こんにちは。これです。もうすぐ7月も終わりですね。ようやく夏本番という陽気になってきて参りますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。


さて、今回のブログも映画の感想です。今回観た映画は『アメリカン・アニマルズ』。実際にあった事件を描いた異色のクライムムービーです。公開は5月だったんですけど、長野では2か月以上遅れてこのタイミングでの公開となりました。まあ地方ではよくあることです。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




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―目次―

・序盤~痛いほど分かる「特別な人間になりたい」という気持ち~
・中盤~彼らは映画の中の登場人物のようだった~
・終盤~怒涛の展開にごめんなさい~
・自分にとっては「普通」でも、誰かにとっては「特別」
・一段一段上っていかなきゃな





~あらすじ~

オレたちは待っていた、
"何か"が起こる日を。


「I’m Alive!!」とジョニー・サンダーを歌いながら車で飛ばしていく青年、ウォーレン(エヴァン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)。廃棄された食べ物を盗むことで最小限のリスクを楽しむ、そんなどうしようもない毎日だ。

くだらない日常に風穴を開けたい、特別な人間になりたいと焦がれる2人は、大学図書館に貯蔵される貴重な本を盗み出す計画を思いつく。手に入れれば1200万ドル、誰よりも自由を求めるウォーレンと、スペシャルなことを経験したいと願うスペンサーは仲間集めを始めることに。目をつけたのは、FBIを目指す秀才エリック(ジャレッド・アブラハムソン)と、当時既に実業家として成功を収めていたチャズ(ブレイク・ジェナー)。彼らは互いを『レザボア・ドッグス』に習い「ミスター・ピンク」「ミスター・ブラック」などと呼び合うのだった。強盗作戦決行日、特殊メイクをして老人の姿に扮した4人は遂に図書館へと足を踏み入れる――。

そこで彼らを待ち受ける運命とは?これは、刺激を求めて道に迷ったアメリカン・アニマルズ達の物語。


(映画『アメリカン・アニマルズ』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。











※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。








・序盤~痛いほど分かる「特別な人間になりたい」という気持ち~



アメリカ・ケンタッキー州に住むスペンサーは、しがない一大学生でした。絵を描いてはいるものの「君は芸術で何をしたい?」(意訳)と問われると答えに困窮してしまいます。そして、彼の友達ウォーレン。彼もまたよくあるアメリカの大学生です。彼ら二人は普通に暮らして、普通に生きています。そんな普通が嫌で、スーパーの廃棄を漁るという行為に出ているわけですが。


「何かが起こるのを待っている」

「それが起これば特別な人間になれる」


スペンサーはウォーレンにこう語りかけます。彼が憧れていたのは「特別」と呼ばれる芸術家。ゴッホは自殺し、モネは失明した。まるで悲劇が「特別」な人間の条件であるかのようにスペンサーは語ります(この映画では実際の犯人が出演していますが、スペンサーはベネディクト・カンバーバッチかよっていうぐらいカッコよかった)。まあ、このスペンサーの憧れは皮肉にも達成されてしまうんですけど。


そんな「特別」に憧れ燻る二人が考えついたのが、オーデュボンの『アメリカの鳥類』を盗み出すという計画。大学の図書館の特別所蔵室に保管されているこの本は、なんと時価1,200万ドル。売れば一生を遊んで暮らせること間違いなしです。でも、彼らの目的というのは大金を得ることではなくて、希少な『アメリカの鳥類』を盗み出すということにあると思うんですよね。実際、ウォーレンはスペンサーに「大金を得たらどうする?」と聞いていますが、スペンサーは明確な答えを返せていませんですし。普通ではない盗むという行為を達成することで、自らを普通じゃないと特別視したかったのではないでしょうか。


この、「普通じゃない行為によって特別な人間になる」という思考、分かりたくないんですけど、すごく良く分かっちゃうんですよね。私は自分のことを「特別」ダメな人間だと思い込んでますけど、まあ普っ通の人間なわけですよ。本当にどこにでもいる没個性な人間だなと思って過ごしてますから。そりゃ自分とはかけ離れた「特別」に憧れます。今このブログを書いているのだって、読まれてシェアされてチヤホヤされたいという思いがゼロじゃないですからね。映画の感想を何千字も書くのって「特別」な行為なわけですから、自分やるじゃんと思いたくもあります。まぁ全く読まれないんでしょうけど。10PVいけばいい方かなぁ。


それに、「特別な人間になりたい」っていう思いはネットやSNSに渦巻いてますよね。以前、コンビニのバイトがアイスの冷蔵庫に入る、いわゆる「バカッター」や、渋谷のスクランブル交差点でベッドを敷いたYoutuber(とされる人)が炎上しました。彼らって、冷蔵庫で涼を取りたかったり、交差点で寝たかったり轢かれたかったりしてこれらの行為をやっているわけじゃないですよね。「『普通』の人なら良心や常識がストッパーになってできない行為をできる俺凄いっしょ?特別っしょ?」がやりたいわけですよね。『アメリカン・アニマルズ』もこの思考の延長線上にあります。しかも、今から15年ほど前の話ですからね。バカッター以前にもこういった思いは存在していたんですね。




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・中盤~彼らは映画の中の登場人物のようだった~


話を映画に戻しましょう。『アメリカの鳥類』を盗むという「特別」な行為に魅せられた2人。ネットで完璧な銀行強盗の方法を調べ、映画で盗みの手口を学びます。挙句の果てには盗品を売買する故買屋に会いに来るまで12時間かかるニューヨークにまで行く始末。彼らはまるで映画の中の登場人物になったかのように劇的に振舞います。ほとんど陶酔といってもいいぐらいです。ウォーレンはオランダまで行って、そこで映画のような強面の男二人に睨まれていますし。


ただ、彼ら2人だけでは犯行に無理があるとして、仲間を増やします。新たに仲間入りしたのはFBIを目指す秀才のエリック。喧嘩したウォーレンと仲直りをしたいという理由で参加します。まあ秀才といっても平均よりいくばくか上な程度なんですけど。そして、彼ら3人で架空の強盗計画を立案。流れるような動きで『アメリカの鳥類』を盗むウォーレンのイメージが流れます。ここで流れたのがエルヴィス・プレスリーの『A Little Less conversation』。これは『オーシャンズ11』でも使われていたようで、彼ら3人の劇的な幻想が読み取れます。


しかし、3人でも無理があるとエリックは判断し、筋肉男のチャズをさらに増員して4人に。作戦会議で、ウォーレンはメンバーに色の名前を付けて、コードネームで呼び合うようにします。これは映画『レザボア・ドッグス』から来てますね。ああ中二病。観ていて恥ずかしいです。でも、この犯行の計画を立てているシーンは、音楽も明るめで心なしか楽しく観れるんですよね。老人に変装して潜入するというのも中二心をくすぐられてワクワクしましたし。


しかし、最初の計画は司書が4人いるという想定外の事態により頓挫。「何もしないで出ると清々しく感じた」というスペンサーの独白に心から安堵し、このまま終わってくれと願いますが、まあ当然これで終わるわけもなく。ウォーレンは翌日にもう一回立て直すことを独断で決めます。ここでスペンサーは、我に返り辞めようとしますが、ウォーレンは「ここでやらないと後悔する」と間違った覚悟を決めてしまい、スペンサーはこれに圧されてしまう。ここスペンサーが夜の街を走るシーンがあったんですけど、邦画ではよく見るけど洋画では、なんか珍しいなと感じました。





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・終盤~怒涛の展開にごめんなさい~



そして、二度目の決行の日。ウォーレンとエリックが特別所蔵室に向かいます。ここで計画通りにスマートに『アメリカの鳥類』を盗み出す、なんてことはできるはずもなくグッダグダ。まず司書を気絶させることに、ウォーレンは良心の呵責が働いてためらってしまい、結果的に司書を大きく傷つけてしまいます。さらに、自らの行為の怖さに気づいたのか、ウォーレンとエリックの手はガッタガタ。そして、地下一階から脱出するという計画もガッタガタ。最終的に、『アメリカの鳥類』を階段に落としたまま、二人は逃げ出してしまいます。まあ彼らはカメラをハッキングできたり、並外れた身体能力を持ったりという「特別」な人ではないですからね。あくまで「普通」の人で、「普通」の人が『オーシャンズ11』的なことをすると、こんなにもグッダグダになるんだぞと。とてもリアルで、それが却って手に汗握り、この決行のシーンの没入感を増していました。


そのあとは、車にぶちまけられたリアルゲロに(私が)吐きそうになりながらも、4人はニューヨークへ。ここでスペンサーがドジって自分の携帯電話の番号をバラしてしまいます。そして内紛に至り、チャズがスペンサーに銃を突きつける。「お前たちが俺の人生を殺したんだ!」という言葉が非常に重かったです。


そこから4人はケンタッキーに帰って、また元通りの生活を過ごすわけですが、ここからは後悔、後悔、後悔の嵐。「人を傷つけてしまった」「なんであんなことしてしまったんだ」。4人の表情が沈んでいく様を、重たい電子音に合わせてこれでもかと見せてきます。ここで、この映画の実際の犯人たちを起用したという特徴が最大限に生かされていまして彼らが押し黙るシーンがあるんですよ。そのシーンの重みといったら。実際に経験している人間にしか出せない重みで、フィクションでは演出できない空気が流れていました。今年観た映画の中でもかなり上位の胸を抉られる体験です。


そして、その後の言葉の一言一言も重たい。スペンサーが「俺とウォーレン、どちらか片方の視点から思いだした方が楽だから」と述べれば、最後には被害に遭った司書本人も登場し、「どうして特別になるために人を傷つけてしまうのか」と強烈な問いかけを放ちます。極めつけはウォーレンが「俺は特別な人間じゃない」と言うという...。これはキツイ。「特別」を目指して、フィクションに耽溺する中二病のような精神状態から虚脱して、抜け殻のようになって、自らは「特別」な人間じゃないと自覚する。もうね、ごめんなさいですよ。「自らを特別ダメな人間だと思ってごめんなさい」ですよ。自分の虚栄心がボコボコに殴られて、観た後は思わず椅子にへたり込んでしまうくらい撃沈しました。私は普通の人間です...。何も特別じゃありません...。はい...。また、精神的に辛い映画観ちゃったな...。でもオススメなんですけどね。




