こんばんは。これです。今回のブログは映画「愛しのアイリーン」の感想になります。


結論から申し上げますと、ちょっと凄いもの観てしまいました。激しい愛の応酬。容赦ないセックスシーンにバイオレンス。受けた衝撃は今年観た映画の中でも一番かもわからないです。


それも踏まえてこれから「愛しのアイリーン」感想を始めます。なお、ところどころに出てくる語句の解説は「大辞林」を参考にしております。では、拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




apa




未だに熱狂的なファンを持つ「ザ・ワールド・イズ・マイン」や、ドラマ化された「宮本から君へ」で再び脚光を浴びる、生ける伝説・新井英樹の傑作漫画が史上初めて映画化される。監督は、原作「愛しのアイリーン」を“最も影響を受けた漫画”と公言する𠮷田恵輔。『ヒメアノ~ル』で日本を震撼させた𠮷田演出の集大成がここにある。主演は稀代のカメレオン俳優・安田顕。伝説的な漫画の主人公を全身全霊を注いで怪演した。究極の個性派トリオが渾身の”愛”を込めて放つ、魂揺さぶる黙示録がここに誕生! また、共演陣にも実力派俳優が結集した。岩男の母にして強烈な愛憎でアイリーンを追い詰める姑・ツル役を名優 木野花が恐るべき迫力で演じる。深遠なるヤクザ・塩崎役には伊勢谷友介。謎めいた存在感で映画にサスペンスフルな重圧を与える。そして、本作のヒロインであるアイリーン役にはフィリピンオーディションで𠮷田監督により見出された新星ナッツ・シトイ。さらには、本作のために書き下ろされた主題歌「水面の輪舞曲ロンド」を歌唱する奇妙礼太郎が、ラストの情感を美しく、切なく包み込む。

(イントロダクション―映画「愛しのアイリーン」公式サイトより引用)

 

 

 

 

 

一世一代の恋に玉砕し、家を飛び出した42歳のダメ男・宍戸岩男(安田顕)はフィリピンにいた。コツコツ貯めた300万円をはたいて嫁探しツアーに参加したのだ。30人もの現地女性と次々に面会してパニック状態の岩男は、半ば自棄になって相手を決めてしまう。それが貧しい漁村に生まれたフィリピーナ、アイリーン(ナッツ・シトイ)だった。岩男がとつぜん家を空けてから二週間。久方ぶりの帰省を果たすと、父の源造(品川徹)は亡くなり、実家はまさに葬儀の只中だった。ざわつく参列者たちの目に映ったのは異国の少女・アイリーン。これまで恋愛も知らずに生きてきた大事な一人息子が、見ず知らずのフィリピーナを嫁にもらったと聞いて激昂するツル(木野花)。ついには猟銃を持ち出し、その鈍く光る銃口がアイリーンへ……!

(ストーリー―映画「愛しのアイリーン」公式サイトより引用)








※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・役者さんとか軽いあらすじとか


まず、感想を始めるにあたってタイトルの意味から考えていきたいと思います。この映画のタイトルは「愛しのアイリーン」。「愛しい」という言葉には「かわいい」「恋しい」「慕わしい」という好ましい意味のほかに、「気の毒だ」「かわいそうだ」「ふびんだ」という好ましくない意味もあるようなんですね。どうやら古語で「かなし」に「愛し」という字を当てたところからきているようですが。映画を観る前には私はこの「愛しの」というのを前者の意味でとらえていました。可愛いアイリーンを見る映画だと。でも「二人で歩む、地獄のバージン・ロード」というコピーを見て、そんなに甘いものじゃないと気づくべきでした。この「愛しの」には前者の意味はもちろんのこと、後者の好ましくない意味の方が多く含まれていたんです。


