を選びます。もう思春期を卒業した"大人"の方には正直キツいかと。でも、その分刺さる人にはぶっ刺さる映画になっていますね。はい、私はぶっ刺さりました。これだけで100点満点中20000点くらいはあります。本当に。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。






・ストーリーについて~「正しくない」を肯定する優しさ~


『いちごの唄』の物語は、コウタと千日が再会するところから幕を開けます。女性に慣れておらず、適切なテンションが分からないコウタ。入ったラーメン屋でも一方的に喋り続けます。それを千日は若干ひいてはいますが、面倒臭がる様子も見せず、ちゃんと聞く。二人の邪魔をせず、ただ見守る峯田和伸さん演じるラーメン屋の店主。上手く二等分されない割り箸。この最初のシーンだけで「あ、この映画好きだわ」という予感がありました。なぜなら、このシーンに私は「優しさ」を感じたからです。


私が思うに、『いちごの唄』って誰も否定されていないんですよ。コウタの話を千日は否定もせず聞き続けてくれていますし、ラーメン屋の店主もそう。コウタが「こんなラーメンより会社の冷凍食品の方が美味い」と言った後にも、フォローが入っています。さらに、コウタの来年も会おうという提案をも千日は否定せず、聞き入れます。


ここから、コウタは千日に再び会える日を待望する恋は盲目状態。半年も前から心待ちにし、カレンダーを破き、それを見ながら食事をするというなかなかのヤバさを発揮します。千日を「天の川の女神」だと盲信しており、理想的な存在として捉えています。ここのチェリー感半端なかったですね。実際には途中で卒業しているんですけど。


ただ、3度目の再会時。千日はコウタに伸二との秘密を告白します。伸二は千日を交通事故から守り亡くなった(事故の描写に結構力が入っていた)。ここまではコウタも知るところですが、千日と伸二は同じ孤児院出身でした。千日が孤児院「いちご園」を出て、中学生になってまた戻ってきた。千日は伸二に近づきたいがそうするといちご園育ちであることが発覚してしまう。そんな千日の心情を思い量って、伸二は千日に敢えて話しかけないんですよね。アンニュイな千日の心情を肯定していると感じます。


さらに、コウタの家族もコウタの話を無下にせず肯定していますし(たとえう〇この話でも)。忌まわしい記憶を持つ自転車さえも、「自転車に罪はない」などといって肯定しているんですよね。極めつけはいちご園の園長と千日のカフェのシーン。ここで園長は自信のない千日を肯定。さらに、千日を捨てた両親のことさえ、肯定はしていませんが、明確な否定もしていません。なんという優しい世界でしょうか。素敵です。





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また、『いちごの唄』で、重要な要素となっているのが「正しくなさ」だと思います。この映画って大体が世間一般の常識に照らし合わせてみると、「正しくない」んですよ。それは、自転車で畑にダイブするという行為は言わずもがな、キャラクターの設定もです。世間的にはチェリーなんて早く捨てておくに越したことはなく、24ぐらいにもなってまだ思春期を引きずっているコウタは「正しくない」。まあ私にもブーメラン刺さってますけど。


それに、恋することによって相手の良い部分しか見ないことも、あまり「正しくない」ように思います。人間にはいい部分、悪い部分あって両方を見るのが大事なのではないかと。仕事をバックレて千日と一緒にいた男に殴りかかるのも「正しくない」行為ですしね。まあそれもこれも、恋によってコウタが盲目になっていたことが原因で、この後千日から痛いお返しを食らうんですけど。


コウタは千日を「天の川の女神」として神格化していますが、千日の口からそんなことないと否定されてしまいます。友達もいないし、彼氏とも長続きしない普通以下の女の子だと。これも世間的な「友達はいた方がいい。彼氏とすぐ別れる女は軽く見られる」という認識からすると、「正しくない」。千日もまた正しくないキャラクターだったのです。ここで、コウタは千日のことを否定しなかったのは流石だなと思います。


