こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『きみの瞳が問いかけている』。吉高由里子さんと横浜流星さんが共演したラブストーリーです。本公開は10月23日なのですが、15日に1日限定で先行公開されたので、観に行ってきました。


そして、観たところなかなか興味深い映画でしたね。20年代の邦画はどうなるのか、吉高由里子さんとはいったい何なのか、考えさせられる内容でした。意外と重要な映画かもしれないです。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




hia





―あらすじ―

視力を失くした女と、罪を犯し夢を失った男。暗闇で生きてきた2人が初めて見つけた、ささやかな幸せ。だが、あまりに過酷な運命が彼らをのみこんでいく──。

目は不自由だが明るく愛くるしい明香里(吉高由里子)と、罪を犯しキックボクサーとしての未来を絶たれた塁(横浜流星)。小さな勘違いから出会った2人は惹かれあい、ささやかながらも掛け替えのない幸せを手にしたかに見えた。
ある日、明香里は、誰にも言わずにいた秘密を塁に明かす。彼女は自らが運転していた車の事故で両親を亡くし、自身も視力を失っていたのだ。以来、ずっと自分を責めてきたという明香里。だが、彼女の告白を聞いた塁は、彼だけが知るあまりに残酷な運命の因果に気付いてしまっていた。

(映画『きみの瞳が問いかけている』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください













『きみの瞳が問いかけている』、映画を観た後にツイッターのフォロワーさんから指摘されて知ったのですが、この映画は2011年の韓国映画『ただ君だけ』のリメイクなんだそうですね。確かに地下闘技場なんてアイデアはなかなか邦画(特に恋愛映画)では出てこないような気がします。


しかし、私はそれ以上にこの映画の展開に既視感を抱きました。明香里と塁が出会い、仲を深めていく。明香里の視力を回復させるために、塁が地下闘技場での違法ファイトに赴く。予告編から推測できたストーリーから何一つ外れることなく、映画は進んでいくのです。


なので、吉高由里子さんと横浜流星さんの演技は良かったのですが、正直かなり終盤まで微妙かな......と思いながら観ていました。それでもラストの10分~15分くらいは予想を超える「ああこれがやりたかったのね」という展開が待っていて、一気に巻き返してくれたんですけど。この展開には涙を流す人がいるのも納得でした。ただ、最後まで観て、私の既視感は確信に変わりました。


この映画は2020年のケータイ小説だ」と。


ケータイ小説 - Wikipedia




hib




Wikipediaによると、ケータイ小説のブームは2002年~08年頃だといいます。私が小学生~中学生だった頃ですかね。当時の私は携帯電話は持っておらず、小説を読む習慣もなかったため、蚊帳の外にいましたが、何となく流行っていた記憶はあります。私の持つ勝手なイメージだと、ケータイ小説には悲惨な出来事が次々と襲い掛かり、特に死またはそれに準ずるものが安易に用いられ、感動を誘うような印象があります。それは、この映画でも多く見られました。


明香里は事故で両親を失い、視覚障害を抱えてしまいます。一方の塁も母親が入水し、孤児院に預けられています。塁には罪を犯した過去があり、許されていないと葛藤を抱えている様子。他にも、明香里に関係を迫ろうとする上司や、半グレ集団との接触など悲劇的な出来事には事欠きません。発生した困難を解決するのが物語の一つの類型とはいえ、若干多すぎるくらいです。少し悲劇が安易に用いられている気もしてしまいます。


また、最終的には純愛ものだというのもポイント。明香里は姿の見えない塁に好意を持ち、塁が消えたときには塁の顔を模した彫像まで作って悲しんでいます(少し怖かった)。また、塁も明香里に手術を受けさせようと、高額なファイトマネーを得るために地下闘技場に赴いているわけですし、二人の間には邪心は見られません。悲劇を乗り越えつつ、最後にはハッピーエンドで物語は締めくくられる。これも私が考えるケータイ小説のイメージです。


前述したようにケータイ小説のブームは2002年~08年頃です。そして、ブームは循環するものです。タピオカだって最近は陰りが見えていますが、1990年~、2008年~を経ての第三次ブームでしたからね。きっと干支が一周以上して、再びケータイ小説的純愛ものブームが来始めているのかもしれません。


だって、ケータイ小説ブームの時の中高生はもう20代後半~30代ですし、ブームが去ってからネットに触れたのが今の中高生です。前者には懐かしさを、後者には新鮮さを持って受け入れられるでしょう。この映画のような00年代のケータイ小説的恋愛ものをリバイバルする路線は、もしかしたら20年代前半のトレンドの一つになるかもしれません。そうなると、20年代の邦画を考える上では、この映画はひょっとすると重要な映画になるかもしれないですね。










