こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『マルモイ ことばあつめ』。『タクシー運転手 約束は海を越えて』の脚本家オム・ユナが初めてメガホンを取った韓国映画です。実は初めてその存在を知ったときから、ちょっと気になってはいたんですよね。『タクシー運転手』がすごく良かったので。


なので、小さくない期待を抱いて観に行ったのですが、想像をはるかに上回る大傑作でした。今年公開された韓国映画というくくりでは『パラサイト 半地下の家族』や『スウィング・キッズ』等を超えて、一番好きです。おそらく年間ベスト10にも食い込んでくるんじゃないかというくらい、胸に残る映画でした。


それでは感想を始めます。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―あらすじ―

1940年代・京城(日本統治時代の韓国・ソウルの呼称)― 
盗みなどで生計をたてていたお調子者のパンス(ユ・へジン)は、ある日、息子の授業料を払うためにジョンファン(ユン・ゲサン)のバッグを盗む。
ジョンファンは親日派の父親を持つ裕福な家庭の息子でしたが、彼は父に秘密で、失われていく朝鮮語(韓国語)を守るために朝鮮語の辞書を作ろうと各地の方言などあらゆることばを集めていました。
日本統治下の朝鮮半島では、自分たちの言語から日本語を話すことへ、名前すらも日本式となっていく時代だったのです。
その一方で、パンスはそもそも学校に通ったことがなく、母国語である朝鮮語の読み方や書き方すら知らない。
パンスは盗んだバッグをめぐってジョンファンと出会い、そしてジョンファンの辞書作りを通して、自分の話す母国の言葉の大切さを知り・・・・。

(映画『マルモイ ことばあつめ』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください











※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。





この映画は、1933年の満洲から幕を開けます。バッグを手にし、軍人から逃げる男。軍人が話すのは日本語です。皆さんも知っての通り、当時日本は満州という中国の一部を統治下に置いていました。銃に撃たれて斜面を転げ落ちる男。残されたバッグには、ハングル文字が書かれた紙が入っていました。




時は進み、七年後。1940年のソウルの街並みが映し出されます。この頃のソウルは日本の統治下にあり京城と呼称されていました。日本は朝鮮語を禁止して、日本語を話すようにするなど、皇国臣民化を推し進めています。街の看板にところどころ日本語が混ざっているのが静かな衝撃を与えてきます。

この映画は、そんな中で奪われていく朝鮮語の辞書を作ろうとする人々の奮闘の記録です。辞書づくりの映画といえば、日本でも数年前に『舟を編む』という映画がありましたが、比べるのもおこがましいほど、辞書作りに対する覚悟は段違いでした。命を投げうつと言っても過言ではない覚悟です。


となると、この映画は重たい話のように思われるかもしれません。確かに後半は息を呑むほどのヘビーな展開が続いていきますが、前半は想定外なほどエンターテインメントをしていました。その理由はなんといっても主人公であるキム・パンスのキャラクターにあると思います。


キム・パンスはスリ集団を率いていたりと、どうしようもない部分もありますが、それ以上に口が達者でどこか憎めない部分がありました。ジョークで場の空気や映画のトーンすら明るくしていましたし、二人の子どものことを想う父親という人間味溢れる一面もあります。彼を演じたユ・ヘジンのどこか軽く、物事を深刻に捉えない雰囲気や、にじみ出る情けなさなどは、パンスのキャラクターにバッチリ当てはまっていました。いい具合に愛嬌もあるので、こういった役が似合いますね。




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パンスは劇場でのわずかな給料を基に、貧しい暮らしをしています。スリも日常茶飯事。ある日、息子ドクジンの学費が払えないという事態に陥ってしまいます。そこで、金持ちを見定めてスリを働こうとするのですが、そこで狙われるのが朝鮮語学会代表のリュ・ジョンファンです。スーツを着て、どこか『舟を編む』の松田龍平さんに似た雰囲気のあるジョンファン。演じたユン・ゲサンは真面目な性格ながら、心の奥では使命に燃えるジョンファンをこれ以上ないほど的確な演技で表現していました。


そして、この一連のスリのシーンがですね、連係プレーの連続でとにかく面白いわけですよ。アニキって呼ばれてシラを切るパンスもおかしいですし、二人一緒に警察に追われることになるんですけど、パンスの鈍足っぷりには思わず笑ってしまいました。でも、このスリの流れが後々効いてくるから話作りが上手いです。


