こんにちは。これです。


唐突ですが、あなたは男女間で友情は成立すると思いますか?これは、恋愛トークでよく話題に上がるテーマです。甘酸っぱくもあり、生々しくもあるこの問題について友達とだべったことがある人も多いのではないでしょうか。恋愛感情が入ってしまったら、それは友情じゃなくない?いや、恋愛感情と友情は別だから成立するでしょ。未だ答えが出ておらず、これから先も出ることはないであろうテーマです。


まず、最初に私の考えを述べておくと、私は男女間の友情は多くの場合成立しないと考えています。私は、両者が異性愛者である場合、その間には必ず恋愛感情が介在し、恋愛感情とは友情を飲み込んでしまうほど大きい感情だと考えています。私は友情とは一方向ではなく、双方向の矢印だと考えているので、どちらか一方の矢印がなくなってしまった場合、それはもう友情ではなくなるのではないかと思っています。


しかし、この度そんな「男女間の友情」をテーマにした映画が公開されました。それが穐山茉由監督の『月極オトコトモダチ』です。公開は6月でしたが、長野では3か月遅れのこのタイミングでの公開となりました。相変わらず遅いけど後悔してくれるだけ感謝しなければ。


で、観たところさっぱりとしていて面白い映画でした。個人的にはかなり好きな部類に入りますね。では、その感想をこれから書いていきたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




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―目次―

・前半~いい意味で「軽く」観られる~
・後半~「言葉」と「記号」と「音楽」~





―あらすじ―

「男女の間に友情は本当に存在する?」

アラサー女性編集者の望月那沙は、ひょんなことから、「男女関係にならないスイッチ」を持つと語るレンタル"オトコトモダチ"の柳瀬草太に出会う。
一方、那沙のリアル"オンナトモダチ"である珠希は音楽を通じて柳瀬と距離を縮めていき…。
仲良くなっても、「契約関係」の壁はなかなか越えられない。
恋愛と友情、夢と現実のはざまで悩む男女が織りなす、不思議な関係の行きつく先は……?

(映画『月極オトコトモダチ』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。








・前半~いい意味で「軽く」観られる~


『月極オトコトモダチ』の主人公は、ウェブ編集者として働く望月那沙。29才ともうすぐ三十路に差し掛かる彼女を演じたのは、徳永えりさん。半分の月にも似た目元が印象的で、揺れ動きながら根底では媚びていない力強さがありました。友達の珠希にキスする寸前のシーンは怖かったですね。演技も友情と恋愛の間で苦悩する那沙を、オーバーなことはせず等身大に演じていて好印象でした。個人的には髪を下ろしていた方が好みです。


那沙は同僚と訪れたバーの合コンで、柳瀬草太と出会います。柳瀬は姑息な手品を使う男性に雇われた「レンタル友達」でした。「男女関係にならないスイッチ」を持つ柳瀬に、那沙は興味津々。連絡先を渡します。この柳瀬を演じたのは橋本淳さん。表情豊かで、いかにも仕事!プロフェッショナル!というやり取りが主だったのですが、徐々に本来の自分を曝け出していくうちに表情に乏しくなっていくのが印象的でした。さっぱりとした顔つきで爽やかな色気を放っていましたね。


5月。同僚から柳瀬が「レンタル友達」だと聞かされた那沙は、ウェブメディアに彼の記事を書こうと思い立ちます。レンタル会社に連絡し、柳瀬と再会する那沙。小説の取材と偽り、「レンタル友達」サービスを利用します。配水塔を写真に撮って喜ぶ那沙に、柳瀬は「レンタル友達」の二つのプランを提案。一つは単発プラン。もう一つが月5万円で、一日15時間まで使い放題の「月極」プランです。15時間てかなりブラックだなあ。私だったら、一日15時間も赤の他人といるのは絶対に嫌ですからね。柳瀬は凄いですよ。


