こんにちは。11月24日、第二十九回文学フリマに参加させていただくこれです。ただいま頒布予定の四冊のうち二冊を入稿。あと三週間できる限り頑張ります。


さて、それはそれとして今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『閉鎖病棟―それぞれの朝―』。箒木蓬生さん原作の、実は長野を舞台にした映画です。だからかは分かりませんが、地元の小劇場でも上映していたので、ていよく観に行ってきました。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キャストはいいけど、話がきつい
・あの病院はまるで「塀のない刑務所」のよう
・最後の着地に疑問





―あらすじ―


長野県のとある精神病院。
死刑執行が失敗し生きながらえた秀丸(笑福亭鶴瓶)。
幻聴に悩まされるチュウさん(綾野剛)。
DVが原因で入院する由紀(小松菜奈)。
三人は家族や世間から遠ざけられながらも心を通い合わせる。
彼らの日常に影を落とす衝撃的な事件はなぜ起きたのか。
それでも「今」を生きていく理由とはなにか。
法廷で明かされる真実が、こわれそうな人生を夜明けへと導く――。

(映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』公式サイトより引用)


映画情報は公式サイトをご覧ください。




※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。












・キャストはいいけど、話がきつい


最初に、この映画は、長野県の精神病院を舞台に、入院患者の生活と再起の様子を描いています。彼ら彼女らは精神病を抱え、坂の上にある病院で暮らしています。正直、最初に『閉鎖病棟』というタイトルを見たときには、ホラーかサスペンスかな?と思いましたが、蓋を開けてみればヒューマンドラマでしたね。患者さんたちの生活に重点を置いた。


閉ざされた病院で暮らす患者さんたち。しかし、その雰囲気は必ずしも悪くなく、一つのコミュニティが出来上がっているようにすら見えます。その中で暮らす秀丸は元死刑囚。趣味の陶芸にいそしんでいます。この秀丸を演じたのが笑福亭鶴瓶さん。穏やかで含蓄のある雰囲気が印象的でしたね。人を思いやる心に溢れているというか。でも、その一方で狂気的な一面ものぞかせていて。母親を殺したときの「もう世話する人おらへんなぁ」のサイコ感がなかなか強くてよかったです。


続いて、患者の一人で、幻聴に苦しむチュウさんを演じたのは綾野剛さん。やるせなく儚い空気が、人生上手くいっていない感を印象づけていました。幻聴のときの演技は迫真のものでしたし、全体的に諦めていたんですけど、終盤になって再起していく中で、目線に力が宿っていったのが個人的には好きでした。『楽園』もそうでしたけど、綾野さんは影のある役が似合いますね。


そんな彼ら彼女らの病院での日々は、少しの不穏を抱えつつ、つつがなく過ぎていきます。そこにやってきたのが女子高生の由紀。父親からDVを受けていて、心を閉ざしている彼女を演じたのは小松菜奈さん。長身で持ち前の存在感は言葉が無くても人をひきつけますし、徐々に心を開いていく過程も抑え目の演技で表現していました。物語の途中から病院に入る由紀は、いわば観客の目線でもあるので、結構な重役だと思いますが、見事に役割を果たしていましたね。深夜の絶叫も良きです。あと個人的には髪が短い方が好きでした。


ただ、ちょっと気になったんですけど、由紀だけ服装変わりすぎてません?入院患者ってあんなに頻繁に服装変わるものじゃないと思うんですが。服を持ち込んでいる描写もないですし。まぁみんな複数パターンの服を持っているのかもしれないですけど、それにしては殺された男の服はずっと変わらず紫のままですし。他にも気になったことは、いろいろあったんですけど、まずここが一つ気がかりでした。




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さて、最初は固く心を閉ざしていた由紀。それでも、秀丸やチュウさんとの交流で徐々に心を開いていき、喋ることができるようになります。カメラ小僧をはじめとした他の患者の様子もこの映画では描かれていて、隔離された人々にも生活やコミュニティはあるんだなと感じられます。特に外出許可を得て、秀丸、チュウさん、由紀、カメラ小僧の4人が街に繰り出すシーンは、なんか青春!みたいな感じがありました。紫の男の嫌な感じはありましたが、それもコミュニティにはよくあることでしょう。まぁ彼ら彼女らの生活は、観ていてあまり良いものではありませんでしたけどね。


