こんにちは。これです。公開初日に映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』を観てきました。京アニも含めて普段アニメはそんなに見ないのですが、この作品は見ておかないとと強く感じたんですよね。なので、珍しくNetflixでアニメを全部見てから映画館へと向かいました。原作にまでは手が回りませんでしたが、喪失からの再生を描いていていい作品だと感じました。少しだけ泣きました。


そして、今回のブログはその『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の外伝の感想です。拙い文章ですが、よろしくお願いします。


まず、公開されたことに最大限の感謝を込めて。ありがとうございます。




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―あらすじ―

……大切なものを守るのと引き換えに僕は、僕の未来を売り払ったんだ。

良家の子女のみが通うことを許される女学校。
父親と「契約」を交わしたイザベラ・ヨークにとって、
白椿が咲き誇る美しいこの場所は牢獄そのもので……。

未来への希望や期待を失っていたイザベラの前に現れたのは、
教育係として雇われたヴァイオレット・エヴァーガーデンだった。

(映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。













金曜日のレイトショー。普段なら観客はまばらで、10人を切ることも少なくない時間帯です。しかし、この日は200席のスクリーンに、ほとんど満員の観客が押しかけていました。隣も、そのまた隣も、人。19:40からの開始で、仕事終わりに来やすい時間帯ということもありますが、それだけではないでしょう。ワイワイ話し声が聞こえていましたが、多くの人が渇望していたのは間違いありません。


劇場内が暗くなって、やっぱり劇場アニメの予告編が流れた後に、スクリーンに映し出されたのは京都アニメーションのロゴ。その瞬間、劇場の空気が一気に引き締まったような感じがしました。誰もが固唾を飲んで見守っているような。佇まいを正したような。隣の人の鼻息も聞こえてきそうなくらいの静寂でした。


ぱっと画面に映ったのは、青い空を飛ぶ鳥。空に伸びる薄橙の手。水面は光を反射しながら揺れている。本編でも輝きを放っていた繊細な作画は映画でも健在で、日光が入り込む校舎や、花々の艶、透き通った青い空が、私を包みました。それは現実離れしているようで、でもどこかで見た景色のようで。映画館の大スクリーンに、しっかりと映えています。私は後ろから3列目にいたので、スクリーンが遠かったのですが、前で見ている人は、目の前で起こっていることを受け止められないほど味わえているのだと、羨ましくなりました。




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イザベラはお嬢様学校に通う女学生。大富豪であるヨーク家の一員でしたが、どこにも行けないと現況を嘆いています。そこにやってきたのがヴァイオレット。3か月後の舞踏会に向けて、イザベラの教育係を務めます。完全にドールとしての役割を超越していますが、王家からの依頼なので仕方ない。ヴァイオレットに最初はキツイ態度を取りますが、この後デレるであろうことが分かっていると、微笑ましく観られます。


ヴァイオレットはイザベラの侍女として学校にも通います。ただ、イザベラを超えてヴァイオレットは大人気。「騎士姫」なんて呼ばれて羨望の的になっていました。このイザベラ視点からのヴァイオレットはとにかく完璧な存在で、「あなたを見ていると自分が惨めになる」と言うほど何でもこなします。このお嬢様学校には、白い椿が咲いていました。白い椿には「完全なる美しさ」や「申し分のない魅力」といったかなりオーバーな花言葉があるそうですが、これはお嬢様学校に通う生徒に求められるものであり、イザベラから見たヴァイオレットの印象でもあるのかなと感じました。


また、この二人は対照的な存在でもあると思います。イザベラには何もなく、ヴァイオレットには全てがある(とイザベラは見ている)。イザベラの「あなた今とても恵まれてる」という言葉は、本編を見た後だととても残酷な言葉に思えました。最たるものは、イザベラが捨てられていたテイラーを拾って親代わりになったのに対し、ヴァイオレットには親がいないことでしょう。イザベラとテイラーが、二人で貧しいながらも健気に暮らす。肩を寄せ合った雪だるまが二人のようで印象的でした。


