こんにちは。これです。今回のブログも映画感想になります。


今回観た映画は『HELLO WORLD』。『劇場版ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』の伊藤智彦さんが監督を務め、『正解するカド』の野﨑まどさんが脚本、『けいおん!』の堀口悠紀子さんがキャラクターデザインを手がけたアニメ映画です。まあ私はいずれも見てないんですけど、前評判が結構良かったので、観に行ってきました。よかったですよ。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キャスト、大きなネタバレをしない程度にストーリーについて
・想像力が武器となる
・無から有を生み出すことができるのが人間の良さ





―あらすじ―

「お前は今日から三か月後、一行瑠璃と恋人同士になる」


京都に暮らす内気な男子高校生・直実(北村匠海)の前に、10年後の未来から来た自分を名乗る青年・ナオミ(松坂桃李)が突然現れる。
ナオミによれば、同級生の瑠璃(浜辺美波)は直実と結ばれるが、その後事故によって命を落としてしまうと言う。
「頼む、力を貸してくれ。」彼女を救う為、大人になった自分自身を「先生」と呼ぶ、奇妙なバディが誕生する。
しかしその中で直実は、瑠璃に迫る運命、ナオミの真の目的、そしてこの現実世界に隠された大いなる秘密を知ることになる。


世界がひっくり返る、新機軸のハイスピードSF青春ラブストーリー。

たとえ世界が壊れても、もう一度、君に会いたい――

(映画『HELLO WORLD』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。








※ここからの内容は映画のネタバレを多少含みます。ご注意ください。









・キャスト、大きなネタバレをしない程度にストーリーについて


この映画の主人公、堅書直実は内気で冴えない高校生。自分を主張できず、肩身の狭い学生生活を送っています。「自分を持とう!」といったありがちな自己啓発本に書かれていることを、何一つ実行できないというヘタレっぷり。彼を演じたのは北村匠海さん。思っていたよりも、気弱な高校生にハマっていましたね。ナオミに左右されやすさとか特に。このあたりは『君の膵臓を食べたい』(以下『キミスイ』)の経験が生きているように感じられました。


直実は図書室で本を借りますが、カラスに直撃され、本を奪われてしまいます。このカラス、足が3本あるので多分八咫烏だと思います。サッカー日本代表のシンボルなので、サッカーが好きな人にはピンときそう。伏見稲荷大社の千本鳥居で、カラスは本を落とします。そこに登場したのが、白いフードを被った謎の男。直実は逃げますが、謎の男につかまってしまいます。


フードを剥いだ男の正体は、10年後のカタガキナオミ。彼は、直実に彼女を作るためにやってきました。彼を演じたのは松坂桃李さん。クールな声がそのまま大人になったナオミを表していましたね。顔もイケメンなのに、声もイケメンってズルいですよね。十年生きている先輩とだけあって、直実と比べると貫禄が感じられます。


その直美の彼女となる予定なのは一行瑠璃というクール系女子。彼女は確固たる自分を持っていて、ふわふわしている直実とは正反対のキャラクターです。彼女を演じたのは浜辺美波さん。『キミスイ』では、天真爛漫なイメージでしたが、この映画では一転して落ち着いた演技をしていましたね。アニメ調にデフォルメされたキャラデザとのギャップが、瑠璃のクール感を引き立てていました。クラスの人気者で、めっちゃアニメ調の勘解由小路(CV.福原遥さん)との対比もよかったと思います。




ナオミがこの世界に来た理由。それは、3か月後に雷に打たれて昏睡状態に陥ってしまう瑠璃を救うためでした。さらに、彼は直美のいる世界が、外の世界でのデータに過ぎないことも明かします。この映画はCGで描かれており、動きはだいぶぎこちないと言わざるを得ません。これがデータの世界を表現していたのか、単に技術的な問題かは分かりませんが、前者なら凄いですね。


直美の世界は、外の世界のシミュレーター・アルタラの中に保存された世界で、アルタラには他にも何兆ものデータがあると言います。もう一度瑠璃が笑うところを見たいと、外の世界からやってきたナオミですが、アバターであるため直美の世界には干渉できず、直実に行動を委ねることになります。


ただ、無策ではありません。瑠璃を救うために、ナオミは主に二つの手立てを用意します。一つは、直美がこれから取るべき行動が書かれた最強マニュアルというノート。もう一つが、物質を生み出すことができる神の手・グッドデザインです(このネーミングもうちょい何とかならなかったのか)。先の八咫烏が直美の右手となり、地面に手を置くことで物質を生成するという中二感の極致のような能力でしたね。


