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ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

タグ:内田万里






2017年12月24日。ふくろうずが解散した日。内田万里さん、安西卓丸さん、石井竜太さんからなるこの3ピースバンドの解散は私に大きな衝撃を与えました。石井さんはソロや他バンドのサポートで音楽活動を続けているのはすぐ確認できましたが、内田さんと安西さんはその後音沙汰無し。しかし、今年の4月に二人でライブを行うと、そこでミニアルバム「POM-pi-DOU」を会場限定で発売しましたね。その後「POM-pi-DOU」は七夕に数量限定で再販売され、私も購入。もう内田さんの音楽は聴けないと思っていたので、素直に嬉しかったのを覚えています(その時の感想がこちら)。


そして、その「POM-pi-DOU」は無事完売。内田さんの予想以上の反響があったようで、約5か月という短い期間で今度はファーストアルバム「何億光年のラブレター」が発売されました。発売日の12月24日はちょうど昨年ふくろうずが解散した日。この日に内田さんの新しい、それも素晴らしすぎるアルバムが聴けるなんて感慨深いものを感じます。


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「何億光年のラブレター」はソロ名義ですが、ふくろうず時代、そして前作に引き続きバンドサウンドを継承。ピアノやシンセだけでなく、ギターやベース、ドラムも入って賑やかさや華やかさを感じます。今回ギターとベースを弾いたのはふくろうずの元メンバーである安西さん。内田さんの曲の世界観に大きく貢献しています。さらに、安西さんはコーラスとプログラミングとレコーディングも担当したようで、一人5役をこなしています。すごい。


さらに、「キラーストリート」「プール」「恋わずらいだった」でドラムを叩いているのは上村竜也さん東京カランコロンのドラム、かみむー氏その人です。打ち込みのドラムが多い今作において、生ドラムでメリハリをつけて、アルバム全体を引き締めていますね。


そして、「何億光年のラブレター」では、これらのバンドサウンドが内田さんのピアノやシンセと合わさって、素敵なハーモニーを奏でています。内田さんのピアノも切実で胸に迫ってきていいですが、今作で特徴的なのがシンセの多用。多くの曲でシンセが曲自体の持つ表情を強調していて、強い印象をアルバムを聴いている私たちに与えてきます。それでいて曲の邪魔も全くしていないですし、使い方がとても上手いなあと思います。


また、これはふくろうず時代から続く内田さんの作る曲に共通して言えることですが、とにかくメロディーがとてもいいんです。明るさと悲しさの両面が同居する内田さんのメロディーは私たちの耳にしっとりと入ってきますし、アルバム全体に切ない雰囲気を持たせることに成功しています。こんなにもしっくりくるメロディーを作れる内田さんはやっぱり天才ですね。





アルバムは「リトル・テンポ」で幕を開けます。出だしの英詩からしてもう最高ですよね。舌足らずな内田さんの歌声で歌われる英語は、人懐っこくて不思議な魅力があります。間奏の突き刺すようなギターソロもとても好みです。


2曲目はこのアルバムのリード曲でもある「何億光年のラブレター」。別れ際の切なさを歌っています。「沈みかけた太陽が 青い月になれるかしら?」が詩的でいいですね。こちらも感想の引き裂かれるようなギターソロが魅力です。


3曲目は「キラーストリート」。アップテンポで「嫌い、嫌い、嫌い、大嫌い」と歌う半ばヤケクソみたいな曲です。他にも「うざい」や「あのやろう」など攻撃的な言葉が歌われていますね。このアルバムの中でベースの存在感が一番ある曲で、そこが好きです。最後にすっと終わるのも虚を突かれた感じでいいですね。


4曲目は「プール」。ダウナーな曲調で、這い寄るシンセとベースがプールの浮遊感を醸し出していますね。「あーあ」の連呼が投げやりで好きです。最後、切なそうにささやくのもいいですね。すごくきゅんとします。


5曲目は「シンドローミィ」。明るい曲調に鮮やかなシンセがマッチしていて、アルバム一爽やかな曲です。それに反して歌詞は切実。「さよなら」や「GOODBYE」が多く登場する別れの曲ですね。サビで入るドラムのカウントがいい味出しています。



6曲目は「恋わずらいだった」。ここまでバンドサウンドを聴かせてきてからの、いきなりのピアノとシンセのみ。引き算が上手く機能しています。最後の錆びの盛り上がりはアルバムのなかでもピカイチ。奥が深くてハッとするような歌詞も合わさって、個人的にはこのアルバムで一番好きな曲です。


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ここからは推測になるんですけど、このアルバムでこの「恋わずらいだった」が一つのターニングポイントになっていると思うんですよね。5曲目のタイトル「シンドローミィ」。これは「症候群」を意味する英語「Syndrome」に「~のような」という意味がある「-y」をつけて形容詞化したものなんですよね。で、この症候群のもととなっている病気が何かっていうと「恋わずらい」なんですよ。ここで5曲目と6曲目が繋がっていることが示唆されています。


「恋わずらい」という言葉は手元の電子辞書によると「ある人を恋い慕う気持ちから募ったあまり病気のようになること。こいのやまい」という意味だそうです。恋わずらいになるとその人のことしか考えられなくなって大変です。その思いを伝える方法は様々ありますが、そのうちの手段の一つがそう「ラブレター」です。


見返してみると、このアルバムには全曲に二人称が登場しています。「あなた」「君」「YOU」と形は様々ですが、どの曲の歌詞にも想い人を想起させる言葉が挿入されています。これはどういうことか。ラブソングに「君」を登場させるのはセオリー通りですが、私はタイトル通り「ラブレターを書いている」という体になっていると思うんですよね。


私はラブレターを書いたことがないんですけど、好きっていう気持ちを伝えるのって難しいじゃないですか。対象のどこが好きなのかについて熟考しなければならず、しかもそれを言葉にしなければいけない。上手く書けずに苦労して、気分も乱高下することでしょう。それを「何億光年のラブレター」では「好き 好き 好き」(何億光年のラブレター)、「嫌い 嫌い 嫌い」(キラーストリート)、「君のことが好き うそ」(プール)などの言葉で表現しています。イメージとしては2~5曲目が6曲目につながっているイメージですね。一つの大きな流れになっています。




そして、アルバムは7曲目の「トリケラトプス」に続きます。前々からあったらしいこの曲はスローテンポでじっくりと聴かせてきます。内田さんの「心がちぎれそうだよ」には、本当にちぎれそうな切実さがこもってますね。


アルバムを締めくくるのは「ファ・ラ・ウェイ」。「ファラウェイ」とは「遠く離れた」という意味。遠くに離れてしまった君を歌った曲です。乾いたベースとディストーションの効いたギターが葛藤している感じが出ていて好きですね。


さらに、この「ファ・ラ・ウェイ」では「君は死んじゃった」と種明かしがなされます。このことを思うと、「トリケラトプス」の「トリケラトプス=絶滅=死」や「冷たい頬にキスをして」などは伏線だったことが分かりますね。また、「君は死んじゃった」ということを念頭に置いて、もう一度アルバムを最初から聴き直してみたらどうでしょう。おそらく違った印象を受けるのではないかと思います。無理して明るく振舞おうとしていたことも分かり、ラブレターは届かないことを思うと、切なさがさらに増幅されていきます。「何億光年のラブレター」はアルバム全体で一つのストーリーを物語っていますね。それもとても切ない。この切なさが個人的にはばっちりハマりました。




また、これは穿った見方かもしれませんが、「ファ・ラ・ウェイ」の死んじゃった「君」とは、「ふくろうず」のことなんじゃないかなと思います。前作もそうでしたけど、内田さんはふくろうずの解散に対して明らかに未練たっぷりで、まだ尾を引いている感じが受け取れます。そもそもふくろうずは本人たちの意に沿っての解散じゃなかったみたいですしね。ふくろうずに届かないラブレターを書いていると思うとこの上なく悲しいですね。


しかし、それでも前を向こうとするのが一曲目の「リトル・テンポ」。「POM-pi-DOU」に続き、内田さんは一曲目から決意表明をしてきています。「私は今、本当の自分を知りたい」「孤独な旅路にさあ行こう」。イントロのピアノから始まって内田さんの優しい歌声で、必死に乗り越えようとする様を歌われると、もう涙腺がやられますね。他にも「それでも行こうぜドリーマー」や「でも今は信じてみたい」など前向きな歌詞が眩しいです。ここでの「リトル」はおそらく「弱々しい」とか「かすかな」という意味だと考えられ、そこにもグッときます。一曲目にこの「リトル・テンポ」を持ってくることで、「何億光年のラブレター」から始まったストーリーが「ファ・ラ・ウェイ」を経て「リトル・テンポ」で完成している感じを受けますね。なかなか独特な構成で、面白いなと思います。


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以前、このブログで私は「ふくろうずとは『だめな人』のためのバンドである」と書きました。それは内田さんのソロになっても変わっていません。「何億光年のラブレター」もクリスマスイブの発売ですけど、パーティでウワーと騒いでいる人よりかは、部屋で膝を抱えてうずくまっている人に向けたアルバムなんじゃないかと感じます。周りに馴染めないストレンジャー。だめな人に何も言わず寄り添ってくれる。内田さんの良さは何も変わっていません


そして、世に「だめな人」はもっともっと多くいるはず。そういった多くの「だめな人」にとって、すっぽりとハマる内田さんの音楽がもっと評価されてほしい、広まってほしいなと切に思います。私立恵比寿中学に楽曲提供するなど、活躍の場を広げていこうとする内田さんの音楽が、このアルバムを通してもっと知られてくれますように。月並みな言い方になりますけど、「何億光年のラブレター」はめちゃくちゃいいアルバムです。下に販売URLを貼っておくので、皆さんぜひ聴いてみてください。


内田万里 1st Full Album「何億光年のラブレター」販売URL
https://store.shopping.yahoo.co.jp/hkt-tsutayabooks/mujp20181201b.html


お読みいただきありがとうございました。


おしまい



去年12月24日に10年にも及ぶ活動にピリオドを打った、内田万里(Vo,Key)、安西卓丸(Ba)、石井竜太(Gt)の3人からなる"ただのJPOPバンド"ふくろうず。CDも「テレフォンNo.1」から欠かさず購入し、ライブにも行ったことがある私は、頭をガンッと殴られたような衝撃を受け、心にぽっかりと穴が開いたような感覚を受けました。



石井さんはライブハウスでぽつぽつとギターを弾いて、音楽活動を続けているのは知っていましたが、後の2人は音沙汰のないまま。ただ4月29日に内田さんは安西さんをサポートギターに迎え、大阪は枚方でライブを披露。3人の生存が無事確認を知りホッとしたのを覚えています。



さらに内田さんはそこで新しく作ったCDを会場限定で発売しましたが、用意していた数が少なくあっという間に瞬殺。ほしい人全員に行き渡らなかったことをお客さんから聞いた内田さんは「何とかします」と宣言(したらしい)。さらに内田さんの限定CDがメルカリに出されるというお茶目な出来事もあり、通販での再販が決定しました。発売日は7月7日の七夕。内田さんのコメントでは「晴れますように」とありましたが、大雨でしたね。それはもう悲しくなるくらいの。





そして、発売日から1日を過ぎた7月8日。私の元にも内田さんの最初のソロ名義でのアルバム「POM-pi-DOU」が届きました。



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聴いていて、ふくろうず解散によって私の心に空いた穴はどんどんと埋まっていきました。
内田さんのふくろうずが解散した後のここから始めるという決意のような「POM-pi-DOU」。
内田さんのガーリーな部分がこれでもかと現れ出た「TONIGHT」。
これまたふくろうず解散後の心情をストレートに歌った「DAWN」。
少しずつ顔を出してきた希望を明るいアレンジに乗せた「BOO-bi-DOU」。
そして、ふくろうずと一旦距離を置くかのような寂寥感に満ちた「さよなら(安眠ver.)」。
どれをとっても名曲で、ふくろうず時代より一人になった分、キーボードが目立っている感じはありますが、ふくろうずが解散しても内田万里は内田万里のままでした。弾き語りではなく、あくまでもバンドアレンジという方向性で行くんですね。嬉しいです。





内田さんのコメントでは「CDを聞いてもらって『あー、内田はこういう感じだったのね。ふんふん』とその時の内田という人間の状況を楽しんでもらえたら嬉しいです。」とあったので、ここからはそういった話をしたいと思います。120%憶測と想像なのでそう思って読んでいただければ。



