こんにちは。これです。今回のブログも映画感想になります。


今回観た映画は『‶隠れビッチ″やってました。』。そのタイトルからしてスルーする気でいたのですが、去年、ツイッターでの評判が結構良かったんですよね。なのでにわかに気になってはいて、地元でも公開されたこのタイミングで観に行ってきました。結論から申し上げますと、ツイッターの映画好きの人たちを信じて良かったと思える映画でした。ありがてぇありがてぇ…。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―


26歳の独身女・ひろみの趣味&特技は異性にモテること。 絶妙のタイミングでのスキンシップや会話術で相手を翻弄し、「好きです」と告白させたら即フェイドアウト。 そんなひろみに、シェアハウス仲間のコジと彩は呆れ顔で「最低の“隠れビッチ”ね!」とたしなめるも、彼女の耳には届かない。 ある日、気になるお相手・安藤が現れるも、数年ぶりの負け試合。 さらに安藤を本気で好きになっていたことに気づき、ショックを受ける。 やけ酒をあおり酔いつぶれているところを、同じ職場の三沢に目撃され、すっかり醜態をさらしてしまう。 ひろみは“隠れビッチ”だということを打ち明け、封印してきた過去と向き合い始める。 本当のしあわせに気づいた時、彼女が出した答えとは…。

(映画『‶隠れビッチ″やってました。』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。











※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











さて、『‶隠れビッチ″やってました。』、実際観てみたところ、想像以上に重たい映画でした。男を弄ぶ隠れビッチな主人公が、本当に愛し愛されることがどういうことなのか知る映画だとは予想していましたが、これほどまでにキツイとは。因果応報に見えるのですが、誰が悪いとは一概には言えない物語。途中からあまりのしんどさに頭が考えることを拒んでいる状態でした。


この映画は漫画家あらいぴろよさんの実話コミックエッセイが原作となっているそうですが、もしこれが実体験だとしたら、かなりハードモードな人生送ってませんか?凄い大変だったと思うんですけど。でも、他の著作を見ても「ワタシはぜったい虐待しませんからね!」や「美大とかに行けたら、もっといい人生だったのかな。」など胸に来るようなタイトル。最新作に至っては「虐待父がようやく死んだ」ですからね。どうやら本当に実体験みたいです。考えただけで苦しい気持ちになってしまいますね。実際、自分のことが好きになれない人をグサグサと刺してくる映画でしたし。




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この映画の主人公・荒井ひろみは外面は良いですが、本性は体の関係こそ持たないものの何人も相手をとっかえひっかえするどうしようもない女性です。彼女にとって男性は、ただ好きと言って自らの承認欲求を満たしてくれれば、そこでおしまい。SNSの「いいね!」ボタンにも似た単なる数で、人間としては見られてはいません。きつい言い方をしてしまうと。恋愛の悪戦苦闘、艱難辛苦、悶絶僻地は自分が傷つくからスルー。上澄みだけを味わうムカつく女性です。


この腹の立つひろみ像に説得力を与えていたのが、今作が映画初出演となった佐久間由衣さんの演技でしょう。正直ちょっとオーバーでうるさいなと感じた部分もあったのですが、それもキャラのうちと見ればプラスに評価できます。隠れビッチをしているときの清楚な感じと、オフモードの雑な感じはまるで別人のようでした(これはメイクも多分にあるんでしょうけど)。酒によって寝っ転がるなどわりと体当たりな演技が好感が持てます。まざまざとしたキレっぷりに説得力があって好きでした。『光のお父さん』では見られなかった部分で、これからの活躍にも期待が持てますね。


ひろみはありとあらゆる手段を使って、男性を誘います。肌の露出は15%、相手に合わせて対応を変えるべしなど、役に立つんだか立たないんだか分からないテクニックを使って、男から「好きです」の言葉を引き出します。自分が愛されていることを実感できれば、ひろみにとってはそれでオーケー。あとはとりあえずキープしておいて、適当な時に振る。電話越しで、脚を掻いたり鼻をほじりながら、でも声は猫なで声で。その姿は同居人の木村彩に「サイテーの隠れビッチ」と言われても仕方のないほどでした(この彩を演じた大後寿々花さんのきつめの雰囲気も良かった。眼鏡好き)。


