Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

カテゴリ: 感想



こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『MOTHER/マザー』。日本を代表する女優である長澤まさみさんの主演作です。意気揚々と観に行きましたが、なかなかどうしてよろしくない映画でしたね……。最初に行っちゃうと個人的にはあまり好きじゃないかなと......。


それでは感想を始めたいと思います。けっこうな酷評なので、それが嫌な方はどうか読まないことをお勧めします。いつにも増して書き殴っただけの拙い文章なので、そちらにもご注意ください。




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―目次―

・俳優さんたちの演技がほとんど唯一の長所
・ブレないキャラクターに人間味を感じられなかった
・悲惨な目に合わせれば、堕落していけばリアリティが出るなんて大間違い





―あらすじ―

シングルマザーの秋子(長澤まさみ)は、息子・周平(郡司翔)を連れて、実家を訪れていた。その日暮らしの生活に困り、両親に金を借りに来たのだ。これまでも散々家族からの借金をくり返してきた秋子は、愛想を尽かされ追い返されてしまう。金策のあてが外れ、昼間からゲームセンターで飲んだくれていた秋子は、そこでホストの遼(阿部サダヲ)と出会う。二人は意気投合し、遼は、秋子のアパートに入り浸るようになる。遼が来てから、秋子は生活保護費を使い切ってしまうばかりか、一人残した幼い周平を学校にも通わせず、遼と出かけたまま何週間もアパートを空ける始末だった。
周平が残された部屋の電気もガスも止められた頃、遊ぶ金がなくなった秋子と遼が帰ってきた。二人は、以前から秋子に気があった市役所職員の宇治田(皆川猿時)を脅して金を手に入れようとする。だが、遼が誤って宇治田を刺し、一家はラブホテルを転々とする逃亡生活を余儀なくされることに……。

そんな中、秋子が妊娠した。だが父親が自分だと認めない遼は、「堕さない」と言い張る秋子と周平を残して去っていく。ラブホテルの従業員・赤川(仲野太賀)と関係と持ち、敷地内に居候をつづける秋子は、周平を実家へ向かわせ金を無心するが、母の雅子(木野花)から今度は絶縁を言い渡されてしまうのだった。
5年後、16歳になった周平(奥平大兼)のそばには、妹の冬華(浅田芭路)がいた。秋子は定職にも就かずパチンコばかり。一方、周平は学校に行くこともなく、冬華の面倒をみていた。住む家もなくなった三人に児童相談所の亜矢(夏帆)が救いの手を差し伸べ、簡易宿泊所での新しい生活がはじまった。亜矢から学ぶことの楽しさを教えられた周平は、自分の世界が少しずつ開いていくのを感じていた……。

母と息子は後戻りのできない道へ踏み出そうとしていた———。

(映画『MOTHER/マザー』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください












・俳優さんたちの演技がほとんど唯一の長所


この映画を観終わった後、私に湧いてきたのは怒りにも似た感情でした。はっきり言って、深刻そうに見せかけているけど全然浅いなと思ったんです。認めない認めてたまるかとさえ思いました。今年観た映画の中でもちょっとワーストの方に位置する映画かもしれないです。


それでもこの映画にも良いところはあって。それは俳優さんたちの演技です。ここはメインに日本有数のキャストを揃えていて、文句などありません。今年公開される邦画の中でも間違いなく上位に位置するでしょう。


まずは何といっても主演の長澤まさみさんですよ。出る映画出る映画でヒットを飛ばす日本一のヒットメーカーですが、それは確かな実力に基づいたものだとこの映画で証明。全く弁解の余地のない毒親を演じていますが、口調の使い分けや虚無を表す瞳で十二分すぎるほど表現。静かに脅す口ぶりからは底知れない怖さが滲み出ていて、立ち姿にですら畏怖を感じてしまいます。


もうすぐ公開される『コンフィデンスマンJP』とは(多分観ないけど予告編を見る限りでは)正反対の演技をしていて、演じられる役の幅広さに感服する思いです。(やたらと太ももを出してましたけど、あれは大森監督のフェチですか?)


また、周平を演じた奥平大兼さんは、この映画が初出演と言うことで、擦れていない雰囲気が良きでした。母親である秋子から虐げられて、自らの意志を出せなくなった周平をおずおずとした佇まいで表現。台詞の一言一言に、苦渋が満ち溢れていました。良い意味で秋子の分身、操り人形であることが窺える演技でしたね。


さらに、遼を演じた阿部サダヲさんはもう安定の演技ですよ。あれだけブチギレた後にヘラヘラできる俳優さんは他にいないのではないでしょうか。時折見せる刺すような口調がこちらをもドキリとさせます。一分の隙もないクズ男を清々しいほどに全うしていました。


他にも皆川猿時さん(使い捨てられっぷりに泣ける)、仲野大賀さん(こんな濃い顔だっけって思った)、木野花さん(叫ぶおばあちゃんはさすがにハマる)など魅力的な俳優さんたちが大勢出演していましたが、個人的に好きだったのは亜矢を演じた夏帆さんですね。


予告編で見たときから良いと思ったんですよ。あのおいてけぼりの表情。今までどちらかというと自然的なイメージがあったんですが、この映画では不自然なぐらい人工的で、この変わり身はどういったことだろうと思ってしまいます。ラストシーンも(シーン自体は)ずば抜けて良かったですし、なんか最近私の中で夏帆さんがブームになっている気がします。観ていて「夏帆論書きたいな」と思ってしまったぐらいです。それくらい良いです。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











・ブレないキャラクターに人間味を感じられなかった


とここまで俳優さんたちを褒めちぎってきたのですが、お気づきでしょうか。「全く弁解の余地がない」「秋子の分身、操り人形」「一分の隙もない」「不自然なほど人工的」と、キャラクターを一つの型にあてはめる表現が用いられていることに。そうなんです。この映画が一番ハマらなかった個人的な要因はキャラクターにあるんです。


秋子は、自分の気の向くままに暮らす女性。仕事をする気も一切なく、パチンコに明け暮れ、苦しくなったら臆面もなく金をせびる同情の余地のないキャラクターです。周平は秋子の呪縛から逃れられず、言いなりになるしかない。遼は借金を踏み倒すクズ男だし、亜矢は曇りのない心で周平と冬華を助けようとする存在。それは別に良いんです。でも、問題だなと思ったのがキャラクターが一面的に見えてしまったことです。


本来、人間ってもっと複雑な存在だと思うんですよね。良い面と悪い面の両面があると思うんです。でも、この映画はキャラクターの片面しか強調しておらず、どこか人形のような印象があります。観ていて失礼ながら「大森監督、『セーブ・ザ・キャットの法則』ってご存じ?」と思ってしまいました。


この『セーブ・ザ・キャットの法則』というのは、ハリウッドの有名な脚本術の本です。まぁ実を言うと私も読んだことはないのですが、なんとなく理解はしていて。不良が猫を助けるとキュンとなるっていうアレだと思ってるんですけど、要するに両面を描けっていうことなんですよね。良い面と悪い面の。この映画ってキャラクターの一面しか描いてなくて、『この女、聖母か、怪物か』みたいなキャッチコピーがありますけど、映画を観る限り、話の上では秋子の聖母感はゼロですよ。


