Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2020年01月



こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『幸福路のチー』。台湾発のアニメーション映画です。去年11月の公開からSNS上でじわりじわりと注目を集めていたこの映画。ぜひ観たいと思っていましたが、年明けになってのこのタイミングでようやく観ることができました。そして観たところ、噂にたがわぬ良作でした。個人的な好みにカチっとハマったんですよね。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

アメリカで暮らすチーの元に、台湾の祖母が亡くなったと連絡が入る。久しぶりに帰ってきた故郷、台北郊外の幸福路は記憶とはずいぶん違っている。運河は整備され、遠くには高層ビルが立ち並ぶ。同級生に出会っても、相手はチーのことが分からない。自分はそんなに変わってしまったのか。チーは自分の記憶をたどりはじめる。

空想好きだった幼い頃は、毎日が冒険だった。金髪に青い目のチャン・ベティと親友になってからの日々、両親の期待を背負っての受験勉強。学生運動に明け暮れ、大学卒業後は記者として忙殺される毎日を送った。そして友との別れ。現実に疲れたチーは、従兄のウェンを頼ってアメリカに渡る。そこで出会ったトニーと結婚し、両親にもアメリカで幸せになることを誓ったけれど……。今、夫から離れて幸福路のいるチーは、昔と同じように祖母の助けを必要としている。

実は人生の大きな岐路に立っていたチーは、幸福路である決断をする――。

(映画『幸福路のチー』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを多少含みます。ご注意ください。








まず、『幸福路のチー』は台湾・幸福路生まれ、アメリカ在住の女性チーの半生を、大人になった彼女が子供時代を回顧するという形で描いています。物語は別として、映像面での特徴を上げるとすれば、アニメならではのイマジネーション溢れる映像が多かったということでしょう。この映画は基本的には色合いも薄めで、画面はシンプル。それでいて色鉛筆で塗り重ねたような暖かみがありました。


しかし、これが子供時代のチーの回想となると一変します。画面はクレヨンで描かれたように色彩が濃くなり単色系に。子供の単純な空想であることを示すかのように、ポップな絵が動き回ります。特に前半は、こういったチーの空想のシーンが満載でとても楽しく見ることができました。ワクワクしましたね。さらに、劇中ではまさかの『ガッチャマン』も登場。「誰だ誰だ誰だー」でまさかとは思いましたが、本当にガッチャマンになるとは。びっくりしたと同時に、日本アニメへの愛も感じて、顔がほころびました。


でも、この空想のシーンは楽しいだけじゃなくて、残酷なシーンもありました。従兄のウェンのシーンがそれですよね。あのシーンって多分、体制に反発して、警察に捕まって拷問されたということですよね。でも、それを童話的に描いていて、残酷に見せない工夫がなされているんですよ。この映画では。なんというかそこにアニメの力みたいなものを感じて、好きでした。




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でも、悲しいのがこれらの空想は、チーが子供時代に夢見ていたもので、大人になったチーからは消え失せていることなんですよね。子供のころは将来の希望に満ち溢れていたし、自分を連れ出してくれる王子様もいて、いつか偉人になることができると信じていた。でも、子供の頃の夢は叶わず、大人になったチーはアメリカで一介の主婦をしています。現実しか見えなくなり、見る夢はあまりいいものではありません。こんなはずじゃなかったという後悔が、チーに押し寄せてきます。


生きていると、きっと誰だって後悔はあると思います
。あのとき、違う道を選んでおけばよかったというのは、多くの人が一度は思ったことがあるのではないでしょうか。「我が生涯に一片の悔いなし」なんてないと思います。たとえ成功者であっても。小1の頃から自分は死んだほうがいいと思っていて、中高生の頃は30才までには確実に死んでると考えていて、子供の頃でも未来に希望がなかった私ですら、どうしてこうなったんだろうと人生を後悔しきりですから。なので、なんとか生活はできているけど、人生に迷っているチーのキャラクターには共感しました。


そんなチーは自らの半生を、特に子供の頃は、美化して振り返っています。まるで邪心なんてなかったかのように。おばあちゃんとのささやかな思い出や、友達のエンやベティと純粋に夢を語りあった日のことを、空想を用いながら大いに美化しています。父親は浪費癖があり、母親とけんかをよくするなど家庭状況もあまり上手くいっていないのにも関わらず、好意的に振り返っています。それは、人生が思うとおりに行っていないチーの切なる願望でもあったのではないでしょうか。私は感じて胸が締め付けられるようでした。


しかし、大人になっていくに連れて、チーの思い出のメッキは剥がされていきます。医者になってほしいという両親の思いに反して別の道を選んだり、学生運動に参加したりと自らの意思で動くようになるにつれ、空想は消え、描写が現実的なものになっていくのは、なかなか来るものがありました。就職してからは両親のために仕事人間にならざるを得なかったというのは、心当たりがある人も多そうです。


少し話は逸れますけど、この映画って現代台湾の現実的な部分も多く描いているんですよね。台湾語禁止の国語教育に、学生運動。戒厳令解除下の台湾の混乱や、蔣介石や陳水扁など実際の政治家の名前も登場します。9.11も描いているのは攻めてるなと感じます。やっぱり人々の生活は、こうした政治的な動きと不可分のものですし、この現実的な部分を描いたことで、翻弄される一般市民に過ぎないチーの内面がより真に迫って伝わってきました












