Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203



こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『青くて痛くて脆い』。『君の膵臓をたべたい』の住野よるさん原作の映画です。キャストが好きな人しか出ていないので、元々8月に公開される映画の中でもかなり注目していました。珍しく原作も読んでの鑑賞です。嘘の正体を知るのは気が引けましたが、それ以上に興味が勝ってしまったので。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

人付き合いが苦手で、常に人と距離をとろうとする大学生・田端楓と
空気の読めない発言ばかりで周囲から浮きまくっている秋好寿乃。
ひとりぼっち同士の2人は磁石のように惹かれ合い秘密結社サークル【モアイ】を作る。
モアイは「世界を変える」という大それた目標を掲げボランティアやフリースクールなどの慈善活動をしていた。
周りからは理想論と馬鹿にされながらも、モアイは楓と秋好にとっての“大切な居場所”となっていた。
しかし、秋好は“この世界”から、いなくなってしまった…。
秋好の存在亡き後、モアイは社会人とのコネ作りや企業への媚売りを目的とした意識高い系の就活サークルに成り下がってしまう。
変わり果てた世界。
取り残されてしまった楓の怒り、憎しみ、すべての歪んだ感情が暴走していく……。
アイツらをぶっ潰す。秋好を奪ったモアイをぶっ壊す。どんな手を使ってでも……。
楓は、秋好が叶えたかった夢を取り戻すために親友や後輩と手を組み【モアイ奪還計画】を企む。
青春最後の革命が、いま始まる―。

(映画『青くて痛くて脆い』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。










『青くて痛くて脆い』、一本の映画としてはまとまっていたと思います。前向きなメッセージを分かりやすく伝えてきていて、爽やかな主題歌も相まって観終わった後、前向きな気持ちで映画館を後にできること間違いなしです。正直、私は原作を読んだときに、「個人的には住野よるさんはあまり得意じゃないかなぁ」と思っていたのですが、「この住野よるさんなら得意だ」と映画を観て感じました。





この映画はパラパラ漫画から始まります。初見では「どこかの配給会社のロゴかな?」と思いましたが、普通に映画が始まったので驚きました。最初のモノローグも原作と全く一緒です。


田端楓は人に不用意に近づかず、人の意見を否定しないことをテーマにしている大学一年生。目立たず事を荒立てずの、地味で平穏なキャンパスライフを送ろうとしていました。この田端を演じたのは吉沢亮さん。一年生のときの大人しい感じから、四年生の腐りかけた感じはまるで別人のようです。舞台挨拶でもあった通り、何かを訴えかけてくる目力が印象的でしたね。流石の演技でした。


目立たないキャンパスライフを送りたいという田端の目論見は、開始2分で打ち砕かれます。授業中に手を挙げて、大っぴらに理想論を語る一人の女性がいたからです。彼女の名前は秋好寿乃。世界から戦争をなくすことが本当にできると思っている、自信過剰で愚かで鈍い人間です(田端談)。彼女に間に合わせに使われたことで、田端が描いていた理想は早くも粉微塵になります。


この秋好を演じたのは杉咲花さん。理想を高らかに語る笑顔と声が良かったですよね。特に声が少しアニメチックだったのが、この映画ではプラスに働いていて。こんなやつ現実にはいない感を印象づけていました。そこからの真顔のギャップも良くて。吉沢さんと二人での講堂のシーンは息が詰まりそうな緊迫感がありましたね。「気持ち悪っ」を二回言ってくれたのも最高でした(原作では実は一回だけなんだぜ)。


行く先々の講義で理想を語り、悪目立ちした秋好は早くも大学で浮いてしまい、どのサークルにも入れてもらえません。「自分でサークルを作れば?」と提案してしまう田端。その提案に秋好はまんまと乗っかり、二人は「なりたい自分になって、世界を変える」秘密結社モアイを結成します。空から横断ほどを見上げるカメラワークが印象的でした。




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それから三年。就職も決まった田端は、数少ない友達である菫介と居酒屋で呑んでいます。そこにやってきた、やたらと騒ぎ立てる集団。彼ら彼女らは三年の時を経て、意識高い系就活サークルに成り下がったモアイでした。モアイを目の敵にする菫介。この菫介を演じたのは、私の好きな岡山天音さん(『王様になれ』の主演やってくれたから)。今回もいい感じに意識が低く、主人公と馴れ合う友人キャラで力を発揮していました。