それに、キャラクターがあまり悩んだり迷ったりしないことも少し問題かなって。全くブレないから、次にどんな展開が来るかなんとなく分かってしまうんですね。「このキャラクターならこうするだろう」というのが百発百中で当たってしまうんです。勘の鈍い私ですら、橋の上のシーンになった瞬間に「これは祖父母を殺す流れだな」と気づいてしまいましたし、最後の周平の告白も「お母さんがどうのこうの言うんだろうな」と思ったら、これも当たり。


要するに、話に意外性がないんです。よくキャラクター作りの上ではブレないことが強調されますけど、あまりにブレないとかえって遠く感じてしまうんだなと。実際の人間はもっとブレるし、悩むし、迷う。実話ベースと言っておきながら、キャラクターに人間味が薄いのは大きな問題だなと思いました。もしキャラクターに深みみたいなものが感じられたのなら、それは100%俳優さんの功績であって、もうちょっと脚本でキャラクターの人間味を見せてほしかったなと思ってしまいます。


でも、これらはきっと意図的なものでしょう。そうしてあえて遠く離れたキャラクターにすることで、彼ら彼女らがそれほど追い詰められていた、視野狭窄に陥っていたということを表現したかったのかもしれませんし、実際その試みは成功しています。ただ、あまりにフィクションを感じてしまったので、この演出は個人的には認めたくはないですけどね。



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・悲惨な目に合わせれば、堕落していけばリアリティが出るなんて大間違い


それにお話にも少し問題ありだと思います。順を追ってみていきましょう。秋子と周平は親子二人暮らし。ですが、秋子は自堕落な生活をしており、両親に金をせびるも拒否されます。ゲームセンターで遼と出会ってからは、周平を置いて二人で名古屋に出て行ってしまいます。この周平が一人でゲームをするシーンは嫌でも『誰も知らない』を思い出させますね。観ていて一番キッツイなと思いましたし、この感じで行ってくれれば期待できると思ったんですけどね......。


秋子と遼と周平は事情があり、どこかの海辺の町へ越します。ただ、その事情がさほど深刻ではなかったことを知ると、秋子と遼はケロッと元の町へとんぼ返り。ラブホテルで暮らす日々を送ります。ここのラブホテルのオーナーを秋子が誑かすシーンは、まさに魔性の女という感じで良きでした。ただ、問題はここからです。この後に挿入されたシーンが致命的でした。


ここで、周平は父親と会うんです。この父親が取り付く島もない状態だったらまだ良かったのですが、周平のことは今でも大事に思っているし、秋子にも養育費と称してお金を入れています。抱きかかえるほど周平のことを愛していますし、いやもう父親の方行った方が絶対良いじゃんというのは誰の目にも明らかです。それでも周平は秋子を選ぶ。それは共依存と称された精神的な呪縛のせいでしょうが、この父親と暮らせばいいじゃんというのはずっと映画中ついて回るんですね。


う何が起こっても、父親の元へ行けば万事解決じゃんと思ってしまうんです。子供に金をせびらせても、ラブホテルの屋上のテントで夜を明かしても、学校に行けなくても、住処を転々としても、なんで父親の方行かないのとしか思えないんですよね。この逃げ道を作ってしまったのは大失敗だなと思います。あんな中途半端に父親を出すなら、いっそのこと出さない方が良かったのに。


それに、この映画を観ていて「悲惨な目に合わせれば、堕落していけばリアリティが出るだろう」という思惑を感じてしまったのもダメでした。はっきり言ってそれは大間違いですからね。脚本上の怠慢、思考停止とさえ言えると思います。もしそういう展開にするなら、逃げ道はしっかり潰しておかないとダメです。不幸の押し付け、マッチレース、地獄めぐりは主人公がどうしようもない状況にないと、疑問ばかりが浮かんでしまうというのをこの映画を観て思い知らされました。


というかその描写自体も……という。これは完全に個人的な問題なのですが、映画っていうのはやっぱりいつ観るかというのが大きいと思うんですよ。私の場合はこの前日に『娘は戦場で生まれた』というシリア内戦のドキュメンタリー映画を観てしまってましたからね。もう爆撃は普通に映るわ、壊滅した都市が何度もインサートされるわ。銃痕、欠損、血まみれの連続ですからね。言葉を失ってしまうほどキツかった。


もちろん比べたらダメなのは分かっていますが、『娘は戦場で生まれた』と比べてしまうと、この映画がやってることはどうしてもフィクション、ひどい言い方をすればおままごとにしか映らないというか......。間違いなく今の私が観る映画ではなかったですね。せめて順番が逆だったらよかったかもしれないです。まあそれでもこの映画にはあまり良い評価は下せませんけど......。




あと引っ掛かったのが、周平による祖父母の殺害が物語の山場になっていることです。まぁストーリー的には良いとしても、ここで言いたいのは「なんで宣伝や予告編で殺害したって言っちゃったの?」ということです。え、どうして最大の山場をバラしたんですか?殺害するって分かってたら緊迫感も何もあったもんじゃないんですけど......。


いや、そっちの方が引きがあってお客さんを呼べるのは分かりますよ。でも、長澤まさみさんらの名前である程度お客さんは呼べそうな気はするんですけどね。予告編見ないで観たかったなとどうしても思ってしまいました。私だったら「親子の行く末は……?」みたいな煽りにするところです。現場の苦労も知らず生意気言ってすいません。でも、宣伝や予告編が映画の鑑賞体験に全くプラスに働かないのは由々しき事態だと思います。もっとどうにかできなかったんでしょうか……。




というわけでまとめると、『MOTHER/マザー』は、お話があまり良くないのを俳優さんたちの演技でどうにかしちゃっている映画だと私は感じました。もちろんそれで良い映画もあるんですが、この映画はそういうタイプの映画じゃないと思います。正直、全然ハマりませんでした。あぁ切ない。



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以上で感想は終了となります。映画『MOTHER/マザー』、お話はあまりお勧めできないのですが、俳優さんのファンの方には観て、損のない映画になっていると思います。ハマる人も絶対にいると思うので、興味のある方は映画館でご覧になってはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい






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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』。今年2月に公開されたアメリカ映画です。実は私は2月に東京に行って、その時にこの映画も見ようと思ったのですが、タイミングが合わずに見逃してしまったんですよね。しかし、今回地元の映画館が上映してくれるということで、もう配信がスタートしているにもかかわらず、わざわざ映画館まで観に行ってきました。


そして、観たところ素晴らしい映画でした。現時点で今年観た洋画の中では間違いなく一番です。好きが詰まっていましたね。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

老人の養護施設で暮らすダウン症のザックは、子どもの頃から憧れていたプロレスラーの養成学校に入ることを夢見て、ある日施設を脱走する。同じく、しっかり者の兄を亡くし孤独な毎日を送っていた漁師・タイラーは、他人の獲物を盗んでいたのがバレて、ボートに乗って逃げ出す。ノースカロライナ州郊外を舞台に、偶然にも出会った二人の旅の辿り着く先は……? やがて、ザックを探してやってきた施設の看護師エレノアも加わって、知らない世界との新たな出会いに導かれ、彼らの旅は想像をもしていなかった冒険へと変化していく。

