Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203



こんにちは。これです。

この度私は、5月16日(日)、東京流通センター第一展示場にて開催される第三十二回文学フリマ東京に参加いたします。

既刊3冊と新刊1冊の計4冊を頒布予定です。

よろしくお願いします!!




とはいっても、内容が分からないとなかなか足を運びづらいですよね。

そこで、今回は計70ページ、40000字以上の試し読みをご用意しました

4編の冒頭を無料公開、さらに短編2編を全文公開しています。

ぜひ気になる作品のページをクリックしてお読みください。








・とある作家と編集者の物語

【試し読み】柘榴と二本の電波塔




・どこにでもいるような兄弟の悲劇

【試し読み】なれるよ 




・一人の中学生の男の子の一年間

【試し読み】あの広い屋上に花束を




・冴えない男に訪れた転機

【試し読み】アディクト・イン・ザ・ダーク




・男が迎える朝に隠された秘密

グッド・モーニング




・深夜のコインランドリーを舞台にした男女の会話劇

綺麗事とか









いかがでしたでしょうか。なにか気になる作品はありましたでしょうか。

一つでも興味を持った作品があれば、ぜひ当日、エー17『胡麻ドレッシングは裏切らない』へお越しください。私一人ですが、あなたのお越しをお待ちしております。

では、5月16日(日)に元気でお会いしましょう。

何卒よろしくお願いします。


※Webカタログはこちら

※ご来場の際は公式サイトの注意事項を読んでのご対応をお願いします。



この度はご覧になってくださってありがとうございます。これと申します。

こちらのページは5月16日(日)、第三十二回文学フリマ東京@東京流通センター第一展示場にて頒布予定の『これ作品集 午前四時三〇分のモノローグ』に収録の、『なれるよ』の試し読みサイトとなっております。

どこにでもいるような平凡な兄弟の話を書きました。今回は12p、およそ6500字分を無料公開いたします。

では、どうぞ。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 

覚えていない。

失言で辞職した大臣。震度三の小さな地震。いじめられていた同級生の名前。

忘れていく。

テレビの中のテロリズム。かつて観た映画の主人公。三日前の晩御飯。

消えない。

あの凄惨な事件。白昼夢のような一瞬の出来事。奪われた未来。

ずっと。                                                              





 
 春の足音が近づく四月の朝。鳥のさえずりが、近くの高架を通過する電車に、かき消されている。暖かくなってきたとはいえ、朝晩は暖房がないとまだ寒い。大人しい日光を正面に受け、仲島洋一は照明もつけずに、キッチンに一人立っていた。

 卵を割って溶かし、玉子焼き機に垂らす。熱されたステンレスに触れた卵は、パチパチと泡を立て、黄色を薄めていく。洋一は実に慣れた様子でフライパンを振った。皿に盛られた玉子焼きからは、柔らかな湯気が立ち上る。キャベツを千切りにして、銀色のボウルに入れる。輪切りにしたキュウリに、半分に切ったミニトマト。それに薄く切ったハムを少し。ただ具材を切って乗せただけの簡易的なサラダが、洋一と同居人の朝の定番メニューだった。

 しばらくして、炊飯器が鳴った。少し混ぜて冷ました後に、艶が誇らしげな白米を茶碗によそう。洋一は同居人の分を自分よりも、少し多く盛った。冷蔵庫から納豆を取り出す。昨日、スーパーマーケットのセールでまとめ買いしたものだ。手に取ると、パックの底から、細やかな冷たさが伝わってきた。テーブルに置き、朝食の準備を終える。

 あとは、気持ちよく熟睡しているであろう同居人を起こすだけだ。

「祐二ー、起きろー。飯できたぞー」 

 洋一は、向かいのドアに話しかける。子供にボールを投げるように優しく。しかし、反応はない。仕方なくドアを開けると、部屋の中では仲島祐二が、布団の中ですやすやと寝息を立てていた。枕元の目覚まし時計は、十時に設定されている。布団の側には、空の缶ビールが横たわっていた。

 洋一が、白い布団に手をかけて勢いよく剥がす。外気に晒された祐二はすぐに目を開け、そして屈んだ。ミノムシのようだ。誰だって、熱を逃がしたくはない。特にまだ寒さが残る朝には。

「うーん……。うわっ。寒っ」

 それまで、右向きで寝ていた祐二は、一つ寝返りを打った。洋一の姿を視界に捉えたようで、目を何度も擦っている。ようやく起き出すと、パジャマの襟がまたよれていることに気づく。

「さっさと起きてこいよ。早くしないと飯冷めちまうぞ」

「はーい」

 洋一がリビングに向かって歩く後を、祐二が重たい足取りでついていく。祐二は席に座る前に、壁のスイッチを押して、照明を点けた。無理強いをしない光が、朝の盛り上がらない心にはありがたい。

