こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』。私はこの映画を取ったグレタ・ガーウィグ監督の前作『レディ・バード』が、2018年のベスト10にも選んだくらい好きでして。グレタ監督の最新作で、しかも世界的な名作を原作としているなんて、絶対面白いじゃんと思って意気揚々と観に行ってきました。


で、観たところ想像とは違う映画でしたね。いろいろな意味で。まさかこんなことになるとは思っていませんでした。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・映像は100点満点
・ストーリーには少しイラつくところも……
・最後の展開はどうなんだろう?





―あらすじ―

ジョーはマーチ家の個性豊かな四姉妹の次女。情熱家で、自分を曲げられないため周りとぶつかりながら、小説家を目指して執筆に励む日々。控えめで美しい姉メグを慕い、姉には女優の才能があると信じるが、メグが望むのは幸せな結婚だ。また心優しい妹ベスを我が子のように溺愛するも、彼女が立ち向かうのは、病という大きな壁。そしてジョーとケンカの絶えない妹エイミーは、彼女の信じる形で、家族の幸せを追い求めていた。

共に夢を追い、輝かしい少女時代を過ごした4人。そして大人になるにつれ向き合う現実は、時に厳しく、それぞれの物語を生み出していく。小説家になることが全てだったジョーが、幼馴染のローリーのプロポーズを断ることで、孤独の意味を知ったように─。自分らしく生きることを願う4人の選択と決意が描く、4つの物語。

(映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』より引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。













・映像は100点満点



この映画は『若草物語』の作者、ルイーザ・メイ・オルコットのこんな言葉で幕を開けます。


悩み事が多いから、私は楽しい物語を書くの


この言葉、正直観ている最中はちんぷんかんぷんでした。言葉の意味も分からないまま、物語だけが進んでいきます。ただ、当然っちゃ当然なんですが、この言葉が後々になって効いてくるんですよね。予想だにしていなかった形で。


映画はある出版社のシーンから始まります。この映画の主人公・ジョーマーチがある話を持ち込んでいます。しかし、19世紀半ばは女性が本を書くなんて、まだまだ認められていなかった時代ジョーも友達が書いたと偽って持ち込んでいました。極端な言い方をすれば、女性は男性と結婚するしか幸せになれないと信じられていた時代です。(この辺りは映画『メアリーの総て』も参考にしていただきたい。エル・ファニング主演)




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この物語の主人公は紛れもなくジョーですが、映画はマーチ家の4姉妹を軸に物語が進んでいきます。なので、長女のメグ、三女のベス、四女のエイミーのそれぞれの状況が順番に映し出されます。エイミーは叔母と馬車に乗り、メグは家庭を築き、ベスはベッドで一人佇んでいます。それぞれの境遇を簡単に示したところで、映画は回想シーンに突入。時は七年前へと巻き戻ります。


そこからスクリーンに映し出されるのは、豪華絢爛な舞踏会。マーチ家の19世紀を思わせるエレガントな内装に、マサチューセッツ州の美しい自然。この映画の最大の売りは、なんといってもその映像でしょう。1秒の隙もなく、細部まで作りこまれたバッキバキの映像。今年どころか、今まで見た映画の中でもかなり上位に食い込む出来で、見ているだけで楽しいと同時に圧倒されてしまいます。


その中でも、とりわけこだわって作られていたのが衣装公式サイトのプロダクションノートにその経緯は詳述されていますが、本当にモブの一人に至るまで、妥協を許さないそのこだわりは特筆すべきものでした。服によって四姉妹の細かいキャラ付けをしたりと、映画への没入を最大限助けます。映画の立役者の一人で、アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞したのも大いに頷けます。去年の受賞作の『女王陛下のお気に入り』にも、全く劣っていませんでしたね。抜群でした。


さらに、出演している俳優も美男美女の競演で、目が大いに潤う。主演のジョーを演じたのは、『レディ・バード』でもグレタ監督とタッグを組んだシアーシャ・ローナン。サバサバした性格ながらも、どこか薄暗さを感じさせる表情が魅力的でした。また、長女のメグを演じたのは『ハリー・ポッター』シリーズでおなじみのエマ・ワトソン。長女としての責任を感じながらも、恋に焦がれる役どころをさすがの存在感で演じ切っていました。


次に、四女のエイミーを演じたのは今秋に『ブラック・ウィドウ』の公開を控えるフローレンス・ピュー。気の強い性格で、目の奥に野望が燃える眼差しが良かったですね。三女のベスを演じたエリザ・スカーレンは、日本ではまだあまり知られていない女優さんですが、儚げな雰囲気が病気がちな少女という役柄にとてもマッチしていました。


