こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『幸福路のチー』。台湾発のアニメーション映画です。去年11月の公開からSNS上でじわりじわりと注目を集めていたこの映画。ぜひ観たいと思っていましたが、年明けになってのこのタイミングでようやく観ることができました。そして観たところ、噂にたがわぬ良作でした。個人的な好みにカチっとハマったんですよね。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

アメリカで暮らすチーの元に、台湾の祖母が亡くなったと連絡が入る。久しぶりに帰ってきた故郷、台北郊外の幸福路は記憶とはずいぶん違っている。運河は整備され、遠くには高層ビルが立ち並ぶ。同級生に出会っても、相手はチーのことが分からない。自分はそんなに変わってしまったのか。チーは自分の記憶をたどりはじめる。

空想好きだった幼い頃は、毎日が冒険だった。金髪に青い目のチャン・ベティと親友になってからの日々、両親の期待を背負っての受験勉強。学生運動に明け暮れ、大学卒業後は記者として忙殺される毎日を送った。そして友との別れ。現実に疲れたチーは、従兄のウェンを頼ってアメリカに渡る。そこで出会ったトニーと結婚し、両親にもアメリカで幸せになることを誓ったけれど……。今、夫から離れて幸福路のいるチーは、昔と同じように祖母の助けを必要としている。

実は人生の大きな岐路に立っていたチーは、幸福路である決断をする――。

(映画『幸福路のチー』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを多少含みます。ご注意ください。








まず、『幸福路のチー』は台湾・幸福路生まれ、アメリカ在住の女性チーの半生を、大人になった彼女が子供時代を回顧するという形で描いています。物語は別として、映像面での特徴を上げるとすれば、アニメならではのイマジネーション溢れる映像が多かったということでしょう。この映画は基本的には色合いも薄めで、画面はシンプル。それでいて色鉛筆で塗り重ねたような暖かみがありました。


しかし、これが子供時代のチーの回想となると一変します。画面はクレヨンで描かれたように色彩が濃くなり単色系に。子供の単純な空想であることを示すかのように、ポップな絵が動き回ります。特に前半は、こういったチーの空想のシーンが満載でとても楽しく見ることができました。ワクワクしましたね。さらに、劇中ではまさかの『ガッチャマン』も登場。「誰だ誰だ誰だー」でまさかとは思いましたが、本当にガッチャマンになるとは。びっくりしたと同時に、日本アニメへの愛も感じて、顔がほころびました。


でも、この空想のシーンは楽しいだけじゃなくて、残酷なシーンもありました。従兄のウェンのシーンがそれですよね。あのシーンって多分、体制に反発して、警察に捕まって拷問されたということですよね。でも、それを童話的に描いていて、残酷に見せない工夫がなされているんですよ。この映画では。なんというかそこにアニメの力みたいなものを感じて、好きでした。




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でも、悲しいのがこれらの空想は、チーが子供時代に夢見ていたもので、大人になったチーからは消え失せていることなんですよね。子供のころは将来の希望に満ち溢れていたし、自分を連れ出してくれる王子様もいて、いつか偉人になることができると信じていた。でも、子供の頃の夢は叶わず、大人になったチーはアメリカで一介の主婦をしています。現実しか見えなくなり、見る夢はあまりいいものではありません。こんなはずじゃなかったという後悔が、チーに押し寄せてきます。


生きていると、きっと誰だって後悔はあると思います
。あのとき、違う道を選んでおけばよかったというのは、多くの人が一度は思ったことがあるのではないでしょうか。「我が生涯に一片の悔いなし」なんてないと思います。たとえ成功者であっても。小1の頃から自分は死んだほうがいいと思っていて、中高生の頃は30才までには確実に死んでると考えていて、子供の頃でも未来に希望がなかった私ですら、どうしてこうなったんだろうと人生を後悔しきりですから。なので、なんとか生活はできているけど、人生に迷っているチーのキャラクターには共感しました。


そんなチーは自らの半生を、特に子供の頃は、美化して振り返っています。まるで邪心なんてなかったかのように。おばあちゃんとのささやかな思い出や、友達のエンやベティと純粋に夢を語りあった日のことを、空想を用いながら大いに美化しています。父親は浪費癖があり、母親とけんかをよくするなど家庭状況もあまり上手くいっていないのにも関わらず、好意的に振り返っています。それは、人生が思うとおりに行っていないチーの切なる願望でもあったのではないでしょうか。私は感じて胸が締め付けられるようでした。


しかし、大人になっていくに連れて、チーの思い出のメッキは剥がされていきます。医者になってほしいという両親の思いに反して別の道を選んだり、学生運動に参加したりと自らの意思で動くようになるにつれ、空想は消え、描写が現実的なものになっていくのは、なかなか来るものがありました。就職してからは両親のために仕事人間にならざるを得なかったというのは、心当たりがある人も多そうです。