 祐二は、椅子に座る前に言う前に、テレビのリモコンに手を伸ばし、赤い電源ボタンを押した。取られると期待された箸が、放っておかれたまま虚しい。

『おはようございます。時刻は八時になりました。『あさテレ』のお時間です。最近は寒さも和らいで、コートもいらないくらいの陽気。桜の木にも小さな蕾が見られます。お花見が楽しみですね。さて、今日のラインナップはこちらです。東京では……』

 明朗なアナウンサーの声が、二人の輪郭を浮かび上がらせる。目の前の朝食は、早くも冷め始めていた。洋一はテーブルに手をかけて、煉瓦色の椅子に座った。反対に、祐二は椅子に座る前に、テーブルの上を軽く見回して、「兄ちゃん、マヨネーズどこ?」と何の憂いもなく言う。洋一からすれば、その言葉はあまりにも投げやりで、思わず呆れてしまうものだった。

「冷蔵庫にあんだろ」

「えー、出すの面倒くさい。兄ちゃん最初から出してくれればよかったのに」

 同居人に兄としてのプライドを突きつけられ、祐二はしぶしぶといった様子で、冷蔵庫へと歩いていった。まだ買って日もない冷蔵庫は、二メートルというその高さ以上に圧迫感を与えてくる。冷蔵庫が開くと、オレンジ色の光が祐二を照らした。まだ眠いのに。こんなに眩しくなくてもいいのに。探しても目当てのボトルは見つからない。

「マヨネーズないよ」 

 豆腐に向かって、祐二は言う。冷蔵庫の管理は、いつも兄の洋一がしていた。 

「いやあるだろ。三段目の右の奥。ジャムの後ろにない?」

 管理人である洋一の言葉が、後方から投げられる。祐二がトーストを食べたいと言って買ってきたはいいものの、二回使っただけで飽きてしまった、イチゴとブルーベリーのジャム。その二つを除けると、楕円形のボトルが姿を現した。いつも使うのは分かっているのに、どうしてこんな面倒くさいところに隠しておくのだろう。だが、こいつがあるのとないとでは大違いだからあってよかった。黄色がかった白を手に取り、祐二は冷蔵室の扉を閉める。ジャムの二缶を戻しもせず。 

 そのまま先程よりも大きな歩幅で、テーブルに戻ると、祐二は赤いキャップを捻った。やがて、キャベツもトマトもキュウリも白に覆いつくされていく。マヨネーズは不思議だ。これさえかけておけば何でも美味しくなる。この世にこれ以上の調味料はないと、祐二は本気で信じていた。さらに、祐二は玉子焼きにも絞り口を向けるので、洋一は危惧を覚え、玉子焼きの皿をそっとどけた。

「おい、玉子焼きにかけるなら、小皿に自分の分をよそってそれからかけろよ。お前だけの玉子焼きじゃないんだぞ」

 まるで、年端もいかない子供に言うかのように洋一は注意をした。マヨネーズは確かに美味しいが、朝には少しくどすぎるだろう。そう目線で訴えかける。祐二は、今日は大人しくそのアドバイスに従ってくれるようで、キッチンから真っ白で底の浅い小皿を取り出した。玉子焼きを小皿に取り分け、出しすぎなくらいのマヨネーズをかける。最近、かける量がますます増えてきたようだ。

 極めつけに、祐二は納豆のパックを勢いよく開けて、そこにもマヨネーズをかけ始めた。茶色い粒々が、マヨネーズの黄色がかった白でコーティングされていき、光沢を放っていく様は、洋一には異様と呼べるものだった。毎回の光景だが、その度にゾッとした寒気を覚える。粘り気のあるものに粘り気のあるものをかけ合わせるなんて。弟とはいえ、自分とは違う人間だ。

「なぁ、お前マヨネーズ摂り過ぎじゃないか。今にブクブク太っちまうぞ。油を摂り過ぎると血管が詰まって危険だし、塩分も高いから、高血圧になるんじゃないか。健康のためにも、少しは控えたらどうだ」

 一応はそう注意するが、祐二はその度に、 

「いいのいいの。これカロリーハーフだから。塩分もカットされてるし、ちょっとぐらいかけすぎても大丈夫だよ。それにマヨネーズっていうのは、植物由来だからヘルシーだし、なにより食べたいものを食べないで、我慢する方が体に毒じゃん。というか兄ちゃんもマヨネーズかけなよ。納豆マヨネーズ美味しいよ。これを知らないの、人生半分くらい損してるわー」

