こんにちは。これです。今日はフジロックでしたね。私も行きたかったんですけど、病院の予約を入れてしまっていて、行けませんでした。あとお金もそんなにないですし、明日も行けないかなと。ツイッターを見ていて、やっぱり行けばよかったと後悔しているこの頃です。


さて、その病院での診察を終えた後に、私はまた映画を観に行ってきました。今回観た映画は『旅のおわり世界のはじまり』。略して『旅セカ』です。今年6月に公開された黒沢清監督の新作です。SNSでの評判もけっこうよかったので、長野でも公開されたこのタイミングでの鑑賞となりました。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・前田敦子さんの存在感が抜群!
・ウズベキスタンの異国感よ
・前半~観ている人のアバターとして機能する葉子~
・後半~アバターから脱出して一人の人間となる葉子~
・「not for me」案件だった





―あらすじ―


「みなさん、こんにちは――!
 今、私はユーラシア大陸のど真ん中、
 ウズベキスタン共和国に来ています」


カメラが回り、だだっ広い湖畔に明るい声が響く。ジャージにペンギン(防水ズボン)をはき下半身まで水に浸かっているのは、葉子(前田敦子)。バラエティ番組のリポーターを務める彼女は巨大な湖に棲むという“幻の怪魚”を探すため、かつてシルクロードの中心地だったこの国を訪れていた。だが、精いっぱい取り繕った笑顔とは裏腹に、お目当ての獲物は網にかかってくれない。ベテランのカメラマン岩尾(加瀬亮)は淡々と仕事をこなすが、“撮れ高”が気になるディレクターの吉岡(染谷将太)の苛立ちは募るばかりだ。ときに板挟みになりながらも、吉岡の要求を丁寧に通訳するコーディネーターのテムル(アディズ・ラジャボフ )。その間を気のいいADの佐々木(柄本時生)が忙しく走り回っている。

 

万事おっとりした現地の人たちと取材クルーの悶着が続くなか、与えられた仕事を懸命にこなす葉子。チャイハナ(食堂)では撮影の都合で仕方なく、ほとんど火が通っていない名物料理のプロフを美味しそうに食べるしかなかった。もともと用心深い性格の彼女には、見知らぬ異郷の文化を受け入れ、楽しむ余裕がない。美しい風景も目に入らない。素の自分に戻れるのは唯一、ホテルに戻り、日本にいる恋人とスマホでやりとりする時間だけだ。

 

収録後、葉子は夕食を求め、バザールへと出かけた。言葉が通じないなか、地図を片手に一人でバスに乗り込む。見知らぬ街をさまよい歩き、日暮れとともに不安がピークに達した頃。迷い込んだ旧市街の路地裏で、葉子は家の裏庭につながれた一匹のヤギと出会う。柵に囲われたヤギの姿に、彼女は不思議な感情を抱く。

 

相変わらずハードな撮影は続いていた。首都タシケントに着いた葉子は、恋人に絵葉書を出すため一人で郵便局へと出かける。広い車道を渡り、ガードレールを乗り越え、薄暗い地下道を通り抜け…あてどなく街を歩くうち、噴水の向こうに壮麗な建物が見えた。かすかに聞こえた歌声に誘われ、葉子が建物に足を踏み入れると、そこには細かな装飾を施された部屋がいくつも連なっていた。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ…。まるで白日夢のようにそれらを巡り、最後の部屋の扉をあけると、目の前には大きな劇場が広がっていた—


(映画『旅のおわり世界のはじまり』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください












・前田敦子さんの存在感が抜群!



この映画のコンセプトは「TVレポーターとなった前田敦子さんがウズベキスタンを旅する」というもの。この映画で描かれたのはそれ以上でもそれ以下でもありません。とにかく前田さんとウズベキスタン。この映画はその2点に集約されるといってもいいでしょう。


前田さんといえば言わずと知れた元AKBのセンター。しかし、2012年に卒業してからは徐々に女優業にシフト。最近では『町田くんの世界』での栄りらの姉御感が記憶に新しいところですね。『町田くんの世界』で、私は前田さんはもう元AKBという色眼鏡で見られることのない一人の女優さんになっていると感じたんですけど、『旅セカ』を観てその思いを強くしました。


