Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

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横浜は厚い雲に覆われていた。13時30分、新横浜駅で降りると、ピロウズTシャツやカーディガンを着ているバスターズを何人か確認することができた。彼らについていくように、横浜アリーナを目指す。着いた先は一面を窓に覆われた横浜アリーナだった。外国人カップルが記念撮影をしている。私は一人で来ていた。




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右の階段を上って、物販の待機列に並ぶ。並んだはいいもののやることがなくてひたすら本を読んだ。タイトルを言えば、ドン引かれること間違いなしの本を数冊読んだ。物販列は角を曲がり、階段を下り100メートル以上先まで伸びて折り返していた。後ろから話し声が聞こえる。一人で来ていた私には、話し相手がいなかった。


SNSを見ると、フォローしているバスターズが別のバスターズと会ったりしている。ピロウズが繋いだ縁というのは素晴らしいものだ。リアルでもSNSでも盛り上がる会話。私は、そのどこにも入れないでいた。ただ、本の読んでいて辛くなる記述に潜り込んで、たまに足を動かしたりするだけ。列は思いのほかスムーズに進んでいた。


物販は会場内で行われていた。入るとピロウズの曲が流れている。「No Surrender」が特に印象的だった。物販スペースに入ると、レジが12列に渡って並び、壁にはメンバー3人の写真が飾られていた。天井からぶら下げられていたそれは、災害救助で活躍した市民の栄誉を称えるような、そんな趣だった。




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物販では、「LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENA」Tシャツと、黒とグレーのハイブリッドレインボウタオルを買った。さらに、「Happy Go Ducky!」に封入されていた引換券をチケットホルダーに替える。車に乗った3人のバスター君の周りを星が囲んでいる。全部黒だなと気づき、苦笑した。


今度は、書籍「ハイブリッドレインボウ2」を買うために、別の列に並ぶ。こちらも短くない列ができていた。BGMの隙間から微かに、リハーサルの音が漏れ聞こえてくる。「サリバンになりたい」と「雨上がりに見た幻」はどうやらやるようだ。あまりの行列に、売り切れることを危惧したが、「ハイブリッドレインボウ2」は難なく買うことができた。


時刻は15時30分。18時の開場までは、まだ時間がある。私は横アリを後にして、近くのネットカフェに入った。5時30分出発だったので、始まるまでに少し寝ようと思ったけど、ソワソワしてあまり眠ることができなかった。今日がその日なんだという実感が徐々に自分の中で大きくなる。


再び横アリに着いたのは17時だった。天気予報通り小雨が降り出している。私は、雨を避けるために、屋根の下に入り、また本を読んでいた。空はどんどん暗くなる。一人で本を読む私を傍目に、あちらこちらでバスターズが集まって会話をしている。入場を待っている間も後ろの二人はずっと話していた。


裏切られた気分だった。バスターズはみんな人と喋ることができないファッキンコミュ障だと思っていたのに。それが普通に話しているではないか。やはり私は一人なのだと感じた。100人のライブハウスでも1万人のアリーナでも関係ない。一人で来ている以上、誰とも話さなければ、ずっと一人ぼっちのままなのだ。自分の生来の性格を恨み、これまでのぼっち人生を恥ずかしんだ。死にたいという思いが、脳裏をよぎった。


開場する。入ってすぐのところにお祝いの花輪があった。Mr.Children、GLAY、BUMP OF CHICKEN。様々なバンドから贈られた花の束だ。スマートフォンで撮影する人たちでごった返していた。コインランドリーに荷物を預け、指定席に向かう。会場内はたくさんの人が行き交っていた。軽食を求める人たち。久しぶりの再会を喜ぶ女性。トイレにも列ができている。多くの人がピロウズのTシャツを着ていた。でも、私はそこでもやはり一人だった。こんなにバスターズがいるのに、言い知れない疎外感を感じてしまう。お祝いムードにふさわしくない感情は、封じ込もうとすればするほど顔を出して、留まるところを知らなかった。


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指定席を探して、映画館みたいな席に座る。赤い緞帳がステージを隠している。なるほど、スタンディングエリアに比べて一段高いところにあるから遮るものは何もない。ストレスなく見ることができるだろう。ただ、ステージから距離があることは否めない。物理的な距離感が心理的な距離感に換算されるとすると、果たして私はライブを十分に楽しむことができるのだろうかと不安に感じた。スタンディングエリアでより近く見ることができる彼らを羨ましいと思った。


スタンディングエリアは前の方から徐々に埋まっていく。それは開演の時間が近づいてくることを示していた。指定席も賑やかさを増す。熱気と固唾を飲む緊張感の中で、私の頭には入場前に読んだ「ハイブリッドレインボウ2」の一節が何度もリフレインしていた。


ー音楽的にちゃんとしたライヴをやるのが…
「これで最後だと思ってる」



これからもピロウズは続くとはいえ、こんな大規模なライブはもうない。ピロウズの一つの終わりとともに、私の中の何かが終わってしまうような気がして、始まってほしくないとさえ思った。でも、早く観たいという自分も確かに存在していて、石を投げられた水面みたいに私の心は揺れていた。




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19時からどれだけ時間が経ったのかは、スマートフォンの電源を切っていたので分からない。会場が暗転した。歓声が上がり、ステージの両側にあるビジョンに映像が映し出される。白黒の子供の写真だ。年配の女性のナレーションがついている。それがシンイチロウさんだと分かったときに、客席から少し笑いが起きていた。メンバー3人の生い立ちが、彼らの母親の優しい語りによって紹介される。どれも最後はファンについて言及していて、思い返せばこの時点で泣き出す準備が整えられていたような気がする。


さわおさんのお母さんが「メンバーは家族のようなもの?」と聞いたときに、さわおさんが「そうだよ」と答えたエピソードを最後に映像は終わった。赤い緞帳がパッと照らし出される。


聴こえてくるのは キミの声
それ以外はいらなくなってた



さわおさんの歌声が横浜アリーナに轟く。演奏が始まると緞帳が開いて、メンバーの姿があらわになる。ああ、いよいよ始まるのだ。たぶん、バンドで鳴らされた最初の一音を聴いたときから泣いていたと思う。映画「王様になれ」での最初のセリフ。そして、最後の演奏。映画を観ながら号泣した思い出が蘇る。長い長い助走を取って、大きくジャンプした瞬間。「溢れる涙はそのままでいいんだ」という歌詞にも後押しされ、私は拭うことなく涙を流した。


MY FOOT」「Blues Drive Monster」。泣くような曲じゃないのに泣いていた。有江さんも加えた4人が無事にステージに立てて、そして私も無事にここにいることが嬉しかった。ステージは遠くて、あまり大きくは見えなかったけど、横のビジョンよりもメンバーを見るように努めた。目に焼き付けようと思ったからだ。憂鬱な世界を踏み潰してくれる彼らを。


30年間、バンドを続けてきたんだ。俺たちの音楽を受け取ってくれよ


そう言ってさわおさんが弾き語り始めたのは「アナザーモーニング」だった。15周年でも20周年でもライブDVDを見るたびに、私はこの曲に涙していたのだから、泣かないはずはなかった。アリーナを暖かい手拍子が包む。シャッフルの軽快なリズムが、どうしようもなく胸に響いた。


そこからの「スケアクロウ」は、前半での私の涙のピークだったように思う。柔らかいイントロが始まった瞬間、泣き崩れるかと思った。エモーショナルな間奏も「一人じゃない」の繰り返しも、大きなうねりとなって私を襲う。これだけ泣いていて、後が大丈夫なのだろうかと心配になる。


しかし、その後に続いたのが「バビロン 天使の詩」「I know you」だったのは少し意外だった。もちろんやるとは思っていたし、嬉しかったのだけれど、しんみりするパートだと思っていたので、不意をつかれた。ライブ特有のアレンジは、掛け値なしに盛り上がったし、突き抜ける感じで気持ちよかったのだけれど、この日のピロウズは落ち着くパート、盛り上がるパートを分けずに曲を投入してきたのが特徴的だと感じた。おかげで感情の振れ幅が大きい。ジェットコースターにでも乗っている気分だった。


俺は今でもサリバンになりたい!!