ここで、テーマ的な話をすると、この映画のテーマってタイトル通り「幸福」「幸せ」ということだと思うんです。後悔しているとき、人はあまり自分のことを幸せだと思えないと思います。あの時ああしとけばよかったと、あるはずのない未来像ばかり夢見て、現実を見つめられない部分もあるでしょう。また、満たされたとしても、次から次へと欲が出てきてしまうのが人間だとも思います。ある人にとっては幸せでも、別の人にとっては幸せではないというのはザラです。


でも、この映画の幸せというのは、実は最初に定義されているんですよね。それは「いっぱい食べて眠ることができること」です。何を当たり前のことをとも思うかもしれませんが、現実にはこれが満たされていない人だっています。基本的なことが幸せだとこの映画は言いたかったのだと私は感じました。


つまり、いっぱい食べて眠ることができれば、どんな状態でも幸せなわけです。それはどの道を選んでも同じこと。チーが今の状況に満足していなくても、今の道を選んだこと自体が幸せだと。何を選んでも、選ばなかったとしても、たとえ選択に後悔していたとしても、それをひっくるめて幸せだといっているのがこの映画なのかなと感じます。


そして、それは主体的に選ぶことだけではなく、環境に強制されて選ばされることにも言えるのではないかと。この映画にはベティというキャラクターが登場しました。彼女は金髪碧眼の外国人。子供を二人設けていて、チーから見れば幸せそのものです。それでも、彼女はそのルックスから思うような仕事に就けず、髪を黒く染めて辛うじて働いています。また、子供も台湾国籍なのに「アメリカ人はアメリカに帰れ」と言われていて、幸せ一色ではないということが示されていました。




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ただ、この映画はそんなベティも含めて幸せだというんですよね。ベティの生まれは自分で選ぶことができなかったものですし、チーの祖母も少数民族で、チー自身も野蛮人とからかわれていましたけど、これもどうすることもできません。さらに、それは台湾の社会情勢にまで拡大解釈することが可能で。学校教育や政治って一朝一夕に変えることができないものじゃないですか。台湾語を禁止されたチーのように、社会が選択肢を狭めて、ある一定の選択しかできなかったというケースは枚挙に暇がありません


でも、その振り回されることも含めて、いっぱい食べて寝ることができれば幸せじゃないかとこの映画は言っていると思います。主体的に選んでも、環境に選ばされても、全ての選択は幸せだというとてもやさしいメッセージがこの映画には込められていると、私は感じました。そういう意味では去年公開された『空の青さを知る人よ』を思い出しましたね。あの映画もすべての選択を肯定する映画でしたし。


映画を観ている人で全員が全員、自らの意思で人生を決めてきたわけじゃないですし、自分で選べばよかったと後悔している人も少なくないと思います。でも、この映画はその選択の末にもたらされた今はどうあっても、いっぱい食べて眠ることができていれば幸せなんだと言っているようで、後悔ばかりの自分も少し肯定されたような気がして、胸が暖かくなりました。












だけれど、人生は主体的に選んだほうがいいとも、この映画は言っていると思います。現実にはどこか遠くへ連れ去ってくれる王子様はいませんし、死してなお困ったときにアドバイスをくれるおばあちゃんもいません。王子様に連れ去られるというのは、主体的に選択をすることを放棄しているのと同じことで、それは選択肢を狭める社会環境と何ら変わりないと、私は思います。おばあちゃんの言いなりになることも同じことです。


確かに、出自はどうしようもありませんし、生まれたときの経済状況や家庭状況等で、ある程度人生が決まってしまうのも事実だと思います。社会も個人の力で変えることは不可能でしょう。選ばされることもあると思います。ただ、チーはある時期から主体的に選ぶようになっていますし、選んだ先の人生がどうであれ幸せというのはこの映画の大きなテーマだと私は思います。


ラストがまさにそうですよね。チーは自分の意志で決断をしました。その決断を下した後の、チーの家族の様子はとても暖かで、幸せで、泣きそうになりましたけど、これもチーが主体的に選んだ結果なんですよね。同じ選択をするなら選ばされるよりも、選ぶことの方が大事だというのがこのシーンに込められているような気が私はしました。王子様やおばあちゃんに頼らず、自分で選ぶこと。それができる状況がもしかしたら、一番の幸せなのかもしれないですね。




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以上で感想は終了となります。映画『幸福路のチー』、観終わった後に、心がほんのり暖かくなる良い映画でした。主題歌の歌詞が感傷的だったのも合わせて好きな映画です。機会があれば観てみてはいかがでしょうか。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 






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こんにちは。これです。


いきなりですが、今回のブログも映画感想になります。今回観た映画は『パラサイト 半地下の家族』。去年『万引き家族』も受賞した、カンヌ国際映画祭最高金賞パルムドールに輝いた韓国映画です。今年の公開に先駆けて、去年先行上映が行われていましたが、観た人たちからは絶賛の声が続々。否が応でも期待値は高まります。


ただ、この映画ネタバレ禁止令が出ているんですよね。そのなかで感想を書くのは慣れていないので難しいんですけど、でも、感じたことをつらつらと書いていきたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・格差社会をエンタメとして描く
・鏡みたいな映画




