こんにちは。これです。バレンタインデーは鬼籍に入った。俺たちの勝利だ。


今回のブログも映画の感想です。今日観た映画は『影裏』(「えいり」と読みます)。『るろうに剣心』の大友啓史監督が、沼田真佑さんの芥川賞受賞作である同名小説を映画化した一作です。正直観る前はそれほど期待しておらず、他に観たいものもないから観に行くかぐらいのテンションでしたが、観てみたら想像を超える良作でした。いやー見逃さなくてよかった。疲れたけど。


それでは感想を始めます。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・俳優さんたちの静かな熱演がいい意味で疲れる
・想像以上に強いブロマンス要素と岩手の自然をそのまま写した撮影
・テーマを背負った照明が素晴らしい
・照らされる光は生の象徴





―あらすじ―

今野秋一(綾野剛)は、会社の転勤をきっかけに移り住んだ岩手・盛岡で、同じ年の同僚、日浅典博(松田龍平)と出会う。慣れない地でただ一人、日浅に心を許していく今野。二人で酒を酌み交わし、二人で釣りをし、たわいもないことで笑う…まるで遅れてやってきたかのような成熟した青春の日々に、今野は言いようのない心地よさを感じていた。

夜釣りに出かけたある晩、些細なことで雰囲気が悪くなった二人。流木の焚火に照らされた日浅は、「知った気になるなよ。人を見る時はな、その裏側、影の一番濃い所を見るんだよ」と今野を見つめたまま言う。突然の態度の変化に戸惑う今野は、朝まで飲もうと言う日浅の誘いを断り帰宅。しかしそれが、今野が日浅と会った最後の日となるのだった—。

数か月後、今野は会社帰りに同僚の西山(筒井真理子)に呼び止められる。西山は日浅が行方不明、もしかしたら死んでしまったかもしれないと話し始める。そして、日浅に金を貸してもいることを明かした。日浅の足跡を辿りはじめた今野は、日浅の父親・征吾(國村隼)に会い「捜索願を出すべき」と進言するも、「息子とは縁を切った。捜索願は出さない」と素っ気なく返される。さらに日浅の兄・馨(安田顕)からは「あんな奴、どこでも生きていける」と突き放されてしまう。

そして見えてきたのは、これまで自分が見てきた彼とは全く違う別の顔だった。

陽の光の下、ともに時を過ごしたあの男の“本当”はどこにあるのか—。

(映画『影裏』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください。










・俳優さんたちの静かな熱演がいい意味で疲れる



観終わってまず一言。疲れました。2時間超えというその長さ。俳優さんたちの緊迫感のある演技。映画を通して流れる不穏な空気。余白もかなり多く、観ていて集中力を必要とします。それでも、俳優さんたちの静かな熱演を通して映画に没入することができ、体感時間はわりあいに短かったです。その分観終わった後には心地よい疲労がありましたね。昨日『1917 命をかけた伝令』を観て、あの映画も疲れる映画ではあったんですが、疲労はこちらのほうが感じました。


まず、この映画の長所として挙げられるのは俳優さんたちの静かな熱演でしょう。この映画では、綾野剛さんと松田龍平さんがW主演を果たしています。二人ともいわずと知れた名優さんですが、今作でも期待に応える演技を披露していました。


盛岡に赴任してきたサラリーマン・今野秋一を演じたのは綾野剛さん。序盤のいかにも虚無という感じの視線からまず引き込まれましたし、そこから日浅と出会ったことで徐々に顔に生気が宿っていくのが良きでした。今作では役的に少し明るい場面も見せているのですが、それが心に沁みましたね。でも、全体を通して宙に浮いているような、地に足がついているような微妙な佇まい、根暗とはまた違う、を見せていて、こういう役をやらせたらやっぱり安定して上手だなと思わされます。


その今野と親しくなる日浅典博を演じたのは松田龍平さん。今作の松田さんは、少し髪を伸ばして、人は良いんですが、どこか危険な雰囲気を感じさせます。何気ない口調の中にも、いつキレるか分からないという怖さ、不穏さがありましたね。さりげない一言一言にキレがありました。ヘビースモーカーと言う設定でしたが、煙草を吸う姿も実に自然で日浅というキャラクターの背景を感じさせます。


さらに脇を固める俳優さんたちも、筒井真理子さん、安田顕さん、國村隼さんといったベテラン俳優さんたちが、流石の演技を見せるのもこの映画の見どころ。筒井さんは(比較的)気の良いおばちゃんでしたが、安田さんと國村さんは映画の後半になって登場し、重厚な演技を披露。息を呑むほどの緊迫した演技は、映画を厳かに彩ります。また、中村倫也さんが予測がつかない役柄で登場するので、そちらも見ていただきたいところです。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・想像以上に強いブロマンス要素と岩手の自然をそのまま写した撮影