という掛け声で始まった「サリバンになりたい」は、間奏がいつもより長い特別バージョンだった。真鍋さんがステージの右側に設けられた花道の先で演奏している。近くで見られて羨ましいと思ったが、彼らは彼らで見え辛かっただろうから、ちょうどトントンになっていたのかもしれない。腕を振り回しているのが心地よかった。


次の「LAST DINOSAUR」が終わると、少し間が取られて、さわおさんのギターが掻き鳴らされた。CDにはない前奏で始まったその曲は「Please Mr.Lostman」。アニバーサリーライブでは必ず演奏される曲だが、ここで演奏されるとは。膨らんでいた期待は、歌が始まるとさらにその体積を増す。バックのビジョンには夕焼けに照らされた枯れ木が映し出されていた。サビを迎えると、その枯れ木に文字通り「星が咲く」。彼らが30年積み重ねてきたものを象徴しているかのような演出に、もう何度目かも分からない涙が出た。ピロウズを聴いたときの思い出が一気に溢れてきた。ほんの9年くらいだけれど。


だが、そのままの感動ムードでは終わらない。「1,2,3,4,5,6,7,8」と天を衝くようなコール。「No Surrender」だ。急激なモードチェンジに少し戸惑ったものの、今思い返せばこの曲順で良かったと思う。歩みを噛みしめておいて、未来に思いを馳せるという流れには感動したし、「また会おう!」というさわおさんのシャウトにはやはり勇気づけられた。個人的にも幾度となく聴いた思い出の曲であり、アリーナで聴く「No Surrender」はまた格別のものだった。




「永遠のオルタナティブ・クイーン」に捧げられた「Kim deal」。30年もの時を経て演奏され続ける「ぼくはかけら」。初めて聴く「1989」から、最新盤の「ニンゲンドモ」まで、マスターピースは続けられる。無邪気に楽しむことができたが、どこか変な感じがあった。そして、その違和感は「10年ぶりにやるよ」と演奏された「雨上がりに見た幻」で、決定づけられる。


泣けなかったのだ。前半あれだけ泣いておいて、急に泣けなくなったのだ。もちろん演奏は最高で、「楽しそうに笑っていたいけど、もう一人の自分が邪魔をする」や「必要とされたい」、「雨上がりに見た幻を今も覚えてる」など歌詞も刺さるものばかり。特に「雨上がりに見た幻」のシャウトはさわおさんの気迫が伝わってきて、心を揺さぶられたけど、それでも泣けなかった。


おそらく涙が枯れたのだと思う。前半で涙を使い果たしてしまって、ダムにはあまり水が残されていなかった。我慢しているわけでもなく、心では泣いているのに涙が流れないというのは初めての体験だった。でも、泣けないことイコールライブを楽しめていないということではないので、この辺りから泣くのはやめてもう純粋に楽しもうという気持ちになった。そして吹っ切れた後の「サードアイ」と「Advice」は何もかも忘れて、ただ音に身を任せることができ、とても気分が良かったのを覚えている。


MCでメンバー紹介があると、いよいよ終わりが近づいてきたなと思う。有江さんはこの場で弾けることの感謝を、シンイチロウさんは母親とのおとぼけエピソードを喋っていた。真鍋さんは、スタッフ・関係者への感謝を述べる。いつもあっさりとしたMCをするから、これには少し驚いた。さわおさんも照れくさそうに笑っている。


「もう少しやるか」と言って、演奏が再開された。が、ここでハプニングが起こる。うまく合わせられずに演奏が中断してしまったのだ。「Swanky Street」は私もコピーしたことがあり、出だし、特に二回目の音を合わせるタイミングが難しいなとは常々感じていた。でも、まさか本人たちが失敗するとは。でも、ステージ上では雰囲気が悪くなるでもなく、むしろその逆でメンバーも思わず笑っていた。雰囲気はかえって良くなった気がする。ライブハウスに引き戻されたような感覚を味わった。


この辺りからだろうか。私が客席にも目が向くようになったのは。アリーナはステージを除いた270度、1万2000人のバスターズで埋め尽くされている。そして、手を上げたり体を揺らしたりして、思い思いにピロウズの音楽を楽しんでいる。「Swanky Street」で歌われた「僕ら」。それは当初はメンバーのみだったと思うが、徐々に範囲は拡大していき、今では横アリに来た1万2000人、いや全てのピロウズを聴く人間を包括しているように感じられる。そのことに気づいたとき、また涙がこぼれるのを感じた。


今夜もロックンロールの引力は万能で
裸足のままで走り出していたんだ



ピロウズのロックンロールの引力に引き寄せられた人間がこんなに集まっている。不敵なメッセージを受け取って笑って騒いでいる。私はピロウズに多くの場面で救われたが、彼らの多くもそうなのだろう。歌い出しから泣いていたのは、きっと私だけではなかったのだと思いたい。手を上げているバスターズの多さがその答えであってほしい。


LITTLE BUSTERS」では、多くのバスターズが立って腕を上げていた。2階席もそうだ。黒いリストバンドが見える。シンプルな曲調は盛り上がるのに最適だ。1万2000人のアリーナなのに、狭いライブハウスのような熱気が迸る。


そのまま「Ready Steady Go!」へと雪崩れ込む。アップテンポでスタンディングエリアは我を忘れて盛り上がっている様子だ。「Go!Go!Ready Steady Go!」の合いの手も完璧に差し込まれている。「Busters!」での解放感はもの凄いものがあった。そのまま最高潮を更新したまま、演奏は終了し、メンバーはステージから引き上げていった。拍手は鳴り止まない。




幾ばくかしてメンバーがステージに再び登る。MCもなしに演奏されたのは「ストレンジカメレオン」だった。この曲は「私一人」の曲である。そう思っていた。周囲にピロウズを知っている人間はいない。勧めても軽く流される。そもそも私には友達がおらず、職場にも溶け込めているとは言い難い。まさしく「周りの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」なのだ。そして、それは私一人だけと思っていた。私一人が世界から疎外されていて、孤独を痛いほど味わっているのだと。


でも、違った。ステージ上ではメンバーが万感の思いを込めて演奏している。それを1万2000人が総じて聴き入っているのだ。周囲を見渡すと、誰もが自分のこととして真摯に受け止めているようで、孤独を味わっているのは私一人ではないことを思い知った。今思い返せば、ここが私の感情のピークだったと思う。枯れたと思っていた涙も訳が分からないほど流している。1万2000人から贈られた拍手は、共感と祝福の拍手に違いなかった。


静かにギターが鳴らされる。「Can you feel?」とさわおさんが問いかける。声高く反応するバスターズ。噛みしめるかのように「ハイブリッドレインボウ」が始まった。もう一言一句が涙腺を刺激してくる。口を開けて声なき声で歌ってみると、余計に胸に迫るものがある。心が叫ぶのを声にして解放させたかったけど、代わりに思いっきり息を吐くことで対処した。思いっきり泣きながら口をパクパクさせていて、みっともないように思えたけど、会場を見渡すとそれでいいのだと思うことができた。


昨日まで選ばれなかった僕らでも明日を持ってる


演奏が終わったとき、アリーナをこの日一番の拍手が包んだ。苦しい時にも寄り添ってくれるピロウズに出会えた喜びを、胸に抱いて拍手という手段に替えて伝えた。大歓声の後にメンバーが引き上げていく。でも、さわおさんは一人残っていた。


俺は音楽業界は信用してない。けど、君たちのことは信じたいよ


さわおさんから「信じたい」なんて言われて、また泣きそうになった。ピロウズを聴いていて良かったと、心の底から感じた。私も、世界も人間も信用していないけれど、ピロウズのことは信じたいし、信じていれば報われる瞬間はこれからも訪れそうな気がする。


さわおさんが帰っていったあと、アリーナ内には「Thank you, my twilight」が流れた。1万2000もの手拍子とともに聴く「Thank you, my twilight」は、とても心地よかった。サビの最後でバスターズが声を揃えて歌っている。私も今度は精一杯「Thank you, my twilight」と歌った。何度も何度も歌った。バスターズからピロウズへの感謝を伝えるにはこれ以上ない選曲だったと思う。欲を言えばステージで演奏してほしかったけど。


ダブルアンコールで、メンバーはビール缶を持って現れた。両側の花道で挨拶をして乾杯をする。いつものピロウズのライブの光景だ。さわおさんは「Swanky Street」でミスったことを笑いながら振り返っていた。本人たちからすれば、DVDになるときはカットしたいと思うだろうけれど、私はカットしないでそのまま収録してほしいと感じる。なぜならひたすら愛おしかったから。


いつもなら長く話しているところだが、今日は早々に切り上げ演奏する準備に入った。いくつかのとんちんかんなコールをスルーし、真鍋さんのリフが炸裂する。「Ride on shooting star」は短いながらも、ピロウズ曲で屈指の盛り上がりを見せる。正直やらないことも覚悟していたので、このタイミングでやってくれたのは嬉しかった。演奏に合わせて体を前後に揺らす。ステージ上のメンバーと一体になったようだ。


そして、「Ride on shooting star」が終わると、シンイチロウのドラムが鳴り響く。ここで演奏される曲と言ったら一つしかない。そう、「Funny Bunny」だ。最近また脚光を浴びだしたこの曲。そのストレートな応援歌的な使われ方には首を傾げるところもあるものの、こうしてライブで演奏してくれると単純に嬉しい。なんだかんだ言って曲自体の良さには抗えるはずもない。


曲はサビに突入する。さわおさんは歌うのを止めた。その代わりにバスターズが歌う。初めて聴く1万2000人の「Funny Bunny」。合唱は、不揃いででこぼこしていたけれど、可塑性の高い粘液みたいにどんな心にもすっぽりと形を変えて入り込んでしまう。アリーナの全方向から歌声が聞こえてきて、爽やかな大気に包まれているようだった。端的に言えば、またとない機会に感動した。


好きな場所へ行こう
「僕らは」それができる



それは、他の誰でもない自分に向けて歌われた曲だった。おそらくは1万と2000の「自分」に。


ダブルアンコールも終了し、ちらちらと返り始める人も出てきている。ただ、20周年の武道館の時はトリプルアンコールがあったはずだ。祈るような気持ちで拍手を続ける。あちらこちらから拍手が聞こえる。帰ろうとしている人が立ち止まるのが見えた。そして、三度メンバーがステージに姿を現す。


新しいも古いもない世界!それがロックンロールだ!!