―あらすじ―

過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。

「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。

パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。


(映画『パラサイト 半地下の家族』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。








※ここからの内容は映画のネタバレを含むかもしれませんし、含まないかもしれません。
 ストーリー及び結末についてはあまり触れていませんが、どうしてもネタバレが嫌ならば、この先は読まないことをお勧めします。















・格差社会をエンタメとして描く


それではここからは感想です!といきたいところなのですが、この映画はポン・ジュノ監督からネタバレ禁止のお願いが出ているんですよね。なんでも「兄弟が家庭教師として働き始めるところ以降の展開を語ることは、どうか控えてください」とのことです。なので、そのお願いに従うのならば、あらすじ以上の展開は書けないということになりますね。まぁこの感想を誰かが読むとはあまり思いませんけど、一応ここではそのお願いに従ってストーリーへの言及は基本的に避けることにします。


まず、ネタバレのない範囲で言うと、俳優さんたちは全員好演を見せていたと思います。ソン・ガンホの無骨だけど、嫌いになれない父親像や、チャン・ヘジンの母親と家政婦の切り替え。長男・ギウを演じたチェ・ウシクのあどけなさの残る表情とは反対に、長女・ギジョン役のパク・ソダムの大人びた仕草。キム家の4人とも余裕のある演技を見せていたのが印象的でした。また、パク家の面々もよくて、個人的には母親役のチョ・ヨジョンのストレートな感じがツボに入りました。これら俳優さんたちの演技だけでも観る価値があると思います。


あとは、格差社会という社会問題を取り扱っているのにもかかわらず、大エンターテイメントをしていたことも好きでした。家庭教師から、タイトル通りパク家に「寄生」するキム家の作戦は、意外なほど頭脳的で見ていてワクワクします。また飲んだくれるシーンでは、いつ事態が動くかとはらはら館を感じながら見ていました。テンポもいいですしね。また、前半は笑えるシーンも多く、集中力のない私でも、飽きることなく見ることができました。やっていることはエグイのですが、コメディカルに見せるポン・ジュノ監督の手腕に脱帽です。




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ただ、ベースとなっているのは格差社会です。現代はますます富裕層と貧困層の格差が拡大傾向にあり、世界の富豪の上位26人と貧困層38億人の資産はほぼ同額だというデータもあるほどです。格差は開く一方でなかなか縮まることはありません。それは韓国でも同じようでした。


キム家は半地下住宅で貧しい暮らしを送っています。全員失業中で、内職で生計を立てる日々。冒頭の数々の描写は彼らが恵まれていないことを強く印象に残します。一方、IT事業で成功したパク家は、坂の上の広い邸宅に住み、家政婦や運転手を雇う余裕もあるほど裕福な生活を送っています。この映画では、この物理的な高低差が、そのまま貧富の差を表していました。富裕層は高台に、貧困層は低地に。


その傾向は日本でも変わりません。南麻布や白金台などといった高級住宅街は、その多くが坂の上にありますよね。高台の上から貧困層を見下ろしているわけですよ、富裕層は。貧困層は見上げるしかないんです。実は、それをより象徴するものがあるんですけど、また後ほど。


さて、富裕層は坂の上に住んでいるから、不況の波だってなんのそのです。だってお金があるから。波は彼らのもとまで届かないのだから。国の富裕層優遇の政策に守られているのだから(消費税とか)。『パラサイト』の劇中にあった〇〇の描写は、コントロールできない不況の波に飲み込まれる貧困層を私は連想しましたね。絵面とも合わさって、目を背けたくなるほど辛いシーンでした。


ただ、高いところに住んでいれば必ずしも安全というわけではなく。反対に、高いところに住むことが仇となる場合もあるんですよね。実はそのことは去年の日本で、既に実証されてしまっていると私は考えます。



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・鏡みたいな映画


いきなり話は変わりますが、去年10月の台風19号は、特に東日本に甚大な被害をもたらしました。私の住んでいる地域でも大きな被害があり、いまだに復旧作業が続いている状態です。自宅にまだ帰ることができない人もいることでしょう。亡くなった方の冥福を祈るとともに、被災地の一日でも早い復旧を願っています。


さて、この台風の話をしたのは偶然ではありません。台風19号で被害を受けたのは低地だけではありません。某所(ご存じでしょうが地名は伏せておきます)のタワーマンションで、断水や停電といった被害が起こりました。エレベーターが使えず、トイレが使用できず、駐車場は浸水。住人の方は困り果てました。


言うまでもなく、タワーマンションとはお金を持っている人が場所でしょう。地価も高いですし、上階に行けば行くほど家賃も上がります。高台の高級住宅街と一緒ですね。でも、タワーマンションは今回の被害によって、台風にはあまり強くないことが明るみになりました。お金を持っていて、高い場所に住んでいたとしても、それなりのリスクはあるということです


