こんばんは。これです。


今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『プリズン・サークル』。刑務所を舞台にしたドキュメンタリー映画です。今まで、薬物依存症を題材とした小説通り魔事件を描いた小説を書いてきた私としては、この映画の鑑賞はいわばマスト。映画館が営業再開したこのタイミングで観に行ってきました。


そして、観たところ想像以上に一本の映画として面白いドキュメンタリーとなっていました。少し長いですが、映画館で観て良かったと感じます。


それでは感想を始めます。何卒よろしくお願いします。





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―あらすじ―

「島根あさひ社会復帰促進センター」は、官民協働の新しい刑務所。警備や職業訓練などを民間が担い、ドアの施錠や食事の搬送は自動化され、ICタグとCCTVカメラが受刑者を監視する。しかし、その真の新しさは、受刑者同士の対話をベースに犯罪の原因を探り、更生を促す「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」というプログラムを日本で唯一導入している点にある。なぜ自分は今ここにいるのか、いかにして償うのか? 彼らが向き合うのは、犯した罪だけではない。幼い頃に経験した貧困、いじめ、虐待、差別などの記憶。痛み、悲しみ、恥辱や怒りといった感情。そして、それらを表現する言葉を獲得していく…。


(映画『プリズン・サークル』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。













『プリズン・サークル』は日本で初めて、刑務所内にカメラを入れたドキュメンタリー映画です。しかし、描かれるのは淡々とした刑務作業や、一人で罪を悔いる受刑者の姿ではありません。TC(セラピューティック・コミュニティ)というアプローチを通して、参加者全員で少しずつ回復に向かっていく過程が描かれています。一人ではなく集団でというのがこの映画の大きなポイントとなっているように感じました。


舞台となるのは島根あさひ社会復帰促進センター。2008年開設の新しい施設です。刑務所でなく社会復帰促進センターと言っていることからも、罰を与えるだけではなく、再犯防止のためのアプローチをするというスタンスの違いが現れていますね。


この島根あさひ、意外だったのが、私たちが思い浮かべるような檻だらけの刑務所とは雰囲気が全然違うことです。廊下こそ何もなくシンプルですが、独房のドアは研究室のように茶色に塗られ、吹き抜けとなったフロアは大学のキャンパスのように開放的な感じさえしました。食事の搬送が自動化されているのには驚きましたね。それでも、髪型は基本丸刈りだったり、所作を厳しく教え込まれるところなどは刑務所然としていて、刑務官の厳しい口調に背筋を正されます。


そして、ここからTCへの密着が始まります。受刑者の顔はぼかされ、名前は仮名。事件の全容も明かさないなどプライバシーに最大限配慮した造り。映画全体を通して印象的だったのが、この映画ってとにかく分かりやすく作られているんですよね。


ちゃんとどういうプログラムをしているのか説明してくれますし、多くの発言にはテロップがつけられます。テレビのドキュメンタリーみたいで、ここも少し意外でした。また、顔がぼかされ分からないという特性上、発言者もちゃんと文字で教えてくれますし、普段知ることのできない世界を分かりやすく伝えてくれました。とんちんかんな私でも理解できて、とてもありがたかったです。


それに効果的だったのが、随所に挿入されたサンドアート。粒子が織りなすアニメーションは幻想的かつシビアで、画面に映し出されるたびに、思わず見入ってしまいました。登場人物の過去を語る演出に用いられ、多くが辛い出来事なんですけど、実写に負けないくらいのリアリティがありましたね。最初から引き込まれ、最後の演出には感動しましたし、この映画の大きなオリジナリティになっていると感じました。このサンドアートのおかげで『プリズン・サークル』はちゃんとした一本の映画になったと言っても過言ではありません。アニメーション監督の若見ありささんらに拍手です。




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※ここからの内容は映画のネタバレを多少含みます。ご注意ください。





