こんばんは。これです。

今日は髪を切ったあと2週間ぶりの映画を観てきました。タイトルは「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」です。久しぶりに見た「キミにきめた!」が泣いてしまうくらいよかったので、今年も行くことにしました。

今回のブログはその感想になります。また長く拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。









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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。



まず、今年の「みんなの物語」、個人的には去年の「キミにきめた!」と同じくらい面白かったです。むしろ共感度では今年の方が高いまである。とても面白かったです。



今年のポケモン映画のタイトルは「みんなの物語」。このタイトルが示す通りの内容でした。


まず、今年の「みんなの物語」の最大の特徴として「主人公はサトシじゃない」ということがあります。


今までのポケモン映画というのはその多くがサトシを主人公としたものでした。サトシたち一行が旅をして訪れた街で問題が発生。その問題を、仲間たちも協力はしますが、主に主人公のサトシが解決していく。こういったものが大半だったと思います。


というのも、サトシというのは我々視聴者やゲームプレイヤーの現身です。サトシがゲームをなぞった冒険をしていたので、「私もこういうことあったなあ」と同じ体験をするサトシに移入することができていました。サトシのする冒険は私のする冒険。サトシのした経験は私もした経験。アニメの新シリーズが開始される度に経験値がリセットされて一からのスタートとなっていたのも、初めてそのシリーズをプレイした視聴者にサトシと同じ目線で楽しんでもらいからのことだと思われます。


映画の方もそれに倣い、シリーズ毎にサトシの経験はリセットされて、いつまでも変わらぬ10歳のままのサトシの冒険が描かれていました。昔はサトシに感情移入して楽しんでいたのに、いつの間にか10歳のまま変わらないサトシと毎年年を取る私たちの間に感覚の乖離が生じてきます。伝説のポケモンに会ってそれを「スゲー」と新鮮に受け止めるサトシと、「いや、お前もう何回も伝説のポケモンに会ってきたじゃん、それくらいで驚くなよ」と半ば辟易した態度で見る私たち。そうやってサトシの感覚についていけなくなり、人はアニメポケモンから徐々に離れていくのです。


それに対する起死回生の一手が去年の「キミにきめた!」でした。初代のリメイクでかつてポケモンを見ていて大人になった層をメインのターゲットに設定。サトシを主人公に初代のストーリーをリブートすることで、赤緑を通った大人たちの「かつて自分もこんなことあったなあ」という共感を得、親御さんは自らの子どもと一緒に劇場に足を運ぶようになり、「キミにきめた!」は興収40億円以上という成績を収めました。





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そして、今回の「みんなの物語」。舞台はコガネ弁という名の関西弁を喋る少年の登場や、金銀クリスタルのポケモンが多く登場することからジョウト地方だと思われます。また帽子が同じことから「キミにきめた!」と同じ世界線の物語だということが分かります。「キミにきめた!」の舞台はカントーで、「みんなの物語」の舞台はジョウト。これはどういうことか。私は「キミにきめた!」の後にサトシはカントーを旅し、ジムバッチも8つ集めてから、さらなる冒険や旅を求めてジョウトに渡ったと思います。


これは私の勝手な考えになるんですけど、この世界線のサトシは年を取るようになってると思うんですよね。今回「みんなの物語」のサトシは、「キミにきめた!」の後に1年間旅して、1年分の旅の経験を積んだ11歳のサトシなんだと思います。それを裏付けるかのように、「みんなの物語」でリサの初ゲットを手伝っています。ポケスペでレッドがイエローにそうしたように。ここから新人トレーナーを脱却し、人にポケモンゲットを教えられるまでになったサトシの描かれてない一年分の成長が窺われます。


これは「キミにきめた!」で久々に戻ってきたオールドファンの人のためだと思うんですよね。前述したように今までサトシは年を取っていなかったけど、私たちは取っており、それが離れる要因の一つになっていた。ただ今年はサトシも同じように年を取るようになった。私達だってゲームをプレイしているうちに経験を積んでリーグチャンピォンにもなって、もう初心者とは遠くはなれた存在になっていくじゃないですか。それと同じことが今回サトシにも起こったんですよね。「おっ、ちゃんとサトシ成長してんじゃん、今まではしてなかったのに」という変化を新しく起こし、「サトシ=ゲームをプレイした私たち」という図式をさらに強固なものとすることで、共感度を高め、辟易して離れていくオールドファンの人たちを減らそうとしたんだと思います。






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オールドファンの人は成長したサトシに自分を重ねて共感することができますが、もちろんそういった人たちばかりではありません。そもそもポケモン映画は子どもに向けたもので、「ゼラオラを受け取るために映画も観る」という子どもも一定数いると思われます。そういう子どもたちは成長したサトシに共感を抱くのは難しく、彼ら彼女らに共感を得てもらうためには別のキャラクターを登場させる必要があります。


「みんなの物語」では、サトシの他に主に5人のキャラクターが登場します。ポケモン初心者のリサ。ほら吹き男のカガチ。引っ込み思案な研究者のトリト。ポケモン嫌いのおばあさんヒスイ。そして市長の娘のラルゴです。「みんなの物語」ではサトシというよりは、この5人を主役に物語は展開されます。