基本的にこの映画に登場する人間は爽やかで気持ちいいものではありません。でも、それぞれがそれぞれの愛を手にしようと生きています。愛ゆえに傷つけあう気の毒でかわいそうな登場人物たち。しかし、観ている自分もまた愛を手にしようともがいていることに気づくと、どうしても他人のようには思えません。吐き気を催すほどだった彼ら彼女らの姿もどこか慕わしく見えてくることでしょう。決して他人事ではない問題が「愛しのアイリーン」ではラブ&バイオレンスを持って衝撃的に描かれています。




では、ここからは登場人物について書いていきたいと思います。まずは主人公の宍戸岩男。42歳を過ぎても未だ童貞で実家暮らしを続けています。夜な夜なAVを見て、抜くような人間で、性的欲求を抑えきれずに、車に轢かれた後に「オマ〇コー!!」と大きな声で叫ぶなど、抑圧でエライことになっています。


この宍戸岩男を演じたのは「TEAM NACS」のメンバーで知られる安田顕さん。今年私が観た映画では「家に帰ると、妻が必ず死んだふりをしています」(通称「妻ふり」)で、頼りない夫を演じていましたが、今作での宍戸岩男はそれとは真逆。42年童貞の野暮ったくて無骨な男を迫力のある演技で演じていました。新潟の訛りが余計男臭さを引き立てます。


apb




童貞に耐えきれなくなった岩男は、あるときフィリピンでの嫁探しツアーに参加します。そこで出会ったのがアイリーン。このアイリーンを演じていたナッツ・シトイさん。東南アジア特有の濃い顔たちをしていましたが、性格は純朴です。無邪気なところもありはしゃいでいる姿はとてもかわいらしく、たどたどしい日本語もときにチャーミングで、一方ではシリアスさを掻き立てていました。純朴な彼女でしたが、映画中盤では岩男を拒むようにもなり、そのギャップもまたよかったです。


岩男はフィリピンで半ばやけくそになりながらアイリーンを選びます。アイリーンはアイリーンで貧しい地域に暮らしており、家族のためにお金が必要でお金を出してくれる岩男に嫁ぎます。アイリーンを連れて日本に帰る岩男。家では父親の葬式中で、その最中に母親であるツルにアイリーンの顔見せをしたところ、母親は激怒して猟銃をアイリーンに突きつけます。


このツルを演じていたのは「あまちゃん」などの出演作を持つ木野花さん。ツルは岩男を何よりも大切に思っていて、岩男に中途半端な嫁が嫁ぐのは許せない。岩男を守るためならなんだってするというキャラクターで、これが本当におっかないんです。アイリーンのことを豚だの虫けらだのまるで人間扱いせず、暴言、暴力、迫害。私は木野さんに優しいイメージを持っていたんですが、それを根底から覆されるかのようなバイオレンスっぷり。警察に詰め寄り、激しくなじる姿は本当に怖い。かと思えば、思惑があったとはいえ急に優しくなったりするシーンもあるんですけど、それも全く気を許せない。とにかく強烈な印象を残しました。今年の日本アカデミー賞助演女優賞に、私は「愛しのアイリーン」での木野花さんを推したいくらいです。


apd












・登場人物の「愛」について


ツルはアイリーンをいじめ、家から追い出そうとします。ただ、このツルの根底にあるのは一人息子である岩男に対する「」なんですよね。思えば、この映画のテーマは紛れもなく「愛」でした。ツルから岩男に向けられる愛。岩男からアイリーンに向けられる愛。アイリーンからフィリピンに残した家族に向けられる愛。それぞれの愛が裸で晒され、鋭い刃物となって登場人物たちをグサグサぶっ刺していきます。愛によって登場人物がボロボロに傷ついていく様はかわいそうで、背を向けたくなりますが、画面で起こっているリアルの迫力に目を逸らすことができません。


