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the pillows(以下、ピロウズ)を聴く人とは、どんな人なのだろう。街を見渡しても、どの店に入ってもピロウズが流れているのを聴いたことがない。周囲に聞いても多くの人がピロウズの名前なんて知らないし、知っていたとしても数曲聴いたことがあるというくらいだ。もしかしたら、ピロウズを聴いているのは自分だけではないか。理解者はなかなか見当たらず、世界に一人だけ生きている、そんなペナルティの最中にいるような気さえしてくるのだ。


ただ、一度ライブに行けば、そこにはピロウズのTシャツを着た大勢のバスターズ(ピロウズファンの別称)がいる。あちこちにまだ隠れてる私と同じような人間がいる。多くが手を掲げ、バスター君のリストバンドもよく見られる。手拍子はリズムのない旋律で、演奏は姿を変えて、ここではないどこかに連れ出しにくるモンスターとなる。多幸感に包まれ、この世の果てまでさえいけると本気で思う。


ピロウズは今年、30周年を迎える。バンドが30年続くことの価値は、カーニバルの光よりもまばゆい。私は7年ほどしか知らないが、本人たちからしてみれば紆余曲折がありながらも、体感的にはあっという間で、目が覚めたら30年が経っていたという心地なのだろうか。いずれにせよ、とてもめでたいことだ。そして、同じ時代を生き、節目を感じることが出来て、本当に幸せである。月並みな言葉だが出会えてよかったなと思う。


30周年ということで、ピロウズでは様々なアニバーサリーイベントが企画されていた。その中の一つがオリジナルの劇映画の制作だ。タイトルは『王様になれ』。ミュージシャンが、ドキュメンタリー映画を作ることはままあるが、バンドの歴史をなぞらないオリジナルストーリーというのはあまりないように思える。近年は『小さな恋のうた』や『雪の華』など曲をモチーフにした映画は制作されているものの、バンド自体をモチーフにした劇映画は記憶にない。バスターズとして、これは見逃すことが出来ないだろう。前人未到の宝島へのチケットを握りしめ、公開初日に映画館へと向かった。




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映画が始まると、最初のモノローグでいきなり心を掴まれた。『王様になれ』はピロウズを見なくても、ままならない現実に対抗する青年の物語として、十分に楽しめるが、ピロウズを知っていると知っていないとでは味わいが段違いだ。アルバムを全部聴けとは言わないが、サウンドトラックに収録されている曲は抑えておいたほうがいいだろう。自分以外の足跡のない無人島に漂着しないためにも。


主人公の神津祐介は叔父のラーメン屋でアルバイトをしている。ただ、本業はカメラマンのサブアシスタントだ。スタジオでカメラに触らせてもらえることはない。雑誌の表紙を撮るような同期の西小路にはえげつない差をつけられている。ラーメン屋は自分にはそぐわないが、スタジオには自分の居場所がない。まさに、どこにいてもミスキャストだ。この祐介の姿が評価されなかった(と聞いている)第一期、第二期ピロウズと重なるのは意図的なことだろう。


そんな祐介を演じたのは、岡山天音さん。適度に垂れ下がった眉と、自信のなさそうな挙動が燻っている感をダイレクトに表現している。言うならばローファイボーイといった風体だろうか。プライドを隠し持ってはいるけれど、臆病に支配されてしまって、見せびらかすことが出来ていない。その様子がプラスチックの涙を砕くアイスピックのように胸に刺さった。


祐介はラーメン屋で藤沢ユカリを見つける。まさに一目ぼれといった感じで、祐介はコップから水がこぼれているのに気づかない。彼女を演じたのは後東ようこさん。まっすぐな瞳と飾らない明るさは、ファイターガールを思わせる。しかし、彼女も傷になったトラブルを抱えていて、気丈に振る舞っていたのだと気づかされる。そうなってからの青い芥子の花びらのような儚さも、また素晴らしいものだったように思う。


祐介はユカリのバスター君Tシャツで、ピロウズを知り、すぐさまライブに行っている。ユカリが一緒とはいえ特筆すべき行動力だ。そのライブで演奏されたのは「LITTLE BUSTERS」。いきなりライブの定番であるこの曲を投下され、私の涙腺はいきなり壊れた。予告でも感じたが、「色褪せないキッドナップミュージック」がエグい。辛くはないが、靄のように頭の中を埋め尽くす現実から、何度も連れ出されたときのことを思うと、涙が伝って頬を濡らすのだ。普段はロボットのように冷たいのに。


そこから祐介はピロウズにどんどんはまっていく。ユカリが貸した数枚のアルバムからのめりこみ始め、冷蔵庫にはステッカーを貼り、壁はポスターで埋め尽くされる。真鍋さんのことをpeeちゃんと呼んだり、さわおさんのギターについてもにょもにょ言ったり、さわおさんの別バンドであるCasablancaまで見に行くという3倍速のはまりっぷりだ。ユカリもピロウズの話しできる人を見つけることができ嬉しそうで、「祐介くんの第二期がここから始まるんだね」というエモいセリフも言ってのける。ピロウズを語れる人間が周囲にはいない私にとっては羨ましい限りだ。


しかし、祐介は粗相をしたことでスタジオをクビになってしまう。頼み込んでライブカメラマンの虻川に弟子入りするが、ここでもやはり評価されない。輝いている同期にも嫉妬を募らせ、上手くいかないことが続いて気が狂いそうになっている。というか狂って叫んでいる。そんな物語を彩るのはやはりピロウズの音楽だ。