さて、ここからはストーリーの話をしたいのですが、正直概要は上記のあらすじが8割ほど言っちゃってるんですよね。もちろん隠している部分もありますが、全体としてはそこまで書いちゃうんだと思うほどのネタバレ具合です。そもそも、この映画は日浅の正体を探ることがメインストーリーではないですしね。尺も日浅が行方不明になる前の描写に多くが取られていました。


この映画を観て意外だったのが、今野と日浅の友情が思っていたよりフィーチャーされていたことです。ある日会社でなんて事のない出会いをした二人。そこから徐々に距離が近づいていき(正直序盤はウトウトしていたのでこの辺あまり覚えてない。ごめんなさい)、一緒に釣りに行ったり、祭りを観に行ったり、酒を飲み交わしたりします。それは、今野が今まで感じたことがない遅れてきた青春です。


この映画で際立っていたのが、今野と日浅のブロマンス的な間柄。BLとはまた違う、もっと落ち着いて展開ですね。でも、「だーれだ?」と今野が日浅の目を隠すシーンや、釣りでワイワイするシーン。さらには少しドキドキするシーンもあったりして、そういう趣味がなくても思わず心動いてしまうほどです。この辺は明るくポップでしたね。こんなブロマンスだなんて聞いてない。でも、綾野剛さんと松田龍平さんのブロマンスが嫌いな人がいるだろうか。いや、いない。二人の日常的な演技も合わさって魅力はすごいありました。


その二人と同じくらい魅力的だったのが、岩手というロケーションです。古本屋やジャズ喫茶など、その街並みの雰囲気の良さは抜群。特筆すべきはその自然で、少し車を走らせれば、釣りができる渓流がどこにでもあり、二人の関係性を物語るのに大きな役割を果たします。


この映画は岩手の自然が俳優さんたちと同じくらいこの映画の立役者となっていました。人間の表と裏以外のもう一つのテーマを語るのにこの自然はうってつけでして、特に川が流れるシーンはかなりの頻度でインサートされたり、SEでも水の流れる音が何回か流れます。この自然をありのまま映した撮影は、今年の邦画の中でもかなり高いレベルにあると感じました。これはあらすじを読んでも分からない部分であり、映画館で確かめるしかないところですね。芦澤明子さんを始めとした撮影の方々に盛大な拍手を。


あと余談ですけど、この映画はテレビ岩手の開局50周年作品として銘打たれていますが、岩手の自然の魅力を映し出すことに大成功していました。実際そういうオーダーがあったのかどうかはわかりませんが、これにはテレビ岩手の人もホクホクでしょう。ちゃんと残る作品になっていると思います。




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・テーマを背負った照明が素晴らしい


ただ、そのブロマンスもいつまでも続くわけではありません。中盤で起こる東日本大震災によって、この映画はその重さを増していきます。震災発生当時、釜石に営業に出ていた日浅は行方不明となってしまいます。一人取り残される今野。彼に告げられたのは、今まで知らなかった日浅の別の一面でした。


日浅は同僚の西山に金を借りていました。大学の卒業証書を偽造し、四年間父親から学費を騙し取っていて、親子の縁を切られていました。兄ともあまり親しくありません。日浅は今野が思うような良い人間ではなかったのです(このことをそれとなく感じさせる松田龍平さんはやっぱり上手い)。


ここで思い起こされるのが、予告編にもあった日浅のこのセリフ。


人を見るときはな、その裏側、影の一番濃い所を見るんだよ


自分に理想の親友という幻影を描いていた今野に、日浅が突き付けたこの言葉。確かに人間は一面的なものでは測れないでしょう。どんな人間にも人には見せていない隠された側面があり、もしそれがなければプログラムされた言葉を吐き出すただのロボットと同じだと思います。この映画の今野だって、観客に全てを見せているようでその実、映画の外では別の側面を見せているかもしれません。


そして、その影の一番濃い所を見るためには、今いる場所に安住するのではなく、裏に回り込まなければいけない。誘導尋問みたいな言葉を問いかけて、別の面を引き出したり、日常から逸脱した行為を投げかけて、いつもとは違う側面を垣間見たり。それはとても勇気のいることで、もしかしたら相手から拒絶されてしまうかもしれません。知らないでいた方が幸せなこともある。でも、踏み込んだり、さらけ出したりすることで、より相手のことを理解できる。