この映画は銀杏BOYZの曲を原案にして書かれた小説が原作だといいます。私は銀杏BOYZのことはよく知らないんですが、パンクバンドであるということぐらいは知っています。パンクという音楽は商業化したロックに対する反発に端を発していますし、社会や道徳に対する攻撃的な姿勢、やり場のない怒りを表現しているといいます。もし、商業化したロックや社会や道徳を「正しい」ものとするならば、パンクは「正しくない」ものになってしまうでしょう。『いちごの唄』はこの「正しくない」という点で実にパンク的だと感じます。


でも、パンクってその「正しくない」ものを信じていますし、肯定しているんですよね。それは、この映画の姿勢とも全く同じで。それを体現していたのが蒔田彩珠さん演じる被災者の女の子ですよね。彼女は家族を震災によって奪われています。もし天寿を全うするのが「正しい」死に方だとすれば、彼女の家族の死は「正しくなく」、またぽつんと残された彼女も、家族が存在していた以前を「正しい」とするならば、今置かれた状況は「正しくない」と位置付けることだってできます。かなりの暴論ですが。


でも、パンクはそんな「正しくない」を肯定するものですし、「ぶっ殺す」などといった「正しくない」言葉を叫んでいても、そのメッセージは真っすぐ。実際、彼女はその「正しくない」音楽によって生き延びることができるわけですし、音楽が人の力になったという実に真っすぐで美しいシーンだと思います


それに、この後流れる曲が「ぽあだむ」というのがまたいいんですよね(画面にちゃんと曲名が表示されるので誰にでも分かる)。掻き鳴らされるギターのリフ。「涙は似合わないぜ 男の子だから」という歌詞を泣きながらコウタが泣きながら聴いているのが、銀杏BOYZを知らない私にも刺さりました。もう「正しさ」とか「正しくなさ」とかごちゃ混ぜになった感じが胸に来たんですよね。エンディングの「いちごの唄」もよかったですし、銀杏BOYZを聴いてみたい気になりました。今度ツタヤに行ってCD借りてこようかな。




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と、ここまで褒めちぎってきたんですが、映画としては正直そこまで完成度は高いとは言えないと思います。演技は過剰気味ですし、セリフですべてを説明しすぎなのは明らかな欠点です。さらに、チェリー色が強いこともあって合わない人もいることでしょう。


でも、私はこの映画がたまらなく好きなんですよね。コウタというレンズを通したピュアな優しい世界が好きなんです。銀杏BOYZの曲には「正しくない」自分も肯定された気がしますし、柔い心にかなり刺さりました。現時点での下半期のベスト候補ですね。上映から2ヶ月が経って、観られる機会も減ってきていますが、ぜひとも観ていただきたい映画です。強くオススメします。




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以上で感想は終了となります。映画『いちごの唄』、人は選びますが、銀杏BOYZを知らなくても十分に楽しめる内容となっています。機会があればぜひ映画館でご覧ください。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


いちごの唄
岡田惠和
朝日新聞出版
2018-05-21



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こんにちは。9月16日を迎えてテンションが上がっているこれです。好きなバンドの結成記念日なのです。10月にアニバーサリーライブが横浜のどこかであるので行きますよ。今年最大の楽しみです。


それとは関係なく、今回のブログは映画の感想です。今回観た映画は『台風家族』。今の時期にこの映画を観るのは申し訳なさを感じますが、このタイミングを逃してしまうともう観れない気がしたので、意を決して観に行きました。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




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―目次―

・タイトル通り台風の性質を持った映画
・鈴木家のクズっぷりがエンターテイメントとして面白い
・終盤の展開には疑問も
・最後に




―あらすじ―


紙袋を覆面代わりに被った老人が地方銀行で2000万円を強盗。金ピカの宮型霊柩車で逃走し、妻と共に行方をくらました。強盗事件はあっという間にニュースになったが、老夫婦の行方も、霊柩車も、奪われた2000万円も不明のまま月日は過ぎていった──。

