こんにちは。これです。台風19号が近づいてきてますね。長野もバッチリ強風域に入っていて週末がとても心配です。大事にならないように祈ってます。本当、被害拡大しないでほしい。


なので、もう映画は早いうちに観とけということで、観てきました。『空の青さを知る人よ』(以下、『空青』)。結論から申し上げますと、すんごい傑作ですよ、この映画。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を劇場版のみ、『心が叫びたがってるんだ。』を前日に観たぐらいの私でもそう思います。超オススメです。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キャスト等について
・「狭い世界」と「広い世界」
・「大人」だけの映画ではない気がする





―あらすじ―

山に囲まれた町に住む、17歳の高校二年生・相生あおい。将来の進路を決める大事な時期なのに、受験勉強もせず、暇さえあれば大好きなベースを弾いて音楽漬けの毎日。そんなあおいが心配でしょうがない姉・あかね。二人は、13年前に事故で両親を失った。当時高校三年生だったあかねは恋人との上京を断念して、地元で就職。それ以来、あおいの親代わりになり、二人きりで暮らしてきたのだ。あおいは自分を育てるために、恋愛もせず色んなことをあきらめて生きてきた姉に、負い目を感じていた。姉の人生から自由を奪ってしまったと…。そんなある日。町で開催される音楽祭のゲストに、大物歌手・新渡戸団吉が決定。そのバックミュージシャンとして、ある男の名前が発表された。金室慎之介。あかねのかつての恋人であり、あおいに音楽の楽しさを教えてくれた憧れの人。高校卒業後、東京に出て行ったきり音信不通になっていた慎之介が、ついに帰ってくる…。それを知ったあおいの前に、突然“彼”が現れた。“彼”は、しんの。高校生時代の姿のままで、過去から時間を超えてやって来た18歳の金室慎之介。思わぬ再会から、しんのへの憧れが恋へと変わっていくあおい。一方で、13年ぶりに再会を果たす、あかねと慎之介。せつなくてふしぎな四角関係…過去と現在をつなぐ、「二度目の初恋」が始まる。

(映画『空の青さを知る人よ』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。












・キャスト等について


この映画ではメインキャストに俳優さんが起用されています。また観ていない人たちから批判がありそうなもんですが、個人的に『空青』は今年一番くらいに俳優さんの声優起用がはまっている映画だと感じました


まずは、吉沢亮さん。31歳の慎之介と18歳のしんのを一人二役で演じるというかなり高いハードルを見事にクリアしています。しんのは、それまで青春映画に出演した経験から何とかなるとは思っていましたし、実際明るく物語を引っ張ってくれる声で予想以上だったのですが、それ以上に慎之介が良くて。きつめの口調に疲れた感じが漂っていて、東京で大変なんだろうなとそのバックボーンを推し量ることができます。二人が対面するシーンでの演じ分けは凄かったですね。


続いて、吉岡里帆さん。相生家の姉・あかねを演じていましたが、こちらはとにかく口調が優しい。聞いていてとても癒されます。でも、穏やかな中に悟った表情も滲ませていて、慎之介を突き放すシーンや、あおいにきつく言われた後のちょっとした一言が、悲しくて好きでした。正直、ここまでとは。最近『空青』の他にも『見えない目撃者』や『時効警察はじめました』など、吉岡さんのターンが来ている印象ですね。良いことです。


でも、この二人を差し置いて個人的に印象に残ったのが若山詩音さんなんですよね。予告を見た時からめっちゃツボだなと感じて、すでに好きだったんですが、いざ映画が始まってみると、あおいの思春期特有の気難しさを完璧に表現。少し低めの声が、口が悪かったり強がるあおいに見事にはまっていました。でも、トイレのシーンやしんのに思いを打ち明けるシーンなど、高めの可愛い声も使い分けていて。まあ一言で言えば素晴らしかったんですよ、映画初出演とは思えないくらい。元子役の方らしいんですけど、既にオファー殺到していそうな気がします。そのくらい良かった。


さらに、脇を固めるキャストの方々も、松平健さん筆頭に皆さんめちゃくちゃ良かったですし、声優に関してはもうパーフェクトと言っていい出来だと思います。俳優さんが声優をやっているから馬鹿にするのではなく、ちゃんと観てから言ってほしいですね。





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加えて、印象に残ったのが音楽です。最初のね、あおいのベースプレイがとにかく渋くてかっこいいわけですよ。私はそこで一気に心つかまれましたね。さらに、息つく暇もなく過去回想でバンド演奏を浴びせて、ベースとドラムのリズム隊のセッションで中弛みを防止。慎之介の弾き語りもユーモアに富んでいてよかったですし、極めつけはあいみょんさんの「空の青さを知る人よ」ですよね。