この二つを基に、瑠璃と距離を縮めていく直実。二人が図書委員であるという設定は『キミスイ』をどうしても思い出して、少しニヤリとしてしまいます。一方でちゃんとしたラブコメにもなっているので、この辺りは難しく考えず観られると思います。古本市のエピソードは甘酸っぱくていいですしね。やってやりましょう。やってみましょう。


7月3日。直実と瑠璃の二人は因縁の花火大会に向かいます。と、ここからの展開はネタバレになるので伏せますが、ここからのアニメーションがまたいいんですよね。グッドデザインで物を出すときには、極彩色のエフェクトが出て画面が華やぎます。さらに、目まぐるしく画面が入れ替わる観念的な演出を経てからの、後半の動きっぷり。前半で労力を温存していた分、メチャクチャ動くのでここは是非とも楽しみにしていただきたいところです。歩道橋のシーンが個人的には好きです。あと、あのうじゃうじゃした手も。




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・想像力が武器となる



この物語でのナオミの目的、それは瑠璃を雷から救うことでした。これはいわば、死→生へと向かわせる取り組みです。そのために最強マニュアルを用いて、直実を導きます。それは二人が出会うシーンからすでに表れていたと感じます。


直実は八咫烏を追って、伏見稲荷大社の千本鳥居を登っていっていました。ここ赤い鳥居が幻想的なシーンだったのですが、実は千本鳥居って現世から幽界へと向かう道なんですよね。幽界とはつまりあの世です。つまり、ここで直実は死に向かっていたということが推測されます。つまり、この映画では「上る」=「死」であると言えると思います。そういえば屋上のシーンも多かったっけな。


しかし、このままいけば死んでいた直実ですが、ナオミと出会って引き返しているんですよね。ナオミと出会った時点で、データの改ざんは始まっており、アルタラの自動修復プログラムに反応されてしまいます。この自動修復プログラム、狐面を被っているんですよね。言うまでもなく稲荷神社とは狐を祀る神社じゃないですか。データーを改ざんするナオミに対し、お稲荷様が怒ったのがあの不気味な自動修復プログラムだと思います。その怒りは凄まじいものがありましたね。


しかし、狐面に屈していては目的が達成できないので、直実とナオミはこれに対抗します。この映画において、その対抗手段となっていたのは、ズバリ想像力です。




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この映画では、本、特に小説に代表されるフィクションが大きな役割を果たしていました。直実と瑠璃が恋人になれたのも、本を扱う図書委員という仕事のためですし、二人が距離を大きく縮めるエピソードとして、お互いの好きな本を語り合うというシーンがあります。瑠璃は冒険小説で、直実はSF小説だったかな。この両者に共通しているのって、どちらもフィクションであるということなんですよね。フィクションが二人を親しくしたのです。


『HELLO WORLD』はフィクションです。何を今更と思うかもしれませんが、これがこの映画を考えていく上で大きなカギになっていると思うんです。この映画のキーとなっていた装置・アルタラ。これは「ALCTALE」という綴りになっています。今、チラシを確認したので間違いありません。この後半の4文字「TALE」。どこかで見覚えがありませんか。「TALE」は、英語で「物語」という意味になります。アルタラには数えきれない「物語」が保存されています。それは膨大な蔵書を誇る図書館のようでもあり、何億もの人生が行き交う地球のようでもあり、何兆もの星が瞬く宇宙のようでもあります。


となると、直実と瑠璃のいる世界は数多の物語のうちの一つでしかなく、その世界ではナオミは臆病で、小説の主人公ではなくエキストラとしてしか存在していません。外の世界のアルタラは、狐面を生み出して直実に容赦なく襲い掛かります。それに対抗して直実は、グッドデザインで本を作り出します。そして、直接殴る紐をつけてぶん回すこの本とは想像力の象徴だと私は考えます。物理的に、視覚的に想像力が、外の世界への対抗手段となっていますが、ここには他の意味もあると思います。




