こんばんは。これです。もう6月。サッカーW杯楽しみですね。日本頑張れ(棒読み)。



さて、今日はカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドール受賞で話題の映画「万引き家族」を先行上映で観てきました。心の奥底の部分にダイレクトに訴えかけてくる映画でとても面白かったです。

今回のブログはその「万引き家族」を見た感想になります。大したこと書いてないですし、最高に拙い文章ですが、それでもいいのならばお付き合いをください。ちなみに6000字くらいあります。
では、よろしくお願いいたします。









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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。












今回「万引き家族」を観るにあたって是枝監督の「誰も知らない」「そして、父になる」「三度目の殺人」を見てから映画館に行きました。そして予告編を見た印象としては「誰も知らない」っぽいのかなと勝手に感じていたんですね。なので「万引き家族」もはっきりとした決着はつかないだろう、根本的には何も解決しないまま終わるだろうと思ってたんです。


でもいざ観てみると思った以上にはっきりとした決着がついていて。それは驚きました。でも根本的、登場人物の心情的には何も解決してないんですよね。是枝監督はドキュメンタリー畑出身の人らしいですし、ドキュメンタリーって密着したはいいものの何も解決しないで終わることの方が多いじゃないですか。そういう現実の厳しい部分を描くのが是枝監督なのかなと上記の3作品を見てうっすらと感じてました。なのでまだ観に行ってない方はそれを踏まえて観に行ってほしいなとは思います。そうすると後味がいいものになるはずですから。





さて、これから感想を書いていくわけですが、まずみなさん「スイミー」知ってますよね。国語の教科書に載っていたあれです。「万引き家族」の中では2回ほど「スイミー」の話が出てきました。出てきたからにはなにか映画の内容と関連があるんじゃないかと。まずはここから考えていきたいと思います。


以下、ご存知でしょうが「スイミー」のあらすじです。


スイミーは小さな魚。ただ、兄弟がみんな赤い魚だったのに、スイミーだけは真っ黒な小魚だった。泳ぎも得意であり速かった。大きな海で暮らしていたスイミーと兄弟たちだったが、大きなマグロに兄弟を食べられてしまい、泳ぎが得意だったスイミーだけがなんとか助かる。

兄弟を失ったスイミーはさまざまな海の生き物たちに出会いながら放浪するうちに、岩の陰に隠れてマグロに怯えながら暮らす兄弟そっくりの赤い魚たちを見つける。スイミーは一緒に泳ごうと誘うのだが、マグロが怖いからと小魚たちは出てこない。

そこでスイミーは、マグロに食べられることなく自由に海を泳げるように、みんなで集まって大きな魚のふりをして泳ぐことを提案する。そしてスイミーは自分だけが黒い魚なので、自分が目になることを決意するのだった。かくして小魚たちはマグロを追い払い、岩陰に隠れることなく海をすいすい泳げるようになったのであった。
(Wikipediaより引用)



というお話です。






この「スイミー」のテーマとしてはまず「協力の大切さ」ということが言えると思います。「万引き家族」で特徴的だったのが万引きが複数人で行われていたことです。


是枝監督の過去作品である「誰も知らない」では主人公の明が友達にけしかけられ、また妹であるゆきの怪我をどうにかしようと薬を買いに行っています。しかし、友達にけしかけられて行った万引きはばれて、薬を盗んだ甲斐なくゆきは死んでしまいました。


また「三度目の殺人」では重盛の娘が仕事ばかりで家を空けっぱなしにしていた父親へのストレスから万引きを行っています。しかし、こちらも店主に捕まっています。


そして今回の「万引き家族」。タイトル通り万引きは家族ぐるみで行われており、一方が店員の気を引いたりブラインドになったりして万引きは行われます。実に巧妙な手口で万引きを成功させ続ける彼ら。1人では万引きは上手くいかないという「協力」の重要性が示されます。詳しくは後述しますが、それは彼らが大きな敵を追い払うためには「協力」しないといけなかったからです。





そもそも「スイミー」の主人公であるスイミーは周りとは一匹だけ違う黒い魚です。泳ぐのが得意という特徴を持っていますが所詮は普通から外れた存在です。そして今回の「万引き家族」で描かれた家族像っていうのはそういった「黒い魚」の集合体と考えられると思います。


劇中の亜紀と治との会話シーン。亜紀は「治と妻である信代が何で繋がれているのか」を問い、治は下ネタで返すわけですが、その次のやり取りです。「お金でしょ。普通は」と放つ亜紀に対し、治は「俺たちは普通じゃないからなあ」と答え、「ここで繋がってるんだよ」と胸を叩きます。治が自分たちのことを”普通”ではないと自認しているシーンです。


