こんにちは。これです。今回も映画の感想になります。


今回観た映画は『Fukushima 50』。東日本大震災での福島第一原子力発電所の裏側を描いた作品です。予告編もバンバンかかっていて食傷気味で、正直気はあまり向かなかったのですが、それでも震災を経験した日本人として観にいかなければならないという使命感で観に行ってきました。


で、観てみたところ確かに面白かったです。作られた意義もあります。でも、考えてみるといくつか疑問点が浮かび上がってくるような、そんな映画でした。よく作ってくれたとは思いますが、手放しでの勝算はできないですね。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・作られた意義はあると思う
・伝えるためにお仕事ものの文脈に落とし込んでいる
・伝えることを優先しすぎて、大事な視点が欠けていると思う
・もはやただの愚痴





―あらすじ―

マグニチュード9.0、最大震度7という巨大地震が起こした想定外の大津波が、福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらす。1・2号機当直長の伊崎ら現場作業員は、原発内に残り原子炉の制御に奔走する。全体指揮を執る吉田所長は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにする。しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。

官邸は、最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅を意味していた。

残された方法は“ベント”。いまだ世界で実施されたことのないこの手段は、作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業。外部と遮断され何の情報もない中、ついに作戦は始まった。皆、避難所に残した家族を心配しながら―

(映画『Fukushima 50』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください








※ここからの感想は映画の内容を多少含みます。致命的なネタバレはありませんが、一応ご注意ください。









・作られた意義はあると思う


2011年3月11日の東日本大震災から早いものでもうすぐ9年。ですが、時間が経つにつれて、人々の頭の中からは震災の記憶が徐々に薄れていっていることも否めません。俗にいう風化です。この映画が作られた目的は、ズバリそのような風化に抗うためでしょう。この映画は震災時の福島第一原子力発電所(フクイチ)の様子を伝えるため、記録するため、そして語り継ぐために作られたと思います。現在の状況下で『Fukushima 50』が作られた意義というのは間違いなくあります。そして、『Fukushima 50』はその目的を果たすために、最適と思われる方法を取っていると感じました。


この映画はいきなり震災発生から始まります。冗長なシーンはなく、潔い始まり方で好きです。専門用語が飛び交う中央制御室。免震棟には緊急対策室が設置されます。このときは主電源が落ちたくらいで、特に何もなかったのですが、10mという想定外の大津波に非常用電源がやられてしまい、中央盛業室は薄暗い状態になってしまいます。


発電車の到着もあり、辛うじて電気が復旧。しかし、燃料の格納容器には通常時の1.5倍の圧力がかかっており、このままではいつ爆発するか分からない状態に。さらに、冷却装置も効かなくなったことで、炉心融解、メルトダウンの危機が迫ってきます。そうなると、広範囲に放射能がまき散らかされてしまうことに。これを阻止しようと、中央制御室に残ったメンバーは、核の容器の栓を開いて圧力を外に逃がすベントを実行します。しかし、それは周辺の市町村に放射能をまき散らし、住めなくすることをも意味していました。


確かに、このベントのシーンは風景が歪むなどのCGや俳優さんの迫真の演技で緊迫感はあります。放射能を受けられるギリギリまで、命を懸けてベントを実行しようとする彼らのシーンは、文句なしに手に汗握るところでもあります。また、ベントが完了してからも、時おり爆発のシーンを挟むことで問題を起こし、緊張感を維持させることにも成功しています。いささか飛ばし過ぎな面はありましたけど、没入させるのには良かったのではないかと。


それに、室内の外の風景や緊急対策室、放射能に対する対応等をまるで現場を見ているようにリアルに作ることで、観ている人をその場にいるように錯覚させてさえいました。ここは美術さんたちの勝利ですね。臨場感は手放しで称賛できるかと思います。記録映像としては大きな価値がありますね。




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・伝えるためにお仕事ものの文脈に落とし込んでいる



さて、フクイチの上層部である東都電力。現場を見ていないので、事態を把握しきれていません。無茶な指示を出して吉田所長をはじめ、現場を混乱させてしまいます。電圧の合わない発電車をよこしたり、対応を急かしていたずらに吉田所長を疲労させたり。


また、政府。こちらも現場にいないので、全容は把握できていません。そんな場合じゃないのに首相が偵察に来たり、海水による冷却を危険だから止めろと言ったり。こちらも場にそぐわない指示で、現場を振り回します。首相がいる間はベントができないっていいますからね。ありがたくもないただの迷惑ですよ。


この両者に共通していることと言ったら、現場の阻害にしかなっていないということです。的外れな指示を出して混乱させる上層部(もしくは取引先)と、振り回されながらも立ち向かう現場。この図式、どこかで見たことがあると思いませんか?そうです。この映画はフクイチでの出来事を、分かりやすくお仕事ものの文脈に落とし込んでいるのです。


古今東西様々なドラマが示す通り、お仕事ものは根強い人気を誇るジャンルです。その特徴は働いている人の共感を集めるということと、理想を描いて観ている人に活力を与えることだと私は思います。正直観ていて「これ普通の会社とやってること基本的には同じだな」と思いましたし、「最後になんとかしなきゃいけないのは現場にいる俺たちだ」という台詞に共感した人も少なからずいるのではないでしょうか。


