こんにちは。これです。最近、肌寒くなってきましたね。もうTシャツ1枚ではだいぶ厳しく、秋の訪れを感じます。


まあそれとは関係なく、今回のブログも映画の感想です。今回観た映画は『おいしい家族』。『21世紀の女の子』にも参加したふくだももこ監督の初長編作品です。『21世紀の女の子』に参加した監督の作品はできる限り見ておきたいという思いがあり、また好きな松本穂香さんが主演しているということで、今回観に行ってきました。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―


・キャストなどについて
・私たちは色を持っている
・この映画におけるメイクの重要性について
・漂白できない色を背負って生きていく





―あらすじ―

銀座で働く橙花は、夫と別居中。
仕事もうまくいかず都会での生活に疲れ気味。
ちょうど母の三回忌を迎え、
船にゆられて故郷の離島へ帰ってきた。

すると、実家では父が、亡き妻の服を着て
おいしいごはんを作ってまっていた!

唖然とする橙花に追い打ちをかけるように、
見知らぬ居候が登場。
それはお調子者の中年男・和生と
生意気な女子高生・ダリア。

「父さん、
みんなで家族になろうと思う」

突然の父の報告に動揺する橙花とは裏腹に、
一切気にも留めない様子の弟・翠が加わり、
みんなで食卓を囲む羽目に…。
みんなちがってそれでいい。
のびのびと過ごす島の人々と、
橙花の暮らしがはじまった。



(映画『おいしい家族』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。










・キャストなどについて


『おいしい家族』で、主人公の橙花を演じたのは、ドラマ『この世界の片隅に』での好演が記憶に新しい松本穂香さんです。私は『アストラル・アブノーマル 鈴木さん』という映画を観て、松本さんいいなと思ったのですが、今回の松本さんもなかなかいい感じにやさぐれてました。仕事も結婚も上手く行かないというバックボーンからくるやりきれなさがよかったですし、酒に酔って道路で前転をしたり、犬の鳴きまねをしたりとまた新しい松本さんを見ることができました。でも、年下を見守ったり、父親の青治と向き合ったりという正統派の演技も見せていて、どちらも目いっぱい楽しめました。個人的には夕日に照らされて歩くシーンが一番好きですね。


また、橙花の父親である青治を演じたのは板尾創路さんです。突然「母さんになる」と言い出す突飛なキャラクターなのですが、とにかく、誰もを否定しない優しさがよかったですね。映画全体を見守るお父さんのようであり、お母さんのようでもある存在でした。でも、口調の端々に母親を失った悲しみを滲ませていて、胸にずしんと来るようなシーンもありました。こういう影を持っているんだけど、隠して振舞うみたいなキャラクター好きです。


他にも、同居人の和生を演じた浜野謙太さんは、いい感じに情けなくてよかったですし、橙花の弟の翠を演じた笠松将さんも、あっけらかんとした感じと橙花を諭すシーンのギャップが好きです。でも、嬉しかったのは和生の娘・ダリア役で、モトーラ世理奈さんが出演していたことですね。『少女邂逅』での神秘性がめっちゃ良くて好きな女優さんだったんですけど、『おいしい家族』では一転、ひとかどの女子高生を演じていて、こちらもかなり好感触だったんですよね。出で立ちだけで、悩みを抱えているのに説得力がありますし、大きな描写をしなくてもいいのは強みだと思います。ダンスシーンも良き。




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さて、橙花は東京で仕事も結婚も上手く行かず、苦労しています。そんな橙花が母親の三回忌で、離島の実家に帰ります。東京パートを本当に秒で終わらせて、すぐ島に行ったのは展開が早くて好きですね。弟が運転するトラックに載せられ、実家に帰ると、そこには母親の格好をした青治がいました。さらに、同居人の和生とその娘のダリアまでやってきます。和やかに食卓を囲む彼らでしたが、橙花だけ明らかに馴染めていません。戸惑う橙花に青治は告げます。「父さん、結婚しようと思う」「父さん、母さんになろうと思う」と。これに動揺した橙花は「認めない」と言って、思わず家を飛び出してしまいました。


