こんにちは。これです。10月に入って涼しくなり、過ごしやすい気候になってきました。一年間ずっとこうだったらいいんですけどね。


さて、今回のブログも映画の感想です。今回観た映画は『ディリリとパリの時間旅行』。『キリクと魔女』『アスールとアズマール』のミッシェル・オスロ監督が手がけたフランス製アニメーション映画です。私はオスロ監督の映画を観たことはないんですけど、評判が良かったので今回観に行ってきました。


で、観たところまず驚いたのが、映画の中で時間旅行をしているわけではないところです。キャラクターというよりも観ている私たちを1900年前後のパリに連れて行ってくれる映画ですね。観ていて楽しかったです。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




dyc




―目次―

・風景やキャラクター、音楽について
・偉人たちのオンパレードは教養があるほど楽しい
・人間対人間で接する重要さを伝える映画





―あらすじ―

ベル・エポックの時代のパリ。 ディリリは、どうしても外国に行ってみたくて、ニューカレドニアから密かに船に乗りパリにやってきた。
開催中の博覧会に出演し、偶然出会った配達人のオレルとパリで初めてのバカンスを楽しむ約束をする。その頃、街の人々の話題は少女の誘拐事件で持ちきりだった。男性支配団と名乗る謎の集団が犯人だという。ディリリはオレルが紹介してくれる、パリの有名人たちに出会い、男性支配団について次々に質問していく。
洗濯船でピカソに“悪魔の風車”に男性支配団のアジトがあると聞き、二人は向かうが、そこでオレルは狂犬病の犬に噛まれてしまう。


三輪車に乗ってモンマルトルの丘から猛スピードで坂を下り、パスツール研究所で治療を受け、事なきを得る。オペラ座では稀代のオペラ歌手エマ・カルヴェに紹介され、彼女の失礼な運転手ルブフに出会う。
ある日、男性支配団がロワイヤル通りの宝石店を襲う計画を知った二人は、待ち伏せし強盗を阻止する。その顛末は新聞に顔写真入りで大きく報じられ、一躍有名になったディリリは男性支配団の標的となり、ルブフの裏切りによって誘拐されてしまう。ディリリはオレルたち仲間の力を借りて男性支配団から逃げることができるのか? 誘拐された少女たちの運命は?

(映画『ディリリとパリの時間旅行』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。














・風景やキャラクター、音楽について



この映画で目を引くのは、まず何と言ってもパリの美しい風景でしょう。建物自体は現代とさして変わりませんが、1900年前後のベル・エポック(古き良き時代)のパリの雰囲気を十二分に再現。線の一本一本までくっきりとしており、写実的でリアルと見間違うほどです。とくに宮殿の中の絢爛豪華さが印象に残りました。この風景はオスロ監督が撮影した実際の写真を元にしており、私たちをパリへと誘ってくれます


その一方で、キャラクターはかなりデフォルメされています。パステルカラーのべた塗りで、輪郭が無くどこか平面的。日本ではまず見られない絵で、ああ外国的だなと感じました。でも、その淡い色彩が柔らかな雰囲気を醸し出しているんですよね。絵本の登場人物が現実世界にやってきたという雰囲気があり、そのアンバランス感は観ていてとても楽しいものでした。寓話にすることで、男性支配団の行為のえげつなさがより印象付けられていたというのも上手いと思います。


ただ、穏やかな雰囲気で進むのかと思いきや、パリの影の部分も描いていたのは好感触。貧しい彼らと接した際のディリリの優しさが胸に沁みます。さらに、三輪車で階段を駆け下りたり、女性が躍るシーンを入れたことで、絵的な躍動感もしっかり確保。極めつけは、終盤のエッフェル塔からの飛行船のシーンでしょう。エッフェル塔から見下ろす景色は、写実的な風景に街の灯りが映え、飛行船の電飾は宝石のようにファンタジック。現実世界が魔法にかけられたようで、このシーンだけでこの映画を傑作だと言い切ることができるほどです。