しかし、物語が進むにつれ、イザベラはヴァイオレットにテイラーのことも含めて心情を吐露し、ヴァイオレットも自分が孤児であることを明かします。イザベラはヴァイオレットとの距離を縮めていき、友達であると認識。一緒にお風呂に入ったり、添い寝をしたりと強い百合を感じ、胸が躍りました。思えば本編では、同年代の女性からの依頼はルクリアぐらいしかなかったので、この展開は今までにないものですね。


特に素晴らしかったのが舞踏会でのダンスシーンでしたね。タキシードにも似た白い衣装を着たヴァイオレットは本当に端正で麗しかった。ダンスも手を取り合って、優雅に回る姿にときめきます。本当にいいものをどうも有難うございました。


舞踏会も終わり、ヴァイオレットの任期も終了。CH郵便社に戻る夜が訪れます。ヴァイオレットの本業がドールであることを思い出したイザベラは、ヴァイオレットに代筆を頼みます。宛先はテイラー。差出人は元の名前であるエイミー・バートレット。手紙の内容は一応伏せておきますが、ここでもイザベラとヴァイオレットが対になっていますね。元の名前と新たに与えられた名前という側面で。あらゆる面で対になるイザベラの視点から描くことで、成長したヴァイオレットを見せるという意図が、この第1話にはあったように感じます。その対照的な二人の交流がまたいいんですよね。着地点も胸に沁みるもので、鼻をすする音がいくつか聞こえました。


そして、タイトルが出て第1話は終了。え、終わっちゃったよ、どうすんの?とも思いましたが、そのあとすぐに第2話が開始されました。




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第2話の舞台は、戦争が終結してから4年が経ったライデン。ガス灯は電気灯に変わりつつあり、電波塔の工事も始まっています。思えば、第1話から大鉄橋を電車が走ったり、ヴァイオレットが今までの代筆を語るなど、本編終了後を思わせる描写はいくつかありましたが、明確に時間が経ったことが決定づけられましたね。となると、CH郵便社の面々も少しずつ変わっているわけで。ホッジンズは少し老けて、エリカは髪が少し伸び。でも、一番変わったのはアイリスでしたよね。髪を下ろしたその見慣れない姿に一瞬、誰この人?と戸惑いました。


そして、時代が進むにつれて価値観も変化してきているわけで。その象徴がルクリアでしたよね。結婚相手を連れていて。でも、結婚をしてからもドールの仕事は続ける。それは、かつての結婚して退職するというドールの花道からは外れています。時代の波がにわかに押し寄せてきていますね。ここで、ヴァイオレットは自分の花道を答えられずじまい。まあこの問題は次の映画に持ち越しになるのでしょうね。


それはそれとして、第2話はライデンを訪れたテイラーの視点から始まります。テイラーはなにかあったら自分を訪ねなさいというヴァイオレットの手紙を基に、CH郵便社を単身訪れます。エイミーからの手紙を自分に届けてくれたベネディクトに憧れて、配達員になることを希望するテイラー。ベネディクトのもとで働き始めます。


この第2話の特徴はベネディクトにスポットライトが当たっていることですよね。本編ではあまり描かれなかった配達員の仕事の様子が描かれています。テイラーが郵便を届ける様子は『魔女の宅急便』を彷彿とさせますし、ベネディクトを師匠と呼んで尊敬する姿がとても可愛らしい。大人の男と少女の組み合わせの妙はここでも発揮されていました。


それに、ベネディクトは第2話の最初で、配達員の仕事を「毎日同じでつまらない仕事」と語っていましたが、そんな仕事の中でも誰かを救っていたというのがまたいいんですよね。いくらドールが丁寧な手紙を書いても、届かなかったら意味がないですからね。「届かなくていい手紙なんてない」という言葉が、より重要性を帯びてきますし。新鮮さを持たせる意味でも、この違った視点からの物語は奏功していたと感じました。