少し話は逸れますけど、この映画って現代台湾の現実的な部分も多く描いているんですよね。台湾語禁止の国語教育に、学生運動。戒厳令解除下の台湾の混乱や、蔣介石や陳水扁など実際の政治家の名前も登場します。9.11も描いているのは攻めてるなと感じます。やっぱり人々の生活は、こうした政治的な動きと不可分のものですし、この現実的な部分を描いたことで、翻弄される一般市民に過ぎないチーの内面がより真に迫って伝わってきました












ここで、テーマ的な話をすると、この映画のテーマってタイトル通り「幸福」「幸せ」ということだと思うんです。後悔しているとき、人はあまり自分のことを幸せだと思えないと思います。あの時ああしとけばよかったと、あるはずのない未来像ばかり夢見て、現実を見つめられない部分もあるでしょう。また、満たされたとしても、次から次へと欲が出てきてしまうのが人間だとも思います。ある人にとっては幸せでも、別の人にとっては幸せではないというのはザラです。


でも、この映画の幸せというのは、実は最初に定義されているんですよね。それは「いっぱい食べて眠ることができること」です。何を当たり前のことをとも思うかもしれませんが、現実にはこれが満たされていない人だっています。基本的なことが幸せだとこの映画は言いたかったのだと私は感じました。


つまり、いっぱい食べて眠ることができれば、どんな状態でも幸せなわけです。それはどの道を選んでも同じこと。チーが今の状況に満足していなくても、今の道を選んだこと自体が幸せだと。何を選んでも、選ばなかったとしても、たとえ選択に後悔していたとしても、それをひっくるめて幸せだといっているのがこの映画なのかなと感じます。


そして、それは主体的に選ぶことだけではなく、環境に強制されて選ばされることにも言えるのではないかと。この映画にはベティというキャラクターが登場しました。彼女は金髪碧眼の外国人。子供を二人設けていて、チーから見れば幸せそのものです。それでも、彼女はそのルックスから思うような仕事に就けず、髪を黒く染めて辛うじて働いています。また、子供も台湾国籍なのに「アメリカ人はアメリカに帰れ」と言われていて、幸せ一色ではないということが示されていました。




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ただ、この映画はそんなベティも含めて幸せだというんですよね。ベティの生まれは自分で選ぶことができなかったものですし、チーの祖母も少数民族で、チー自身も野蛮人とからかわれていましたけど、これもどうすることもできません。さらに、それは台湾の社会情勢にまで拡大解釈することが可能で。学校教育や政治って一朝一夕に変えることができないものじゃないですか。台湾語を禁止されたチーのように、社会が選択肢を狭めて、ある一定の選択しかできなかったというケースは枚挙に暇がありません


でも、その振り回されることも含めて、いっぱい食べて寝ることができれば幸せじゃないかとこの映画は言っていると思います。主体的に選んでも、環境に選ばされても、全ての選択は幸せだというとてもやさしいメッセージがこの映画には込められていると、私は感じました。そういう意味では去年公開された『空の青さを知る人よ』を思い出しましたね。あの映画もすべての選択を肯定する映画でしたし。


映画を観ている人で全員が全員、自らの意思で人生を決めてきたわけじゃないですし、自分で選べばよかったと後悔している人も少なくないと思います。でも、この映画はその選択の末にもたらされた今はどうあっても、いっぱい食べて眠ることができていれば幸せなんだと言っているようで、後悔ばかりの自分も少し肯定されたような気がして、胸が暖かくなりました。












だけれど、人生は主体的に選んだほうがいいとも、この映画は言っていると思います。現実にはどこか遠くへ連れ去ってくれる王子様はいませんし、死してなお困ったときにアドバイスをくれるおばあちゃんもいません。王子様に連れ去られるというのは、主体的に選択をすることを放棄しているのと同じことで、それは選択肢を狭める社会環境と何ら変わりないと、私は思います。おばあちゃんの言いなりになることも同じことです。


確かに、出自はどうしようもありませんし、生まれたときの経済状況や家庭状況等で、ある程度人生が決まってしまうのも事実だと思います。社会も個人の力で変えることは不可能でしょう。選ばされることもあると思います。ただ、チーはある時期から主体的に選ぶようになっていますし、選んだ先の人生がどうであれ幸せというのはこの映画の大きなテーマだと私は思います。


ラストがまさにそうですよね。チーは自分の意志で決断をしました。その決断を下した後の、チーの家族の様子はとても暖かで、幸せで、泣きそうになりましたけど、これもチーが主体的に選んだ結果なんですよね。同じ選択をするなら選ばされるよりも、選ぶことの方が大事だというのがこのシーンに込められているような気が私はしました。王子様やおばあちゃんに頼らず、自分で選ぶこと。それができる状況がもしかしたら、一番の幸せなのかもしれないですね。




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以上で感想は終了となります。映画『幸福路のチー』、観終わった後に、心がほんのり暖かくなる良い映画でした。主題歌の歌詞が感傷的だったのも合わせて好きな映画です。機会があれば観てみてはいかがでしょうか。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 






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