 などと言って気にもかえさない。流石に閉口する。最近では気遣うのも無駄な気がして、まあ自己責任だしと放っておこうかと、洋一はひそかに思っているくらいだ。医療費はきっと親が出してくれるだろうし、一度痛い目を見なければ、祐二は分からないに違いない。そんな洋一の心配などどこ吹く風というように、幸せそうに納豆マヨネーズご飯を頬張る祐二。頬を落とす弟を見ながら、洋一は玉子焼きを口に運んだ。砂糖の甘さの中に、どこか酸っぱさが紛れ込んでいる気がした。


『さて、ここからは仕事に輝く人々を紹介する『シゴトビト』のコーナーです。本日のゲストは、俳優の神戸昴さんです。よろしくお願いします』

『よろしくお願いします』

 テレビではまだあどけなさの残る俳優が、出演する映画の見どころを語っている。男二人の女一人の、三角関係のストーリーらしい。いかにも少女漫画原作といった様子だ。十代向けのその映画は、自分たちに向けられていないことは、洋一には分かっていた。映画館で男二人は、きっと浮いてしまうであろうことも。それでも、祐二は無邪気に身を乗り出している。声に張りが戻ってきつつある。

「うっわ、この人最近ポカリのCMに出てる人じゃん。兄ちゃん知ってる?女の子に『一緒に飲もう』ってポカリ渡してる人だよ」

「CMは知ってるよ。名前は今日初めて知ったけど」

 祐二の調子に押されて、ぎこちない笑いが、洋一から漏れた。テレビの中の俳優から目を逸らすように、白米をかき込んだら、少しむせた。

「でも、この人CMでは茶髪だったんだよねー。黒にしたのかな。でも、やっぱかっこいいわ。なんだろう、もう骨格からして違うよね。神様が隅の隅まで注意して組み上げた感じ。生まれながらにして選ばれた人間みたいな?ずるいなあ」 

 そう羨む祐二だったが、その声色には嫉妬があまり含まれていないように、洋一には感じられた。弟には、昔から人と自分を比較するようなところがない。それは、自己を持っていて望ましいともいえる。だが、洋一からすれば、少しは他人を見て焦ってほしいというのは、偽らざる本音だった。

「そうだな。俺たちとは大違いだ。で、お前この映画観に行くの?」

「うーん、どうしようかな。やっぱ男だと少女漫画原作っていうのは、なかなかハードルが高いものがあるし。難しいよね。でも、ヒロインの女の子も、結構可愛いっぽいんだよね。等身大っていうの。クラスにいそうな範囲に収まってる。ぶっちゃけタイプ。まあ暇があったら、観に行くよ」

 祐二がはにかむころには、洋一は自分の食事を終えていた。空になった食器を、キッチンの流し台に持っていき、水に浸した。蛇口を捻ったら、勢いよく溢れ出た水が陶器の表面に跳ね返って、水を少し被ってしまった。水道水は、夏も冬も普遍的に冷たい。幸い、弟はテレビに夢中なようで助かったが、見られていたらまた茶化されるところだった。洋一はほっと息をつく。そうしている間にも、壁掛け時計は着々と進み、洋一の出勤を急かしている。


『では、神戸さんが『シゴトビト』として、やりがいを感じる瞬間というのはどのようなときでしょうか』

『来ましたね、その質問。いつも『あさテレ』見てますから来ると思ってましたよ。そうですね……。朝からこんな話していいか分からないんですけど、僕たちって、死んだら無くなってしまうじゃないですか。記憶もいつかは、薄れてしまいますし。でも、作品というのは、僕が死んだ後も残ってくれるんですよ。自分が生きた証を残せるというか。なので、カメラが回っているときでも、そうでないときでも、仕事をしているときは『ああ自分は今生きている証を残してるんだ。生きているんだ』って感じるんですよね。それがこの仕事のやりがいであり、幸せな部分でもありますね』


 七時四十五分。洋一が家を出る時間だ。革靴を履いて玄関に立つ。爪先の革が少しずつ剥がれてきていて、そろそろ買い替え時だろうか。挨拶をしようと振り向くと、祐二は神妙な面持ちでテレビを眺めていた。口が少し開いていて、微かに震えている。一口が小さくなっていた。

「じゃあ、行ってくるわ。洗い物頼むな。あと、洗濯もん取り込んどいて。隅のバケットに入れてくれればいいから」

 祐二はこちらを見ず、うん、とだけ言った。癪に障るというわけではない。しかし、いつもよりそっけない態度に、洋一は、他人行儀のような距離を感じた。それでも、帰ったらいつものように、テレビから顔をそらして、笑顔で迎えてくれるのだろう。信頼しているわけではないが、安心感があった。