ここで"普通"という言葉を”たいてい、通常、一般に”という意味で捉えると、万引きで生計を立てている治たちは確かに普通ではありません。犯罪行為で生きるということは世間一般の常識から外れています。


しかし"普通”ということを"それがあたりまえであること"と解釈するとどうでしょう。もともとそうではなかったにせよ一家にとっては万引きが食べる寝るというレベルまで常態化していっています。治は「店にあるものは誰のものでもないんだよ」と考えてますし。となるとスイミーの兄弟たちのように彼らは普通の「赤い魚」なのでしょうか。いや、それは違います




それはなぜかというとこの映画がちゃんと万引きを「罪」として捉えているからなんですよね。劇中派手に万引きをした祥太はちゃんと店員に追っかけられていますし、何より彼ら全員逮捕されていますから。映画の中でもどうあがいても世間の認識は万引き=罪であり、そこは何があっても揺らぐことはありません。なので治たちは万引き=罪という世間の認識から外れた「黒い魚」「スイミー」達なんです。


「スイミー」は「マグロ」という外敵を追い払うために協力します。では治たちが追い払いたかったものとは何でしょうか。それは世間全体の万引き=罪という常識万引きをしないと生活していけない自分たちの生活環境、そして万引きは罪だと考える自らの良心だったと私は思います。これらを追い払うために彼らは一致団結していました。


しかし、彼らは6人しかいなかった。「スイミー」では実に100匹以上の赤い魚が1匹の大きな魚に見せかけてマグロを追い払いましたが、たった6匹の黒い魚では自らを1匹の大きな魚に見せかけることなどできるはずもありません。また、常識や自らの良心というのはちょっとやそっとのことじゃ揺らぎません。常識を変えるには国家レベルの力が必要で、自らの良心は生まれ持ってしまったからにはどれだけ目を逸らし続けてもそこにあります。この2つはたった6人が相手どるには大きすぎて、彼らは最初から勝ち目のない戦いを挑んでいたんです。



でも彼らはそれにめげることはなかった。本当の家族のようにご飯を食べ、花火を見ようとし、海で遊んだ。自分たちが「マグロ」を追い払うことはないと分かっていても、その現実に押しつぶされないために繋がり続け、笑い続けた。本当の家族でも会話がなかったり険悪な関係になっている家族が少ないなか、その姿は「家族ってなんだろう」ということを私たちに改めて問いかけてきました。


そしてそのメッセージを私たちに切実に問いかけてくる役者さんの演技ですよ。






リリー・フランキー演じる治はお父さんと呼んでほしいのに呼んでもらえないという悲哀がところどころに出てました。祥太と別れる前夜の言葉が本当に切ないです。まさに「親は自分が子供に必要だと思われたいだけ」なのかもしれない。祥太は一度もそう呼んでないのにね。自分だけが勝手に思い込んでいて。悲しい。


松岡茉優さんは治の妻の妹の亜紀を演じていました。この人、劇中で万引きをするシーンがないんですよね。そういう意味じゃ家族の中でも一線を引いていたっていうのはあるかもしれないです。あとは4番さんとのシーンですね。自分を大切にしたいけど出来ないという心の葛藤が印象的でした。あとエロい。とてもエロい。


樹木希林さん演じる祖母の初枝は偽物の家族の中で唯一年金という安定した収入源があります。そのお金を当てに偽物の家族は暮らしているわけで心臓部と言えますね。心臓に相応しい温かみのある眼差し。海で長い間アップになったときはその温かなまなざしの中にも自分の死期を悟ったような表情も見せていて圧巻でした。


二人の子役も素晴らしかったですよね。


祥太を演じた城桧吏さんはまさに「誰も知らない」の時の柳楽優弥さんを思い出させるようで。最初は降れたら消えてしまいそうな頼りない少年だったんですけど、少しずつ目に自分の意志が宿っていって大人になっていくのがかっこいいです。りんのためにわざと派手に万引きをするシーンなんてすごくお兄ちゃんしてました。最初は認めてなかったのにね。


りんを演じた佐々木みゆさんもか弱い少女をうまく演じてました。冒頭の一人ですすり泣いているところから始まり、どんどん笑顔が増えていくんですけど、それは万引きが常態化している家族の一員となったっていうことで、万引き=罪の意識が薄くなっていったことを示していてやるせないです。