その事を象徴していたのが、今野の旧友である副島でしょう。中村倫也さんが演じたこの副島は実は性転換手術をして、男性から女性になっていたんですね。明言はされていませんでしたが。副島は今まで今野に見せていなかった女性という面をさらけ出しました。そして、今野も別れ際に「ハグして」と自らの副島に抱いた思いを明かす。今野にとってはそれは知られたくない、影の一番濃い所だったはず。でも、明かしたことで、副島も自分も受容することが少しできた。心が微かに解かされていくような心地を私は味わいました。


この表と裏、光と影を印象付けるにあたって、大事な役割を果たしていたのが照明です。この映画では「影」とタイトルにあるくらいですから、その影を作り出す照明が映画の出来を左右するほどの重責を背負っていたのは誰もが認めるところ。そして、実際にこの映画の照明は素晴らしく、絶妙な光の加減で登場人物を印象的に照らし、味わい深い影を作っています。


特にオープニングとエンディングの一つ前、焚火のシーンが素晴らしかったですね。焚火の赤い光がほのかに危険を醸し出していて、あそこでこの映画が成功していることを私は確信しました。さらに、影を上手く作ることで、登場人物の知られざる側面を浮かび上がらせ、キャラクターに深みを与えていた印象です。撮影と同じように、今年の邦画の中でもかなりのハイレベルにあったのではないでしょうか。永田英則さん他照明を担当されたスタッフに惜しのない賛辞を。




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・照らされる光は生の象徴


さらに、この照明が映し出すのは光と影だけではないんですよね。それがこの映画のもう一つのテーマ、生と死だと私は思います。


日浅は今野が見つけたポイントで渓流釣りをするとき、苔の生えた木を見てこうも言っていました。


俺たち、屍の上に立ってんだよ


この映画で特徴的に扱われたのは、やはり東日本大震災でしょう。日浅は釜石で津波に流されてしまったのかもしれない。いや、3か月間も行方不明であれば、生きている可能性はどちらかといえば低いと言わざるを得ません。


ここで思い起こされるのが、自然の描写。とりわけの描写です。この映画では実に多くの水の描写が登場しました。川が流れるシーン、滝が落ちるシーン、SEでも時折水の流れを流すなど、実に徹底しています。ここでこの映画が描きたかったのは、自然の恵みと恐怖であるように私には感じられました。


川の流れは人間に魚と言った恵みをもたらしてくれる、屍の上に立っていることを実感させてくれますが、人間の生活を根こそぎ流し去る、命を奪い去る津波もまた水なのです。自然を象徴して描かれる水に人間は成す術もありません。そのことを象徴していたのが、だと思います。この映画に登場した煙草や焚火の火は、いずれも人工的なもの。自然の水には火は簡単に消されてしまいます。人間は簡単に死んでしまいます。


さらに、災害がなくても自然の摂理で人間は死んでしまうもの。この映画では、今野と同じアパートで暮らし、口うるさく言っていた老婆が災害に関係なく死んでしまいます。ハウスクリーニングがされていたことがその証拠でしょう(引っ越しの線もありますが、私は亡くなったとみています)。人間は死んでしまうと今野が改めて自覚した瞬間のように思えました。


でも、映画の終盤、今野は震災前に日浅がサインした書類を見つけます。それは今はいない日浅が生きていた証拠。日浅の喪失の微かな受容。「屍の上に立っている」ことの自覚。自分が生きているという再認識。ここで今野には惜しみない日光が注がれ、明るく照らされます。


この映画は震災直後の暗い倉庫のシーンで始まっていますが、それとは真逆です。今野が日浅の喪失を受け入れ、自分は生きていると改めて知った。照らされる光は生の象徴。綾野剛さんの迫真の演技も合わさって、私はここにとてつもないエモーショナルを感じました。そこで生まれる影も含めて生の実感があり、この映画を観て良かったと素直に思えました。ラストシーンもこれからの新たな始まりを予期させるとても良いものでしたし、重い映画ですが観終わった後の感触は不思議と爽やかでした。良い映画観たなぁと内心ガッツポーズです。




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以上で感想は終了となります。


映画『影裏』は総合してみると個人的には結構好きな映画です。その重厚さ故に疲れますし、正直少しウトウトした部分もあります。でも、2時間超を飽きることなく見せてくれましたし、心地よい疲労とともに満足感がありました。よろしければ体調の良いときにでもご覧ください。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


影裏 (文春文庫)
沼田 真佑
文藝春秋
2019-09-03



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