 ドアを開けると、空は視界に収まりきらないほどの水色で、心地よい陽気が全身を包んだ。雨の心配はなさそうだが、もう十日も降っていないので、寂しい感じもする。最寄り駅に向かって歩き出すと、楽しそうに笑いあう大学生たちとすれ違った。まさにこの世を謳歌している。しかし、洋一にとっては名も知らない大学生の下卑た笑顔よりも、帰宅したときの祐二の穏やかな笑顔の方が、何倍も価値のあるものに感じられるのだった。


 テレビの中の俳優が、したり顔で人生論を語っているのを、祐二は片耳で聞いていた。年は下だけれど、顔はいくらか精悍だ。きっとたいへんな努力をしているのだろう。朝食を食べ終え、キッチンに食器を持っていった。水に浸すだけで洗いはしない。外から聞こえてくる大学生の笑い声が、窓を通り抜けて部屋に響く。かつては自分もあのように、楽しい大学生活を送っていたと祐二は思いを馳せる。一緒に徹夜で麻雀をしていた友達は、涼しい顔をして内定を獲得していた。もう連絡はさほど取っていなかった。

 リモコンを手に取って、再び赤いボタンを押す。物言わなくなったテレビ画面には、灰色のスウェットが映っていた。何も音がしない空間は、全てのものが鏡となって自分の姿を映し出す。祐二は、突き動かされるように、黒いカーボンのケースに入ったスマートフォンを持って、再び自分の部屋に戻っていった。

 誰もいなくなったリビングで、蛍光灯だけが瞬きを続けている。



     



 窓の外はすっかり明るくなってきたようだ。車の往来も増えてきている。だが、俺の下に日光が差し込むことはない。カーテンは閉め切っているし、そもそも俺の部屋は北向きだった。案内されたときに、他の部屋よりも家賃が二千円ほど安かったので、つい食いついてしまったが、実際、暮らしてみると、想像以上に気分が滅入る。日光を浴びないということが、人体にこれほどの悪影響を及ぼすなんて。まったく新たな発見だった。二本の足で立っていても、人間はやはり動物なのだ。

 起きてすぐに、歯を磨くよりも煙草を探す。床も机も物が散乱していて、フローリングが見える箇所の方が少ないくらいだ。雑誌が、丸められたティッシュが、転がっている。レジ袋が、検針票が、伏せっている。それでも、煙草とライターは机の一番上に置いてあったので、簡単に見つけられることができた。煙草に陰毛が一本かかっていて、自分のものながら汚いと、手で振り払う。陰毛はどこにでも現れる。まるで天井から降り注ぐかのように。イメージすると吐き気がした。

 ベランダに出て、煙草を口にくわえる。火をつけると、口元が潤い、やがて全身が蕩けるような煙で満たされていく。吐き出した煙は、まだ寒いことも相まって白い。起き抜けに吸う一本は、一日の中でも一番美味い一本だと、父親は言っていた。あのときの言葉の意味が今は分かる。この煙草は俺にとって、朝の日差しの代わりだ。胸がすくほど爽快で、これほど気持ちいものは無いと断言できる。見上げると空は雲一つない快晴で、憎たらしく感じるところだが、今はそんな気分にはならなかった。これも朝の一服がなせる業だろう。

 二本吸ったところで、煙草はもうなくなってしまった。まだ吸いたい気分だったので、外に買いに出かける。サンダルは季節外れだが、少しの外出なら問題ない。コンビニや煙草屋はダメだ。人と話す必要がある。しかも、そいつらは店員という仕事をしている。うっかり会ってしまうと、解れ始めたスウェットを着た俺が、惨めたらしく感じてしまう。その点、自動販売機はいい。金を入れれば、何も言わずに煙草を出してくれるからだ。ゴトンと煙草が落ちる音が、俺には祝福の鐘の音のように聞こえる。

 煙草を手にしながら、上機嫌でアパートに戻り、郵便受けを確認した。しばらく放っておかれている年金通知書や、再配達の申し込みに交じって、区から一通の郵便が届いていた。そろそろ来る頃だと思っていたそれを、俺は気まぐれに家に持ち帰った。無造作に封筒を破くと、書類には「雇用保険給付のお知らせ」と書いてあった。支給額は十万円。家賃に多くを取られてしまうが、寝て食べて起きているだけで、金が貰えるのだから楽なものだ。あと二ヶ月で切れると分かっていても、ハローワークに行く気にはなれなかった。貯金もまだ三十万円ほどある。今年中はこのままの生活を続けられそうだった。

 封筒を机に置き、適当に解凍した冷凍食品と、パックの白米で簡単な朝食を済ませる。皿を置くためのスペースを確保しようと、机の上の書類をどけると、床に落ちて、部屋はまた汚くなった。テレビはない。先月売り払ってしまったけれど、二万円にしかならなかった。静かな部屋は、今の俺にうってつけだ。そう強がることで、平静を保とうとしていたのは、既に自分でも深く理解していた。








~~~~~~~~~~~~~~~~






以上で試し読み分は終了となります。いかがでしたでしょうか。



『これ作品集 午前四時三〇分のモノローグ』は『なれるよ』他3編を収録し、計312ページ。A5判で1000円というお買い得価格で頒布予定です。

また、他にも3冊を頒布予定ですので、もし気になったのであれば、エー17『胡麻ドレッシングは裏切らない』までお越しいただけると嬉しいです。

何卒よろしくお願いします。





この度はご覧になってくださってありがとうございます。これと申します。

こちらのページは5月16日(日)、第三十二回文学フリマ東京@東京流通センター第一展示場にて頒布予定の『これ作品集 午前四時三〇分のモノローグ』収録の『あの広い屋上に花束を』の試し読みサイトとなっております。

一人の中学生の男の子の一年間のお話です。今回は12p、およそ6500字分を無料公開いたします。

では、どうぞ。






~~~~~~~~~~~~~~~~







 今日、僕は飛び降りる。

 
 世界は朝の空気をまとって、僕のことなんか知らない顔をして、また変わり映えのしない一日を始めている。鍵を回してドアを開ける。東からの太陽が眩しい。頬を撫でる風は、気持ちが悪いくらいに暖かくて、ひりひりする。辺りにはこの学校よりも大きな建物はない。遠くに見えるのは海岸線。波は穏やかに砂浜を濡らす。

 ああ、僕は世界で一番高いところにいるのだ。手を伸ばせば、空の果てまで届いてしまいそうだ。

 ふらふらとフェンスに近づいて、菱形の内部を見下ろす。黒の制服に紺の通学カバンをぶら下げた人形たち。石を持ち上げたらいる性質の悪い虫のように、うねうね歩いている。たまたま同じ年に近くの場所で生まれたからといって、どうして一つの場所に閉じ込められて、一緒の時間を過ごさなければならないのか、彼らは疑問には思わないのだろうか。

 ちょうど真ん中あたりで女子の三人組が騒いでいる。どうやら昨日のドラマに出ていた俳優がかっこよかったという話をしているようだ。手を叩いて笑っている。悩みがなさそうでとても羨ましい。

 その横では男子が一人で歩いている。耳につけたイヤホンが結界となって、彼に近づく者はいない。好きな音楽でも聴いているのだろうか。手に持っている音楽プレイヤーは、二世代前のものだ。僕は最新型を持っているから分かる。昨日、捨てたけれど。

 僕は通りがかる人形たちを、何も言わずに眺めている。僕に気づく生徒は現れない。

 上から見ても分かる長身の生徒が、校門に近づいてくるのを、僕は見つけた。ヘアーワックスで固められた髪型も、ここから見ると、とてもチンケなものに映る。

 いた。アイツだ。僕がこれからすることなんて、アイツが僕にしてきたことに比べたら、ほんのちっぽけなものだ。この一年と少しが僕にとってどれだけ長かったのかをアイツは知らない。だから思い知らせるのだ。アイツが僕から奪ったもの、その大きさを。

 小さな僕のささいな抵抗。

 最後に残った選択肢。



      


 
 あの日も今日みたいに、気持ちよく晴れた日だった。木々はピンクの花を、けたたましいほどに咲かせていて、散った花びらが、無個性な校庭に彩りを加える。白い猫が陽だまりで毛並みを整える。僕たちの入学式の日だった。

 ピンと糊の張られた初々しい制服たちが、体育館に集められた。校長先生が何を話していたのかは覚えていない。覚えていることと言えば、ぼうぼうと音を立てるストーブが、小学校で使っていたものと同じであることに、親しみを持ったことぐらいだ。

 廊下に張られたクラス分けの紙を、黒色たちを必死にかき分けて確認し、ドアを開けて教室に入る。初めて開ける中学校のドアは、心なしか重かったけれど、振り返れば、このときのドアが一番軽かったような気がする。

 一瞬、僕に視線が集まった。教室には僕の知り合いはいなかった。二人いた小学校からの友達とは、別々のクラスになってしまったらしい。既にクラスには複数のグループができていた。言葉の知らない国に、一人で迷い込んでしまったような心細さを感じた。