(映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。













※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







この映画を一言で言うならセラピー映画でした。最初は嫌々だった二人の旅が、次第に中を深めていくうちにかけがえのないものになっていくという、ロードムービーの王道を気持ちよく進んでいるんです。根っからの悪人が一人も登場せず、ザック、タイラー、エレノアのメイン3人は凄くいい人たちで、優しい世界に包まれて、心が癒されていくようでした。本当に好きなタイプの映画です。


ダウン症の青年ザックは養護施設で暮らしています。プロレスラーになることを夢見る彼は、ビデオのヒールレスラー・ソルトウォーターに夢中。彼がプロレス学校を開いているエイデンへと向かうべく施設から脱走します。ザックを演じたのは同じ名前のザック・ゴッツァーゲン。ダウン症にも理解のある彼は、ゆっくりと少しどもりがちに話すことで障害を表現。決して誇張しすぎず、いい塩梅の演技だったと思います。


一方、どこかの漁師町。漁師のタイラーは他人の獲物を盗んでしまい、相手のダンカンからきつくお灸をすえられます。その腹いせにダンカンのカゴに火をつけてしまいます。でも、彼は彼で兄を自分のせいで亡くしたということが傷になっていて、やさぐれていただけなんですよね。だからといって火をつけたのが許されるわけではありませんが。タイラーを演じたシャイア・ラブーフは少し無骨でぶっきらぼうなところもありましたが、自分を理解してくれる相手を求めていたという寂しさをうまく滲み出していました。


火をつけたのが相手にバレて、タイラーは自分のボートに乗って逃げ出します。そこに偶然身を隠していたのがザック。ここで全く接点のなかった二人が出会います。なんとかダンカン達から逃げ出すことができた二人。タイラーはザックを置いていこうとしますが、ザックは「置いていかないでくれ」と懇願。タイラーも見捨てることができず、途中まで二人で旅をすることにします。この辺りでもうタイラーの本当は良い奴感が滲み出てますね。


そして、タイラーは途中までザックを案内し、いったん二人は別れます。ヒッチハイクを捕まえて、街を目指すタイラーですが、なんとザックの身を案じ、途中で引き返します。何この超良い奴。無理やり飛び込まされるザックを「泳げないんだ」と助けに入るタイラー。ザックの目指す場所がソルトウォーターのプロレス学校があるエイデンと知り、自らの目的地であるフロリダの途中にあるから連れていってやると宣言。ここから二人の旅が始まります。




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この二人旅がすごく暖かいんですよね。ルールを決めるところのほんわかしたやり取りや、川を渡る時のスリルなど見どころ満点なんですが、個人的に好きなのがやはり最初の夜のシーンです。ザックがプロレスラーになりたいという夢を語るんですけど、普通はお腹がブヨブヨのザックがそう言ったら笑ってもおかしくないですよね。でも、タイラーは笑わないんですよね。ザックの言葉を真摯に受け止めるんです。


ザックが自分はダウン症だからプロレスラーになれないと弱気になったときも、「人間出来ないことはあるけれど、お前は強い」ですからね。「ダウン症とかじゃなく人は魂だ」ですからね。ザックの心持ちを認めて、お前はヒーローにだってなれると励ましてくれるんですよ。ダウン症のという枕詞を取り払って、同じ目線に立つタイラーは火をつけた人間と同一人物とは思えないほど、良い奴でした。私もあんな風に認められたいです。


そして、そこからはトレーニングと称してザックを鍛えようとするのですが、この描写がとにかく愛おしい。レールの上でバランスを取ったり、草の塊を押したり、二人にしか通じない特別な握手を作ったり。とくにスイカを分け合って食べて、食べ終わった殻をメットにするシーンとかは見ていて笑顔になるほど微笑ましいものでした。旅先で出会った盲目の老人もめっちゃ良い人でしたしね。いかだを作らせて二人の移動を助けてくれました。


でもって、この映画のピークなぐらい好きなシーンが再びの夜のシーンです。ザックは足首を痛めてしまうんですけど、その解決方法がウィスキーを飲んで誤魔化すという愛くるしさ。さらに、二人は火を囲んでいるんですけど、ここでザックのリングネームをつけるシーンがあるんですよ。そのザックのリングネームがピーナッツバター・ファルコンでした。


これに気分を良くしたタイラーはその辺にあった枝でオリジナルの衣装を作るんです。ああなんて微笑ましい。重い丸太をザックが持ち上げようとするところを「お前ならできる」「お前は強い」ってめっちゃ励ましてくれますし、それまで施設で管理されてきたザックにとってはこれ以上ない暖かい言葉だったと思います。二人ともとても良い奴で、観ていて気持ち良かったですね。もう好きな展開しかなくってどうしようかという感じでした。


それでもって大事なのが癒されているのが、ザックだけではないところなんですよね。タイラーも癒しを受けているんです。兄を自分のせいで死なせてしまって傷を受けていた。孤独だったところにザックが現れて。タイラーがあんなに早くザックを受け入れたのも、きっと一人が寂しかったこともあると私は考えます。イカダで出航するシーンではタイラーはザックに身を委ねていますし、とある部分が欠けてしまったパーツたちが、お互いの欠けた部分を埋め合わせるという構図は私の大好物です。もうこの図式を作れただけで、この映画の成功は決まっていたのかもしれません。










一方、施設では脱走したザックを探す動きもあります。中心となって探していたのが、看護師のエレノアです。タイラーとは一度鉢合わせますが、その後はすれ違うばかり。しかし、前述の二度目の夜が明けた後、ザックを見つけることに成功します(ここ少し唐突だった)。当然ザックを連れ戻そうとしますが、タイラーの説得を受けるんですよね。俺はあいつをエイデンまで送ることに決めたと。まあザックがエレノアが乗ってきた車の鍵を海に投げてしまって、結局三人で旅をするしかなくなるのですが。


三人旅が始まりますが、しばらくはあまりムードは良くない様子。エレノアはザックの世話をするのが私の仕事と言いますが、それはザックの自主性を信じられていないということでもあるんですよね。だから、ウスノロと言って下に見ている奴らと一緒だとタイラーは諭すわけです。ダウン症とか関係なく同じ目線に立つことが大事だともう一度提示されるんです。人と人が分かり合うことの本質を示しているようで、ハッとしましたね。


そして、エレノアも説得されて和やかな三人旅がようやく始まります。ここからのシーンは愛おしさがさらに増していきます。途中海に飛び込むシーンや魚を食べるシーンなど三人の仲の良さを演出。エレノアもザックを一人の人間だと認める良い奴っぷりを存分に発揮。ザックが言うように「このまま三人の楽しい時間が続けばいい」と思ってしまうほどです。自然と笑顔になってしまいます。まあこの後、追いついたエイデンたちにイカダを燃やされてしまうんですけどね。