この曲が、映画の一番の盛り上がるシーンで流れるんですけど、青い空をバックにしたこのシーンの爽快さといったら。ぶっちゃけ『天気の子』は思い出しますが、それにも負けないくらいのカタルシスがありました。それまでのフリが聞いていて、とても気分が良かったです。


あと、音楽で言いますと、エンドロールでバンド演奏をしていたメンバーを見て驚いたんですよね。ギターがアオキテツさん、ドラムが渡邊一丘さん。私が好きでライブにも行ったことがあるa flood of circleのメンバーがこんなところで出てくるなんて。「青」繋がりですかね。とても嬉しい驚きでした。



























※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。












・「狭い世界」と「広い世界」



監督:長井龍雪さん × 脚本:岡田磨里さん × キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀さんの、超平和バスターズで製作された『空の青さを知る人よ』。この座組は『あの花』『ここさけ』以来三度目です。これらはいずれも秩父を舞台にしていたり、高校生を主人公に据えていたりと共通する要素は多いのですが、『空青』には前二作とは違った特徴がありました。それは、大人のキャラクターもメインに据えているということです。


『あの花』や『ここさけ』は、いずれもメインは高校生で、大人はあまり物語に強く絡んできません。『あの花』は正直、劇場版だけではすべてを把握できず、TVアニメを見ていること前提の映画だったので、ここでの言及は避けますが、『ここさけ』で描かれていたのは、思春期の葛藤です。年齢を重ねていくうちに世界が広がっていく中で、自分はどのようにして振舞えばいいのかというのが『ここさけ』の一つのテーマだったと私は感じました。


で、私にはこれが見事に刺さったんですよね。私も広がる世界の中での振舞い方が分からず、口をつぐんで嫌われないようにしてやり過ごしていますし、「言いたいことが言えない」という順をはじめとしたキャラクターの気持ちにはいたく共感したんです。でも、観終わった後に思ったんですよね。この映画が好きで、共感していて果たして本当にいいのだろうかって。


というのも、「大人」、それも年を重ねれば重ねるほど、世界って広がらなくなっていくじゃないですか。固定されてマンネリ化するじゃないですか。その広がり切った世界の中で、どうやって変化をつけていくかで悩むのが「大人」だとするならば、世界が広がることに悩んでいる私はまだまだ子供だなって思ったんですよね。もう25なのに。いい加減大人になれよって。


確かに、「言いたいことが言えない」という『ここさけ』のキャラクターに共感する人はいると思いますし「大人」でも楽しめる映画だとは思います。高校って子供からすれば「広い世界」ですけど、「大人」からすれば「狭い世界」じゃないですか。俺たちはより広い、広がりきった世界で悩んでるのに、そんな「狭い世界」で悩んでんじゃねーよとなる人もいるでしょう。なので、『ここさけ』は「狭い世界での悩みが過ぎ去った大人」には受け入れられづらい映画だとは感じました。『あの花』と同様に。




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(映画『心が叫びたがってるんだ。』)



しかし、『空青』ではあかねと慎之介という二人の大人のキャラクターがいます。あかねは早いうちに両親を失くしてしまったため、あおいの世話をせざるを得ず、慎之介と東京に行くなど様々なことを諦め、我慢せざるを得なくなっています。また、慎之介も東京に出たはいいものの、ソロとしては芽が出ず、演歌歌手のバックバンドをしていて、描いていた理想とは程遠い状態。二人は「夢」を失い、「現実」を受け入れたキャラクターだと私は感じました


この二人と対照的に描かれていたのが、言わずもがな子供のあおい。東京に行ってバンドで天下を獲るという青すぎる夢を(本心ではないにしても)語っています。その根底にあったのは、秩父というロケーション。「巨大な監獄に収容されてんの」とあおいが語るように、四方を山に囲まれ、圧迫感や閉塞感はばっちりです。まさに「狭い世界」で、井戸の中。そして、あおいはイヤホンをつけて雑音をシャットアウトし、一人でさらに狭い世界に入っていきます。晴れた空には見向きもせず、手元のベースに夢中です。


