Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203




こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。二度の延期を経て、ようやく公開されたこの映画。待ちわびた私は今年でもトップクラスの期待を胸に抱いて観に行ってきました。100席ほどのスクリーンもほぼ満員。これだけ待ち続け、必要とし続けた人がいたことにまず胸が熱くなりましたね。


それでは感想を始めたいと思います。なお原作は相変わらず未読です。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―あらすじ―

代筆業に従事する彼女の名は、〈ヴァイオレット・エヴァーガーデン〉。
幼い頃から兵士として戦い、心を育む機会が与えられなかった彼女は、
大切な上官〈ギルベルト・ブーゲンビリア〉が残した言葉が理解できなかった。
──心から、愛してる。

人々に深い傷を負わせた戦争が終結して数年。
新しい技術の開発によって生活は変わり、人々は前を向いて進んでいこうとしていた。
しかし、ヴァイオレットはどこかでギルベルトが生きていることを信じ、ただ彼を想う日々を過ごす。
──親愛なるギルベルト少佐。また今日も少佐のことを思い出してしまいました。
ヴァイオレットの強い願いは、静かに夜の闇に溶けていく。

ギルベルトの母親の月命日に、
ヴァイオレットは彼の代わりを担うかのように花を手向けていた。
ある日、彼の兄・ディートフリート大佐と鉢合わせる。
ディートフリートは、ギルベルトのことはもう忘れるべきだと訴えるが、
ヴァイオレットはまっすぐ答えるだけだった。「忘れることは、できません」と。

そんな折、ヴァイオレットへ依頼の電話がかかってくる。依頼人はユリスという少年。
一方、郵便社の倉庫で一通の宛先不明の手紙が見つかり……。

(映画『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください。




昨年9月に公開された外伝の感想はこちら↓









まず感想としてはやはりさすがのクオリティーでした。TVアニメからの美麗な作画をそのまま2時間20分もの長い間味わうことができます。荒みかけていた心もどんどんと潤っていくようです。さらに物語も高いレベルでまとまっていて、身構えていた私の心もかなり揺さぶられました。たぶんもう一押しあったら泣いていたと思います。これを1800円で(私は1000円だったけれど)観ていいのかと思うレベルで、映画が終わった後には自然と小さな拍手が起こっていました。きっと、観た多くの人が満足げに映画館を後にしたと思います。


ただ個人的には、あのこれは大変言いにくいのですが、ちょっとどこかで完全にはハマりきっていないかなと...…。もちろん良かったのですが、観ている途中はもしかしたらあまり好きな話じゃないのかもとさえ思ってしまいました。たぶん相性が悪かったのだと思います......。残念ながら……。





あまり愚痴愚痴言うのも良くないので、まずは好きだったところから挙げていきましょう。京都アニメーションの特徴といえば、まず思い浮かぶのが丹念で綺麗な作画ですが、それはこの映画でもバッチリ楽しむことができます。これについては説明するよりも、とにかく観てくれとしか言いようがないのですが、本編や外伝に匹敵するくらいの出来栄え。どれだけ高い期待を抱いても、それを裏切ることはありません。ぜひ酔いしれてほしいなと思います。


さらに、作画と同じくらい印象的だったのがカメラワークですね。この映画では大事なシーンで表情を映さない演出が多く用いられているんですよ。二人で話しているときに、話者一人を端に置いて受け手を映さなかったり、後ろ姿だけで見せてきたり。特に序盤のヴァイオレットがギルベルトのことを思い浮かべるシーンの数秒の間には痺れました。動かさないことが、時として動かすよりも重大な意味を持つのだと思い知りましたね。


さらに、この大事なところを見せない演出が積み重ねられていき、ラストシーンで結実するのもかなりポイント高いです。鳥肌が立ちました。他にもサムズアップなどさりげないシーンで、それとなく仄めかしたりするのもとても良いです。こうした語りすぎない演出が、一番の勝負所に効いてきていて(少し盛りすぎではと思いながらも)ねじ伏せられました。すすりなく声もいくつか聞こえてきましたし。



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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











この映画は暗い道を誰かが歩くシーンから始まり、「Sincerely」という単語が表示されます。親愛なるという意味もありますが、日本語で言うところの「敬具」的な意味合いも強く、これで完結だということが早くも印象づけられます。