まず、その佇まいがいいんですよね。清純派女優みたいな澄み切った感じが少ないのが特徴的で、瞳の奥には黒々としたものを感じさせますし、全身から油断できないオーラを放っています。簡単に紐解くことのできない複雑さがあります。その存在感は抜群で、ウズベキスタンの街並みに埋没していません。リポーターの時のやらされてる感が個人的に好きです。


また、演技もよくて。この映画って台詞が少ないんですよね。それに前田さんを映している時間がとても長く、ほぼ出ずっぱりな状況です。前田さんの演技がこの映画の出来の大部分を担っているんですけど、その重責を見事に果たしていたと感じました。異国に一人放り出された困惑が表情に表れていましたし、疎んでいる感じも理想と現実のギャップで苦しむ様子も挙動だけで十二分に伝わってきます。また、2回ほど突然歌いだすんですが、その歌はアイドルとしての経験がプラスに働いていてこちらもよかったですね。


それに、『旅セカ』の黒沢清監督は、かつて『Seventh Code』や『散歩する侵略者』で、前田さんを撮っていたので、前田さんのことはかなり分かっていたことでしょう。どうやって撮れば最も魅力的に撮れるかを熟知していたのではないかと。で、黒沢監督は前田さんに全幅の信頼を置いて、前田さんも見事それに応えてみせたと。監督と俳優が互いを信頼している映画なんだなというのは、観ていてもヒシヒシと伝わってきて、そちらも好みでした。




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・ウズベキスタンの異国感よ


ただ私は好きだったんですけど、『旅セカ』ってかなりの時間で前田さんを映しているのが特徴で、テレビクルーや通訳の描写って意図的に削られているんですよね。なので、前田さんを魅力的に感じることができないと、この映画はかなりキツイものになってしまうと思います。なので、前田さんを自分ごととして捉えさせようと、この映画ではいくつかの工夫がなされていました。


まず、最初にウズベキスタンという場所の設定。この映画ってウズベキスタン人の親子の会話で始まるんですけど、訳が出ないので何を言っているか全く分からない。というか最初のシークエンスでは日本語が一切出てこず、それが異国感をバリバリに演出しています。また、基本的にこの映画でのウズベキスタン語は通訳を介してのみ日本語に翻訳され、一般人が何を言っているかは分からないようにできています。バスに一人乗り込む前田さん演じる葉子。言語の通じない心細さは、あたかも私たちまでウズベキスタンに来てしまったかのような感覚を与えます。強い主観性ですね。言語を超えた相互理解なんてものはこの映画にはなく、それがリアルでした。


それに、ウズベキスタンの異国感も凄くて。あの日差しが照り付けてカラッとした感じ。湿度が高く、じめじめとした日本とは違って、乾燥しているんですよね。地面もアスファルトでなくタイルで砂埃舞う様子でしたし、建物も大胆な塗装がなされていません。日本とは完全に違う情景が、映画の中には広がっていました。さすがオールウズベキスタンロケなだけあります。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・前半~観ている人のアバターとして機能する葉子~


次に、前田さんの撮り方。この映画って前田さんを客観的に撮っているんですよね。カメラを通していると言いますか。あれだけ前田さんを撮っているというのに、前田さんの主観的な目線というのはあまり存在していないんですよ。劇場でのバックショットと手持ちカメラの一部ぐらいですかね。とにかく撮られるということが徹底されています。


このあたり事実を記録するドキュメンタリーみたいだなと感じます。主観を入れずに出来事を淡々とカメラに収めていく感じが『旅セカ』にはしたんですよね。TVクルーとウズベキスタン人は対立していますけど、そこにどちらがいいとか悪いとか主観的な要素はなくて、ただ出来事を映しているのみ。善悪のない客観性がこの映画の最大の特徴でした


で、この映画が客観的であるということは、観ている人の主観でどうにでも解釈ができるということなんですよ。この映画って想像の余地が大きくて、葉子が何を見ているか、感じているかっていうのは観ている人によって感じ方が全然異なると思うんですよね。葉子を自らのアバターとして認識し、観ている人自身が葉子の目となってウズベキスタンを覗くという構造になっていたと感じます。