ただ、あらすじを見て、この後殺人事件が起こるのは分かっていたので、それを考えると展開が少し冗長かなという感じはしました。事件が起こった後の患者さんたちの揺れ動きがメインなのかなとおもいましたが、そちらはあまり描かれず。描かれるのは事件が起こる前の病院での日々がメインでした。それでも、なかなか話が進まない。回想中は話が動かないというのもありますが、一番の疑問はあんなにカラオケシーン要る?ということです。一曲分は短くできたんじゃないかなぁと。必要なシーンですが、3曲も歌われると流石にダレるので、ここは結構きつかったですね。


それに、殺人事件が起こってからの展開がよりきつい。由紀を強姦した紫の男を秀丸が殺すというのが事件のいきさつなんですけど、ここからの何が大変かってもう病院関係なくなっちゃったこと。それまでは三人が病院で居場所を見つけたみたいな展開だったのに、事件が起こるやいなやチュウさんは退院して、せっかくの居場所を失ってしまっているんですよね。まぁずっと入院しているわけにもいかないので仕方ないんですけど、病院内での展開が嫌いじゃなかった私は、少し心が離れてしまいました。


それに、強姦の被害を受けた由紀が、結構放置されていたのも個人的には辛かったです。由紀のその後はなかなか明かされないんですよね。チュウさんの話の最中も「いや由紀は?」とずっと思っていて、あまり集中できなかったのが少しきつかったです。でもって、再登場した裁判のシーンもですね、なんか邦画の悪いところ出てると思うんですよ。裁判シーンで涙目に思いを語るの過剰演出だなって。あれじゃ証言が有力な根拠にはならなくないですか。もう少し淡々と答えた方がよかったのではないでしょうか。


あと、終わり方も「え?これで終わり?」となるような、唐突な終わり方でしたし(シーンのチョイス自体は間違ってないと思うけど)、個人的には事件が起こった後よりも、事件が起こる前の方が面白かったですね。そういう意味ではわりと希有な映画な気がします。




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・あの病院はまるで「塀のない刑務所」のよう


思うに、後半がハマらなかった一番の要因となったのが、回想シーンでの由紀が普通に外を出歩いていることではないかと。外出は一応許可制なのに、あんな簡単に外に出られてしまって、管理体制どうなってるんだと突っ込まずにはいられません。というかこの病院、全体的に緩いんですよね。外出の際も職員がついていく様子はありませんし(単に人手不足かもしれない)、おばさんの虚言を見過ごして外出させて、結果的に死なせてしまっていますし。それに部屋も管理されていませんし、こういうとアレなんですけど、ぶっちゃけあの病院って自殺しようと思えば、いつでもできる状態だと思うんですよ。一応精神科の病院で、そういったリスクを人一倍背負っている人たちを抱えているからには、もっときちっとした方がいいんじゃないかとは思います。


ただ、これにはちゃんと理由がありまして。それは患者さんの人権の保障なんですよね。あまり厳しくすると刑務所になっちゃいますから。なんかの本で読んだんですけど、刑罰って受刑者から様々なものを剥奪するものなんですよね。仕事を剥奪し、収入を剥奪し、居住権を剥奪する。収監された状態は自由の剥奪でもあるでしょう。そして、これは入院患者さんたちにも言えると思います。彼らは、住む場所を追われて、収入もありません。閉じ込められて、隔離されているという意味では、あの病院の状況は刑務所とさほど変わらないと言えるのではないでしょうか。端的に言えば、あの病院って「塀のない刑務所」だと思うんです。


だって、これ分かる人少ないでしょうし、協力してくださった病院にも失礼なんですけど、そもそもあの病院の外観自体が刑務所っぽいんですよ。あの平たい造りが長野刑務所っぽいなと。あと、陶芸を作る小屋。あれと似たような小屋、実際に長野刑務所にありますからね。いや、入ったわけじゃないですよ。先月に矯正展があったので、そこに行ってきただけです。でも、その第一印象で、刑務所だここ!と思ってしまったのは、映画を観るうえでかなり大きかったですね。患者さんたちの生活が、受刑者の生活に見えてしまったのが、個人的には辛く感じました。


また、患者さんたちは病院でつつがなく暮らしていますが、決して病院での暮らしを気に入っているわけではありません。常に退院したいと思っています。それは旗振り男にしてもそうですし、前述した虚言おばさんが亡くなったときに、自分たちもこのまま死んでしまうのではないかと、分かりやすくパニックに陥っていたのもそうです。私は昔二週間ぐらい入院したことがありますし、実際入院してみると思うんですが、「なんで自分はこんなところにいるんだろう」ってなるんですよね。もちろん感謝はしていますけど。二週間の私ですらそうでしたから、長く入院している人は外に出たくて出たくてしょうがないと思うんです。受刑者の方も早く出所したいと思っている方が多そうですし、このあたりも共通しているのかなと感じます。