パンスたちのスリは上手くいかず、バッグはジョンファンの元に戻ります。同じころ、パンスは劇場の仕事をクビになってしまいます。このままでは生活ができないと、伝手を頼って職場を求めるパンス。辿り着いた先は、街中の本屋。そこでは、秘密裏に朝鮮語の辞書を編纂していて、ジョンファンが代表を勤めていました。二人はここで再会をします。口八丁で同僚に認められていくパンスですが、ジョンファンはパンスが働くことを認めようとしません。それは性格的に水と油ということもありますが、なによりパンスは文字が読めなかったのです。


日本統治下での朝鮮語の辞書作りの想像を絶する苦労については、また後述しますが、この映画を私がお勧めするポイントの一つが、最初は分かり合えない二人が、辞書作りを通じて分かり合っていき、無二の相棒になるというバディものとしての完成度が群を抜いているところです。

















パンスは学校にも通っておらず、文字も読めなくて、言語の価値も全く分からない人間です。地下に収蔵されたたくさんの原稿を見たときも、「金なら分かるが、言葉を集めて何になる?」と語っていました。しかし、働くうえで最初は無理やりでしたが文字を覚えていくうちに、言語を獲得する喜びを知っていき、小説を読んで泣くまでになります。言葉の重要性が分かり、ジョンファンもパンスに対する見方を徐々に改めていきます。


しかし、ある日職場から印刷代が消失。パンスはその前歴から疑いをかけられてしまいます。しかし、犯人はパンスではありませんでした。ジョンファンはパンスの家にまで出向き、謝罪します。自らが辞書を作るようになったきっかけや、かつて朝鮮語を教えていた父親の思い出などを語るジョンファン。ここで良いのがパンスのことを同志だと認めていることです。


スタートは最悪だったのに、パンスが文字を習得して変わっていったのと同時に、ジョンファンも少しずつ元の明るい性格を取り戻す。バディものの王道ですよ。このときの同志という言葉を聞いて、軽く笑うパンスがまた良いんですよね。嬉しさと恥ずかしさが同居している感じで。


ジョンファンが帰った後、外は雨が降り出します。職場はぼろくて雨漏りがしていますが、これをパンスがトタンの屋根をつけることで何とかしようとするのが心憎い。「俺がいなきゃダメだな」みたいな照れ隠しまでしちゃって。こういうのに弱いんですよね。私は。その後も一度は離れ離れになりますが、また結託して最後は命を預けられる間柄にまで関係が深化しているのはもう最高としか言いようがありません。凸凹コンビの七転八倒をぜひ楽しみに見ていただきたいなと思います。




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さて、1910年の韓国併合から1945年に終戦するまで、日本が韓国を統治下に置いていたのは周知の事実ですよね。教科書にもしっかりと載っています。しかし、教科書では触れられたとしてもせいぜい二、三行のみ。実際に統治下に置かれていた韓国がどうだったのかは資料集でもあまり詳述されていません。この映画はそんな時代の韓国の様子を十全に見せつけてきます。


街にはぽつぽつと日本語の看板。創氏改名で日本名を名乗ることを強制されたり(今でも在日朝鮮人の方々には日本名を名乗る人がいますね)、学校では皇国臣民になるべく、小学校から日本語教育がなされています。朝鮮総督府の認可を受けられなければ、自由な出版をすることもできません。韓国ではなく日本という「お国」のために戦うことを余儀なくされ、映画の終盤には実際に出征式が開かれてもいました。


中でも苛烈を極めたのが、言語に対する政策です。日本国民だという自覚を植え付けさせるために、朝鮮語は禁止され、人々は日本語をしゃべることを余儀なくされます。劇場では、日本語で戦争を正当化するプロパガンダ映画が上映され、朝鮮語の新聞も廃刊に。バスの中で、ハングルの歌を歌うパンスが日本人に物理的に叩かれるシーンは胸が痛みます。


そんな洗脳ともいえる教育の影響は小さい子供に如実で、パンスの娘・スンヒがハングルよりも平仮名を習っていたり、果てには朝鮮語を全く喋れない子供さえ生まれます。物理的にも目を覆いたくなるような凄惨な光景が繰り広げられていましたが、文化的にも侵略とも言っていい数々の暴挙に、当時の日本はここまで惨たらしいことをしていたのかと、驚きました。