そして、本編が始まるわけですが、もういきなりかまされました。だって、デイジーという全く知らないキャラクターの視点から始まるんですよ。誰かが死んだということは分かるけれど、今までの話にどう関連があるのか全く分からない。サプライズなスタートです。


でも、よくよく見ると写真の中に、テレビシリーズ10話で登場したアンがいるんですよね。この映画のスタートは本編から数十年後の世界で、デイジーはアンの孫でした。デイジーは日に焼けた手紙を見つけます。それはアンの母親がアンに向けて送った手紙。代筆したのはヴァイオレット。この映画はテレビシリーズでも屈指の感動回と名高い10話のエピソードをなぞる形で始まります。いきなり涙腺を刺激してきて、最初から泣きそうになりました。今年観た映画の中でも一番好きな始まり方です。


ここでヴァイオレットが18才でCH郵便社を離れたことが観客に提示され(予告編でも言及されていたけど)、ヴァイオレットたちの時代の物語がスタート。とはいっても、こちらはこちらで海に祝詞を捧げるという突飛なシーンから始まるので、こちらも理解するのには少々時間がかかりましたけど。


それからは初見の方でもわかるように、テレビシリーズの展開を少しずつおさらいしていきながら物語は進行。電話など技術の進展によりドールの仕事が脅かされつつあることや、ヴァイオレットのギルベルトへの想いを改めて提示しつつ、ギルベルトの母親への月命日の墓参りを終えたヴァイオレットに一件の電話が届きます。


それは少年ユリスからの代筆の依頼でした。ユリスは難病に臥せっていて、いくばくかの命もありません。自分の命が尽きる前に、両親と弟に手紙を書きたいとヴァイオレットを呼びます。ユリスの心情も知らず、大丈夫かとばかり心配をする両親。ユリスはそんな両親に素直になれず、つい弟に当たってしまいます。さらに、友人リュカとの面会も拒絶している様子。これを隠れて聞いていたヴァイオレットは特別に子供料金で代筆を請け負います。


えっと、この辺り明らかにアンのエピソードと被せていますよね。残されたものに向けて手紙を書くっていう。このユリス関連には言いたいことが結構あるのですが、長くなるので後に回します。












ある夜、ホッチンズとベネディクトは宛先不明で郵便局に返送されてきた手紙を発見します。筆跡は失踪したギルベルトによく似たものでした。これは予告編を観た人なら100%勘づいていると思うので言っちゃいますが、ギルベルトは生きていました。離れ島で子供たちの教育や畑仕事にあたっています。というかこの前のいくつかのシーンでギルベルトが生きていることは観客に示されているので、もはや隠す気もサラサラないのですが。


ギルベルトに会いに、離れ島へと向かうヴァイオレットとホッチンズ。長い道中にヴァイオレットはギルベルトへの手紙を書きます。そして、当該の集落へと辿り着いた二人。ギルベルトがどう思うか分からないという理由でホッチンズはヴァイオレットを入り口で待たせ、一人ギルベルトの元へと向かいます。


曇り空で暗い学校の中にギルベルトはいました。背景を薄暗くしてギルベルトの表情を多く見せない演出が冴えわたるシーンです。ギルベルトはヴァイオレットといると彼女を傷つけたことを思い出してしまうからと拒絶。ホッチンズがいくら言っても、ヴァイオレットが雨に濡れながら呼び掛けても、取りつく島もありません。この中盤のシーンは観ていて、今年有数にドキドキしましたね。誰もがじっとスクリーンを見つめていましたし。


ギルベルトに拒絶されて行く当てをなくし、灯台兼郵便局に泊まることになった二人。しかし、CH郵便社からユリスが危篤との情報が入ります。ユリスと彼が死んだ後に家族に手紙を届ける約束をしていたヴァイオレットは職務を遂行しようとライデンに戻ろうとします。あんなに会いたかったギルベルトよりも依頼主とした約束を優先させるのには成長したなって思いましたね。まあ嵐で海が荒れているので戻れないんですけど。三日かかると言われてましたし。




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とここで問題が発生するわけなんですが、個人的にはここからの展開があまり受けつけなくて。ユリスの扱いが気になったんですよね。結論から申し上げますと、ユリスは死んでしまうんですよ。これが私としてはあまり好きじゃなくて。