この秩父という「狭い世界」の反対となるのは、やはり「東京」という大海、「広い世界」でしょう。どんな夢も叶うという世界。これは田舎者から見る東京の姿そのものです。私はこれを「東京幻想」と呼んでいるんですけど、何にもない田舎からすれば、何でもある東京っていうのは、実像を歪めるくらい輝かしく見えてしまうんですよ。娯楽も多いし、芸能人もいっぱいいるし。私も高校生の時は東京に出たくて仕方なかったですし。まぁそれは幻想で、いざ東京に暮らしてみると、特に楽しくも辛くもなかったんですが。


物語の中で、あかねはあおいの世話をするために、東京という「広い世界」ではなく、秩父という「狭い世界」に残ることを選びます。その一方で、東京という「広い世界」に出た慎之介。ただ、幻想は幻想で「ビッグになってあかねを迎えに来る」という夢との距離は遠ざかる一方です。「広い世界」を諦めたあかねと、「広い世界」に苦しむ慎之介。ただ、『空青』の特徴として「広い世界」を悪く描くこと、否定することはしないんですよね。あかねも慎之介も、現状を変えたくて変えたくて仕方がないというほど不満が溜まっている様子はないですし、ここ結構重要なポイントかなと感じます(また後で少し書きます)。


31歳になった慎之介の姿にショックを受けたあおい。山の上のお堂に入ってベースを掻き鳴らします。しかし、「うるせえ」という声が。その声の方を見ると、13年前の慎之介(通称:しんの)がいました。しんのはどうしてここにいるか自分でも分からず、実体はありますが生き霊のような存在として映画では扱われています。そして、結界が張られたようにお堂から出ることはできません。これは、まるでお堂の中という「狭い世界」に、しんのが囚われているように見えますし、実際そうだったのでしょう。


なぜなら、しんのとあおいは高校生です。卒業文集に「世界征服!」と書いたり、本心でなくても「東京行ってバンドで天下獲ります」と言ってしまうような、青い高校生です。高校は大人の広い世界と比べると「狭い世界」であり、二人は「狭い世界」、井戸の中にいると私は考えます。「社会」という「広い世界」にいる「大人」たちと違って。




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ここで特徴的なのが、時間が不可逆であるのと同時に、「広い世界」から「狭い世界」に戻ることはできないということです。「広い世界」にいる「大人」がまた「狭い世界」の高校に入りなおすのは、日本では一般的とは言えません。成長するにしたがって、私たちは「広い世界」を手に入れる代わりに、「狭い世界」を失っていくとも言えそうです。そして、この「狭い世界」に戻ることは、子供に返るということ。それは「大人」の世界では認められないことです。「狭い世界」は捨て去られ、顧みられることなく、消失していきます。


それが『空青』ではどうでしょう。演歌歌手の新渡戸団吉のバックバンドのベースとドラムが体調不良になり、あおいとあかねの幼馴染であり、市役所職員の中道が抜擢されます。プロのバンドに混じり、慎之介にきつく言われて凹むあおい。しかし、しんのはあおいに「大丈夫だ。なんたって目玉スターなんだからな」と励まします。しんのはこの映画の中で一番「狭い世界」にいる存在。そのしんのがより「広い世界」にいるあおいを励まして勇気づけるのです。捨て去られた「狭い世界」の意地です。


さらに、印象的だったシーンが、しんのと慎之介が直接対面するシーン。あかねは土砂崩れでトンネルとに閉じ込められてしまいます。助けに行こうとするしんの。しかし、「狭い世界」に阻まれて動くことができません。一方、「広い世界」にいる慎之介は助けに行くことはなく、行政に任せるという態度を取ります。動くことができるのに、動かない慎之介にしんのはキレて胸ぐらを掴んで、叫びます。


こうなりたいって思わせてくれよ!」と。


「狭い世界」、井戸の中では比較対象も少なく、少しでも得意なことがあると、自分が一番優れていると思いがちです。一番高いところから上を見て、空の青さを知ることもできるでしょう。ただ、それは幻想で「広い世界」、大海に出てみると、自分より優れた人間はわんさかいます。それこそ、上を見ても、うじゃうじゃいる人に覆い隠されて、空を見ることができないくらい。それはとても不安なことで、安心するためには下を見て、自分よりも劣っている人間もたくさんいると認識することになるでしょう。でも、そんな「広い世界」にいる自分に、過去の「狭い世界」にいた自分は問いかけるわけですよね。


今の自分は『なりたかった自分』になれているか?」と。


そこに、青い夢を見ていた自分はいません。「狭い世界」で見ていた夢は、「広い世界」に順応していく上で、捨てざるを得ない人が大多数だと思います。でも、かつては「大人」も「狭い世界」にいたわけで「なりたかった自分」があったわけですよね。しかし、「広い世界」では諦めたり我慢したりせざるを得ない。