ここで考えたいのがツルとアイリーンの「愛」の違い、対比について。まず、ツルは岩男を愛していますが、岩男はツルを愛していません。矢印はツル→岩男と一方的です。一方のアイリーン。アイリーンは家族を愛していますが、家族はどうも映画の中の描写からアイリーンをお金を稼いでくれる存在として見ている節があります。なので、双方向的というよりも、アイリーン→家族という一方的なものに近いと思われます。そして、二人の違いがもう一つ。それは宗教です。


まず、ツルは夫の葬式から仏教徒であることが推測されます。仏教における「愛」とは「人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛」という意味があります。これはまさに岩男にとらわれ、執着しているツルの姿そのものです。ツルは岩男が自分の方を向いてくれることをむさぼり求めていて、岩男のためにといって旧態依然の良妻像にとらわれ、岩男に対してプレッシャーをかけています。



apg




一方のアイリーンはフィリピン人であり、フィリピン人は国民の90%以上がキリスト教を信仰しており、アイリーンも木で作った十字で、故人を思っていたことからキリスト教徒であると推測されます。キリスト教における「愛」は「見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと」。または「自己犠牲的・非打算的な愛」を示す「アガペー」とも言い換えられます。フィリピンでお見合い結婚が法律で禁止されているのも打算的と判断されるからなんですかね。アイリーンの家族に対する愛は、自分が嫁いで稼ぐという自己犠牲的なもので、見返りを求める様子は見られません。「隣人愛」というキリスト教の教えそのものですね。岩男に対する「私が守るから」というセリフも、男女愛を表す「エロス」よりかは「アガペー」の意味合いが強いでしょう。


でも、その家族を助けるための手段は、金で買われて結婚するという打算的なものでした。アイリーンは岩男の嫁でいるために、故郷への仕送りという見返りを求めており、これはキリスト教における「アガペー」とは背反しています。きっとイエスの教えとは真逆のことをしているという自分の中での葛藤もアイリーンにはあったと思われます。それに追い打ちをかけるようにツルから迫害されていたのは本当に気の毒ですね。「求める」ツルと「求めたくないけど求める」アイリーン。両者は「求める」という点では同じですが、出発点が違うため分かり合うことは出来なかったのでしょう。どっちが悪いというわけではなく、どっちも悪くないのがなおのことかなしいです。



ape





これらの観点から他に「愛しのアイリーン」に登場した女性たちのことも考えてみたいと思います。まず、岩男の同僚の吉岡愛子。愛子は子持ちでしたが、夫との性生活に不満を感じており、性的に満たされることを求めています。次に岩男の見合い相手だった真島琴美。琴美はステレオタイプな良妻賢母像にとらわれている様子が映画から見て取られ、打算的な見合いにより結婚相手を求めています。そして、フィリピンパブで働くマリーン。マリーンは分かりやすく客商売として、サービスの代価として料金を求めています。本人は割り切っていますが。




これらのことは男たち二人にも適用できそうですね。まず主人公の岩男はアイリーンに対して、オマ〇コもといセックスを求めています。「300万円払ったんだぞ」というセリフからも打算的で、見返りを求めていることがうかがえますね。42年間童貞で、セックスしたいという性欲にとらわれています。


そしてもう一人はヤクザの若頭である塩崎。伊勢谷友介さんが演じた塩崎はスタイリッシュでバチクソかっこよかった。しかし、塩崎はWikipediaによると同性愛者らしく、女性もビジネスとして使うだけで、男女の関係は求めていないようなんですね。フィリピン人の母親と二人で暮らしていたことからキリスト教信者説が濃厚ですし。「求める」岩男と「求めない」塩崎は好対象になっていましたが、中盤で塩崎は岩男に殺されてしまいます。




