こんにちは。これです。10月に入ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。まだ暑い日もあり秋はいつ来るのかという感じですね。


さて、今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『よこがお』。『淵に立つ』でカンヌ国際映画賞「ある視点」部門を受賞した深田晃司監督の最新作です。『淵に立つ』と同じく筒井真理子さんが主演ということで、期待も高まります。評判も上々なので、遅ればせながら観てきました。


で、観たところ全部は理解できなかったけど好きというのが最初の感想です。けっこう入り組んでいますよね。頭の悪い私には少し難しかったです。


では、それも含めて感想を書いていきたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。





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―目次―

・映画前半について~二つのパートを行き来して進行していく物語~
・映画後半について~明かされる衝撃の事実~
・行間が多い映画なので簡単に推測してみる





―あらすじ―

初めて訪れた美容院で、リサは「和道」という美容師を指名した。数日後、和道の自宅付近で待ち伏せ、偶然会ったふりをするリサ。近所だからと連絡先を交換し、和道を見送った彼女が戻ったのは、窓から向かいの彼の部屋が見える安アパートの一室だった――。リサは偽名で、彼女の本当の名前は市子。半年前までは訪問看護師として、その献身的な仕事ぶりで周囲から厚く信頼されていた。なかでも訪問先の大石家の長女・基子には、介護福祉士になるための勉強を見てやっていた。基子が市子に対して、憧れ以上の感情を抱いていたとは思いもせず――。

ある日、基子の妹・サキが行方不明になる。すぐに無事保護されるが、逮捕された犯人は意外な人物だった。この事件との関与を疑われた市子は、ねじまげられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活のすべてを失ってゆく。自らの運命に復讐するように、市子は“リサ”へと姿を変え、和道に近づいたのだった。果たして彼女が心に誓った復讐とは何なのか――。

(映画『よこがお』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。












※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







・映画前半について~二つのパートを行き来して進行していく物語~



この映画は、リサという女性が美容室を訪れるシーンから始まります。リサが指名したのは和道という美容師。髪を茶髪に染める傍ら、二人はお互いの仕事について何気ない会話を交わします。ここで、鏡に映ったリサの表情が印象的でしたね。ちなみに、この和道を演じたのは池松壮亮さん。これと言って特徴のない没個性な和道という人間に完全になっていて、ここまで個性消せるの凄いなと感じました。


そして、場面は転換し、大石家。ここでは訪問看護師の市子が老婆の介護をしていました。老婆はボケていながら煙草をスパスパ吸う豪傑ぶりを発揮。ここで、老婆の孫である基子が登場し、一緒に介護を行っています。この基子を演じたのは、市川実日子さんです。


『シン・ゴジラ』で個人的に一番ツボに入った好きな俳優さんなのですが、この映画でも輝いていましたね。表現力の怪物と言っても過言ではない筒井真理子さんに負けじと好演。この映画で市川さん演じる基子は青いジャージを着ることが多かったのですが、それプラス高身長も相まって凛々しさ、その一方で脆さも併せ持っていました。個人的に、一番好きなのは夜の公園でのシーンですね。あのシーン、市川さんの顔は暗くてほとんど見えていないんですが、それを補って有り余る演技を披露していました。


さて、再びリサのパート。リサは近所でばったり和道と会います。自らのマンションを教えるリサ。マンションの窓から覗き込むと、そこには基子を家に招く和道の姿が。犬の遠吠えに呼応してなぜかわんわん吠えるリサ。基子がその鳴き声に反応してベランダに出ると、窓の向こうには誰もいませんでした。リサはしゃがんで見えないようになっており、何らかの薬を飲んで寝ます。なお、この後リアルに四足歩行する筒井真理子さんをこの映画では見ることができます。エンドロールには四足歩行指導という謎の担当もクレジットされているほどの力の入れっぷりなので、ここはぜひご覧いただきたいですね。すごくレア。




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一方、市子は喫茶店で基子の看護師になるための勉強を手伝っています。そこには、基子の妹のサキも訪れて市子に勉強を教わっています(基子とサキけっこう歳離れてそうだけどそこは気にしない)。そこに市子の甥である辰男も登場。何やら大きいリュックをしょって北海道に行くと言います。塾に行こうとして、喫茶店を出るサキ。上記のあらすじぐらいは公式サイトで知っていたので、窓の向こうで手を振るシーンは、「あぁここでさようならなんだな。お大事に」と感じてしまいました。