時は流れ2018年。台風が近づくある夏の日、鈴木小鉄は妻の美代子と娘のユズキを連れて実家へと車を走らせていた。10年前に銀行強盗をして世間を騒がせた両親の葬儀に参列するためだ。葬儀といっても、死体はおろか霊柩車すら見つかっていない。にもかかわらず形式的な葬儀をする理由は、きょうだいで財産分与を行うためだった。

すっかり朽ち果てた実家に一番乗りで到着したのは小鉄たちだ。葬儀屋を併設した古びた二階建ての日本家屋、表札には「鈴木一鉄」とある。店のシャッターには「盗人」「バカ」などとペンキで描かれ、当時の記憶がよみがえる。鈴木家の居間には2つの棺桶が並び、小さな写真立てには28年前の両親が映っている。

しばらくして長女の麗奈がやって来る。麗奈は両親の事件のせいで離婚、現在つき合っている男性はいるが独身だ。ほどなく住職の萬福寺さんがやって来て、“見せかけ”の葬儀が始まり、遅れて次男の京介も到着する。兄の小鉄とはあまり仲は良くなく、小鉄が遺産を独り占めしようとしているのではないかと勘ぐっている。残るは兄姉から可愛がられていた末っ子の千尋だが、なかなか姿を現さない。葬儀開催のハガキが届いていないのだろうか……。葬儀が終わっても千尋がやって来る気配はなく、仕方なく3人で財産分与についての話し合いをすることにする。

「預金や保険も一通り調べたけど、大した額じゃないから、遺産はこの家と土地だけだ」と、いかにも長男らしく振る舞いその場を仕切ろうとする小鉄。どんな仕事も長続きしない彼にとって「遺産」という二文字は何にも代えがたいほど魅力的だったのだ。おまけに少し前、勤務中に玉突き事故に巻き込まれてむちうちになり、首にはサポーター、頭には包帯が巻いてある。何としても遺された家や土地をお金に換えたい、一番多くもらいたい、というのが小鉄の本音だ。

財産分与について話し合う最中、玄関のインターフォンが鳴る。ようやく千尋が来たのだろうか? しかし、そこに立っていたのは千尋ではない、茶髪のチャラチャラした男だった。見知らぬ訪問者によって、話し合いは思いがけない展開に転がっていく。きょうだい同士がこれまで溜めてきた想い、小鉄とユズキの間にある親子の溝、そして10年前に両親が起こした強盗事件の背景に何があったのか?


刻々と台風が近づく中、鈴木家にも嵐が渦巻いていた……。


(映画『台風家族』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください。










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











・タイトル通り台風の性質を持った映画


台風。北太平洋の南西部に発生する熱帯低気圧のうち、最大風速が毎秒17.2メートル以上に発達したもの。その風速は中心から数十キロメートル離れたところが最大で、中心では静穏になっていることが多いといいます。『台風家族』はタイトル通り、台風のそういった性質を持った映画だと感じました


10年前、鈴木一鉄は銀行強盗をして2000万円を奪います。昔ながらの派手な装飾が施された霊柩車で逃走し、行方をくらましてから10年が経った8月18日。彼の子供である小鉄京介麗奈が実家に再集合します。その目的は一鉄の遺産の分配。失踪手続きをしてある程度の期間が経つと、戸籍上は死亡とみなされ、遺産相続ができるようになります。彼らは遺産分割を目的とした協議のために集まったのです。


この映画の主人公と言える長男の鈴木小鉄を演じたのは、草彅剛さん。説明不要のスーパースターですが、金のためなら何でもするクズな小鉄を好演していました。穏やかで朴訥な口調から放たれる、「俺が全部貰う」などの悪びれのないワードの数々。特に開き直る瞬間が最高でしたね。目元も何を考えているか分からず怖くてよかったです。もう普通に優しくしていても(この映画にはそんなシーンなかったけど)裏があるようにしか見えない。一方で後半では、父親の顔や息子の顔も覗かせており、そのギャップもまたよかったですね。