最後の曲として選ばれたのは「Locomotion, more! more!」。私はこの曲が最後で良かったと切に思う。それは当然盛り上がるからというのもあるが、この曲が25周年の後の5年の間に作られた曲だからだ。過去に縋るのではなく、新しめの曲で終わったところに、今もなお活動を続けるピロウズの矜持を見たような気がした。もちろん、アリーナはぶり返したような熱気に包まれ、横浜シティは大いに揺れ、最高潮のうちに"LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENA"は幕を閉じた。


セットリストを見返してみると、人気曲、キラーチューンばかりで、まさにピロウズの30年の集大成と言った感じがする。横アリのロビーは確かな満足感で満たされていた。人の波に流されながら、外へ出ると雨がすっかり強くなっていた。傘を差しながら新横浜駅へと帰っていくバスターズ。私もその一員として、街灯が照らす夜道へと一歩歩き出した。




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さて、一夜明けてみてどうだろうか。あれほど忘れないと強く思っていたライブの内容は、少しずつ忘れてきているし、寝不足で仕事でも軽くしくじった。部屋に戻っても相変わらず一人で、自分の社会不適合者ぶりに軽く死にたくなる。そんなとき、私はピロウズを聴く。そして、足りない頭で思い出すだろう。あの日、ピロウズの集大成を1万2000のバスターズと、間違いなく目撃したことを。ピロウズの30年を目の当たりにして流した涙がとても暖かったことを。


これからも、ピロウズの音楽とともに生きていく。
その事実だけで、素晴らしい。











2019.10.17
"LOSTMAN GO TO YOKOHAMA ARENA" 


セットリスト



01.この世の果てまで
02.MY FOOT
03.Blues Drive Monster
04.アナザーモーニング
05.スケアクロウ
06.バビロン 天使の詩
07.I know you
08.サリバンになりたい
09.LAST DINOSAUR
10.Please Mr.Lostman
11.No Surrender
12.Kim deal
13.ぼくはかけら
14.1989
15.ニンゲンドモ
16.雨上がりに見た幻
17.サードアイ
18.Advice
19.Swanky Street
20.About A Rock'n'Roll Band
21.LITTLE BUSTERS
22.Ready Steady Go!

En1.ストレンジカメレオン
En2.ハイブリッドレインボウ

En3.Ride on shooting star
En4.Funny Bunny

En5.Locomotion, more! more!





お読みいただきありがとうございました。


おしまい


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試合の記事はこちら↓
【雨中で見せた新生パルセイロの片鱗】2019明治安田生命J3リーグ第1節 ロアッソ熊本 vs AC長野パルセイロ【雑感】





2019年、AC長野パルセイロはJ3で6年目のシーズンを迎えた。開幕戦の相手はロアッソ熊本。J2昇格への挑戦が始まる。


ただ、全員が全員開催地の熊本に行けるわけではない。そんなサポーターのために用意された救済措置がパブリックビューイング。去年までは長野Uスタジアムでの開催だったが、ビジョンは遠く、なにしろ風が吹くと身震いがするほど寒い。これを解決するために長野は、映画館でのパブリックビューイングならぬライブビューイングに踏み切った。映画館のスクリーンでサッカーの試合を見ようという、J3では画期的な取り組みである。




J1、J2の試合を指をくわえて眺めるしかなかった2週間が過ぎ、3月10日。長野のシーズン開幕の日がやってきた。開場の10分ほど前に、グランドシネマズに到着する。二層になっている自動ドアをくぐった瞬間、奥の方にかすかにオレンジ色が揺らめくのを見た。ロビーはほどほどに空いている中で作られた密集。普段真っ先に向かうチケットカウンターを通過すると、そこには長野のコーナーができていた。いつもは公開中、もしくは公開予定の映画のリーフレットが置かれている場所に、長野の幟が立ち、グッズが売られ、シーズンチケットが引き換えられていた。


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グッズ売場の横で、うさ耳をつけたドラえもんが三日月に座っている。シーズンチケット引換所の後ろには、紫とオレンジのグラデーションに染められた幕。「ボヘミアン・ラプソディ」だ。映画とサッカーがめったに見ることのできないコラボレーションをしていて、思わず拍手を送りたくなる。


いつもは空いているロビーのベンチもこの日は座る場所を見つけるのに一苦労。人と人との距離が近く目眩がしそうで、でも、多くの人がサッカーの話題で盛り上がっているのはなんだか楽しそうだ。誰もが口の端を上げ、柔らかな目をしていた。母親に抱きつく子供も、着ている服はオレンジ。スタジアムの風景を一足先に味わっているかのようだ。


開場時間が近づく。入場口から伸びる列は50人ほど。しかし、オペレーションがいいのかスムーズに人々がゲートの中へと吸い込まれていく。入場口で貰ったチラシはDAZNのQRコードとホーム開幕戦の告知のリバーシブルになっていた。


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エスカレーターを上り、シアター4の入り口は手前側にある。入ろうとすると、なんとサニクリーンさん提供のカーペットが敷かれているではないか。普段選手入場時に花道を作るように敷かれているカーペットが、こんなところでお目にかかれるとは。否応にもテンションが上がってしまう。普段映画のポスターが貼ってある小窓にも、トップチームのポスターが貼られていて、完全な長野仕様だ。


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きっと、このカーペットは純粋に映画を見に来た人の目にも止まることだろう。視認して頭の中に「AC長野パルセイロ」がインプットされる。大事なのはこの刷り込みだ。頭に刷り込んでおくことで、また何かの機会で長野を目にしたとき、「あのときの」と思い出すトリガーになってくれる。長野という存在が身近に感じられ、チケットを買ってくれる可能性だってあるのだ。スタジアムにお客さんを呼ぶには、露出の機会を様々な場所に設けることが必要だ。これだけでもグランドシネマズでライブビューイングを開催した価値があるとさえ思う。提案した人に賛辞を送りたい。ありがとうございます。




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開かれたままのドアをくぐり、劇場内に入場する。全体を覆う黒い壁。リノリウムの床に赤い座席が規則正しく並ぶ。灰色のスクリーン。暖房のまったりとした温かさ。観客の期待を集めて高揚する空気。自分がいつも入るシアターそのままで、その変わらなさに安心する。


スクリーンの下にはお立ち台。そして、その下にはパイプ椅子が四脚。シートの色はオレンジだ。その隣にDAZNと長野の幟が2枚ずつ。三角形のスピーカーが両隣に立てられ、ミキサー台が隅っこにぽつんと置かれている。お客さんが半分から三分の二ほど入った十二時十分。この日のプログラムが開始された。


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まず、登場したのは大橋営業担当と、FMぜんこうじのパーソナリティ宮島さん。軽快なトークが繰り広げられる。段取りはプロ並みとはいかないが、実際の舞台挨拶もこんな感じなのかなと思いを巡らせる。


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二人が少し話した後に、ゲストの選手が呼び込まれた。この日登場したのは#15西口選手#21立川選手。ユニフォーム姿での登壇に、サポーターも浮足立つ。拍手で迎え入れられ、椅子に座った二人の顔は少し浅黒く、太い筋肉質な足がサッカー選手であることを物語っている。足を広げてリラックスした様子だが、顔はガチガチに強張っていて、出てくる言葉もどこかたどたどしい。#21立川選手は「試合よりも緊張します」と語っていたが、そう話す顔の筋肉は硬直していた。


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話題はキャンプについて。和歌山キャンプ(#21立川選手の地元は和歌山だそう)は、多くの日程が二部練習だったようで、「今までで一二を争う厳しさ」だったらしい。トークが進んでいても硬さは取れないまま。その空気はサポーターにも伝播する。大橋営業担当が質問コーナーを設けようとするが、誰も手を挙げなかった。いつもとは違う神妙な空気に抗うのはとても勇気がいることだった。


サポーターを交えてフォトセッションを行われた後も、トークショーは続けられる。いつの間にかパイプ椅子がもう一脚増えている。呼び込まれたのはKIRINの長野支社支店長の椎谷氏。髪型は中央で分けられており、背がスラっと高い。スーツの前ボタンは外されていて、少しラフな印象を受ける。


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椎谷氏が登場した瞬間、#15西口選手の背筋がピンと伸びた。実は、椎谷氏は京都産業大学卒業で#15西口選手の先輩にあたる。#15西口選手とは大学の繋がりで、度々食事に行く間柄だそうだ。椎谷氏が登場してからというもの#15西口選手は明らかに委縮していて、視線も定まらない。そんな#15西口選手に椎谷氏は関西弁でつっこんでいく。新婚生活や去年の成績をいじられて#15西口選手はタジタジ。まさに蛇に睨まれた蛙。でも、椎谷氏が入ったことで硬直した空気も少しは緩まり、トークも滑らかに回り始めたので、結果としてはよかったのかもしれない。#15西口選手には少し気の毒だけれど。




