こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『ぼくらの7日間戦争』。1985年に刊行された宗田理さんの同名小説を、2019年の今、アニメ映画化した一作です。


ちょっと関係ない話をしますと、この本読書感想文の定番なんですよね。私も小学生の頃、この本を読んで読書感想文を書きましたし。まあ「ここが面白い」をだらだら書き連ねただけの、実に子供らしい感想文でしたけど。で、映画の公式サイトを観たところ、北村匠海さんもこの本で読書感想文を書いたことがあるというではないですか。マジかよと勝手な親近感を感じてしまい、これは観なくちゃなとますます思いました。


まあそれはさておいて、感想を始めたいと思います。小学生レベルと変わらない拙い文章ですが、よろしくお願いします。



eta




―目次―

・出だしから好き
・35年前の原作と根底は一緒
・大人vs子供という単純な対立構造ではないと思う
・理想上等だよ





―あらすじ―

いつもひとりで本ばかり読んでいる、鈴原守。話し相手といえば、同じ歴史マニアが集うチャットのメンバー。
「青春時代は、人生の解放区よ」。
平均年齢還暦越えと思われるその場所で、今日もメンバーの一人が、恋に悩む守にからかい半分のエールをくれた。

片思いの相手は、お隣に住む幼馴染の千代野綾。しかし綾は、議員である父親の都合で東京へ引っ越すことを迫られていた。しかも、いきなり一週間後。それは守が密かにプレゼントを用意していた彼女の誕生日の目前だった。
「せめて、17歳の誕生日は、この街で迎えたかったな」。
やり場のない綾の本音を聞き、守は思い切って告げる。
「逃げましょう……っ!」。

綾の親友・山咲香織をはじめ、明るく人気者の緒形壮馬、ノリのいい阿久津紗希、秀才の本庄博人までもがこの逃避行に加わり、駆け落ちを夢見ていた守は拍子抜けするが、特別な夏の始まりには違いなかった。もはや観光施設にも使われていない古い石炭工場を秘密基地に、ただ7日間、大人から隠れるだけのバースデー・キャンプ。それは、少年たちの精一杯の反抗だった。立坑櫓たてこうやぐらから屋上へと登れば、どこまでも高く広がる空が、彼らを迎えた。

だが、その夜、工場に潜んでいたタイ人の子供・マレットと出会ったことで、事態は想像もしなかった方向へ向かう。不法滞在で入国管理局に捕らわれかけていた所を間一髪助けると、はぐれた家族を探しているのだと、守たちに打ち明けた――

(映画『ぼくらの7日間戦争』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。








・出だしから好き


この映画でまず好きなのが、出だしですね。それも主人公・鈴原守が放った最初の一言。「誰も僕に興味ない」。私もこんな弱小零細ブログやってるくらいですから、「それな~分かる~」ってなりました。実際に、守はいつも歴史書を読んでいる目立たない男子で、話しかけてくる人間もいません。本をスマートフォンに置き換えれば、私と全く一緒なので一気に親近感が湧きました。声を当てた北村匠海さんも『HELLO WORLD』の経験が生きていて、安心して観られました。


そんな守が密かに思いを寄せるのが、千代野綾。地方議員の娘である綾は大人しく、誰にでも優しい性格。消しゴムの件はベタ過ぎて目眩がするほどでした。この綾に声を当てたのが声優初挑戦となる芳根京子さん。最初は慣れないところも見られましたけど、映画が進むにつれてどんどん良くなっていった印象です。穏やかな演技が良かったですね。


地方議員である親の都合で綾は東京に転校することになります。しかし、綾はそれが嫌で守に「一緒に逃げよう」と言います。ここの展開、変にもったいつけることなく超スピーディでしたね。さらに、仲間集めもオープニングに合わせて解決。このオープニング、明らかに『君の名は』の影響を受けてるなーと思いましたが、個人的には盛り上がったので好きでした。新人であるsano ibukiさんが主題歌をつとめているそうですね(最初、予告編で聞いたときバンプかな?と思った)。


そして、オープニングが開けたら、すぐに立てこもりの舞台となる閉鎖した炭鉱工場へ。このスピード感は大いに評価できるポイントだと思います。この映画って大体90分くらいしかないですし、集中が途切れがちな私でも最後まで集中を切らすことなく見ることができたのは、それだけでありがたかった。