タワーマンションの被害が報道されたときに、皆さんはどう思ったでしょうか。心を痛めたでしょうか。私はというと、本当に本当のことを言うと、少しだけ「ざまあみろ」と思ってしまったんですよね。生活にあえぐ貧困層の気持ちが分かったか!と感じてしまったんですよね。もちろん、タワーマンションに住んでいる方々は大きな努力をして、一生懸命お金を稼いで、暮らせるようになったというのは分かっています。日々を無為に過ごしている私よりも、正しく価値のある方々です。でも、いい気味だと感じてしまった。これってめちゃくちゃ醜い気持ちだと思うんです。


貧すれば鈍するじゃないですけど、貧乏だと心もだんだん貧しくなっていくじゃないですか。人を羨ましがり、やっかむようになりますよね。貧乏暇なしで余裕がない。金銭的余裕=精神的余裕ですよ。金銭的な貧富の差がなかなか埋まらないように、心の貧富の差も同じくらい、もしかしたらそれ以上に埋まらないものかもしれないですね。この映画を観て、そこが貧困層と富裕層の一番の違いであるとさえ思えました。




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この映画では、キム家がパク家に「寄生」していく様子はスピーディーかつポップに描かれています。貧困層が富裕層によってたかる姿をエンターテイメントとして映し出しています。問題は、私たちはそれを楽しんでいいのかということだと思うんですよ。傍から見ると醜い「寄生」を、エンターテイメントとして楽しむ心自体が醜いのではないかと


最後の展開で勘違いされがちなんですが、この映画って、貧困層の味方の映画!というわけではないと思うんですよね。もしそうするんだったら、あの展開なんてもっと大願成就の爽快感を出すようにしていると思いますし。つまりは富裕層は富裕層で醜いし、貧困層は貧困層で醜い。そういう人間の醜さを浮き彫りにした映画なんじゃないかと思います。


まとめると、この映画って鏡みたいな映画だと感じました。今自分がどこにいるのかを映し出す鏡。着飾っていても内面は醜いことを照らし出す鏡。私は手取り10万円以下ということもあり、貧困層よりの見方となってしまいましたが、俗に富裕層と言われている方が、この映画をどう見たのかは気になるところです。単に恐怖以外のものを受け取ってほしいなぁと。多くの方に観ていただきたい映画ですね。




とまあ、『パラサイト 半地下の家族』。凄い面白かったんですけど、正直、期待し過ぎた部分はあったのかなと……。先行上映で観た人たちがとにかく煽ってきていたので、それに応じてハードルが高くなっていたんですよね。普段を10とすると、この映画は15ぐらいはあるんですけど、事前のハードルが20くらいに上がっていたので、そこには届かなかったかなと……。今年のベスト10にもたぶん入るかどうか……。もっとまっさらな状態で観たかったです。




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以上で感想は終了となります。映画『パラサイト 半地下の家族』。最後は不満になってしまいましたが、間違いなく面白いので、興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。ああだこうだ言いつつも、お勧めできる作品です。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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こんにちは。まだ年が明けた実感が湧かないこれです。箱根駅伝を見ても、初詣に行っても、何かが変わった気がしません。これから徐々に感じていくんでしょうね。


さて、今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『国家が破産する日』。実際にあった韓国の経済危機を題材とした映画です。政府のかなり深いところまで切り込んだ、ドがつくほどの社会派映画でした。日本じゃこういうのなかなか作れなさそう……。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・三者の視点で描かれる韓国の経済危機
・何を疑い、何を信じるか





―あらすじ―

経済が右肩上がりの成長を遂げ、好景気が続くと信じて疑わなかった1997年。韓国銀行の通貨政策チーム長ハン(キム・ヘス)は通貨危機を予測するが、政府の対応は遅れ、さらには国民には公示せず非公式の対策チームを立ち上げる。同じ頃、危機の兆候を独自にキャッチした金融コンサルタントのユン(ユ・アイン)は、一世一代の大勝負に出る。一方、何も知らない町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)は、大手百貨店からの大量発注を、手形決済という条件で受けてしまう。自国通貨の価値が加速度的に下落する中、彼ら、そして国家は生き残ることが出来るのか―。

(映画『国家が破産する日』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。











・三者の視点で描かれる韓国の経済危機


この映画は1997年の韓国のIMF経済危機を題材にしています。当時の韓国は経済成長の真っただ中。国民の所得は1万ドルを超え、OECDにも加盟。しかし、1997年に入ってからは大きな鉄鋼会社が倒産したり、有名な自動車会社が不渡りを出したりと、少しずつ成長にも陰りが見えてきていました。アメリカの証券会社が「韓国から手を引いたほうがいい」というほどです。


この映画はそんな韓国の経済危機を三つの視点から描いています。まず、韓国銀行の通貨政策チーム長のハンの視点です。この映画はハンの視点が最も多く、実質的に彼女が主人公といえるでしょう。そのハンを演じたキム・ヘスの、自分を曲げない力強い言動が印象的でした。無言の時の演技が、忸怩たる思いを表していて引き込まれましたね。


ハンが言うことには海外の投資家が返済期限の延期を取りやめていると。韓国は彼らにお金を返さなくてはならず、自らの手持ちのお金は減ってしまいます。このお金のことをこの映画では外貨準備高と言っていましたが、この外貨準備高が不足すると、輸出入ができなくなる。つまり国家が破産してしまうと