トークショーも終わり、いよいよDAZNの中継が画面に映される。いつもならまず善光寺の表参道が映され、これでもかと結婚式場の広告が続き、「エイブルで契約した人数はスロバキアの人口よりも多い」というよく分からない情報が流れるが、この日はいきなりDAZNの中継画面が映し出された。いつもウォーミングアップの役割を果たしてくれる映画泥棒も、この日はご無沙汰で寂しい。心のどこかで映画泥棒が流れたら面白いなと思っていたが、まあ当然だ。


DAZNの中では雨が降りしきっていて、多くのサポーターが合羽を着て、雨に打たれながら声を出していた。あの場所に行きたかったという後悔と、ぬくぬくしながら見られるという優越感が心の中でせめぎあう。入場時のチャント「sky」に合わせて、劇場内のサポーターもタオルマフラーを掲げる。高揚感が高まっていく。


東日本大震災の犠牲者に黙とうが捧げられ、劇場内が暗転した。いよいよ始まるという空気が劇場を包んだ。手拍子とAC長野コールが巻き起こる。スタジアムのそれよりは控えめだったが、応援しようという確かな意思が感じられた。気が付けばほとんどすべての席にサポーターが座っている。満員の劇場にキックオフの笛が鳴った。









試合開始直後から、長野は選手が足を滑らせてしまう。いきなりのピンチに悲鳴が上がり、劇場全体がほっと息をつく。その後の長野のシュートシーンには、「よし」という声援が上がる。いけいけと声がもれる。少しのプレーで拍手が起こり、ため息が出る。思い思いに喋っている人の存在に、ここは自宅なのかと錯覚する。シートはスタジアムの椅子と違い、体の重みを吸収してくれることも、リラックスして見られる要因だった。劇場のよそいきな空気が、少しずつアットホームなものへと変わっていく。


ただ、そこは映画館の大スクリーンで見るサッカー。当然自宅とは違う。スクリーンのあまりの大きさに、固まった視界では全てを捉えきれない。目をあちらこちらに配らせる必要がある。5列目という前列よりの席ならなおさらだ。その迫力に圧倒されて、口の中が乾いてくる。事前に買ったコーヒーが著しいペースで減っていく。


しかし、画面はどうだろう。大画面に映されたDAZNの中継は明らかに画質が悪い。テレビやPC、スマートフォンで観られることを想定した映像は、映画館の大スクリーンに耐えうるものではなかった。選手の動きも旧世代のゲームのようにどこかぎこちない。引き延ばされて粗くなった映像と、滑らかでない選手の動きは臨場感があまり感じられなかったのが正直なところである。


それは例えるならば30年代の映画。白黒で画素数は低く、人物の輪郭はぼやけている。フィルムの繋ぎ目で、ときおり画面に黒い線が現れるあの感じ。5秒前からのカウントダウンによく似ていた。この日の熊本は雨が強く打ちつけていて、画面が少し暗い。それでも大体の映画よりは明るいのだが。ふとした瞬間に白い雨が画面を流れる。それがいい塩梅で映画的な雰囲気を醸し出していて、スマートフォンで撮影したかのようなハンドメイド感があった。


それに、いつも見ている映画とは何かが決定的に違う。臨場感が感じられない。なぜだと少し考え込む。そして分かった。音だ。音がいつもと違うのだ。普段の映画だったら、壁に取り付けられたいくつものスピーカーから音が流れてくるはずだ。多層的な音の波で観客を飲み込み、映画に臨場感を与え、没入させる。それが映画館の音なのだ。


しかし、このライブビューイングは違う。音が出てくるのはスクリーンの両脇にある2つのスピーカーからだけ。壁に取り付けられたスピーカーはただの飾りだ。音は単層的で、観客を飲み込むだけのパワーが感じられず、どこか冷めてしまう。私が想像していた映画館でサッカーを見るというイメージからは程遠かった。もっと迫力のある音で見られると思っていたのに。ここはもし次回があれば一番に改善してほしいポイントである。


それでも救いだったのは画面で展開されていたサッカーが面白かったことだ。枷が外れたかのように勢いよく走る。前線から守備をし、球際も激しい。攻撃の際もペナルティエリアに入る人数が明らかに増えている。人の心を動かせるようなサッカーがスクリーンでは展開されていた。生まれ変わろうとする意志がうかがえる。


前半は0-0で終わった。劇場内が明転する。15分のハーフタイムという名の休憩だ。スタッフからは「再入場の際はチケットの半券をお持ちください」と映画館には似つかわしくないアナウンスも聞こえる。トイレに、売店に外に出る人の多さは驚くほどで、今回のライブビューイングの特殊性が感じられた。









15分の休憩が終わり、再び劇場が暗転する。後半がキックオフ。


後半立ち上がり、長野にゴールが生まれる。#18内田選手のクロスに#14東選手が合わせて先制。ボールがゴールに吸い込まれた瞬間、目の前が上げられた腕で埋め尽くされた。今シーズン初ゴールを優勝候補の熊本から上げたのだ。これが嬉しくないはずがない。劇場内は叫声に包まれた。ハイタッチをしている人もいる。普段映画を見ているときには決して味わえない体験。周囲と一体となって感情を表現できるのはライブビューイングの大きな魅力だ。


熊本は空中戦に強い#11三島選手を投入する。さらにクロスが得意な#24高瀬選手も投入し、#11三島選手の高さを徹底して使う攻撃にシフト。長野は押し込まれていく。#3大島選手を投入し守備固めを狙うが、状況は変わらない。劇場の雰囲気も祈念が増える。迎えた後半三十四分。#3大島選手が裏に抜け出した#9原選手を倒してしまった。このプレーで熊本にはPK。そして#3大島選手にはレッドカードの提示。


ボールの近くに立つのは#9原選手だ。絞り出されるような祈りが支配する劇場内。胃が縮むようだ。しかし、その祈りも届かず、#9原選手は落ち着いてPKを決めて、熊本が同点に追いついた。


そこからは一人多い熊本が押し込む。ロングボールを入れて一気にフィニッシュに結びつけようとする。じわじわと追い詰められていく長野。それはまるでホラー映画で、怪物に襲われる主人公たちのようだ。暗闇の中から飛び出してきて、主人公と観客に恐怖を与える。どこから襲ってくるか分からない緊迫感。


さらに、大スクリーンが感情を増幅する。間近に大画面があることによる心理的な圧迫感。暗い空間ということも相まって、テレビやスマートフォンとは段違いの説得力を生んでいる。目を反らしたくなるけど、画面での攻防に釘付けになってしまう。手に汗を握り、コーヒーはいつの間にかなくなっていた。この説得力は映画館でなければ決して味わえない。


後半41分。劣勢だった長野がセットプレーを獲得する。もし決めるならここしかないという場面。#29山田選手がミドルシュートを突き刺した。怪物に追い詰められていた主人公の反撃に、劇場内は大きく沸く。今までの鬱積されたフラストレーションが一気に解放されたかのようで、一点目よりもその反応は大きい。興奮が劇場内を駆け巡る。この日一番の盛り上がりだった。


ただ、怪物も諦めてはいない。獲物を捕食しようと鋭い牙を剥き出しにする。熊本は長野が勝ち越した直後に#9原選手の2点目ですぐさま同点に追いついた。劇場内から嘆息が漏れるが、ムードが盛り下がることはない。サポーターが固唾を飲んで試合の行方を見つめている。


試合は最終盤に突入する。怪物と主人公のギリギリのせめぎあい。怪物の赤い舌が主人公の眼前まで迫る。映画だったらクライマックスで、最も盛り上がるシーンである。足が小刻みに震える。心臓がきゅっと締め付けられる。喉元からコーヒーがせり上がってくるかのようだ。今、後ろから肩に手を置かれれば、きっと腰を抜かしてしまうことだろう。ロングボールを入れる熊本と跳ね返し続ける長野。4分のアディショナルタイムがその何倍にも感じられた。


試合終了の笛が鳴る。試合は2-2でドローに終わった。主人公は捕食されることなく、逃げることに成功したのだ。劇場内にはなんとか負けなかったという安堵と、勝てた試合だったのにという悔しさの2つの感情が吐き出される。後者の方が支配的に感じられたのは、これからに対する期待の表れだろうか。健闘を称えるようにAC長野コールが送られた。明転した劇場内には清々しい空気が立ち上っていた。試合が終わってもサポーターの数はなかなか減らない。まるで激闘の余韻を噛みしめるかのように。









今回、初めて長野グランドシネマズ様で行われたライブビューイング。想定していたより臨場感はなかったが、大スクリーンでの強い説得力に圧倒され、終わった後には素直に来てよかったと思うことができた。ぜひ第2回を開催してほしい所存だ。そのときはさらに大きいスクリーン1で、ライブビューイングを行ってほしい。多くの人数が集まるとより一体感が高まるから。


最後に今回のライブビューイングを開催してくれたクラブ、そして長野グランドシネマズ様に改めて感謝の意を述べて、結びの言葉としたい。


本当にありがとうございました。


おしまい





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右腕に巻かれたリストバンドが、まだその感触を伝えている。今日一日の出来事が確かな現実であったことを示しているかのように。私はベッドの上でそれを丁寧に外す。これで本当に終わったのだ。二度と訪れることのない2018年7月28日が。



