映画を観ている途中、ずっと胸の中でごめんなさい...ごめんなさい...と唱えていたくらいです。感動的なシーンでも、でもこの人たち、日本人のせいでこうなってるんだよな...というのが頭をよぎり、私は泣くことができませんでした。泣く資格すらないと思えたのです。


だから、朝鮮語の辞書を作ることは当時としては重大な背信行為。当然警察も厳しく取り締まります。朝鮮語学会はこれをなんとか潜り抜けていましたが、ついには警察に原稿が見つかって、全没収されるのには、さすがに堪えましたね。十年間の結晶が...。その後にわずかに芽生えた希望すら、摘み取りに来るのですから本当に徹底しています。


辞書を出させないためには、人を撃つことも厭わないですからね。殴る蹴るなどの暴行も加えていますし、刑務所でのシーンは鬼畜の所業かと。劇的な誇張が入っている気もしないではないですが、実際の事件でも人が死んでいるみたいですし...。今までの映画よりも当事者に近い分、心がずきずき痛みました。













でも、そんな辛い情勢とは対照的に、文字を覚えていくパンスの無邪気さが心に刺さるんですよね...。学ぶ喜びに目覚めたパンスが、街中のハングル文字を「読める、読めるぞ」的なテンションではしゃいでいくシーンは文句なしの名シーンで。楽しいシーンで泣かせられるっていうのは、本当に凄いと思います。悲しみで泣かせるよりも数十倍難しいですからね。


そして、朝鮮語を覚えていくに連れて、自分が属する韓国という共同体に、韓国人であるということに誇りを持っていく流れが最高です。心まではどんな抑圧も及ばない。初めて誇りを手に入れて、二人の子どもが自然に日本語を話すことに違和感を覚えて、朝鮮語を守らなきゃと立ち上がる。政治家や活動家じゃなくて、一般市民が反旗を翻すというのが、胸を打ちます。私たちと変わらない名前のない人々だからこそ、感じるものがあります。


そして、その熱が周囲に伝播していくのも、また熱い展開。ジョンファンたち朝鮮語学会が作る辞書は、韓国中の方言を収録した辞書だから、彼らだけではできないんですよね。地方の教師に頼むも、抑圧の影響で断られて。でも、パンスの呼びかけやあるアイデアもあり、画面に登場するしないにかかわらず、何十人、何百人、いや何千人もの人々が決起するのには、思わずテンションが上がってしまいました。「1人の10歩よりも10人の1歩」という言葉を体現していて、人間の力強い意地を垣間見ました。




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この映画を観ると、言語は魂であり、誇りであり、存在事由なんだなと思い知らされます。ネイティブアメリカンの言語は16世紀にスペインに侵略されてから、話者がめっきり減ってしまいました。一説では世界におよそ7000ある言語のうち、2500語が絶滅の危機に瀕していると言われています。言語はその人種が存在した証で、絶滅するということは、彼らの存在が世界から消えてしまったことと同義。石板に残る楔形文字はともかく、文字を持たないアイヌ語などの言語は、話者がいなくなったらもう復活させることはできません。


朝鮮語学会たちの戦いは言葉だけでなく、誇りを、この世界に存在したという事実を守るための戦いのように私には思えました。韓国語は抑圧から唯一回復された言語だといいます。エンドロールに流れるハングル文字はいつもだったら、ただ呆然と眺めているだけですが、彼らの戦いの成果なんだと思うと、胸が熱くなるような感動を覚えました。2時間15分と上映時間はやや長めですが、最初から最後まで、興味深く観られる大傑作だと思います。


コロナ禍でいろいろ厳しいとは思いますが、教科書では語られない歴史を知るため、自らの言語の対殺差を再認識するため、エンターテインメントとして楽しむため、どんな理由でもいいので、鑑賞することを強くお勧めします。



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以上で感想は終了となります。『マルモイ ことばあつめ』、上映館数はあまり多くないですが、心奪われる大傑作なので、興味のある方はもちろん、この感想を呼んで初めて映画の存在を知ったという方も、ぜひ観に行ってください。よろしくお願いいたします。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


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