少し違うかもしれないですが、日本でも財政破綻した自治体というのは過去にありましたし、それが国家レベルとなると、あながち絵空事ではないように感じてしまいます。なお、ハンの予測では国家が破産するまで残り7日ということでした(実際は7日以上持っていましたけど)。




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また、この経済危機を予測していた人物は他にもいました。それが金融コンサルタントのユンです。ユンは経済危機を利用して一儲けしようと、勤めていた銀行を退社します。この後、ユンが自分の顧客を募り現状を説明をする場面があるのですが、だいぶ噛み砕いて説明してくれたにもかかわらず、専門用語の応酬で経済に疎い私にはちんぷんかんぷんでした。簿記の資格を取るときに少し勉強したのですが、すっかり忘れてしまっていたようです。映画に出てきた金持ちのボンボンと同じくらいのあほらしさ。もっと勉強しなきゃと感じましたね。


経済危機を予測したユン。一番最初に影響が出るのは通貨だと考えました。ユンいわく、ウォンの価値が現在の三倍まで下がると。だから今のうちにドルを買っておいて、ウォン安になってから売れば大儲けできるという訳なんですね。この映画は、ユンの企みがどこまで上手くいくかといったサスペンス的な要素もあり、それを楽しみに見ることもできます。全くの不謹慎ですが。なお、この映画でユンを演じたのは『バーニング 劇場版』のユ・アインで、彼の自信たっぷりな笑顔はとても不気味でゾクゾクしました。


ユンは、政府は経済危機の事実を隠すはずだといいます。その(もっともらしい)理由は、国民が混乱することを防ぐため。もうどうしようもないとしても、事実をちゃんと伝えるのが誠実なあり方だと思うんですけどね。私は。透明性がないと信用してもらえないですよ。


そう思ったのかどうかは知りませんが、ハンも経済危機を国民に知らせるべきだといいますが、財政局次官や首相に却下されてしまいますこの財政局次官を演じたチョ・ウジンが実に憎たらしくて良かった。圧倒的に上の立場にいることからくる余裕が鬱陶しく、映画の敵役として最適でした。


この映画の主な構造は、ハン率いる通貨対策チームと権力との戦いです。ハンの訴えは何度も却下され、なかなか聞き入れてもらえません。ハンの主張は弱者である一般市民のことを思ってのことだったので、この映画は一般市民vs権力という図式でもありましたね。強大な権力に抗う弱者たち。これって見たことないんですけど、『半沢直樹』に似てるなと思います。この映画は国家レベルの『半沢直樹』だと、あくまで私は感じました。しかも、ハンたちはチーム戦ですからね。通貨対策チームが協力して、隠蔽を暴こうとするシーンはなかなか熱かったです。




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さて、政府が隠そうとしても、現実として通貨危機は来てしまいます。株価は暴落し、銀行には人が殺到し、不渡りを出して倒産する企業が続出してしまいます。この映画の三つ目の視点として用意されていたのは、この一般市民の代表であるガプスです。


ガプスが経営する町工場は、もともと現金取引しかしていませんでした。しかし大口の取引先である百貨店との契約で手形決済を迫られ、やむを得ずサインしてしまいます。大口の発注があったと喜ぶガプスですが、そこに訪れるのが経済危機。取引相手の百貨店も例外ではなく、経営難に陥ってしまい、手形は返済されず、紙くず同然に。政府の対応の不味さが一般市民を傷つけたという象徴として描かれていて、胸が苦しくなりました。


このガプスを演じたのは、ホ・ジュノでしたが、顔に刻み込まれた皴が情けなさを醸し出していて、とても役にはまっていると感じました。夜の街でOECD加入の幕を見上げるシーンの背中で語るやるせなさや、自殺を試みるシーンでの迫真の演技は強く印象に残っています。彼がいたことで、政府の露悪さが浮き彫りになっていて、この映画をより重大なものにしていたと考えると、この映画のMVPといってもいいのかもしれません


そして、経済危機を迎えた三者の行きつく先は―?それは映画を観てのお楽しみです。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。










・何を疑い、何を信じるか


この後、映画はIMFに援助を求めるかどうかで揺れ、IMFの植民地支配的な要求を受け入れるかどうかで揺れ、IMFとアメリカの関係にも切り込むなど攻める展開が続いていましたが、個人的に一番来たのはラスト手前のシーンです。ちょっと記憶にないくらいのバッドエンドでした。


端的に言ってしまうと、ハンは負けます韓国はIMFからの援助を受けることを決意しかし、その煽りを受けて失業者、自殺者が増加。国民は韓国再建のために巨額の募金を集めますが、それは韓国再建ではなく、企業の借金の返済に使われたと。一人車の中で、初めて涙を見せるハン。その涙は悔しさややりきれなさが結晶となったもので、こんなに報われないことがあっていいのかと思うほどです。


でも、この映画に限ってはそれでよくて。こういったタイプの映画って気づきを与える映画だと思うんですね。そして、その気づきは、勝ったねよかったねよりも、負けてしまったという方がより強烈に受け止められると思います。この映画が与えた気づき。それは「疑い、考える」ということでしょう。