午前4時45分。起床を告げるスマートフォンのアラームが鳴った。夏とはいえ、この時間帯はまだ太陽も目を覚ましていない。私は重たい頭をなんとか上げて、出かける準備をした。チケット。財布。雨合羽。それらをボロボロで、見てくれの悪いリュックに詰め込む。そして私はAC長野パルセイロのユニフォームに袖を通し、駅に向けて自転車を漕ぎだした。空には明るくなっていた。


ーJリーグ苗場支部。

それは10年ほど前からフジロックで行われている集会だ。Jリーグクラブのサポーターと呼ばれるファンが、それぞれのユニフォームを着て、会場である苗場スキー場に集まる。そしてそこでビールを片手に交流をしたり、全員で集合写真を撮ったりするというのが通例となっている。


私は前々からそのJリーグ苗場支部に興味を持っていた。行ってみたいと思っていた。だが、夏フェスと呼ばれるものに行ったことのない私にとって、目の前に立ちはだかるハードルは、めっきり姿を見かけなくなった電話ボックスほどに高かった。


そんな私のもとに木曜日、つまりはフジロックの前夜祭の日、その楽しそうな様子がツイッターのタイムラインを通して流れてきた。行ってこの盛り上がりを体験してみたいと思った。そのとき、私の心の中に階段が築かれ、今まで越えられなかった電話ボックスを越える大きな助けになってくれた。その翌日、私はコンビニでチケットを買った。自分でも驚くほど何も考えずに買うことができた。

















空が完全に明るくなり、一日を迎える準備が整った午前6時頃。私は駅に到着した。フジロックのチケット代は2万円と高い。だから私は少しでも節約するために、行きは鈍行で行こうと考えたのだ。今考えると、その判断は誤りだった。だが、そのときの私はそんなことなど露知らず、走ってローカル線に飛び乗った。


車窓から見えるのは田畑の緑や林の緑。人間に整備されているのといないのとでは、同じ緑でも微妙に色合いが違う。後はトンネルの灰色。しかし私はそういった車窓からの風景には目もくれず、睡眠に集中していた。電車には私と同じくフジロックに行くと思しき高校生の二人組しか乗っていなかった。目を覚ましたときには幾分増えていたが。


乗り継ぎを2回して、目的地である苗場スキー場へのシャトルバスの発着点・越後湯沢駅に到着した。家を出発してから、4時間ほどが経ってのことだった。電車が止まった瞬間に一斉に立ち上がる乗客がなんだか可笑しかった。「ああこの人たちもフジロックに行くんだな」と一方的に仲間意識を感じてしまったりもした。


駅から一歩外に出ると、そこには100人ほどの人々が、投げられた餌に集る鯉のように、いた。そこで手渡されたのは手書きの会場案内図。地元である湯沢の人が書いたそうで、温かみが伝わってくる。また、その裏面は駅前の地図になっていた。この地図を提示すると、いくつかの店でサービスが受けられるというものだった。私はその地図を参照し、各ステージの位置関係を頭に入れてバスに乗り込んだ。


シャトルバスは山道を行く。スマホを弄るのにも飽きた私は、再び寝ることを試みた。しかしバスは上下左右に揺れる。寝ることなどできなかった。なんとなく外を眺めていたところに目に入った弾幕。


「フジロックまであと15km!スピードは控えめに」


「マジかよ」と思った。そんなにあるのかと鬱蒼とした気持ちになりかけた。私は音楽プレイヤーで、この日出演するThe Birthdayの曲を聴きながら、なんとかバス移動をやり過ごした。途中、まるで進むことを忘れてしまったような渋滞にも巻き込まれたときには「これじゃ十一時からのJリーグ苗場支部に間に合わない」と焦ったが、諦めずバスが進むのを待った。越後湯沢駅を出発してから約一時間。バスは会場の苗場スキー場に到着した。Jリーグ苗場支部の開始時間である11時まで後5分もなかった。








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バスは苗場スキー場に到着した。リストバンド引換券を手に、ゆったりと歩く人たちの隙間を縫って先を急ぐ。気分は「アイシールド21」の小早川瀬那だ。待ち遠しい気分だと時間が過ぎるのが遅くなるという相対性理論的な思いをしながら、リストバンド引換所に到着した。引換券を差し出し、水色の今日一日限定のリストバンドを手に入れる。私はその2万円を早速、腕に巻いた。私が四日働いて得られる賃金と同等のそれは、実際の重さよりも重く感じられた。


ゲート前で撮影する人たちに倣って、私もゲートの写真を撮る。自分は見てて気持ち悪いから入れない。リストバンドに埋め込まれたICチップを、専用のリーダーに読み込ませて入場が完了した。このとき11時15分。Jリーグ苗場支部の開始時間11時からだから完全に遅刻である。同じくユニフォームを着ていた何人かの人を追い越しながら、オアシスエリアの櫓に辿り着く。するとそこには様々なチームのユニフォームを着たサポーターたちが櫓を取り囲むようにして、いた。赤も青も黄色も緑も紫も。まるで文房具屋に並べられている色鉛筆のようだった。GREEN STAGEからeastern youthが聞こえていた。



司会の人が言っている。


「続いてはJ219位、カマタマーレ讃岐。カマタマーレ讃岐サポーターの方いらっしゃいませんか」


事前のツイートでは、まずビールで乾杯を行い、それから、J3の下位チームから自己紹介をするという手筈だったはずだ。それがJ2の19位から始まっている。ということは、J3で12位につける長野の順番はもう終わってしまったということなのか。


辺りを見回してみると、2人の長野サポーターの姿を視界に捉えることができた。近づいてみると、2人は一瞬驚いたような顔をしたが、その顔はすぐに笑顔に変わった。


「こんにちは」
「あっ、こんにちは」
「あの、長野の順番ってもう終わったんですか」
「うん、うちらこの順位だから一番最初に呼ばれたんですよ」

やはり長野の順番は終わっていた。各チームサポータの紹介は、まず挨拶、そしてそのチームのチャントと呼ばれる応援歌を歌うという流れで構成されていた。となれば、この2人は70人ほどのサポーターの前で一体どんなチャントを歌ったのだろう。


会話は続く。

「お二人はこちらに来られて長いんですか?」
「そうですね。今年で7年目くらいですかね。JFLの頃から」
「私は今年初めて来たんですよ」
「そうなんですか!?よく来ましたね!」
「あの、興味があったんで」
「なるほど。いつもこの2人なんで嬉しいです」


そうして3人で写真を撮った。他のサポータに撮影をお願いしてもらい3人でタオルマフラーを掲げている写真を撮った。


また、見ると一人の方の手には八幡屋磯五郎の七味の子袋があった。聞くとこれを各チームのサポーターに配るのだという。そういえばJリーグ苗場支部のツイートにもお土産歓迎と書いてあり、実際にアルビレックス新潟サポーターは挨拶の後に、フィクションのなかで手配書を配る軍隊のごとく、ハッピーターンをばら撒いていた。どうやらこのハッピーターンばら撒きはJリーグ苗場支部でも恒例行事となっているらしく、名古屋グランパスのサポーターや北海道コンサドーレ札幌のサポーターも地元の銘菓をばら撒いていた。私のところには一つも来ることはなかったが、貰って喜んでいるサポーターは多かった。


挨拶は延々と続く。私はその割と早い段階、J2の15位か16位くらいに、お昼ご飯を買いに行った。数多くある店の中で私が選択したのはインドカレー屋さんだった。Jリーグでもインドカレーを提供しているスタジアムは数多くある。中でもその代表格と言えるのがジェフユナイテッド市原・千葉のサマナラカレーだ。いつか食べたそのサマナラカレーの美味しさが私の中で思い出され、気づいたら出店の前に立って注文をしていた。注文したのはバターチキンカレー。甘口で子供にも食べやすいとの触れ込みだ。ナンorライス?という質問にはナンと答えた。


カレーは美味しかった。確かに甘かったがスパイスもちゃんと効いていた。ナンも素朴な味わいで美味い。いくらでも食べられる味だと感じた。私はJ2チームのサポーターの挨拶を聞きながらそのカレーを貪り食べた。ファジアーノ岡山サポーターが名物の桃太郎チャントを歌っていた。


J2チームのサポーターの挨拶が終わるとインターミッションとして、野球チームのユニフォームを着たファンが挨拶をした。横浜DeNAベイスターズや埼玉西武ライオンズのユニフォームが多かったように思う。前に出て喋っていた人も西武ユニだった。「今年は西武が(日本シリーズ)獲りますんで」という意気込みの後に、西武のチャンステーマが歌われた。続いてBリーグチームのユニフォームを着た人が3人前に出てきた。「BリーグとJリーグはシーズン被ってないんで、Bリーグもよろしくお願いします」ということだった。私は毎年Bリーグを観に行っているし、来シーズンも観に行きたいと考えた。新しく建設された千曲市のアリーナで。