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・自分にとっては「普通」でも、誰かにとっては「特別」


『アメリカン・アニマルズ』で、スペンサーは、ウォーレンは、エリックは、チャズは変化を望んでいました。「今の偽者の自分から脱して、本当の自分になりたい」と。この厄介な自己実現欲求は実は達成されているんですよね。事実彼らは変わったんです。悪い方向に


彼ら4人は、刑務所に7年間ぶち込まれました。「特別」とは「他と特に区別されているさま」を指すといいます。刑務所は一般社会とは区別された場。当然、収容される方が稀です。しかも彼ら4人はそこに7年もいた。これは私たちシャバで暮らす人間から見れば、紛れもなく「特別」な人間だと言えます「何かが起これば特別な人間になれる」「普通じゃない行為によって特別な人間」となるという彼らの目的は従前に達成されてしまっていると私は考えます。


ただ、前の文では「私たちシャバで暮らす人間から見れば」という注釈がついています。この注釈を入れたのは、「普通」が当事者によって異なる概念であるからです。例えば、刑務所で何年も暮らしていれば、刑務所にいる状態が「普通」になってしまいますよね。よく映画で脱獄するのも「普通」である刑務所を抜け出して、「特別」なシャバに行きたいからだと私は考えているんですけどどうでしょう。


その視点で言えば、ただの大学生であった彼らだって「特別」な存在なわけですよ。だってまともな教育を受けられないスラム街の子供たちの「普通」という視点から見れば、大学まで進学できている彼らは十分「特別」なわけですから。その意味では、いくら「普通」に思える人間でも、誰かにとっての「特別」なんですよね。私いま駅から徒歩2分の所に住んでいるんですけど、これだって駅から車で一時間かかる人からすれば「特別」なわけですし、その逆もまた然り。


でも、人間っていうのは自分の「普通」に慣れてしまう生き物でもあると思うんですよね。自らの「普通」が固定化されていくと言いますか。でも、その固定化はマンネリ化をも意味していて。同じことをずっと続けて「普通」になっていくと、これでいいのだろうかという危機感が出てきてしまう。「普通」であることが確証された未来を変えたくなってしまう。「特別」になろうとする。既に自分が「特別」であるにも関わらず。自分の持っていない「特別」を欲しがる。無いものねだりで、隣の芝生は青く見えるですね。人間は自分に持っていないモノを強く欲する生き物であると『アメリカン・アニマルズ』は強く訴えかけてきたように私は感じます


『アメリカン・アニマルズ』で、スペンサーら彼らはどこまでも「普通」の人間でした。「普通」の大学生。「普通」の受刑者。そして、最後にはそれぞれの「普通」の生活を手に入れています。これらはどうしても「普通」からは逃れられないという絶望のようにも映りますが、つまるところ皆「普通」なんだと思います。「普通」が当事者によってその形を変えるものならば、70億通りの「普通」がある。そして、70億通りの「特別」がある。皆自分にとっては「普通」で、誰かにとっては「特別」なんだと。私は『アメリカン・アニマルズ』を観てそう感じましたね。はい。




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・一段一段上っていかなきゃな



あとは、いきなり変化することのリスク、反動ですかね。人間って小さな変革を積み重ねていって、少しずつ変わっていくのが常道だと思うんですよ。そうすることで、自分の中に経験が蓄積されて中身の詰まった人間になれるというか。あ、これ自分に言い聞かせてます。私は幼いころから何も変わっておらず、何も経験しておらず、中身のない人間なので。それに、大きな変化に伴う耐えられないようなリスク、反動も少しずつ分散していけば、耐えることができますし、一段一段階段を上っていくということがやはり重要になると思うんです。あ、これも自分に言い聞かせてます。


で、一気に変わると中身のない人間になるどころか、そのリスク、反動がまとめて来るよと。バカッターで簡単に注目を集めて炎上した人が、のちの就職に苦労して社会的弱者に追い込まれていますし、宝くじで高額当選を果たした人が、後に自己破産することがあるということはよく知られた事実です。


そして、『アメリカン・アニマルズ』でも、一気に変わろうとした彼らには、反動が大波のように押し寄せてきています。人を傷つけてしまったという後悔。何も変わらなかったという落胆。そして懲役7年の実刑。階段を一気にすっ飛ばそうとした彼らに対しての罰としてこれらは与えられています。子の罰に苦しむ彼らの様子は非常に苦しいものでした。とても胸が痛んだので、やはり一段一段上っていかないとなというのも『アメリカン・アニマルズ』を観て得た感想です




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以上で感想は終了となります。『アメリカン・アニマルズ』、観ていて辛くなる映画でしたけど、でも面白かったので、個人的にはオススメしたいと思います。ぜひ映画館でご覧ください。DVDは10/25にTSUTAYA先行レンタル開始です。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


アメリカン・アニマルズ [Blu-ray]
エヴァン・ピーターズ
Happinet
2019-10-25



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