でも、この映画で一番光っていたのは安藤サクラさんですよ。これは間違いない。


万引き家族を支える気丈な女性・信代を演じているんですが、自らも親に虐待を受けていたことを劇中で示唆されていて、その闇を抱えている感じがとてつもなく上手かった。


自分で選んだ方が強くなるでしょ」「絆、みたいな?」のシーンの笑顔は喜びと悲しみのはざまで揺れていてゾクッと来ましたし、「好きなら叩かない」「本当に好きならこうするの」というシーンは自分がそうされたかったんだなっていうのがひしひしと伝わってきました。


そして、終盤の泣きのシーン。警察官に「子供には母親が必要でしょう」と問われ「母親がそう思いたいだけなのかもね」と答える。自分がなりたかった母親に自分は結局なることができなかった。突き放したような受け答えの中に無念さがほとばしっています。


そして警察官の次の質問。


二人はあなたのことをなんて呼んでたんですか


ここでこれまで気丈に振舞っていた信代は耐えきれなくなって涙を流すわけなんですが、その泣きの演技がとにかくすさまじい。情感が半端ない。簡単に涙を見せないことで見てることらも信代と祥太やりんのシーンを思い出して泣いてしまいます。その後の二言もとても切ない。これだけでも1800円を払って観る価値があります。必見です。


この映画の中で一番輝いていた安藤サクラさんですが、次のNHK連続テレビ小説「まんぷく」ではヒロインを務めるそうで。これからどんどん飛躍していくんでしょうね。凄いなあ。朝ドラ楽しみです。




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さて、話を「スイミー」に戻します。この「スイミー」実は「協力の大切さ」がメインテーマではないそうなんです。このブログによると「スイミー」の14場面のうち半分の7場面は「1人で海を泳ぎいろいろなものと出会う場面」であり作者が最も力を入れたところであるとあります。


また、


スイミーはその惨事の中でも生きのこります。苦しんだがゆえに、スイミーはじょじょに、人生の美しさに気がつくようになります。このところは私にとっては、とても重要なことなのです。スイミーははじめはさみしがっていますが、やがて人生を詩的なものとしてながめるようになったことから、生命力と熱意をとりもどし、ついには岩かげにかくれていた小さな魚の群れを見つけだします。


とも書かれています。


これは登場人物全員に言えそうですね。生活のために万引きを繰り返すしかなかった治たちですから。でも特にいえるのは祥太とりんの子ども二人じゃないかなと思うんです。祥太は両親から捨てられ、りんは両親から虐待を受けていたが生き残った。万引きを行うってことは幼心に苦しかったものもあるんじゃないでしょうか。でも生きていくためにはそれ以外方法がなかった。でもスイミーが苦しんだがゆえに徐々に人生の美しさに気づくようになったのと同時に、祥太やりんも徐々に人生悪くないんじゃないかって思え始めてきたんですよね。


みんなで食べる晩ご飯。首を伸ばして見ようとした花火。セミの幼虫が恐る恐るながらも一歩一歩木を登っていく姿。他にもさまざまなものに感化されて祥太とりんは成長していきます。羽化の瞬間が近づいてきました。


でもその成長と同時に祥太は疑い始めるんですよね。万引き=罪なんじゃないかということを。信代が年金を不正受給した際に、「万引きは悪いことなのか」と直接的に聞いてますし。それに対する信代の返答は「潰れなければいいんじゃない」でした。


しかし初枝が死んだあとの11月。祥太とりんはよく万引きを行っていた駄菓子屋に向かいます。そこには「忌中」の貼り紙。多分潰れてはないと思うんですが「忌中」の意味が分からない祥太はこれを潰れたと勘違いしてしまったんですよね。その駄菓子屋の主人が祥太とりんの万引きに気づいて見逃していたことも祥太の罪悪感に拍車をかけ、これが決定打となりました。祥太が万引き=罪と完全に認識した瞬間です。この瞬間に祥太は「赤い魚」となりました。羽化して成虫になったのです


でも万引きを辞めたら生きていけないという現実は変わらなかったため、祥太は罪と分かっていながらスーパーに万引きに向かいます。一緒に行ったりんに「ここで待ってろ」という祥太。万引きは一人では上手くいかないことを考えるとこれは明らかな失敗フラグです。


しかし、りんは店の中に入ってあろうことか一人で万引きを行おうとしてます。「赤い魚」だったりんは「黒い魚」たちに囲まれていつの間にか「黒い魚」になってしまいました。ここで祥太の脳裏をよぎったのは駄菓子屋の店主の「妹にそんなことさせちゃいけないよ」という言葉。祥太は映画の前半でりんを妹として認めないという態度でしたが、成虫、つまり精神的に大人になった祥太はりんのことを妹と思いやる気持ちを持つようになり、リンをかばうためにわざと派手に万引きをして捕まります。捕まり方は挟み撃ちにされて高架橋から下の道路に飛び降りて怪我という形でした。