まず、オープニングに入るまでサトシは一切登場しません。まあ他の映画も悪役がなんか企んでオープニングっていうパターンが多いんですけど、今回はその悪役も登場しません。ポケモン関係ない普通の高校の風景から始まり、リサが弟にポケモンを捕まえてくれと頼まれ、ラルゴが市長の娘であることが示される。ここまでポケモンも全然出てこず、人間同士のシーンが続きます。今までのポケモン映画とは違うよといういきなりの先制攻撃です。去年の「キミにきめた!」とは真逆ですね。


そして、オープニング後。今までのポケモン映画だったらサトシの目から見た風祭りの場面が描写されるところですが、主な視点は前述の5人です。カガチがほらを吹く。トリトが研究の発表にたじろぐ。ヒスイがポケモンから離れる。これらのシーンにサトシは一切関与しておらず、それぞれの人物の視点から物語は展開されて行きます。サトシはラルゴを助けるというかっこいい場面がありますが、これも視点はラルゴ。サトシが参加したポケモンゲットレースも、主に重点が置かれていたのはカガチ。リサのポケモンゲットを手伝う場面も、ゲットするのはあくまでリサでサトシはアドバイザー的な役割でしかありません。いわば主役じゃない脇役。「みんなの物語」で、サトシ目線というのはゼラオラと対峙したときぐらいしかなかったのではないでしょうか。5人それぞれの視点で物語が動いていく様はまるで群像劇のようですね。


群像劇というのは大きく二つのパターンがあるそうで、

1.同一の世界観や舞台において、それぞれ別の人物による完全に独立した短編がいくつも同時進行しているもの。

2.同一の世界観や舞台でそれぞれ別の人物による独立した複数の物語が紡がれるが、一見バラバラなエピソードに見える複数の人物のストーリーが、全体を通して知ることで一つにまとまり本当の姿を現すもの。


「みんなの物語」は2のパターンで、さらにこの2のパターンは

一つの出来事に対して複数の人物の視点を借りることにより多角的な面から検証でき、取り扱う「事件」や「事象」が主人公となるストーリーといえる。


ようで、「みんなの物語」の主人公はサトシではなく「風祭り」といった事象や「山火事」という事件だといえそうですね。
参考:群像劇とは(グンゾウゲキとは)-単語記事【ニコニコ大百科】


今まで群像劇を採用したポケモン映画というのは私の記憶にはなく、「みんなの物語」というのは新しいポケモン映画のようなんですけど、その根本となる部分は全く変わってないと思うんですよね。それは人とポケモンの絆、繋がりです。




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まず、「一人じゃできないこともポケモンとならできる」「それがポケモンパワーだ」というサトシのセリフ。これは今までのポケモン映画でもそうですよね。困難に挫けそうになったサトシの側にはいつもピカチュウをはじめとしてポケモンがいてくれた。だからサトシは様々な困難を乗り越えて事件を解決することができたのです。そこ、主人公補正とか言わない。


あとこれもですねー、子どもたちだけじゃなくゲームをプレイしてきたオールドファンに対してのセリフでもあると思うんですよね。引っ込み思案で人に話しかけられないような人間、というか私でもポケモンがあれば「こ、交換しよう」って話しかけることができたんですよね。さらにダイヤモンド・パールになってWi-Fiが入ると、世界中の人達とGTSで交換ができたりバトルが出来たり。地球儀に点々が増えていくのを楽しんだもんです。喋ったことのない人と話すことや、世界と繋がるなんてとても一人じゃできないことですし、いつだってポケモンが背中を押してくれました。小中の私はポケモンをやるために生きていたと言っても過言じゃない。学校が楽しくない毎日の中でポケモンをやる時間がどれだけ楽しかったか。映画のなかでも人間が挫けそうになったときにも、いつだってポケモンが勇気を与えていた。その姿を見るたびに過去のそういった経験が重なってきて感動してしまいました。


さらに、映画終盤でこの「ポケモンパワー」で一般ピープルたちが立ち上がるんですが、この人たち映画を観ている私たちそのものだと思ったんですよね。ポケモンをプレイした経験があって、ポケモンが確かにそばにいた時期があった、「一人じゃできないこともポケモンとならできた」私たちそのものだと。もうそう思えるくらい「みんなの物語」に私は入り込んでましたね。思い入れが強いんです、ポケモンに対しては。






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また、印象に残ったのが終盤のラルゴの「私ね、人がポケモンに力を貰うことの逆もあるんじゃないかなって」「ポケモンも人から力を貰ってればいいなってそう思うの」(うろ覚え)というセリフ。これもまた今までのポケモン映画で描かれていたことの一つですよね。


映画で主役になったポケモンで、かつて人間に酷いことをされてきたポケモンがけっこういるじゃないですか。ちょっと具体例がミュウツーぐらいしか思い浮かばないのが悔しいですけど。で、それらの多くが始めは人間なんて認めないという立場に立っています。今年のゼラオラがまさにそうでした。人間に酷いことをされて人間を憎むようになるっていう。


