右腕に巻かれたリストバンドが、まだその感触を伝えている。今日一日の出来事が確かな現実であったことを示しているかのように。私はベッドの上でそれを丁寧に外す。これで本当に終わったのだ。二度と訪れることのない2018年7月28日が。



















午前4時45分。起床を告げるスマートフォンのアラームが鳴った。夏とはいえ、この時間帯はまだ太陽も目を覚ましていない。私は重たい頭をなんとか上げて、出かける準備をした。チケット。財布。雨合羽。それらをボロボロで、見てくれの悪いリュックに詰め込む。そして私はAC長野パルセイロのユニフォームに袖を通し、駅に向けて自転車を漕ぎだした。空には明るくなっていた。


ーJリーグ苗場支部。

それは10年ほど前からフジロックで行われている集会だ。Jリーグクラブのサポーターと呼ばれるファンが、それぞれのユニフォームを着て、会場である苗場スキー場に集まる。そしてそこでビールを片手に交流をしたり、全員で集合写真を撮ったりするというのが通例となっている。


私は前々からそのJリーグ苗場支部に興味を持っていた。行ってみたいと思っていた。だが、夏フェスと呼ばれるものに行ったことのない私にとって、目の前に立ちはだかるハードルは、めっきり姿を見かけなくなった電話ボックスほどに高かった。


そんな私のもとに木曜日、つまりはフジロックの前夜祭の日、その楽しそうな様子がツイッターのタイムラインを通して流れてきた。行ってこの盛り上がりを体験してみたいと思った。そのとき、私の心の中に階段が築かれ、今まで越えられなかった電話ボックスを越える大きな助けになってくれた。その翌日、私はコンビニでチケットを買った。自分でも驚くほど何も考えずに買うことができた。

















空が完全に明るくなり、一日を迎える準備が整った午前6時頃。私は駅に到着した。フジロックのチケット代は2万円と高い。だから私は少しでも節約するために、行きは鈍行で行こうと考えたのだ。今考えると、その判断は誤りだった。だが、そのときの私はそんなことなど露知らず、走ってローカル線に飛び乗った。


車窓から見えるのは田畑の緑や林の緑。人間に整備されているのといないのとでは、同じ緑でも微妙に色合いが違う。後はトンネルの灰色。しかし私はそういった車窓からの風景には目もくれず、睡眠に集中していた。電車には私と同じくフジロックに行くと思しき高校生の二人組しか乗っていなかった。目を覚ましたときには幾分増えていたが。


乗り継ぎを2回して、目的地である苗場スキー場へのシャトルバスの発着点・越後湯沢駅に到着した。家を出発してから、4時間ほどが経ってのことだった。電車が止まった瞬間に一斉に立ち上がる乗客がなんだか可笑しかった。「ああこの人たちもフジロックに行くんだな」と一方的に仲間意識を感じてしまったりもした。


駅から一歩外に出ると、そこには100人ほどの人々が、投げられた餌に集る鯉のように、いた。そこで手渡されたのは手書きの会場案内図。地元である湯沢の人が書いたそうで、温かみが伝わってくる。また、その裏面は駅前の地図になっていた。この地図を提示すると、いくつかの店でサービスが受けられるというものだった。私はその地図を参照し、各ステージの位置関係を頭に入れてバスに乗り込んだ。


シャトルバスは山道を行く。スマホを弄るのにも飽きた私は、再び寝ることを試みた。しかしバスは上下左右に揺れる。寝ることなどできなかった。なんとなく外を眺めていたところに目に入った弾幕。


「フジロックまであと15km!スピードは控えめに」


「マジかよ」と思った。そんなにあるのかと鬱蒼とした気持ちになりかけた。私は音楽プレイヤーで、この日出演するThe Birthdayの曲を聴きながら、なんとかバス移動をやり過ごした。途中、まるで進むことを忘れてしまったような渋滞にも巻き込まれたときには「これじゃ十一時からのJリーグ苗場支部に間に合わない」と焦ったが、諦めずバスが進むのを待った。越後湯沢駅を出発してから約一時間。バスは会場の苗場スキー場に到着した。Jリーグ苗場支部の開始時間である11時まで後5分もなかった。