そして、変わり果てたモアイに嫌気が差していた田端はモアイを潰すことを宣言します。一緒にモアイを作った秋好は「死んだんだ」とも。このあたり原作では少しずつ変わったモアイの存在をちらつかせつつ、60ページくらいかけていたので、スピーディだなと妙な感心をしてしまいました。


モアイ攻略の糸口を見つけるため、モアイ主催の就活イベントに潜入する菫介&報告を待つ田端(モアイの上の人間には顔が割れているかもしれないので)。水先案内人でモアイの幽霊部員であるポンちゃんと一緒に潜入します。このポンちゃんを演じたのは松本穂香さんです。今までいくつかの映画で拝見してきましたが、あまり喋らない役柄が多かったので、今回のあけすけに喋るポンちゃんは新鮮に感じました。これがまた絶妙に緩くて良くて。住野よるさんが絶賛したのも分かります。


就活イベントに潜入して、バレそうになりながらも田端と菫介は参加企業のリストをゲット。原作ではこの後ちょっと回想を挟んで、即バーベキューになるのですが、映画はここからが長かった











※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。












映画では秋好と田端がフリースクールに行く回想が入ります。そこには学校に馴染めない瑞希がいました。彼女を演じた森七菜さんがベースを弾くところ(あんまガチじゃないけど)が観られるのは映画版ならではの長所ですね。先生に連れ戻されそうになって、嫌々逃げ出したり、嗚咽を漏らしたりするのも良かった。ここで「このままでいいのか」という先生のセリフが、あからさまに田端に重ねられていて、この映画のテーマを浮き彫りにしていっていましたね。


さて、回想も終わりバーベキューのシーンです。田端と菫介はテン(モアイの幹部ね。演じた清水尋也さんのSっ気よ)が遊び人だという噂を聞きつけ、そのスキャンダルをネタにモアイを内側から崩そうとしていました。まあその企みは上手くはいかないんですが、ここでこの映画の肝である「大きな嘘」が発覚します。


秋好は生きていて、未だにモアイの代表を勤めていたのです


田端が言った秋好が死んだというのは、かつての理想に生きていた秋好は死んだという意味だったのです。田端は今の腐ったモアイを潰して、もう一度かつてのちゃんとしたモアイを取り戻そうとしていました。


そのために田端が取った方法と言うのがSNSでの炎上。モアイが企業に学生の情報を横流ししていたことを知った田端は、捨てアカでその事実をSNSに流します。フォロワーの数も知れている捨てアカで投稿したからって、あんなにいきなり火がつくかというツッコミは置いといて(暇な人間は大勢いる)、ネットニュースにまで取り上げられてモアイは炎上。炎を実際にバックに映す演出はちょっとどうかとは思いましたが、田端の目論見通りモアイは窮地に追い込まれます。




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と、ここからの展開は映画を観てほしいのですが、私はこの映画の大きなテーマとしては「なりたい自分になる」というものがあるように感じられました。それは瑞希が高卒認定試験を受けることや、パラパラ漫画、そして田端の存在しないIFの記憶に表れています。


私は本当は田端は人と関わりたかったのだと思います。田端のテーマは自分も相手も傷つけないようにするためでした。しかし、そのテーマを遵守するあまり、言いたいことを言えずに、結果的には自分も相手も傷ついてしまっています。「なりたい自分になる」ためには傷つく痛みも必要。ラストシーンの原作通りのあの最後のセリフは、田端がそれを受け入れた何よりの証拠だと私は思います。


なりたい自分になるために、一歩踏み出した田端の姿にきっと多くの人が勇気づけられることでしょう。自分を否定せず、なりたい自分になっていいんだという気づき。それを私はこの映画から受け取りました。観終わった後には実に清々しい気持ちになりましたね。


半分は。





















さて、この映画を観て私が感じたもう半分は驚きでした。というのもこの映画は原作とは全く異なっているからです。細かな相違点だけではありません。もはやベクトルが真逆になっているとも言っていいほどの変化でした。脚本を書いた方と同じ小説を読んだとは思えないほどです。


小説と映画の相違点は、それこそ枚挙に暇がありませんが、大きなポイントとしては以下の3つが挙げられると思います。


①秋好の生存をばらすタイミング
②フリースクールの描写の追加
③川原さん関連の描写の激減



まずは①からです。映画ではバーベキューのシーンで秋好の生存が明らかになっていますが、原作では違います。モアイのリーダーは小説の中ではしばらくはヒロというあだ名で呼ばれていて、その正体が秋好であると明らかになるのは、菫介が降りるシーンとなっています。随分早くばらすんだな、このまま興味惹き続けられるのかなと感じましたが、案の定それは上手くいっていないように感じました。映画から見る人への配慮なのでしょうが、もう少し引っ張れたんじゃないかとも感じてしまいます。