思えば、この映画の原作小説『ぼくらの七日間戦争』が刊行されたのは、1985年のこと。原作の舞台は仙台のようでしたが、この映画は2020年の北海道を舞台にしています。時代設定も違うのに、この映画を観たときは「原作のスピリットを完全に継承している!」と思ったんですよね。




etf














※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。








・35年前の原作と根底は一緒


原作では管理教育に嫌気が差した子供たちが結束して、廃屋に立てこもるという内容で、親に反抗したい子供の心を掴んで大ヒットしました。そして、時代が変わっても、子供たちには変わらず反抗期が訪れます。これはもう人類にプログラムされたシステムなので仕方ない。この映画では綾の転校も、香の生活も、博人の人生も全て大人の事情で動いていました。子供は大人の庇護が無ければ生きるのは難しいです。そのことは本人たちも重々承知のはずです。


それでも、彼らは反旗を翻すんですよね。この映画の大人は、綾の父親を始めとして、自分の本心を隠して生きていますし、実際そうしなければ社会で生きるのは難しいでしょう。この映画における大人の定義も「目上の人間の命令に従う人間」だと綾の父親によってはっきりと定義されていますし。でも、彼らはそんな大人にはなりたくないと。まあ実は彼らもある意味では「大人」になってしまっているんですけどね。


原作では一クラスの男子全員が姿を消し、そこに本当の誘拐事件が絡んでくるという内容でした。しかし、この映画では家出をしたのはせいぜい6人。地方議員の娘である綾もいますが、スケールダウンは否めません。そこで登場したのが、タイからやってきて日本に不法滞在しているマレットです。


マレットを追うために入国管理官が早くから炭鉱工場にやってきていて、実に自然な流れで事態が大きくなっているので良い改変だと感じました。6人を引っ掻き回す役割も果たしてくれていますし、マレット自体、最後の破壊力はぐらつくほどでした。まあ両親に比べて何で日本語があんなに達者なのかは謎ですけどね。吸収力かな。


さて、3日目には早くも入国管理官が炭鉱工場への侵入を試みます。ここで効果を発揮するのが、歴史オタクの守が立てた作戦です。侵入口を確実に塞ぎ、コンテナやリフトという炭鉱工場ならではの設備を生かし抗戦。さらには大胆なブラフも交えて、入国管理官を撤退させることに成功します。


ここ原作と同じ作戦成功の爽快感がありましたね。見ていて楽しいシーンでしたし。実はこの展開、原作では5日目にあったんですけど、映画では3日目に持ってきていて、早い段階で見せ場を持ってきたのも上手い改変だと感じました。他にも原作にあった花火のシーン。絵的に映えるシーンではありますが、映画では別の展開で同じくらい映えるシーンが用意されていて、ここも見どころの一つだと思います。


あと、原作が刊行されたのは35年も前で、映画を観る前にもう一回読んでみたんですけど、スケ番や学生運動など現代ではもう使われることのない言葉がいくつか登場していたんですよね。ここ、どうアップデートするんだろうと思いましたが、この映画はその難題を見事にクリアしていた印象です。その最たるものがSNSですね。動画を撮影してバズらせて、人を呼んで派手に身動きが取れない状態にするのは上手い展開だと思いました。また、SNSがこの映画において重要な意味を持っていたと思うんですけど、それについてはまた後ほど。




etd















・大人vs子供という単純な対立構造ではないと思う



この映画を観終わって、私が何を一番最初に感じたかというと「理想だ!」ということなんですよね。それを説明するために、一度原作に話を戻しましょう。原作の主な構造は、支配しようとする大人vsそれを受け入れられない子供というものでした。


あくまで原作の話ですが、大人がなぜ支配しようとするかというと、社会的に理想の人間に育て上げるためなんですよね。「目上の人間の命令に従う人間」を画一的に生み出すために、当時の管理教育はなされていたと思うんですよね。社会を優先する大人を増やして、社会を維持させようみたいな。で、ふざけんじゃねぇ俺たちゃ一人の人間なんだというのが子供たちの言い分で、それを元に反旗を翻していたみたいなところがあると思うんです。原作には。


