こんにちは。11月24日(日)東京流通センター第一展示場にて行われる第二十九回文学フリマ東京に参加させていただくこれです。現在二冊入稿していますが、頑張ってあと二冊は頒布できるようにしたいと思っています。頑張らなくては。


そんな最中ですが、今日も映画を観に行っていました。今回観た映画は『マチネの終わりに』。平野啓一郎さんのベストセラーを映画化した一作です。予告からはNot for meな雰囲気が漂っていましたが、いざ観てみたら、意外と楽しい映画でした。潔く振り切っていたので。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キザな前半はまるでコントのよう
・後半になって反転する展開が面白い
・ちょっとした不満点





―あらすじ―


世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史は、
公演の後、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子に出会う。
ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた。
出会った瞬間から、強く惹かれ合い、心を通わせた二人。
洋子には婚約者がいることを知りながらも、
高まる想いを抑えきれない蒔野は、洋子への愛を告げる。
しかし、それぞれをとりまく目まぐるしい現実に向き合う中で、
蒔野と洋子の間に思わぬ障害が生じ、二人の想いは決定的にすれ違ってしまう。

互いへの感情を心の底にしまったまま、
別々の道を歩む二人が辿り着いた、愛の結末とは―


(映画『マチネの終わりに』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。














・キザな前半はまるでコントのよう



映画の冒頭、蒔野聡史は言いました。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。

映画が終わった今、振り返ってみれば、『マチネの終わりに』はこの言葉に集約されるような映画でした。


コンサートホールでクラシックギターを弾く蒔野。冒頭からどれだけ回るんだというくらいカメラが回り、演奏している福山雅治さんの魅力を存分にアピールします。私が観た回は年齢層が高く、見るからに福山さん目当ての女性がたくさんいましたが、これにはうっとりとしたことでしょう。


コンサートを終えて、ぐったりする蒔野。マネージャーの三谷早苗に人払いをさせ、部屋から出るとそこにはレコード会社の是永と、彼女の旧友・小峰洋子がいました。何のためらいもなく、「実は舞台の上からお誘いしていたんですが」などと歯の浮くようなセリフを口にする蒔野。いくら福山さんとはいえ、ここはキザすぎて思わず笑ってしまいます。


もう、この映画の前半って福山さんがキッザキザのキザなんですよ。低く甘い声に、もったいつけた喋り方。洋子に送ったメールに代表されるポエミーなセリフな数々。あまりのかっこつけっぷりにこんなやつ現実にいねえよ!となりました。もう人間じゃなくて、麒麟とか鳳凰とかその辺の空想上の生き物みたいに感じていましたね。あの福山さんの力をもってしても、正直引きました。


そして、その相手をつとめる石田ゆり子さんもなかなか。確かに大人びた雰囲気は魅力的でしたが、文語的なセリフの数々に、諭すような口調。演技もやや濃い味付けで、見続けているうちに少し胃もたれがしてくるほどです。特に蒔野とのキスシーンはえぐかったですね。演じている感じをひしひしと感じました。


別れた後、蒔野は仕事を中止し、洋子はパリでテロを取材し、自らもテロに巻き込まれます。PTSDを発症し、工事の音でも怖がる洋子を、蒔野はスカイプ越しに優しく慰める。この辺り、原作ではじっくりと二人の心理描写がなされていたのですが、映画ではそれを逐一説明するわけにもいかないので、二人の二度目の再会まで、物語は実にあっさりと進んでいきます


これは、福山さんと石田さんの演技が悪いわけではなく、まず単純にテンポが速すぎること。また、二人に現実に即したリアルな演技をさせるのではなく、思いっきりキザな方向に振り切ることで、感情移入をさせないような作りになっていると感じました。極端に言ってしまえば、この辺りで私は二人のことを、人形や動物園の柵の向こうの存在のように感じていました。




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そして、二人がレストランで再会してからは、ポエミーなセリフの応酬。日常会話でめったに使われない言葉がバンバン飛び出し、小説の固いセリフはそのまま読み上げられ、過程も省略されているので、もはやついていくことができません。何急に「君が自殺したら、僕も死ぬよ」って言ってんの?という感じです。飛躍しすぎでしょう。


個人的に、このレストランのシーンはもはや映画というよりも、コントに近い空気を感じました。例を挙げるなら、ジャングルポケットしずるでしょうか。あの人たちは、コテコテなストーリーをオーバーリアクションで演じることで、笑いを取ることを得意としている印象があります。もう、このレストランのシーンもまさしくそうで、深刻なことを言っているのにおかしくてしょうがありませんでした。