その後、物語は進み祥太は治と一生の別れをすることになります。ここでの祥太の言葉が示唆に富んでいるものでして。


ぼく、わざと捕まったんだ


ここでもう一度スイミーについて書かれたこのブログを参考にしてみます。
ここでは「スイミー」は


つまり孤独の中で
自分とは何かを意識し、
自己認識を深めていく
お話なのです。



スイミーは
自己認識からもたらされる
人生の美しさを描いた
絵本とでもいえるのでしょう。



とあります。




「ぼく、わざと捕まったんだ」という祥太の言葉。これは一見りんをかばって万引きをした際のことを言ってるのかと思いますよね。実際その意味もあると思います。でも実はもっと昔のことを言ってるとも私は思うんです。


祥太は2歳の頃にパチンコ店の駐車場で拾われました。そのことは終盤信代が本人に対して直接語っています。祥太は劇中で昔のことは「よく覚えてないんだ」と発言していますが、これは治たちのことを思って言った祥太なりの嘘なんじゃないかなって。



祥太には実は2歳の頃の記憶がはっきりとあった。その瞬間、嫌なら大声を出して誰かに助けを求めることもできた。でもしなかったんです。パチンコ店の駐車場に2歳の子供を置き去りにするような親です。ロクな親じゃなかったんでしょう。祥太も2歳ながらにその状況に嫌気がさしていて「わざと捕まったんだ」


そして連れて枯れていった先は偽物の家族が万引きを行いながら暮らすこれまたロクな家じゃなかった。祥太も最初は寂しかったんじゃないでしょうか。「ここには自分の本当の親はいない。自分は孤独だ」って。偽物の家庭は祥太の本物の家庭よりも優しく笑いが絶えない家庭だった。でも祥太にはこの家の本当の子じゃないという思いがいつまで経ってもあったはずです。でも偽物の家族はそんな祥太を一員として認めてくれた。祥太も認識したんでしょう。「自分はこの家族の一員だ」って。そしてそう自己を認識した祥太は偽物の家族と一緒に万引きを繰り返すことになった。確かに万引きは犯罪ですし、祥太も最初は抵抗を感じていたことでしょう。でも万引きを繰り返して生活していくうちに、たくさんの楽しいことに、たくさんの笑顔に、そして大切な妹のりんに出会うことができた。最終的には離れ離れになりましたがそれらは大事な思い出として祥太の心に残ることでしょう。最後に祥太がつぶやいた言葉。それは「お父さん」だったのか。それとも「ありがとう」だったのか。個人的にはこのどちらかなって思ってるんですけどどうでしょうか。


身体的にも精神的にも万引きが祥太を大きくしたのは皮肉ですが、是枝監督も映画の公式サイトで語っていた通り、これは「少年の成長物語」でもありますね。









最後に。人生の美しさを認識したのは祥太だけではありません。治たち偽物の万引き家族6人全員がそうです。それを代表してるのが終盤の信代の言葉。信代は死体遺棄の罪により刑務所に5年入れられます。治と祥太との面会の時にこう語っていました。


すごく楽しかった。5年じゃお釣りがくるくらい


暮らしていたのは何年かは分かりませんが、刑務所に入れられた信代がこういうくらいですからとても楽しい時間だったんでしょうね。劇中で度々楽しそうな光景を見てきた私たちにとってこの言葉は辛いものですがある種ホッとするような感情もあり感動的でした。何がいいのかなんて本人にしか分からないですよね。楽しいことは人それぞれです。でも一緒に過ごした時間は6人にとって間違いなく楽しい時間でした。たとえ本当の家族でなくとも。























以上で感想は終了になります。


映画本編も素晴らしかったんですけど、それによって映画の前やその後を想像できる映画っていうのもこれまた素晴らしいですよね。あえて多くを語らないことで想像する快感が「万引き家族」にはありました。いい映画でした。ごちそうさまでした。


改めてお読みいただきありがとうございました。




参考:

是枝裕和監督 最新作「万引き家族」公式サイト

結構間違って解釈されている、絵本『スイミー』の話。絵本の本当に伝えたい事をわかるには…?|男性保育士こんなかんじでやってます

スイミー-Wikipedia

普通ふつう)の意味 - goo国語辞書

おしまい