そして、映画ではこの美人四姉妹が仲睦まじい姿を見せているのですから、もう最高。じゃれ合って遊んだり、一緒に劇を演じたりと尊さが大爆発。百合が好きな人にとっては、たまらない映画になっているのではないでしょうか。さらに、そこにジョーに言い寄る相手として、『君の名前で僕を呼んで』など飛ぶ鳥を落とす勢いの美形俳優、ティモシー・シャラメが絡んでくるのですから、スクリーンの中のビジュアル偏差値はどえらいことに。後半疲れるほどの、美男美女のラッシュは垂涎ものです。


この映画は美術や撮影といった映像の力と、俳優さんの魅力がまさしく相乗効果を生み出しており、視覚的な評価だけで言えば、間違いなく100点満点であるといえるでしょう。今年、実写映画でこのビジュアルを超える映画は現れるのだろうかと思ってしまうほどです。泣く子も黙る勢い。この映像を見て満足しない人がいたら、ぜひ教えてほしいぐらいです。映像だけでも1900円を払う価値はあります。絶対に。




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・ストーリーには少しイラつくところも……


ここまで褒めちぎってきましたけど、実は肝心のストーリーに関しては、少しイラついた部分もあるんですよね。


まず、疑問に思ったのが、ジョーが幸せすぎるんじゃないかという点です。マーチ家は立派な屋敷に住んでいて、何一つ不自由のない生活を送っています。4姉妹の仲も、たまにエイミーとケンカするくらいで、概ね良好。作家として認められないことや、身内に不幸があったことを差し引いても、秤は幸せな方に傾くと思います。とても「悩み事が多い」ようには見えません。満ち足りているように見えてしまって、もっと不幸なこと起きろと心の底で思ってしまったくらいです。醜い心ですね。


また、話の本筋とは関係のないエピソードが多すぎて、ストーリーが少し緩慢になってしまった印象も否めません。姉妹の仲よさげな描写が続くのは良いんですけど、それは横に広がっていくだけで、縦の積み重ねになる気配はあまりありませんでいた。4姉妹それぞれを並行して描いていて、「わたしの」というよりは「わたしたちの」若草物語といった感じです。


群像劇みたいにしようとして、焦点がぼやけている感もちょっとありました。この映画は2時間15分と少し長めの上映時間でしたし、もうちょっと描写を削って、短くしてほしかったというのは偽らざる思いです。正直、途中で飽きてしまいました。


でも、書いていることはこの上なく真っ当なんですよ。「女性の自立」というのがテーマになっていて、前述したように19世紀中ごろは、結婚が女性の幸せと信じられていましたし、その風潮が今は残っていないとは誰が言い切れるでしょうか。ジョーは、言い寄ってくるローリーを愛せないと言って振っていますし、男性に依存しない(この時代では)新しい女性像を作り上げていました。独身のままリッチな中年女になってやると。


でも、この映画では結婚の幸せというものも否定しないんですよね。メグは好きな人と結婚することを第一に捕らえていますし、その思い通り結婚したメグをジョーは祝福しています。自立するのも結婚するのも、同価値の選択肢として存在している。そのうえで、ジョーは自立を選ぶのですから、力強くて思わず応援したくなります。


だからこそ、終盤の展開には不満たらたらですよ。ジョーはローリーを振った後、「どうしても寂しい」とこぼすんですよね。いや、それは分かりますよ。だって孤独と自由は抱き合わせですから。でも、だからと言って別の男と付き合ってハッピーエンドというのは許せない。これじゃあまるで「女性は自立できない。結婚しか女性の幸せはない」と言ってるみたいじゃないですか。日和ってんじゃねぇよと。自立して生きていくって決めたんだろ? ふざけんなよと、今年映画を見た中で一番イライラする展開でした。


たぶん、このまま映画が幕を閉じたら、私はブチギレて、罵詈雑言をこのブログに書き連ねていたと思います。でも、この映画はただでは終わりません。最後にはアッと驚く展開が待っていました。まぁ、そのおかげで私はブチギレるかわりに、モヤモヤした思いを抱えて映画館を出ることになったのですが……。




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※ここからの内容は映画のネタバレを激しく含みます。
 未見の方は読まないで観ることをお勧めします。
 当方では一切の責任を負いません。














・最後の展開はどうなんだろう?