『おいしい家族』で軸となっているのは、橙花と青治の和解です。橙花は青治に反発していたのですが、島の人たちとの交流や、青治の思いを知って徐々に態度を改めていきます。島の人たちはとても優しく、暖かく、そこはまるでこの世界にはない理想郷のようで。映画全体も暖かみに満ちていますし、観ていて橙花と同様に心が洗われるような心地がしました。主題歌を含め、音楽も明るいものが多く楽しく観られましたしね。


また、この映画って『おいしい家族』のタイトル通り、ご飯がとても美味しそうなんですよ。まず、橙花を除く鈴谷家がすき焼きをつつくシーンから始まり、わりと本格的なお弁当に、納豆ご飯やそうめん。手で食べるスリランカ料理は見た目の鮮やかさもあって食欲をそそりますし、ありふれたおはぎがとても美味しそうに見えるのは、何か魔法がかかっているからとしか思えない。あと、ビールをはじめとしたお酒も結構登場しますし、看板に偽りなしの飯テロっぷりでした。ぜひ、食事にも注目してご覧いただけたらと思います。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・私たちは色を持っている


『おいしい家族』には、色が名前についたキャラクターが登場します。主人公の橙花に始まり、父親の青治、弟のと鈴谷家は全員色の名前で統一されています。映画は色とりどりの口紅で始まっており、東京のレストランのシーンで、赤と白が対照的に用いられています。橙花は名前の通りオレンジの服を着て実家に帰ってきており、そこではかつて母親が着ていた紫の服を着た青治がいました。このように『おいしい家族』は、映画序盤から色というものを大いに印象付けてきているように感じます。


おそらく、人間は生まれたときには真白のキャンバスなんだと思います。そこに、経験という色が付けられ、その人固有の色になっていくのではないでしょうか。その色は彩度や濃淡の違いもあり、一人として同じ色はないのだと思います。


もしかしたらその色は、傍から見たらくすんでいたり、みっともなかったりするのかもしれません。実際、橙花は仕事がうまくいかず、結婚相手とも別居中で、自らのことを「できそこないの娘」だと称するぐらいのキャラクターです。また、青治にも妻との死別という過去があり、青治の結婚相手である和生も多くのものを失って島にやってきています。ダリアだって実の娘じゃないかもしれません。多くのキャラクターは、オークションに出しても何の値段もつかないような凡庸、あるいはそれ未満の色です。私たちの多くと同じように。


でも、『おいしい家族』では、キャラクターの誰もが否定されることはありません。告白して即フラれるキャラクターはいますが、根源的な否定はない。青治の母さんになるという宣言だって、橙花以外にはすんなり受け入れられていますし、橙花も私は認めないというだけで、青治を否定することはしていません。


和生は青治と結婚する理由を尋ねられた時に、「愛があればいいんじゃないかな」と語っていました。また、ダリアの同級生・瀧は本当の自分の姿を父親に見られてしまいますが、父親は「たった二人の親子なんだから」と、瀧を抱きしめます。自らを「できそこないの娘」と言った橙花に、青治は「生きてさえいればいい」と、存在自体を肯定します。世間の「普通」という理想から外れてしまった橙花のみならず、青治自身にも、そしてこの映画のキャラクター全てに向けられたとても優しい言葉のように感じました。





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・この映画におけるメイクの重要性について


『おいしい家族』で、橙花は銀座の化粧品売り場で働いています。さらに、メイクをするシーンがこの映画には多くあり、メイクが重要な要素になっていると考えられます。この映画におけるメイクというのは、顔というキャンバスに色を付けるという意味で、人生の縮図となっている行為だと私は感じました。はじめは橙花のメイクは否定されていますが、後半でこの橙花のメイクが人の役に立っているのが、この映画の良いところです。


このメイクで印象深いのが、ダリアの同級生・瀧のエピソードです。瀧は島に不満を感じていて、学校に来て、入り江に来ては「どこにも行けないと言われているみたい」と窮屈さを感じています。さらに、母さんになるという青治のことをおかしいと感じており、この点で橙花と一致しています。入り江ではしゃぐシーンは青春を感じましたね。松本穂香さんとあんなことができるなんて羨ましいぞこの野郎。