さて、そこからは那沙と柳瀬のレンタルライフが幕を開けます。といっても気分良く付き合ってくれる柳瀬に那沙はすっかり上機嫌。行った先々の写真をボードに飾るなど、浮かれ気分です。さらに、那沙と柳瀬は20㎝以上も身長差があるので、そのギャップに胸がキュンとしました。特に二人でサッカーをしているシーンと、柳瀬が那沙のパーカーのジッパーを上げるシーンがヤバかったですね。ラブコメディのラブの波動を感じました。




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一方、那沙には小野珠希という同居人がいます。歌が得意な彼女を演じたのは芦那すみれさん。サバサバしたキャラクターの奥底に、燻った黒々とした感情を感じられて、好きなキャラクターでした。基本明るいだけに、終盤の締まった演技が際立っていましたね。




ある日、那沙は風邪をひいてしまい、合理的使用法と称して柳瀬を呼び、看病させます。部屋にあるキーボードに気付いた柳瀬。実は柳瀬は作曲ができる人間でした。キーボードを弾き始める柳瀬。そこに珠希が帰ってきます。珠希が歌うのに合わせてキーボードを弾く柳瀬。二人が音楽という共通項で繋がったシーンです。伸びのある軽やかな歌声が響くポップなシーンなのですが、柳瀬と何ら共通項を持たない那沙にとっては残酷なシーンでした。ベッドに包まる徳永さんの痛々しい表情がジーンときます。


ここからは、この三角関係を基にストーリーが進んでいきます。30手前の三角関係ということで、どうしてもドロドロしてしまいがちなのですが、この映画に関してはそういった重さはあまり感じられません。というのも、主な感情は恋愛ではなく友情ですし、那沙は30手前で独身ということに、さほど危機感を抱いている様子もないので、いい意味での「軽さ」がありました。セリフも飾ることなく、本当に彼ら彼女らから出た言葉って感じでしたしね。


さらに、音楽もこの映画では多く使用されていていました。軽快なオープニングで気分を盛り立てますし、ところどころに珠希と柳瀬が歌ったり、作曲をするシーンがあり、集中を切れさせない試みがなされています。最後の歌も映画の内容に即していて深みを与えるものでしたし、とにかく音楽の使い方が抜群でした。音楽×映画の祭典「MOOSIC LAB 2018」で高評価を受けたのもうなずける楽しさです。




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・後半~「言葉」と「記号」と「音楽」~



しかし、那沙が「レンタル君」の記事を書いていることが柳瀬にばれ、そこから物語は一気に不穏な展開に。那沙は柳瀬と会わなくなり、反対に珠希は音楽を通じて、柳瀬との距離をどんどん詰めていきます。しまいには、那沙と珠希の間で、好きだ好きじゃないの言い争いにまで発展。女性って怖いと思わざるをえないほど、二人は声を上げて喧嘩します。ここから、物語はある二つのキーワードによって動かされていきます。それは「言葉」と「記号」です。




言葉は記号のようで記号じゃない。受け手によって解釈が変わる
(劇中より抜粋)




そもそも、言葉とは、記号とは一体何なのでしょうか。言葉は実体のないものに形を与える手段、もしくはある程度の共通認識を持たせる方法だと私は考えています。雨が降っておらず、雲一つない空。私たちはこの状況に「晴れ」という言葉をつけて、理解することを試みます。赤く丸い果実を「リンゴ」という言葉で表すことで、私たちの頭には共通のイメージが浮かびます。


また、記号とは手元にある電子辞書によると「一定の事象や内容を代理・代行して指し示す働きを持つ知覚可能な対象」とあります。赤い丸に白い太線が入ったものが「車両進入禁止」を表すといった感じですね。記号には広い意味では言葉も含まれるそうですが(そりゃそうだ)、この映画では印や標識といった狭い意味で使われていると思われます。そして、その意味は常に一定です。