それでも、何とか先に進んだ三人はソルトウォーターの自宅に到着します。そこはぼろい平屋で、出てきたソルトウォーターもすっかり老人となっています。プロレス学校も十年前に閉校。ザックをがっかりさせたくないタイラーは「ソルトウォーターは元々いなかった」と嘘をつき、三人は立ち去ります。どうなってしまうんだろうと思ったんですが、なんと次のシーンでは顔にペイントを塗ったソルトウォーターが車に乗って、登場してくるではありませんか。悪玉なのにめっちゃ良い奴だ。本当この映画良い奴しかいねぇ。ここはようやくソルトウォーターに会えたザックに感情移入してしまって、思わず泣きそうになりましたね。
 

映画はこの後、ソルトウォーターからの指南を受けたザックがプロレスの試合に臨むという展開になるわけですが、試合前ザックはさすがに怖気づくんですよね。でも、タイラーは「お前は強い」と大声でザックを励ますんですよ。えぇ……めちゃくちゃ良い奴じゃん......(何回目だ)。私もあんな風に励まされたいですよ。勇気づけられたいですよ。そして、ザックはタイラーが段ボールで作った手作りの衣装を着てリングに上がるというね......。ああいうハンドメイド感あふれる演出に私めっちゃ弱いんですよ。どうして私のツボが分かるの……?え......好き……。




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その後は因果応報的な展開はあるものの、最後は三人がタイラーの目的地であるフロリダに行くというハッピーエンドで幕を閉じるんですよね。ここ三人とも笑顔だったのが印象的で。冒頭でザックを逃がしたカールという老人が「友達は自分で選べる家族だ」と言っていましたけど、まさにこれがこの映画のテーマだと思います。


家族に見捨てられたザックと、家族を失ったタイラー。ザックはタイラーとエレノアのことを家族と称していましたし、タイラーもザックを見捨てることだってできたはずなのに、見捨てないことを選んだ。エレノアだって無理やりザックを連れ戻すことだってできたはずです。旅を続ける中で、この三人の間には友情が芽生えていて、ラストシーンはまるで家族のようでもありました。まだこの三人の旅を観ていたかったのにと映画が終わる瞬間は思ったものです


というわけで『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』は、本当に気持ちのいい映画でした。見逃さないで良かったと思います。上手くいかなくてささくれ気味だった私の心を癒してくれて、また明日からも暮らしていくことができそうです。本当にありがとうございました。




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以上で感想は終了となります。映画『ザ・ピーナッツバターファルコン』。すごく癒される理想的なロードムービーでした。こういう優しい世界大好きです。私もかつて趣味でロードムービーのお話を書いたことがあるんですけど、こんな風に書きたかったなと心から思いました。今年観た洋画ではトップクラスに入るくらい好きですね。もう上映している映画館はあまりないですが、配信で見られるそうなので、興味のある方はぜひ観てみてください。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい




 

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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『his』。『愛がなんだ』『アイネクライネナハトムジーク』『mellow』の今泉力哉監督の最新作です。ウチの地域では本当はGWに公開予定だったのですが、コロナ禍で延期に。今回、公開から5か月が経ってようやく観ることができたという次第です。


そして、観てみたところ、期待を遥かに超える大傑作でした。見逃さないで良かったと心から思えます。ドラマ版は未見でしたが、問題なく楽しむことができました。私の上半期ベスト10には確実に食い込んでくる映画です。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キャラクターが中央にいないのが特徴
・人物間の距離でも心情を表す
・額を合わせるシーンの静かな爆発力
・本音の裁判に感動した
・ラストシーンの清々しさよ





―あらすじ―

春休みに江の島を訪れた男子高校生・井川迅と、湘南で高校に通う日比野渚。二人の間に芽生えた友情は、やがて愛へと発展し、お互いの気持ちを確かめ合っていく。しかし、迅の大学卒業を控えた頃、渚は「一緒にいても将来が見えない」と突如別れを告げる。

出会いから13年後、迅は周囲にゲイだと知られることを恐れ、ひっそりと一人で田舎暮らしを送っていた。そこに、6歳の娘・空を連れた渚が突然現れる。「しばらくの間、居候させて欲しい」と言う渚に戸惑いを隠せない迅だったが、いつしか空も懐き、周囲の人々も三人を受け入れていく。そんな中、渚は妻・玲奈との間で離婚と親権の協議をしていることを迅に打ち明ける。ある日、玲奈が空を東京に連れて戻してしまう。落ち込む渚に対して、迅は「渚と空ちゃんと三人で一緒に暮らしたい」と気持ちを伝える。しかし、離婚調停が進んでいく中で、迅たちは、玲奈の弁護士や裁判官から心ない言葉を浴びせられ、自分たちを取り巻く環境に改めて向き合うことになっていく――。

(映画『his』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











・キャラクターが中央にいないのが特徴


映画は迅と渚が添い寝をしているシーンから幕を開けます。お互いにセーターを着せ、微笑み合う二人ですが、渚は迅に「別れよう」と告げます。この二人が愛情を深める過程はドラマ版で描かれていたのでしょうか。映画では二人が付き合っていたシーンは、わずか2分ほどで終わってしまいました。


それから8年。迅は田舎町で慎ましく暮らしています。農業をしたり、薪をくべてお風呂を沸かしたりと、田舎暮らしにやや苦戦しながらも、日々を過ごしている様子。迅を演じた宮沢氷魚さんは、表情もそうでしたけど、一つ一つの言葉に真摯さが感じられて良かったです。


そこに渚が6歳の娘、空を連れて現れます。渚は妻の玲奈と離婚調停中で、玲奈が海外で仕事をしている間、空の面倒を見ていました。迅は戸惑いながらも、二人を拒まず、三人での生活がスタートしました。渚を演じた藤原季節さんは、少しワイルド目な見た目でしたけど、口調は穏やかで弱々しさをそれとなく匂わせる塩梅が絶妙でした。空を演じた外村紗玖良さんは、迅と渚のキスを目撃した時の演技が震えるほど最高でしたね。


映画を観ていてすぐに気づいたことがあります。それは画面の中央が空いているということです。映画に限らず映像では、画面の中央に人物を置いて出来事を展開させるのがセオリーだと聞いたことがありますが、この映画は、前半はそのセオリーに則っていないんですよね。迅は多くのシーンで、中央よりも左右に偏った位置にいますし、渚も迅ほどではないにせよ、あまりど真ん中にいるということはありません。


ここに私は、本当のことを言えない彼らの後ろめたさや、居心地の悪さを感じました。映画でも、子供がゲイカップルのもとで育ったらどうなるか、今の日本ではまだ母親が子供を育てるという考え方が根強い、など旧来の価値観に基づくセリフがいくつか見られました。渚の弁護人もゲイカップルということが不利に働くかもしれないと言っていましたし、迅は過去にゲイであることを揶揄されています。


少しずつ、LGBTQの方々の存在が世間に浸透してきたとはいえ、まだ恋愛はヘテロセクシャル間でなされるべきという考えが支配的で、ゲイカップルは偏見のまなざしを向けられています。迅はゲイであることを隠して生きてきましたし、渚も妻帯者です。後ろめたい気持ちもあったのかもしれません。それが微妙に中央からずらす人物配置で表現されていると感じました。


