Subhuman

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タグ:映画



こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ジョジョ・ラビット』。第二次世界大戦下のドイツを舞台に、ナチス信奉者の少年と、ユダヤ人の少女のボーイミーツガールを描いた映画です。ナチスやヒトラーを描いているということで、賛否両論あるこの映画。ただ、アカデミー賞の作品賞にノミネートされているからには悪い映画ではないはず。そう思って、重い腰を上げ、眠い目をこすりながら観に行ってきました。そして、観た結果、非常に好みの映画となっておりました。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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映画情報は公式サイトをご覧ください。




※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











この映画の舞台は第二次世界大戦下のドイツ。鏡の前に立つ10歳の少年ジョジョのシーンから始まります。鏡に向かってナチスに誓いを立てるジョジョ。彼を演じたのは、今作が映画初出演となるローマン・グリフィン・デイビスという少年。ビジュアルだけ見れば、すぐ調子に乗りそうな少年でしたが、反対に心根は優しく、随所随所の葛藤するシーンはこの映画の見どころの一つでした。また、終盤の戦争に対する反応も、絶望よりも先に戸惑いが来ていてよかったと思います。


これから訓練を受けようというジョジョですが、内心は不安で一杯。空想上の友達、イマジナリーフレンドに話しかけます。そのイマジナリーフレンドは、なんとヒトラー。ナチスの元凶をこんなにもポップに召喚するなんて、タブーを恐れない勇敢さです。このヒトラーを演じたのは、今作で監督・脚本も務めたタイカ・ワイティティ。最初はコミカルな演技をしていましたが、物語が進むにつれて口調がどんどんと扇情的になっていったのは上手かったですね。顔のインパクトも上々でした。


この映画って最初は明るくポップなんですよね。最初のダンスは思わず笑ってしまうほどでしたし、オープニングにビートルズの「I Wanna Hold Your Hand」を持ってきたのも楽しい演出でした。また、ジョジョとヒトラーが並走するシーンもあり、そこの勢いもなかなかでした。


でも、やっていることはわりときついんですよね。ジョジョは道行く人に「ヒトラー万歳」と挨拶していますし、それが普通になってしまっているのは、現代から見ると狂っていると感じずにはいられません。途中、30回ぐらい「ヒトラー万歳」が連呼されるシーンがありましたからね。笑ってはいけないと思いつつもあまりのしつこさが滑稽に感じてしまいます。


さらに、10歳かそこらの少年に軍事の訓練をさせるのは、日本も人のことは言えないですけど、やっぱりイカレてますし、銃を握らせたり、手榴弾を投げさせたり狂気の沙汰ですよね。さらに、戦地に行くことができない女性にもできることがあるといって産めや殖やせやを奨励しています。極めつけは、大昔ユダヤ人は魚と交尾していたなど、ナチズムに則った間違った価値観の植え付け。戦時下の異常事態がテンポよく映されて、ただ観ているだけなら楽しんですけど、恐怖を感じてしまうほどでした。




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しかし、ジョジョは心根の優しい少年。訓練でウサギを殺すというなかなかきつい訓練がありましたが、ジョジョは殺せず逃げ出してしまいます。周囲からは「ジョジョ・ラビット」と呼ばれからかわれてしまいますが、ここでジョジョが殺してたら、彼の中での殺しのハードルが低くなっていたことを考えると本当に良かった。


落ち込むジョジョでしたが、ヒトラーに発破をかけられて走り出します。手榴弾の訓練中に教官から手榴弾を奪い投げますが、木に跳ね返って手榴弾はジョジョの足元で爆発。ここ爆発のシーンがジョジョが、絞り出されたマヨネーズみたいにぴゅーっと横跳びしていて、謎におかしかったので、もうちょっとどうにかならなかったのかなとは感じました。


あと、教官を演じたのはサム・ロックウェルで、同日公開の『リチャード・ジュエル』に続いての出演。全然違う厳しめの演技を見せていましたね。個人的には『リチャード・ジュエル』のサム・ロックウェルの方が好きですけど。


ここでジョジョは負傷してしまい、顔にあざがつき訓練を続けることは不可能になります。ポスターを貼ったり、ビラを配ったりするジョジョ。使えるものは何でも使えとばかりに、子供でも容赦なく動員するところに戦争の恐ろしさを感じましたし、反ナチス運動をしていた人たちが見せしめとして、縊首されたまま広場に放置されていたのはなかなかくるものがありました。


実は、ジョジョの母親のロージーも反ナチス運動をしていて。戦争には負けると冷笑的な見方をしているんですよね。このロージーを演じたのが、世界的大スターのスカーレット・ヨハンソンでしたが、この映画の面白いところって途中までスカーレット・ヨハンソンが結構やりたい放題やっていることなんですよね。


暖炉から炭を取って口周りにつけて、父親のふりをするところは、彼女のオンステージといった感じで思わず笑ってしまいました(父親は外国の戦場に行っていて2年ほど返ってきていない設定)。靴ひもを結べないジョジョをからかうのも面白かったですし、自転車で並走するところなんて良い母親過ぎて、きつめの世界観の中でしたけど、少しほんわかしました。匿っているユダヤ人の少女エルサに優しくしていたのもポイント高い。スカーレット・ヨハンソンのいろいろな表情が観られるので(途中までは)、彼女のファンなら見て損はないと感じました。












訓練に行けないジョジョは、家で過ごす時間が多くなります。そのときキッチンから謎の物音が。訓練の最初に貰ったナイフを駆使して開けてみると、そこには少女がいました。最近『パラサイト』で見た展開や!とも思いましたが、ロージーが意図的に匿っていたので違いますね。彼女の名前はエルサ(アナ雪?)。ナチスが迫害しているユダヤ人の少女でした。彼女を演じたトマーシン・マッケンジーはジョジョをリードするお姉さんっぽいサバサバした雰囲気を備えていて、そこが芯の強いエルサにはまっていましたね。


と、ここからはジョジョとエルサの中が深まっていくという展開なのですが、正直このあたりあまり覚えていないんですよね……。ウトウトしてしまっていて。作品に全く罪は無く、100%私のせいなんですが、今日は一日中眠くて。これを書いている今も眠いですし、一秒でも見逃してしまったのは悔しかったですね。目が覚めたらスカーレット・ヨハンソンのオンステージで、そこのインパクトはすごかったんですけど......。


ただ、結構ロマンティックだなというのは覚えていて。エルサにはフィアンセがいたんですけど、ジョジョはこのフィアンセのフリして手紙を書いて読むんですよね(『ラストレター』?)。最初はエルサを傷つけようとして「別れよう」という手紙を書くんです。ヒトラーにも「なかなかの悪だな」と言われるくらい。ただ、ここでジョジョの優しさが出てしまって。実際にエルサが凹んだのを見ると、「やっぱり別れない」という手紙を書くんですよ。なんていいやつなんだと微笑ましくなっちゃいましたね。好きなシーンです。結構ロマンティックな一面もあるんですよね。この映画は。


この映画が、二人を通して描きたかったのは、やっぱり人対人で向き合うことの大切さなのかなと感じます。ドイツ人とかユダヤ人とかじゃなくて、一人の人間として接すること。これがなかなか難しいですし、できないから戦争になってしまうんですよね。私の記憶が正しければ、ジョジョがエルサに「ユダヤ人?」と聞いたシーンでは、エルサが答えを返さずに次のシーンになっていましたし、エルサもジョジョのことを「ただの10歳の男の子」と見ています。二人の間では人種の垣根はだんだんと取り払われていきます。それはすごく理想的なことではあるんですが、フィクションは理想を描くべきだと思っている私にとってはこの展開は大歓迎でした。




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なんで理想的なのが良いかというと、この映画が終盤になるにつれてどんどんときつい展開になっていくからなんですよね。これはネタバレになってしまうんですけど、映画の途中で反ナチス運動を展開していたロージーはナチス党に捕まって、広場の真ん中で縊首させられてしまいます。ここロージーの顔を映さずに、ふらふら揺れる下半身のみを映していたのがショックでしたね。意地の悪い演出です。だからこそ、途中で引いて全体像を見せるシーンは個人的にはいらなかったのかなと感じてしまいました。


母親を失って、どうしようと途方に暮れるジョジョとエルサ。これに追い打ちをかけるように市街地戦が始まります。銃弾の雨あられが降り注ぐ戦場。道に倒れ込む死傷者。子供ですら容赦なく銃を渡されて、戦場へと駆り出されていきます。前半で「これはないだろ」となった軍服案まで登場させるブラックユーモアもありましたね。


個人的に一番辛かったのが、手榴弾を巻き付けられて「敵に抱きついておいで」と送り出される少年兵でした。ここ本当にさりげないシーンなんですけど、自爆攻撃を表していて、ああこんなことが特別視もされないで行われていたのかと胸が痛くなりましたよ。戦争の悲惨さ、痛々しさ、そして無意味さが伝わってきました。


この悲惨な戦争のシーンがあるからこそ、ジョジョとエルサの関係が希望として映るんですよね。人種差別や優生思想なんて関係なく、人間として向き合う。それでも分かり合えない時はありますが、きっと分かり合えるかもしれないという願いですよね。だからこそ、戦争が終わってエルサが自由に外に出ることができたラストシーンは胸を打ちました。ようやく解放されたというカタルシスがありつつ、本当はこうならなければよかったのにという悲しさがありました。それをひっくるめて踊るのは感動的でしたし、最後のリルケの詩もスーッと心に沁み込んでくるようでした。絶望は終わりではないっていう言葉良いですね。


そして、このラストシーンの前が、ジョジョが再び鏡の前で語るシーンになっているのも好きなポイント。10歳半というところでまずビビっときましたし、エルサと過ごした時間がジョジョを成長させていたことが窺えます。実はこの映画ってめちゃくちゃ真っ当な少年の成長物語でもあるんですよね。あまりに真っ当でビックリしましたけど、これは評価されるのも分かるなぁと。実際、私も大好物ですしね。この手の物語は。ナチスを扱うという難しさもあったこの映画。始まる前は身構えていましたが、着地点が鮮やかで好きな映画となりました。


でも、だからこそ言っておきたいことが。最後のヒトラーの登場要ります?あれはイマジナリーフレンドからの卒業と、優生思想を始めとしたナチズムからの解放を表していると思うんですけど、ただそれは鏡の前で喋るシーンだけで十分表現できていると思ったんですよね。文字通りケリをつけるのはいいんですけど、想像以上のスピードでぶっ飛んでいったので、少し笑ってしまいました。ここ個人的には少し蛇足に感じてしまって、惜しいなぁと思うポイントでした。全体で見ると十分好きな映画ではあるんですけどね。




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以上で感想は終了となります。映画『ジョジョ・ラビット』。ナチスを扱っているという難しさはありますが、すごく真っ当なボーイミーツガールであり、少年の成長物語でもあるので、個人的には好きな映画でした。機会があればぜひどうぞ。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


ジョジョ・ラビット(オリジナル・サウンドトラック)
サントラ
ユニバーサル ミュージック
2020-01-17



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こんにちは。これです。冬だというのにこちらは全然雪が降りません。これも地球温暖化の影響でしょうか。降っていると忌々しいものですが、いざ降らないとなると少し心配です。


それはさておき、今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『リチャード・ジュエル』。巨匠クリント・イーストウッド監督の最新作です。「実話」と銘打たれたこの映画、反応も上々だったので、さっそく観に行ってきました。気になるところはあったものの、好きな映画でしたよ。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・メディアのイメージが固定化されすぎている気がする
・リチャードは私たちと変わらない「人間」だった





―あらすじ―

 1996年、警備員のリチャード・ジュエルは米アトランタのセンテニアル公園で不審なリュックを発見。その中身は、無数の釘が仕込まれたパイプ爆弾だった。
 事件を未然に防ぎ一時は英雄視された彼だが、現地の新聞社とテレビ局がリチャードを容疑者であるかのように書き立て、実名報道したことで状況は一変。さらに、FBIの徹底的な捜査、メディアによる連日の過熱報道により、リチャードの人格は全国民の目前でおとしめられていった。
 そこへ異を唱えるため弁護士のワトソンが立ち上がる。無実を信じ続けるワトソンだが、そこへ立ちはだかるのは、FBIとマスコミ、そしておよそ3億人の人口をかかえるアメリカ全国民だった――。

(映画『リチャード・ジュエル』公式サイトより引用)





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・メディアのイメージが固定化されすぎている気がする


まず、この映画を観て私が感じたことは、メディアのイメージが固定化されすぎているということです。民衆に事実を伝えるという大義名分を盾にして、その裏では当事者のことなど考えずに、プライバシーのない過熱報道を繰り返す。去年、『フロントランナー』という映画を観たときも思いましたが、メディアが思慮のない悪者扱いされることが多すぎると思うんです。まるでマシーンのように、マイクを向けカメラのシャッターを切る。そこに記者の意思など介在していないかのようです。