このアルバムにはふくろうず解散後の内田さんの心情、淋しさだったり途方に暮れる感じだったりが、本当にストレートに出てきてますよね。


「DAWN」の「朝がくればこの感情も消えるのかな」「果てしない絶望が待ってるのかも」からは、一人になった内田さんの悲しみが、「BOO-bi-DOU」の「やめちまえよ ばか 才能ないぞ」からは葛藤が感じ取れます。


「さよなら(安眠ver.)」なんてもう直接ですよね。全編を通して悲しい。特に「愛 して いた のよ」の後の「間違えちゃったけど」からは内田さんの後悔が垣間見えてもうそんなこと言わないでくれよっていう気持ちになります。





加えて、感じたのが「POM-pi-DOU」って夜の曲が多いんですよね。「TONIGHT」と「DAWN」、そして「さよなら(安眠ver.)」と5曲中3曲。これも内田さんの中の寂しさや悲しみなどといったネガティブな感情がそうさせたのかなって。


夜ってアンニュイな気分になってそういうネガティブな感情が増幅するじゃないですか。なので、夜っていうのは内田さんのネガティブな感情を象徴するものなのかなって私は考えました。ふくろうず解散後のどこに持っていったらいいか分からない感情を抱えながら眠れない夜を過ごしていたんじゃないかなって。





それは「TONIGHT」にも表れていそうです。これ恋する女性の片思いを歌った曲なんですけど、それはメインテーマとしてあるとして、ふくろうずに対しての内田さんの思いもサブテーマとして含まれていると思うんですよね。


ふくろうずに向けていたエネルギーを解散したことによって持て余してしまったのと、これからどうなるんだろうっていう漠然とした不安が。というか全曲にふくろうずに対しての思いが根底にはあるんじゃないかなあ。その不安を隠すように明るいアレンジになっていてそのギャップが際立ちますね。




でも、少しずつ時間は進んで「DAWN」、日本語で言う夜明けに近づいてきています。「さびしいなんて 言えないから わかったようなフリして 笑ってみせた」というのが孤独を、淋しさを感じて切ないんですけど、でも、内田さんはその淋しさを「さびしさに終わりなんかない」と受け入れたんですよね。受け入れたうえで「それでも待ってる この夜明けを」なんです。淋しさを受け入れたことで、内田さんの中には少しずつ希望が芽生え始めました。




その希望が現れているのが「POM-pi-DOU」ですよね。「ここからはじめよう」や「次はどこへ 遊びに行こうかな」から、夜を乗り越えて少し前向きな気持ちになった内田さんが見えてくるようで嬉しい。まぁその前向きな気持ちは徹夜してハイになっただけで、現実は何も解決していないんですけどね。


でも「繋いだ手と手を 離さないで行こうぜ」というのが頼もしい。現実は変わってないけど、でも信じていたいという強がりがいじらしく、このまま内田さんの作る音楽にどこまでも連れていかれたいなっていう気持ちになりました。



あと、私が一番好きな「BOO-bi-DOU」について。


このアルバムで一番明るい曲調の曲なんですけど、実際はそうでもなくて。「幸せだって 目がくらみそうよ あたし!」っていうのはたぶんこれも強がりですよね。空元気ですよね。葛藤がありますよね。


それなのに「くだらない歌」、これ多分ふくろうずの曲だと思う、を歌ってくれる君、この「君」は誰か一人のことを言ってるんじゃなくて、ふくろうずを好きでいてくれる不特定多数の人のことなんだと思う、がいてくれる。


それを受けて、内田さんは必要とされている、待ってくれている人がいると感じて「やめちまえよ」という葛藤に対して、「それでも やるっていうなら」と吹っ切れて、その状況を「幸せだって 叫んでみようか あした!」と表現したんじゃないかなって私は受け取りました。一ファンの勝手な都合のいい想像です。





そして、この4曲を得て最後の「さよなら(安眠ver.)」でアルバムは締めくくられます。ふくろうずに対する内田さんの気持ちが一番現れていて、すごく寂しくて切ない曲。これは繰り返しになるんですけど、ふくろうずと一旦距離を置くっていう内田さんの思いの現れなんじゃないかなって思うんですよ。