加えて、素晴らしかったのが音楽。まず、運動会で良く演奏される曲(「天国と地獄」かな?)で、踊り子が踊るシーンは躍動感にあふれていて、気分を盛り上げます。さらに、サティ本人が弾く「グノシエンヌNo.1」はミステリアスな雰囲気を醸し出し、緊迫感を演出。さらに、オリジナル曲「太陽と雨」で、テーマである人間の平等性を押しつけがましくなく示し、フランスの俳優ナタリー・デセイがエマとして歌唱するシーンは一人ぼっちのディリリに優しく寄り添います。特に最後の歌唱は、人間ってこんな声出せるんだという圧巻のものでしたので、ぜひ映画館で確かめてほしいですね。


ちなみに、映画を観ているとき、サティの「グノシエンヌNo.1」どこかで聴いたことあるなぁと感じたんですよね。それが、映画『あみこ』で使われていた曲だこれ!と気づいたときには嬉しくなりました。







dyb














・偉人たちのオンパレードは教養があるほど楽しい



この映画の主人公ディリリはニューカレドニアからやってきた女の子。親がおらず、面倒を見てくれる夫人はいますが、基本的には一人ぼっちです。このディリリ、幼いながらも自分を持っていて、言葉の端々に自信を感じられます。礼儀もよく、スカートの裾を持って挨拶する姿はとてもキュートでした。将来の夢がコロコロ変わる無邪気さも魅力。


でも、それは強がりで本当は甘えたい年ごろでもあるんですよね。オレルやエマ、ルブフといった大人たちに抱きかかえられるシーンは。観ているこちらが安心するような優しさがありましたね。私は、今回吹替版で観たのですが、ディリリを演じた新津ちせさんは上手かったですよ。好奇心が抑えられないと言った様子や、使命感に燃えるディリリの心情、その中にふと見せるか細さを完璧に表現していた印象でした。


ディリリは配達人オレルと出会います。オレルは真っ当な大人。紳士的で、落ち着いた口ぶりが頼もしい印象を与えます。このオレルを吹替えたのが斎藤工さん。ディリリを気遣いながらも、優しい口調で安心感を与えていて、こちらも良かったと思います。いい斎藤工さんですね。他の声優さんたちもおおむね安定していて、吹替版は個人的には自信を持ってお勧めしたいです。


さて、パリの街では男性支配団という組織による少女の誘拐事件が続いています。男性支配団の構成員は鼻にピアスをつけており、一目瞭然分かりやすい。全体的に顔色も悪く、ディリリを攫おうとしたシーンはとても不気味でしたね。


そして、ディリリは純粋な正義感から、この少女たちを助け出すことを決意。オレルと共に捜査を進めます。この映画の特徴として、実在の偉人たちが多く登場するということが挙げられますが、この操作パートは想像以上に偉人のオンパレードでした。キュリー夫人に始まり、パスツールにピカソ、ロダン。モネは「睡蓮」を描いていて、サティは「グノシエンヌNo.1」を演奏します


これには教養が全くない私でもわくわくしたので、文化的な教養があればあるほどテンションの上がる展開でしょう。個人的に嬉しかったのは、エドガー・ドガが登場したことですね。私のドガのイメージって『ギャグマンガ日和』の黒いもじゃもじゃのドガさんなので、ちゃんと人の形で現れた!という変な感動をしてしまいました。




dya
(左下がドガさん。このテキトーぶりよ)




偉人たちの助言もあり、ディリリとオレルは男性支配団が宝石店に盗み入るところを確保に成功。縄跳びを投げて捕まえるディリリが見事でした。音もなく馬のハーネスを外すオレルも見事。犬に噛まれて狂犬病になったはずの足も何事もなかったかのように動いています。パスツールのワクチン超凄い。この大捕り物により、ディリリは一躍、街の有名人に。しかし、このまま何事もなく終わるはずがなく、映画は第二章へと進んでいきます。



dyd













・人間対人間で接する重要性を伝える映画



有名になったディリリはより一層、男性支配団に狙われる存在に。これを危惧したオペラ歌手・エマは、運転手のルブフに送り迎えをさせるよう指示します。実は、このルブフは男性支配団に唆されていたんですよね。「女に命令されて運転手をやっていていいのか、本来は逆ではないのか」と。この辺りから組織名の通り、男性支配団の男性優位主義がチラチラと見え隠れしてきます。そして、ルブフは言われるがまま、男性支配団にディリリを引き渡してしまいます


構成員に連れられて、男性支配団のアジトに入るルブフ。誘拐された少女たちの側を通り過ぎ、ボスの前に謁見します。丸々太ったボスは「女性が目立ってきていて、パリの秩序は乱れてきている。男性の優位を回復させて、パリの秩序を取り戻す」(意訳)と発言。ゴリゴリの男性優位社会の信仰者です。