続いて、次男の鈴木京介を演じたのは、新井浩文さん。包み隠さず申し上げますと、彼が強制性交罪で逮捕されたことが原因で、『台風家族』は当初の6月公開予定から上映が延期になっています。映画のホームページからもその存在は抹消され、キービジュアルからも排除。たぶん最初のキービジュアルでは新井さんもいたんだろうなぁ。というかいなきゃおかしいですよね、話の展開的に。


ここで私見を述べさせてもらいますと、確かに新井さんのしたことは許されることではないかもしれません。判決として記録にも、被害者の心の傷として記憶にも残り、それは消されることはないでしょう。被害者感情に配慮して、公開を中止するという判断も可能だったはずです。


でも、公開を中止しろと言っている人の多くは、事件とは何の関係もない外野なんですよね。勝手に斟酌して、分かった気になって。被害者やその周囲が直接、公開を中止してほしいと言えば話は別ですが、そんな外野の声に屈する必要はないと感じます。


なので、延期になったとはいえ、公開するという判断は英断だと思います。というか、嫌なら観に行かなければいい話ですし。自分の視界に入ってくるのが嫌だから公開するなと言うならば、目線をずらして違う方を向けばいいだけですよ。別に観ることを強制されているわけじゃないでしょう。観ない権利を行使すればいいのでは?と思わざるを得ません。


話を元に戻しましょう。この映画で新井さん演じる京介は、何らかのビジネスに成功した勝ち組として描かれていました。眼鏡を掛けて真面目な印象を与えますが、中は新井さんなので当然怖い。カタギじゃない雰囲気がビンビンに出ています。基本冷静ですが、家族のことを捨てているようなドライさが言葉の端々から滲み出ていて、映画に緊張感を与えていましたね。夜中突然前に立たれたら、私なら確実に逃げます。


さて、長女の鈴木麗奈を演じたのはMEGUMIさん。こちらも棘のある口調がぶっきらぼうな麗奈というキャラクターにマッチしていました。最初にサービスシーンを見せてくれるだけでも、出演した価値はあったのですが、それよりも厳とした口調で場を乱し続けるのがよかったですね。遺産が欲しい理由もまたくだらなくて好きですし、兄弟の板挟みになるシーンが多かったですけど、自分のエゴを通そうとする姿勢が逆に好感を持てました。まあ現実にいたら嫌ですけど、それも含めて。




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・鈴木家のクズっぷりがエンターテイメントとして面白い


800万円の遺産を兄弟で4分割しようと提案する京介と麗奈。しかし、当然そうはいくはずもなく、小鉄は「遺産は全部俺のものだ」などと言い出します。「俺は長男と言うだけで、おやじに家の仕事を散々押し付けられて好きなこともできなかった。好きにやらせてもらったお前らとは違って。だから我慢した分、俺には全部貰う権利があるはずだ」と破綻した理論を振りかざします。京介は京介で、「こんな家には興味ないけど、小鉄に全額入るのが嫌だから」というだけで抵抗していますし、麗奈も含めて誰もが自分のことしか考えていません。その言い争いはとても醜く、その醜さが逆にエンターテイメントとして成立していました。台風が近づきはじめたような荒れっぷりです。


特に小鉄のクズっぷりがよかったですよね。玉突き事故の影響で頭に包帯を巻き、首にサポートをしているんですけど、連れてきた娘のユズキに、老夫婦が自動販売機に忘れていったお釣りを掠め取ったことを暴露されるんですよね。そうすると、首のサポーターを叩きつけて「元気ですけど、何か?」と開き直る。治療を延長して保険金も騙し取っていますし、この突き抜けたクズっぷりが草彅さんのあっけらかんとした表情も相まって好印象でした。


鈴木家には4人の息子がいて、そのうち千尋だけがまだ姿を見せていません。玄関から音がして、千尋かなと思いきや、そこには見知らぬ茶髪の男が経っていました。彼は麗奈の今の彼氏で、名前を佐藤登志雄。登志雄はお焼香の仕方も知らず、他人の家で抜くなどこちらもなかなかのキャラクターです。というか、この映画がPG12指定になっているのはほとんど彼のせいです