この映画ってお仕事ものの文脈に乗せて語ることで、フクイチの奮闘を働いている人にも「これあるなぁ」と受け入れやすくしているんだと思います。規模も危険度もかなり違いますが、自分たちの延長線上にフクイチの人たちを置くことで、共感しやすくしているのではないでしょうか。





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・伝えることを優先しすぎて、大事な視点が欠けていると思う


個人的に言わせてもらえば、この構造はたぶん間違ってはいないとは思います。というか「伝える」という目的に照らし合わせてみれば最適手であるとすら感じます。伝わらなければこの映画の意味はありませんし、そのために渡辺謙さんや佐藤浩市さんら一線級の俳優を並べ、セットも作り込み、おそらく日本映画にしては多額の予算をかけて作られたのでしょう。しっかり面白いですし、このフォーマットの中ではベストを尽くしているとは思います。ただ、疑問なのがそのフォーマット自体なんですよね。国の一大事をそんなに単純化してしまっていいのかなって感じるんです。


例えば、原発の上に政府のヘリが上から水をかけるシーンがありますよね。あれ諸外国に政府はちゃんと対応していますよっていうアピールで、今のコロナウィルスの対応と変わんないじゃん、焼け石に水とはこのことかと思ってしまったんですけど、それでもほんの少しは役に立っているわけですよ。吉田所長も「ありがたいけど…」って言ってましたし。


このように東都電力や政府にもそれなりの事情があるわけですよ。実際の会社だってそうでしょう。はっきりとした悪者なんてなかなかいないですよ。それにもかかわらず、この映画は東都電力や政府を悪者とまではいかないまでも、明らかに邪魔者として描いているんですよ。それって片方だけの主張に傾いたけっこう危険な描き方なんじゃないかなって思うんですよね。


もしこれが伝えたいことのない勧善懲悪モノだったらいいですよ。悪者を倒してはい、おしまい。「面白かったね」しか残す気がない作品だったら別にいいんですよ(今日日そんな作品あまりないけど)。でも、この映画は違うでしょう。伝えたいんでしょう。残したいんでしょう。伝えることを最優先にし過ぎて、ちょっと必要な視点をなくしてしまったかな、危険な描き方になってしまったかなという感情は否めないところです。


たぶん、この映画を道具にして「原発反対」と言い出す人も、もしかしたらいるかもしれません。その主張自体は否定しませんが、そういう人たちにはこの映画はただのお仕事ものであって、それ以上でもそれ以下でもないよって言いたいですね。あまり真に受けすぎない方がいいと思います。




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・もはやただの愚痴


あと、映画自体も後半はちょっと面白くなくなってきたかなって...。私の集中が途切れたせいかもしれませんけど、後半少し長く感じたんですよね。それまでの緊張から緩和したかったのは分かるんですけど、ややダレていたかな...と。後半になって中央制御室や原発内の緊迫した描写がほとんどなくなってしまったんですよね。そこはテンションを保つためにもちょっとは欲しかったかなって...。


それに、外にいる家族にメッセージを送るという大作映画しぐさもあまり好きじゃないです。いや、確かに命の危険を感じたらそうするかもしれないんですけども、ちょっと感動を押し付けてくる感じがして、ウッてなってしまいました。


あと、明らかに回想多すぎじゃないですか?特に在日米軍の将校の回想要ります?というか、この映画に在日米軍自体必要あります?最後の「トモダチ」作戦なんて唐突ですし、良いシーンではあるんですけど、個人的にはアレルギーを感じてキーッってなってしまいました。ああいう押し売りあまり好きじゃないです。


でもって、最後の桜。ラストで桜咲かせておけば感動するだろとでも思ってるんじゃないですか?ああ、しましたよ。感動はしましたよ。ただ、音楽と合わせて「どうぞ感動してください」と言わんばかりのあの演出は正直好きじゃないですね。というか最後に桜を咲かすのなんて素人の私でも考えつくわ。プロなんですから、もうちょっとそのありきたりを超える着地を見せてくださいよ。えぇ?


さらに、最後の文章なんですか。復興五輪って。今も仮設住宅に避難されている方がいるんですよ?別にオリンピックが終わったからって、復興も終わりなわけないですよね。オリンピック関係ないでしょう。あの終わり方だとまるで、この映画の賞味期限がオリンピックに設定されてしまったように感じるんですが。この映画ってもっと何十年先にも残していきたいんですよね?伝えていきたいんですよね?だったら、あの文章はなかった方がいいと思うんですけど。あくまで個人的な意見としては。



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以上で感想は終了となります。『Fukushima 50』。確かに今の時代だからこそ、観る価値のある映画になっていると思います。面白いのは間違いありません。でも、あまり真に受けすぎずに、どこか割り切って観ることが必要だとも思います。伝えることを目的とした映画にこんなことを言うのは酷なんですけどね。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


映画『Fukushima 50』 オリジナル・サウンドトラック
東京フィルハーモニー交響楽団
ユニバーサル ミュージック
2020-03-04



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