こんにちは。これです。昨日に続いて今回のブログも映画感想です。


今回観た映画は『新聞記者』。6月末に公開されるや否や賛否両論大激論を巻き起こしたポリティカルムービーです。今年の洋画で『バイス』や『ブラック・クランズマン』といった作品を観て、こういう映画日本でも作られないかなと思っていた以上、この映画は観なければならない映画だと感じてました。そして、長野で公開されたこのタイミングでの鑑賞となったわけです。注目度も高く普段の10倍くらいの人が映画館にいましたね。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




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―目次―

・情報操作の怖さが描かれていた
・「個」と「組織」
・この映画だけで判断するのは危険だ






―あらすじ―

東都新聞記者・吉岡(シム・ウンギョン)のもとに、大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届いた。日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで育ち、ある思いを秘めて日本の新聞社で働いている彼女は、真相を究明すべく調査をはじめる。


一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は葛藤していた。「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、与えられた任務は現政権に不都合なニュースのコントロール。愛する妻の出産が迫ったある日彼は、久々に尊敬する昔の上司・神崎と再会するのだが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう。

 
真実に迫ろうともがく若き新聞記者。「闇」の存在に気付き、選択を迫られるエリート官僚。

 
二人の人生が交差するとき、衝撃の事実が明らかになる!

 
現在進行形のさまざまな問題をダイレクトに射抜く、これまでの日本映画にない新たな社会派エンタテインメント!あなたは、この映画を、信じられるか──















・情報操作の怖さが描かれていた


『新聞記者』で主演を務めたのは、シム・ウンギョンさん。新聞記者の吉岡役ですね。お初にお目にかかる女優さんでしたが、すごい好演していました。使命感に燃える芯の強さが魅力的で、深い瞳に吸い込まれます。何回かあった泣くシーンもそれぞれ違う印象を受けて、うっわ上手ってなりました。慣れてない日本語も独特の雰囲気を出していて逆によかったです。英語の方が生き生きしてたのには笑ったけど。10月に公開の『ブルーアワーにぶっ飛ばす』でも夏帆さんと共演しているんですよね。楽しみなんですけど長野でやるかなぁ。


一方、『新聞記者』のもう一人の主演が松坂桃李さん。内調の官僚の杉原役ですね。こちらは何度もお目にかかっている俳優さんですが、今回はまた違った一面を垣間見ることが出来ました。今までにないくらい感情を抑制していて、精悍といった雰囲気なんですが、表情だったり声の震わせ方だったりで、抑えきれない感情を表現していて震えます。神崎からの最後の電話に慌てふためくところと、葬式で吉岡を突き放すところが個人的に好きでした


杉原は内調で政権を守るために情報操作をしています。この情報操作がとにかく怖くて。改ざん、揉み消し、悪評流しなど様々な手段を使っていて。特にハニートラップだとでっちあげる件は、身近なツイッターという媒体が使われたり、「嘘か本当か決めるのは国民だ」という台詞もあり、ビビるほどの怖さでした。また内調の室内が薄暗いんですよね。いけないことをしている感が満々に出ていました。


反対に、吉岡が働く東都新聞社は明るく照らされています。まるでこちらが正義だと言わんばかりに。ここ、岡山天音さん(9月13日公開映画『王様になれ』主演)が同僚を演じていて、冴えない感じが最高でした。それはさておき、吉岡は自身のもとに届いた、極秘FAXおよび表紙の羊の絵の真相を解明しようと奮闘します。


内調で情報操作をしている杉原。家に帰るとタワマンの窓から覗く東京の夜景と、お腹の膨らんだ本田翼さんが迎えます。彼が完全な成功者であることを否応なく見せつけてきますね。悔しさも湧きません。そんな杉原のもとにかつての上司である神崎から電話がかかってきます。杉原は神崎と飲みますが、その数日後に神崎は自殺