そんな登志雄を演じたのが若葉竜也さん。個人的には『愛がなんだ』での情けない仲原青役が印象に残っているのですが、『台風家族』では正反対の役柄でビックリしました。でも、おずおずと発言するシーンが何か所かあって、そこはチャラい見た目とのギャップを感じられて好きです。


兄妹の醜い争いに、登志雄が加わって変化が起こるのかと思いきや、別にそんなことはなく、相変わらず事態は平行線です。ここで争いに入れず、おどおどしている小鉄の妻の美代子がよかったですよね。演じたのは尾野真千子さん。なんて贅沢な起用の仕方でしょうか。


しかし、み、水...と言いながら倒れこんでくる三男・千尋の突入によって、映画は次の展開へと進みます。この鈴木千尋を演じたのは、中村倫也さん。俗に言うイケメン俳優なんですけど、あそこまで情けない感じを出せるのは凄いなと。それはUFOに茄子が吸い上げられる謎Tシャツだけじゃなくて、猫背気味の佇まいが、「何もない」感を強調していました。千尋は兄姉3人に向かって「お前らキャッチ―なんだよ!俺はただのコンビニバイトだったのに!」と言って、Youtuberになるとかほざいてましたが、分かるぞその気持ち…!何者かになりたいんだよな…!と変な共感を覚えてしまうほどです。


さて、そんな千尋によって、鈴木家にはカメラが設置されていて、言い争いの模様は生配信されていました。ここで小鉄は配信を止めさせようとしますが、金になると聞いて続行。両津勘吉を彷彿とさせる金の亡者っぷりです。そこから「最低で結構~♪、クズで結構~♪」と、よく分からないダンスとともに、強烈な開き直りを披露。ここまで道化になれるの凄いと思いますし、「まっ、まっ、満足~~~~~」というコメントには思わず笑ってしまいました。メタフィクションや。


ただ、ここで生配信されているのが、実は結構重要だと個人的には感じていて。それは世間の好奇を剥き出しにするという意味が一つ。「お前らなんか死んでも誰も悲しまない」などといった心無いコメントは、この後の展開に効いてきています。そう大事なのはコメント、もっと言えばその量です


配信が始まるにつれて、コメントはどんどんと増えていく。それはつまりは風速の強さを可視化しているのだと感じます。コメントでびっしりと画面が埋め尽くされたシーンはその極致です。でも、詳しくは言えないのですが、映画の終盤は鈴木家は、家にはいないんですよね。外に出かけていて。となると鈴木家を映す画面には何ら変化はなくなり、何も起こらないとなると視聴者数は減っていく。そうするとコメントの量も少なくなり、風速は弱まっていく。いわば台風の目に近づいてきており、それはこの映画の展開ともシンクロしていました。




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・終盤の展開には少し疑問も


物語は銀行員の山田や、謎の女・富永の登場などによって、少しずつ核心に近づいていきます。それは台風の目に近づくという行為。雨は弱くなり、風は穏やかに凪いでいきます。物語もそれに呼応するかのように、徐々にハートウォーミングな方向にシフトしていきます。その根底には「家族愛」が根付いていました。正直に言ってしまえばベタな展開ではあるのですが、それでも繰り返されるのは、べたな展開が大きな威力を持っているからでしょう。今までのキャラクターの印象も反転し、確かな感動が胸に沁みこみます。賽銭箱を漁るシーンや、絶叫するシーンが不思議と愛おしく思えてくるのです。いい話です。


ここから映画は終盤へと向かうのですが、ぶっちゃけここからの展開は疑問の連続で、素直に感動することができませんでした。まず、あそこにいて10年間見つからなかったというのは、シンプルに無理があると思いますし、あんなに綺麗に白骨化するものなんですかね?あと、当然のように登志雄もついていっていましたけど、富永はともかくお前関係ないやんけ。写真の演出もやや安直ですし。それに、オチも少し不満で。あのオチだと二人は既に海に行っていることになりません?せっかくの感動を自ら帳消しにしているような印象さえ受けてしまいます。