思えば、この前半って全てをシリアスなコント調に見せることに、針を振っていたような印象があるんですよね。伊勢谷友介さん演じるリチャードのコテコテなアメリカ人像もそうですし、フィリップの手を持ち上げて肩をすぼめる動きはわざとらしすぎました。福山さんを主役に起用したのも、小説のセリフをそのまま読み上げていたのも、振り切ってコントっぽくするためなら納得がいきます。登場人物も全員もったいぶった演技で、ここではないパラレルワールドへ飛んでしまったかのようです。「今、私は映画を観ている!」というのは、今年観た映画の中でもトップクラスに感じました。


ただ、これはもしかしたら、恋愛というものはいくつになっても盲目なものだということを表したかったのかもしれません。蒔野の「君が自殺したら、僕も死ぬよ」というオーバーな発言は恋愛の推力の強さ、衝動性を表していたように思えますし、あのポエミーなメールも少年がこっそりスマホに打ち込む恋文と何ら変わりがないように感じます。好きになったからには、相手を我が物にしたい、独占したい。周囲が見えていないその姿は、他者からしてみればとても滑稽なもので、喜劇のようでもある。そのことがこのコントの域にまで振り切ったキザな演出に現れていると、個人的には解釈しました。


その中で、全てがコント調でパラレルワールドな前半において、桜井ユキさん演じる早苗の現実感、俗物っぽさったらありませんでしたね。蒔野と洋子が廊下で初対面したときの蚊帳の外感よ。その後のバルでの二人の雲を掴むような会話に混ざれていないのが、何より象徴的でしたね。不審な目がいいです。演技も前半はわりと抑え目で、節度を持って演じており、こういう人実際にいるわーとなりました。はっきりとした劇の中で、彼女だけが現実を担っていて、登場するたびにワクワクしていました。とても素晴らしく途中までは、この映画のMVPだと思っていたくらいです。


と、このように前半はあえてシリアスコントっぽく見せているというのが私が受けた印象でした。いや、やりたいことは分かるんだけど、もっとオーソドックスにやってもいいんじゃないかというのが正直なところでしたが、この印象は後半になって一変することになります。それは、最初に上げた言葉を反芻するものでした。




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・後半になって反転する展開が面白い


映画が後半に入って、何が変わったかと言えば、まず分かりやすいのは俳優さんの演技でしょう。特に変化が顕著だったのは桜井さんです。


その兆候は中盤から徐々に出始めていて。洋子が日本に帰ってきて、蒔野と4度目の対面を果たそうとするというシーンがあるのですが、ここで桜井さん演じる早苗は、洋子に嘘のメッセージを送り、二人の仲を引き裂きます。注目したいのは、この辺りから桜井さんの演技が徐々に過剰なものになっていくこと。自分がしでかしてしまったことに対する動揺が十分に表現されていてよかったのですが、「あれ?桜井さんこの世界に順応してきた?少しずつコント畑の住人になってきてない?」とも感じてしまったんですよ。溜めも増えてきましたし。


あの、私が桜井さんを初めて知ったのってたまたま見た『だから私は推しました』というドラマなんですけど。ここでの桜井さんの役柄がある事件を秘匿するOLというものでして、その睨むようでもあり呆然とするようでもあった目つきが好きだったんですね。で、この映画の早苗も隠し事をしはじめて、影ができてきたので、近しいものを感じたんですよ。視線に狂気が滲み出るみたいな。良い母親に渦巻く不自然さみたいな。だから、この変化はすんなり受け入れられたんですけど、同時に彼女が向こうの世界に行ってしまったら、こっちの現実には誰もいなくなるんじゃないかという危惧も感じたんですね。


でも、そんな心配は無用で。反対に福山さんと石田さんの演技が徐々に抑えられていくんです。最初は濃い味付けに慣れてきたかもしれないと思ったんですが、明らかに福山さん演じる蒔野が情けなくなっていっているんですよね。表情もキメにキメることはなく自然なものになっていっていますし、セリフも口語的になってきている。これは、やはり抑えていると見るのが妥当だろうと。暗い部屋に立っているシーンが増えたのも象徴的で、今度は彼に感情移入させようとしているように思えました。


それに、舞台が四年後に移った後の石田さんの佇まいも、心なしか穏やかなものになっているようでしたし(伊勢谷さんは全然変わってなかったけど)、三人とも展開によってグラデーションのように演技を変えていて、やっぱり俳優さんって凄いんだなと感じさせられます。特に桜井さんの振れ幅が印象的でしたね。一気にファンになりました。今度近くの映画館で出演作の『アイムクレイジー』やるみたいだし観に行こうかな。