この映画の終盤、舞台は再び出版社へと移ります。編集者と話しているジョー。編集の手には原稿が握られていました。それはジョーが書いた「若草物語」。ジョーは売れるために、物語の結末を主人公が結婚するというハッピーエンドに変えたといいます。その後、印税交渉をしたり、本が発行される様子が映されたりするのですが、そんなことはどうでもいい。実は、これまで私たちが観ていたのは、ジョーが書いた「若草物語」だったのです。フィクションオチ、メタオチです。


この展開を目の当たりにして、私はもう呆然ですよ。そして、脳裏には去年、阿鼻叫喚の大騒動を巻き起こしたあの映画がよぎりました。




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ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』です。この映画のオチも、私たちが観ていた世界は主人公がプレイしていたゲームの中の世界というもので、まあ思い出したくもないほどの批判が起こりましたよね。「わたしの」若草物語を観ていたら、いつの間にか『ユア・ストーリー』を観ていた。超能力や超スピードとかそんなちゃちなもんじゃ断じてない、もっと恐ろしいものの片りんを味わいました。


まあ冗談はさておき、私は映画館で観たときは『ユア・ストーリー』のラストの展開は、すんなりと受け入れられたんですよね。映画館は静まり返ってましたけど(あと、最近WOWOWでもやってたけど、あの展開が来る瞬間にウッとなってしまって、チャンネルを変えてしまったのは内緒だ)。でも、この映画に関しては、全然受け入れられなかったんですよね。


まず、どこからが「若草物語」だったのか分からないような作りになっているんですよね。この映画って。フレデリック(「若草物語」でジョーとくっつく人)が再登場したところからかもしれないし、もしかしたら最初から「若草物語」だったのかもしれない。ジョーが生きる現実はもっと悲惨なもので、マーチ家は貧乏だったり、姉妹の仲は険悪だったり、メグは結婚していないかもしれない。


もし最初からだとしたら、言葉は悪いのですが、性質が悪いなと思います。なぜなら、ジョーの現実がいかほどなのかほとんど描かれていないから。家に帰っても母親しかいなかったり、家が整理されていたりは本当だと思うんですけど、ジョーの現実は想像するしかない。でも、その材料が全然足りていないんですよ。こんなの、2時間以上使っておいて、ジョーについてはほとんど何も語られてないのと一緒ですよ。もし、最初からだとしたら。


もちろん、物語に願いや希望を込めるのは全く間違ってないんですよ。というか物語のあるべき姿でさえあるんですよ。「悩み事が多いから、私は楽しい物語を書くの」というのは。私は物語は理想で上等だと思っていますし、理想的ないくつもの物語に慰められたり、勇気づけられたりしてきました。


きっと、ジョーも楽しい物語を書くことで、悲惨な境遇にいる自分自身を慰めていたのでしょう。勇気づけていたのでしょう。自分自身を慰める。略して自慰行為です。そうでない可能性ももちろんありますが、もしかしたら他人の自慰行為を二時間以上もずっと見せられていた……?うわ......はい……何というか……気持ちが悪いです。メタオチは本当慎重に使わないとと思い知らされました。


別にメタオチが嫌いなわけじゃないんですけどね。最近『何者』という映画を改めて観る機会がありました。




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この映画もメタオチ(とは似て異なるけど結構近い)を採用していて。私はそれにオールタイムベストかってぐらい感動したんですけど。たぶん、どれだけ理想化していたかなんでしょうね。『何者』は理想的な部分が全然なかったですし、プレイヤーでいろというメッセージも感じられた。でも、『わたしの若草物語』は理想化しすぎていて、メタ構造であると分かった瞬間にぶっちゃけ引いてしまいました。


あと、若草物語って大ベストセラーじゃないですか。150年経っても一度も絶版されていないようですし。きっとそれぞれ読んだ人ごとに「わたしの」若草物語があるんだと思います。他人事が自分事になっているといいますか。でも、この映画では「わたしの」はジョーひとりに限定されてしまっているんですよね。最後の展開によって。原典の若草物語を「これはわたしの話だ!」と思って観ていた人の感想が少し心配になりました。どう思うんだろう。




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以上で感想は終了となります。『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』、映像はビックリするぐらい素晴らしいですが、ストーリーには疑問が残る映画でした。同じクリエイター物語なら、私は『メアリーの総て』の方が好きですね。正直。


でも、本当に映像は掛け値なしに凄いので、興味のある方は映画館で観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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