祐介がピロウズにはまっていくシーンで、名曲たちをつるべ打ちにするのはテンションが上がり、挿入歌としての使い方も抜群だ。特に祐介の歌いだしから始まる××は、それまでの過程もあって大粒の涙を流した。また、物語と歌詞のリンクもしっかりしていて、終盤のカタルシスは半端ではない。映画のキャラクターだけではなく、映画を見ている私たちをも肯定するかのような歌詞に、強く胸を打たれた。


さらに、バンド発の映画とだけあって曲が流れている時間が長い。1番だけかと思いきや平気で2番、なんなら最後まで演奏する。曲が演奏されている間は物語が止まる。そのような心配もなく、虻川の顔見せをしたり、祐介の失敗を描いたりと描写がしっかり重ねられているので退屈なく見ることが出来る。それに、これはバスターズへのご褒美だと考えるほうが妥当だろう。


それは、さまざまなミュージシャンが出演したり、ピロウズの曲をカバーしていることにも表れている。ストレイテナーのホリエさんが「ストレンジ カメレオン」を歌い、GLAYのTERUさんとJIROさんが「スケアクロウ」を披露する。どちらもこの映画のテーマに合っていて、言うに及ばず素晴らしいが、輪をかけて感動したのは、シュリスペイロフの宮本さんが歌う××だ。宮本さんの気怠さがあり、諦めを纏った歌声が××によく合うのだ。さらに、歌詞もこの上なく映画にはまっている。これはサウンドトラックには収録されていないので、映画館でしか聴くことが出来ない。ぜひ聴いてほしい。


大勢のミュージシャンが出演するこの映画は、観るトリビュートといっても過言ではない。20名以上のミュージシャンたちが集まったというその事実だけで、暖かい愛を感じるのだ。そして、その主役たるピロウズはどうだろう。真鍋さんとシンイチロウさんはそれほどセリフがなかったが、さわおさんだ。率直に言って怖い。お決りのネタでクレームをつけたり、声を荒げたりする様子は、赤いコウモリのようだ。もちろん自分の信念に基づいてのものなのだが、怒髪天の増子さんによると、あれが普段のさわおさんそのままらしい。確かにユカリのように拒絶反応を示したくもなる。ああいう人周りにいなくてよかった。憧れは憧れのままでいい。




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映画が終わった。ボロボロ泣いて喉仏にまで、乾いた涙が筋になっている。とてもいい映画だった。観てよかった。また観たい。


ところで、ピロウズを聴く人とは、どんな人なのだろう。


それは、この映画の言葉を借りれば「不完全」な人になるだろうか。何かが欠けたかけらだ。あるはずのない出口を探す毎日を生きる人たち。それがピロウズを聴く人たちなのだろう。それは、まるで周りの色に馴染まない出来損ないのカメレオンそのものではないか。


昔も今も、私は「ストレンジカメレオン」だ。人と喋ることが出来ない。話すことも聞くことも、私の頭では処理が追い付かず、真っ白になってしまうのだ。なんて頭が悪いのだろう。その頭の悪さゆえに、周囲にうまく合わせることが出来ずに浮いてしまう。ハゲタカにでも目をつけられて連れ去られ、鋭い嘴で柔らかい皮膚から内臓を抉り出されてしまいそうだ。


ただ、「ストレンジカメレオン」では、こうも歌われている。「拍手は一人分でいいのさ」と。ピロウズの音楽は大勢には届かないかもしれない。拍手をするのは私一人かもしれない。でも、一人じゃない。一人じゃないのだ。一人分の拍手がいくつも積み重なった結果が、ライブハウスでの多幸感であり、ピロウズの30年でもあると私は信じたい。神様よりも。












そして、タイトルの『王様になれ』。現実は厳しく、ままならない。崖っぷちを踏み外しそうになるし、風の強さに吹き飛ばされそうにもなる。自分の本心を変えなければならないことだってしばしばだ。自分のやりたかったことなんて、胸の奥に封印されてしまう。


でも、深層心理は何を願うだろう。


心の声は無口にならないし、耳を塞ぐことなんてできない。私たちは心の声を封殺してまで、誰かになりたいのだろうか。それよりもか弱い自分を今より信じたいのではないか。自由自在で気分次第な自分の心の声に従って、道なき道を、踵を鳴らして進むことはできないだろうか。自分を信じること、それが「王様になる」ということではないかと、私はこの映画を観て感じた。全くもって普遍的なメッセージである。


何も自分を抑圧しているのはバスターズだけではない。他の多くの人たちも顔色を窺って、自分を隠して生きているように私は思える。そもそも完全な人間なんていないし、誰しもが不完全なのだから、皆ピロウズを聴いてこの映画を観るべきなのだ


『王様になれ』で、印象に残ったセリフがある。虻川の「アイツ(祐介)を雑に扱えない」というセリフだ。私はここにオクイ監督の計り知れない優しさを感じた。不完全な祐介を無下にしないということは、不完全な私たちをも無下にしないということでもある。観る人、バスターズ、いや世の中すべての人間を肯定する。なんとも優しい態度ではないだろうか。その優しさに気づいたとき、私は何度目かもわからない涙を流した。


私たちの人生もいつかは終わってしまう。映画みたいに。100通り、いやそれ以上のターミナルまでドライブの途中だ。誰もを肯定するというオクイ監督の取り組みは、そのまま人生を、生を肯定するものでもあるのだ。


だから、生き延びよう。


辛くても、悲しくても。


悪夢を蹴散らす歌を歌いながら。


きっと先入観でくすんだ未来図も塗り替わる。


王様になれ。




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おしまい





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