ただ、精神科病院は当たり前ですが、刑務所ではありません。だからこそ、規制を緩くし、患者さんの意志をある程度は尊重しています。まあそれにしても屋上の柵のなさや、危険性の高い陶芸を許可していることは看過できませんけどね。でも、ある程度の自由は保障されています。加えて、今作での病院と刑務所には大きな違いが二つあります。まず一つが、ゴールの有無。受刑者は多くの場合刑期が分かっていて、ゴールが見えているのに対し、患者さんたちはどれほど入院するかも分かっておらず、ゴールが見えていません。このゴールの有無が患者さんたちを不安にさせて、不穏な空気を生み出していました。



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・最後の着地に疑問



そしてもう一つ。こちらがより重要なのですが、自責かどうかということです。冤罪などの場合を除いて、受刑者は自らの罪で服役していますし、それは納得をせざるを得ないものでもあります。しかし、患者さんの精神病は自らのせいではありません。精神病は自分のものですが、その発病には遺伝的要因や環境的要因が大きなウェイトを占めている場合も多々あります。発病したくて発病した人はいないはずです。自分でも苦しんでいるというのに治療のために隔離されるのは、自分のせいだと分かっていても納得しがたい方が多いように、この映画では思えました。


この映画の主役、秀丸、チュウさん、由紀は半ば厄介払いのような扱いを受けて、入院しています。居場所を奪われています。懲役も、犯罪を犯した人を隔離するのは一種、健全な(そうあるべき)社会からの厄介払いな面もありますし、それは介護等においてもそうでしょう。介護施設等に預けるのは、本人のためだとは言っていても、預けたことで自らの負担が軽減されたというのは、多くの方によって偽らざる本音だと思います。


実は私もですね、自分が厄介払いされてもおかしくない存在だとは常々思っているんですよ。何の生産性もないし、役に立たないし。人と喋れなくて、話題も思いつかなくて、頭がおかしい。実際、診断名もちゃんとありますし、それを口実に隔離されてもあんまり不思議ではないなーみたいに思っているんですよね。なので、患者さんたちの境遇には結構共感するものがあったんですよ。病院は理想じゃないけれど、この世の終わりでもなくて、厄介払いされた人にもちゃんと生活があって生きていけるみたいに観て安心した面もあったんですね。


だからこそ、前半は観るのが辛かったり、冗長だったりもしたんですが好きでしたし、厄介払いされて生きる希望を失くしていた人たちが、同じ境遇の人たちとの交流を通じて再び立ち上がっていくという展開に勇気を貰うことができました。それだけに、後半、特に裁判が終わった後の秀丸にチュウさんが言ったセリフが受け入れ難かったかなと。


なぜなら、チュウさんが「俺、退院したよ!」って何度も叫ぶんですよね。それは、秀丸を勇気づけるためでもありますし、自らの前進を確認する行為でもあるんですが、ちょっと病院をないがしろにし過ぎかなと。まるで病院がいちゃいけないところみたいじゃないですか。いや、本人たちにとっては痛くないところなんでしょうし、社会生活への憧れや義務感もあるんでしょうが、このセリフ、自らの居場所だった病院をばっさり切り捨ててしまっているように感じてしまったんですよね。


チュウさんは自ら退院していますし、彼にとっても病院はいたくなかったところなのでしょう。あたかも刑務所のように。看護師さんに「いつでも戻ってきていいのよ」と言われても、本音は「もう戻りたくない」でしょうし。それがあの叫びに乗せられていたと私は受け取ってしまいました。社会に居場所を求めることは間違いなく正しいことですが、病院を否定して患者さんたちとの関係までも捨ててしまう必要はあったのかなと、感じてしまいました。


なので、『閉鎖病棟―それぞれの朝―』は、描かれていることはこの上なく好きなんですけど、看過できないツッコミどころと最後の着地が気がかりで、いくつか疑問も残ってしまう映画となりました。一言で言うと惜しいですね。でも、全く悪い映画ではないので、興味のある方はご覧になってみてください。




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以上で感想は終了となります。『閉鎖病棟―それぞれの朝―』、ツッコミどころは多数あるものの、少なくない人数に受け入れられそうな映画です。機会があれば観てみるのもいいのではないでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


閉鎖病棟 (新潮文庫)
帚木 蓬生
新潮社
1997-04-25



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