反対に人物が中央にいるときには、その人物が一人で映っているシーンが多かったですね。一人でいるときは本当の自分でいられたとでもいいましょうか。それでも、完全なクローズアップショットにしないで、少し引いて周囲の景色も一緒に映していて、これは集中しきれずに、不安になるような効果を狙っているのかなと思ってしまいます。



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・人物間の距離でも心情を表す


また、人物配置と一緒に気になったのが、人物間の距離です。この映画では誰かと誰かが対面して話をするときに、画面の両端に二人が配置されていることが多く、中央はまたしても空いています。まるで聖域、もしくは境界線のように。この映画では、人物間の距離がそのままその二人の心の距離を表しているように感じました。


迅対渚。迅対美里。渚対玲奈。最たるものでは手紙でしょう。迅や渚が読んでいた絵本に手紙が登場したのも、偶然ではありません。視覚的に二人がどれほどの関係かが一目で分かるようになっていて、その居心地の悪さに、心がガリガリと削られていきました。同じ今泉監督の作品でも、『mellow』や『アイネクライネナハトムジーク』はずっと浸っていたいと思ったのに、『愛がなんだ』や『his』では、今すぐに席を立ちたい居心地の悪さに駆られます。同じ恋愛映画でも振り幅が大きいですね。


さて、前半は半ば聖域化していた画面中央ですが、そこに立てる存在が一人いました。です。この映画では比較的、空が画面の中央にいるシーンが多かったように感じます。きっと空はまだ幼い子供だから本音が言えて(実際の子供はどうか分かりませんが)、気まずい二人の境界も超えていける存在なのでしょう。


迅と渚との三人の食事のシーンや、クリスマスのシーンなど空が二人の中央に入っていたことがその証左であると感じます。だからこそ、玲奈が空を連れて帰っていってしまった後の迅と渚の間は、テーブルとクリスマスツリーで大きく隔てられていたのでしょう。玲奈は玲奈で娘といたかっただけなんですけどね。玲奈を演じた松本若菜さんは、表情は力強いんですけど、心の奥底で葛藤していて、弱さを見せられないシングルマザーを演じるのが抜群に上手かったです。


このシーンで渚は、自分勝手だったと迅に思いを打ち明けます。男が良いんじゃない、迅じゃなきゃダメなんだと。強制的に渚は境界線を飛び越えて、迅と体を重ねるわけなのですが、ここでもこの二人は画面中央から少し右に配置されているんですよね。この時点では、まだまだ迅が渚のことを許しきれていないことが表されているように感じました。


さらに、そのことを表していたように思うのが、このシーンの編集で。渚が迅と話すシーンと、渚が玲奈と話すシーンを交互に織り交ぜてくるんですよ。ここ、迅のときは渚の後頭部が映らないのに対して、玲奈のときには渚の後頭部がうっすらと映っているんですよね。これは、迅は渚を維持でも意識しない、認めないようにしているのに対し、玲奈はしっかりと渚を意識している差なのかなと感じました。お互いが相手である渚をどう思っているかが、端的に表れていたように思えます。


ちなみに、この後頭部が映り込む映り込まない問題は、他のシーンでも多く取り入れられていて。個人的に痺れたのが、美里が迅に告白してフラれた後のシーンですね。このシーンは迅や渚視点では、美里の姿がバッチリと画面に入っているのに対し、美里視点では二人の姿は全く入ってないんですよ。美里が迅を諦めざるを得なかったことや、渚との関係を勘づいたことなどを、一瞬で表現していて、凄いなってなりました。美里を演じた松本穂香さんの微妙な表情のバリエーションも多彩でしたし。




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・額を合わせるシーンの静かな爆発力


さて、迅と渚は再び、擬似的にでも付き合い始めます。しかし、肌を重ねた直後のシーンでは、二人は画面の右下で目を覚ましたことを考えると、まだまだ背徳感がある様子。しかし、そこから徐々に距離を縮めていき、ついには画面中央でキスをするまでに至ります。まあこのキスを空に見られてしまって、空が集会所でそのことを言ってしまって、周囲は気まずくなってしまうんですけどね。まだまだ二人は理解を得られていない様子です。


そして、渚と弁護士の話し合いなどいくつかのシーンを経て、迅は猟友会?の老人と狩猟に出かけます。老人は解放的な考えを持っている様子で、「誰が誰を好きになろうとその人の勝手」と迅に諭します。しかし、その次のシーンでは老人は死亡。葬式のシーンへと移ります。やや急な展開に少しびっくりしてしまいましたが、その老人の言葉や空との会話もあり、お斎の席で迅は自分がゲイであることをカミングアウトします


ここの迅の立ち位置に注目していただきたいのですが、迅は画面中央に立っているんですよ。ようやく彼が本音を言えるようになったことを、言葉とともに映像でも見せています。そして、参列者は迅のカミングアウトを受け入れるんですよね。現実ではこうはいかないかもしれませんが、今の時代にあった描き方だなと感じました。


そして、次のシーンが個人的なベストシーン。葬式から帰って、空を寝かしつけて、迅と渚は二人きりになります。渚を画面中央に座らせて、コーヒーを淹れる迅。迅の顔を映さないの心憎い演出だなと思っていると、迅は渚と別れたときに着ていたセーターを着て、再登場します。そして、渚と空と三人で暮らしたいと言い、渚と額を重ねます。ポスターにあるシーンがこれですね。


もうここのエモーショナルが凄くて。中央を空けている今までの演出から、ポスターの構図はそういうことかーと思っていましたが、実際に見せられると想像以上。二人の物理的距離がゼロになったということは、精神的距離もゼロ。さらに、聖域も境界線も取っ払って額を合わせる。迅と渚が心から分かり合えた。今まで溜めていた分が一気に爆発して、掛け値なしに感動しました。観てよかったなと感じました。




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・本音の裁判に感動した


映画はここから一気に裁判のシーンへと飛びます。ご存じの通り、裁判は原告と被告が向かい合って行われます。ここの渚と玲奈の距離は今までにないほど開いており、二人の心の距離を感じさせるとともに、直前までの迅と渚のシーンとのギャップにやられます。


さらに、裁判は正直な発言をする場。いわば本音で話さなければならず、証人喚問など人物が中央に配置されるシーンは格段に増えます。渚が思いの丈を告げ、それを玲奈が聞くシーンも二人は比較的中央に映されて、本心で話している・受け止めていることが描写されているように感じました。


裁判は、空の親権が焦点。検察官は、男性同士のゲイカップルで育てられたら、多感な子供にどんな心配が出るかと危惧します。迅と渚は特殊なケースだと。裁判官もおおむねそれに同調。あの、玲奈は玲奈で自分の母親と一緒に子育てをしようとしていて、そこは女性同士なのですが……。それに、父親と母親が揃っていても問題のある家庭はありますし、どちらか一人に育てられても良い人間(が何を指すのかは知りませんが、ここは便宜的に)に育つ子供もいるでしょうし、そこはケースバイケースなのではないでしょうか……。当然、弁護人も反論します。