続いて②です。フリースクールや瑞希の描写は映画オリジナルのもので、原作では実は一文字もありません。別に小説をそのまま映画化しろと言っているわけではなく、改変も受け入れようとはしたのですが、わりと時間を使っているのに、このシーンでは話が一ミリも進まないんですよね。「このままでいいのか」という問いが示されはしますけど、それくらいですし。森七菜さんや光石研さんは良かったんですけど、もう少し短くても良かったんじゃないかなとは思いました。


そして、私が最大の問題だと感じているのが③です。このフリースクールの描写の増加のあおりを食らう形で、川原さんの出番が激減。いてもいなくてもいい存在になっていて、ここが個人的には一番しっくりこないポイントでした。というのも、『青くて痛くて脆い』において、川原さんはけっこうなキーパーソンなんですよ。




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それを語る前に、まずは川原さんの設定を確認しなければなりません。川原さんは田端と同じドラッグストアでバイトをしている大学一年生。モアイのわりと熱心な方の部員であり、ヤンキー女子大生(田端談)。小説では、主にモアイの内情を田端に知らせるという役割を担っています。映画では省かれましたけど、小説では、ドラッグストアでの描写もわりと多いです。この微妙な距離感好きだったんだけどな......。


いわばパイプ役の川原さんですが、彼女自身もなかなか刺さる言葉や芯を食ったセリフを連発。「距離感」「自分に酔える人間」「安全圏で笑える人間なんてゴミ」「空っぽ」などなど。特に終盤、田端と秋好が同じ「空っぽ」だと漏らしたのは痺れました。秋好と田端の共通性をこれ以上なく言い当てた言葉で、田端の行動にも大きな影響を与えていたので、映画にないのは少し勿体ない気もしました。


それに、川原さんの最大のポイントがモアイに居場所を見つけた人間であるということ。この事実が田端に自分の奪ったものを鋭利な痛さとともに突き付け、掻きむしるような恥と後悔をもたらしているわけですが、映画ではいかんせんこれが弱い。川原さんの立ち位置は瑞希に移管されていますが、瑞希はそんなに話に絡んでくるわけではないので......。


ラストの田端の衝動もちょっと薄くて、川原さん関連を大きくカットした弊害を感じます。川原さんのシーン、原作では映画の10倍くらいありますからね。夜送るシーン以外も入れてほしかったです。











この感想の最初に「私は住野よるさんが得意ではない」と書きました。それは住野さんが過剰なほどのモノローグと鋭いセリフで痛覚を刺激してくる作家さんだからです。私は住野さんの作品は『青くて痛くて脆い』と『よるのばけもの』くらいしか読んでいませんが、その2作を読んだ印象で言えば、住野さんは私たちを傷つけない作家さんだと感じています。その代わりに、元々あった癒えていない傷口に塩を塗りこんでくるような読み味があって。そっちの方が余計痛いなって感じてしまっています。


映画も私たちを傷つけることはありません。ただ、傷口には絆創膏を貼ってくれます。優しく処置をしてくれて、痛みを引かせる方へと向かわせます。それは、まるで痛みなんてなくてもいいというように。この映画には痛みがかなり減じられてしまっていて、そこには私の得意じゃない住野さんはいませんでした。何が「キミスイ」をぶっ壊すですか。この住野さんなら私は大いに得意ですよ。とても寂しく切ないことですけど。


この映画には痛みが原作ほど感じられず、「なりたい自分になる」といういわば自己啓発ムービーとなっていると私は感じました。まるでモアイがPRのために作った作中作のようです。まあ「なりたい自分になっていい」というのは優しいようでその実、無責任で、争いの原因を作る残酷さも持っているのですが。そう考えると、原作とはまた違った悪意と残酷さが透けて見えます。もしかしたら、優しい笑顔の裏の顔みたいなことがこの映画の狙いだったのかもしれないですね。




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以上で感想は終了となります。映画『青くて痛くて脆い』。原作を読んだ人と読んでいない人では、良くも悪くも印象が大きく異なる映画だと思います。個人的にはこれほどの改変は今まで観たことがなかったのでびっくりしました。ただ、全然悪い映画ではないので、興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