時計は12時を回った。J1チームのサポーターの挨拶だ。名古屋グランパスのサポーターが「あなたのチームでベンチを温めている選手はいらっしゃいませんか」と呼びかける。柏レイソルのサポーターが仙台さんごめんなさいと、退団したハモン・ロペス選手のチャントを歌えば、鹿島アントラーズのサポーターが移籍した金崎選手のユニフォームを持ってきて「鳥栖サポはいませんか」と声をかける。浦和レッズのサポーターの挨拶時には愛のあるブーイングが流れ、FC東京のサポーターがフジロックのおすすめグルメを周囲のサポーターに尋ねる。挨拶時にもサポーター同士が思い思いに話している。普段のスタジアムではなかなか見ることができない光景がそこにはあった。大迫半端ないってゲーフラを掲げる鹿島サポーターの写真を撮ろうとする他サポーターの姿が印象的だった。


J1で首位に立つサンフレッチェ広島のサポーターの挨拶が終わると、全員で写真撮影という流れになった。左にポジションを取り、タオルマフラーを掲げる長野サポーター3人。とられた写真には1人しか写っていなかったが、長野サポーターは毎年来ている2人と私、ちゃんと3人いたのだ。


「来年は3人で挨拶しましょう」
「はい、ぜひよろしくお願いします」


一言二言交わして、途中松本山雅のサポーターと写真を取ったり、「全然バチバチしてない笑」と言われながら、私はJリーグ苗場支部を離れた。初めてのJリーグ苗場支部は思っていたのの半分ぐらいしか楽しむことができなかった。それは私が最初の乾杯から参加しなかったからで、アルコールが入っていればまた何か違ったのかな、と感じた。










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私の他に2人来ていた長野サポーターのそのうちの一人についていく。目指すはフジロック最大4万人の収容人数を誇るGREEN STAGEだ。曇り空の下を歩く。そしてGREEN STAGE前に辿り着いた。立ち見エリアのちょうど真ん中あたりに立った私の左斜め前にはFC東京のサポーターがいた。いや、それだけではない。他に確認できただけでも清水エスパルス、横浜F・マリノス、そしてAC長野パルセイロのサポーターの姿を確認することができた。12時50分、GREEN STAGEにSEが響く。The Birthdayの登場だ。


ステージにクハラさん、フジイさん、ヒライさんが登場し、その度に歓声が上がる。そして、最後にチバさんが登場すると、一際大きな歓声が上がった。SEが止まる。会場内が一瞬静まり返る。


とんでもない歌が 鳴り響く予感がする そんな朝が来て 俺


気づくと口が開いていた。歌っていた。私の好きな「くそったれの世界」だ。そしてそれは周りもそうだった。チバさんが一言目を発した瞬間、幾多の手が振り上げられ、声にならない声が飛んだ。「そーれーだーけーで」「どーこーとーなーく」の大合唱。みんなこの曲が好きなんだなと感じた。


「くそったれの世界」で観客の心を一気に掴んだThe Birthdayはそのまま「LOVE GOD HAND」「FULLBODYのBLOOD」へと流れ込む。観客は早くもヒートアップし、一応は禁止されているはずのモッシュを前方で繰り広げている。何人かが担がれてそのまま前に運ばれて行く。それを、屈強が服を着たような外国人スタッフが押し返す。初めて見たその様子がなぜか可笑しかった。


「晴れバンド The Birthdayです」とクハラさんが曲の合間に声を上げた。山とあって天候が変わりやすい苗場スキー場の空は雨こそ降っていなかったものの、このときは曇っていた。日照時間が短い地域の人は空が雲に覆われていても雨さえ降っていなければ晴れと言うが、それと同じ感じだろうか。それともフジロックの特殊な全能感ある雰囲気がそうさせたのか。


「カレンダーガール」の後、チバさんによる短いMCが挟まれた。

今日は晴れてるな。うん?曇りか。まあいいか。

そして演奏されたのは「24時」。ヒライさんの妖しいベースが印象的な曲だ。会場にその重低音がクハラさんのドラムと合わさって、これでもかというぐらい響く。ドシンとくるという言葉がぴったり当てはまるようだった。


「Red Eye」では間奏でチバさんがハーモニカ―を吹いていた。武骨な外見とは正反対のハーモニカの音色がとても綺麗だった。


そして新曲の「THE ANSWER」を会場に浴びせかける。クールな曲だが観客のテンションは鎮まること様子など魅せずどんどんヒートアップしている。


MCを挟んで披露されたのは「COME TOGETHER」。フジイさんのギターのリバーブが会場に響く。そして「Get up, COME TOGETHER」 の大合唱。会場は確実に一つにまとめられていた。


チバさんがギターのフレーズを弾いた時にまた歓声が上がった。「電話 探した あの子に 聞かなくちゃ 俺 今どこ」。


俺とお前のフジロックだ!!


チバさんのこの一言で堰が切られた。観客が横から後ろから飛び出してくる。まるで強力な磁石に引き付けられるクリップのように。標的をロックオンした蜂のように、前列ではより激しいモッシュが形成された。私は巻き込まれまいと必死にこらえた。前にやたらかわいい女性が出てきてドキッとした。口を精一杯開けて「涙がこぼれそう」と歌った。本当に涙がこぼれそうだった。


その勢いのままThe Birthdayは「なぜか今日は」と畳みかけてきた。サングラスを外したチバさんの視線にドキリとした。顎ひげを蓄えたその姿が何もかも吹き飛ばしてしまうぐらい格好よかった。


最後に「1977」を演奏し、観客のテンションを天井を突き破るほどに上げたまま帰っていったThe Birthday。4人ともがすごくセクシーで、大人の色気に溢れていて格好よく、こんな年の取り方をしたいと感じた。これだけでもフジロックに来てよかったと、そう思えた初めてのThe Birthdayのライブだった。




















The Birthdayのライブを終え、観客がぞろぞろと動き始めた。オアシスエリアに向かいたいが、牛の歩みのごとく、なかなか前に進まない。それでもオアシスエリアに到着すると、人の流れは幾分か解消された。私はオアシスエリアを右に曲がり、ドラゴンドラと呼ばれる山頂へのゴンドラへと歩みを進めた。木陰で人々が椅子に座って涼をとっていた。


屋根付きステージRED MARQUEEのそばの券売所で乗車券を買う。料金は1500円。サービスデーなら映画が1本観られる料金だ。正直お高い。フジロックは全体的に何でもお高かった。大人一枚分の乗車券を購入し、私がさらに右へと歩き始めた。


ゴンドラに着くまでは軽い登山ともいえる登り坂を上った。階段があるところはまだよかったが、ドラゴンドラ直前の坂はきつかった。20度くらいの傾斜があるうえ、石がごろごろしている。少しでも油断したら足を取られて転びそうで、しかし私はずんずんと前を歩く人を何人か抜かしながら歩き、ドラゴンドラ乗り場に辿り着いた。


やってきたドラゴンドラは全面が青く塗られていた。その青に大きな窓がはめ込まれている。空の青よりも数段青いそれに乗って山頂への旅が始まった。ドラゴンドラの情報には少し隙間が空いていて、そこから風が入ってきていたが、特に涼しいということはなかった。うちわが置いてあったのが助かった。


太いワイヤーにつるされたドラゴンドラは山道を登っていく。中継地点は35あるようだ。右側にはフジロックを楽しむ人たちが豆粒のように見える。その姿はすぐに見えなくなり自然の風景となる。夏の深緑が私の目に飛び込んできた。木々は下から見上げるときは、太陽の影になって黒みがかって見えるが、遠くから眺めてみると、完全な緑になっている。絵具を水で溶かずにそのまま塗ったような景色だった。


ゴンドラは順調に山を登っていく。しかし、登ってばかりかと思いきや下る時間もあった。一つ山を越えると谷が来た。ワイヤーはピンと下に向かって伸びている。安全だと頭では分かっていてもやはり怖い。まるでジェットコースタのよう、というよりジェットコースターそのものだった。同乗者もざわついている。それをよそにゴンドラは一気に急降下し、渓流が私たちを迎える。流れる水が透き通っていて、思わず私はスマートフォンを構えた。ドラゴンドラは落ちることなくまた山を登り始めた。その当たり前のことが嬉しかった。


麓では25分程度とアナウンスされていたのに、ドラゴンドラはそれよりもずっと短く、15分ほどで私たちを山頂に連れて行ってくれた。おぼつかない足取りでドラゴンドラを降りて、外に出る。標高一三四六米と書かれた木の棒が地面に刺さっている。高いは高いとは思うが随一の山岳県・長野に住んでいる私にはそれほど高く感じなかった。


山頂にあったのは山小屋レストランと軽食を販売している売店が一軒ずつ。同じくドラゴンドラで登ってきた人が芝生の上に座って思い思いの時間を過ごしている。子供の遊び場もあり、その近くではDJによるクールなプレイがなされていた。張られた屋根の下で、それに合わせて踊る人たちの中に、26番をつけたアルビレックス新潟のサポーターもいた。私はそれを傍目に隣にある高台に上った。高台からは雄大な苗場の自然を眺めることができた。雲の隙間に時折り覗く青空。草の若緑と木々の深緑。遠くに見える湖はターコイズブルー。そこだけ時の流れが止まったかのように綺麗な風景だった。