「安眠」っていうのは「やすらかにぐっすり眠ること」っていう意味なんですけど、でも永遠のさよならではたぶんなくて。「永眠」ではなく、また目を覚ます、覚ましたいっていう希望も込めて(安眠ver.)としたのではないかなと推測します。そもそも本人たちが望んで解散したわけではなさそうですしね。














さて、「ふくろうず」というバンド名には特に意味はないようですが、ふくろうという動物のは夜行性です。"ただのJPOPバンド”と名乗ってましたけど、私はふくろうずってその名の通り夜行性のバンドだったと思うんですよね。


まず、動物には昼行性と夜行性とがあります。昼行性・夜行性っていうのはその生物の習性の問題で、そこに優劣はないですし、夜行性の動物は別に昼行性のことを羨ましくも思ってないですし、その逆もまた然りです。


で、人間にも昼行性と夜行性っていうのがあると私は思ってるんですよね。別にそれは昼型・夜型っていう表面的なものではなく、もっと心の深層部分の話で。動物と同じように昼行性・夜行性に優劣はないですが、現実でどちらが幅を利かせているかというと、間違いなくこれは昼行性の方ですよね。


人間の厄介なところは夜行性の人間はどこかで昼行性に憧れを抱いてるというところです。人間っていうのはなまじ考えられる頭があるおかげで、自分にないものが羨ましく見えてしまいます。しかし、昼行性の方が「人間としてこうあるべき」という世間一般が思い描く姿に近く、昼行性は夜行性の、自分にない部分に対して憧れを抱くことはあまりないと思われます。


でも、夜行性は違う。「人間としてこうあるべき」である姿とは違う自分の姿を責めてしまう。「どうしてああなれないのか」「自分はダメな人間だ」。そういった妬み嫉みひがみが夜行性の心の奥底には渦巻いています。「優劣なんてない」といっても聞く耳を持ちません。




以前このブログでも書きましたけど、私はふくろうずのことを「だめな人のためにいたバンド」だと思ってまして。そういう自分のことをダメだと思っている夜行性に、手を引っ張るでもなく背中を押すでもなくただ寄り添う。比べる必要なんてない、だめな自分でもいいじゃないかと囁き続ける。ふくろうずってそういうバンドだったと思うんです。


方向が夜行性の人たちの方を向いていたおかげで、夜行性の人たちの中では知る人ぞ知る的な人気がありましたけど、幅を利かせている昼行性には目を掛けてもらえなかった。それがセールス的な不振につながってしまったんじゃないかなって邪推ですけど思います。





ふくろうずが結成してけっこうな月日が流れ、夜も更け夜明けが近づいてきた。そして、夜明けが訪れて夜行性のふくろうは眠ったのです。


でも、内田さんは眠らなかった。眠い目をこすりながらも、今まで自分を支えてくれた夜行性だけじゃなくて、自分に目を向けてくれなかった昼行性に「こっち向いて」とアタックを始めたのです。そんな内田さんの挑戦を、重い瞼を何とか上げて頭をカクンカクンさせながら、微力ながらでも応援できたらいいなと「POM-pi-DOU」を聴いて思いました。




今までふくろうずを聴いていた夜行性も、ふくろうずなんて聞いたこともないっていう昼行性も、ぜひともこの「POM-pi-DOU」という素晴らしいアルバムを聴いてほしいなって思います。絶望の果てに希望を見つけた内田さんの清々しい姿がそこにはあるから。心の大切な部分にきっと残るはず。本当にいい曲書くんですよ、内田さん。


最後に。コメントで内田さんは「そして、この作品を作った頃の気持ちと、今のわたしの気持ちはまた全然違ってきています。この気持ちもいつか表現できたらと思っています」と次回作の意欲を語っています。アルバムは想像以上の出らしいんですけど、さらに多くの人に広まってほしい、そしてもっと内田さんの作る音楽を聴いていたいとの思いを込めて「POM-pi-DOU」の商品リンクを貼ってこのエントリーを終わりにしたいと思います。がんばれ、内田さん。




【蔦屋枚方書店 Yahoo!店 限定】内田万里 1stミニアルバム『POM-pi-DOU』限定リリース

https://store.shopping.yahoo.co.jp/hkt-tsutayabooks/mujp2005201053815b.html



おしまい


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