こんばんは。これです。もうすぐ10月ですね。


さて、今回のブログは「劇場版フリクリ プログレ」の感想になります。先駆けて公開された「フリクリ オルタナ」が思っていたよりもあんまりだったので(そのときの感想はこちら)、観に行こうかどうか若干迷いましたが、やっぱり観たい気持ちを抑えることができず、観に行きました。


そして観に行ったところ、プログレ面白かったです。私は「オルタナ」よりも「プログレ」の方が好きですね。その理由をこれからつらつら書き連ねていきたいと思いますので、よろしければお付き合いください。


なお、ここからは以下の表記で書くことをお断りしておきます。

フリクリOVA→無印
フリクリオルタナ→「オルタナ」
フリクリプログレ→「プログレ」
the pillows→ピロウズ


では、拙い文章ですがよろしくお願いいたします。





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~あらすじ~

ありとあらゆる命題に明確な答えを用意せず、生理的欲動の充足のみをシコシコ満喫しその日暮らすような説得力ゼロの青少年たち。

その中でなんてことない日常を過ごすヘッドフォンの少女ヒドミ。彼女が轢かれた夜、クラスメイトの少年・井出の額から巨大ロボットが出現した!
ハル子から分裂したラハルとジンユと出会い、〝特別なことなんてない日常〟が終わりを告げる―!!!!!







※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











・私がオルタナよりもプログレが好きな6つの理由



・理由その① 無印を思わせるシーンが多いのが好き


まず、「プログレ」では無印を思わせるような要素が続々と出てきます。1話「サイスタ」の最後にナオ太とマミ美が絵だけですけど登場します。無印ラストシーンのリバイバルのような構図はファンにとってはたまりません。ジンユがヒドミを轢いたシーンは無印1話「フリクリ」と同じ演出が用いられていますし、5話「フルプラ」では無印1話「フリクリ」や6話「フリクラ」と同じく漫画風のタッチになるシーンもあります。無印のアマラオを思わせるマスラオというキャラクターもいますしね。極めつけはハル子のベスパやリッケンのベース、カンチはそのまま登場してきます。無印を見ている人にとっては嬉しい続投です。私はテンション上がって「プログレ」がより好きになりました。何しろ単純なもので。


ただ、これらを楽しむためには無印を見ておく必要があります。「オルタナ」に比べて「プログレ」は説明も少なく、また1話「サイスタ」の最後は無印を見ていないとなんのこっちゃ分かりません。「オルタナ」が初見の人にも配慮して分かりやすいフリクリであったのに対し、「プログレ」は初見の人への配慮などどこ吹く風。置いてきぼりにしていきます。なので、無印を見ていなくてもそれなりに楽しめますけど、観てから行った方が10倍くらい楽しめるので、「プログレ」を見る前に無印を見ておくことを強くオススメいたします。今ならAmazonプライムで無料で見れるのでそちらの方で見ていただければよいかと。


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・理由その② ストーリーが感じられるから好き


「プログレ」は「オルタナ」と同じく、20分程度の話を6本一気に上映するという形式が取られていました。「オルタナ」のときには面喰ったこの形式ですが、私は「オルタナ」でこれを経験していたため、疑問を感じず楽にみることができました。しかし、「オルタナ」と「プログレ」には厳密とした違いがありました。その違いは話の積み重ね方にあります。



「オルタナ」ではカナ、ペッツ、ヒジリ、モッさんの各キャラクターに焦点を当てながら物語を展開しており、横方向への広がりを重視していたと言えます。無印でも2話「ファイスタ」、3話「マルラバ」、4話「フリキリ」でそれぞれマミ美、ニナモリ、ナオ太の個別回をやっていたため、「オルタナ」は無印を踏襲しているとも言えました。流れ的には「フラメモ→トナブリ、フリコレ、ピタパト→フリステ→フルフラ」のような感じですね。トナブリとフリコレとピタパトが横一線のものとして扱われているのが特徴です。ぶっちゃけ縦、ストーリーだけを見るなら、これら3話のうち1話だけでも十分で、そこが私が「オルタナ」で退屈に感じた部分でした。


一方の「プログレ」。こちらは縦へのストーリー展開を重視しています。各話が前話の内容を踏まえた内容になっており、横への広がりは薄い分、縦に深く掘っていく構成となっています。流れ的には「サイスタ→フリハニ→ミズキリ→ラリルレ→フルプラ→アワラン」のような感じですね。「プログレ」には「オルタナ」よりもストーリーがあって、そのストーリーをちゃんと追える。そこが私が「オルタナ」よりも「プログレ」の方が好きな理由の一つです。まあ「オルタナ」が悪いっていうわけじゃなくて、「オルタナ」の群像的なテイストが好みの人もいるでしょうし、これは人それぞれな部分ですね。