この映画の葉子ってけっこう言われるがままなんですよね。主体性がなく、テレビクルーの指示には従順。まあそれが仕事って言ったらそれまでなんですけど、自らの意志は介在していません。ヤギを解放したぐらいですかね。ウズベキスタン人との交流も自発的にはしないですしね。まるで、プレイヤーの意のままに動かされるゲームの主人公のようで、観ている人はRPGをプレイしているようです。




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・後半~アバターから脱出して一人の人間となる葉子~


でも、映画が進むにつれて、葉子は自らの意志を獲得していくんですよね。映画中盤の劇場のシーンで、自らが歌いたいという理想を見せ、その後、理想と現実のギャップに悩む一人の人間であることが明かされます。テレビクルーも葉子に手渡しカメラを渡し、自ら撮影するよう促し、実際に撮ってみるなど、徐々に葉子は私たちのアバターから脱していきます。


そして、葉子は騒動を起こし、警察のお世話に。ここで会話することの大切さを説かれます。言葉を発しないゲームの主人公ではいけないのです。葉子の主体性が芽生え始めてきたところで、唐突に東京湾岸の工場で火事が起こったというニュースが。葉子の彼氏は消防士で、東京湾岸で勤務をしていました。葉子はウズベキスタンでの意に沿わない仕事の中で、東京に住む彼氏だけを頼りにしていました。彼氏の身を案じる葉子。電話をかけても彼氏が出ることはありません。でも、結局彼氏は無事で葉子は安堵します


ここで、映画は局の人手が足りず、テレビクルーが一部帰国するという展開を迎えます。葉子も帰国するように言われますが、葉子は自分の意志でウズベキスタンに残るんですよね。彼氏にべっとりで、今まで言われるがままにしてきた葉子のキャラクターを考えると、ここは帰国するのが自然。プレイヤーも帰るを選択するでしょう。


でも、葉子はこれに抗って帰国しないんですよね。それは、警察官に諭され、理想と現実で揺れる中で、自らの意志で選び取ることの重要性を痛感したからだと私は考えています。ラストシーンの山で自発的に、ロケ地を見てくると言って歩き出し、山頂に着く葉子。ここで「愛の讃歌」を歌います。実は葉子が「愛の讃歌」を歌うシーンは劇場にもあったんですが、これは妄想に過ぎず、でもラストでは現実のものになっています。


このラストはプレイヤーの意図からは外れたもので、アバターとしては暴走と呼べるものでしょう。でも、葉子は私たちのアバターではなく、一人の人間なんです。この映画は葉子がアバターから脱し、主体性を獲得する物語と私は捉えました。映画の冒頭で出てきた湖は濁っていて、山に草木はあまり栄えておらず乾燥していました。しかし、ラストシーンで湖は目の覚めるような水色で、山は青々として壮大な印象を与えます。この風景の変化には葉子の心情の変化が表れていると私は感じ、人間としての葉子の門出を祝福しているようにさえ感じます。『旅セカ』で葉子はアバターとしての旅を終え、人間としての世界を始めたのかもしれませんね。最初はドキュメンタリーだったはずが、気づけばちゃんと劇映画になっていて好感度高いです。




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・「not for me」案件だった


とここまで書いてきたんですが、私はこの映画があまりハマったわけではなくて。それは台詞が少なく、ゆったりとしたテンポの物語であったことが一つ。頭がけっこう重たい状態で観たので、正直何回かウトウトしかけてしまいました。眠い時に観る映画ではありませんね。まあ眠い時に観る映画ってそんなにないんですけど。


それに、この映画がドキュメンタリー的な撮り方をしていたのも、個人的にはハマらなくて。物語の目標や、ゴールが全く提示されないんですよね。この映画はどこに向かっているんだろうと考えてしまって、少し退屈に感じてしまったことは否定できません。どうやら私にはゴールのないドキュメンタリーよりも、ゴールが提示されているフィクションの方が向いているようです。なので、『旅セカ』は悪くはないんだけど、私向けではない「not for me」案件でした。でも、良質な映画であることは間違いありませんし、興味があれば観てみてはいかがでしょうか。




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以上で感想は終了となります。『旅のおわり世界のはじまり』、前田敦子さんを存分に堪能できる映画ですし、人間としての自立を描いている映画なので、機会があればどうぞ。私はハマらなかったんですけど、いい映画です。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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