ただ、この辺りSNSやブログをやっている身としては共感できてしまうんですよね。私もリツイートやいいねがほしいですし、ブログも読まれてほしいですから。リアルで誰かに認められている感覚がないから、SNSという場に承認を求めるんですよね。なので、私は承認を求めてさまようひろみのことを強く言うことはできません。序盤から彩が「それって本当の自信なの?」「自分からは逃げられないんだよ」(どちらも意訳)と結構刺してきますし、この時点で好きそうな雰囲気はビンビン出ていました。









デパートのケーキ売り場で働くひろみ(男性についたその場凌ぎの嘘かと思いきや案外本当だった)。売れ残ったケーキをどうしたらいいかと思っていると、上司の三沢光昭に「他の売れ残りと交換してみたら」という助言を貰います。さっそく惣菜売り場で焼売と交換。売れ残った焼売にも優しく声をかける安藤剛に一目惚れをしてしまいます。


喫煙室でライターを拾わせるなどアプローチをするひろみ。安藤もひろみになびき、二人は付き合い始めます。この付き合っている過程が無駄にロマンチックだったんですよね。バイクに二人乗りをして聞こえる聞こえないとカップルかよというやり取りをしたり、海辺で夕陽をバックにキスをしたり。まあこのままハッピーエンドで行くわけがないというのは分かっていたので、それほどムカつかずに見れたんですけどね。逆に笑ってしまうほどでした。


安藤は美容師志望。デパートのバイトも辞めて転職するなど、その本気度はイラストレーターになりたいといいながら、何もしないひろみとは雲泥の差です。ひろみはそんな安藤を眩しく感じ、何もない自分にコンプレックスを感じてしまいます。手っ取り早くイラストレーターになる方法はないかと探したところウルトラデジタル学院というクッソくだらない名前の専門学校の広告が。さっそく願書を出しに行きますが、安藤がバイクに別の女性を乗せているところをひろみは目撃してしまいます。それは、あたかも何股をも掛けている罰が当たったかのように。


安藤とはすっかり疎遠になってしまい、むしゃくしゃして公園で悪酔いをするひろみ。一緒にいた男にも逃げられてしまいます。酒を飲んで寝っ転がったりと結構振り切った演技を佐久間さんはしていましたが、その辺の木に「好きだったのに」とこぼすシーンは胸に来ましたね。好きになるということは、裏を返せば、別れたときに傷つく恐れがあるということ。それはチヤホヤされたい彼女にとっては御法度。私も同じようにチヤホヤされたいですし、それが裏切られたとなれば、痛い思いをするのも当然です。性別こそ違いますが、私はこの辺りまではひろみに共感しながら観ていました


泥酔しているところを助けたのは上司の三沢。もう本性知られちゃったしいっかと、翌日の食堂でひろみは三沢に隠れビッチであることを打ち明けます。ただ、三沢はそんなにはダメージは受けていない様子。それどころか、イラストという自分にできることを知っているひろみが羨ましいと好意的な気持ちを向けます。微かに訪れた受容の兆し。




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そんなある日、ひろみがシェアハウスに帰ると彩が連れ込んだ男性とセックスをしていました。ただセックスをしていても付き合っている様子はなく、彩も彩で傷つくのが怖くて一歩踏み込めない、このままの関係をキープしたい感じ。それをひろみは「何それ」と嘲笑。いや、「好き」と言われて満足して、付き合わないひろみだって同じ穴のムジナでしょう。人のこと言える立場じゃないですよ。


売り言葉に買い言葉で彩も反論し、二人は取っ組み合いのケンカを始めてしまいます。まあこのケンカはもう一人の同居人・小島晃が二人に文字通り冷や水をぶっかけることで収まったんですけどね。そんな方法あったんだ。床はびしょぬれになるけど、なんというウルトラC。