この時点で、私はかなり引いたのですが、さらにドン引きしたのが、その後。「女性はいないのか」というルブフの問いに「今座っているではないか」と答えるボス。ルブフが座っていた黒い椅子は、なんと四つん這いになった女性でした。デブったボスは彼女らのことを「四つ足」と呼び、自分は動けないから4つの四つ足に座っているというド外道ぶりを披露。


女性に人権はないというあまりにも強烈な主張で、従順に言うことを聞く少女たちを、四つ足に育てるために誘拐したという、もう吐き気がするほどのアンチ・フェミニズムです。これにはさすがの私もドン引き。その引き具合は今年でも一二を争うほどで、デフォルメされて寓話的な分、より一層醜いものがありました。20人ほど子供たちが一斉に四つ足で歩く訓練をしているシーンは言い表せないショックがありますね。


でも、これって100年以上が経った現代でもあまり変わらないと思うんですよね。今まで優位に立っていた者が、劣位に立たされていた者が台頭してきて、パワーバランスが崩れるそうになると、それを抑えつけて優位を保とうとするのは当然のことだと私は思いますし。男性支配団の思想は過激すぎますけど。


例えば移民問題で、移民が流入すると仕事が奪われるから受け入れたくない、みたいな問題は世界のあちこちで起こっているわけじゃないですか。最近だとAIとかも当たりますかね。それに、歴史を振り返ってみると、黒人解放運動などに代表される人種問題も大いに当てはまりそうです




dyj




この映画ってフェミニズムの問題の他に、人種問題も内包しているんですよね。主人公のディリリはニューカレドニア出身で、フランスとニューカレドニアのハーフ。でも、ニューカレドニアではフランス人扱いされて、フランスではニューカレドニア人扱いされる。どちらにも居場所がない存在なんですよね。


また、ショックだったのがこの映画の始まり方。ディリリは知らない人たちと暮らしています。翻訳されない言語を話し、狩猟採集の原始的な生活を営む。しかし、これは万博用にショーアップされた「ニューカレドニアの原住民の暮らし」なんですよ。カメラが引いていって観ている人たちが映された瞬間、趣味悪っと思いましたもん。それはあたかも動物園で動物を見ているかのようで、ディリリは確定的な劣位に立たされていました。加えて、ディリリは少女なので、この映画では二重の劣位に立たされていたと言えると思います。


でも、オレルやエマをはじめとしたこの映画に登場する多くの大人たちはディリリを迫害もしないし、差別もしないんですよね。ありのままのディリリという人間を受け止めていて。人間対人間で接していて、心が暖かくなります。悪態ついていたルブフも比較的すぐに改心しますし。その中でディリリにも他人に対する愛着が生まれていく。そして、最後には自らと同じ劣位に立たされていた、誘拐された少女を助けるというのが良いんですよね。


自らのことを貶めない人と接するうちに、ディリリは劣位から少しずつ抜け出していく。そして、劣位に立たされている、それは過去の自分と同じ、少女らを助け出す。もちろん大人の協力も得つつ。そして、最後には人生への希望を語る。なんて理想的で素敵な話なんでしょう。劣位を思考に植え付けられてしまっていたディリリが、一人じゃないと知り思考がフラットな方へ向かっていく。マイナスからゼロのところに上がったという点で、『ディリリとパリの時間旅行』はディリリの成長物語であるということができそうですね。最後のエンドロールは今年観た映画の中でも一番多幸感に溢れたものでした。


この人間対人間で接するということは、簡単なようでなかなかできないことなんですけど、テロが頻発し、いまだ戦争が止まない世界を良くしていくには、こういった基本的なことが大切なんだと、この映画は伝えていたように私には思えます。一言で言えば「優しい世界」ですね。パリの綺麗な風景やキャラクターの愛くるしさ、効果的な音楽と合わさって、個人的にはかなり好きな映画です。機会があれば観てみてはいかがでしょうか。




dyh















以上で感想は終了となります。『ディリリとパリの時間旅行』、個人的には傑作と言って差し支えない素晴らしいアニメーション映画でした。興味のある方はぜひ観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


☆よろしければフォロー&読者登録をお願いします☆