この映画が優れているところって、迅と渚の二人を持ち上げてLGBTQ推進!としていないところなんですよね。玲奈には玲奈の苦労があることもきっちりと描いているんです。シングルマザーで空を養うためには仕事で稼がないといけないし、かといって仕事ばかりをしていると、空の面倒は見られないしというジレンマにも言及しています。


裁判が終わった後、渚が「弱いのは自分だけだと思ってた」と語っていましたが、LGBTQの人だけでなく、その周囲の人にも辛いことはあると描いたのは、LGBTQ賞賛の新ステレオタイプにはまらず、進んだ描き方だと感じました。


弁護人は裁判で勝つため、執拗に玲奈を責めます。それを見かねた渚はもういいと止めに入ります。そして、弁護人を通して、和解による解決を望みます。実は、この前に渚と空のシーンがあって、空は渚に「ママにごめんなさいって謝って仲直りして。パパとママと迅くんとみんなで暮らそうよ」といった趣旨のことを言っていて、渚はその空の思いを汲んだ発言をしたんですよ。玲奈も苦労していることを知って、自分の勝手だったと謝って。ここの渚と玲奈は前述したように画面中央にいて、本心から出たであろう渚の言葉と、玲奈の涙に私は泣きそうになりました。



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・ラストシーンの清々しさよ


裁判は和解により閉廷。親権は玲奈に移り、一か月の時間が経ちます。空が学校に馴染めなかったり、母親との折り合いもよくなかったりと、玲奈は子育てに苦労している様子です。以前の玲奈なら意地を張って、自分一人で頑張ろうとしていたのかもしれませんが、離婚調停は玲奈にも変化を促しました。迅と渚に連絡をして、4人が会うシーンでこの映画は幕を閉じます。ここもですね、子育ては親だけが行わなくてはならないという、日本の既存の価値観に囚われていないんですよね。困ったら人を頼っていいんだよっていう。


そして、もうラストシーンがこれ以上ないもので。まず、迅と玲奈が横並びになる場面があるのですが、ここで二人は画面両脇に配置されているんですよね。それにもかかわらず、玲奈は「自分は自転車に乗れない」と迅に打ち明けるんですよ。最後の最後で映画のルールを破ったこの演出からは、既存の価値観からは外れていても本音を言える、大丈夫というメッセージを感じられて、玲奈が吹っ切れたのと同時に、私もどこか世界が広がった気がしました。


でもって、この映画は引きの画で幕を閉じるのですが、これが最高でして。何が最高かって、4人を同時に画面中央に収めることができることなんですよ。空を中心として、迅、渚、玲奈が画面中央で三角形を作るという構図がありましたが、これがこの物語の成果なんだと思います。4人が本音で語れるようになった。それでも、少しの隠し事はある。この映画としては最適な着地点だと思います。素晴らしい。




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以上で感想は終了となります。


映画『his』は人物の配置や距離感という構図にこだわっていて、観終わった後には「映画観たなぁ」と感慨にふけってしまいました
。小説じゃできない、映像ならではの要素を感じまくって、気持ちよく映画館を後にすることができました。ドラマ版を見ていなくても大丈夫なくらい(見ていたらもっと楽しめるんでしょうけど)、一つの映画としていて完成されていて、個人的には今年屈指の傑作だと感じます。延期になったりしたけれど、観れてよかったです。


もう映画館ではあまり上映していないですけど、8月5日にBluray&DVDが発売、そしてレンタル開始されるそうなので、ぜひご覧になることを強くお勧めします。世界が広がりますよ。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


his [Blu-ray]
外村紗玖良
Happinet
2020-08-05



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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ドクター・ドリトル』。ロバート・ダウニー・Jr.が主演の冒険映画ですが、それよりも藤原啓治さんですよ。別に大ファンというわけではないのですが、藤原さんの最後の仕事は見届けなければ(聞き届けなければ)と思い、吹替版で観てきました。


そして、観たところ吹替版を選んで正解だと感じましたね。ストーリーはともかくキャラの掛け合いがとても面白かったです。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・例えるなら甘口のカレー
・吹替版で観てほしい
・もしかしたら今一番損をしている映画かも





―あらすじ―


動物と話せるドリトル先生は、名医だが変わり者。世間から遠ざかり、様々な動物たちとひっそりと暮らしていた。しかし、若き女王が重い病に倒れたと聞き、ドリトル先生は女王を救える唯一の治療法を求めて伝説の島へと冒険の旅に出発する。一緒に行く仲間は助手のスタビンズ少年と、ドリトル先生が最も信頼する親友である頑固なオウム、臆病なゴリラ、とぼけたアヒル、陽気なシロクマ、皮肉屋のダチョウなど個性豊かな動物たち。ほかにもメガネをかけた忠実な犬や、おしゃべりなキリン、賢くて勇敢なキツネ、昆虫など数多くの生き物が登場!
旅の中で明らかとなっていく、ドリトル先生の過去、国を揺るがす陰謀……物語はめまぐるしく動き出す。


(映画『ドクター・ドリトル』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・例えるなら甘口のカレー



この映画は、例えるならカレーだと思います。多くの人に愛されて、嫌いな人はそうそういないだろうという甘口のカレー。本当、大人も子供も楽しめるとはこのことかと思います。個人的にちょっと行き詰った状態での鑑賞でしたが、観ていてすごく癒されました。余計なこと考えず、頭空っぽにして楽しめたので観てよかったなと感じましたね。


ストーリー自体は実に単純明快。まず、この映画はアニメーションで幕を開けます。主人公のジョン・ドリトルが動物と話せること、妻のリリィ・ドリトルとともにいくつもの冒険に出かけていたこと、ある日、リリィを失ってドリトルは心を閉ざしてしまったことが、端的に説明されていきます。上品な石田ゆり子さんのナレーションもあり、分かりやすく適切な導入だと感じました。


ドリトルは国から与えられた庭園で、動物と一緒に一人生活をしています。そこにやってきたのは、王宮からの遣いレディ・ローズ。彼女はヴィクトリア女王が病に倒れてしまったことを伝えます。女王が亡くなるとドリトルと動物たちは庭園を追い出されてしまうため、ドリトルは女王を助けることを決意。成り行きで助手になったトミー・スタビンズとともに宮殿を訪れます。


ヴィクトリア女王は何者かに毒を盛られていました。珍しい毒だったため、解毒剤は誰も見たことのない島にあるエデンの実だけ。それは、かつてリリィが探し求めていたものでもありました。


と、ここまで書いてしまえば、多くの人がなんやかんやあってドリトルはエデンの実を手に入れて、ヴィクトリア女王の病は治るんだなと想像がつくでしょう。はっきり言います。その通りです。この映画は全く捻る気もない、未就学児のお子さんでも分かるようなストーリー展開となっています。


ヴィクトリア女王に毒を盛ったのも、彼女の代わりに国を我が物にしようとする貴族の仕業でしたし、そこも至ってありきたり。もしかしたら、先が読めるのでつまらないじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、この映画はそこをドリトルと動物の軽妙な掛け合いでカバーしています。