 席に座って、カバンを置く。喋る生徒たちを見ていると、自分が価値のないもののように思えてくるので、下を向いて過ごした。おしゃべりは壊れたラジオみたいに止まない。

 先生が入ってきて一声かけると、教室は一気に静まり返った。初めて見る中学校の先生は、僕が想像していたよりもずっと若かった。スーツ姿はくたびれていなかったし、靴のかかとも擦り減ってはい。それは威厳がないとも言えるが、親しみやすいとも言え、僕には好ましかった。生徒が静まったのを確認すると、先生は「入学おめでとう」と言い、黒板に名前を書いた。「高橋」というごくありふれた名前を。

 高橋先生がぎこちない挨拶をした後には、こういう場では必ずと言っていいほど起こる恐怖のイベントが始まった。自己紹介だ。僕は自己紹介にあまりいい思い出がない。一人の人間に集められる何十人もの視線。たった三十秒に満たない時間での振る舞いで、この先の学校生活が決められてしまう。三年間の中で一番重要な三十秒だ。そう考えると失敗はできない。

 最初の生徒が大きな声で「イェーイ!」と叫んだ。そのままテレビでよく見る芸人の物真似をし、勢いだけで自己紹介を続けている。ウケなければ三年間を棒に振る可能性だってあるのに、大した度胸だ。

 そして、彼はウケた。教室の中の緊張の糸が、彼の勢いというハサミで断ち切られたようた。先生も、僕の斜め前の生徒も笑っている。教室全体が和やかなムードに包まれる中で、僕だけが拳をぎゅっと握りしめていた。

 和気あいあいとした雰囲気で続けられる自己紹介。だけれど、自分を良く見せることは誰も忘れていない。どれだけ自分を愛想よく見せられるか、ゲームをしているみたいだ。一人、また一人と立って、話しては座っていく。

 自分の番が迫ってくるなかで、心臓が激しく脈打つのを僕は感じた。それは期待ではなく焦燥だった。ここが勝負どころだ。何か面白いことを言わなければ。失敗したらどうしよう。様々な思いが頭の中を駆け巡る。かりそめのクラスメイトが話していることなんて、まるで聞こえてこない。

 目の前が滲んできて、そのことを悟られないように、僕はうつむく。震える。小刻みに。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。

 僕の前に座る前の生徒の自己紹介が終わった。拍手は形式的なもので、乾ききっている。拍手が止む。僕は組んだ手をもう一度ぎゅっと握り、立ち上がった。僕に視線が集まっている。それは疑念ではなく、確信だった。

「第一小学校から来ました××××です。よろしくお願いします」

 口から出たのはそれだけだった。精一杯大きい声を出したつもりだったけれど、震えていた声はミシン糸のように、か細かった。皆入りたい部活とか、呼んでほしいあだ名などをアピールしていたけれど、僕にそんな余裕はなかった。どこからか、「え、それだけ?」という声が聞こえる。とびきり軽い笑い声も。

 自分が失敗したと、一息で分かった。何の印象も残せていない。きっとこれから僕は、いるかいないか分からないような、あいまいな存在として一年を過ごすのだろう。他の人が誰もやりたがらない係を押し付けられるかもしれない。誰にも感謝されることなく、淡々と係の仕事をこなす姿は、想像しただけで嫌気が差す。

 妄想は止まらない。修学旅行のグループ分けで、余り者になったらどうしよう。給食も一人で食べることになりそうだ。授業中に回ってくるメモも、僕は人から人に回すだけで、何か書くことを許されることはないだろう。

 そう考えることができたのは、僕の後ろの生徒がなかなか立ち上がらないからだった。振り返ると、眼鏡を掛けたその子は、机の木目を見つめていた。唇が微かに揺れている。

「野本、おい野本」

 中学一年生にはなかなか出せないであろう低い声が、教室に響く。僕を含めたいくつもの視線が彼に刺さるのを感じた。彼は慌てて立ち上がった。勢いで、椅子が後ろに倒れた。

「あ……あああああ……野本優弥です。だ、だだ第三小学校から来ました。よろしくお願いしま……」

 声が震えていてみっともなかった。触れたらすぐに壊れてしまいそうな、脆い声だった。小さすぎて反対側の人には、聞こえてすらいなかったかもしれない。椅子を直して慌てて座る彼の姿に、あわれみを感じた生徒も多いだろう。

 表情、声の大きさ、内容、どれをとってもまさしく失敗だった。野本君は目から溢れてくるものを、必死で堪えていた。ここで泣いてしまったら、もう取り返しがつかなくなることが、彼にも分かっていたのだろう。

 彼を見て、僕が感じたのは安心だった。なんだ、僕よりみっともない子がいるじゃないか。僕の悪印象は、野本君の悪印象に上書きされた。これで、僕を気にとめる子はいないだろう。寂しい気もしたが、からかわれるよりはよっぽどマシだ。彼がいてよかったと、心の底から安堵した。