それは、この映画でもそうでした。この映画では新聞社に勤めるキャシーがメディアの代表として登場します。キャシーは同僚に"殺し"の記事が一面になることを茶化すように謝り、いい"ネタ"はないかと探しています。事件が起こった際も現場に居合わせ、「犯人が興味深い人物ならいい」と発言。FBI捜査官から情報を聞き出し、リチャードが容疑者であるように書き立て、スクープをすっぱ抜いたことで部内から称賛を浴びています。二人の死人が出ている事件だというのに。


そこからは、FBIの決めつけによる捜査とメディアの過熱報道がジュエルたちを追い詰めます。どこに行くにもカメラがついて回り、容赦のないフラッシュと質問の嵐にリチャードたちの精神はやられ、母親は参ってしまいます。そこからの反撃は面白かったのですが、私はこの展開を正直ありがちと感じてしまったんですよね。現代のSNSで毎日繰り返される現象を見ているようで、食傷気味で。でも、何度も繰り返して描かなければならないほど、事態はマズくなっているのかもしれないです。




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昨今は新聞やテレビなどのオールドメディアの力が弱まってきて、SNSなどの新興メディアが大きな力を持つようになりました。報道番組のクルーがバズったツイートに使用許可を求めてきて、ツイート主がそれを断るといった光景はよく目にします。でも、根本にあるものは変わっていなくて。それは民衆の興味関心なんですよね。


この映画で、テレビや新聞がなぜアトランタ爆破事件を取り上げたかというと、そこには民衆の興味があるからですよ。知りたいという需要があるからですよ。メディアは需要に対して供給をしていたにすぎず、押しかける記者たちからは民衆の好奇の目が透けて見えるようです。一貫して映画の中に民衆が描かれていなかったのが余計怖い。つまり、メディアは民衆の操り人形に過ぎなかったというわけですね。この映画では。そこが観ていて少し疑問だったんですけど、これも昨今のSNSの影響を考えるとしょうがないのかなって。


SNSで日常的に行われることと言えば、犯人捜し及びバッシングだと私は思います。事件の報道があったときには必要以上に犯人を責め立てる。あたかも私法に則った法執行人のように。そして、悪者のいない問題でも、自らの方に照らし合わせて犯人を捜しては叩く叩く。それは、この映画でメディアが行ったことと何ら変わりなく、むしろメディアという媒体を介さずにダイレクトに意見を述べることができるようになったおかげで、事態はより深刻化していると思います。SNSが好奇のもとに、人を叩く道具と化していると感じるのは私だけでしょうか。


そして、叩く対象は「興味深い人間」であれば、なおのこと良しです。『ジョーカー』の感想でも書きましたけど、「無敵の人」という言説があるじゃないですか。あれ、なんで「無敵の人」というかと言うと、同じ人間じゃないと思いたいからなんですよね。自分たちから切り離された、ある種動物のように「無敵の人」を定義することで、自分たちとは違う存在だという安心感を持って叩けるわけです。



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・リチャードは私たちと同じ「人間」だった


では、この映画のリチャードはどうだったのでしょうか。リチャードは一応働いてはいますが、33になっても母親の元で暮らしています。「大人なら親元から自立すべきだ」という価値観に照らし合わせれば、リチャードは異常ということができるでしょう。ここで、リチャードは「パラサイトシングル」や「子供部屋おじさん」などと類型化され、そうでない「一般人」たちからは切り離されてしまいます。それは「無敵の人」となんら変わらない言説です。


しかし、リチャードは「一般人」と何ら変わりないことが、この映画では描かれます。「一般人」と変わりないように、リチャードも自らの正義を持っていました。法執行人になるという正義感は繰り返し語られ、それは危うさをも感じさせるものでした。実際に、以前勤務していた学校ではその正義が行き過ぎて、首になっていますしね。もし、SNSをやっていたら勢い余って叩きに参加しそうなくらい。


このリチャードを演じたのは、ポール・ウォルター・ハウザー。『アイ,トーニャ』や『ブラック・クランズマン』で、浅薄な考えを持つ憎まれ役なんだけど、どこか憎めないキャラクターを演じていましたが、主役になったこの映画では印象が一変。考え方こそマシになってはいましたが、正義のもと何をするかわからない怖さが全編に渡ってありました。それは虐げられてきた人間にしか出せない怖さで、一挙手一投足からその怖さを存分に感じられる熱演だったと思います。


リチャードはその容貌から「デブ」と呼ばれて、虐げられてきました。。その中でもただ一人、リチャードのことを「人間」として接したのが弁護士であるワトソンです。この映画の冒頭は中小企業庁でリチャードとワトソンが会話する場面なんですけど、そこでスニッカーズを通じて友情を深めていく二人の様子がとても好きでして。この映画は、不都合に立ち向かう男二人の友情ドラマとしても見ることができ、なかなかの熱さを感じましたね。ワトソンを演じたサム・ロックウェルも意志の強さを感じて良きでした。




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第一発見者というだけで爆弾犯の嫌疑をかけられたリチャード。メディア(SNS)の往来はやむことはありません。でも、この映画ではリチャードがワトソンとともに、メディアや国民に対して反撃をするんですよね。リチャードの犯行は不可能だと劇中で証明がなされます。リチャードの母親は涙ながらに息子の無実を訴え、リチャードはFBI捜査官に証拠もないのに疑うことの不健全さを突きつけます。それは虐げられたものの反撃であって、犯人を異常者として特別視する「一般人」の観念をひっくり返すようで、痛快なものでもありました。最後は食い入るように映画を観ている私がいました。


つまりこの映画は、ある人を類型化し、特別視して、分断するSNSの性質に歯止めをかけたいのかもしれません。確かに、映画の中では事件は解決しました。しかし、現実のSNSでは人を変え、毎日のようにリンチの再生産が続いています。様々なメリットがあるSNSですが、こういった問題が繰り返される以上、これからも同じような物語は生まれることでしょう。20年以上前の話なのに、現代と変わらない普遍性を持った映画だと感じました。メディアのイメージの固定化も、SNSに関わる私たちの危険な現状を浮かび上がらせるためには必要だったのかもしれませんね。それがイーストウッド監督が伝えたかったことなのかなと思います。




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以上で感想は終了となります。映画『リチャード・ジュエル』。現代のSNSにも通じるメディアの恐ろしさを感じさせるなかなかの社会派作品となっていました。それでも、あまり重くなく観ることができるので、観ようかどうか迷っている方には観ることをお勧めします。面白いですよ。