青くて痛くて脆い (角川文庫)
住野 よる
KADOKAWA
2020-06-12



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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『のぼる小寺さん』。最初はその存在を知らなかったのですが、『聲の形』や『若おかみは小学生!』の吉田玲子さんが脚本を担当されていると知り、俄然見なくちゃという気に。公開から1か月以上経ちましたが、ようやく長野でも公開されたので観に行ってきました。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

――彼女がなぜのぼるのか、僕には“まだ”わからない。
教室。ひとりぼっちの近藤は、暇つぶしに携帯をいじっている。

体育館。
卓球部の近藤が隣をみると、小寺さんが上を目指している。
近藤は小寺さんから目を離せなかった。

放課後。
教室に小寺さん、近藤、四条、ありかが残される。
「進路調査票、白紙なのお前らだけだぞ」担任の国領が紙を広げる。
不登校気味の梨乃が遅れてやってくる。
「お前、めちゃくちゃ遅いよ!」あきれる国領。

クライミング部の隣で練習する卓球部の近藤、クライミング部の四条、ネイルが趣味で不登校気味の梨乃、
密かに小寺さんを写真に収めるありか。
小寺さんに出会った彼らの日常が、少しずつ変わりはじめる――

(映画『のぼる小寺さん』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください







※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。








『のぼる小寺さん』、良い青春映画でした。観終わった後にじっくり咀嚼できて、小さな勇気をもらえるような良作でした。個人的に今まで観てきた青春映画とは少し印象が違ったんですけど、それも含めて良かったですね。




この映画は終盤のシーンを先に見せるところから始まります。「小寺さんはどうして登るんだろう」というナレーションとともに、クライミング部の小寺さんが大会に出場しているシーンが描かれます。何かを言いたげな近藤、というところでタイトルが映し出され、物語は始まっていきます。


近藤は、休み時間に誰とも喋らず、スマートフォンを見て、騒いでいる人間を馬鹿にしているような、実にありがちな高校一年生です。卓球部の練習にも身が入らず、クライミングに勤しむ小寺さんを眺めてばかりいます。この近藤を演じた伊藤健太郎さんは、微妙な表情や視線の変化で、何をがんばったらいいのか分からない等身大の学生像を見事に表現していました。やっぱり若いながら、安定感がありますね。


さて、とある日、近藤と小寺さんは教室に残されます。とはいったものの二人だけではなく、同じクライミング部の四条や、カメラを持っているありかも同じく残されています。この四人は進路調査票を白紙で提出したことで、先生からやり直しを命じられていました。「とりあえず書けば、三年間どっかで考えながら過ごすことになる」という先生。


すごくベタな始まり方ですが、高校生は将来の選択を否応なしに迫られる時期ですからね。15歳の若者に一生なんて決められるわけないのに。不満足そうに進路調査票を受け取る4人と、遅れてやって来た梨乃。この5人がメインとなってこの映画は展開していきます。


この映画は近藤、四条、梨乃、ありかの4人が小寺さんを見て"とりあえず"がんばれるものを見つけるというストーリーなのですが、ポイントとなるのは小寺さんを理想的な人物として、特別扱いしていないことなんですよね。小寺さんはクライミング一直線すぎて、進路調査票にも「クライマー」と書いてしまうキャラクター。ですが、周囲からは不思議ちゃんと呼ばれ、授業では顔面にバレーボールがぶつかって鼻血を出してしまいます。


この映画では、画面に名前が出て、それぞれのキャラクターの性格や置かれた環境を描くという演出があるのですが、それでさえ小寺さんは5人中4番目でしたし。小寺さんも他の4人と同じラインに立っているというこの映画のスタンスは好きです。演じた工藤遥さんも、基本的には自然体なんですけど、天性の引力みたいなものがあって、気づいたら見入ってしまっていました。クライミングもモーニング娘。で培った運動能力を生かして、しっかり自分で挑んでいましたし、好印象です。他の映画でも見たいなと感じました。




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黒い画面に白い文字で名前が出るこの映画の演出。一番最初に名前が登場したのは近藤です。ここは先ほど説明した通りなので割愛するとして(やる気のない卓球が見どころ)、二番目に登場したのはありかでした。このありかは丸眼鏡を掛けていて、その見た目から友達もおらず孤立しているのかなと思いきや、普通に友達はいる様子。