この映画で、政府は嘘をついていましたその嘘を疑わなかった一般市民は、苦境にあえぐことになります。しかし、最後まで政府を疑ったユンは巨万の富を得ています。疑う者が勝つことは残酷なことですが、この映画ではそれが現実となってしまいました。終盤のユンの笑い声に代表されるように、たとえ得た富は空しいものであったとしてもです。疑うことの重要性をこの映画は訴えかけてきました




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この映画で、韓国がIMFの援助を受けた最大の理由。それは、大企業優先、富裕層優先の政策が根底にあったからです。現代では貧富の差はますます拡大していますし、それは日本も例外ではありません。日本も消費税が上がって貧困層の負担は増しているのに、法人税は下がって大企業の負担は減っています(そういえばIMFは「消費税を15%にしろ」って言っていたような)。日本も、貧困、または中間層である私たちが政府を疑わなければ、何も言わなければ、ますます格差は拡大していくことでしょう。


ただ、誤解してほしくないのは、私はあくまで現政権は退陣しろと言っているわけではないということです。最近は、桜を見る会などで安倍政権もだいぶ怪しくなってきて、疑う人も増えてきたように思えます。ただ、大事なのは他の党に政権が変わったからといって、疑うことをやめてはいけないということでしょう。ぶっちゃけ私はどの党が政権をとっても、絶対何かしらの隠蔽はあると思っていますし。そのくらいには政治を信頼してないですし。


それに、「疑い、考える」ことが大事と言われたら、この映画だって疑われてしかるべきだと思います。大企業や富裕層に視点を変えてみれば、政府こそがヒーローでハンたちがヴィラン的な見方もできるわけですよ。ハンたちが正義であるなんて確証はどこにもないんです。


でも、そうやって疑い続けているとキリがないですよね。頭がオーバーヒートを起こしてしまいますよね。多分、何を疑うのかと同じくらい、何を信じるのかが重要だと思うんですよ。疑って疑って考え続けた先に何を信じるか。政府を信じるならそれもいいでしょうし、野党を信じるならそれでもいいでしょう。大事なのは一人一人が何を信じて、選択するかだと私は思います。


この映画は最後、20年後、つまり現代に時間が飛びました。危機は繰り返します。20年前の危機はバッドエンドに終わりました。現代の危機を今度はハッピーエンドで終わらせるか、それともまたバッドエンドで終わらせるかは、私たち一人一人に託された。この映画を観てそんなことを感じました。




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以上で感想は終了となります。


映画『国家が破産する日』。良いか悪いかはともかくとして、観ておいて損はない映画だと感じました。日本でも似たようなこと起こっていますからね。興味のある方はぜひ観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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あけましておめでとうございます。これです。旧年中はたいへんお世話になりました。今年もできる限り映画を観て、ブログに感想を書いていきたいと思っていますので、2020年も何卒よろしくお願いします。がんばります。


さて、時は去年の11月。映画界に彗星のごとく現れた『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』。様々な方面から称賛する声が相次ぎ、公開初週の興行収入ランキングでも3位にランクイン。SNSでも実質ジョーカーだの、攻殻機動隊だっただの、様々なパワーワードが飛び交い、トレンド入りするなど大きく話題になりました。


ただ、長野県では公開は松本のイオンシネマのみ。長野から松本までは電車で一時間以上かかるので、距離的な面倒くささがハードルになって、なかなか観ることはできませんでした。しかし、この度、新年になって長野市でも上映が開始。公開初日に観に行くと、座席は8~9割が埋まっているという盛況ぶり。もちろん親子連れがメインでしたが、ヒットの噂を聞きつけたのか大人だけのお客さんの姿もちらほらと。私の隣は、両隣とも10~20代の女性でした。言うまでもなく私は一人です。


そして、観てみたところ、泣きました。その優しい世界にとても泣きました。両隣の女性もグスングスン泣いていましたし、新年一発目からとてもいい映画を観ることができて、清々しい気持ちです。話題になるのも納得の面白さでした。観てよかった……!最高……!


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・初心者の私でも問題なく観られた
・思っていたより笑えて楽しかった
・誰にだって居場所はあるという優しい世界に泣いた





―あらすじ―

いつもの喫茶店、いつものすみっこ。
その地下室に隠された、不思議な絵本とは・・・?

ある日すみっコたちは、お気に入りのおみせ「喫茶すみっコ」の地下室で、古くなった一冊のとびだす絵本をみつける。
絵本を眺めていると、突然しかけが動き出し、絵本に吸い込まれてしまうすみっコたち。
絵本の世界で出会ったのは、どこからきたのか、自分がだれなのかもわからない、ひとりぼっちのひよこ・・・?
「このコのおうちをさがそう!」新しいなかまのために、すみっコたちはひとはだ脱ぐことに。

絵本の世界をめぐる旅の、はじまりはじまり。

(『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください。









・初心者の私でも問題なく観られた


まず、すみっコぐらしはサンエックスのキャラクターです。子供から大人まで幅広い支持を獲得していますが、私は映画になって初めてすみっコぐらしを知ったぐらいのビギナー。分からなかったら嫌だなと、映画の公式サイトで予習をしてから見たのですが、この映画では、そんなすみっコぐらしを知らない人にもわかりやすいように、ちゃんと冒頭にキャラクターの説明がなされていました


寒さに耐えきれずに来たからやってきたしろくま。自分探し中のぺんぎん。恥ずかしがり屋のねこ。食べ残されてしまったとんかつえびふらいのしっぽなどなど。そして彼らは部屋の隅っこが大好き。井ノ原快彦さんの穏やかな声とともに説明がなされて、すみっコぐらしを知らない人にも楽しめる親切設計となっていました。あまりに隅っこが好きなので縦一列になってしまうのは笑いました。


しかし、これを人間に置き換えてみるとどうでしょう。場の中央にいることができず、常に隅っこにいる人たち。彼らを総称すると陰キャと呼ぶことができるでしょう(なお、ここには仕事がない、収入がない等社会的弱者も含みますが、ここでは陰キャのみを扱います)。


この陰キャが隅に固まって話している姿は、あまり見てくれが良いとは言えません。周囲から見ればその姿は、傷の舐めあいのようにも映るでしょう。淡いパステルカラーのアニメーションと、つぶらな目のキュートなキャラクターに隠されていますが、すみっコぐらしがやっていることはけっこうエグイと私は思います。


この映画のキャッチコピーは「きみも、すみっコ?」でしたが、観る前から答えは、私もすみっコだと決まっていました。だって、私はコミュニケーションが絶望的に苦手で、友達も一人もおらず、飲み会(もう呼ばれなくなったけど)に誘われても、隅の席で一人スマホをいじっているような人間ですからね。大晦日や正月の親戚の集まりでも一言も話せなくて、自分が嫌になりましたよ。


それで、映画の前に公式サイトのキャラクター紹介を見ていたんですけど、自信がない気が弱いのこりものにせものといったネガティブな言葉がずらりと並んでいて、そのどれもにこれ私じゃんって感じたんですよね。


先の年間ベストの記事で、「昨日まで選ばれなかった僕ら」(©the pillows)という言葉を使わせてもらったんですけど、すみっコたちにもこの言葉がぴったり当てはまるなと思ったんです。「昨日まで選ばれなかった僕ら」の映画が好きな私は、観る前からこの映画は自分に合うんじゃないかと思ってたんですけど、その予感は的中しました。「昨日まで選ばれなかった僕ら」を癒して、肯定してくれる映画だったんです。

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・思っていた以上に笑えて楽しかった


映画の話をするはずが、すっかり自分語りになってしまいました。誠に申し訳ありません。ここからはちゃんと映画の話をしたいと思いますので、なにとぞご容赦を。


お腹がすいたと喫茶店に行くすみっコたち。そこにはまめマスターおばけというキャラクターが働いていました。おばけは掃除好きなキャラクター。埃たちを払おうと追いかけて、古い部屋に入ります。そこには地下室に通じる階段があって、その地下室には飛び出す絵本がありました。そして、おばけはその絵本の中に吸い込まれ、おばけを探しにきたすみっコたちも同じく吸い込まれてしまいます


絵本の中はなんと桃太郎の世界。とんかつとしろくまがおじいさん、おばあさんになって、桃を拾います。割ってみると、中には桃太郎の格好をしたねこが入っていました。あまりの急展開に戸惑うすみっコたち。お供の犬、サル、キジもすでに用意されています。そして、その中にいたのが迷子のひよこ


すみっコたちはひよこを匿い、話を聞きます。自分探し中のぺんぎんは、迷子であるひよこを自分と似た者同士と考え、ひよこが元いた世界を探すことを決意します。困っている存在に手を差し伸べる優しい世界です。


しかし、どこを探せばいいか途方に暮れるぺんぎんたち。そんな折、絵本の仕掛けが作用して、すみっコたちはさまざまな世界に飛ばされてしまいます。マッチ売りの少女、人魚姫、赤ずきんちゃんにアラビアンナイト。それぞれの世界に飛ばされたすみっコたちの苦難の始まりでした。


とはいっても、この映画はその苦難を面白おかしく見せていて、あまりすみっコたちの大変さを感じさせないように心がけていました。やたらと大きい桃や、「開け!きゅうり!」、食べてくれるの?と喜ばれ、逆に引いてしまうオオカミなど笑えるシーンが満載。また、すみっコたちのある種のボケにナレーションの井ノ原さんがツッコミを入れていて、そちらも可笑しかった。テンポもよかったですし、飽きることなく見ることができました


それに、ページをまたいで移動するなど、絵本でしかできない展開が多かったのも嬉しいポイント。ひよこの正体も、最後の展開も絵本ではなくてはできないもので、脚本の妙を感じました。あの展開は熱い。


あとは、やっぱり優しい世界ですかね。この映画って明確な悪役がいないんですよ。オオカミは引かせることでバランスを取っていましたし、鬼もご飯を貰ったことに礼を言うなど、とにかく優しい。その優しさに癒されましたし、すみっコたちがひよこにすみっコを譲るシーンは、優しさに溢れていて、胸が暖かい気持ちになりました。


いったんはバラバラになったものの、なんとか再び集まることに成功したすみっコたち。ここで、おばけが先に元の世界に戻れる方法を見つけ、一人帰っていってしまいます(ここも伏線が張られていましたね)。そして、そのスイッチを見つけてすみっコたちが辿り着いたのは、みにくいアヒルの子の世界でした。ひよこはみにくいアヒルの子の世界から来た白鳥のヒナでした。ひよこは白鳥に囲まれて、自分の世界に帰っていきましたとさ。めでたしめでたし。