その直後、サキは塾帰りに誘拐されてしまいます。憔悴する大石母(名前は失念)と基子。このまま数十分ぐらい引っ張るのかなと思いきや、サキは意外と早く保護されます。体感にして十五分もなかったんじゃないかな。犯人と報道されたのは、辰男でした。身内の犯行に市子も動揺を隠せません。


そのまた一方で、リサと和道は美術館を訪れています。黒の禍々しい向日葵に見とれるリサ。ポストカードも購入し、和道に見せます。「同じ向日葵でも画家によって見出したものは違う」と語るリサ。それは「よこがお」の持つ二つの側面を示唆しているようでもありました。


再び市子。なんとこのシーンでは市子はマンションの一室で、仕事仲間の男とその子供と一緒に暮らしています(ここの子供の太り具合が実によかった)。あの殺風景なマンションは何だったの?と違和感を覚えました。そして、私のその違和感はテレビで流れるニュースで確定的になりました。そこにはサキの誘拐が報じられていたのです。これまで同じ時系列で流れていたと思っていたリサと市子の物語は実は時系列がずれていたのです。いや、その前の和道の「大石家のお母さんは一か月前亡くなった」というセリフでちょっとおかしいなとは思ってたんですよ。でも、私は同じ時系列であることを疑っていなかったので、ここで最初の驚きが来ました。


そこから動物園のシーンが流れるわけですが、ここでもリサと市子のシーンが並行して流れるんですよね。ストーリーも追わなきゃいけないし、俳優さんも観たいし、セリフも聞かなきゃだし、さらに「よこがお」というタイトルであるからには、あ、今横向いてる!あ、今正面向いた!と構図も意識しなければいけない。さらに、そこに時系列の整理まで加わってもう頭にかかる負荷が凄い。シンプルな画面なのに、情報量がとても多くて脳が疲れるんですよ。キツイ映画だとは聞いていましたけど、そういう意味でのキツさかと感じました。



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・映画後半について~明かされる衝撃の事実~



ここから映画は市子パートに重点を置いて進んでいきます。辰男が逮捕されてから少しして、市子のもとに一本の電話がかかってきます。それは記者からで「あなた何か隠してるでしょ?」といった趣旨の電話でした。何も言わず電話を切る市子。電話の向こうで記者は何かを確信したようでした。


ある日、大石家を訪れた市子。大石母から厳しい口調で話しかけられます。突き付けられたのは週刊誌。そこには市子が大石家に潜入して辰男を手引きしたという記事が掲載されていました。市子は断とした否定も出来ず、大石母に問い詰められていきます。ここも「よこがお」での会話でしたね。怖かったです。大石母の「帰れ」という言葉のまま市子は大石家から去ることを余儀なくされます。


ここからの展開がけっこう胸糞悪いものでした。市子の元にはマスコミが次々と押し掛け、その影響は職場にも。また、基子はテレビの取材に応じて、市子をさらに窮地に追い込むような発言をします。ここは流石にドン引きしましたね。極めつけに市子は仕事を辞め、結婚相手とも別れて一人になってしまいます。この結婚相手との別れ話のシーン、遠くから撮っていてセリフもなかったんですけど、深田監督のセンスを凄く感じました。


ここで、嫌なのがマスコミにも基子にも他意があったわけじゃなかったことなんですよね。マスコミはただ真相を伝えたいだけですし(もちろん生活も懸かってるだろうけど)、基子も「なんであんなこと言っちゃったんだろう」と後に述べています。この善意でやってるつもりなんだけども、そこには無自覚な悪意があるという演出が凄く居心地が悪かったです。加害者と被害者は紙一重なんだぞ、鏡合わせなんだぞ、誰だって加害者になるんだぞという。オープニングシーンやタクシー、ラストシーン等で鏡に映るリサ・市子を映していたのも、人間の善意と悪意は表裏一体なんだぞという演出なんですかね?よく分かりませんけど。


このように人間の醜い部分が描かれていて、胃がキリキリしたんですけど、特に職場での吐き捨てた後の、がやがやした雰囲気が不快でした。あそこリアルすぎる。深田監督、人間のこと、世間のことかなり疑っているんだろうなぁ。じゃなきゃこんなに雰囲気が悪い映画作れないですよ。まぁいい部分だけ見て「人間って素晴らしい!」って言っている人よりかは好きですけど。