お読みいただきありがとうございました。

おしまい
 





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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ラストレター』。岩井俊二監督の最新作です。この映画を観るにあたり、原作は既読。岩井監督の映画もゼロのところから『リリィ・シュシュのすべて』『Love Letter』『スワロウテイル』の三作を鑑賞するなど、ちょっとだけ予習をして観に行きました。


そして観たところ、とても好みの映画でした。では、どこがどう好きなのか、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・キャストについて

・ロマンティックってなんだ
・印象に残った色の使い方





―あらすじ―


裕里(松たか子)の姉の未咲が、亡くなった。裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎(福山雅治)と再会することに。

勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎(回想・神木隆之介)と未咲(回想・広瀬すず)、そして裕里(回想・森七菜)の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。

ひょんなことから彼らを繋いだ手紙は、未咲の死の真相、そして過去と現在、心に蓋をしてきたそれぞれの初恋の想いを、時を超えて動かしていく

(映画『ラストレター』公式サイトより引用)





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・キャストについて


まず言ってしまうと、この映画はキャストの方が全員良くて。優れた演技を見ることができて引き込まれて、時間があっという間に感じました。


松たか子さんが演じた裕里は、死んだ未咲のことをずっと引きずるのかなと思いきや、意外とコメディカルな演技も見せていたのが好きで。お風呂のシーンとか神社のシーンとか。思わず微笑んでしまう感じ。それでいて要所要所はしっかり締めるという。貫禄すら感じさせる演技でした。


広瀬すずさんは、未咲の娘の鮎美と回想での未咲という一人二役をこなしていましたが、その演じ分けが見事でした。最初の鮎美は母を失ったことで沈んでいるんですが、徐々に明るくなっていくんですけど、その明るさを取り戻した鮎美と未咲のキャラクターがこれまた微妙に違うんです。未咲の方が奥ゆかしいといいますか。それをさりげなく見せてくれるので好きでした。


『天気の子』で一躍脚光を浴びた森七菜さんも、同じように裕里の娘の颯香と、回想の裕里の一人二役を演じています。はしゃぐ颯香のキャラクターが凄くはまっていた印象でした。スーッと廊下を滑っていくの好き。それでも、こちらも回想の裕里とはまた違った演技、具体的に言えば喋り方が柔らかくなっていたりとか、を見せていてそのポテンシャルの高さをうかがい知れます。


実は私がこの映画で一番好きなのが、この三人が未咲の仏壇の前で座っている冒頭のシーンでして。ここ三者三様の座り方をしているんですよね。裕里は正座。鮎美は体育座り。颯香は崩して座っていて、何もしゃべらなくても性格や未咲の死の受け止め方が違うのが伝わってくるんですよね。さらには、終盤にはこれと対比になるシーンもありましたし、そういう絵で語る演出が上手いなぁと感じました。


裕里の文通相手で、未咲のことを思い続ける乙坂鏡史郎を演じたのは福山雅治さん。落ち着いた演技で場を支配していましたね。常に眼鏡をかけていて髭もはやして、一般的な福山雅治さんとは違った表情を見せていました。完璧じゃなくて、こういう少し情けない役を演じた方が、ギャップがあっていいなと感じました。


あとは、回想での乙坂を演じた神木隆之介さんはさすがの安定感でしたし(でももうそろそろ高校生はきつくなっている気がする)、『Love Letter』で共演した中山美穂さんと豊川悦司さんも、この映画には出演し、的確な演技を見せています。二人ともやさぐれ感が凄かったですね。でも、個人的に印象に残ったのはあまり映画に出ないであろう庵野秀明さんなんですよね。


あまり演技に慣れていないところはどうしてもあるのですが、そこが一周回ってかわいかったです。あのごつそうな風貌から出る声が意外なほど柔らかく、飾らないことによる良さみたいなものを感じました。最後の「おかえり」が特に好きですね。広瀬すずさんや森七菜さんを抑えて、この映画での一番の癒しキャラでした。まさかこんなことになるとは、映画を観る前は思いもしませんでしたよ。




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・ロマンティックってなんだ


さて、岩井俊二監督の作品によく付随する言葉といえば、ロマンティックだと思います。確かに『Love Letter』は、亡くなった好きだった相手に手紙を送ると、返るはずのない手紙が返ってきて……というロマンティックなストーリーでしたし、この映画の予告編でも新海誠監督の「岩井俊二ほどロマンティックな作家を、僕は知らない。」というコメントを引用するなど、ロマンティック推しが激しいことになっています。


まあ個人的には、岩井監督がロマンティックな作家だとは全然思ってないんですけどね。あくまで3作を見た印象ですが、『リリィ・シュシュのすべて』はロマンティックとは程遠い鬱映画でしたし、『スワロウテイル』もなかなか陰惨なムードの映画です。『四月物語』や『花とアリス』は違うのかもしれませんが、私が抱いていた岩井監督作品のイメージはそこまで明るいものではありませんでした。


だからこそ、この作品のロマンティックなムードに少し面食らったところもあったんですよね。初恋だの甘酸っぱい衝動が何のためらいもなく飛び出す世界観は、死を扱っているという重さをあまり感じさせません。いい意味でも悪い意味でも。回想のシーンなんてロマンティックの集合体で、観ていて気がどうにかなりそうなほどです。


きっと、この映画を観た人の多くが、口を揃えてロマンティックということでしょう。でも、待ってください。そもそもロマンティックとは一体何なのでしょうか。何をもってロマンティックというのでしょうか。


手元の電子辞書を引いてみます。


ロマンチック―
現実離れしていて甘美なさま。空想的で波乱に満ちたさま。情熱と理想に溢れたさま。

(三省堂 スーパー大辞林3.0)


なるほど、確かに現代では、文通というのは現実離れしているでしょう。波乱こそありませんでしたが、乙坂の書く手紙の内容は現実に即していながら、どこか空想的でもありますし、情熱を帯びていました。それに、裕里のこの言葉。


「お姉ちゃんのフリして手紙を書いていたら、なんかお姉ちゃんの人生がまだ続いているような気がちょっとしました。誰かがその人のことを思い続けたら、死んだ人も生きてることになるんじゃないでしょうか」
(岩井俊二『ラストレター』p180より引用)



はっきり言ってしまえば、こんなものは理想ですよ。これは自信を持って言えますが、私が死んだとしても、誰も私のことを思い続けてはくれません。みんなそんなに暇じゃないです。人は死んだらそれまでです。