でも、富永や登志雄が一緒にいたのは、『台風家族』というタイトルから考えてみると妥当なものではないかと思うんですよね。よく台風が過ぎ去った後のことを「台風一過」というじゃないですか。これはダジャレになってしまうのですが、「一家」も同じ読みをしますよね。子供のころ「台風一過」を「台風一家」と間違えていたというのはよく聞く話です。となれば、この映画のタイトルも「台風一家」で別にいいのではないか。


ただ、「一家」と「家族」には違いがありまして。手元の電子辞書を引くと、「一家」は「一つの所帯」とあるのに対し、「家族」は「夫婦とその血縁関係にあるものを中心として構成される集団」とあります。ここで、「その血縁関係にあるものを中心として」ということは、別に血が繋がっていなくても「家族」という概念に算入することは可能だと私は考えます。つまり、『台風家族』というのは単に鈴木家だけではなく、富永や登志雄も含んだ広範な概念なのかもしれない。そうなると、『台風家族』というのは、実に懐の深いタイトルということができますね。


この映画は、最後にまた一悶着ありそうな予感を残して終わります。映画の最後で彼らは台風の目の中にいて、これからまた激しい風雨に晒されるのだと思います。願わくば平和的解決をして、彼らが無事台風一過の青空を拝むことができますように。そう思わず彼らの行く末を案じてしまう映画でした。オチはともかく、こういった終わり方はかなり好きです。気になるところはいくつかあるので、傑作とはいかないまでも、良作とは十分言える映画ではないでしょうか。残り10日しか公開期間ありませんが、よろしければご覧ください。




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・最後に



最後に一つ。どうしても触れておきたいことがあります。それは小鉄の娘・鈴木ユズキを演じた甲田まひるさんについてです。今回が演技初挑戦とのことですが、もう何回か作品を経験しているのではないかというくらい堂に入った演技が好印象でした。隈があって、病んでいるかのように見上げる目がいい意味でゾクッとします。この映画のタイトルシーンとラストシーンで、甲田さんのみ映されるという映画の印象を左右する非常に重要な役どころを担っていましたが、それに打ち勝つ存在感がありましたね。


また、ユズキはこの映画でもとりわけ重要なキャラクターで。過去の遺産に囚われる大人とは対照的に、ユズキは未来を一手に引き受けているんですよね。ピアノのコンクールでも優勝し、海外留学も視野に入っている未来へ向かう存在です。大人たちの言い争いでもときおりインサートされていたり、二回ほど、大人たちを画面の外に置いて、彼女のみを映しているシーンがありましたよね。こういった対比が、未来を一人背負うユズキの孤独さを表していたように思えます。


ただ、この二つのシーンには明確な違いがありまして。一つ目のシーンでは大人たちは右から左に向かって動いているんですよね。それが二度目のシーン、まあラストシーンなんですが左から右へと動いています。このラストシーンなんですけど、大人たちの矢印は未来へと向いているんですよね。となると、一つ目のシーンでは矢印は過去に向いているということになります。


過去から未来へというのは物語における理想的な展開の一つです。このラストシーンでは、ユズキと大人たちの矢印が一緒に未来へと向いているということになるかと思います。ここでユズキは孤独から解放され、自らを取り巻く環境を受容することができたのではないでしょうか。最後のセリフもまあ言葉は酷いもんですが、不思議と爽やかさが感じられます。完全な納得はしていないものの、いい着地点だとは思いますし、それをバッチリ表現する甲田さんの今後にも注目ですね。また、一人ニューヒロインが誕生したと感じました。




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以上で感想は終了となります。映画『台風家族』、上映期間も残りわずか。諸般の事情でソフト化はおそらく難しいと思われるので、この機を逃すと二度と見られないかもしれません。興味があれば、映画館でご覧になってはいかかでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


台風家族
市井点線
キノブックス
2019-05-22



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