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・無から有を生み出すことができるのが人間の良さ


「ALCTALE」の「ALC」の部分。これを私は「Alchemy」の略。日本語で言うと「錬金術」だと考えています。アルタラは物語を錬金する装置なのです。錬金術というと、無から有を生み出すみたいに考える方もいるかもしれませんが、実際の錬金術はどうも違うらしく。正しくは卑金属(鉄・アルミニウムなど)を貴金属(金・銀など)に変換する術のことを言うそうです。つまり、装置であり機械であるアルタラは1を100にすることはできても、0を1にすることはできないと。この映画では2027年、その先においてもそれは変わっていないと。


でも反対に、人間は無から有を、0から1を生み出すことができます。それは単に生殖機能という身体的なことではなく、ここで言及したいのは脳的なこと。つまり何もないところからストーリーを、フィクションを生み出す想像力です。想像力を働かせ、フィクションに基づいたストーリーをいくつも生み出すことのできる人間。その頭の中は小さな宇宙であり、閃きはその世界の宇宙開闢ビックバンのようです。


その想像力が具現化されたのが、グッドデザインですよね。このグッドデザイン、空気中の元素を集めて形にしているのかなとも思いましたが、金属は空気中に含まれていませんし、ブラックホールを作るにはどれだけの元素が必要かなんて想像もつきません。となると、無から有を生み出していると考えるのが妥当かと。これも想像力の産物ですよね。イメージして出来るので。想像力が形を経て、狐面を蹴散らす、データを書き換える。それはまるで、ままならない現実にフィクションの力を借りて対抗する人々のようでもありました。勝負の決め手もグッドデザインでしたし、この映画における想像力の強さは目を見張るものがありました。気持ちいいくらいに。


また、このグッドデザインは、八咫烏が変形した姿でもあります。八咫烏というのは、神武天皇の道案内をした伝説上の鳥。これに倣うように、この映画でも八咫烏は、ナオミとの出会いに代表されるように直実を導く役割を果たしていました。そして、それは瑠璃もそうでした。


瑠璃が持っていたしおり。あれも八咫烏の羽が姿を変えたものです。ほら、よく「旅のしおり」なんて言うじゃないですか。しおりには「案内書。手引き」という意味もあるそうで、この意味だとすると同じく八咫烏が瑠璃をも導いていたということになりそうです。しおりを拾おうとして、ラッキースケベからの引っ叩かれるというあのシーンは、無駄ではなかったのです。そして、八咫烏=グッドデザインなので、八咫烏もまたこの映画では、想像力の象徴になっているかと思います。想像力が二人を導いたのです。




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ここで面白いのが、この映画で登場した本がフィクションだけではないということなんですよね。自己啓発本や最強マニュアル。これらはフィクションではありません。そして、注目すべきはこれらが直実の役に立っていないということです。自己啓発本は言わずもがなですが、最強マニュアルもそうです。この最強マニュアルはナオミが書いたものですが、直実と瑠璃の距離が決定的に縮まったシーンって、最強マニュアルには載っていないシーンなんですよね。ここ、フィクションでない本は、この映画では役に立たないということを印象付けるのと同時に、直実が縛られるものから一瞬でも自由になったシーンでとてもいい展開だったと思います。


このシーンで、直実は自らのことを主人公ではなくエキストラと自嘲していました。しかし、『HELLO WORLD』はそんな直実が、自らが世界の、人生の主人公であるという主体性を獲得するまでの物語となっています。エンドロールに入る前の最後のシーン、あの展開は直実が自分が主人公でいられる場を見つけたという証明なのかもしれないですね。街を見下ろすシーンがとても清々しかったです。そして、それを為しえたのがフィクション、想像の力です。


しかし、現代はAIが小説を書き、フィクションを生み出せる時代となっています。おそらく2027年には、AIはもっと発達してより完成度の高いフィクションを生み出せるようになっていることでしょう。この無から有を生み出せるという人間の優位性がどんどんと失われて行っている現代だからこそ、『HELLO WORLD』は想像力を人間の持つかけがえのない武器として尊重したのではないでしょうか。それは、AI時代に対する人間の意地であり、反抗のようです。


私もこんなブログをやってるくらいフィクションが好きな人間なので、この姿勢には大きく賛同したいですね。フィクションを、想像力を侮るなよ、と。鮮やかなアニメーションと、入り組んだ展開もあって、私はこの映画のことが概ね好きです。「グッドデザイン」というネーミング以外は。



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以上で感想は終了となります。映画『HELLO WORLD』。前半のぎこちない動きに振り落とされさえしなければ、十分に楽しむことができる映画だと思います。個人的には好きですね。よろしければ映画館でご覧ください。


おしまい





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