「求めない」塩崎の消失により、岩男とアイリーンの関係にも変化が見られます。まあセックスするようになったということなんですが。でも、岩男はその前にアイリーンを見て「きれいだな」と言っていますし、アイリーンも住職である正宗に「岩男のことが徐々に好きになってきた」と打ち明けています。二人が一緒に過ごすことにより、「求める」岩男は「求めない」ようになり、「求めない」アイリーンは「求める」ようになっていっていました。ただ二人の関係は「求める」岩男と「求めない」アイリーン(まあ「求めて」たんですが)というバランスで成り立っていたため、二人に変化が訪れるということは、このバランスが崩れることを意味しています。童貞を捨ててタガが外れた岩男は、獣のように仕事場でセックスを繰り返し、木にナイフで文字を刻みます。アイリーンも岩男のことを少しずつ拒むようになっていきました。そして物語は進みキャラクターたちは愛によって傷を負いながら、ラストへと向かっていきます。



apf










・ラストシーンについて


ラストに向かっていくにあたって押さえておきたいことが一つ。それは「求める」人間はいい結末を迎えていないということです。愛子はパチンコ店をやめて行方知れずになっていますし、琴美はオナニーをさせられて逃げていきましたし、マリーンの働いていたフィリピンパブは摘発されていました。そして、これらは岩男、ツル、アイリーンの3人にも当てはまってきます。


まず、岩男は木にナイフで文字を打ち付けている途中に転落して死にます。そして、岩男の死を知ったツルはアイリーンに岩男の死ぬ山に捨ててくれと頼みます。ここの木野さんの演技が声を出せないのに鬼気迫るものがあって凄かった。しかし、いざ死のうとしたところでアイリーンが妊娠していることを知り、最期は笑顔で死んでいきます。夫が亡くなってからはずっと怒った顔ばかりだったツルが最期にようやく見せた笑顔はとても切ないものでした。思うにツルが笑ったのは、子どもができる喜びを知っていたからと、あとは仏教における輪廻転生の考え方があったんじゃないかと思います。アイリーンの子どもを岩男の生まれ変わりだと思って、安らかに逝っていったのでしょう。


その後、アイリーンは一人で雪の中をさまよい、「アイリーン、愛してるぞ」という岩男の幻聴を聞いて、ENDとなるわけですが、ここでアイリーンに残された状況は悲惨です。日本では岩男もツルもなくなって暮らすところがありませんし、通っていたフィリピンパブは潰れ匿ってくれるところもありません。フィリピンで残った家族のもとに帰っても待っているのは貧しい生活で、八方塞がりです。しんしんと降る雪の美しさが、アイリーンに残された環境の残酷さをより鮮明なものにしていました。


この状況を、「愛しのアイリーン」を「求める者に罰が与えられるキリスト教に基づいた物語」とするならば、「求めた」アイリーンへの罰ともとれます。ラストに田舎町でよく見る「キリストは墓から蘇る」っていう看板も出てくることですしね。ただ、この終わり方はハッピーエンドとも取ることができると私は思うんです。


なぜかというと、キリスト教では、死は命の終わりではなく、天の神から地上での罪が許され、永遠の安息を与えられたということらしく、死は悲しいものですが、一方で罪が許されるという希望の側面もあります。私はここまで書いてきて「愛しのアイリーン」の主人公は岩男ではなくアイリーンで、アイリーンが信仰するキリスト教に基づいた物語だと考えるようになっているので、絶望の中に少しの希望を混ぜ込ませた終わり方だと感じました。というか「キリストは墓から蘇る」の看板の後に映されたのが「防火水そう」の標識ですからね。これらの最初の文字を合わせると「希望」となり、このことからも、もしかしたらハッピーエンドかもしれないというのが示されているように感じます。いくらでも解釈できる味わい深い終わり方ですね。


apc















以上で感想は終了になります。「愛しのアイリーン」、とにかくインパクトが強く、万人にお勧めできる映画ではないですが、衝撃作の名に恥じない映画ですので、刺激が強いのが好きな方にはぜひともオススメしたい映画です。ぜひ、観て震えてください。


お読みいただきありがとうございました。


映画「愛しのアイリーン」上映館リスト

おしまい



愛しのアイリーン[新装版] 上
新井 英樹
太田出版
2013-10-16