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また、後半の展開は前半の展開を反転させたものにもなっていまして。早苗の嘘をついて二人の仲を引き裂いたというのは、とても愚かな行為じゃないですか。一般的に見れば。まあ私は原作でもこの展開が一番人間臭さを感じて好きでしたし、いけいけやっちまえーぐらいに楽しんで観ていたんですけど。


でも、早苗も蒔野に対して好意以上の感情を持っていて、盲目になっていたんですよね。「蒔野の人生の名脇役になりたい」とその献身を明言していますし。いわば前半では恋愛、というより単純に愛と言った方が正しいのかもしれない、に盲目になっていたのは蒔野と洋子なのに対し、後半では早苗になっているんですよね。蒔野と洋子は別れて4年半の年月を経て、もう目が覚めているんです。


そして、その目が覚めた未来から振り返って、あの時は気づかなかったけれど、蒔野と洋子は愛に支配されて盲目になっていたと観ている人に突き付けるのが、この映画版の特徴となっているように感じます。蒔野と洋子も会えなかった4年半を経て変わっていますし、映画の中でも外でも「未来が過去を変えている」んですよね。その構造が面白いなと。


しかし、二人が真相を知ったときには、また強めの演技が取り戻されます。蒔野は素手でコップを割り、洋子は遂に泣き出してしまいます。ここは、二人の愛が復活して、視野狭窄に陥るほど、相手のことしか考えられなくなっていたシーンのように思えます。映画の終盤で蒔野が弾き、洋子が聴く「幸福の硬貨」は、身を切るような切なさと包み込むような優しさがありました。


前述したように、愛と呼ばれるものが人を盲目にするならば、目隠しをして右往左往している姿は、人から見たら喜劇のように映るでしょう。原作では「愛という曲芸」という言葉が登場しました。曲芸とは熟練されたもので、離れ業とも言い換えられます。しかし、映画で描かれた蒔野と洋子の恋愛は、大人っぽく見せていますが、本質は10代のそれと変わりなく、熟練されたものとは言えないと思います。そのために、二人の愛は一度は失敗に終わってしまいました。


それでも原作では、「この世界では遂に、愛という曲芸に成功することがなかった二人が、……彼らはきっともう失敗しないでしょう、……」と書かれています。映画も二人が会う前で終わってしまいましたが、失敗した過去を大切な思い出にできるような未来を歩んでいくのではないかと、期待を抱かせる終わり方でした。原作の精神やテーマを上手く踏襲した、良い映画化だったのではないかと個人的には感じました。




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・ちょっとした不満点



まあそれでも、この映画化に不満がないわけではありません。一つは、原作ではジャリーラはイラク戦争の難民という設定になっていましたが、映画版ではただの洋子の仕事仲間となっていて、マチネのシーンに大きな感動を抱けなかったこと。一つは、ソリッチが既に故人となっていて、好きだった洋子とソリッチの会話シーンがなかったこと。一つは、原作では武知という蒔野とタッグを組んでコンサートツアーをするキャラクターが登場し、それが蒔野の復活に大きな影響を与えていたのですが、こちらもカットされていたこと。


他にも全体的に駆け足でしたが、文庫版で450ページもある原作を2時間の映画に収めるためには、様々なところを削らなければいけないということは、『蜜蜂と遠雷』で学んだので、正直ここはそれほど大きく不満ではありません。完全な映画化を望むのは無謀であり、しょうがないと納得することだってできます。


それでも、思わず惜しいと感じてしまったのが、終盤のベートヴェンの件。「通してからもう一度見ると、今までのシーンがまた違って見える」という内容の会話がありましたが、ここまで触れてきたように、これってこの映画の構造そのものなんですよね。正直、ここで分かりやすく種明かしをしてしまうのは野暮なように思えました。実は、原作でもこの件はありますが、それは序盤だからいいのであって、終盤になって「こういう風に観るんですよ」と説明されると萎えてしまいます。そこで、関心が少し冷めてしまいました。本当に惜しいです。


ですが、私がこの映画に抱いた大きな不満というのはこれくらいですし、全体を通して見ればいい映画だったので、興味のある方は映画館でご覧になって見てはいかがでしょうか。意外と笑える楽しい映画ですよ。




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以上で感想は終了となります。映画『マチネの終わりに』。キザな面と情けない面の複数の顔を見せる福山雅治さんが見られるのでとても楽しい。ファンのみならず多くの方に観ていただきたい映画です。構えなくても大丈夫。やっていること10代とあまり変わらないので。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


マチネの終わりに (文春文庫)
平野 啓一郎
文藝春秋
2019-06-06



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