こんにちは。どうも、これです。
GWも終わりましたけど私は「そんなの関係ねぇ」とばかりに昨日も映画を観に行ってました。「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」です。正直すごい面白かった。今年観た映画の中でもベスト3に入るくらい。今回のブログはその感想です。ではよろしくお願いします。

 

 

 




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いやー凄いいい映画でした。引力があって惹きつけられる。何と言ってもすごいのがトーニャ・ハーディング役のマーゴット・ロビーの演技ですよね。

 

 

もう表情が凄かったんです。まずテレビ越しで滑り終わった後の笑顔ですよね。顔に仮面が張り付いてるようなんですよね。笑顔なんですけど怖いっていう。能面みたいだなって感じました。衝撃的でゾクゾクしたなあ。

 

そしてリレハンメルオリンピックの競技直前のメイクのシーン。あれは本当にヤバいですよ。ヤバいったらヤバイ。とにかくヤバい(語彙力の喪失)。一人で鏡の前のシーンで1分以上持たせられるのもヤバいし。表情の変化がねもう。苦虫を嚙み潰したような顔を見せたかと思えば、すぐ強がった笑顔を見せる。そのギャップがとんでもないです。微笑んでるのに泣いてた。その一瞬の切り替えにゾクッとしました。

 

そして映画のエンドロールにトーニャ・ハーディングの演技が当時の映像のまま流されるんですけど、劇中のフィギュアシーンとのシンクロっぷりが凄いんです。もうマーゴット・ロビーはトーニャ・ハーディングそのものでした。いやーゾクゾクする。

 

あと私は「スーサイド・スクワット」観てないんですけど、私のイメージでの「ハーレー・クイーン」を思わせるようなシーンもあってゾクゾクしました。なんかゾクゾクしてばっかだな私。

 

 

それに対するもう一人の主役ラヴォナ・ハーディングを演じたアリソン・ジャネイの演技も凄かった。本当にめっちゃヘイトを集めてくる毒親ぶり。自分のことを何とも思っていないあの態度。感情を表に出さないようにしていたアリソン・ジャネイの芝居が見事にはまってましたね。めちゃくちゃ恐怖を感じました。

 

でも厳しく突き放すのも愛情があってのことでその内に秘めた愛情だったり母性だったりもアリソン・ジャネイから感じられました。時々目が優しくなるんですよね。本当に時々ですが。そのギャップがとてもよかったなと感じました。

 

 

あと、印象的だったのはホール・ウォーター・ハウザー演じたショーン・エッカート(以下、中井さん)ですね。

 

映画に寄せられたコメントにあるので、これくらいはネタバレにならないと思うから書いちゃいますけどこの映画バカしか出てこないんです。中でも一番のバカだったのがこの中井さんでして。

 

中井さんは力に憧れて自分が支配者でいたい、「裏で糸引いてる俺カッケー」な中二病男でした。結構ひどいことをしてるんですけど、太ってるからかこの中井さんがやるとどこかコミカルになるんですよね。中井さんだけ映画の中でさらに役を演じているような感じで滑稽でした。「アイ,トーニャ」は本当に重い映画なんですけど、中井さんのおかげでそこまで重くならずに済んでました。そういう意味で中井さんはいい働きをしてたと思います。中井さん最高。中井さん万歳。

 

 

 

さらに、俳優の演技も素晴らしかったんですけど、それに加えてフィギュアスケートのシーンも素晴らしかった。まるで本当の競技のような、いや本当の競技そのもののカメラアングル。迫力があって臨場感を味わうことができました。力強くて美しかったのでこれは是非とも劇場で見てほしいかな。本当に素晴らしいので。

 

 

 

※ここからの内容はさらに映画の内容についてのネタバレを含みますのでご注意ください。









































内容の話です。

 

 

トーニャは何をしても褒めてくれない、「あの子はどうせダメだって言わなきゃ力を発揮しないのよ」と平然と言ってのける母親エヴォナのもとで育ちました。暴力が日常茶飯事の環境で真っ当に愛されることを知らないまま大人になってしまったトーニャ。「生まれてくる子供は親を選ぶことはできない」とはよく言ったものです。「相手を友と思うな、敵だと思え」という鳳凰星座の一輝メソッドで育てられたトーニャは相手を邪魔だと見下すようになり、「自分が一番だ」という尊大な態度を取るようになってしまいました。

 

 

でも、これはトーニャのせいではないですよね。子供というのは遺伝的要因よりも環境的要因によってその後の人生を左右されるものなんです。いい音楽を聞かせた植物は綺麗な花を咲かせるというような話がありますけど、トーニャはそれの逆バージョンですよね。罵倒や暴力、そして貧困という悪い環境で育ったが故にどんどんひねくれていきます。ほんと可哀想。