朝早くからの活動で疲れた私は山小屋で休もうと考えた。そこではソフトクリームが売られていた。ソフトクリームは山の上で食べるのが一番美味しい。500円という高めの値段はそういった状況が込みの値段なのだ。トイレを済ませて券売機の列に並ぶ。いざ順番が来たと思ったら、ソフトクリームのボタンには赤いバツ印が灯っていた。代わりに私はポカリスエットのボタンを押した。


注文口でポカリスエットを受け取り、木でできた椅子に座り、乾いた体にポカリスエットを流し込む。その冷たさが心地よくて一気に半分以上を飲んだ。細胞が潤うのを感じた。


5分ほどそのままで座り、そろそろ下山しようと席を立つ。山小屋レストランを出ると、トラとカラスの着ぐるみが前を横切った。ひどくくたびれた着ぐるみだった。年代物なのだろう。その2匹についたお姉さんが、これからライブをしますと呼びかけている。10人ほどの子供たちが前に座り、2匹と1人は何かを始めた。私はそれを横目で見ながらドラゴンドラ乗り場に吸い込まれていった。行きは景色が見えにくい側の席に座ってしまい、帰りは見えやすい位置に座ろうと考えていたのに、また景色が見えにくい席に座ってしまった。


ドラゴンドラは山を下っていく。すれ違った家族は手を振っていた。後ろを振り返り、降りていく様を眺める。ふと空に目をやると、一目見てヤバいと分かるぐらいの灰色の雲が空を覆っていた。ただならぬ様子の苗場の空は、これから一雨降らせてやるぞと意気込んでいた。










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ドラゴンドラを降りて、転びそうになりながら坂道を下り、再びオアシスエリアに戻ってきた。何かを口に入れたかった私は、飲食店を見渡した。白いご飯や焼き色のついたお肉、黄金色に輝くビールが私に手を差し伸べてくる。そのなかで私はラーメン店の手を取った。頼んだのは、にんにく醤油まぜそば720円。容器の熱さに耐えながら適当な日陰でしゃがむ。橋を割って麺を混ぜると茶色のスープが顔を出した。十分に冷ましてから口に入れる。強烈な濃い味付けが舌に刺激をもたらし、それが脳に届く。正直そこまで好きではない味だった。100円でプラスできる温玉があればもう少しマイルドな味わいになったのかもしれない。こんなににんにくの入ったまぜそばを食べたら、ライブのとき隣の人に迷惑だろうなとは、食べ始めてから気がついた。


なんとかまぜそばを平らげ、私はそばのRED MARQUEEに向かった。15時50分からここでライブを行うのはSuperorganism。「インターネットを介してイギリス、オーストラリア、ニュージーランドそして18歳の日本人Oronoが集結した8人組多国籍ポップカルチャー・ジャンキー集団」と公式サイトで説明されている彼ら彼女らを私が知ったのは、テレビ番組「関ジャム 完全燃SHOW」がきっかけだった。音楽プロデューサーのmabanuaさんが上半期楽曲ベスト5として、Superorganismの「Everybody Wants to be Famous」を紹介していたのだ。簡単な私はそれで彼ら彼女らに関心を持ってしまい、今回ライブを見ることにした、という運びである。


開演10分前にRED MARQUEEに入ると、既に9割が埋められていた。彼ら彼女らに対する注目度の高さが覗われる。普段はイギリスで活動しているだけあって外国の人も多かった。メンバーが多国籍だとファンも多国籍になるのかな、と感じた。私は前列30列目ぐらい、PA卓の近くにポジションを取った、いや、取らされた。メンバーの姿は当然見えそうにない。周囲から上がる歓声でメンバーが登場したのを知った。


ライブが始まった。スローテンポ、もしくはミドルテンポで展開される曲は、心地よかったが、どこか不穏なものを感じさせた。「It's so Good」というシンプルなフレーズがダウナーに繰り返される。それは大いなる中毒性を孕んでいた。スクリーンでは彼ら彼女らのMVが流れている。様々な動物が口をパクパクさせる映像がサイケだった。カバが多く登場したのが強く印象に残った。


RED MARQUEEはフジロック唯一の屋根付きステージだ。直射日光が当たらない代わりに、観客から放たれる体熱は上へと昇る。外に出ることもできずに残った熱は下の涼しい空気を制圧する。会場内はまさに蒸し蒸しとしたサウナだった。誰だか分からなかったがメンバーの一人も片言で「アツイ、メチャアツイ」と言っていたくらい。


その暑さに耐えきれず、会場の外に出る観客も相当数いた。会場の一人が出ると、その空いたスペースに後ろの人が入る。それを繰り返して少しずつ前に進んでいくのかと思いきや、そんなことはあまりなかった。そのスペースには後ろから別の観客が割り込んでくることも多々あり、前に進む進まないを繰り返して、それでも私は少しずつステージに近づいていった。


だが、相変わらずメンバーの姿はほとんど見えない。たまに人と人との合間からコーラスの3人がちょっと見えるくらいだった。一応は禁止されているはずの出演者の撮影。掲げられたスマートフォン越しにしかメンバーの姿が見えなかったのは、皮肉なものだった。


そんななかでも、ライブは続く。ゲーム音楽をふんだんに取り入れた遊び心溢れる曲や、セルフタイトルと思しき曲が演奏される。前の人に倣って手拍子をしてみたり、手を上げたりしているうちに少しずつ私は彼ら彼女らの作り出す独特な世界観にはまっていった。


そして、最後の曲として「Everybody Wants to be Famous」が披露され、ライブは幕を閉じた。少しずつハマりかけていたところだった私は「え?もう終わり?」と感じた。ここからが見所というところで、急にチャンネルを変えられた気分だった。後ろの人が「いや、最高」と感慨深げに呟いた。私は今回のライブでそこまでは達することができなかった。おそらく私には少し早かったんだと思う。ポップなのにも拘らず、「よく分からない」という感想が一番に出てきたのだから。でも、今まであまり聴いてこなかった音楽を知れてよかった、とも思った。











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そのまま、うまく働いてくれない頭をぶら下げながら、しばらく歩いた。GREEN STAGEは次に登場するバンドの準備をしていた。KIDS LANDでは大小さまざまな遊具で、子供たちが無邪気に遊んでいた。気にぶら下がっているイカのような謎のオブジェにぎょっとした。WHITE STAGEでは海外のバンドがロックンロールで大きな波を起こしていた。それらの一つ一つに視線を向け、少ししたらまた逸らして、私は歩いた。


どれくらい歩いただろうか。歩いても歩いても目的地に辿り着かない。何度も立ち止まっては、駅で貰った地図で自分が向かっている方向を確認した。途中自分が知らない国に来てしまったのではないかと思って不安になった。それでも、人の流れに流されながらも一歩一歩歩いていった結果、目的地に辿り着くことができた。RED MARQUEEから歩いて15分弱。FIELD OF HEAVENに到着した。ここで17時10分からハンバートハンバートがライブを行うのだ。


私がハンバートハンバートを知ったのは3年くらい前。大学の文化祭でバンドサークルの先輩がコピーしているのを見たのがきっかけだった。その時はいいなと思うに留まっていたが、今回フジロックに行くにあたってタイムテーブルを見ると、2人が出演するではないか。見に行こうと決めることに大した時間はかからなかった。


サウナのようなRED MARQUEEにいて、しばらく歩いて、私の喉はカラカラだった。ポカリスエットを売っている店を探したが、なかなか他のステージにある青い看板が見当たらない。やっとの思いで売っている店を見つけて、列に並んだ時には開演3分前だった。早くしないとライブが始まってしまう。私の心は逸った。


あと3人というところまで順番が回ってきたころ、ステージにドラゴンドラに負けない鮮やかな青い服を着た佐野さんと、水面のような模様がプリントされたシャツを着た佐藤さんが登場した。2人はすぐに演奏を始めるのではなく、MCから入った。台風とそれを心配する佐野さんお母さんみたいな話だったと思う。私は店員さんからポカリスエットを受け取り、ステージに急いだ。中央やや右のポジションが空いているのを見つけ、そこに入り込んだ。前にはガンバ大阪のユニフォームを着たサポータが立っていた。


大したオチもないまま、ライブはいきなり始まった。佐藤さんがギターを優しく鳴らす。佐野さんが会場を包み込むように歌う。


いついつまでも 暮らす家 探しに出かけましょう ミサワホーム


「ミサワホームかいっ」と、私は心の中でずっこけた。同時にこの歌を歌ってるのってこの人たちだったんだと初めて知った。


前半は佐野さんと佐藤さんの二人でのステージだった。「結婚しようよ」や「小さな恋のうた」など、多くの人が知る曲のカバーを中心にライブは進んでいく。二人の歌声のハーモニーが聴いていて気持ちよくて、豆犬と触れ合っているときのように、心の中が浄化されていく感じがした。私がよく知る「小さな恋の歌」も2人によるアコースティックなカバーだと、また違った味わいがあった。白いご飯のような安心感だった。シャボン玉がステージ左下から上がっていた。


何曲か演奏した後にまたMCが入る。佐野さんがしたのは電車で寄りかかって寝てくる人の話について、佐藤さんがしたのはラーメン屋さんで見たおじさんの話について。話を始めて間もないころから佐野さんは堪えきれず笑っていた。それにつられるように観客も笑う。とても和やかな空間だった。