ありかはカメラを構えていますが、ただ趣味で撮っているだけで、どこにも出せていません。彼女を演じたのは小野花梨さんは、風貌からして言いたいことが言えない雰囲気をすごく醸し出していて、誰かに声をかけるときのぎこちなさが良かったです。


次に名前が出たのは梨乃。しかし、梨乃は不登校気味で、学校外の知り合いとバーべーキューをしたりして、遊んでいます。それでも、小寺さんと話すことで、徐々に学校にも顔を出すようになるんですよね。小寺さんにネイルを施すシーンは、この映画でも数少ないキラキラしたシーンでした。彼女を演じたのは、吉川愛さん。こういった少し派手目な役柄にぴったりの華と、その裏にのぞかせる影を併せ持っていて、嫌味ったらしくなく観ることができました。


そして、小寺さんの名前が画面に映されたのち、最後に登場したのが四条です。はじめはおどおどしていた彼ですが、小寺さんのアドバイスで髪を切ってからは少し積極的に変わっていく四条。彼を演じたのは鈴木仁さんです。『4月の君、スピカ。』や『小さな恋のうた』で何度かお見かけしたことはあったのですが、この映画でもその存在感は目を引きます。


最初のもっさりした印象があったのですが、後半は穏やかなイケメンに。それでも、根っこの部分は変わらないというバランス感覚が見事で、この映画で個人的に一番好きなキャラクターでした。鈴木仁さん自体もこの年代の俳優さんの中では一二を争うくらい好きですね。秋公開の『ジオラマボーイ・パノラマガール』も楽しみです(長野で公開されるかどうかは怪しいけど)。









前述したように、この映画は小寺さんを見ていた4人がそれぞれ小さな一歩を踏み出すストーリーです。小寺さんを含めた5人はさまざまに関わっていきますが、この映画の特徴として静かであるということが挙げられると思います。よくある青春映画だったら、もっと直接的なセリフやムード音楽を流したりして盛り上げそうなところを、この映画は自然な会話と俳優さんを生かす抑え目な演出で見せているんですよね。直接的なセリフなんて「僕も登らなきゃって思うんだ」ぐらいのものでしたし。


この映画って分かりやすさと分かりにくさの合間、微妙なラインをついていたと思うんですよ。私はバカなので分かりやすい方が好みなんですが、いい意味で分かりにくいのもいいかなって感じました。エモーショナルな場面が少なく、淡々と進んでいくんですけど、これはこれで好みだったりします。


でも、描写不足には決してなっていなくて。小寺さんと近藤の会話中に流れる蝉の声とか、近藤と伊藤の屋上での会話での焦点のあっていない景色とか。セリフだけでなく、画面の色々な角度から訴えかけてきていて、映画ならではの魅力を感じました。近藤が卓球に熱心に取り組んでいく過程も説得力がありましたし、だらだらやっていた仲間との決別を示す試合後のシーンには痺れます。


そして、小寺さんに触発されて、梨乃やありか、四条も小さな一歩を踏み出すんですよね。梨乃とありかが初めて喋るシーンは確かな感動がありましたし、小寺さんを好きだった四条がその恋心にケリをつけて、別の女子の告白を受け入れたのも好きでした。


特に梨乃の描写が個人的には好きで。劇中での梨乃は学校には来るんですけど、授業を受けるシーンはないんですね。そのまだ授業に入っていく勇気は出ないけど、小さな一歩ぐらいなら踏み出せるというこの塩梅はすごく良かったと思います。無理して押し付けない感じで。




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この映画で「これ以上できないくらい挑戦していれば、必ず『ガンバ!』って言ってくれる」といったようなセリフがありました。確かに小寺さんは最大限挑戦していて、大会のシーンは私も思わず手に汗握って、登場人物と同じように「ガンバ!」と言いたくなったのですが、私は他の4人にも同じくらい「ガンバ!」って言いたくなったんですよね。彼ら彼女らは小寺さんほど一生懸命じゃない。でも、自分の道を見つけようと、水面下でもがいている姿に私は「ガンバ!」と応援したくなりました


そして、この映画の最大のポイントだと私が感じているのが、4人の見つけた道が、人生を捧げる道だとは限らないということです。繰り返しになりますが、そもそも15歳か16歳かそこらの若者に、自分の人生を決めさせるのは酷なことだと私は思います。だって、高校を卒業してから分かることの方がずっと多いから。近藤も、ありかも、梨乃も目指した道でプロになれるかどうかは分かりませんし、なれない可能性の方がずっと高いと思います。