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・理由その③ ハル子がおとなしくないのが好き


「オルタナ」の感想として、様々なところで言われていたものに「ハル子がおとなしすぎる」というものがありました。これは私も完全に同意で、「オルタナ」のハル子ってカナたちを導くお姉さん的な役割しかしてなかったと思うんですね。無印ではナオ太の成長とハル子の目的とで話の主体がいい感じに割れて均衡を保っていたのに、「オルタナ」ではカナたちの方に重心が傾き過ぎていたかなって。それによりハル子の存在感はすっかり希薄になってしまっていました。


でも、「プログレ」は違います。話のテーマとして「ヒドミや井出の成長」というのももちろんですが、「アトムスクを追い求めるラハルとジンユ」というのもまた大きくあります。プログレは無印のようにこの両者がせめぎ合い、結果的に均衡をもたらしていたので、より無印に近い雰囲気を持っていたと思います。


思えばハル子の目的は無印からずっと一貫してアトムスクなのであって、ナオ太やカナ、そしてヒドミや井出はその手段でしかないのです。そしてアトムスクを手に入れるためならどんな手を使うことも厭わない。街一つ消えたってかまいやしない。それが無印のときのハル子だったはずです。ただ「オルタナ」ではアトムスクの存在はセリフで匂わせるだけで、それよりもカナたちの日常とそれを侵食する非日常の方に重点が置かれていました。ハル子の行動原理が見え辛くなり、ピンチにカナたちを助けに来るお姉さんに堕していました。


それに対し、「プログレ」では1話「サイスタ」の終わりにアトムスクをドンと登場させることで、ハル子の目的を大いにアピールします。そしてここでハル子がラハルとジンユの二人に分裂。ラハルはハル子のアトムスクのためならどんなことでもするという部分が、ジンユにはハル子の心の中のためらいがストッパーとなって現れ出ました。言うまでもなくこの分裂が「プログレ」の大きなポイントです。


ラハルの目的はアトムスク一直線でした。そのためにはヒドミや井出がどうなったかなんて知ったこっちゃあありません。「オルタナ」でのカナたちのために動いていた(ように見えて実はアトムスクのためなんですけど、それが見え辛かったのは先に書いた通りです)ハル子とは全く異なっていました。分かりやすくアトムスクのために動くラハルを見て、私は無印のときのハル子を思い出して懐かしくて嬉しい気持ちになりました。ああちゃんと私の知ってるハル子さんが帰ってきてくれたんだなって。


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・理由その④ バトルシーンが多いのが好き


また、私が無印で好きだったものの中ににワクワクするバトルシーンがあります。ナオ太の頭から出てきた機械に対し、ハル子はベースギターを振り回し、カンチはナオ太を吸収してパワーアップして立ち向かう。なにが起こってるのかなんて考えさせないような魅力あるバトルシーンにハマりました。「オルタナ」ではそのバトルシーンが少なめでそれを不満に感じていたんですけど、「プログレ」は「暴れ回っている」という触れ込みの通りにバトルシーンが多かったんです。


なぜかっていうと、「プログレ」にはラハルに明確に対立するジンユってキャラクターがいたからなんですね。ジンユはアトムスクをだれにも縛られたくない、もちろんラハルにも、という思いを持っていて、そのためにラハルのヒドミや井出の利用を阻止しようとします。ラハルにとってはこのジンユが邪魔なので排除しようと戦うわけです。2話「フリハニ」や4話「ラリルレ」でのバトルが印象的です。そこで流れる「Freebee Honey」や「サードアイ」の勢いもあって高揚感を持って観ていました。


そして途中でジンユはいなくなるんですが、ジンユの代わりに今度はヒドミがラハルの前に立ちはだかります。ヒドミは予告にもあるカンチのようなロボに変形し、ラハルとバトルを繰り広げる。ジンユの使っていたギターでラハルとつばぜり合いを繰り広げるヒドミ。無印のときのようなワクワク感がありました。「オルタナ」のバトルシーンの少なさ、ハル子のおとなしさに不満を持っていた人だったら「プログレ」はハマると思います。


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・理由その⑤ ピロウズの曲がよりハマっていたのが好き



それとピロウズの曲の使い方も「プログレ」は「オルタナ」と比べてよかったと思います。「オルタナ」ではBGMのあまりの多さにピロウズが埋没してしまっていたのですが、「プログレ」は代わりにBGMが減ってピロウズの曲が使われるシーンが多くなっていました。2話「フリハニ」(Freebee Honey)と、5話「フルプラ」(Fool on the planet)の2話はピロウズの曲名がタイトルの由来になってますしね。