 自己紹介は続く。さすがに二〇人を過ぎた頃には、ぼくはすっかり飽きてしまっていた。聞くふりをして、窓の外を眺める。窓から眺める木々の花々は、僕を嘲笑うみたいに、鮮明に咲いていた。底抜けの無神経さで。

 結局、その日は僕に話しかけてくる子は、いなかった。もちろん野本君にも。校則で禁止されているスマートフォンを何人もが持ってきていて、楽しそうに画面を見せあっている。「何してるの?」なんて聞く勇気なんて、あんなつまらない自己紹介をした人間にあるはずもない。僕はあまりに腰抜けだ。

 高橋先生の話が終わって、生徒たちが礼をすると、野本君は誰よりも早く教室を後にした。あまりの早さに、教室が一時騒然としたほどだ。彼は良からぬ形で注目を浴びてしまったのだ。少し待って、他の生徒に紛れながら帰っていればよかったものを。

 事実、僕はそうした。一〇人ほど教室から出たところで、さりげなく帰る。存在を消したかった。靴をさっさと履き替えて、家路を急ぐ。

 校舎からすぐ出たところに人だかりができていた。隙間から、白い猫が地面に寝転んでいるのが見えた。ここで、猫を見ていくのが、自然な反応だったと思ったけれど、僕は脇目も振らず真っすぐ歩き出した。猫が好きだと思われたくはなかった。

 落とした肩に、薄いピンク色の欠片が優しく乗ってきたが、僕はそれを右手で振り払う。欠片は力なく地面に落ちていった。



 
 ニュース番組が流れるテレビ。六時半を過ぎて、各地で始業式が行われたという、清涼剤のようなニュースが紹介されている。取材を受けていたのは、僕が去年まで通っていた小学校だった。見飽きた体育館で、見慣れない校長先生が話している。取材を受けた小学一年生の女の子は「これから学校が楽しみ?」という質問に「うん!」と、満面の笑みで答えていた。乳歯が光って、眩しい。

「ただいまー」

「お帰りなさい。お父さん、今日は早いじゃない」

「あれ、言ってなかったっけ。今日ノー残業デーだって。なんか働き方改革? で、急きょなったみたいだよ」

「そうなの。もう少ししたらご飯作り始めるから、ちょっと待っててね」

 いつも夜中の十時くらいまで残業をしているお父さんが、珍しく早く帰ってきた。右手には、缶ビールとおつまみが入ったレジ袋をぶら下げている。灰色のジャージに着替えて、テレビを見る僕の横に座った。

「柿ピー少し食べるか?」

「うん、ちょうだい」

 僕が両手を差し出すと、お父さんは、袋を振って中身を取り出した。ピーナッツがあまり入っていなかったので、少し文句を言ったら、お父さんは袋の中からピーナッツを三つつまんで、僕の手に置いてくれた。柿ピーは辛いというよりもしょっぱくて、心が少し柔らかくなるような気がした。

「で、どうだった。学校は。馴染めそうか」

「まあなんとかやっていけそうかな」

「自己紹介大変だったろ」

「名前と、どの学校から来たとしか言えなかった」

「そうか。まあお前はあまり喋るのが、得意じゃないからな。でも、他にいいところいっぱいあるから、クラスメイトもおいおいそれは分かってくれるはずだ。あまり頑張りすぎるなよ」

「分かった。できる範囲でやってみる。ところで、柿ピーもう少しちょうだい」

「しょうがないなあ」

 お父さんからもらった柿ピーは、今度はピーナッツが多めだった。微笑むお父さんは、仕事が早く終わって上機嫌そうだ。僕は、それを猫のような目で見て、また視線をテレビに戻す。天気予報士が、今年の花粉は例年の三倍だと言っていた。



「でさ、小杉が『それは、僕のせいじゃありません』って言うの。『じゃあ、誰のせいなんだ』って聞いたら、『気のせいです』って」

「なにそれ、面白いね」

 テーブルにはコロッケが山のように盛られている。僕の好きな食べ物ランキング第四位だ。食べてみると、ジャガイモがとても甘くてソースとよく合って美味しかった。

「で、お父さんどうなの、仕事のほうは」

「最近ようやく大きな案件が、一つ片付いたところだ。今は少しゆっくりできてるけど、また来月には重要な案件が二つあるからな。家に帰る時間も遅くなるかもしれない」

「じゃあ、束の間の休息ってことになるわね」

「そうだな。で、お母さんのほうはどうなんだ」

「私は決算も終わって、少し落ち着いてるかな。でも、異動で入ってきた子がなかなか強烈で。耳にピアス四個もつけてるの。それも両耳」

「じゃあ合わせて八つか。耳だけに小泉八雲の『耳なし芳一』みたいだよな」

「なに言ってんのー。全然違うわよー」

 二人は笑いあう。僕の家の食卓は、いつも笑い声が絶えない。仲がいいのは結構だけれど、僕にはそれが少し不自然に映る。なにかをうまく演じているような気がするのだ。そう思ってしまうのは、僕には面白い話ができないからだろうか。ひょっとすると、二人をひがんでいるのかもしれない。