でも、この映画の多くのキャラクターたちは、未咲が死んだことを完全に受け入れられていません。なんとかして思い出だけでも現世に留めようとしています。理想に溢れたロマンティックな雰囲気がこの映画には充満していました。




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では、未咲を生きていることにしたいというロマンティックな思想を持つ彼ら彼女らはロマンティストということができると思います。


ロマンチシスト―
①ロマンチシズムを主張する人々。浪漫主義者。
②ロマンチックな人。空想家。夢想家。

(三省堂 スーパー大辞林3.0)


②の意味は見た通りです。問題は①。ロマンチシズムってなんじゃらほいですよね。ロマンチシズム及びロマン主義は、手元の電子辞書で次のように説明されています。


ロマン主義―
一八世紀末から一九世紀の初めにかけてのヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域に展開された精神的傾向。近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情的に表現する。

(三省堂 スーパー大辞林3.0)

(前略)17世紀以来の古典主義を人間精神の内奥の力を否定したものとして攻撃、なによりも個性や自我の自由な表現を尊重し、知性よりも情緒を、理性よりも想像力を、形式よりも内容を重んじた。
(ブリタニカ国際大百科事典)


まあ要するに、何にも縛られずやりたいようにやろうぜみたいなことなんだと思います。この映画では感情に一番の重点が置かれていたように感じます。「人は死んだら終わり」という論理の影は薄く、「死んだ人も生きてることになる」という感情の赴くままにストーリーは動いていました。そう思った理由は、この映画の色の使い方。具体的に言えば、白と黒の使い方です。




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・印象に残った色の使い方


いきなりですが、小説と映画の大きな違いは、文字通り映像があるかどうかでしょう。小説では描写されていなければ、便箋の色は赤かもしれないし、青かもしれない。ペンの色は黄色かもしれないし、緑かもしれない。でも、映像になると便箋の色は白、ペンの色は黒と限定されます。この映画ではほとんどのシーンでこの図式が崩されることはありませんでした。


白い便箋はまっさら。何も書いてありません。そこに黒いペンでしたためるわけです。じゃあ何をと言えば、それは意思エゴといったものでしょう。キャラクターたちが書いていた手紙は、未咲と偽っていたとしても、未咲を生かしていたいという彼ら彼女らの意思表明、エゴです。それはスマートフォンでのやり取りも変わっていませんでした。


ここで、黒を意思やエゴとすると、それに対する白は、上でいうところの秩序、論理、知性、理性、形式ということができると思います。制服が白いのは秩序を、裕里が白い服をよく着ていたのも知性的で、理性的な人物だということを表したかったのかもしれないですね。秩序の反対は混沌、カオスなんですけど、恋心なんてカオスなものじゃないですか。黒い文字で書かれた手紙は、秩序や知性を飛び越えた混沌とした強い気持ちを表したかったのかもしれません。




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また、一般的に白は「生」を、黒は「死」を表すとされています。でも、この映画は未咲の死から始まります。葬式のシーン、おそらく白い棺桶の中の未咲は白装束を着ていたのではないでしょうか。さらに、未咲の仮の仏壇も白い布が掛けられています。この映画では、白=「生」がひっくり返って、白=「死」となっていると私は考えました。白い死から始まる。これは『Love Letter』を彷彿とさせますね。で、その反対の黒は「生」だと。だって喪服って生きていなきゃ着れないじゃないですか。鮎美と颯香だって、学生じゃなければ黒い喪服を着ていたはずですし。


そして、この白と黒のモチーフは、裕里と乙坂の着ていた服にも表れていると思います。手紙を書く裕里は大体白い服を着ていました。これは死んだ未咲のふりをしていたことを象徴していると思います。乙坂に正体がバレるシーンは全く違う服を着ていたこともなかなか暗示的。また、乙坂の服はグレーが多かった。黒と白がごちゃ混ぜになったこの色は、死んだ未咲を生きていると思っている乙坂の心情を表していているのではないかと。でも、未咲が死んでいると分かってからは一転、乙坂は黒い服を着るようになるんですよね。それは、未咲の死を受け止めて、それでも生きて前に進んでみようと思ったからではないでしょうか。


映画の終盤に訪れた図書館のシーン。ここでは裕里は白に白を合わせていますが、乙坂は白の上に黒を着こんでいます。これはまだ未咲の死から離れられない裕里と、受け入れて前に進む乙坂という構図を視覚的に明確にしていたのではないでしょうか。あのコントラストは美しいようで、その実残酷なシーンでもあると思います。


また、真っ白な便箋に黒いペンで手紙を書くこと。これも「生きる」という証明なのかなと思います。何も書かれていない便箋は「死」ではありませんが、黒字すなわち「命」がまだ存在していないことを考えると、「死」と似たようでもあります。そこに「生」を象徴する黒い文字を書き込んでいく。未咲を生かしていたいという意思を書き連ねていく。ここで、文通という設定が活かされていると私は感じました。


アナログである文通の最大の特徴は、筆跡が感じられることだと思います。SNSでのやり取りや、本になった小説は、既定のフォントが使われていて、そこに個人の特徴はあまり見られません。でも、この映画での文通は、それぞれに違う筆跡が描かれていて、人となりを感じさせます。便箋も乙坂はマス目がきっちり指定されたものを使っていますし、手紙から性格がにじみ出ていて、そこが好きなポイントの一つでした。


これは、黒=「生」を強調する効果があったと個人的には感じていて。自らの「生きている」筆跡で書くことで、未咲を生かしておきたいという意思がより強調されていたように思えました。また、劇中で乙坂が自らの本に、三度サインを書いていたのも象徴的ですね。生きていた証拠をより残せたとでも言いますか。お決まりのフォントでは得られない感動がありました。




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で、この映画は最後の図書館のシーンを代表するようにやたらと白と黒を強調してくるんですけど、それがラストシーンへのフリになっていたのがとても好きで。この映画の最後って、体育館に赤いパイプ椅子がずらりと並ぶカットで終わるんですよね。それまでの落ち着いた色合いから一転したこのラストシーンにはとてもインパクトがありました。


この映画には、ファーストシーンや上空撮影、裕里たちが通っていた高校のネクタイや川沿いなど緑色も多く登場します。緑は自然の色で、生命の息吹を感じさせます。ここで気持ちを落ち着けておくことで、目が比較的疲れることなく見ることができて、配慮がなされているなと感じましたが、これさえもラストシーンへのフリになっていました。