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・吹替版で観てほしい


まず、序盤からこの掛け合いが絶妙で。ドリトルはゴリラのチーチーとチェスをしたり、オウムのポリーにとやかく言われたりと、一人暮らしながら賑やかな様子を見せています。ドリトルを演じたロバート・ダウ二ーJr.の、人間に対する情けなさと動物に対するフレンドリーさには愛嬌を感じました。


そして、何より吹替をした藤原啓治さんが言わずもがなの盤石の演技。渋くてカッコいいながらも、どこか抜けた感じのある吹替には、心を鷲摑みにされます。誠に残念ながら、これが藤原さんの遺作となってしまいましたが、映画を観ている最中はそんなこと全く気にならず、楽しく観ることができました。


動物たちと仲良く暮らしていたドリトルですが、そこにスタビンズが現れます。スタビンズは間違ってリスを銃で撃ってしまい、弱ったリスを助けてほしいとドリトルに頼みます。そこからドリトルと動物たちの治療が始まるわけですが、この時点でもう動物たちのキャラを十分に見せているんですよね。ゴリラのチーチーは臆病で、アヒルのダブダブは忘れっぽい。軽妙な掛け合いで笑いを誘いつつ、きっちりとドリトルが獣医であることも提示。子供にも分かりやすいように少し誇張してはいますが、無駄がなくスピーディです。


それに、主要な動物は全員キャラが立っているんですよ。上記の三匹の他にも、ダチョウのプリンプトンは皮肉屋だし、ホッキョクグマのヨシは冷え性。動物たちは仕草というよりも喋りまくることで、キャラを表現していて、これには吹き替え翻訳をした方の功績も大きいのでしょうが、それと同じくらい吹き替えをした声優さんたちの功績も大きいと感じます。


この映画の吹替には、藤原啓治さんの他に、小野大輔さんや、朴璐美さん、中村悠一さんといった日本を代表する声優さんたちが集結。端役に花澤香菜さんや沢城みゆきさんを起用するという豪華ぶりです。本職声優さんたちのプロの技で、キャラクターがどんどん浮き上がっていく過程はもはや感動もの。ゲスト声優の石田ゆり子さんや八嶋智人さんも慣れていて良かったですし、霜降り明星のお二人も台詞が少なかったからか、特に気になることもありません。


全体を通して吹替としては100点満点で、私の満足度は吹替で見たことに大いに依っています。どちらかといえば洋画は字幕派の私ですが、吹替も良いもんだなと感じました。この映画はストーリーよりもキャラクターの掛け合いを楽しむ映画で、その特徴が吹替では大いに発揮されています。字幕でも十分楽しめると思いますが、個人的には吹替で観ることをお勧めしたいと思います。


あ、別にストーリーに魅力がないと言っているわけじゃないですよ。チーチーが勇気を出すシーンや、ドリトルが獣医の知識を生かす展開など、見どころはいくつかありましたし。ただ、あまりにも予定調和すぎるので、もしかしたら違和感を感じる方もいるかもしれないというだけのことです。批評性も何もないですしね。私としては、こういう真っすぐなストーリーをやるのって逆に怖いものがあるので、それに怯まず王道をやり通したということに好感を持ってますけど。




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・もしかしたら今一番損をしている映画かも


この映画は本当は3月20日公開で、映画の内容からするに、春休みの家族連れをメインターゲットにした映画なんだと思います。実際に、この映画はお子さんは十分に楽しめますし、親御さんもテンポのいい掛け合いに思わず頬が緩んでしまうかもしれません。あの動物が好きだったーと親子で会話も弾むことでしょう。親子で楽しめるを地で行っていて、娯楽映画の良作になっていると思います。


だからこそ、コロナ禍で公開が延期されたのは痛かった。今は映画館でも一席空けての販売ですし、そうなると暗いのが不安で、隣の席で観たい親子連れにとっては映画館にはなかなか行きづらいでしょう。本当はもっともっと老若男女問わず観られるような映画だと思うんですけど、何しろ時世がね......。もしかしたら今、公開されている映画の中で、一番コロナ禍で損をしている映画かもしれません


映画館は換気も万全ですし、感染対策もバッチリしているので、来てほしいんですが......。そう考えるとなんだか可哀想な映画でもありますね。もっともっと家族連れに観られて、楽しんでもらえるはずなのに......。ぜひ!と大きな声では言えませんが、全国の親御さん、もし良かったら『ドクター・ドリトル』をお子さんと観てみませんか。きっと楽しめると思いますよ。




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以上で感想は終了となります。『ドクター・ドリトル』、調べてみたらアメリカでの批評家受けはめちゃくちゃ悪いみたいですが、捻りのないストーリーだから、それはしょうがないかなと思う面もあります。でも、吹替版でキャラクターの掛け合いを存分に楽しめれば、また違った評価になるかもしれません。大きな声では言えませんが、よろしければ観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『水曜日が消えた』です。


まず、この映画は本当は5月公開でした。しかし、ご存じの通りコロナ禍で他の多くの映画と同様、延期に。いつ観られるんだろうと思っていましたが、地方のシネコンでもかかるような公開規模の作品としては、先駆けて6月に公開。新作邦画に飢えていた私は、早速鑑賞してきました。


まあ本当のことを言うと、どうしても観たい映画というわけでもなく、正直、期待値もあまり高くなかったのですが、観たところ予想外に面白かったです。映画を観終わって素直に「好き~」という言葉が漏れました。ぶっちゃけ映画としてのクオリティはそんなに高くないですし(低くもないよ)、最後ももうひと捻りほしかったんですけど、でも全体としてはなんか好きなんですよね。観てよかったなと感じます。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・何といっても中村倫也さんですよ
・私にはこのくらいがちょうどいい






―あらすじ―

幼い頃の交通事故をきっかけに、ひとつの身体の中で曜日ごとに入れ替わる“7人の僕”。性格も個性も異なる7人は、不便ではあるが、平穏に暮らしていた。各曜日の名前で呼び合う彼らの中でも、“火曜日”は一番地味で退屈な存在。家の掃除、荷物の受け取り、通院、、、他の曜日に何かと押し付けられて、いつも損な役回り。今日も“火曜日”はいつも通り単調な一日を終えると、また一週間後に備えて、ベッドに入る。
それは突然やってきた。“火曜日”が朝目を覚ますと、周囲の様子がいつもと違うことに気付く。見慣れないTV番組、初めて聞く緑道の音楽…そう、“水曜日”が消えたのだ。
水曜日を謳歌する“火曜日”だったが、その日常は徐々に驚きと恐怖に変わっていく。残された“火曜日”はどうなってしまうのか―。

(映画『水曜日が消えた』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。












・何といっても中村倫也さんですよ



この映画の最大の長所。それは主演の中村倫也さんです。おそらく映画を観た人が100人いたら、98人はそう答えるのではないでしょうか。そのくらい、この映画の中村倫也さんは輝いていました。


その有様はまさに中村倫也濃縮還元劇場。一人七役(ということにしておきます)を演じるという謳い文句でしたが、この映画の主人公は火曜日です。曜日ごとに人格が入れ替わるという設定の中でも、最も地味で退屈な人格。野放図な月曜日の後始末を任され、冷蔵庫の中身を整理し、日記も一番まめにつけています。一番おどおどした人格でしたが、彼をメインに据えたことがこの映画が成功した最大の要因だと私は思います。