とは、この映画はなりません。ここからもう一つ捻りの利いた展開がこの映画には用意されていました。そして、ここからが私の涙腺崩壊ポイントになります。




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・誰にだって居場所はあるという優しい世界に泣いた


ハッピーエンドになるかと思われましたが、ここで本当の白鳥のヒナが登場。ハクチョウたちはいずこへと去っていってしまいます。ひよこの世界はみにくいアヒルの子の世界ではなかったのです。


なら、ひよこはどこから来たのか。答えは白紙のページからでした。ひよこは絵本を読んだ子供が描いた落書きに過ぎず、最初から故郷などなく一人ぼっちだったのです。まず、この悲しさに胸を締め付けられるような思いがしましたね。私も世界で一人ぼっちだと感じてますから。陽キャの集まりには入れませんから。


ならば、陰キャ同士、すみっコ同士で固まればいいじゃないかと思うかもしれませんが、現実はそうはいきません。陰キャは基本的にぼっちです。なぜぼっちかと言うと、自らは陰キャであるという自覚はあるものの、他の陰キャと一緒にされたくない。あいつよりはまだマシだという屈折した感情が働いてしまうからなんですね。だから、陰キャ同士はあまり話しませんし、どんどんと孤立していきます。本当の陰キャは傷を舐めあう相手さえいないのです。傷口は開き続けます。


でも、すみっコたちにはそんなよこしまな気持ちなどなく、すみっコ同士素直に固まっています。そして、一人ぼっちのひよこにも「一緒に来ない?」と手を差し伸べる。こんなものは理想ですよ。現実はこうはいきませんよ。でも、フィクションだからこそ描ける優しい世界に私はやられてしまったんですよね。一人ぼっちになんてしないという優しさに、自分まで救われたようで気がついたら泣いていました


すみっコたちはひよこも一緒に自分たちの世界に連れて帰ろうとします。絵本ならではの方法で、帰るところまであと一歩のところまで迫るすみっコたち。しかし、絵本の中の存在であるひよこはすみっコたちが暮らす世界に行くことはできません。すみっコたちはここでひよこと別れを余儀なくされてしまいます。


正直に言うと、この展開は予想通りでした。だって、クレヨンしんちゃんの映画『夕陽のカスカベボーイズ』を観てますから。この映画でしんのすけはツバキという女の子に恋するんですけど、そのツバキは映画の中のキャラクターに過ぎず、現実世界には出てこれないんですね(超絶ネタバレ)。その切なさが大好きな映画なんですけど、この映画を観ている途中、ずっと『カスカベボーイズ』が頭をよぎっていました。だから、この映画も別れるんだろうなと。


ただ、それでも私は泣いてしまったんですよね。それはひとえに演出によるものです。この映画は子供にもわかりやすいようにナレーションによる説明が多かったのですが、この別れのシーンはナレーションがないんですよ。また、感傷的な音楽が泣かせますし(この映画ずっと劇伴がよかったです)、あんな熱い展開をされたら好きに決まってるじゃないですか。ひよこがすみっコたちとの思い出を振り返るのはベタな演出ですけど、胸に迫りますし、その後の終わり方も含めて、誇張なしで涙が止まりませんでした。とてもいい映画を観たという満足感がありましたね。




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観ていて思ったんですけど、この映画って居場所がテーマなのかなと思います。隅っこというのは相対的なもので、中心がなければ隅っこもありません。人として望ましい居場所は中心に決まっています。なので、隅っこにいる人は後ろめたく思うのも当然ですし、私ももう死のうかなと思いながら、日々を生きています。だけれど、自分がこの世界の中心だと思っている人はどれだけいるのでしょうか。きっと少ないと思います。多くの人が少しずれた感覚を持ちながら生きているのではないかと思います。


でも、この映画、ひいてはすみっコたちは隅っこにいることを肯定するんですよね。隅っこでも居場所があればいいじゃないか、みたいに。誰にでも居場所はある。隅っこだって居場所の一つ。隅っこに集った者たちは、外からだと傷を舐めあっているように見えるけど、それは励ましあいであり、助けあいである。いるだけで助けになり、救いになっている。「昨日まで選ばれなかった僕」ではなく、「昨日まで選ばれなかった僕」。そういった優しいメッセージをこの映画は発信しているように思えて、そこに一番私は泣いてしまったんですよね。


それで言うと、この映画の終わり方は本当に最高で。居場所のないひよこに、すみっコたちが居場所を作ってあげるという終わり方をしているんですけど、生きて居る場所を、励ましあい助けあえる仲間を
提供するという優しさに、とどめを刺された
んですよね。『カスカベボーイズ』のその先の展開を見せてもらった気がして。それは絵本でなければできなかったことで。最後まで涙を流しながら、気持ちよくみることができました。これはあれだけ話題になったのにも納得ですね。新年の最初から傑作を観させていただきました。本当にありがとうございます。




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以上で、感想は終了となります。『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』。去年話題になったのもうなずける作品でした。まだまだ拡大上映中とのことなので、機会があれば、ぜひ観てみてください。オススメです。


お読みいただきありがとうございました。

おしまい
 





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