「Thank you, my twillight」の切なげな雰囲気は最初の荒廃した世界に合っていましたし、「ノンフィクション」は原曲にもあるブレイクの使い方が見事です。「Freebee Honey」と「サードアイ」はバトルに勢いを加えてましたし、「昇らない太陽」や「天使みたいにキミは立ってた」も要所要所で存在感を発揮していました。ただ「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」はちょっとオルタナの印象が強いかな。


タイトル通り5話「フルプラ」で繰り返し使われた「Fool on the planet」。この「フルプラ」は他の話と比べると異質で。明らかに絵のタッチが違うんですね。いい意味で荒っぽくて目が離せない感じで。また最初のヒドミの夢の中のシーンは水墨画のような淡いタッチで描かれていて、それに「Fool on the planet」の静かな熱を持った曲調がマッチしていました。「オルタナ」では「Fool on the planetに他の歌がかぶさって嫌だった」っていう感想があったんですけど、「プログレ」ではそんなことなく、流れるシーンもセリフは少なめで、寂しい感じがすごく出てましたね。インストバージョンもありました。


無印では各話の終わりに流れていた「LITTLE BUSTERS」。「プログレ」でも6話中4話で使用されていました。「オルタナ」では一回だけ、それもそんなに盛り上がらない場面で流れたので、ちょっとがっかりしてたんですけど、「プログレ」で流れた「LITTLE BUSTERS」はそんな私のがっかり感を埋め合わせてくれました。もう安心感が違います。各話各話爽やかに終われるので、「オルタナ」に比べて飽きることなく観れました。


そして最後、6話「アワラン」で流れる「LAST DINOSAUR」ですよ。無印ではハル子が「クライマックスだ!」って言って流れるんですけど、「プログレ」で流れた「LAST DINOSAUR」もクライマックス感が凄かったです。もう最初の音を聞いただけでワクワクする感じ。「オルタナ」でも「LAST DINOSAUR」は流れてましたけど、その時はそんなにワクワクしなかったんですよね。なんでだろう。アトムスクがいたからなのかな。


主題歌の「Spiky Seeds」の油断ならない曲調と意味の少ない歌詞も「プログレ」の「意味わかんないんだけどなんかすごい」みたいな雰囲気にすごく合ってました。曲自体がとてもかっこいいのに「プログレ」のかっこよさと合わせてもうかっこよさが倍ではなく2乗です。2回流れることを知らずに見に行ったので最初、「サイスタ」の終わりでオープニングのような流れたときは驚きました。またそこで流れる映像がかっこいいんだなこれが。無印からのファンにはたまらないでしょう。ぜひ劇場で見てみてください。


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・理由その⑥ 意味がわからないのが好き


「意味わかんない」


これが「プログレ」を観終わった後に私が一番最初に思ったことでした。とにかくぶっ飛んでいて脳みそをかき混ぜられる快感。ヒドミと井出の成長を描くのかと思いきや、突然挿入されるバトル。そして全編を通して作品を彩るピロウズのロックンロール。初めて無韻を見たときと同じような感覚を味わいました。


そういえば、「オルタナ」の監督の上村さんがインタビューで「わかりやすいフリクリがあってもいいんじゃないか」ということを言っていました。確かに「オルタナ」はカナ、ペッツ、ヒジリ、モッさんの4人の日々と成長をSF要素も交えながら描いたものでしたが、ラストを除くとそれらは非常に分かりやすく、無印の意味のわからなさが好きだった私のような人間には少し物足りないものでもありました。


でも、「プログレ」は違います。ちゃんと意味がわかりません。今自分は何を見せられているんだという感覚(もちろんいい意味で)が私を襲ってきました。バトルも多くパワーがあって、成長の物語でもあって恋の物語でもある。それらがごちゃ混ぜになっているカオスがまさしく「フリクリ」って感じです。フリクリにとって「意味わかんない」は誉め言葉なんです。その「意味わかんない」を感じることができた。これが私がオルタナよりもプログレの方が好きな一番の理由ですね。


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以上で感想は終了になります。「オルタナ」を見てハマらなかったという方も、「プログレ」はまた違った味わいになっていますので、一度見てみてはいかがでしょうか。もちろん未見の方も、できれば無印を見てからの方がいいですが、見てなくても十分楽しめるので映画館に足を運んでみてはいかがでしょう。おすすめですよ。


お読みいただきありがとうございました。



おしまい