そして、それはこの映画でもさほど変わっていないと思うんですよね。ただ管理教育は見直され、ゆとり教育(こちらも近年では見直されていますが)に移行した。大人の支配力は35年前から弱められている。だとするならば、現代の子供たちを支配するものは何なのか。それは私は、同調圧力だと思うんですよね。


まあ同調圧力自体は元からあったんですが、それがSNSが発達したことで、さらに強まったような印象を受けます。世界が簡単に広がって、人とのつながりがフォロー/フォロワーで可視化された弊害ですね。みんながやっているから自分もやらなきゃみたいな傾向が強まっていると思うんですよ。「目上の人間」が「みんな」に置き換えられているんです。


「目上の人間」「みんな」の命令に従うというのは「自分は違うと思っていても」という枕詞がつきものです。それはすなわち自分に嘘をつくということ。この映画につけられたキャッチコピーは「自分らしく生きると決めた」。つまり自分に嘘をつかないということなんですよね。この映画の大人の定義っていうのは多分年齢じゃないと思うんですよ。「自分に嘘をつくこと」だと思うんです。




etg














・理想上等だよ


映画では、6人の真実が暴かれ、6人の結束にひびが入ります。しかし、守は「自分らしく生きると決め」て、綾に好きだと告白します。それを機に、6人が次々と本当の自分をカミングアウト。お互いの心内を知った6人は笑いあってより結束を深めます。「自分に嘘をつかない」ことが最大限に称賛されます。


もう言ってしまえば、こんなもの理想なんですよ。あんな子たちいねぇし、作戦もあんなに上手くいかねぇし、本音を言ったからって認め合えるほど人って単純じゃねぇし。実際、大人になると自分に嘘をつかないとやってられないですよ。だって私も今の仕事別にしたくないですし、自分に正直に生きたらニートしてます。でも、それだと生活ができないから辛うじて働いているんですよね。


管理教育は社会的に理想の人間に育て上げると、先に述べました。大人は子供に理想を投影するんですよね。社会的に成功してほしいという理想を。でも、「自分に嘘をつかない」というのも大人の理想であると思うんです。だって、自分に正直に生きた方が気持ちいいですし。映画の中で綾の父親の秘書が「彼らに何かを重ね合わせているかもしれない」と言っていましたが、これもまさに理想の投影でしょう。


そして、理想を投影するのは成人を過ぎた「大人」だけではなく、未成年の「子供」でもそうです。子供だって自分に嘘をつきながら生きているのですから。そこは、35年前の原作と何も変わっておらず、むしろSNSの発達によってより顕著になっていると思います。だから、この映画を観て、自らの理想と重ね合わせる「子供」もいるでしょうし、この辺のスピリットは35年前の原作に通底していると感じました。


だけれど、この映画は「自分に嘘をつかないこと」に対して、現実的で批判的な視点も持ち合わせています。それがSNSによる野次馬の大量発生。興味本位の誹謗中傷でしょう。これらって彼らの「本音」なんですよね。別にSNSで言いたいことが言えないんだったら、博人のように裏アカを作ってそこに投稿すればいいですし。SNSの発達って「自分に嘘をつくこと」と「自分に嘘をつかないこと」の両方を促進したと思うんです。実際、彼らも後者によって追い詰められていますし、SNSの両側面の弊害を描いていて、この点も私は好きですね。


それでも、彼らは「自分らしく生きると決めた」んですよ。いずれ、彼らも大人になって、自分に嘘をつくことになるでしょう。彼らの立てこもりは幼稚な子供がえりかもしれません。だけど、大人になるという結果ではなく、大事なのはその過程。私は、映画とかフィクションって理想を描くものだよなーと常々思っているので、理想が描かれたこの映画を好きにならないはずがありません。酷な現実の中で、理想を貫いた彼らの姿はそれだけで「なんかかっこいい」のです。理想上等なのです。


35年前の原作を再解釈して、コンパクトにまとめ、見事にアップデートした映画『ぼくらの7日間戦争』。オススメです。




etb















以上で感想は終了となります。映画『ぼくらの7日間戦争』、あまり注目度は高くないですが、90分以内と短い尺で、エンタメ的な面白さをきっちり確保した良作だと思います。ぜひ映画館でご覧ください。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)
宗田 理
KADOKAWA/角川書店
2014-06-20



☆よろしければフォロー&読者登録をお願いします☆