そして、この二つの違いは使用する感覚の違いだと私は思います。言葉は何かに書かれていない限り、音声的なもので、使用する感覚は聴覚です。一方、狭い意味での記号は目に見えるもので、使用する感覚は視覚。この映画では「言葉と音楽は似ている」と言われていましたが、これも音楽が自然の音に音符という言葉を与えて、誰でも分かるようにしているからでしょう。音楽も使用する感覚は聴覚ですしね。


ただ、言葉と音楽にも違いがあります。音楽では「ド」と言ったら「ド」の音のみを指します。意味は一つに限定されてしまいます。柳瀬と珠希は音楽を通して繋がっていましたが、それは一面的な繋がりとしか言えないと私は考えます。柳瀬は「いつも誰かを演じている気がしていた。それが必要とされるのが『レンタル友達』だった」と劇中で言っていましたが、その「いつも演じている誰か」という一面しか珠希は見ることができなかったのではないでしょうか。


しかし、人間とはもっと多面的なものです。ここで、「言葉」で繋がっていた那沙と柳瀬の関係性が生きてきます。言葉は、例えば一口に「晴れ」と言っても受け手の印象は様々。春のうららかな晴れを思い浮かべる人も、夏の照り付けるような晴れを思い浮かべる人もいるでしょう。言葉は多面的で、人間も多面的。那沙は「言葉」を通して、柳瀬の多面性を垣間見たのだと思います。現に那沙は好きな人の前じゃ絶対に言えないことも、柳瀬には吐露していますし、柳瀬も「レンタル友達」ではない柳瀬自身の話を那沙にはしているわけですしね。二人とも違う一面を見せているというのは、この映画の大きなポイントだと感じました。




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ただ、解釈が無限大だと収拾がつかないので、一応言葉は辞書によって定義されています。たとえば、「友情」を手元の電子辞書で引くと、

友達の間の親愛の情。友人の間の情け。友達のよしみ。


とあります。じゃあ「友達」ってなんやねんと。これも電子辞書では

一緒に勉強したり仕事をしたり遊んだりして親しく関わる人。

とあります。まあどの程度からが「親しく」といえるラインなのかは分かりませんが、一応はこのように説明されています。


でも、やはり言葉は受け手によって解釈が変わるもの。よく話す人のことを「友達」という人もいれば、一緒に遊ぶ人のことを「友達」という人もいるでしょう。互いの家に行く間柄でないと「友達」とは言えないという人もいるかもしれません。つまりは、関係性は一定でも人によって「友達」であるか「友達」でないかは異なるということです。先にあるのは関係性で、後から言葉がついてくるだけなのです。


よって、人と人との関係性は容易く言語化できるものではありません。それこそ言葉にできない「ナニカ」なのです。この映画の最後に那沙と柳瀬はキスをしています。が、付き合うかと言われたら「絶対付き合わない」。友達でも恋人でもない関係は、「ナニカ」そのものです。恋愛感情を飛び越えた「ナニカ」に二人は向かおうとしています


ただ、私たちはそんな二人の関係性に、言葉でもって形を与えることができます。「恋人」と言ってしまえば恋人ですし、「友達」と言ってしまえば友達です。ある男女の関係性に「友達」という言葉をあてはめれば、そこには友達の間の親愛の情である「友情」が存在し、成立していることになります。


よって、「男女間での友情は成立するのか?」。この問いに、『月極オトコトモダチ』は明確に「YES」という答えを出したと私は考えました。さっぱりとした気持ちいい終わり方ですね。後味も爽やかでとても面白い映画でした。穐山監督の次回作が楽しみです。




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以上で感想は終了となります。『月極オトコトモダチ』、ぜひ観てほしいください!と言いたいところなんですが、もう2館でしかやってないんですよね…。円盤化の予定も配信の予定もないみたいですし...。とりあえずは穐山監督の次回作待ちですかね。どんどん名を上げていって、いつかより多くの人に観てもらえたら嬉しいですね。陰ながら応援しています。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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