でも、サトシの体当たりの訴えによって人間って悪くないかもって思い始めて最終的には協力していくんですよ。ミュウツー以外は。ここでサトシやそれを取り巻くキャラクター達はそのポケモンに対して「信じる力」を与えて、そのポケモンはそれを受け取ってるんですよね。ここでそのポケモンは人間から力を貰ってるということになります。人間とポケモンが双方向に力を与え、貰うという今までのポケモン映画の図式は「みんなの物語」でも受け継がれています。


ただ、今回いつもと違った点が2つ。1つは力を与える、そして貰う人間とポケモンの数が今までと比べて格段に多かったことです。今までサトシとその周囲に限定して示されていたこの関係が今回より大きなものとして示された。ここにこの映画が「みんなの物語」というタイトルの意味があると思っています。ポケモンと人との双方向の関係は何もサトシの周囲に限ったことではなく、サトシの知らない土地でも、そしてサトシが知る由のない映画を観ている私たちにも存在している(現実での人→ポケモンっていうのはまあ言っちゃうとお金なんですけど)。「みんな」は、そういったポケモンに関わる人たち全員を対象とした「みんな」なんだと感じました。


もう1つがこの双方向の図式がラルゴの口からはっきりと語られたことです。これは矢嶋新監督からの「今までのポケモン映画の根本は変えないよ」というメッセージだと私は受け取りました。というか今までもこのメッセージって発されてたと思うんですよね。主役のポケモンが最後に「礼を言う。ありがとう」って。でも今回のゼラオラは喋れないので、言うのがラルゴという人間に変わっただけですね。でも、人間とポケモンの両方が同じことを感じていることが見てとれて、とてもいいシーンだと私は思うんですけどどうでしょう。ちょっと直接的すぎるかなっていうのはありますけど。


そして、映画のラストもこの「人⇆ポケモン」という構図がもう一度提示されます。監督やスタッフが変わっても伝えたいことは変わらないんだなと。これからもこのスタンスで作り続けるかぎりは変わらずに見に行きたいなと観終えて感じました。去年の「キミにきめた!」に続いていい終わり方だと思います。






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「みんなの物語」は、ポケモン映画の「サトシが主人公じゃなくなる」という「変化」と、「人とポケモンの絆、繋がり」という「不変」を描いた作品でした。つまり懐かしさもあれば新しさもあるということです。ポケモン映画を初めて見るような子供たちはサトシたちの活躍に胸を躍らせることができるし、しばらく離れていたオールドファンな人でも、新鮮な気持ちで、でもどこか安心しながら観ることができる。どの世代にも対応した映画だと思います。是非とも足を運んでみてください。












入れるところがなかったおまけ1:

今回「みんなの物語」でサトシはアドバイザー的な立場にも立ってるんですよね。他の人にこうしたらどうかって提案する量が増えてる。確かに新しいんですけど、同時にどこかで見たような気もしたんです。それは2003年公開の映画「七夜の願い星 ジラーチ」でした。


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私が見てエンディングに涙したこの作品も思えば主人公はサトシではなくマサトでした。メタグラードンとの対決もありましたけど、主題はマサトとジラーチの交流です。今でも覚えてる好きなシーンがありまして、サトシがジラーチとの交流に悩むマサトに「1000年かぁ、長生きしなきゃな」って声を掛けるシーンなんですけど、ここでサトシはマサトにポケモントレーナーとしての先輩として声を掛けてるんですよね。サトシはこのとき10歳ですけど、まるでカントー・ジョウトを5年旅して15歳になっていたかのようでした。「みんなの物語」で、先輩トレーナーとしてふるまうサトシをみて、個々のサトシがダブって見えたことを報告します。あ、「七夜の願い星 ジラーチ」は傑作ですので是非とも観てみてくださいね。





入れるところがなかったおまけ2:

今回私が一番共感したのがほら吹き男のカガチです。



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このカガチというキャラクター、姪に自分がすごい奴だと思われたいがために嘘をつき続けているというキャラクターで、コミカルな部分もあるんですが、女子高生に弱みを握られる情けない部分も持っていて憎めない。さらに、途中ものすごい哀愁を感じさせたりと人間味をとても感じるんですよね。「自分に嘘をつき続けていると慣れて止められなくなっちまうぞ」というのは「みんなの物語」の中でもキーになるセリフの一つで私にも刺さりました。そして、最も好きなのが中盤でのウソッキーとのシーンで。挫折から再び立ち上がる様が描かれていて、見ていてちょっと泣いてしまったぐらい。彼が一番ポケモンから勇気を貰ってるんですよね。詳しいことは言わないので劇場で確かめてみてください。







入れるところがなかったおまけ3:


ミュウツーの逆襲-Evolution- 2019年夏公開決定!!


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かの名作「ミュウツーの逆襲」が来夏、新たにリメイクされての公開。今から楽しみです。

期待大!!!!




おしまい


「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」ミュージックコレクション
ヴァリアス
ソニー・ミュージックダイレクト
2018-07-25