赤はメラメラ燃える色。活発な印象があり、緑とともに「生命」を象徴する色でもあります。劇中でも度々ポストが登場していましたが、これも未咲を生かしておきたいという裕里らの強い感情を表していたのだと思います。そして、最後の最後に画面を赤で埋め尽くす。ビジュアル的なインパクトもあり、希望に溢れた未咲と乙坂の感情を表しているようでした。確か『Love Letter』の最後でも、中山美穂さんは赤いセーターを着ていましたし、両作が「生と死」という共通したテーマを持っていることを感じさせますね。そして、最後は「生」に向かうという。いやー好きです。




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まとめると、『ラストレター』はロマンティックでロマン主義な映画だと思います。この夢見がちさが合わない人もいそうですが、私はいい感じに酔えたので好きです。それに、フィクションてやっぱり理想を描いてなんぼと私は思っているので、「死んだ人も生きてることになる」という理想を真っすぐ信じたこの映画を嫌いになるはずがありません。俳優さんたちの演技もいいですし、機会があればみてみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


ラストレター (文春文庫)
岩井 俊二
文藝春秋
2019-09-03



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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『幸福路のチー』。台湾発のアニメーション映画です。去年11月の公開からSNS上でじわりじわりと注目を集めていたこの映画。ぜひ観たいと思っていましたが、年明けになってのこのタイミングでようやく観ることができました。そして観たところ、噂にたがわぬ良作でした。個人的な好みにカチっとハマったんですよね。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

アメリカで暮らすチーの元に、台湾の祖母が亡くなったと連絡が入る。久しぶりに帰ってきた故郷、台北郊外の幸福路は記憶とはずいぶん違っている。運河は整備され、遠くには高層ビルが立ち並ぶ。同級生に出会っても、相手はチーのことが分からない。自分はそんなに変わってしまったのか。チーは自分の記憶をたどりはじめる。

空想好きだった幼い頃は、毎日が冒険だった。金髪に青い目のチャン・ベティと親友になってからの日々、両親の期待を背負っての受験勉強。学生運動に明け暮れ、大学卒業後は記者として忙殺される毎日を送った。そして友との別れ。現実に疲れたチーは、従兄のウェンを頼ってアメリカに渡る。そこで出会ったトニーと結婚し、両親にもアメリカで幸せになることを誓ったけれど……。今、夫から離れて幸福路のいるチーは、昔と同じように祖母の助けを必要としている。

実は人生の大きな岐路に立っていたチーは、幸福路である決断をする――。

(映画『幸福路のチー』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを多少含みます。ご注意ください。








まず、『幸福路のチー』は台湾・幸福路生まれ、アメリカ在住の女性チーの半生を、大人になった彼女が子供時代を回顧するという形で描いています。物語は別として、映像面での特徴を上げるとすれば、アニメならではのイマジネーション溢れる映像が多かったということでしょう。この映画は基本的には色合いも薄めで、画面はシンプル。それでいて色鉛筆で塗り重ねたような暖かみがありました。


しかし、これが子供時代のチーの回想となると一変します。画面はクレヨンで描かれたように色彩が濃くなり単色系に。子供の単純な空想であることを示すかのように、ポップな絵が動き回ります。特に前半は、こういったチーの空想のシーンが満載でとても楽しく見ることができました。ワクワクしましたね。さらに、劇中ではまさかの『ガッチャマン』も登場。「誰だ誰だ誰だー」でまさかとは思いましたが、本当にガッチャマンになるとは。びっくりしたと同時に、日本アニメへの愛も感じて、顔がほころびました。


でも、この空想のシーンは楽しいだけじゃなくて、残酷なシーンもありました。従兄のウェンのシーンがそれですよね。あのシーンって多分、体制に反発して、警察に捕まって拷問されたということですよね。でも、それを童話的に描いていて、残酷に見せない工夫がなされているんですよ。この映画では。なんというかそこにアニメの力みたいなものを感じて、好きでした。




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でも、悲しいのがこれらの空想は、チーが子供時代に夢見ていたもので、大人になったチーからは消え失せていることなんですよね。子供のころは将来の希望に満ち溢れていたし、自分を連れ出してくれる王子様もいて、いつか偉人になることができると信じていた。でも、子供の頃の夢は叶わず、大人になったチーはアメリカで一介の主婦をしています。現実しか見えなくなり、見る夢はあまりいいものではありません。こんなはずじゃなかったという後悔が、チーに押し寄せてきます。


生きていると、きっと誰だって後悔はあると思います
。あのとき、違う道を選んでおけばよかったというのは、多くの人が一度は思ったことがあるのではないでしょうか。「我が生涯に一片の悔いなし」なんてないと思います。たとえ成功者であっても。小1の頃から自分は死んだほうがいいと思っていて、中高生の頃は30才までには確実に死んでると考えていて、子供の頃でも未来に希望がなかった私ですら、どうしてこうなったんだろうと人生を後悔しきりですから。なので、なんとか生活はできているけど、人生に迷っているチーのキャラクターには共感しました。


そんなチーは自らの半生を、特に子供の頃は、美化して振り返っています。まるで邪心なんてなかったかのように。おばあちゃんとのささやかな思い出や、友達のエンやベティと純粋に夢を語りあった日のことを、空想を用いながら大いに美化しています。父親は浪費癖があり、母親とけんかをよくするなど家庭状況もあまり上手くいっていないのにも関わらず、好意的に振り返っています。それは、人生が思うとおりに行っていないチーの切なる願望でもあったのではないでしょうか。私は感じて胸が締め付けられるようでした。


しかし、大人になっていくに連れて、チーの思い出のメッキは剥がされていきます。医者になってほしいという両親の思いに反して別の道を選んだり、学生運動に参加したりと自らの意思で動くようになるにつれ、空想は消え、描写が現実的なものになっていくのは、なかなか来るものがありました。就職してからは両親のために仕事人間にならざるを得なかったというのは、心当たりがある人も多そうです。


少し話は逸れますけど、この映画って現代台湾の現実的な部分も多く描いているんですよね。台湾語禁止の国語教育に、学生運動。戒厳令解除下の台湾の混乱や、蔣介石や陳水扁など実際の政治家の名前も登場します。9.11も描いているのは攻めてるなと感じます。やっぱり人々の生活は、こうした政治的な動きと不可分のものですし、この現実的な部分を描いたことで、翻弄される一般市民に過ぎないチーの内面がより真に迫って伝わってきました












