こんにちは。これです。昨日、今年ベストを更新する超絶大傑作『37Seconds』を観た私。勢いで感想を書き上げ、やや疲れた状態で次なる映画に向かいました。せっかく東京に来たのにこのまま寝るのもったいないなと思ったので。


今回観た映画は『静かな雨』。『羊と鋼の森』等の著作で知られる宮下奈都さんの原作小説を、『わたしは光をにぎっている』の中川龍太郎監督が映画化した作品です。せっかく東京に来たのだから、どうせなら地元でやる予定のない映画をと選んだ今作。『わたしは光をにぎっている』がタイミングが合わずに、実はまだ観れていない私にとっては、これが初めての中川監督の映画になりました。


そして観てきたところ、個人的には大当たり。上半期ベストでも上位に食い込むであろう映画となっていました。わざわざ東京にまで観に来た甲斐があったというものです。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。





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―あらすじ―

たとえ記憶が消えてしまっても、ふたりの世界は少しずつ重なりゆく
大学の研究室で働く、足を引き摺る行助は、“たいやき屋”を営むこよみと出会う。
だがほどなく、こよみは事故に遭い、新しい記憶を短時間しか留めておけなくなってしまう。
こよみが明日になったら忘れてしまう今日という一日、また一日を、彼女と共に生きようと決意する行助。
絶望と背中合わせの希望に彩られたふたりの日々が始まった・・・。

(映画『静かな雨』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。











※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。






『静かな雨』は、一言で言うならば"普通"な映画でした。やっていること、起こっていること、喋っていること。一日しか記憶が残らないというフィクショナルな要素こそあるものの、一つ一つを抜き出してみればどこまでも普通で、取るに足らないものです。ただ、やっていること自体は普通でも、この映画の出来は間違いなく非凡で、私の心にクリティカルヒットしました。地元では上映される予定がないから、わざわざ東京まで来て観て良かったですよ…!本当にありがとうございます…!


何が良いかってまずは主演の二人ですよね。行助を演じた仲野太賀さんのどこにでもいる男感が凄まじいわけですよ、一つには。足を引き摺ってこそいるものの、その他は身振り手振り口振りどれをとっても平々凡々。俳優さんにはやはりオーラがあり、普通を演じるのはなかなか難しいものですが、いい意味で今作の太賀はそのことを感じさせません。露店を見つめる眼差しや、料理をするときの手つきまで、本当に電車で私たちの隣の席に座っているような身近さがあります。


それでも見せ場ではスイッチを切り替えて、抜群の演技を見せるなど実力派と呼ばれるその所以を披露。足を引き摺りながら走るシーンは心が震えました。邦画で走るシーンは、その感情の強さを表すのに最適だからと、よく使われるのですが、あそこまでズタズタで泥臭い走り方はあまり見たことがありません。気持ちがひしひしと伝わってきてとても感動しました。


また、今作でヒロインであるこよみを演じた衛藤美彩さんは、これが映画初出演だとのこと。でも、それを感じさせない演技を見せていました印象です。端的に言うならばこよみそのものです。ちょっとした笑い方や仕草、寄り添うような話し方まで何一つ飾ることなく、等身大のこよみ像を作り上げていました。たい焼き屋さんでのお客さんへの対応はナチュラルなもので、こんなたい焼き屋さんなら足しげく通ってみたいと思うほどの暖かみがあって、36度5分のちょうどいい温度感です。


加えて、衛藤さんも記憶を失ってからの演技はさらに輝きを増していて。「ここ、ユキさんの部屋?」と何回も言うわけなんですが、どれもが微妙にニュアンスが違うんです。少しずつ落ち着いた感じになってきていて。さらに髪形を変えると同時に見せる表情も結構変わるんですよね。病床に伏せるときの切なさを纏った眼差しは、映画初出演とは思えないほど訴えかけてくるものがありました。今後の出演作も楽しみです。




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そして、この映画はこの二人の「知り合い以上恋人未満」な関係性がなんとも愛おしく切ないものでありました。たい焼き屋で出会った二人。真正面で顔をつき合わせることができるのは、店員とお客さんという他人行儀な関係性のみ。一緒にたい焼きを食べていても、顔を合わせることができず、歩く時も歩調は合わず、横並びになることはありません。まるで地球に自らの一面しか見せない月のように、お互いの全体像が見えない行助とこよみ。この微妙な距離感がいじらしくてめちゃくちゃ良いわけですよ。上手く言語化できませんが、とにかく良いということだけは言えます。


それを際立たせているのが、この映画の撮影ですよね。ロングショットや長回しが用いられる回数が多く、二人が初めて行助の部屋に入った時の解像度の低さといったら。まるで手持ちカメラで撮影しているかのようにカメラがぶれることも多い。細かくカットを割らないことで、この世界に存在しているというリアリティがより増していました。でも、ただ遠くから映しているだけではメリハリがないので、時にはクローズアップショットも使うことで、高低差をつけ、取るに足らない日常を特別なものにしていました。映画の魔法みたいなものを感じて、退屈することなく観ることができました


でも、こういっちゃなんですけど、本来私はこういった日常をただ映した映画ってあまり得意ではないんですよね。それでも、この映画が好きなのは音楽に依るところが大きいです。この映画って結構長い時間音楽がかかりっぱなしなんですよね。しとやかなピアノのメロディが。これが太賀さんと衛藤さんの演技を阻害することなく、やりすぎることなく、ちょうどよく映画を盛り上げてくれるんです。何もないように見える日常でも、スッと心に入ってきて音楽がかかるだけで、特別なものに変わるという映画の魔法みたいなものをここでも感じました。