 

 

そしてトーニャも「ダメだ」と言われる環境の中じゃなきゃ力を発揮できないように調教されて行きます。教育じゃなくて調教。トーニャが初めてトリプルアクセルを飛んだのもその前に名も知らぬオッサンに「下手くそ」ってさんざ言われてのことでしたからね。そのオッサンをエヴォナがお金を払って雇ってたのは衝撃でした。それも相まって感動的なシーンなんですけど凄く悲しいシーンだったんです。母親の調教が体の隅々までいきわたってしまったんだなって。私生活が上手くいくようになり、自己肯定感を得るようになるとスケートの調子が落ちていったっていうのも悲しいですよね。

 

 

でも、この映画の中でエヴォナがトーニャに対して優しくするシーンが唯一あるんですよね。「私はあなたの味方よ」「あなたを誇りに思うわ」って。でもそれは事件に対するトーニャの独白を聞き出しそれをマスコミに売るためだった。これを受けたトーニャは「何も信用できない」と投げやりになってしまう。映画でも指折りの辛いシーンでした。

 

 

さて、暴力を受け続けたトーニャは「全て自分がいけない」と思い始めます。でもそこまで自分を責めることは出来ない。自分の味方ができるのは自分しかいないと思ったんでしょう(ここで自分の味方をするというのと自分に自信があるというのはイコールではないです。自分の味方をするときには悪いことには目を向けないのに対して、自分に自信があるというのは悪いところも含めて自分に自信を持っているということなので)。トーニャは「自分は悪くない、全て周りが悪い」と思い込むようになります。審査員に対して「どうして自分はこんなに点数が低いのか」と直談判するのは象徴的です。

 

 

また、リレハンメルオリンピックで靴紐が切れたことに対してもトーニャの「自分は悪くない」という態度が表れています。トーニャは「厳密にいえば私のせいじゃないの」と言ってるんです。これはまずその靴を用意した人が悪いっていう風に捉えられるんですけど、個人的にはそれだけじゃないと思うんですよね。

 

 

トーニャはナンシーが銀メダルを獲得したことについて「銀メダルを取ったにもかかわらず、犬のクソを踏んだような顔をしている」と語っており、ナンシーが報復をしたことを示唆しています。私はしてないと思うんですけど。理由?勘ですよ。ナンシーはそんなことしないだろうっていう。でも、もしされていたとしてもそれはトーニャの自業自得ですよね。

 

 

確かにトーニャは可哀想で被害者ではあるんですが、トーニャ自身に全く悪いところがなかったかと言われればそんなことはありません。審査員に納得ができないからと詰め寄り、他の選手に「邪魔」と言い、スケート靴でタバコを踏み消す。そこにはスポーツマンシップなんてものは存在しません。スポーツマンシップを大事にしない選手にはいつしかそのスポーツから天罰が下るものです。あと一歩が届かなかったり、大事なところで運に見放されたり。トーニャの靴紐が切れたのも天罰が下ったからだと思うんです。お天道様は見とるんやで。

 

 

ここからは想像になるんですがたぶんトーニャもそのことはわかってたと思うんですよね。日頃の態度が悪いからだって。でもトーニャをそんな態度にしたのは母親のエヴォナです。鬼母エヴォナの教育がトーニャをそうさせたのです。だからトーニャは「私のせいじゃないの」に「悪いのはエヴォナ」っていう意味も込めたんじゃないかなと。もうみんなが悪いですよ。みんなバカですもん。映画に出てきたみんなが。




















さて、この映画は実際にあった事件をもとに作られています。フィギュアスケート界を揺るがしたあの大事件「ナンシー・ケリガン襲撃事件」ですね。1994年のリレハンメルオリンピック前の事件だからギリギリ私は生まれてないのかな。そんな私ももうとっくに成人を迎えているわけで、事件からかなりの月日が流れての今回の映画化です。

 

 

その「ナンシー・ケリガン事件」のあらましは「アイ,トーニャ」公式HPを参照するとこうです。

 

199416日、米フィギュアスケートのリレハンメルオリンピック

選考会となる全米選手権の会場で、練習を終えたナンシー・ケリガンが

何者かに襲われた事件。

ケリガンは膝を殴打され怪我を負い全米選手権を欠場、

トーニャ・ハーディングはこの大会で優勝を果たす。

事件発生から2週間後、ハーディングの元夫らが逮捕され

ハーディングにも疑惑の目が向けられた。全米スケート協会と

アメリカオリンピック委員会はハーディングをオリンピック

チームから追放しようとしたが、ハーディングは法的措置を

ほのめかして代表にとどまり、リレハンメルオリンピックに出場。

しかし靴紐の不具合などで振るわず8位入賞に終わった。

一方のナンシー・ケリガンは銀メダルを獲得した。

 