ここで、テーマ的な話をすると、この映画のテーマってタイトル通り「幸福」「幸せ」ということだと思うんです。後悔しているとき、人はあまり自分のことを幸せだと思えないと思います。あの時ああしとけばよかったと、あるはずのない未来像ばかり夢見て、現実を見つめられない部分もあるでしょう。また、満たされたとしても、次から次へと欲が出てきてしまうのが人間だとも思います。ある人にとっては幸せでも、別の人にとっては幸せではないというのはザラです。


でも、この映画の幸せというのは、実は最初に定義されているんですよね。それは「いっぱい食べて眠ることができること」です。何を当たり前のことをとも思うかもしれませんが、現実にはこれが満たされていない人だっています。基本的なことが幸せだとこの映画は言いたかったのだと私は感じました。


つまり、いっぱい食べて眠ることができれば、どんな状態でも幸せなわけです。それはどの道を選んでも同じこと。チーが今の状況に満足していなくても、今の道を選んだこと自体が幸せだと。何を選んでも、選ばなかったとしても、たとえ選択に後悔していたとしても、それをひっくるめて幸せだといっているのがこの映画なのかなと感じます。


そして、それは主体的に選ぶことだけではなく、環境に強制されて選ばされることにも言えるのではないかと。この映画にはベティというキャラクターが登場しました。彼女は金髪碧眼の外国人。子供を二人設けていて、チーから見れば幸せそのものです。それでも、彼女はそのルックスから思うような仕事に就けず、髪を黒く染めて辛うじて働いています。また、子供も台湾国籍なのに「アメリカ人はアメリカに帰れ」と言われていて、幸せ一色ではないということが示されていました。




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ただ、この映画はそんなベティも含めて幸せだというんですよね。ベティの生まれは自分で選ぶことができなかったものですし、チーの祖母も少数民族で、チー自身も野蛮人とからかわれていましたけど、これもどうすることもできません。さらに、それは台湾の社会情勢にまで拡大解釈することが可能で。学校教育や政治って一朝一夕に変えることができないものじゃないですか。台湾語を禁止されたチーのように、社会が選択肢を狭めて、ある一定の選択しかできなかったというケースは枚挙に暇がありません


でも、その振り回されることも含めて、いっぱい食べて寝ることができれば幸せじゃないかとこの映画は言っていると思います。主体的に選んでも、環境に選ばされても、全ての選択は幸せだというとてもやさしいメッセージがこの映画には込められていると、私は感じました。そういう意味では去年公開された『空の青さを知る人よ』を思い出しましたね。あの映画もすべての選択を肯定する映画でしたし。


映画を観ている人で全員が全員、自らの意思で人生を決めてきたわけじゃないですし、自分で選べばよかったと後悔している人も少なくないと思います。でも、この映画はその選択の末にもたらされた今はどうあっても、いっぱい食べて眠ることができていれば幸せなんだと言っているようで、後悔ばかりの自分も少し肯定されたような気がして、胸が暖かくなりました。












だけれど、人生は主体的に選んだほうがいいとも、この映画は言っていると思います。現実にはどこか遠くへ連れ去ってくれる王子様はいませんし、死してなお困ったときにアドバイスをくれるおばあちゃんもいません。王子様に連れ去られるというのは、主体的に選択をすることを放棄しているのと同じことで、それは選択肢を狭める社会環境と何ら変わりないと、私は思います。おばあちゃんの言いなりになることも同じことです。


確かに、出自はどうしようもありませんし、生まれたときの経済状況や家庭状況等で、ある程度人生が決まってしまうのも事実だと思います。社会も個人の力で変えることは不可能でしょう。選ばされることもあると思います。ただ、チーはある時期から主体的に選ぶようになっていますし、選んだ先の人生がどうであれ幸せというのはこの映画の大きなテーマだと私は思います。


ラストがまさにそうですよね。チーは自分の意志で決断をしました。その決断を下した後の、チーの家族の様子はとても暖かで、幸せで、泣きそうになりましたけど、これもチーが主体的に選んだ結果なんですよね。同じ選択をするなら選ばされるよりも、選ぶことの方が大事だというのがこのシーンに込められているような気が私はしました。王子様やおばあちゃんに頼らず、自分で選ぶこと。それができる状況がもしかしたら、一番の幸せなのかもしれないですね。




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以上で感想は終了となります。映画『幸福路のチー』、観終わった後に、心がほんのり暖かくなる良い映画でした。主題歌の歌詞が感傷的だったのも合わせて好きな映画です。機会があれば観てみてはいかがでしょうか。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 






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こんにちは。これです。


いきなりですが、今回のブログも映画感想になります。今回観た映画は『パラサイト 半地下の家族』。去年『万引き家族』も受賞した、カンヌ国際映画祭最高金賞パルムドールに輝いた韓国映画です。今年の公開に先駆けて、去年先行上映が行われていましたが、観た人たちからは絶賛の声が続々。否が応でも期待値は高まります。


ただ、この映画ネタバレ禁止令が出ているんですよね。そのなかで感想を書くのは慣れていないので難しいんですけど、でも、感じたことをつらつらと書いていきたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・格差社会をエンタメとして描く
・鏡みたいな映画




―あらすじ―

過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン… しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、“ 半地下住宅”で 暮らす貧しい4人家族だ。

“半地下”の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。家族全員、ただただ“普通の暮らし”がしたい。

「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。“受験のプロ”のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった——。

パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき…“半地下住宅”で暮らすキム一家と、“ 高台の豪邸”で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく——。


(映画『パラサイト 半地下の家族』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。








※ここからの内容は映画のネタバレを含むかもしれませんし、含まないかもしれません。
 ストーリー及び結末についてはあまり触れていませんが、どうしてもネタバレが嫌ならば、この先は読まないことをお勧めします。















・格差社会をエンタメとして描く


それではここからは感想です!といきたいところなのですが、この映画はポン・ジュノ監督からネタバレ禁止のお願いが出ているんですよね。なんでも「兄弟が家庭教師として働き始めるところ以降の展開を語ることは、どうか控えてください」とのことです。なので、そのお願いに従うのならば、あらすじ以上の展開は書けないということになりますね。まぁこの感想を誰かが読むとはあまり思いませんけど、一応ここではそのお願いに従ってストーリーへの言及は基本的に避けることにします。


まず、ネタバレのない範囲で言うと、俳優さんたちは全員好演を見せていたと思います。ソン・ガンホの無骨だけど、嫌いになれない父親像や、チャン・ヘジンの母親と家政婦の切り替え。長男・ギウを演じたチェ・ウシクのあどけなさの残る表情とは反対に、長女・ギジョン役のパク・ソダムの大人びた仕草。キム家の4人とも余裕のある演技を見せていたのが印象的でした。また、パク家の面々もよくて、個人的には母親役のチョ・ヨジョンのストレートな感じがツボに入りました。これら俳優さんたちの演技だけでも観る価値があると思います。