ストーリーの話に戻ります。前にたい焼き屋さんに来た酔っぱらいを尾行する二人。その帰り道に、二人はなんてことのない他愛のない話をします。階段の前で二人は別れます。電話番号をたい焼きの袋に書いてこよみに渡す行助。スマホで連絡先交換せずに、書いて渡すというのはなかなか情緒があって良いですね(この映画の原作は2004年に発表されたものなので、その頃にはスマホはなかったからかとも思いましたが、次のシーンで普通にスマホが出てきていて少しびっくりしたのは内緒です)。そこに降る雨。行助が見上げると空は晴れていて、片面だけを向けた月がはっきりと見えていました


しかし、次のシーンではこよみが事故に遭ったことが判明します。描写もなしに、日常に闖入してきた急展開。意識を失っていたこよみは二週間が経ってようやく目を覚ましますが、事故で強く頭を打った影響で最新の記憶をとどめておくことができなくなります。つまり、こよみの記憶は事故に遭ったポイントで止まったままで、こよみの中で時間が動くことはありません。こよみはいったん家に帰りますが、放っておけない行助は、暦に自分の家で一緒に暮らすことを提案します。こうして、こよみの記憶には一切残らない二人の共同生活が始まりました


二人の共同生活は、前述したように取るに足らない平凡なもの。「ここ、ユキさんの部屋?」「雨上がったね」「ちょっと長くなるけど(話を)聞いてほしい」「コーヒー淹れよっか」。毎朝繰り返されるお決まりの会話。朝ごはんは行助が作り、夜ご飯はこよみが作る。日中は大学での研究、たい焼き屋さんと事故以前と何も変わらない時間を過ごします。どこか行こうか、何か特別な体験をしようかなどといった劇的なことは全くなく、二人は同じような、でも同じではない日々を送り、こよみの時間は止まったままです。記憶に残らないので、行助の嫌いなブロッコリーも相変わらず食卓に出されます。この観ているだけで胸が苦しくなる展開には観ていてどんどんと引き込まれました。




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ある日、こよみの元彼が九州からやってきます。大学を一年で中退したこよみのその後の様子を見に来たとのことですが、元彼と過ごした記憶はこよみの中に十全に残っています。しかし、行助との記憶は事故に遭ってからいつまでも更新されない。月の裏側が見えないのと同じように、こよみが知らなかった行助の側面、ブロッコリーが嫌いだとか焼き芋が好きだとかは、一瞬だけ見えてもすぐに隠されてしまいます。近くにいる自分のことを覚えてもらえない行助の辛さは察するに余りあります。太賀さんの諦めにも似た表情がそのことを痛切に感じさせました。


それでも、記憶は脳にだけあるわけではないことがこの映画では示されます。こよみに額にキスされた時のドキドキは行助の心臓が、少し欠けた月は網膜が、たい焼きの焼ける匂いは嗅覚が、雨に濡れる感触は冷たさとともに触覚が、こよみと二人で食べたたい焼きの味は舌が胃が腸が覚えているのかもしれません。60年間書き続けた日記を燃やしたにもかかわらず、翌日にはまた日記を書いた老人のように、脳の記憶が失われても二人で過ごした日々は、全身が覚えているかもしれない、いや、全身に残っているはずだという小さな希望が垣間見えました。


このブログの前のエントリーである『37Seconds』の感想にも書きましたが、「希望は、絶望を分かち合うこと」です。二人の日々は記憶されることがなく、更新されることもないという絶望。その絶望を二人が分かち合っていたことが判明したからこそ、太陽は昇り、街を照らし出しました。私たち一人一人が持つ世界。それは黄砂が来たり来なかったり、サインコサインタンジェントが役に立ったり立たなかったり、それぞれ違います。ただ、その異なるお互いの世界にお互いは存在しているというごくごく小さな、でも当たり前ではない喜び。ある一面しか見せない世界でも交差することで、取るに足らない普通の日常が特別なものに変わる様をこの映画は描いていたように私には感じられます。


雨が上がって、街をそれぞれの世界を太陽が暖かく照らすことを考えると、『静かな雨』はやはり希望の映画でしょう。なんてことのない日常に芽生える希望と、連続して起こるミクロの奇跡。一面しか見えなくても、それで十分だと私はこの映画を見て思いました。だから、あの終わり方とエンドロールがとても好きなんですよね。心ニクイ演出もされていて、最近エンドロールを見るか見ないかがまたちょっと話題になりましたけど、このエンドロールを見ないで帰る人はそうそういないと思います。私が観た回でも30人ぐらいいた観客の全員が最後まで席を立つことなく観ていました。その理由は観ればわかります。ぜひとも最後まで楽しんでください。


『静かな雨』、お腹いっぱいいただきました。ごちそうさまでした。



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以上で感想は終了となります。映画『静かな雨』、上映館数は限られていて、地方ではなかなか観る機会もありませんし、何も起こらない日常を映している時間も長いので、好き嫌いはある程度分かれると思います。でも、普通が特別なものとして観られる映画の魔法みたいなものを味わえましたし、私にはクリティカルヒットしたので、個人的にはお勧めしたいと思います。機会があればぜひどうぞ。


お読みいただきありがとうございました。
 

おしまい


静かな雨 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2019-06-06



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