この映画では4人の登場人物が軸となって展開していきます。詐欺で逮捕された拓也。窃盗癖のある真人。傷害致死を犯した。強盗傷人で刑に服する健太郎。彼ら4人を含めたTCのメンバーは週三回のプログラムを受けています。円形に並べられた椅子に座る参加者たち。話すのは罪の意識についてもありますが、それよりも自分と向き合うことに重点が置かれているように感じました。


これはなぜかというと、彼らが罪を犯したのはそれまでの人生の結果でしかないからなんですね。ある日突然思いついて罪を犯したわけではなく、徐々に積み重ねられてきて、ある地点を越えて表出したというか。犯罪は氷山の目に見える一角でしかないんですね。そこだけを直しても、海の下に大きな氷山がある限り、また同じことを繰り返してしまう。根本的な解決にはならないんです。


そして、その沈んだ氷山は、今まで自分が歩んできた人生そのものだから、変えるには自分を見つめ直すしかないんです。それにはまず過去を振り返ること。ダルクの12ステップのその4、「自分自身の棚卸をした」を思い起こさせます。この12ステップも薬物依存症を犯罪ではなく、病気としてとらえたものなんですけど、罪を犯したからといって罰を与えるのではなく、一種の病気と考えて回復を目指すアプローチは共通しているんだなと感じました。


劇中で、4人が自分の子供時代のことを語っていましたけど、いずれも共通していたのは孤独だったということです。放置されたり、虐待されたり、いじめられたり。出てくるのは現実逃避したくなるような振り返りたくない過去ばかりです。真人が発表するシーンで親との関係が途切れていたのも、そのことを象徴しているかのようです。安心して人に自らを委ねられないんです。













もっとも代表的だったのが、拓也の書いた「嘘つきの少年」ですよね。その少年は嘘しかつけないから誰からも信用されない。少年が嘘をつくようになったのは、正直に話す権利と一人で生きていけることを引き換えにしたから。一人で生きていると、生きている実感がない。まさに拓也、4人、ひいては多くの参加者を表しているようで、切ないサンドアートの演出とともに、胸が痛くなりました。


これ個人的には凄く分かるんですよね。私は家族もいますし、仕事もしてますけど、孤独感はずっとありますから。友達もいないし、話し相手も全然いない。そんな自分が大嫌い。いてもいなくても同じ。誰にも目を向けられないんだったら、犯罪起こして注目されようかとか分からないでもないですから。私が犯罪者になってないのって、運が良いだけなんだなって思います。まあ犯罪を起こして人に迷惑をかけるくらいだったら、私はすぐに自殺しますけどね。鏡の前では「死ね」としか言わないし、包丁で自分の体を刺すところはよく想像する。


それはさておき、一人で独房の中で悶々と考えていても何も解決しません。この映画で重要なのは、自分についての話を聞いてくれる人がいるところなんですよね。聞きっぱなしで否定もされない。罪を犯したという同じ境遇にいる人の存在がどれだけありがたいことか。自分の傷や短所を正直に告白できる場があること、それを受け入れてくれる人がいることは、正直観ていて羨ましく感じました


だって、現実では傷や短所なんて人に言えないですよ。絶対そこから付け込まれますから。さらに傷つけられるのは目に見えています。だから私は人に心なんて開きたくないですし、そもそも私みたいなゴミに時間を割いてもらうこと自体が申し訳ない。それにあんなに自分の痛みを言語化できないです。私にはないものを、TCの参加者は持っていて、そのことが羨ましくて。途中までは私も何か犯罪を起こして、TCに参加しようかなと思ったぐらいです。




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ただ、この映画は後半になればなるほど、プログラムが進んでいくほど辛さを増していくんですよね。特に辛かったのが健太郎のロールプレイングのシーン。実際の事件の加害者と被害者になりきって会話を交わすというシーンなんですけど、健太郎が自分の事件の加害者、つまり本人を演じるんですよ。