ここから映画は神崎の死の真相を探る方向にシフトしていきます。神崎は5年前、上からの指示で文章を改ざんしたにもかかわらず、責任を自分に被らされるという経験をしていました。これは現実にも起こっている問題で、とても深刻。ただ、杉原は「神崎さんはそんなことで死ぬような人間じゃない」と言います。どうやら神崎が自殺したのはそれ以上の重大な理由があるようで…。というのがネタバレなしで言える範囲での『新聞記者』の大まかな内容ですね。前半は情報操作の怖さが前面に押し出されていて、こういう身近な怖さというのは個人的にツボでした。


では、ここからはネタバレありでこの映画について書いていきたいと思います。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。










・「個」と「組織」


この映画で重要になっていたのが、「」と「組織」というワードだと個人的には考えます。劇中で吉岡がデモ隊の行進を見て、「『個』と『個』が繋がっている」と評したあたりから、この映画における「個」と「組織」が重要な意味を持ってきます(新聞記者が素性を明かしてツイッターやってていいのかという疑問はありますが)。というのも、これはそのまま吉岡と杉原を表していたと考えられるからです。


この映画での吉岡は「個」を象徴する存在でした。取材は常に単身で、会社からの圧力に縛られない独立した存在です。一方の杉原は「組織」を象徴する存在。内調という組織の一員として働いており、パーツの一部分のようです。内調が一つの生き物みたいにネットに書き込む姿は恐怖しかありませんでした。


私たち日本人が「空気を読む」民族であることはみなさん承知の通りだと思います。日本では「和を以て貴しとなす」という言葉のもと、周りに合わせるのが大事という洗脳にも似た教育がなされます。結果、場の空気を最優先し、同調圧力に負け、言いたいことも言えないまま「組織」に合わせることになります。あ、これ私のことですよ。


でも、吉岡はアメリカで育ったこともあるのか、そんな同調圧力には屈しないんですよね。でも、杉原は同調圧力に屈しまくりで、そんな杉原に吉岡は「このままでいいのか」と訴えかけます。これはこの映画が、日本人の「空気を読む」という性質に疑問を投げかけてくるようで、普段空気読みまくりの私には刺さりましたね


ただ、「個」でできることなんてたかが知れていますし、私たちは生きていくためには「組織」に所属しなければいけません。一人じゃ議員の過半数を確保できないために、政治家は政党を結成するので
しょうし、個人事業主であるフリーランスにも労働組合はあります。


でも、私たちは「組織の一部」じゃなくて、れっきとした「個」なのだから、そんなことは言い訳にならないよとこの映画は言っているように私には映ります。この映画で杉原は、終盤で自分の名前を出して行動しました。それが記事を出す決め手となっており、まるで、「個」として行動した杉原を賛美しているようです。


それに、杉原が「個」として動くことを決めたのは、生まれた子供の存在が大きかったかと。子供は家族という「組織」に属さないと生きていけません。杉原は家族という「組織」を守るために「個」として動くことを決めたのではないでしょうか。「個」としていることが「組織」のためにもなるという徹底して「個」を称賛する態度ですね。この痛烈な態度は個人的には好きです。もっと自分という「個」でいたいと考えさせられました。




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・この映画だけで判断するのは危険だ


ただ、映画を観ていて後半の展開に疑問符が浮かんだのも事実です。この映画では、直球の政権批判がなされています。この映画の政府は表向きは新しい医療系大学を作ろうとしていますが、その裏では生化学兵器に軍事転用も可能な研究を行おうとしています。これは戦争の準備をすること。現在の安倍政権でも「改憲で戦争ができる国家にしようとしている」という批判はよく聞かれます。『新聞記者』は、そんな安倍政権に正面からNOを叩きつけています。今の安倍政権のままでいいのかと考えさせられます。


いや、別にこれはいいんですよ。私はどちらかというと右寄りですが、政権批判を批判したいわけではなくて。むしろ左も右もあってこそ正常な姿でしょう。国民の考えを一つにまとめ上げることなんて不可能ですし、デモだって体の免疫反応だと思えば許せなくもない。じゃあ政権批判はOKで、何が問題かと言うと、後半の展開が前半で描かれたことと反しているように感じたからです。