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その後もリサと和道の濡れ場などを挟みつつ映画は進行。市子の車に赤いペンキがぶちまけられてからのシーンは、居心地が悪さが極致に達していて正直目を背けたくなりました。被害者支援センターに行ってですね、市子が事情を話すんですけど、「(被害者ではなく加害者なので)私たちにできることはほとんどありません」って言われてしまうんですよ。市子だってマスコミや基子の被害者なのに。報道に踊らされてあくまで加害者として扱いますか。個人的に最も不快に感じたシーンでしたね、ここは。自覚のない悪意がひしひしと感じられて。


そして、いくらか時間は飛び、辰男が出所するシーンとなります。ここで衝撃の事実が明かされるんですよね。それは辰男の母親が服毒自殺をしていたということ。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。いや、引っかかってはいたんですよ。リサめっちゃ薬飲んでたし、「あれだけ薬飲んだら死なないか?」とは感じていたんですけど、その後の筒井真理子さん四足歩行モードでかき消されてしまって。その時は流してしまったんですけど、ここにきてそう来たか!と。もしかしたら小市が騙ったリサは死んだ姉の名前なのかもですね。


ということは、この映画で筒井真理子さんは市子と、リサの一人二役を演じていたことになります。それに気づいてからはもう戦慄ですよ。市子だけで、表情や挙動でオーラを作ってセリフ外のことを雄弁に語るという離れ業を見せていたのに、リサと市子を演じ分けていたなんて。本当にベテランの貫禄といった言葉では表せないほどの凄みを感じました。特に表情ですね。タイトル通り「よこがお」だけで私たちに強く訴えかけてくるんですよ。それは、正面を向いたら言わずもがなで、特に職場の前で記者に囲まれたシーンは圧巻でしたね。本当に卓越した演技を見せていて、これ日本アカデミー賞に選ばれるのでは?というほどの熱演でした。




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・行間が多い映画なので簡単に推測してみる


リサが序盤で死んでいたという点は、この映画において計り知れないほど重要でしょう。押し入れでセックスをする市子と和道。そして、アフタートークで市子は和道に「今までの話は全部嘘」「ただ和道と寝たかっただけ」「これは復讐」と語っているんですよね。まあその後、和道に市子であることを看破されてしまうわけですが。


で、この「復讐」という言葉、観ている時は「基子と付き合っている和道をセックスすることで、基子に対する復讐」なのかなと思っていたんですけど、もしかしたら「リサが死んだことに対する復讐なのかもしれない」と観終わって思えてきました。リサが最後に見たのは和道と基子だったわけで、和道とセックスすることで、基子と和道にまとめて復讐していたのかなと。あと、自らを追い詰めた報道や世間に対しても。いろいろな意味を含んだ多義的な復讐だったのかなと感じます。


次に考えたいのが、なんでリサが自殺したのかということです。この映画における不思議な点として、なんで市子が辰男の甥だとバレたのかという点があるんですけど、結論から言ってしまえば、これリサが市子を売ったんじゃないかと私は思うんですよね。実際にリサが辰男の手引きをしていて、その罪を市子に擦り付けたと言いますか。で、匿名でボイスチェンジャーとか使って、週刊誌にタレこんだと。そして、その罪悪感から自殺した。こうすると、あの記事も説明がつきますし、〈無実の加害者〉という映画公式サイトの意味深な強調も頷けます。


まぁこれは全部推測なんですけどね。でも、この映画って情報量が多い割には、行間もめちゃくちゃ多い映画ですし、こう描かれていないことを読み取る趣深さがありますよね。一度観ただけじゃわからなかったから機会があれば、全てを知ったうえでもう一度観たいです。まぁもう一度観てもよく分からないんでしょうけど。




そして、観終わった後にこの映画の『よこがお』というタイトルに、再び戦慄するわけですよ。私たちには、リサと市子、それぞれの「よこがお」しか見えていなかったと。一側面しか見えておらず、その反対には私たちの見えない別の側面があったと。それは彼女自身も知らない悪意で、この映画のキャラクター全員にもあったと。そして、その悪意は私たちも持っていると。善意の「よこがお」の反対には悪意があると。