小島は二人を座らせ、ホットドリンクを出して宥めます。映画では特に言及されていませんでしたが、公式サイトを見ると小島はバイセクシャルのようで。どおりで言葉が柔らかったわけだ(実際のバイセクシャルの方があんな喋り方をするかどうかは知りませんが)。演じた村上虹郎さんもいい味出してました。


それはそれとして、小島は二人にこう諭します。「男に依存し過ぎているんじゃないの?」「女である前に一人の人間として生きなさい」と。自身の評価を他者に依存してしまえば、誰からも評価されなくなったときに、自分の姿が見えなくなってしまう。他者がいなくなれば自分もいなくなってしまう。性別やその他諸々のレッテルに縛られて、その範囲内でしか動けなくなってしまう。本当はレッテル外の部分もあるのに。


他者からの「好き」や「いいね!」という評価に依存しているひろみ、そして私にとっては耳が痛い言葉です。自分の軸を他人に委ねるなと言うことですよね。その通りなだけに少し拒否反応を示してしまいます。私だったらウジウジ悩んでいただろうに、切り替えて「イラストレーターになるぞ」「一人の人間として生きるぞ」と宣言できるひろみは偉いですよ。サバサバした性格が力強かったです。










ひろみは三沢とその同僚の前で、デパートの仕事を辞め、イラストレーターになると宣言します。ここで三沢から「好き」という告白が。自らが欲していた言葉のはずなのにひろみは戸惑います。表面的な隠れビッチとしての自分ではなく、本性を好きと言われたのですから。それは博美にとってははじめての経験でした。その帰り道で、ひろみは三沢からキスをされます。そのままなし崩し的に二人は付き合い始めることになります。(ちなみに、三沢を演じたのは森山未來さん。純朴な演技が良かったです)


眼中になかった三沢と付き合い始めたひろみですが、その生活はなかなか順風満帆とはいきません。頼んだ牛乳を買ってきてくれなかったり、食事を用意して待っているのに帰れないと言われたり、(ひろみにとっては)嫌なこと、苦しいことばかり起こるんですよね。ここでひろみがどうしたかって言うと、もうブチギレですよ。些細なことでも口やかましく責めて、相手の話なんて一切聞かない。この辺りの佐久間さんの演技は光っていたと思います。


でも、これ凄い分かるんですよね。だって私もああいうキレ方しますもん。特にふざけんなふざけんなとブツクサ言いながらカレーを捨てるところなんて、私かな?って思いましたし。実際、昨日トイレットペーパーがなくてふざけんなってキレましたし。ここで、共感はさらに深まりましたね。その分、この後の展開がきつかったのですが。


ひろみは三沢に「私のことちっとも気にしてないじゃない」「もっと私のことも考えてよ」と三沢に迫るんですが、これってひろみに弄ばれてきた男性たちの気持ちそのまんまなんですよね。いざ深く付き合うとなると、(勝手に)傷つくような出来事がどんどん出てきて、余裕がなくなっていく。しっぺ返しを食らってしまうんです。ひろみの放つ言葉の一つ一つが鋭利なブーメランになって、自分をグサグサ刺しているんですよね。


それに「もっと私のこと考えて」っていうのは他人からの評価を気にしている証ですよね。一人の人間として生きると宣言したはずなのに、ひろみは未だに男性依存、他社からの評価依存から抜け出せていないんですよ。同じところを堂々巡りであがいているひろみはもう見ていられません。そして、それは他者からの評価を気にしまくる私を見ているようで、とてもしんどかったです。脳が途中から考えることを拒んでいましたもん。こんなヒロイン認めたくないって。自分の足で立つことができない、そんな弱さなんて見たくないですから。




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その横暴なひろみの態度に三沢は、一か月間距離を置こうと言います。ここは今までにない間を取ったやり取りで新鮮味がありましたが、ひろみは深く傷ついてしまいます。そこにかかってくる母親からの電話。父親がガンで倒れたという知らせでした。ここからいよいよ映画は核心に迫っていきます。それはひろみの根幹にもかかわる問題でした。