この映画でのユリスは主に二つの役割を持っていたと思います。その一つが、予告編や本編でも触れられた「技術が進歩して電話等が登場したら、ドールの仕事は失われてしまうのではないか」という問いへの答えです。病院に行けないヴァイオレットは、自分の代わりにアイリスを病院へと向かわせます。そこでユリスのリュカへの手紙を代筆しようとするのですが、ユリスはかなり危篤な状態で、事は一刻を争い、とても手紙の内容を伝えられるような状況ではありません。


そこで、ベネディクトの協力も得て、リュカと電話で話させるようにするのです。ドールの仕事を奪うと思われていた電話の活躍は熱い展開だなと思ったのですが、ここの電話の内容にユリスのもう一つの役割が示されているように感じました。


ユリスはリュカに弱った自分を見せたくないとリュカを拒絶します。しかし、本心では会いたいと思っている。私はこのユリスとリュカの関係は、意図的にギルベルトとヴァイオレットとの関係に重ね合わせられているのだと感じます。「ごめん」と謝ったユリスがギルベルトの本心を代弁するかのような気が私にはしたのです。これが中盤の大きな山場になって感動を生んでいるので、試み自体は成功しています。


さらに、前述の問いへの答え。それは本当に大切なのは手紙や電話という媒体うんぬんよりも「想いを伝える」ことです。それこそがドールの仕事なのだと示されているように私は受け取りましたね。これはこの映画の、いやこの作品自体の大事なテーマの一つになっていて。だからこそ、ギルベルトは終盤にああいった行動を起こしたのだと思いますし。そういった現代でも変わらない普遍的なテーマが最高潮に達したシーンが、このユリスのシーンでした。











とまあここまで考えてみれば、ユリスがこの映画で重要な役割を担っているキャラクターだということが分かるのですが、映画を観ている最中はここまで考えが至らなくて。まず、アンのエピソードを映画の中でも扱っているのだから、さすがに同じ展開は少し鼻白んでしまうなと思ったことが一つ。さらに、「難病」というモチーフに私がアレルギー反応を示してしまったことが一つです。


もう「難病」が出てきた時点で身構えるようになってしまったんですよね。きっと死ぬときに感動させるんだろうと。実際すすり泣く声もしましたけど、私はちょっと感動を盛りすぎてるかなと思って泣けませんでした(感動自体はしました)。


これは完全に個人の好みなんですが、私は映画とかで人が死んで感動させる展開があまり好きではなくて。そんなの安易だとすら思ってしまうんですね。きっとどっぷりキャラクターに愛着を湧かせてから死なせて泣かせるには、二時間という映画の尺は短すぎると思うんですよ。というか高校以降、創作物でキャラクターが死んで泣いたのって、ネウロのⅪ〈サイ〉ぐらいしかない気がします。これも20巻以上という積み重ねがあったからですしね......。


この映画を観終わってしばらくして、私は8月に公開された『糸』という映画を思い出しました。あの映画も感動の押し付けが凄かったし、難病を抱えたキャラクターが亡くなるのですが、程度の差はあれど、この映画にも同じことを感じてしまったんですよね。


端的に言ってしまえば、観ている間はユリスは死ぬために登場したキャラクターなんだと思ってしまいました。この死ぬために登場した感が透けて見えると、どうしても私は少し冷めてしまいます。だって、人は死ぬために生まれたのかと問われれば、それは絶対に違うでしょう。絶対に。なのに創作物ではミステリーの被害者に代表されるように明らかに死ぬためのキャラクターが登場する。これってちょっと不自然じゃないですか?原作は未読なのでどうかは知らないんですけど、脚本は吉田玲子さんですし、もうちょっとどうにかできたのでは、と素人ながらに感じてしまいました。




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以上で感想は終了となります。ほら、ラストまで全部書いちゃったら味気ないじゃないですか。まあ、ディートフリートはいつ来たんだとか、遠浅すぎるでしょというツッコミどころはありますが、総合力で言えばかなり高い作品だと感じます。やっぱり映画は観てなんぼのものですし、観た方が制作陣も報われるっていうもんです。実際、良作ですし、興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 




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