繰り返しになりますが、この映画で描かれたのは「情報操作」の怖さです。官僚のスキャンダルに対し、誌面に圧力をかけ、ツイッターで擁護とも悪評ともつかない投稿を垂れ流す。私たちが見ている情報も操作や改ざんされたものかもしれないと、この映画を観ていると身につまされます。「何よりも自分を信じ、疑え」という吉岡の父の言葉通り、何も信じられなくなり、映画で起こっていることをいちいち疑ってしまいます


そんななかでも個人的に感じたのが、片方の情報を鵜呑みにしてはいけないということです。問題があるとすれば、提起した側と提起された側の両方の情報を聞いて、自分の頭で考えて立場を表明するという当たり前の事がこの映画では描かれていたように感じます。いわば情報の二面性です。この映画の前半は吉岡と杉原は対立していました。吉岡は新聞記者として真実を暴こうとする側、杉原は内調で働く官僚として、真実を隠そうとする側。反体制側と体制側の二面性が映画の前半にはあったのです。


しかし、神崎が自殺してからは、神崎の死の真相を暴くという共通の目的があり、吉岡と杉原は結託します。これは巨大な敵に向かって、敵対していた者たちが力を合わせるというたいへん燃える展開です。また、杉原は自信に子供が生まれたことで、情報操作をして政権を守る今の仕事は、国民を守るという神崎に教えられた官僚の本分に反していると再認識し、自らの意志で「個」として進み始める。これは当然の帰結。なので、理屈ではこの二人が結託したことは納得できます


しかし、前半で描かれた情報の二面性に鑑みればどうでしょうか。杉原が反体制側に翻ったことで、後半では体制側からの視点はほとんど消失してしまっています。記事や電話で圧力をかけてきたりとゼロとは言いませんが、内調の描写は激減し、問題を提起する側からの視点しか与えられません。政権という提起された側からの情報はなく、自らが描いてきた情報の二面性を否定、放棄してしまっていると感じました。




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これに対し、「映画の中には公文書が登場したじゃないか」という意見もあると思います。あの公文書を提起された側からの情報とする。私はそうは考えられませんでした。前述した通り、この映画を観ていると何も信じられない疑心暗鬼な状態になってしまいます。ここで、杉原の上司は杉原の謀反に気づいていて、公文書を改ざんしたりすり替えて、偽の公文書を作ったのではないかと私は考えてしまいました。だから、東都新聞のスクープは確報かもしれないし、誤報かもしれない。真実は映画の中では明かされることはなく、私たちの想像に委ねられるという形を取っています。どちらにせよ、提起された政府からの情報が必要ですね。それがないと判断できないです。


でも、政府からの情報はなく、『新聞記者』が後半示したのは、危険な安倍政権のままでいいのかという問題提起のみ。これでは、単なる反政権派のプロパガンダ映画のように私には思えてしまいます。映画の前半は、記者の正義と内調の正義、対立する二つの正義がありました。しかし、後半は記者、反体制側が善、内調、体制側が悪と、単なる善悪の二項対立という図式に堕してしまっていたように私には映り、そこがこの映画のあまり好きじゃないポイントです。そういうタイプの映画ではないと思ってたのに...。


この映画を観て、安倍政権にNOというのは簡単です。ただ、行きすぎた保守思想が危険なのと同じく、行きすぎた急進思想もまた危険です。なので、この映画をそのまま受け取り、提起した側の情報しか聞かないのではなく、提起された側、政権側の情報も聞くことが大事かと。その上で左派を選ぶのならこれはもう全然構いません。その人の自由です。もしかしたら、片方の過激な情報を鵜呑みにすることの危険さを伝えるために、『新聞記者』はあそこまで強烈な政権批判をしたのではないかとさえ感じます。これだけで判断するのは危険ですが、考えるきっかけとしてはいい映画ですね。



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以上で感想は終了となります。『新聞記者』、賛否両論ありますけど、今の日本の現状に問題提起をしている作品なので、観て損はないかと思います。よろしければご覧ください。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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