そのMCの後に披露されたのは、歌による二人の掛け合いが印象的な「おなじ話」。二人の歌声。佐野さんのハーモニカ、佐藤さんのギターの音色、全てが美しく会場はすっかり聴き入っていた。


そして、二人は「ぼくのお日さま」「虎」と曲を重ねていく。どちらも私には思うところが多い曲だった。


「ぼくのお日さま」は、言葉に詰まる吃音持ちの子の気持ちを歌った曲で、私は吃音を持ってはいないが、言いたいことが上手く言えないのは同じで、「家に帰ると ロックが僕を 待っていてくれる」も、まさに高校時代の自分そのものだった。そういえばあの先輩も文化祭でこの曲をコピーしていたなあと思い出し、胸のなかのダムが水位を上げた。


「虎」だってそうだ。私にだってブログを書いていて、誰かの胸に届く言葉が書けたならと思うときがないとは言い切れない。今までそれは力不足で一回もできたことはなく、いつも書いた後「こんなんじゃダメだな」と思うことの繰り返しだ。だが、この曲はそんな気持ちもあっていいと教えてくれる、そんな曲だった。二人の伸びやかな歌声が会場全体を包む。ダムは決壊寸前だった。


「虎」のあと、再びMCがあった。それは感動的なMCではなく、アルバムの宣伝だった。結成20周年を記念して、二人きりの弾き語りアルバム「FOLK 2」が発売されたという宣伝だった。また、曲一切なしのMCのみを集めた70分のCDも存在しているらしい。そんな、さだまさしさんみたいな。


後半はサポートメンバーを招いてのバンド形態でライブは進んだ。その一発目の曲は、かの有名な、たまの「さよなら人類」。「今日人類がはじめて木星に着いたよ」が、観客席に横揺れが起こした。私も手を左右に振った。まさに「さよなら」という趣だった。


「がんばれ兄ちゃん」「国語」と曲が披露されていく。そのころ、灰色の雲にも持ち堪えていた苗場の空が、もう限界と雨を降らせた。しとしと降り始めた雨は少しずつ勢いを増し、雨合羽を着る人も出始めた。私も持参したパルセイロオレンジの雨合羽を着る。それは、無色透明の雨合羽のなかで、ひとつだけの暖色だった。


雨の中ライブは続く。テンションの上がった佐藤さんが「楽しいんで、もうちょっとやってもいいですか」と発し、演奏されたのは「おいらの船」。楽しい歌謡曲に観客も手拍子で合わせる。すると、いきなり佐藤さんが聞き覚えのあるギターリフを弾き始めた。ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」だ。私は思わず手を叩いて喜んだ。周りも同じように盛り上がっている。昔話のなかの人たちも、振られた打ち出の小槌から小判が出てきたときに、同じように盛り上がったのだろうか。サビの「Hello, Hello, Hello, So long」を、佐野さんは「太郎、次郎、三郎、四郎」と変えて歌っていた。そして、いきなり歌謡曲に戻る。その落差に私は再び心に中でズッコケた。


そして、最後は佐藤さんがギターをバイオリンに持ち替えて、披露されたのは「ホンマツテントウ虫」。ハンバートハンバートのフジロックでのライブは最後まで楽しいままで幕を閉じた。


初めて見たハンバートハンバートのライブは前半は癒され、後半は楽しく、とても素敵なものだった。このライブで私は一気にハンバートハンバートが好きになった。機会があればCDも買ってみたいなと思う。それと、私にハンバートハンバートを教えた二人の先輩にも感謝しながら、私はFILED OF HEAVENを後にした。










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急いで向かうはWHITE STAGE。時刻は18時10分。ユニコーンのライブ開演時間はとっくに過ぎている。空は暮れ始め、私は歩みを強めた。しかし、そこに立ちはだかるは「入場規制」の4文字。私達は迂回路を行くことを余儀なくされた。ゆっくりゆっくりカタツムリのようにWHITE STAGEを目指す。進まない列に気持ちは逸るばかりだ。そんななかWHITE STAGEに近づくに連れて、ユニコーンの演奏が聴こえてくる。それに勇気づけられながら、歩みを止めることなく進み続ける。


そして、WHITE STAGEに到着すると、そこには人がごった返していた。いや、ごった返すなんて言葉じゃ足りない。殺人的に思えるほど多くの人々がユニコーンのライブに駆けつけていた。1万5000人収容のWHITE STAGEのキャパシティギリギリに近いほどの人々が、民生さん、手島さん、EBIさん、ABEDONさん、川西さん5人が織りなすロックンロール・マジックに聴き入っていた。


たぶん「ペケペケ」が演奏されていたくらいだと思う。私はわずかな隙間を縫って観客の間に侵入していき、後ろから数えて3列目くらいに立っていた。5人の姿はテントに遮られて、全く見えない。上で5人の姿を映すスクリーンが頼りだった。


私は恥ずかしながらこのライブまでユニコーンのことをほとんど知らなかった。知っていたのは「大迷惑」と、宇宙兄弟の曲ぐらいだった。ただ、途中からでも、メンバーの姿が見えなくても、曲を全然知らなくても、ユニコーンのライブは感動できるものだった。


5人はそれぞれ胸にある熱い思いを楽器にぶつけていた。その演奏は熱く、どこか抜けていて、そして何より楽しいものだった。5人は本当に楽しそうに演奏するのだ。その熱や楽しさといったものが、観客にも伝播していき、最後列まで届く。そこには大きな一体感が生まれていた。「WAO!」のときに、最後列に近いところにいた私でさえ、自然に手を振って横に揺れることができた。それもユニコーンの作り出す一体感あってのものだった。


後列にいる観客でさえ否応なく巻き込み、ユニコーンのライブは進んでいく。「デジタルスープ」でゆっくりその演奏を聴かせたかと思えば、グランジ感のある「TEPPAN KING」で、雨のWHITE STAGEに大合唱を響かせる。その合唱がまるで空にまで届いたかのように雨は少しずつ弱まっていった。


感動したことがもう一つある。ユニコーンがライブをしている、その左側の空が夕焼け色に染まっていたことだ。そのオレンジ色は強烈で、どこにいても必ずといっていいほど目に入った。暖色であるオレンジ色は人の気分を上げる効果がある。夕焼けが観客のギアをさらにもう一段階あげ、それに呼応するようにメンバーの演奏もより一層熱を帯びる。異様とも言ってもいい空間が、WHITE STAGEでは形成されていた。


ABEDONさんが「まだまだいくぜー!!」と観客を煽る。そして、コールされたのは「大迷惑」。手島さんのギターがかき鳴らされる。ここで、会場のテンションは一気に爆発した。間違いなくこのライブ一番の盛り上がりだった。民生さんはステージを右に左に動き回り、観客を煽りまくる。観客もそれに応え、前列も後列も声を張り上げる。このまま大気圏を突き抜けて宇宙にまで行ってしまいそうな勢いがそこにはあった。


そして、ライブは最後の曲「OH! MY RADIO!」に突入した。名残を惜しむかのように、歌い続ける観客のおかげで、この曲の持つ希望がより浮かび上がっていた。大きな大きな希望が会場を包んでいく様に、私はとてもとても感動したのだ。初めて見るユニコーンのライブはフェスという特殊な環境が生み出す、エモーショナルな一体感によって、私にとても印象深いものになった。改めてフジロックに来てよかったと感じた。


















すっかり満足した私は、このユニコーンのライブを後に苗場を去ることにした。終電の時間が気になったというのもあるけれど。


いざ帰ろうとしても、列はやっぱりなかなか進まない。正規の道ではなく、BOARD WALKによる迂回路を通って帰ったが、その迂回路もなかなか進まない。ただ、それにももう慣れてしまっている私がいた。幸いゆっくりとはいえ止まることはなかったので、比較的スムーズにボードの上を進むことができた。


通りがかったGREEN STAGEでは、私の知らないケンドリック・ラマ―というラッパーが2万人ほどが集まった会場を熱狂の渦に巻き込んでいた。正直そこに入っていきたい気持ちもなくはなかったが、最後まで見ていたら終電に間に合わないなと思い直し、後ろ髪を引かれる思いでGREEN STAGEを通り過ぎた。


ライトアップされたゲートを通る。最初通った時には明るかったのに、帰るときにはもうすっかり暗くなってしまっていて時間の過ぎる速さを感じた。「また、来年ここに来よう」とはっきりと思った。目の前ではサーチライトが空に向けて光の筋を放っていた。照らされた雨が幻想的だった。










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バスに乗って少しスマートフォンを見たあと、すぐに眠った。行きとは違って新幹線で素早く帰った。かかった時間は行きの半分以下だった。そして、The Birthdayを歌いながら家に帰った。シャワーを浴びて、ベッドに横たわる。リストバンドはハサミを使って切った。切りながら「来年は行きも新幹線を使っていこう」と、そう思った。


私は横になった。明日もきっといい日になるよと、枕の隣のリストバンドが語りかけてきた。私は頷き、目を瞑った。いつもよりいい夢を見られるような気がした。







FUJI ROCK FESTIVAL'18 オフィシャル・パンフレット
SMASH CORPORATION
リットーミュージック
2018-07-26


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