何が良いかって、その大人しい受けの演技ですよ。グチグチ言いながらも、しっかりと他の曜日の後始末をして、生活をする様子は微笑ましくもありながら、どこか悲しくもある。でも、抑え目で柔らかな声のトーンや、力の入っていない雰囲気からは、こんな言葉で形容していいのかわかりませんが、萌えを感じました。


もうですね、いちいち火曜日の仕草が萌えるんですよ。図書館で高いところにある本に手を伸ばしたりとか、耳の後ろを触る癖とか。それがあざとくなく、あくまで自然体でやっているからたまらない。推さずにはいられません。本当、ただ生活しているだけで尊い。すっかり中村倫也さんのファンになってしまいました。


もうこの映画は中村倫也をものすごく推していて、9割以上の時間画面に映りっぱなしなんですけど、この采配が的中していると感じます。私が観た回は、観客の9割が女性だったんですけど、中村倫也さんのファン層ってやっぱり女性が多いと思うんですよ。



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中村倫也さんが出演した中で、多くのファンを獲得した作品と言えば、『半分、青い』と『凪のお暇』でしょう。このうち、『半分、青い』は分かりませんが、『凪のお暇』の視聴者はおそらく女性が多かったのではないでしょうか。彼が演じた通称"ゴンさん"は放送されるたびに話題になり、ツイッターのトレンドにも入ってましたから。中村倫也がここで一気にファンを掴んだことは、自明だと思います。


でもって、この映画を観に来る一番の層って、中村倫也さんのファンである女性層だと思うんですよね。吉野耕平監督は、いくつかのCMやPV、短編作品を手掛け、あの『君の名は。』にもCGクリエイターとして参加しているとはいえ、『水曜日が消えた』が長編初監督作品で、お世辞にも一般層に名前の知れた監督とは言えません。他のスタッフの方も、失礼を承知で言わせてもらえば、中村倫也さん以上に知名度のある方はおらず、やはりこの映画の一番の武器は中村倫也さんであることは明白です。


そして、制作陣もそれは重々承知だったようで、この映画はさまざまな中村倫也さんを見せつけてきます。というか、まず映画が始まる前に、中村倫也さんのスペシャルメッセージがありますからね。最初の「こんにちはか、こんばんはか分かりませんが」と少し照れながら言うところで、もうノックアウトですよ。観に来た女性のハートを鷲摑みですよ。プラスにしかならない試みで、これ他の映画でもやってほしいなと思います。


もちろん映画本編も良くて。火曜日の萌える仕草はもちろん、水曜日になっても火曜日の人格であるときの、戸惑う演技はオーバーになりすぎず的確。徐々に恐怖心が芽生えていくのを表情の変化で表していましたし、映画中盤に第二人格が登場するときの切り替えっぷりは、口調も完全に別人で、そのギャップに震えました。



さらに、注目していただきたいのが、終盤の〇〇〇が〇〇〇の〇〇をするシーン。ここはそれまでの〇〇〇とは微妙に変化をつけていて、言われてみればなるほどと思うような、細かい変化なんですが、その細かい演じ分けは白眉ものです。いろいろな味の中村倫也さんを楽しめるので、ファンの方は大いに満足することでしょう。本当、ここまで需要と供給が一致している映画も珍しいくらいです。制作陣は”分かって”いますね。(まあ、これが中村倫也さんのベストアクトかって言われれば、たぶん違うと思うけど、それでも)




また、脇を固める俳優さんも良かったです。石橋菜津美さんはサバサバしながらも、火曜日を心配する目線が良かったですし、夜に映画を観るシーンの小声でつぶやくところは最高です。水曜日が恋する図書館司書を演じた深川麻衣さんも、もうすっかり女優の風格を身に纏っていますし、何より安定して可愛い。


きたろうさんや中島歩さんといった医師の二人も、それぞれ違う役どころで映画のバランスを取ってましたし、休日課長さんはびっくりするほど出番が少ない。彼ら彼女らの最大限を引き出せたとは言い難いですが、映画の没入を妨げるほど浮いている方もいなかったので、総じていえば悪くないという言い方になるでしょうか。まあそこは吉野監督の伸びしろということで、どうか一つ。




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・私にはこのくらいがちょうどいい



そして、肝心の映画の内容についてですが、ここでは多くを語ることはいたしません。サスペンスという物語の性質上、予備知識なしで楽しんでほしいからです。ただ、ストーリーの強度的にはそんなに高くないかな......というのが正直なところです。


最初の女の人はヒール片方だけで帰ったの?とか(これ絶対何らかの伏線になると思ってた)、あの検査には何か意味あるの?とか、ツッコミどころはいくつか挙げられます。最後ももうひと捻りほしかったですし、あれで終わってしまうのは少しあっけない気もしました。絶対、もう一波乱あると思ってた。エンドロールは良かったですけど。


それに、映像的な強度もそこまで高くないかと......。撮影もときどき引いてみたり、監視カメラの映像を入れて、バリエーションを加えていましたけど、ちょっと緩い感じはしました。それに、吉野監督が自ら手掛けたVFXも、万華鏡的な演出で説明を飽きさせないようにするのは良かったのですが、おそらく一番気合を入れたであろう事故のシーンは、綺麗ですが、使い過ぎてちょっとクドいような気もします。


でも、映像の強度はインディーズ映画ほど低くはないですし、ストーリーの強度も致命的なほど弛緩してはおらず、バカな私にも分かる塩梅でした。何というか個人的にはこのくらいがちょうどいいんですよね。お風呂の温度は39℃、カレーは中辛、布団は羽毛的な。言い方は悪いんですが、ポップコーンを食べながら緩く観れる娯楽映画になっていると思います。


ますます口は悪くなるんですが、この映画って映画史に名を残すような傑作では絶対にないんですよ。かといって駄作でもなく、佳作という評価が個人的には一番しっくりきます。おそらく映画大好きなシネフィルの人からは、あまり評価されないと思います。でも、こういうライトな映画ファンに向けての映画もあっていいよねという。


先週、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』という映画を観たのですが、この映画はもう映像がバッキバキに凄くて。私はそこまでハマってないんですが、評価も「映画史に残る傑作!」と言わんばかりに高くて。そりゃ映画のクオリティとしては、『ストーリー・オブ・マイライフ』の方が断然高いんですけど、個人的に好きなのは『水曜日が消えた』の方なんですよね
 

これは、もう相性としか言いようがないなと。3月に見た『仮面病棟』も好きでしたし、私はこういうB級(狙ったわけではなく、結果的にそうなっているという意味です)サスペンス映画が好きなのかもしれないですね。もはや偏愛です。もう至らないところも含めて、愛していきたいなって感じました。あー好き。



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以上で感想は終了となります。映画『水曜日が消えた』。大々的に推せる作品ではありませんし、評価もそこまで芳しくないとは思いますが、個人的にはツボに入りました。よろしければ映画館でご覧ください。そう小声で言いたいと思います。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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