しかし、映画中盤になって、瀧は髪を栗色に染めて再登場します。本当の瀧はメイクが好きで、それを周囲に言えないでいました。ダリアと一緒にメイクをしあい、フリルのついた服を着て、スポットライトを浴びて踊るシーンは、清々しかったですが、ここで大事なのは本当の自分って、生まれたときの真白のキャンバスではないということなんですよ。それはメイクによって今よりもっと多くの色がついた自分で、引き算ではなく足し算なんですよね。大体、本当の自分を探すときって、余計なものをそぎ落としていくアプローチを取ることが多いので、その真逆を行っているのはとても面白ないと感じます。


そして、瀧にとってメイクによって色を足していくということは、経験を経て大人になるということでもあります。本人も早く大人になりたいと言っていましたし、その抑圧が彼をメイクに向かわせたのではないでしょうか。ただ、彼のメイクは間違っていてそれを修正するのが橙花なんですよね。ここで、橙花が瀧を大人へと導いていたとするのは私の考えすぎでしょうか。否定されていた橙花のメイクが、一人の少年の役に立つというとても暖かい気持ちになれる展開で、とても好きですね。


でも、メイクというのは落とすことのできるもので、瀧は大人になりたいと背伸びをしていました。それは現在の自分を認めることができないということ。その葛藤が瀧をああいった行為に及ばせたのだと思います。しかし、瀧の父親は背伸びをした瀧も、等身大の瀧も全部ひっくるめて肯定します。それは胸がすくようなシーンで、この映画の持つ優しさが大きく発揮されたシーンだと感じました。




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・漂白できない色を背負って生きていく



また、メイクとは少し違いますが、青治は亡くなった母親の服を着て、「母さんになろうと思う」と言っています。これは形から母さんになろうというアプローチです。そして、このアプローチは上手く行っていて。実際、「母さんの服を着てからおはぎがうまく作れるようになった」と青治は語っています。ここで、服を着るという行為も足し算であるならば、飾るという点でメイクや人生と似通っていると考えられます。


また、おはぎが多く登場したのも、単に三回忌というだけではない意味があると私は感じていて。終盤におはぎを作るシーンがあるんですけど、米の外にあんこやきな粉をつけて作っているんですよ。白い米があんこやきな粉といった服を着ていると考えれば、これもメイクや人生と同じなんですよね。つまり、あのおはぎは、青治とその妻の人生を表していたと。それがおいしいおいしいといって受け入れられるのには、なんか泣きそうになってしまいました。ここ撮り方もいいんですよね。すき焼きの時は遠くから遠くから撮っていたのに対し、終盤のおはぎのシーンでは、カメラが近くに寄っていて。暖かみを感じて好きです。


ただ、メイクは落とすことができますし、服は着替えることができます。おはぎも洗えば、あんこやきな粉はある程度落ちるでしょう。しかし、人生においてはそれは全く異なります。過去の経験を消し去ることができないのと同様に、一度ついてしまった色は漂白することはできません。もとの真白のキャンバスには戻れず、生まれ変わることなんてできないんです。所詮は自分の色を背負って生きていくしかない。どんなにみっともなくても。


映画の終盤。橙花は「お父さんがお母さんになったら、お父さんはどこへ行ってしまうの?」と青治に訪ねていました。ラストシーンの前、それに対する返答のように、青治は自らのことを「父さん」と呼んでいるんですよ。それは生まれ変わることなんてできないという現実を、改めて突き付けているようでした。でも、青治はそれを受け入れるんですよね。その後の結婚式のシーンでは、色とりどりの服を着た人々が青治と和生を祝福し、バックには綺麗な青色の海が。青治の服装も完全な白無垢ではなく、オレンジの着物を着ていますし、リセットはされていない。どんなにみっともなくても、今までの人生でついた色を肯定して、先に進むという非常に明るい終わり方でした。多くの人に受け入れられるいい映画だと思います。




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以上で感想は終了となります。映画『おいしい家族』。松本穂香さんが魅力的なのはもちろんのこと、観ていて暖かい気持ちになれる素敵な映画だと思います。機会があれば観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


おいしい家族
ふくだ ももこ
集英社
2019-09-26



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