ここで考えたいのが、この映画には窓越し、ガラス越しのアングルが多かったんですよね。それはファーストシーンからもそうですし、マンションからリサが和道の部屋を見るという場面で印象的です。他にも洗車のシーンや売り家になった旧大石家からの視点、さらにはインターホン越しの会話もありましたよね。これだけ窓越しのシーンが多かったのには、何か意味があるはずだと。最初は私たちの目というメタファーなのかなとも思いましたが、考えていくうちにピンとくるワードが一つありました。それは「ジョハリの窓」です(というかこれしか考えつきませんでした)。




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ジョハリの窓



これを見れば一目瞭然だと思うのですが、この映画で表れていたのって「秘密の窓」や「未知の窓」に属する部分なんですよね。それは、他人からは知られていなかったり、自分でも知らない悪意です。特に「未知の窓」に属する未自覚の悪意というものが、この映画のベースとなっていて、それが居心地の悪さに繋がっていたと思います。


また、「横顔」を手元の電子辞書で引くと「あまり他人に知られていない一面」という意味も掲載されています。これも「秘密の窓」「未知の窓」に共通しているのではないかと考えられます。「開放の窓」は多くは善意といった人間の良い部分でしょう。でも、その反対、「よこがお」の裏には「秘密の窓」や「未知の窓」には人知れぬ悪意が息を潜めているんだぞということをここからも読み取ることができるかと。




さて、窓というのはガラスでできています。そして、鏡もガラスでできています。前述したようにこの映画には鏡越しのシーンもいくつか登場しました。ここで考えたいのはラストシーンです。この映画はサイドミラーに鏡越しに映る市子を映したまま終わります。このように終わったのは、無理やりに考えるとサイドミラー→車の「横」にある→「よこがお」ということなんでしょうが、もう一つ意味があるように思えるんですよね。


このラストシーンの前、市子は信号待ちをしています。そこに現れたのは看護師になった基子。しゃがんで何やらガラス片を拾っています。そして、ギアをドライブにし、ブレーキから足を離す市子。轢かれてしまうとヒヤヒヤしましたが、市子は文字通りブレーキを踏み、思いとどまります。一線を超えなくて本当によかった。


そして、盛大にクラクションを鳴らして自己の存在を知らせた後に、鏡越しの市子で終わりという幕引きなのですが、ここで考えたいのが鏡が表す二面性。前述したように、私はこの映画における鏡は、善意と悪意は表裏一体ということを表していると考えます。この時点での市子は基子を轢こうとした、つまり悪意がありました。しかし、思いとどまったということは、轢くことはないという善意が市子の中に芽生えたのではないでしょうか。それが鏡越しのラストシーンに現れていると私は感じます。


さらにうんと飛躍すれば、それは多くを失い、前のシーンで入水自殺を仄めかすほど絶望していた市子が、それでも生きていくという微かな希望を手に入れたシーンであると言えるのではないでしょうか。絶望と希望も実は合わせ鏡なんだと。筒井真理子さんの表情はシリアスでしたが、この前向きなラストは私は好きですね。着地すべきところに着地してくれて、心からよかったと思いました。居心地が悪く、複雑で、一回観ただけでは全容を把握しきれない映画『よこがお』ですが、私はお勧めしたいです





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あと、これで本当に最後なんですが、ツイッターで深田監督が「劇場用の音設計にした」みたいなことを言っていたじゃないですか。それはラストでけたたましくクラクションを鳴らしていたことからもはっきりと感じ取れたんですけど、この音に関することで一つ聞きたいことがありまして。私が観たときには中盤の動物園の前のシーンくらいから、鳥のさえずりがアラームのように聞こえてきたんですよ。右上の方から。


かなりの長い時間さえずっていて、エンドロールに入ってもさえずっていて、「これ演出かな?だとしたら凄いな」と思ってたんですけど、映画が終わって明るくなっても、まだしばらくさえずってたんですよね。さすがにスタッフの方に確認してしまったぐらい。これって本当に演出だったんですかね?その辺分かる方は教えていただけると幸いです。





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以上で感想は終了となります。映画『よこがお』、簡単ではないですが良質なサスペンスとなっていますので、興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。

おしまい



よこがお
深田 晃司
KADOKAWA
2019-07-19



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