でも、そんな先が見えない中でも"とりあえず"がんばることに価値がある。この映画では、小寺さん以外の4人の進路調査票は放っておかれたままです。何になれるかは分からないし、夢は変わるかもしれないけれど、"とりあえず"がんばって自分の決めた道を進む。今を生きる。だれもが夢を見定めているわけじゃない高校一年生の態度としては、とても現実的なものだと私は感じました。


この映画は小寺さんを見る4人というストーリーで展開していきました。しかし、4人が"とりあえず"の道を見つけるにつれて、小寺さんを見なくなっていくんですよね。がんばっている小寺さんを羨む必要は薄くなっているんです。


それを如実に示しているのが、ラストシーンでしょう。小寺さんと近藤が背中合わせになるという絵面だけでキュンとなるシーンなのですが、ここで近藤は小寺さんを見ていないんですよね。"とりあえず"卓球に打ち込むという自分の道(仮)を見つけて、まっすぐその道を見ている。もう小寺さんという道標に頼る必要がなくなったんです。蝉の声が消えているのも、近藤が一生懸命になれるものを見つけたことを表していて、オレンジの光とともにグッとくる終わり方でした。良作ですね。




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以上で感想は終了となります。映画『のぼる小寺さん』、淡々としたムードながら、がんばっている、もしくはがんばろうとしているキャラクターたちを応援したくなる映画でした。興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『』。かの中島みゆきさんの同名曲を映画化した一作です。今回は8月12日の先行上映で観てきました。あまり大きくないスクリーンでしたけど、お客さんがいっぱいで期待値の高さを感じましたね。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが何卒よろしくお願いします。




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―あらすじ―

平成元年生まれの高橋漣と園田葵。
北海道で育った二人は13歳の時に出会い、初めての恋をする。
そんなある日、葵が突然姿を消した。
養父からの虐待に耐えかねて、町から逃げ出したのだった。
真相を知った漣は、必死の思いで葵を探し出し、駆け落ちを決行する。
しかし幼い二人の逃避行は行く当てもなく、すぐに警察に保護されてしまう。
その後、葵は、母親に連れられて北海道から移ることになった。
漣は葵を見送ることすらできないまま、二人は遠く引き離された…。
それから8年後。
地元のチーズ工房で働いていた漣は、友人の結婚式に訪れた東京で、葵との再会を果たす。
北海道で生きていくことを決意した漣と、世界中を飛び回って自分を試したい葵。
もうすでに二人は、それぞれ別の人生を歩み始めていたのだった。
そして10年後、平成最後の年となる2019年。
運命は、もう一度だけ、二人をめぐり逢わせようとしていた…

(映画『糸』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







映画『糸』。基本的には上手くまとまっていましたし、悪くない映画だったと思います。ラスト付近で漣と葵のストーリーが交差する展開はシンプルに感動しましたし、全体を通して見ても大きな破綻はしていません。ですが、個人的には上手くまとまりすぎていて、予定調和にも感じてしまいました。


この映画は北海道・美瑛。漣と葵が13歳のころから始まります。漣はサッカー少年で、友達と花火大会に出かけます。自転車で転倒してしまいますが、葵からばんそうこうを渡される。二人はこうして出会いました。そこからは漣のサッカーの試合に葵が弁当を持って行ったり、漣が葵に告白してみたり。そして、ある日漣は葵が父親から虐待を受けていることを知り、二人で一緒に逃げようとします。


ここで、どこかのロッジに二人が泊まるシーンがあるのですが、ここおっさんが通りがかってロッジの明かりがついているのを不審に思いながらも見逃すというシーンがあるんですよね。まあその後で通報したことによって二人が見つかったのかもしれないですけど、ここちょっとご都合主義を感じてしまったんですよね。この映画って漣と葵以外のキャラクターがどうも舞台装置的に見えてしまう部分があったんですが、思い返せばこの時から怪しいなという感じはありました。


二人は警察に見つかり引きはがされます。ここでかかるのがなんと表題曲である「糸」。この演出にはびっくらこきましたね。もう切り札切っちゃうんだって。早い段階で観客を引きつけたいという工夫ですかね。映画の最後の決めるところで流すとばかり思っていたから、かなり意外でした。