あとは、格差社会という社会問題を取り扱っているのにもかかわらず、大エンターテイメントをしていたことも好きでした。家庭教師から、タイトル通りパク家に「寄生」するキム家の作戦は、意外なほど頭脳的で見ていてワクワクします。また飲んだくれるシーンでは、いつ事態が動くかとはらはら館を感じながら見ていました。テンポもいいですしね。また、前半は笑えるシーンも多く、集中力のない私でも、飽きることなく見ることができました。やっていることはエグイのですが、コメディカルに見せるポン・ジュノ監督の手腕に脱帽です。




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ただ、ベースとなっているのは格差社会です。現代はますます富裕層と貧困層の格差が拡大傾向にあり、世界の富豪の上位26人と貧困層38億人の資産はほぼ同額だというデータもあるほどです。格差は開く一方でなかなか縮まることはありません。それは韓国でも同じようでした。


キム家は半地下住宅で貧しい暮らしを送っています。全員失業中で、内職で生計を立てる日々。冒頭の数々の描写は彼らが恵まれていないことを強く印象に残します。一方、IT事業で成功したパク家は、坂の上の広い邸宅に住み、家政婦や運転手を雇う余裕もあるほど裕福な生活を送っています。この映画では、この物理的な高低差が、そのまま貧富の差を表していました。富裕層は高台に、貧困層は低地に。


その傾向は日本でも変わりません。南麻布や白金台などといった高級住宅街は、その多くが坂の上にありますよね。高台の上から貧困層を見下ろしているわけですよ、富裕層は。貧困層は見上げるしかないんです。実は、それをより象徴するものがあるんですけど、また後ほど。


さて、富裕層は坂の上に住んでいるから、不況の波だってなんのそのです。だってお金があるから。波は彼らのもとまで届かないのだから。国の富裕層優遇の政策に守られているのだから(消費税とか)。『パラサイト』の劇中にあった〇〇の描写は、コントロールできない不況の波に飲み込まれる貧困層を私は連想しましたね。絵面とも合わさって、目を背けたくなるほど辛いシーンでした。


ただ、高いところに住んでいれば必ずしも安全というわけではなく。反対に、高いところに住むことが仇となる場合もあるんですよね。実はそのことは去年の日本で、既に実証されてしまっていると私は考えます。



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・鏡みたいな映画


いきなり話は変わりますが、去年10月の台風19号は、特に東日本に甚大な被害をもたらしました。私の住んでいる地域でも大きな被害があり、いまだに復旧作業が続いている状態です。自宅にまだ帰ることができない人もいることでしょう。亡くなった方の冥福を祈るとともに、被災地の一日でも早い復旧を願っています。


さて、この台風の話をしたのは偶然ではありません。台風19号で被害を受けたのは低地だけではありません。某所(ご存じでしょうが地名は伏せておきます)のタワーマンションで、断水や停電といった被害が起こりました。エレベーターが使えず、トイレが使用できず、駐車場は浸水。住人の方は困り果てました。


言うまでもなく、タワーマンションとはお金を持っている人が場所でしょう。地価も高いですし、上階に行けば行くほど家賃も上がります。高台の高級住宅街と一緒ですね。でも、タワーマンションは今回の被害によって、台風にはあまり強くないことが明るみになりました。お金を持っていて、高い場所に住んでいたとしても、それなりのリスクはあるということです


タワーマンションの被害が報道されたときに、皆さんはどう思ったでしょうか。心を痛めたでしょうか。私はというと、本当に本当のことを言うと、少しだけ「ざまあみろ」と思ってしまったんですよね。生活にあえぐ貧困層の気持ちが分かったか!と感じてしまったんですよね。もちろん、タワーマンションに住んでいる方々は大きな努力をして、一生懸命お金を稼いで、暮らせるようになったというのは分かっています。日々を無為に過ごしている私よりも、正しく価値のある方々です。でも、いい気味だと感じてしまった。これってめちゃくちゃ醜い気持ちだと思うんです。


貧すれば鈍するじゃないですけど、貧乏だと心もだんだん貧しくなっていくじゃないですか。人を羨ましがり、やっかむようになりますよね。貧乏暇なしで余裕がない。金銭的余裕=精神的余裕ですよ。金銭的な貧富の差がなかなか埋まらないように、心の貧富の差も同じくらい、もしかしたらそれ以上に埋まらないものかもしれないですね。この映画を観て、そこが貧困層と富裕層の一番の違いであるとさえ思えました。




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この映画では、キム家がパク家に「寄生」していく様子はスピーディーかつポップに描かれています。貧困層が富裕層によってたかる姿をエンターテイメントとして映し出しています。問題は、私たちはそれを楽しんでいいのかということだと思うんですよ。傍から見ると醜い「寄生」を、エンターテイメントとして楽しむ心自体が醜いのではないかと


最後の展開で勘違いされがちなんですが、この映画って、貧困層の味方の映画!というわけではないと思うんですよね。もしそうするんだったら、あの展開なんてもっと大願成就の爽快感を出すようにしていると思いますし。つまりは富裕層は富裕層で醜いし、貧困層は貧困層で醜い。そういう人間の醜さを浮き彫りにした映画なんじゃないかと思います。


まとめると、この映画って鏡みたいな映画だと感じました。今自分がどこにいるのかを映し出す鏡。着飾っていても内面は醜いことを照らし出す鏡。私は手取り10万円以下ということもあり、貧困層よりの見方となってしまいましたが、俗に富裕層と言われている方が、この映画をどう見たのかは気になるところです。単に恐怖以外のものを受け取ってほしいなぁと。多くの方に観ていただきたい映画ですね。




とまあ、『パラサイト 半地下の家族』。凄い面白かったんですけど、正直、期待し過ぎた部分はあったのかなと……。先行上映で観た人たちがとにかく煽ってきていたので、それに応じてハードルが高くなっていたんですよね。普段を10とすると、この映画は15ぐらいはあるんですけど、事前のハードルが20くらいに上がっていたので、そこには届かなかったかなと……。今年のベスト10にもたぶん入るかどうか……。もっとまっさらな状態で観たかったです。




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以上で感想は終了となります。映画『パラサイト 半地下の家族』。最後は不満になってしまいましたが、間違いなく面白いので、興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。ああだこうだ言いつつも、お勧めできる作品です。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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