「××、コロッケ美味しい?」

「うん、美味しいよ」

「ありがとう。今日から学校だったけど、大丈夫そう?」

「何とかやっていけると思う」

「そう、よかった。でも、辛いときは無理しないでいいからね。お母さんたちに相談してね」

「分かってるよ」

 僕の口調はぶっきらぼうになったが、お母さんの口元は変わらずに緩んでいた。ふんわりとした声で、「デザートにプリンあるわよ。食べる?」と言う。プリンは七位だ。僕は「うん、食べる」と答えた。暖房が効いた暖かいダイニングで。




 玄関から出るときに靴がなかなか履けなかった。革靴はまだ慣れず、大きめのブレザーの裾が邪魔だった。空は灰色を重く垂れ流していて、頭が重たい。雨の気配が近づいているというのに、いつも使っているチェックの柄の傘を、忘れてしまった。それでも、スマートフォンは持っていく。皆が持っているので、仲間外れにはなりたくない。

 二日目の朝。何をためらうことがあるのだろう。僕に話しかける人間などいないというのに。ただ椅子に座って何となく授業を聞いていればいいだけなのに。足取りは思い。それでも足を前に運ぶ。こんなところで挫けてはいられない。

 校門をくぐるころにはポツポツと雨が降り始めて、僕は走って校舎へと入った。

 教室のドアは、前の生徒が入ったまま開いていた。何者をも受け入れるあけすけさがそこにはあったが、それがかえって僕には辛かった。

 なんとか振り切って席に着く。案の定、誰も話しかけてこなかった。周囲をきょろきょろするしかやることがない。自分のペースを、僕は誰かに乱してほしかった。

 後ろを振り向くと、開いたドアから野本君が入ってくるのが見えた。女子みたいなきめ細かい白い肌にはっとする。野本君が席に着くと、レーダーで察知したかのように、一人の生徒が近づいてきた。クラスで一番身長が低い彼よりも二回り大きくて、袖からは日焼けの境目がくっきりと見えている。黙っていても人を引き付ける雰囲気があるのに、自分から積極的に他の生徒に近づいていく。僕や野本君とは違って、クラスの中心になるべき人物。

 振り返ると、池田君は昨日もいくつかできていたグループの、既に中心にいた。それも一番大きなグループだ。動くと自然にクラスメイト二人がついてくるのも、すでにクラスの中で、一定の地位を築いている証拠だろう。

 自信に満ち溢れた薄い唇が、半笑いを浮かべている。

「野本君だったっけ?俺、池田。ねぇ、昨日のアレもう一回やってよ。あの自己紹介のヤツ。あれ、超ウケたんだよね。ほら『あ……あああああ、ああっあっあっあっノモトユウヤですぅ。だっだっだだだっ第一中学校から来ましたぁ。よろしくお願いしまぁぁぁすぅぅぅ』。ほら、やれよ」

 池田君は野本君の昨日の失態を、面白おかしく誇張してやってみせた。勝手に付け加えられた大袈裟な手の動きに、取り巻きの二人がお腹を押さえて笑っている。

 彼に対する悪意を隠そうともしていない。完全に下に見ているのだ。自分より弱い人間をバカにして、上に立とうとする。恥ずべき行為を何食わぬ顔でできるのが、人気者という人種なのか。

 野本君が「それはちょっと……。ごめんね……」と半径五〇センチメートルくらいにしか届かないであろう小声で答えると、彼は舌打ちをして「なんだよ。ノリ悪りーな」とだけ言って、自分の席に戻っていった。

 僕はそれを背中で感じていた。自分は関係ないですよと、周囲にアピールしたかったのかもしれない。無機質なチャイムが僕らを隔てる。取り巻きのうちの一人がこちらを見てブツブツ言っていた。

 野本君がそれを気にしていたかどうかは、僕には分からない。 







~~~~~~~~~~~~~~~~~





以上で試し読み分は終了となります。いかがでしたでしょうか。

『これ作品集 午前四時三〇分のモノローグ』は『あの広い屋上に花束を』他3編を収録し、計312ページ。A5判で1000円とお買い得価格で頒布します。

さらに、他にも3冊を頒布予定ですので、もし気になったのであれば、エー17『胡麻ドレッシングは裏切らない』までお越しいただけると嬉しいです。


何卒よろしくお願いします。



このページのトップヘ