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それから時は流れ、7年後の平成20年。漣の友だちの竹原が結婚することになります。そのために美瑛のチーズ工場で働く漣は上京。この辺りはうすら寒い馴れ初めのビデオを見せられ、成田凌さん演じる竹原の軽薄なキャラクターもあってなかなかにキツかったのですが、ここで漣と葵は再会を果たします。


少し話す二人ですが、なかなか会話はかみ合いません。ここの菅田将暉さんの空回っている感じと、小松菜奈さんの秘密を抱えている感じは両者良かったですね。しかし、葵は年上の男・水島と一緒に式場を去ってしまう。ようやく意中の相手と会えたのに引きはがされる。二人は涙を流します。


ですが、この映画はウェットな演出が目立っていて、こういった泣かせにかかろうという姿勢が、個人的にはあまりハマりませんでした。涙を流す以外の表現ももうちょっと見せてほしかったかなと思います。特に香関連はちょっとやりすぎている感じさえしましたね。


この香というのは、漣が働くチーズ工房の先輩で、徐々に漣と仲を深めていくというキャラクターです。ただ、この香関連は車いすに乗っている予告編を見たときから少し嫌な予感がしていたんですよね。まさか令和になったこのご時世に難病ものやる気じゃないだろうなって。


でも、観てみたところその悪い予感が的中。榮倉奈々さん演じる香は妊娠しますが、検査で腫瘍が見つかってしまいます。しかし、香は産むと宣言。実際に娘の結を産みますが、その次のシーンでは病床に臥せっているんですよね。そして、漣といくつかの(ありがちで)感動的なやり取りを交わした後、亡くなってしまいます。正直、この一連のシーンは感動じゃなくて、引きました


ここで両親がえんえん泣くのがちょっと演出が過ぎるなって思いました。分かりやすすぎる感じがしたんです。まあ「泣いている人がいたら抱きしめてあげなさい」という香の教えを見せるという意味のあるシーンなのですが、それにしてもいかにもすぎて、もう少しどうにかならなかったのかという感じはします。











でも、無理やり良いように解釈すれば、この映画には平成史を振り返るというコンセプトもあります(表層的なものですが)。平成のエンタメで顕著だったのが、携帯小説などにも見られた難病ものブーム。映画も『世界の中心で、愛をさけぶ』から始まり、雨後の筍のように難病もの映画が作られました。榮倉奈々さんは『余命一ヶ月の花嫁』で一躍有名になりましたし、瀬々敬久監督も『8年越しの花嫁』を監督しています(ちなみにプロデューサーも同じ方)。だから、平成の映画を振り返るうえで難病要素は欠かせないと思って挿入されたのかもしれません。それでも私は食傷気味でしたけどね。


というか、そもそも論をしてしまえば、この平成史を振り返るというコンセプト自体がどうなんだろうという気はします。9.11やリーマンショック、オバマ大統領就任、地デジカなど平成の諸要素を取り上げていましたが、どれも表面をなぞっただけで大きく取り上げられることはありません。何年か後に見てこういうこともあったんだと実感するように、記録する目的もあったのかもしれませんが、それにしては東日本大震災の扱い方が気になります


劇中でも、東日本大震災が起こります。津波による被害を映すニュース映像(これも画面は見せる必要あったのか疑問だけれど、記録として残すと考えれば何とか)を見る登場人物。竹原の二人目の妻(一人目とは一年で離婚している)の利子は、震災の影響で性格が変わってしまったところが描写されていますが、これが物語に影響を与えることはないんですよね。


いや、そのあとの「ファイト!」は胸に来ましたよ。でも、東日本大震災を単なる演出の一つとして使うのは、どうなんだろうかとも感じてしまったんですよね。イマイチ扱い方が中途半端というか......。どうしても必要じゃないというか......。単なる記録以上の意味はあったんだろうかと疑問に感じてしまいました。


というか、年号って日本独自のものですし、年号が変わったからって生活は何も変わりませんでしたよね。役所で書類を記入するときに少し気を遣うようになったぐらいで。人の人生を無理やり年号で区切るっていうのが、ちょっと不気味に感じたりもしました。もう最後、改元の瞬間に花火上げさせたかっただけなんじゃないかとさえ思ってしまいます。




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あと、漣がチーズ作りにあんなに執着する理由も描かれていませんでしたし、二人が美瑛で再会したシーンで都合よくサッカーボールがあったことも謎なんですけど、この辺にしておいて、葵サイドの話に行きたいと思います。この葵サイドは漣サイド以上に問題がたくさん。ですが、それは葵以外のキャラクターが舞台装置としてしか機能していなかったということに集約されると思います。