父親はひろみと妻にDVを振るっていました。泣き叫ぶひろみにすすり泣く妻。それでも、父親は暴力を止めない。この悲惨な回想が序盤にも挟まれていて、観ていて辛くなります。ひろみは父親のことをクソ親父と断罪しています。ひろみは父親から愛情を注がれていなかったのです。そんなひろみの心はがらんどう。満たされなかった愛情を補填するために、ひろみは男性からの「好き」を摂取する隠れビッチになってしまったのです。しかし、いくら「好き」と言われても、チヤホヤされても親からの愛情というのは代替不能なもので、ひろみが満たされることはありませんでした。今でもトラウマを夢に見るなど、克服できていない様子です。


ひろみはガンになった父親に、保険の書類か何かを書いてもらいます。そこでひろみは自分と父親の字がそっくりであることに気づきます。そして、自覚するんですよね、私は父親の血を引いているって。理不尽で一方的なキレ方も父親譲りのものであると。あれだけ忌み嫌っていた父親のDNAが自分にもあることを知り、ひろみはその事実に耐え切れずに吐いてしまいました。観ている私も愕然として、戦慄ですよ。私と同じキレ方だなぁと逃避のように軽く見ていたのに、それが根底からひっくり返されるんですもん。私は虐待された経験はないですが、身につまされる思いがしました。


でも、この映画の性質悪いところというか、単純じゃないのが誰が悪いって決めつけることができないことだと思います。もちろん、DVを振るう父親を分かりやすく悪者とみなすことは簡単ですし、DVという行為自体はあってはならないものです。それでも、あくまで想像の範疇ですが、父親は父親で満たされない思いを抱えていたと思うんですよね。隠れビッチとして承認や愛情を求めるひろみと同じように。無職みたいでしたし、社会に必要とされていないという思いがあったのでしょうか。その行き場のない怒りが家族に向けられてしまって、ひろみを隠れビッチにしてしまった。こんなもの悲劇の連鎖ですよ。やりきれないですよ。


自分の根幹を知って、いや、初めて目を向けて凹むひろみ。あっという間に1ヵ月が過ぎ、シェアハウスに三沢がやってきます。川沿いのベンチに座る二人。三沢はひろみのことが必要だと言い、弱さと向き合っているところも、そこから逃げているところも好きとひろみを認めます。女性じゃなくて、一人の人間として認めるんですよ。完全なる受容であり、個人の尊重ですよ、これ。


それは真に相手のことを思っていなければ出来ないこと。愛情と呼ばれるものでもあるのでしょう。ひろみは表面も本性も全て含めてを三沢に受け入れられた。初めて本当の愛情を感じることができたんですよね。ずっと認めないぞと思ってきた私でも、これには良かったなぁと泣きそうになりました。人間関係の一つの理想ですよね。映画でぐらい理想描かないと、ですよ。


この映画って本編のラストシーンもまた良いんですよね。最初のシーンと同じアングルで対比になっているんですけど、最初が夜で最後が昼で。まるでずっと暗闇の中にいたひろみに光が差し込んだみたいじゃないですか。ひろみの成長を感じられて、胸が暖かくなりましたよ。








思えば、この映画はタイトルでかなり損をしていると思います。観る前はもっと別のタイトルにした方が良かったのでは...と感じていたのですが、観終わった後ではこのタイトルで正解だとさえ思えます。隠れビッチという上っ面で隠していた、満たされていないから承認を、愛情を求めてしまうという自分の弱さ。その隠していた弱さに目を向け、対峙する決意ができたとき、小さなしあわせが訪れる。


この映画は「人生で一番大事なことは自分の弱さに気づくこと」という言葉で締めくくられました。多くの人間が満たされていないからこそ、その弱さに気づいて素直になることができれば、そしてそれを受容することができれば、もしかしたらささやかな変化がもたらされるのかもしれませんね。



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以上で感想は終了となります。映画『‶隠れビッチ″やってました。』、もう全国でも三館ぐらいしか上映していませんが、5月13日にDVDが発売される様子。刺さる人も少なからずいると思うので、よかったら観てみてはいかがでしょうか。良作ですよ。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 



“隠れビッチ”やってました。
あらい ぴろよ
光文社
2016-12-16



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