繰り返しになりますが、ケータイ小説の読者だった中高生は20代後半~30代に。Wikipediaにはケータイ小説は女子主人公が多いと書かれています。当時の中高生は、主人公に自分を重ねて読んでいたのでしょう。でも、年を取った今はそういうわけにはいきません。では、どうするか。この映画は大人の女性を主人公にするという方法を取ってきました。


劇中の明香里の年齢は明言されてこそいないものの、事故発生が2015年でその当時大学生だったという描写から考えると、おそらく25~27歳あたり。これは2006年~の第二次ケータイ小説ブーム時は高校生だった計算になります。さらに、明香里を演じた吉高由里子さんは現在32歳で、これは2002年~の第一次ケータイ小説ブームにピンズド。年齢的にはケータイ小説の少女主人公が、大人になったのが明香里であるともいえそうです。


現在20代後半~30代の女優さんは何人もいます。それでも、明香里は吉高さんでなければ務まらなかったと私は映画を観終わった後に感じました。それは人気があるという理由だけではなく、女優としての吉高さんの特性ゆえです。


結論から申し上げますと、明香里が吉高さんでなくてはいけなかった理由。それは、そのリアリティの薄さです。映画を観てもらえば分かると思うんですが、あんな明るい喋り方する人、現実にはあまりいないじゃないですか。自然体とは真逆で、めちゃくちゃ作っている感じがしたんですよね。例えば、「でも大丈夫」の言い方。あれは完全に三井住友銀行のCMのソレですよ。






この映画の吉高さんって、厳密に言えば柏木明香里を演じてはないんですよ。いや、視覚障害の描写には力を入れていましたけど、それ以外では「パブリックイメージとしての吉高由里子」を演じているように私には見えました。でも、それを全うできること、フィクションをフィクションとして演じられることが吉高さんが今ドラマなどに引っ張りだこな理由かなとも思いました。


なぜかというと、ここにも近年の傾向があると思うんですが、最近ってやったらめったらリアリティが重視されるじゃないですか。現実性、整合性、自然体というものが持て囃されている感じが私にはするんですよね。CGだって壮大なものとリアルなものに二極化していますし、また共感をより重視する時代になって、感情移入のためにリアルな演技というものが追求されがちです。


でも、これだけライフスタイルや嗜好が多様化した現代に、万人が共通的にイメージするリアルなんてものはもう存在しないわけですよ。それならフィクションの方が、現実から離れているという部分では共通しているのかもしれないです。で、この映画を観て感じた吉高さんの優れている部分って、ある程度現実離れしているところなんじゃないかって感じました。


何しろ表情筋の使い方が上手いんですよね。笑顔だけで何種類バリエーションがあるんだという感じです。さらに、少し上ずった感じの口調がリアルとリアルじゃない間の絶妙なラインを突いていました。「こんな人現実にはいないよ」と思わせつつ、最後には共感させて泣かせる。そのバランス感覚が抜きん出ているんですよね。若手俳優さんだとどっちかに振りきれがちになるので、さすがの演技だなと感じました。





hic





繰り返しますが、この映画の吉高さんはリアルすぎていません。きっとそれがリアル志向の10年代へのカウンターとして機能しているんだと思います。飽和するリアリティに疲れた現代の人が欲している絶妙なリアリティとフィクションのバランス。それを今日本で一番体現できるのが吉高さんなんだと感じます。時代が求めているとも言えそうですね。だからドラマ等の出演が途切れないんだと思います。


でも、吉高さんが活きたのは、相手役の横浜流星さんが徹底的にリアルに演じていたからというのを忘れてはいけません。この映画の横浜さんは静かで繊細な演技を心掛けていて、特にまだ明香里に戸惑っている前半の靴を気にしたりとか、距離を測りかねている感じが良かったです。受け身の演技が光っていました


しかし、映画の後半からは攻めに転じるので、そのギャップも見どころ。鋭い目つきと鍛えられた肉体は誰が見てもきゅんとすること間違いなしです。やはり横浜さんは20年代の主役の一人になりそうな俳優さんですね。




hid











長くなってきたので、この辺でまとめると『きみの瞳が問いかけている』は、


・00年代のケータイ小説的純愛ものを主人公を大人にしてのリバイバル
・10年代のリアル志向へのカウンター



という二つの要素が含まれている映画だと、私は感じました。この二つの潮流は20年代前半の邦画の一つのトレンドになりそうな予感がします。よくある純愛映画に見えて、後々振り返ってみたら大きな意味を持つ映画だった、ということになるかもしれないですね。既視感はあるかもしれませんが、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





☆よろしければフォロー&読者登録をお願いします☆