葵は年齢を偽って、キャバクラで働いていました。そのキャバクラの社長である水島に気に入られて、一緒に暮らすようになり、大学まで行かせてもらっています。ですが、水島はリーマンショックによる不況から沖縄に逃げます。浜辺で水島が釣りをしているところを見つける葵。そんな浅瀬で魚釣れへんやろというツッコミは置いといて、なぜか民謡を踊った水島は、次のシーンではお金を置いて葵の元から去ってしまいます。ここ本当に唐突だったんですよね。ちゃんとした理由もなく。葵を一人にしたいという作劇上の都合が透けて見えてしまいました。


一人残された葵は、友人の伝手を頼ってシンガポールへ。最初は地元のネイルサロンで働いていましたが、友人である玲子がトラブって辞めると、一緒に辞めて、日本人のネイリスト派遣事業を始めます。まあまあその事業は上手くいって、なんと7年も続いています。凄ぇ。ですが、ここでまたもトラブル。玲子が勝手に投資して、詐欺にあって、葵は借金を抱えてしまいます


玲子がそんなことしてる素振りなんて一切なく、こちらも唐突。葵を苦境に立たせるためだけの舞台装置と化してしまっています。一緒に事業をしていた冴島という男も、葵に飛行機のチケットを渡す以外の役割は果たしていませんでしたし、人間っぽさがあまり見えません。ここは観ていて引っ掛かるポイントでした。


何とか借金を返しますが、一人になってしまう葵。日本食の食堂でまっずいカツ丼を涙ながらに食べるという謎のシーンがあるのですが、ここでもまた「糸」が流れるんですよね。今度はスピーカーから流れているという違いはあるのですが、これで二回目。おそらくこの後決め場で、もう一度流れるであろうことを考えると三回です。さすがに流し過ぎではと思いました。ここの「糸」は節約しても良かったのではないかと感じてしまいました。だってこのシーン無くても物語は成立してしまうんですもの。


というか、この映画って想像以上に中島みゆきさんの曲が流れていたんですよね。中国語カバーの「時代」も有線で流れてきていましたし、「ファイト!」なんて二回カラオケで歌われます。一回目も二回目も「ファイト!」を歌う理由なんて、正直全くないのに。まるでこの世界の音楽は中島みゆきさんしかないかのよう。曲のパワーはありましたが、疑問が先に出てしまいそこまで感動することはできませんでした。













ウェットな演出と中島みゆきさんの乱用。とにかく泣かせてやろうという感動の押し売りがバリバリに伝わってきて、それが私は逆に嫌でしたね。だから泣いている葵に結が抱きつくシーンも良いシーンなんですけど、それまでの演出のせいで偽善にさえ感じてしまいました。その後はベタなすれ違いのつるべ打ちで、どうせ二人が再会しておしまいなんでしょと鼻白んでしまいました。


というか、昔の意中の相手に会おうとする漣という構図は、香との日々はなんだったのと少なからず感じてしまいましたし。それに「縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない」という「糸」の歌詞からすれば、布は結のことを指しているかもしれません。となると、糸は漣と香で......って葵は?漣と葵の話じゃなかったの?と少し不思議に感じてしまいます。


でも、俳優さんは良かったんですよ。菅田将暉さんは、キャリアハイとまではいかなくても、諦めかけた漣の悲哀と哀愁、父親になった喜びと責任を上手くブレンドしていましたし、小松菜奈さんも個人的ベストアクトである『さよならくちびる』には及ばずとも、振り回される葵の切なさと空元気さ、そして受容されたときの柔らかさなど折々の表情を見せてくれました。他の俳優さんも与えられた役割を忠実に演じていて、大きな不満はありません。


だからこそ、演出をもう少し抑えめにしてほしかった。もっと感動の押し売り感がない方が私は好きなんですけど、後ろの席からすすり泣く声が聞こえていたので、これで良かったのかもしれません。素直に感動したい方にはお勧めできる作品になっていると感じました。




gzb














以上で感想は終了になります。映画『糸』、私にはあまりハマらなかったのですが、悪い映画ではないと思います。話自体は上手くまとまっていますしね。興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


映画「糸」オリジナル・サウンドトラック
オリジナル・サウンドトラック
SMM itaku (music)
2020-08-19







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