また、ヴァイオレットもテイラーと一緒に配達をしたり、テイラーに文字を教えます。この映画全編でヴァイオレットは見守る立場にいて、そちらも新鮮でした。エレベーターにテイラーと一緒に戸惑うシーンは可愛かったですけど。


それに、仕事をしたいと頼むテイラーに、本編1話のヴァイオレットが重ねられていることからして、イザベラとは違い、テイラーがかつてのヴァイオレットと同質の存在であることは明白でしょう。テイラーもヴァイオレットと同様に捨てられて、親しい人との別離を経験していますからね。でも、ヴァイオレットは本編+4年の経験を経て成長したわけで。テイラーに向ける母親のような視線はとても暖かなものでした。第1話とは違った視点ですが、こちらも同じくヴァイオレットの成長を描いていますね。


ですが、この映画はあくまでイザベラとテイラー二人の物語です。抗えない事情から離れ離れになってしまった二人。お互いを思う健気な感情がスッとしみこみます。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の多くのキャラクターは花の名前を冠していますが、それは二人も同様です。


二人のファミリーネームはバートレット。これは洋梨のことです。梨の花言葉はズバリ「愛情」。この物語の大きな一つのテーマそのものですね。それと、梨を使った言葉には「梨の礫」というものがあります。これは「返事がないこと。便りがないこと」という意味で、まさにイザベラとテイラーの関係そのものではないでしょうか。便りもなく断絶された二人を繋いだものが愛情である。言葉にすればクサいですが、実に感動的な物語だったと思います。悲しい話ですが、希望が持てるラストも良かったですね。青空が映えてました。




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スクリーンにはエンドロールが流れています。黒い画面に白抜きの一文字一文字が、彼ら彼女らの生きた証であり、作品が命の結晶であることを思い知らされました。エンドロール中に席を立つ人は皆無。きっと誰もが目に焼き付けようとしていたのでしょうね。


そして、エンドロールが終わると、完結編であろう映画の予告が流れました。「世の中変わっていく、でも変わらないものもある」というホッジンズのナレーション。変化に抗う昔ながらの者たちというのは私の大好物なので、期待は否が応にも高まります。最後にはデカデカと「鋭意制作中」の文字が。本来だったらここに1.10公開と入っていたことを思うと、悲しいやら、でも作られているんだという安堵やら、様々な感情が混ざって複雑な気分でした。


さらに、その下にはキャラクターの2番目にギルベルト・ブーゲンビリアと記されています。正直、この外伝に関して不満がないわけではなかったんですよ。ヴァイオレットの心理描写が少なすぎるって。本編や番外編と同じぐらいの描写を期待して向かったのに、あまりなくて肩透かしを喰らい、え?これで終わり?という思いもしました。でも、いつかやる次の映画では、今回あえて描かなかった分たっぷり描いてくれそうで楽しみです。


そう考えると、この外伝自体が次の映画の溜めであり、フリなのかもしれないですね。外伝は本編と次の映画の橋渡しという位置づけで、ヴァイオレットの成長を描いたことで、次の映画であるであろうかつてのヴァイオレットととの対比が鮮明になるかもしれない。なので、面白かったしよかったんですけど、次の映画を観るまでは完全な評価は、私にはできないですね。今は次作が無事に制作され、公開されることを祈っています。そうしたらまた観に行くので。それまでこのブログが続いているかどうかは分かりませんが、待ち続けたいと思います。




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以上で感想は終了となります。映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』。クオリティの高さは文句のつけようがない作品なので、ぜひとも映画館でご覧ください。リアルな話、映画を観てお金を落とすことが京アニの再建につながるのでそういった意味でもお願いします。私も公開期間中にもう一回ぐらいは観に行きたいと思います。


お読みいただきありがとうございました。




参考:

映画『ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』公式サイト
http://www.violet-evergarden.jp/sidestory/

花言葉-由来
https://hananokotoba.com/




おしまい





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