そこで被害者の叔父らから質問を投げかけられて。強盗するまで相談できなかったという視野狭窄には共感するところもありましたし、婚約者の女性が中絶をしたり、叔母が疑心暗鬼になって寝れなくなったりと影響が多方面に及んでるんですよね。一対一じゃなくて。健太郎の目には涙が浮かんでいましたが、その涙さえ「何の涙ですか?」と問われる。新聞のベタ記事や、一瞬で終わるテレビニュースにこんな複雑な背景があるんだと、改めて思い知らされます。自分の想像力の無さが恥ずかしくなりました。


また、これと同じくらい辛かったのが、翔の2つの椅子のシーンですね。翔の事件は他の3人と違って人が死んでいるんですよね。で、翔の中では良い死に方をしたいという気持ちと、遺族に申し訳ないという気持ちが葛藤していて。2つの椅子というのはその葛藤を分けて、もう一人の自分と対話するという方法なんですけど、これが観ていて辛いなんてもんじゃない。おぞましさすら感じてしまいます。


良い死に方がしたいというのは綺麗事ではと、もう一人の自分を責める翔。どこかで踏ん切りをつけないといけないと、もう一人の自分に反論する翔。見ている人がいる分、このやり取りのキツさが増します。私も毎日、変われない自分に死ね死ね言ってるんですけど、可視化されるとこんなにも辛いことをしているんだなと身につまされました。翔の表情も追い詰められていて、自分と向き合うことの大変さを感じます。こんな大変なら、参加したくないなと思ってしまいます。そこまでしないと変われないと分かっていながら。駄目な人間ですね。












このように、TCの自分と向き合うプログラムは基本的にしんどいことばかりなのですが、TC経験者の再犯率は未経験者の半分と成果も上げているんですよね。それは、自分と向き合うことによって自己変革が促されたということもありますが、それ以上に大きいのはTC参加者が「つながり」を得たからなのではないかと思います。


この映画では二回、出所者のその後の様子が紹介されました。定期的に集まってバーベキューや、雑談の場が設けられています。バーベキューは朗らかに、雑談はお菓子もあり和やかに行われますが、会話から察するに現実はそこまで甘くはない様子。なかなか仕事には就けず、再び捕まってしまう出所者も少なくありません。


でも、再び集まる場所があるんですよね。元TC参加者というつながりがあり、安心して身を委ねることができる場所があるんですよ。元TC参加者の一人が「TCの内容はあまり覚えていない」という旨のことを語っていましたけど、もしかしたらTCの最大の効能はプログラムではなく、人と人とのつながりを醸成することにあるかもしれないですね。この映画に登場した出所者の多くが笑顔でしたし、やっぱり人は人との関わりの中でこそ癒されるのだなと感じました。


終わり方も未来を予期させるものでしたし、一本の映画として『プリズン・サークル』の満足度は高いです。良い面ばかり描かれていたり、少しストーリーがありすぎるかなという感じもしましたが、私はこの映画好きですね。TCの重要性がよく分かりました。


衝撃的だったのが、日本の受刑者は4万人、そのうちTCに参加できるのは40人しかいないという最後のテロップ。それに、島根あさひは男性刑務所ですし、女性はTCのプログラムを受けることが、製作時点ではできていない。もっと日本の刑務所にTCが広まったらいいのにと思わずにはいられませんでした。欧米ではTCは1960年代から行われているということで、日本はだいぶ遅れていますが、それでもちょっとずつTCが広まって、再犯率の低い社会になるといいなと感じました。




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以上で感想は終了となります。映画『プリズン・サークル』。私たちと同じ人間である受刑者が、どのように回復していくのかを知ることができるいいドキュメンタリーだと思います。全国の映画館でご覧いただくのは難しいかもしれませんが、映画配信サイト「仮説の映画館」でも見ることができますので、時間がありましたら、ぜひ観てみてください。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい