Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『映画ドラえもん のび太の新恐竜』。毎年春休み恒例のドラえもん映画ですが、今年はコロナ禍の影響もあり、夏に延期に。観れなくてやきもきもしましたが、しかし、これが夏休みにぴったりの気持ちいい映画となっていたのだから驚きです。ドラえもん映画でも屈指の"夏"感がありました。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。



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―あらすじ―

のび恐竜博きょうりゅうはく化石かせき発掘はっくつ体験たいけんつけた1つの化石かせき絶対ぜったい恐竜きょうりゅうのたまごだ! としんじたのびが、ドラえもんのひみつ道具どうぐ“タイムふろしき”で化石かせきもと状態じょうたいもどすと…まれたのは双子ふたご恐竜きょうりゅう! しかも、未発見みはっけん新種しんしゅだった。

のびてちょっとたよりないキューと、おてんばなミュー。個性こせいちがいに苦労くろうしながら、おやのように愛情あいじょうたっぷりにそだてるのびだったが、やがて2ひき現代げんだいきていくには限界げんかいがきてしまう。

キューとミューをもと時代じだいかえすことを決心けっしんしたのびは、ドラえもんや仲間なかまたちとともに6600万年まんねんまえへと出発しゅっぱつ! キューやミューの仲間なかま恐竜きょうりゅうたちをさがたびがはじまった。

ドラえもんのひみつ道具どうぐ恐竜きょうりゅうたちのちからりながら、恐竜きょうりゅう足跡あしあとってすすむのびたちが辿󠄀たどいたのはなぞしま恐竜きょうりゅう絶滅ぜつめつしたとされる白亜紀はくあきける、キューとミュー、そしてのびたちの運命うんめいとは──!?

(『映画ドラえもん のび太の新恐竜』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。












前作の『のび太の月面探査記』の後に流れた予告映像。そこには恐竜が映っていました。『のび太の恐竜』および『のび太の恐竜2006』が既にあるのに三本目は……と少し不安に思ったのですが、今作『のび太の新恐竜』は、そんな心配を吹き飛ばしてくれるような映画でした。今までの二作品とははっきりとした違いがあり、思うところがないわけではありませんが、多くの人が楽しめる良作であったと思います。


さて、結論から申し上げますと、『のび太の新恐竜』は主に3つの点で新しいドラえもん映画になっていると私は感じました。それは、


1.恐竜のCG作画
2.のび太たちが一見間違った行動を取ること
3.のび太が目に見える成長をする



という3点です。では、それをここから簡単に見ていきたいと思います。




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『のび太の新恐竜』。その導入はぶっちゃけて言えば、『のび太の恐竜』と大体同じです。博物館の恐竜博を訪れたのび太たち。レプリカのティラノサウルスにビビるのび太をスネ夫とジャイアンは笑います。化石を発掘するコーナーでもからかわれたのび太は、スネ夫たちに本物の恐竜を連れてくることを宣言します。もしできなかったら目でピーナッツを噛んでやるとも。のび太が恐竜の卵の化石を拾い、タイムふろしきで復元。生まれたのが双子の恐竜、キューとミューであることを除けば、ほとんど一緒と思われるかもしれません。


しかし、この映画では今までの二作と大きく異なっている部分があります。それは恐竜の描き方です。今回、恐竜はなんとCGで描かれています。特にオープニングは背景までCGで作り込まれ、まるで違う映画を観ているのではないかと驚いてしまうほど。未知の生き物であるという印象を与えてきて、迫力も大きく増しています。ここが今までとは大きく違う、というかドラえもん映画でも初めての試みではと思える部分で、これだけでも2020年に「恐竜」を描いた意味があったのではないかと。これは観なければ分かりませんね。


キューとミューを育てるのび太とドラえもん。『のび太の恐竜』の大きな魅力の一つとして、ピー助がかわいいということがありますが、今作のキューとミューも負けず劣らずのかわいさを発揮。好奇心旺盛で活発なミューは軽々と飛んだり、ひみつ道具の玉子を口に入れてしまったりとおてんばなかわいさを。少し臆病だけれど頑張り屋さんのキューは、慎重な姿勢と飛ぶために何度も練習を繰り返す健気なかわいさを。二匹を演じた釘宮理恵さんと遠藤綾さんの力もあって、観る者を惹きつけて放さないかわいさを振りまいていました。気に入らない人はそうそういないんじゃないかと思うほどです。お子さんも親御さんも楽しめますね。













※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











育ったキューとミューは、のび太の部屋では飼うのが難しいほどの大きさになります。そこでドラえもんはひみつ道具のジオラマセット(正式な名前は失念)を出して、スモールライトでキューとミューを小さくし、そこで遊ばせます。ミューは簡単に飛べるようになる一方、キューは体が小さかったり、しっぽが短かったりして、なかなか飛べるようになりません。(ここで大事なところでキューが飛べるようになるんだなということは薄々分かってしまうのですが、しっかりとやってくれたので私は感動しました)


ここからが過去二作と違うところなんですが、この映画ってのび太の成長をも描いているんですよね。キューとミューの成長に被せる形で、のび太の学校生活が描かれていて。テストは3点、かけっこでは転倒とお決まりのダメっぷりを発揮していますが、その中でも何度も描かれたのが逆上がりができないということ。この映画はキューの飛翔とのび太の逆上がりを、両者が超えるべき壁として重ね合わせていて。キューと同時にのび太にもスポットライトが当たっているんですよね。ここまでのび太に光を当てるのって、全部のドラえもん映画を観ているわけじゃないんですけど、ありそうでなかったなと感じました。


さて、のび太はスネ夫たち三人にキューとミューを認めさせようとしますが、その過程でドラえもんのミスにより二匹の存在が近所にバレてしまいます。もう現代では二匹は暮らしていけないと、のび太は二匹を白亜紀に帰すことを決意。いつもの5人で白亜紀に向かいます。『のび太の恐竜』ならここで敵の妨害があったのですが今作ではなし。その代わり、のび太のせいで、5人はジュラ紀に着いてしまいます。


ジュラ紀で一悶着ありながらも、なんとか白亜紀に辿り着いた5人と二匹。キューとミューの仲間を探す旅に出かけます。CGの恐竜たちは迫力満点。プテラノドンの大群には懐かしさを覚え、タヌキと同化したドラえもんには笑わされます。


桃太郎印のきびだんごやキャンピングカプセルなどの『のび太の恐竜』に登場したひみつ道具は極力使わないという頑張りも覗かせつつ、5人は二匹と同じ種類の恐竜の足跡を辿って崖に到着します。ここで名前のない巨大翼竜に襲われ、飛べないキューは崖から落ち、助けようとしたのび太と一緒に海に落下してしまいます。


しかし、なんとか一命をとりとめたのび太とキューは謎の島に到着。そこではキューとミューの仲間の新恐竜たちが群れを作って暮らしていたのでした。すぐに馴染むミューとは対照的に、飛べないキューはなかなか仲間に入れてもらえません。爪でひっかかれるシーンは、こんな痛々しいシーンドラえもん映画で出すんだと思ってしまいましたね。




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話は変わるんですけど、この映画の予告には謎の猿や怪しそうに企む女性が登場しました。まあ明らかに敵と思わせているんですがこれはミスリード。実はこの二人はタイムパトロールだったんですよね(ネタバレ)。白亜紀末期に隕石が衝突して恐竜が絶滅する。その歴史を改変させないようにのび太たちを見張っていたんです。


『のび太の恐竜』にはじまり、けっこうな数のドラえもん映画は、止めるべき敵や悪役がのび太たちの前に立ちはだかりました。でも、『のび太の新恐竜』ではそういった悪役は登場しません。それどころか、のび太は絶滅する恐竜を救おうと、ある種の歴史改変さえ叫んでしまいます。いつもは止める側ののび太たちが、今回の映画では止められる側に回っているんです。正しくない、間違った行いをしようとしていると言ってもいいかもしれません。こういう間違った行いを堂々とするというのは、個人的にはなかなか新鮮でしたね。正しくないことしていいんだって。挑戦的とさえ思いました。


見ごたえのある隕石の落下や熱風のアニメーションが危機感を煽り、制限時間は一時間もありません。まあ言ってしまうと、丁寧に前振りしていた通り、窮地のところでキューは飛べるようになり、ピンチは救われるという展開が待っているんですが、ここで注目したいのが、のび太たちの行動ありきで歴史が作られていることなんですよね。


翼を広げて滑空する他の新恐竜に対し、キューは羽をはばたかせなければ飛ぶことはできません。でも、これが鳥類の先祖になっているんですよ。恐竜が鳥類に姿を変えて生き残っているという説は有名ですし、のび太たちがいなければ人類だって生まれていなかったかもしれないんです。少し変わった存在が、間違ったように思える行動が歴史を作る。帰ってきた後の電線に止まるスズメの描写が心憎いです。


予告編の「歴史は変えられないんだ!」というドラえもんのセリフが最高のフリになっていたことに、観終わった後気づきました。『のび太の恐竜』さえフリにしているようなこの解釈はけっこう新鮮で、正直観ている最中は受け止めきれなかったんですけど、今は好意的に捉えています。だってこれ以上ないくらい前向きなんですもの。









先ほど述べたように、この映画ではキューとのび太が似た存在として描かれています。周囲に馴染めず、能力も足りないストレンジャー。でも、キューが飛んだことに勇気づけられて、映画の最後ではのび太も逆上がりを成功させるんですよね。この逆上がりの出来ても何の役にも立たないところが最高で。踏み出す一歩は大きな一歩じゃなくてもいいんですよね。でも、一歩を踏み出したらその後の歴史も変わるわけで。入道雲が浮かぶエンディングは、図らずしも夏にぴったりの終わり方でした。


でも、初めて観たときはこの終わり方にも驚いたんですよね。「のび太、成長しちゃうんだ」って。そりゃ『のび太の恐竜』でも精神面での成長はありましたよ。でも、ここまで目に見える成長をするっていうのは年を取らないドラえもんのような作品では、あまり見られないじゃないですか。成長しないことが最大の特徴(もしくはしてもリセットされる)と言えると思います。


だから、主人公が未知の存在と出会って、なんだかんだありつつ、最後には成長するっていう単作夏休み映画のフォーマットを、ドラえもんでやるのってけっこう珍しいなって思ったんですよ。でも、ちゃんと感動しましたし、お子さんのみならず、大人の方にもエネルギーを与えていて、この新しい試みは成功していると感じました。ドラえもん映画の枠がまた一つ広がった瞬間を目にした幸福感が胸に残りましたし、私はこの映画好きです。




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以上、『のび太の新恐竜』の新しいポイントを主に3点に絞ってみてきました。どれをとっても「新」恐竜の看板に偽りなしの作品になっていると思いますし、今年のドラえもん映画もどなたでも楽しく観ることができます。コロナ禍で一席空けての鑑賞というのは、親子連れには不安な部分もあると思いますが、よろしければ映画館でご覧ください。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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こんにちは。これです。立て続けの投稿である今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『アルプススタンドのはしの方』。教室の隅で霞を食うような学生時代を過ごした私は、この映画の存在を知ってから観たいなと惹きつけられていたんですよね。松本でやってくれるということで遠路はるばる観に行きましたが、観終わってその甲斐があったなと感じました。かなり好きな映画でした。


それでは感想を始めます。拙い文章ですが、よろしくお願いします。



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ーあらすじー

高校野球・夏の甲子園一回戦。夢の舞台でスポットライトを浴びている選手たちを観客席の端っこから見つめる冴えない4人。「しょうがない」と最初から勝負を諦めていた演劇部の安田と田宮、ベンチウォーマーの矢野を馬鹿にする元野球部の藤野、エースの園田に密かに想いを寄せる宮下の4人だったが、それぞれの想いが交差し、先の読めない試合展開と共にいつしか熱を帯びていく……。

(映画『アルプススタンドのはしの方』公式サイトより引用)



映画情報は公式サイトをご覧ください。






※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







元々は高校演劇が原作のこの映画。首都圏等の一部地域では1週間前の7月24日に公開。すると始まるやいなやSNSでは好評が相次ぎ、Filmarksでも初日満足度1位を獲得。元々観るつもりではあったのですが、あまりの評判の高さに期待も膨らんでいきました。


そして、観たところその高い期待を上回る映画となっていました。もう本当私は冴えない学生時代を過ごして、楽しいことと辛いことが1:9みたいな感じだったんですけど、この映画はそんな主役になることはできない者たちにスポットライトが当たっていて、そのあまりの眩しさに目がくらみ、思わず泣き出しそうになりました。私もこういった学生時代送りたかったなって。


舞台は甲子園球場。しかし、球児たちが熱戦を繰り広げるグラウンドではなく、アルプススタンドと呼ばれる観客席。それも華やかに見える吹奏楽部や悔しい気持ちを呑み込んで応援する野球部が陣取る中央ではなく、目立たない最上段の端っこです。


東入間高校の生徒全員が応援に駆り出されていて、それは今作のメインである安田藤野田宮宮下の4人も例外ではありませんでした。


安田と田宮は演劇部に所属していて、無理やり連れてこられたことに不満たらたらです。「野球部のヤツらはなんか偉そう」と敵対視までする始末。分かる…分かるぞ。その気持ち。私の学生時代も学校のグラウンドはほとんど野球部の独占状態だったからな…。野球部ってだけで何かのステータスを得たように振る舞うんだよアイツら…。


まあそれはさておき、この映画で安田を演じたのは小野莉奈さん、田宮を演じたのは西本まりんさんです。恥ずかしながら個人的に小野さんははじめまして。西本さんも『そうして私たちはプールに金魚を、』でうっすら観たことある程度でした。

でも観ていて、2人ともいい感じに諦めていて、冷めていて、でも仲が悪いわけではない微妙なムードはまさにディスイズ女子高生という感じでした。映画が進むにつれて熱くなるんですけど、そこもいきなり感はあまりなかったですしね。



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そして、その隣には元野球部の藤野がいます。彼はピッチャーでしたが、ライバルでエースである園田の壁は高く、途中で挫けて退部してしまったというキャラクターです。これも運動神経悪いのにサッカー部に入っていて、高2のときに辞めてしまった私からすれば他人事とは思えません。


彼を演じた平井亜門さんは嫉妬や羨望等々の感情がごちゃ混ぜになった藤野を、重くなりすぎないように丁寧に演じていた印象があります。イケメンなんですけど、爽やかすぎない雰囲気も好きでした。


また最上段で見守るのは帰宅部の宮下。学年でも成績がトップクラスという勉強家ですが、気弱で応援は全く得意ではない様子。燦燦と降り注ぐ太陽の下も似合わず、全員参加という名目の連れてこられた悲哀を立ち姿からしてまとっています。


個人的にはこれも分かってしまうかなぁ。私も勉強はできなくはなかったんですけど、勉強ができるよりも部活とかに熱中して友達がいっぱいいた方がいいだろみたいに腐ってましたから。宮下は辛うじて腐ってはいなかったですけど、演じた中村守里さんは周囲に溶け込めないオーラを放っていて、宮下というキャラクターにリアリティを加えていましたね。


さて、この4人は表舞台に立つこともできなければ、クラスの中心になることもできない、いわゆるその他大勢と言うことができるでしょう。グラウンドに立てる9人+αの野球部や、スタンドで注目を集める吹奏楽部とはまるで違います。選ばれなかった者たちとも言い換えてもいいかもしれません。


でも、実際学校や社会においては選ばれなかったその他大勢が大多数を占めているんですよね。そういった人たちが選ばれた、キラキラ輝いて見える人たちを前にしたときの反応は大きく分けて2つ自分とは違う世界の住人だからと諦めるか、俺や私の苦労をアイツらは分かってない、苦労している私の方が偉いんだと自分を守って慰めるかのどちらかだと思います。
 







この映画で登場した選ばれた者といえば、姿が映らない野球部の面々の他に、花形のトランペット担当で吹奏楽部長、さらに勉強も学年一位とまさに文武両道を地で行く久住でしょう。彼女はキラキラした存在で、いつもクラスの中心にいるようなキャラクター。演じた黒木ひかりさんはパッと見で分かる華と爽やかさがあり、これは人目を引くだろうなという久住の人物像に説得力を与えていました。


でも、そんな久住は久住で真ん中でいるためにそれなりの苦労と努力をしているんですよね。宮下にスポーツドリンクを渡すシーンにそのことが現れています。向こうから歩み寄ってくれているのに、宮下はそれを拒否する。それは勉強もできて、さらに吹奏楽部長も務める久住を認めてしまったら、勉強しかできない自分が惨めったらしく感じられてしまうと思ったのかもしれません。


また、藤野は下手くそでも野球を続けている矢野よりも途中で辞めた自分の方が正しいと正当化していますし、安田と田宮は部員がインフルエンザにかかってしまい、大会に出場できなかった経験から、どんなにがんばっても結果として実を結ばなければ意味がないと諦めてしまっています。4人は今の状況になったのは自分のせいじゃない、自分にはどうしようもない運命めいたもののせいだと自らに言い聞かせているように私には見えました。


しかし、それはグラウンドの上で戦っている野球部も同じ。一介の公立高校にすぎない東入間高校と違って、相手は甲子園の常連校。プロ注目の有望選手も抱えています。奇跡が起きない限り、東入間に勝ち目は薄い


でも、野球部が投げ出すかといえばそんなわけはないんですよね。相手は同じ高校生なんだからきっと勝てると信じて必死に戦う。この映画ではそんな彼らの姿はついぞ映されませんでしたけど、この映画に主役も脇役の境目なんてやいということを考えれば、意味のある演出だったと思います。




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野球部の姿を見てわずかに心を動かされていく4人。しかし、4人が決定的に変わるきっかけとなったのは、やはりこの映画の主役の1人ともいえる厚木先生の存在があったからでしょう。


この厚木先生は熱血を絵に描いたようようなキャラクター。みんなで一丸となって一つのことを成し遂げるという青春信仰に囚われ、乗り気でない4人も「精一杯声出せ」と迫ります。正直言ってうざったいことこの上ないキャラクターです。

それでも厚木先生だって選ばれなかったその他大勢に属しているので、憎むことなんてできるはずがありません。野球部の顧問をやりたかったのに、茶道部の顧問をしてますからね。彼を演じた目次立樹さんも純粋で悪気のない厚木先生を芯で捉えていて、同情も誘うキャラクターにしていましたしね。


厚木先生は必死に声を出しすぎて、喉を痛めてしまいます。それはもう血を吐くほど。でも、格上に立ち向かう野球部の姿や久住の心情の吐露、そして声を枯らす厚木先生などいくつもの熱情に当てられて少しずつ心動かされていく4人。


とどめに厚木先生の「しょうがないことなんてない」という言葉を聞いて、堰を切ったように安田が頑張れと声を上げる。この映画の最大の転換点で、もうここからは感動のラッシュでしたね。できうる限りの声を出して応援する4人には鳥肌が立ちました。








前述したように、安田と田宮は部員のインフルエンザにより大会に出ることができませんでした。演劇の大会は全国大会が翌年の夏に行われ、3年になる安田と田宮は出場できません。ラストチャンスを不可抗力によって2人は逃してしまったわけです。


しょうがないことだと自らに言い聞かせて納得していた2人。舞台に立てなければ意味がないと諦めていた2人。でも、安田は声を上げたわけですよ。舞台に上がれなくても、クラスの中心になれなくてもできることはあると。頑張れという声は誰にも止める権利はない。言うだけ自由だと。


そして、感動的なのがこの安田の声援によって野球部が息を吹き返しはじめるということです。少しできすぎ感はありますが、それでも安田の率直な気持ちが伝わったのだと感動しました。次々に声を上げる4人。この日一番の演奏をする吹奏楽部。それに呼応するように巻き返す野球部。


そこには一握りの選ばれし者とその他大勢という区別はなくなっています。モテモテの野球部のエースも、文武両道のキラキラ女子も、不可抗力に諦めかけていた4人も、うざいくらい熱血な先生も、みんな地続きで同じ空の下。画面にはうねるような一体感が生まれて、私はどんどんとスクリーンに引き寄せられていきました。


そして、「しょうがないことなんてない」という言葉を体現するかのように、ずっと補欠で藤野から下手くそと評される矢野がついに打席に立ちます。矢野に課せられたサインは送りバント。矢野は見事その指示を完遂し、間接的にですが東入間に1点をもたらしました。


この試合で東入間が挙げた得点は2点。もう一点は犠牲フライによるものです。この2点に共通するのは自らがアウトになってまで、チームに貢献したバッターの存在があったということ。胸を張れるような主役じゃなくても、その他大勢の一人に過ぎなくてもできることはあるというメッセージを伝えてくれているように私には感じました。とても優しいメッセージで励まされた思いがします。



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この映画では、ラストシーンでも4人は注目されるような人物にはなっていません。だからといってそれが何だっていうんですか。地味でも輝けなくてもいいじゃないか。あの夏の日の出来事は4人に確かな変化をもたらし、私自身のつまらない過去ですらちょっと救われました。


私は胸がすくような、世界が開けたような気持ちで映画館を後にすることができましたし、ぜひとも多くの方に観ていただきたい映画だと心から感じました。秀作であり、快作です。



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以上で感想は終了となります。映画『アルプススタンドのはしの方』、輝かしい学生時代を送れなかったその他大勢の人を元気づけるような映画でした。眩しくて清々しいです。85分と上映時間もコンパクトですし、よろしければ十分注意した上で、映画館でご覧ください。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


ファーストデーでの映画鑑賞2本目は『#ハンド全力』。この映画を監督したのは松居大悟監督。松居監督といえば、個人的にはDVDで観た『アイスと雨音』がとんでもなく面白かったので、新作の『#ハンド全力』も機会があればぜひ観たいなと思ってたんですよね。まあ観るには電車に揺られて松本まで行かなきゃなりませんでしたけど。


それでは感想を始めます。拙い文章ですが、何卒よろしくお願いします。




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ーあらすじー

熊本県の仮設住宅で暮らす清田マサオ(加藤清史郎)は、夢中になれるものもなく、高校卒業後の進路も決められずにいた。しかし何気なくSNSに投稿した写真でその生活は一変! それは三年前の震災直後、ハンドボール部員だった頃に親友タイチ(甲斐翔真)と撮った、ジャンプシュート中の“映える”一枚だった。投稿を直近の写真だと誤解した全国のユーザーから続々と応援コメントが寄せられ、「イイね!」の数は増える一方。舞い上がったマサオと幼馴染の岡本(醍醐虎汰朗)は、ハッシュタグ「#ハンド全力」をつけた投稿を続けることにする。
ハンドボールを頑張るフリをした写真や動画を“ねつ造”しては、「イイね!」が増えるよう、マサオたちは工夫と試行錯誤を重ねる。ついには噂を聞きつけた男子ハンドボール部長の島田(佐藤緋美)にスカウトされ、フォロワー戦略として入部することに!
最後のインターハイ出場に挑む島田のもとに、休部中の片山先輩(磯邊蓮登)やクラスメイトの林田(岩本晟夢)、マサオが密かに思いを寄せる女子ハンドボール部のエース・七尾(芋生 悠)を姉に持つ次郎(鈴木 福)、東京から来たダンサー志望の蔵久(坂東龍汰)が集まり、チーム7人が揃った。
果たしてマサオたちはSNSで廃部寸前の男子ハンドボール部を復活させることができるのか――!?

(映画『#ハンド全力』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。




※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。



00年代に登場し、今ではすっかり人々の生活に浸透したSNS。顔も名前も知らない人と簡単に繋がれるようになった一方、日々バズったバズらなかったの競争に匿名性を盾にしたクソリプ、カスDM、罵詈雑言の数々に疲れている人も多いのではないでしょうか。しかし、10代の人たちから見ればSNSは物心ついた時から存在していたものであり、そう易々と切り離せるものではありません。

そんなSNS×スポーツの映画が『#ハンド全力』。ひょんなことからバズってしまったハンドボール部員たちのドタバタを描いています。しかし、この映画観てみたら意外や意外、青春映画にとどまるだけでなく、SNS論や震災からの復興映画という側面も持っていたのです。想像以上に真面目に作られているという印象を受けました。


この映画で主人公である清田マサオを演じたのは加藤清史郎さん。かつて「こども店長」として名を馳せ(られ)た彼ですが、時が経つのは早いものでもう18歳です。SNSに振り回されるマサオの空虚さと震災を経験したことによる諦めを長年の経験を生かして過不足なく表現。迷いに迷う姿は痛々しささえ感じるほどで、いい感じにこの映画に影を持ち込んでいましたね。今後どういう役を演じるのか楽しみになりました。


マサオの幼なじみであり、一緒にSNSを運用していく岡本を演じたのは醍醐虎汰朗さん。『天気の子』でのボイスアクトが記憶に新しいですが、恥ずかしながら個人的には実写で観たのは初めて。物差しがないため何がハマり役かは分かりませんが、それでも眼鏡をかけてマサオとともに調子に乗っていく岡本を飾りすぎることなく演じていました。ブレーキ役になるかと思いきや全然ならないんですよね。そこが少し意外で面白かったです。


個人的にはこの2人を主演に据えたのけっこう恣意的だなって感じていて。ほらこの2人って、こども店長や森嶋帆高という強いイメージがあるじゃないですか。「こうあるべき」という姿が固まっているというか。でも、後述しますけどこの映画って「あるべき」論からの脱却がテーマの一つになっていると思うんです。思えば、この2人はそのテーマを表すにはうってつけの存在だったと映画を観終わってから感じました。


他にも坂東龍汰さんや蒔田彩珠さん、芋生悠さんなど注目の若手俳優さんがこの映画には出演。佐藤緋美さんや甲斐翔真さんなどニューフェイスも適材適所の活躍。さらに成長した鈴木福さんの中坊っぷりもいい。これから大きく羽ばたきそうな俳優さんたちの「今」しかできない演技が見られるのはなかなか貴重なことだと思いました。


さらに脇を固める大人のキャストが、仲野太賀さん、篠原篤さん、志田未来さん、安達祐実さん。さらにふせえりさんに田口トモロヲさんと意外と豪華なのも見どころ。特に志田さんはイメージにないようなあっからかんとした役を演じており、びっくりしました。若手俳優陣をこういったベテラン俳優さんたちがしっかりと支えているため、安心して観ることができます。




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さて、ここからは映画のストーリーについて書いていきましょう。高校生であり日々にやや倦みがちだったマサオは、軽い気持ちでインスタにかつてハンドボールをしていた仲間の写真を投稿。なぜかこれにいいねが多くつき図に乗ったマサオは幼なじみの岡本を巻き込んで、「#ハンド全力」のハッシュタグをつけて、次々と「映える」写真を投稿していきます


(どうでもいいけど「インスタグラム」とか「ティックトック」とか実際のSNSをそのまま登場させているのには結構驚いた。名前を変えて登場させている映画が少なくないから)


震災からの復興×ハンドボールというスポーツのレアさが受けてインスタのいいねもフォロワー数もグングン増加。しかし、勢いに少しずつ翳りが見え始め、新たな展開が必要に。そこで2人は男子ハンドボール部の島田(佐藤緋美)を使うことを思いつきます。そのままなし崩し的にハンドボール部に入部することになる2人。部員はそこから1人増え、また1人増えとついにはハンドボールの試合ができる7人にまで達しました。


7人揃った男子ハンドボール部。試合に向けた練習をするのかと思いきや、ひたすら「映える」写真を撮ることに終始して、全くハンドボールをしません。真面目にハンドボールをする女子部とのコントラストには思わず笑いがこみ上げてきてしまいます。すごく滑稽でしたよね。まあそのノリが前半少しキツイなと感じてしまったんですけど。彼ら、パンツに喜ぶ低俗な高校生ですし。


でも、どうして彼らが「映える」写真を撮っていたかというと、それをフォロワーやユーザーが所望していたからなんですよね。SNSではあるユーザーを好奇の対象とみなすと、多面的な人間をある一面にだけ当てはめてもてはやす傾向があると個人的には感じます。高校生は高校生らしくしていろと言いますか。一定の役割を与えられて、そこから外れた行為が炎上と叩かれるのだと思います。


だから彼らはその役割を必死に演じるんですよね。内面なんてどうでもいい。ひたすらに「映える」写真を投稿して、いいねを稼ぐ彼ら。その姿はとても空虚で滑稽で。目的なんてなかったはずなのに、いつの間にか「復興」という大義名分がついて自分の首を絞めてしまっている。役割から逃れられなくなっている。









そして、これは被災地も同じであると私は感じました。被災者はうんと悲しんで、うんと泣いて、また新たな一歩を踏み出す。そういう分かりやすいストーリーがオンラインオフライン問わず語られがちです。仮設住宅はさっさと出ていくところで、被災者は助け合うもの。それを見て安全圏にいる私たちは気持ちよさを感じる。


でも、現実は違うわけですよ。火事場泥棒だってありますし、仮設住宅で暮らすことを選んでいる人もいる。いつまでも悲しい顔しているわけじゃないけど、そうそう歩き出せるような気持ちになれない人だっている。SNSの一面性とは違い多面的なわけですよ。


それを象徴していたのが、ピースのおじいちゃんが亡くなった後のシーンですよね。葬式を終えた住民たちは、プレハブにカラオケを入れて楽しんでいるんです。人が死んだら悲しんで静かに偲ぶべきという「あるべき」論に真っ向から対立しているんですよね。


でも、湿っぽくなることなく故人の思い出を明るい替え歌にして歌っているシーンは素直に感動しましたし、私が死んだらこう弔ってほしいなとすら思いました。SNSに対する最大限の皮肉ですね。




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また、SNSだけじゃなくてリアルでも役割ってあると思うんですよ。個人的には。それを象徴していたのが女子ハンドボール部のエースである七尾(芋生悠)ですね。


彼女、靭帯を断裂してしまってインターハイに出られなくなってしまうんですけど、マサオとの2人のシーンで「期待されるのが、がんばれって言われるのが苦しかった」というようなことを言ってるんですよね。「こうあるべき」という姿にはめられて、その姿を痛みを我慢してまで演じ続けて。SNSとリアルの共通性を見出すこの展開はなかなか洞察が深いなぁと勝手に関心してしまいました。


でも、その役割を演じることで助かる人もいるということを描いているのがこの映画のいいところ。女子ハンドボール部がインターハイに出場できたのは七尾が柱となって奮闘した結果でしょうし、マサオの親友であるタイチは「#ハンド全力」の投稿に勇気づけられたと語っていますし、SNSも悪いことばかりではありません。SNSを一方的に悪者として描いていないところは好感度高いです。









この感想も長くなってきたので、そろそろまとめに入りたいと思います。この映画で私が一番印象に残ったのが「本当に全力なヤツは全力って言わない」というセリフでした。確かに本当に一生懸命な人は、自分頑張ってるアピールをあまりしない気がします。頑張ってるアピールをするのは、自分が全力だと認めてほしいからだと。


でも、私たちは全力で生きてるとは言いませんよね。いや私は逃げてだらけてぐだ巻いて生きてるんですが、この映画の登場人物は私の目からは全員が全力で生きてるように感じられました。別に被災した云々は関係なくて、人間として普遍的な営みなのでしょう。


その人々の「全力」に当てられたマサオが演技じゃなくて本当に全力でハンドボールに取り組むというストーリー展開は、王道であるがゆえに胸がすくような思いがします。誰もが全力で生きてるとするならば、それは特別に主張することでもない。


最後に七尾がハッシュタグを消して投稿したシーンでは、マサオも全力でハンドボールに取り組む、いや生きることができるようになったのだとエモーショナルな思いがしました。終わり方も最高でしたし、観終わったあとは実に快い気分でスクリーンを後にすることができました。ノリに振り落とされそうにもなりましたが、最後まで観ることができてよかったです。



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以上で感想は終了となります。映画『#ハンド全力』少しノリがキツいかなという部分もありますが、それさえ乗り越えられれば十分に楽しめる一作になっていると思います。興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい



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こんにちは。これです。もう8月になってしまいました。マスクをつけたままの夏は暑くて少し憂鬱ですね。なんとか耐え抜いていきたいと思います。


さて、今回のブログも映画の感想です。松本まで遠出をして観に行った今回の映画は『君が世界のはじまり』。『おいしい家族』のふくだももこ監督の新作です。『おいしい家族』が好きだったので、この映画もぜひ観たいと思っていたんですよね。松本で上映されていて良かったです。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。



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ーあらすじー

希望と絶望を爆発させる夜が幕を開けるー。

大阪の端っこのとある町で、高校生による殺人事件が起きる。その数週間前、退屈に満ちたこの町では、高校生たちがまだ何者でもない自分を持て余していた。授業をさぼって幼なじみの琴子と過ごすえん、彼氏をころころ変える琴子は講堂の片隅で泣いていた業平にひと目惚れし、琴子に憧れる岡田は気にもされず、母親に出て行かれた純は東京からの転校生・伊尾との刹那的な関係で痛みを忘れようとする。皆が孤独に押しつぶされていたその夜に事件は起きたー。

(映画『君が世界のはじまり』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。












『君が世界のはじまり』、一言で言うなら息が詰まりそうな映画でした。普通であるがゆえの苦しみに満ちていて、そこから抜け出せない緩やかで穏やかな地獄。でも、抜け出してもより辛い境遇になってしまうという思春期特有のもどかしさが空気中に蔓延していました。観ていて胸が苦しくなりましたね。


この映画は真夜中のシーンで幕を開けます。救急車のサイレンが鳴り響き、四十代の男性が刺されて亡くなったというショッキングな始まり方です。加害者は息子でした。


時間は巻き戻って、ある秋の日の朝。舞台は大阪のとある街。工場のタンクの前で、女子高生・えんが自転車を押しています。このタンクの錆びたネズミ色がなんとも言えぬ切なさを醸し出していて好きでしたね。黙って登場人物を見守っているかのような。


そこにやってくるのが、えんの友人の琴子。あっけらかんな性格をしていて、えんと一緒に二人乗りをする様子は若々しさと痛々しさを同時に感じました。学校中を琴子が走り抜けるオープニングも疾走感があって良かったですね。


群像劇的な性格が強いこの映画において、名目上の主人公であるえんを演じたのは松本穂香さん。ふくだ監督とは二度目のタッグですが、前作『おいしい家族』とは異なる表情を見せていました。一見幸せな家庭で成績も学年一位なんですけど、どこか満たされていないというか。目の奥に密かな不満が滲んでいるかのような。そこに取り繕った感じは全然なくて、あくまで自然体な感じが良かったです。


一方、琴子を演じたのは中田青渚さん。『もみの家』や公開延期になってしまいましたけど『街の上で』などの作品に出演している若手女優さんですが、より主役に近い役どころを与えられた今作では目が覚めるような好演を披露。サバサバとした性格で、口もあまり良くないですが、好きな人をデートに誘うなど根は純粋な琴子を細かな口調の違いで表現。タバコを吸う姿も絵になっていました。



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授業をサボって学校の講堂にたむろする二人。未来だの希望だのポジティブが押しつけがましい校長の話をクソだと評して盛り上がります。しかし、倉庫には見知らぬ男子が。それはサッカー部員の業平でした。琴子は業平に一目惚れをしてしまいます。


業平を演じた小室ぺいさんはこれが映画初出演ということですが、華といい意味での平凡さを兼ね備えたルックスが業平というキャラクターに合っていましたね。


ここで物語は別のシーンへ。とあるマンションの一室。父と娘が二人で暮らしています。父親は食事を用意するも、娘は食べずに出ていってしまう。親子仲は良好とは言えません。


この父娘の娘である純を演じたのは片山友希さん。今までもいくつかの映画でお見かけしていましたが、ちゃんと意識してみたのは初めてかもしれません。母親に出ていかれた純の孤独、寂しさ、怒り、やりきれなさ、そういった属性全てを混ぜ合わせたような表情と挙動が印象的で。その口調はすり寄るかのような突き放すかのような。終盤夜の駐車場で感情を爆発させるシーンは圧倒されました。観ている最中でも注目度がどんどん上がっていってましたね。自分の中で。


間もなく閉店になるショッピングモールで、友達とだべる純。しかし、その友達は別の友達と去っていってしまい、純は苦痛を抱えてしまいます。「気が狂いそう」とスマホに向けて発した瞬間にかかったのは、ブルーハーツの「人にやさしく」。パンキッシュなメロディに引き上げられるかのように、純は元気(空元気だけど)を取り戻していきます。


そして、たどり着いたのは屋上の駐車場。その車の中で一組の男女が逢瀬を重ねていました。その男はかつての純の顔見知り。親が再婚して東京からやってきた伊尾は非常階段に純を連れ出します。純と伊尾の会話は寂しげに瞬く白熱灯と共にアンビバレントな雰囲気を与えてきました。


この伊尾を演じたのは金子大地さん。何も変わらない退屈な街に嫌気が差し、東京に出ていきたいと語る伊尾を、まるで自分の気持ちに嘘をつくかのような抑えめの演技で表現していました。強がりと言い換えてもいいのかもしれません。だからこそ終盤の解放が刺さります。











映画はこの五人と、そこに琴子に憧れる岡田を加えた六人を軸に展開していきます。(岡田を演じた甲斐翔真さんは一番ニュートラルな立ち位置でしたけど、彼なりに苦悩している様子が良かった)。


そこで描かれるのは「普通」であるがゆえの苦しさ。そして、抜け出そうともがく高校生の息が詰まりそうな切実な姿でした。


そう彼ら彼女らはどこまでも「普通」なんです。純や業平は母親に出ていかれている、いわゆる片親の家庭ですが(ここで亡くなったとしないのがふくだ監督の作家性なのかな。希望を残す的な)、この映画はそれを特別視しないんですよね。側から見れば「特別」でも、当人たちにとっては「普通」という当たり前のことを当たり前のように描いていると言いますか。それはそれで枠に当てはめるようで、残酷なことではあるんですけど。


だから、彼ら彼女らはその残酷味を帯びた「普通」から抜け出したいわけですよ。そこで彼ら彼女らが逃げるのが、工場のタンクの前や、立ち入り禁止の講堂、閉店後のショッピングモールといったある種「特殊」な空間です。学校も家庭も普通。普通すぎて息が詰まりそう。そこからの解放を目指して、「特別」な場所に引き寄せられていたんだと私は思いました。


この映画は夜のシーンがとりわけ多く、明るい日中でも純と伊尾の二人は日の差さない非常階段で会話を重ねています。カラフルな昼の世界では目に見えるものが多すぎて、気圧されて言いたいことが言えない彼ら彼女らでも、洗練された夜の世界では自由になれるわけで。それは二度あった夜のショッピングモールのシーンに現れていると思います。

 


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とりわけ重要だったのが二回目のシーン。交差しなかったえん、岡田、業平の三人と、純と伊尾のストーリーがここで交差します。そこでなされるのは大小さまざまな心情の吐露。それはまるでこじれた関係を清算するかのよう。


そして、お互いの気持ちをぶつけ合った五人は吹っ切れて楽器の展示スペースに集まります。そして、ブルーハーツの「人にやさしく」をエア演奏。あまりのやりたい放題っぷりに守衛の人は何してんだと思わないでもなかったですが、ここの解放感は凄かったですね。だってここまでの積み重ねが爆発したのですから。


その積み重ねとはこの映画に度々登場した赤色だと私は思います。琴子とえんが咥えるタバコの火。純がしまった口紅。琴子が着ていた服に、岡田のユニフォーム。果ては血の色まで。この映画では赤が何度か登場しました。これを私は大人になりたいという彼ら彼女らの背伸びの象徴だと考えます。あくまで赤を重ねるこの映画はまるで「青い春」と書く青春を拒絶しているかのようです。それは現状に満足できない彼ら彼女らの心象でもあったのでしょう。


でも、反対にブルーハーツは、バンド名に「ブルー」と入っているだけあって青いわけですよ。おそらく私の考えではこの映画の青は「今」の象徴。純と伊尾が感情をぶつけ合った車も青かったわけですし、青であるブルーハーツを歌うということはままならない「今」を受け止めるということ。それは彼ら彼女らが「今」の自分を受け入れたようで、それは抜け出せないという諦めにも似ているのでしょうが、吹っ切れた彼らにはどこか清々しさを感じます。


しかし、この演奏に参加しなかった琴子はいまだ自分を認められないという呪縛に囚われたままです。それでも、この映画はそんな琴子にも救いを用意しているんですよね。この映画のラストシーンには水たまりに青空が映っていました。ここに私は紆余曲折はあるかもしれないけど、琴子も「自分」になれるという希望めいたものを感じましたね。何かが解決したわけではないんですけど、気持ちの良い終わり方でした(そういえばブルーハーツにも「青空」って曲あるなぁ)。











もうですね、描かれていることはジワジワとキツいものがあるんですけど、終わってみればほんのりと暖かな気持ちになるんですよね。それはたぶん『おいしい家族』にもあったふくだ監督の優しい視線によるものだと思っていて。


だって「人にやさしく」では「がんばれ」と歌うんですよ。この「がんばれ」が6人だけじゃなく、この映画の全ての登場人物、父親を殺してしまった少年にすらも、捧げられる。誰の「普通」をも肯定する優しさですよね。最後のEDもそうですけど「あなたも普通で気が狂いそうになると思うけどがんばれ」というふくだ監督からのメッセージを私は感じました。綺麗事ですけど、綺麗事が人を救うことだってありますからね。このメッセージ、私は好きです。




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以上で感想は終了となります。映画『君が世界のはじまり』、ジワジワと重たい雰囲気が支配していて、何か大きな事件も起こるわけではないので、合わない人もいるかと思います。でも、私は好きですし、小さな元気みたいなものをもらいました。興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい

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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『劇場』。行定勲監督がメガホンを取った山崎賢人さんと松岡茉優さんのダブル主演作です。当初は4月公開予定でしたが、コロナ禍で公開延期。しかし、7月という案外早いタイミングで公開されることに。ただ、公開規模はかなり縮小し、私の地元のシネコンでも上映は取りやめとなってしまっていました。


それでも、なんとそういった方々への救済措置として、Amazon Prime Videoでも公開日とともに同時配信という日本映画でも類を見ない状態に。一番近くで上映している映画館が松本にある私にとっては、ありがたいことこの上ないです。本当は映画館で観たかったのですが、今回は配信での鑑賞となりました。


そして、観たところ、私みたいなワナビーには刺さる映画となっていましたね。配信という形にしてくださったことを心から感謝したいくらいの良作でした。


それでは感想を始めます。拙い文章ですが何卒よろしくお願いします。




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―あらすじ―

高校からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で脚本家兼演出家を担う永田(山﨑)。
しかし、前衛的な作風は上演ごとに酷評され、客足も伸びず、劇団員も永田を見放してしまう。
解散状態の劇団という現実と、演劇に対する理想のはざまで悩む永田は、言いようのない孤独を感じていた。
そんなある日、永田は街で、自分と同じスニーカーを履いている沙希(松岡)を見かけ声をかける。
自分でも驚くほどの積極性で初めて見知らぬ人に声をかける永田。
突然の出来事に沙希は戸惑うが、様子がおかしい永田が放っておけなく一緒に喫茶店に入る。
女優になる夢を抱き上京し、服飾の学校に通っている学生・沙希と永田の恋はこうして始まった。

お金のない永田は沙希の部屋に転がり込み、ふたりは一緒に住み始める。
沙希は自分の夢を重ねるように永田を応援し続け、永田もまた自分を理解し支えてくれる彼女を大切に思いつつも、理想と現実と間を埋めるようにますます演劇に没頭していき―。

夢を叶えることが、君を幸せにすることだと思ってた―

(映画『劇場』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。











『劇場』は予告編や宣伝では、"恋愛映画"と銘打たれていました。主演に山崎賢人さんと松岡茉優さんという今を時めく人気俳優の二人を据えており、予告編でも沙希が永田を受け入れるシーンや、自転車での二人乗りのシーン、「一番会いたい人に会いに行く、こんな当たり前のことがなんでできなかったんだろうね」という決め台詞など、少し不穏な空気はあるものの、概ね恋愛映画としてアピールしています。


しかし、これはとんでもないミスリードでした。確かにこの映画の着地点は恋愛映画となっていますが、そこに至るまでの過程は、むしろ何者でもない永田があがく姿に焦点が当てられています。純文学的なモノローグが、才能がない人間が夢を追うことは緩やかな地獄であることを浮かび上がらせていて、じりじりと忍び寄ってくる苦しみみたいなものを私は感じました。


もう最初の「いつまで持つだろうか」というモノローグからグサグサ刺さってくるんですよね。趣味で誰にも読まれない小説紛いを書いている私の身からすれば。全く評価されないどころか、酷評ばかり。みんな失敗しているならいいですけど、成功している人もいるのが劣等感に苛まれる。そんな中でモチベーションを保つことは簡単じゃないですよ。映画はいきなり山崎さんの目線のアップから始まるんですけど、世の中を睨むような目にいきなり引き込まれました


この映画で主人公である永田を演じた山崎賢人さんは、世間が持つ爽やかなイメージとは一変して無精髭を生やしていて、ぱっと見ランチパックのCMの人とは同一人物とは思えない風貌。夢を追っていると言えば聞こえはいいですが、実際は沙希の家に転がり込むヒモ。夢の実現には程遠く、どんどんと追い詰められていく永田の憔悴を山崎さんは過不足なく表現。沙希に受容されて、ごまかすように生活を続けていく背徳感みたいなものが、時にオブラートに包まれながら、時に爆発。関西弁が残る口調も効果的で、『キングダム』など話題作への出演が続くのには、確かな理由があるのだなと思わされました。


永田は友人と劇団「おろか」を主宰していますが、評判は散々。劇団員との仲も良くなく、映画が始まってからずっと追い詰められています。そんなある日、渋谷で同じ靴を履いた沙希と出会います。この沙希を演じたのが松岡茉優さん。シリアスな役柄を演じることもありますが、今回の沙希は明るくて、無邪気で、純真で、無垢。


猫なで声っぽい声で永田を引っ張っていく沙希には、松岡さんの可愛らしさがこれでもかと発揮されています。優しい口調は、孤独を感じている永田を引きずり込むには十分なほどで、天使を通り越して悪魔的。終盤にエセ関西弁を使うところとか、可愛さがエグかったですね。かと思えば、終盤にはシリアスで怖い一面も見せる。その落差の大きさが演技力を如実に表していて、思わず息を呑みました。





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喫茶店で少し話した後、軽くデートみたいなこともして、永田は沙希の部屋に行くようになります。お互いの好きな音楽に影響されるという正しく恋愛映画みたいな描写も経つつ、永田は自身が書いた演劇の主演女優に沙希をキャスティングします。ここの松岡さんの舞台上の演技が生き生きとしていて良かったですね。沙希を主演に据えた演劇は成功を収めますが、その後、永田が自身の演劇に沙希を起用することはありませんでした。沙希に頼るのが情けないと感じていたのかもしれません。その直後の演劇は、わざとやってるのかってくらいつまらなかったですし、沙希を起用し続けていたらまた違った未来があったのかもと、この時点でさえ思わずにはいられません。


そして、ここから夢を追うことの苦しさが波のように押し寄せてきます。「おろか」は定期的に公演が打てるようになりましたが、そのせいで日雇いのバイトは入れられなくなり、永田は貧乏になって沙希の部屋に上がり込む。夕方にようやく起き出し、言い訳みたいに散歩をするけど、演劇のことはほとんど何も浮かばない永田。才能がない人間が夢を追う姿が可視化されると、ただただ辛いだけなんだなと思わされます。


でも、沙希はそんな永田のことを徹底的に甘やかすんですよね。「ここが一番安全な場所だよ」とか言って。変われない永田を叱咤することもなく、その明るさで受容する。そして、永田もお面を被ってふざけるシーンに代表されるように「沙希がずっと笑ってくれれば、それで良かった」みたいなことをモノローグで言ってしまいますし。一見幸せそうに見えて、底には嫌味みたいなものがずっと流れており、心がねじれていくような感覚を味わいました。二人でゲームをやる姿は虚無以外の何物でもありませんでしたね。


ただ、やっかいなのが永田のちっぽけなプライド。掃いて捨てるような微かなプライドですが、そのプライドが邪魔をして、永田はだんだん沙希にイラつくようになってしまいます。「彼女の姿を見ていると、劣等感が刺激され、苦しみが増すことがあった」という永田の吐露は、思わずそうだよなと頷いてしまうものでした。




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現実から目を背けるように、演劇に打ち込む永田の姿は事情を知らなければ、求道者みたいに格好よくも見えるのでしょうが、彼の心情を知ってしまったからには哀れにしか見えませんでした。沙希が男友達からもらったバイクを壊すの、本当にダメ人間って感じだったんですけど、心は痛かったですね。こういったワナビーが現実にもたくさんいるんだろうなって、思いを馳せてしまいました。


そんな背を向け続ける二人にも、現実は容赦なく襲い掛かってきます。沙希は専門学校にも行かず、昼間からゲームをするようになり、永田も演劇が上手くいっている様子はありません。沙希が専門を辞めて?朝から夜まで働くようになると、永田は完全なヒモになり、酒を飲んで苛立ちをごまかすようになります。夜通しゲームをやるシーンはどんどん堕落していくようで、キツかったですね。


そんな中、永田は一緒に劇団を旗揚げした友人に誘われ、「まだ死んでないよ」という劇団の演劇を観に行きます(ここで登場する評論家たちに注目)。そこで永田は涙を流すほどの感動を覚えますが、作・演出の小峰ダイが同い年だという現実がのしかかってきます。天才とつけられたえげつない差。さらに、屈辱的なことに元劇団員から演劇の感想を書く仕事を回される。プレイヤーと傍観者の間には、埋めがたい差が横たわっていて、永田にしてみれば、それは自らの負けを認めるようなものだったのかもしれません。


それでも、永田は仕事を受け、なんとか自分で生活ができるようになり、沙希の部屋から離れます。しかし、たまにどうしようもなく会いたくなり、酒を入れてから沙希の部屋へと舞い戻るというクズ男ムーブを発揮。一方、沙希も居酒屋でのバイトもあり、酒に溺れるようになります。最初あんなに明るかった沙希がやさぐれていくのは、松岡さんの演技力もあり、もう見ていられません。勝手に合鍵を出して、部屋に入った永田に沙希が告げた「私、お人形さんじゃないよ」という台詞は二人の関係がこじれにこじれまくったことを如実に表しているように感じました。




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とまあここまでの展開を見れば、持たざる者の苦悩がメインに描かれています。この挫折の物語のどこが恋愛映画なんだと、私は感じていました。しかし、ラスト30分でこの映画はコペルニクス的転回を見せて、恋愛映画へと着地していきます


その最たるものが、予告編にもあった自転車を二人乗りするシーンでしょう。恋愛映画でありがちなシーンですが、この映画がオリジナリティを持っているところは、一方が全く喋らないこと。永田が一人で喋っていて、沙希は全く喋らないんです。何も喋らない沙希は最初は怒っているのかなと感じ怖かったのですが、永田の話を聞いているうちにだんだんと物腰柔らかになっていくんですよね。これを表情と仕草だけで表した松岡さんは凄いなって。無言の芝居でもこれだけ伝えられるんだと圧倒されてしまいました。桜が咲く道をそれまでの時間を清算するかのように、走っていくのは薄暗いとはいえ、画的にも綺麗でしたしね。


そして、ラストの展開ですよ。正直、グッときました。二人が一緒に過ごした数年間は、夢を目指したものの、何も変わらず、何も叶わず、間違っていた時間だったのかもしれません。地元の友だちは結婚して家庭を築いているという焦りも沙希にはありました。たらればを言えばキリがないですが、青森にいたままだったらまた違う人生があったかもしれない。でも、二人は最後にその時間は過ちではないと肯定するんですよね。舞台に出さないことで、永田が沙希の未来を奪ったのかもしれないし、沙希が甘やかしたせいで、永田は堕落していったのかもしれない。でも、二人で過ごした時間は間違いじゃなかったと肯定するんですよ。これを"恋愛"映画といわず何といいますか。


そして、これは現実にも多くいるであろうワナビーを救うことにも繋がっていると私は思うんですよね。作っても作っても報わらない日々。いつまで持つだろうかという不安。振り返ってみれば、自分は何も誇れるものなど残してきてはいないし、このまま苦しみが続くなら、いっそのこと辞めた方が良いのかもしれない。この映画は「続けようぜ」と励ますようなことはしないんですけど、「君が選んだ道は、過ごした時間は間違いじゃない」とは言ってくれていると思います。夢をあきらめた人、つまりほとんどの人間に、響くようなそんな映画だと感じました。




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以上で感想は終了となります。映画『劇場』。山崎賢人さんと松岡茉優さんの演技のアンサンブルが楽しめるだけでなく、かつて夢を持っていた方々の琴線に触れるような、そんな良い映画になっていると感じました。上映している映画館は少ないですが、配信でも観られるので、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。


リンク↓
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08BJDP37F/ref=atv_hm_hom_3_c_8syuGY_RZFFG8_1_1



お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


劇場
井口理(King Gnu)
2020-06-25



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