このことを頭に入れながら映画を観ていて私は思いました。

 

「あれ?これ主人公トーニャじゃなくてナンシーじゃない?」

 

まず、事件名が「ナンシー・ケリガン襲撃事件」ですし、ライバル選手の妨害にも負けず、大会に出場して結果を残すというのはかの名作「ガラスの仮面」を思い出させます。

 

「ガラスの仮面」主人公の北島マヤだって、その才能を妬む先輩たちに邪魔されたり、妨害されたりしながらも舞台に立ってそれを問題にもしない演技で乗り越えていくわけじゃないですか。読んだことないですけど。ナンシーも妨害され他にも拘らず、それを乗り越えて結果を手にするのって実に北島マヤ的・主人公的だなって。

 

 

こうなるとトーニャはナンシーが主人公の物語の脇役・敵役・相手役というポジションになります。でも今回の「アイ,トーニャ」にはそんなトーニャの視点から見た「ナンシー・ケリガン襲撃事件」が描かれてるんですよね。「るろうに剣心」京都編が志々雄視点から見るとピカレスクロマンであるのと同じ視点の切り替えです。

 

 

ここからはベタな話になるんですが、「自分の人生は自分が主人公の物語だ」とは使い古された言い方です。脇役でもそれぞれの人生、それぞれが主役の物語を生きてるんですよね。「アイ,トーニャ」でもトーニャを主人公と設定したらナンシーは脇役になるというという逆転現象が起こってますし、所詮主人公・脇役というのは視点一つなんです。誰もが主人公で脇役なんですよね。

 

 

話は変わるんですけど、最後のシーンでトーニャが興味深いことを言っていまして。「真実は人によってそれぞれ異なる」。かの国民的探偵アニメの名セリフ「真実はいつも一つ」とは真逆を行ってて面白くないですかこれ。

 

 

でも、考えてみればそうですよね。ちょっとここで「真実」と「事実」の違いを考えたいんですけど。例えば「ABを殴った」とするじゃないですか。まず、事実というのは客観的に見た、唯一の事柄という意味があるので、事実としては「ABを殴った」で終わりです。それについて「真実」とは「本当のこと」と言う意味で、ここにはそれぞれの主観が入っています。Aからすれば「ABを殴った」というのは本当のことで「真実」。でもBからすれば「BAに殴られた」となり、これもまた本当のことなので「真実」です。「真実」は複数あるということになりますね。トーニャが「真実は嘘っぽい」と言っていたのもこういうことなんだと思います。

 

 

つまり「真実」も視点一つで異なるというわけです。主人公と脇役の関係と一緒です。つまりナンシーやジェフ、もしくは中井さんから見れば「ナンシー・ケリガン襲撃事件」に対する主役と脇役の関係、そして「真実」は異なるわけです。今回はたまたまトーニャの視点から描かれたにすぎないんです。

 

 

でも、トーニャにとっては映画で描かれたことが「これが私(I)の真実」であり「これが私(I)の物語」なんですよね。映画のタイトルである「アイ,トーニャ」の「アイ(I)」には、「私が主人公、私視点での、私の物語」という一人称のIという意味が込められていたんじゃないかなと思います。少なくとも私はそう感じました。






















で、この「アイ,トーニャ」って大きく語ろうと思えばいくらでも大きく語れるんですよね。それこそ国家レベルで。

 

「彼女はまさしくアメリカ人」

 

「みんなから愛され、みんなから嫌われた」

 

「心強い仲間と憎い敵が必要」

 

「みんな簡単に敵を作る、どうして?」

 

など、他にもいろいろと気になるセリフはありました。それについて語りたい気持ちもなくはないんですが、そんな事教養のない私には無理ですし、第一もうここまで4000字くらい書いてますから、これ以上長くなるのは誰も得をしないでしょう。なのでこの話題は今回はスルーします。書き始めたらキリないですしね。ここは他の方の感想を参考に頂けると助かります。以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これにて感想は終わりです。「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」本当にいい映画なのでぜひ観てみてください。打ちのめされること請け合いです。オススメです。ぜひ。


以上、感想でした。読んでいただきありがとうございました。また何かあったときはよろしくお願いしますね。では。



おしまい



氷の炎―トーニャ・ハーディング
アビー ヘイト
近代文芸社
1994-04-01