でも、あおいや慎之介がしんのから勇気を貰うと同様に、観ている「大人」も励まされるわけですよ。それは主題歌が流れるシーンでの、「狭い世界」から「広い世界」への絵的な解放もそうです。さらに、最後には慎之介が「まだ諦めていない」「ここは途中だ」と希望を語るんですよねまだ「広い世界」でもがくことを続ける。世界は拡張している途中。まだ見たことが無いものが見られるかもしれない。こんなもの、今を生きる全ての「大人」たちに向けた応援歌じゃないですか。「広い世界」で頑張っていこうぜという。『空青』は単に「狭い世界」に回帰するのではなく、最終的には「広い世界」で生きることを描いているのが、とても素晴らしいなと私は感じました。『あの花』『ここさけ』以上に「大人」が楽しめる映画となっていますね。




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・「大人」だけの映画ではない気がする


ここまでは「大人」に限って話を進めてきたんですけど、実は『空青』って大人に限った話じゃないと思うんですよね。子供にも同じことが言えるのではないでしょうか。


まず、子供って別に「元気いっぱい!夢いっぱい!」じゃないんですよ。子供は子供なりに、悩んで我慢して、折り合いをつけて日々を過ごしているんですよね。だって全員が宇宙飛行士やパティシエになれるわけじゃないですし。高校生にもなると「あ、自分は宇宙飛行士になれないな」というのははっきりとわかってきますよね。で、夢を変更せざるを得ない。子供だって諦めているんですよ。


それは、あおいも同じで。あおいは、あかねがやりたいことができなかったのは自分がいたせいだと自分を責めています。東京に行くというのも、あかねを自由にしてあげたいというのが本心でした。でも、本当はあかねが大好きなのであかねと一緒にいたいんですよね、あおいは。ここで、あおいは「あかねと一緒にいることを諦めている」と言うことができると思います。


何でもできるあかねに憧れるあおい。これは「狭い世界」から「広い世界」への幻想である「東京幻想」にも似た「あかね何でもできる幻想」と言えるでしょう。しかし、影ではあかねは相応の努力を重ねていたことをある日知ります。あおいの幻想は打ち砕かれますが、あかねの自分への愛情を再確認。しんのが好きだったあおいですが、最終的にはあかねの幸せを選択します。しんのという「狭い世界」よりも、あかねというより「広い世界」を選び取ったあおい。それは、そのまま「大人」になるということでした


「大人」は空を飛ぶことができません。なので、慎之介のように一歩一歩進んでいくしかない。この映画の最後で、あおいは車に乗らずに歩いて帰ります。「空を飛ぶ」という幻想から、「地に足をつけて一歩一歩進む」という現実へ。あおいが一つ大人になったと感じるシーンでした。空を見上げて「クッソ青い」と呟くあおい。「広い世界」「東京」「大人」への幻想がなくなり、「狭い世界」から見上げた空は、微かに夕焼け色に染まっていてとてもきれいでした。


『空青』は少女あおいの成長物語としても素晴らしい映画で、高校生たちといった子供にも、この等身大の成長物語はウケそうですね。この辺り『あの花』『ここさけ』と違っているようで似通っていると感じます。『あの花』でも『ここさけ』でも、前述したように「成長して手に入れるものがあれば失うものもある」ということを描いていました。そして、これは『空青』でも共通しています。あおいは成長する代わりにしんのを失っています。


学校が上がるにつれて、世界が広くなっていくとするならば、中学生から見た高校はより「広い世界」です。同時に、小学生から見た中学校も、幼稚園児・保育園児から見た小学校もより「広い世界」です。そして、「狭い世界」から「広い世界」に移行するには失っていくものもある。友達や先生と別れたり、馬鹿げた青い夢を見なくなる。子供だって「諦め」や「我慢」、「喪失」をしているわけですよ。でも、彼らもかつては「狭い世界」にいたはずで、それは「大人」と何ら変わらない。「大人」だけでなく、子供が見てもきっと感じるものがあるはずです。


超平和バスターズの新作は、子供は今まで通りOK。さらに、大人も取り込めるとなると、もうどうなっちゃうんだろうという感じです。大人向けではなく、万人向けと言った方が正しいですね。老若男女問わず観てほしい映画です。台風で大変ですけど、過ぎ去った後に機会があればどうぞ。オススメです。




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以上で感想は終了となります。『空の青さを知る人よ』、声優さんたちも最高ですし、観ていて励まされる傑作なので、ぜひ映画館でご覧ください。ぜひ、ぜひ!


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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