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バスは苗場スキー場に到着した。リストバンド引換券を手に、ゆったりと歩く人たちの隙間を縫って先を急ぐ。気分は「アイシールド21」の小早川瀬那だ。待ち遠しい気分だと時間が過ぎるのが遅くなるという相対性理論的な思いをしながら、リストバンド引換所に到着した。引換券を差し出し、水色の今日一日限定のリストバンドを手に入れる。私はその2万円を早速、腕に巻いた。私が四日働いて得られる賃金と同等のそれは、実際の重さよりも重く感じられた。


ゲート前で撮影する人たちに倣って、私もゲートの写真を撮る。自分は見てて気持ち悪いから入れない。リストバンドに埋め込まれたICチップを、専用のリーダーに読み込ませて入場が完了した。このとき11時15分。Jリーグ苗場支部の開始時間11時からだから完全に遅刻である。同じくユニフォームを着ていた何人かの人を追い越しながら、オアシスエリアの櫓に辿り着く。するとそこには様々なチームのユニフォームを着たサポーターたちが櫓を取り囲むようにして、いた。赤も青も黄色も緑も紫も。まるで文房具屋に並べられている色鉛筆のようだった。GREEN STAGEからeastern youthが聞こえていた。



司会の人が言っている。


「続いてはJ219位、カマタマーレ讃岐。カマタマーレ讃岐サポーターの方いらっしゃいませんか」


事前のツイートでは、まずビールで乾杯を行い、それから、J3の下位チームから自己紹介をするという手筈だったはずだ。それがJ2の19位から始まっている。ということは、J3で12位につける長野の順番はもう終わってしまったということなのか。


辺りを見回してみると、2人の長野サポーターの姿を視界に捉えることができた。近づいてみると、2人は一瞬驚いたような顔をしたが、その顔はすぐに笑顔に変わった。


「こんにちは」
「あっ、こんにちは」
「あの、長野の順番ってもう終わったんですか」
「うん、うちらこの順位だから一番最初に呼ばれたんですよ」

やはり長野の順番は終わっていた。各チームサポータの紹介は、まず挨拶、そしてそのチームのチャントと呼ばれる応援歌を歌うという流れで構成されていた。となれば、この2人は70人ほどのサポーターの前で一体どんなチャントを歌ったのだろう。


会話は続く。

「お二人はこちらに来られて長いんですか?」
「そうですね。今年で7年目くらいですかね。JFLの頃から」
「私は今年初めて来たんですよ」
「そうなんですか!?よく来ましたね!」
「あの、興味があったんで」
「なるほど。いつもこの2人なんで嬉しいです」


そうして3人で写真を撮った。他のサポータに撮影をお願いしてもらい3人でタオルマフラーを掲げている写真を撮った。


また、見ると一人の方の手には八幡屋磯五郎の七味の子袋があった。聞くとこれを各チームのサポーターに配るのだという。そういえばJリーグ苗場支部のツイートにもお土産歓迎と書いてあり、実際にアルビレックス新潟サポーターは挨拶の後に、フィクションのなかで手配書を配る軍隊のごとく、ハッピーターンをばら撒いていた。どうやらこのハッピーターンばら撒きはJリーグ苗場支部でも恒例行事となっているらしく、名古屋グランパスのサポーターや北海道コンサドーレ札幌のサポーターも地元の銘菓をばら撒いていた。私のところには一つも来ることはなかったが、貰って喜んでいるサポーターは多かった。


挨拶は延々と続く。私はその割と早い段階、J2の15位か16位くらいに、お昼ご飯を買いに行った。数多くある店の中で私が選択したのはインドカレー屋さんだった。Jリーグでもインドカレーを提供しているスタジアムは数多くある。中でもその代表格と言えるのがジェフユナイテッド市原・千葉のサマナラカレーだ。いつか食べたそのサマナラカレーの美味しさが私の中で思い出され、気づいたら出店の前に立って注文をしていた。注文したのはバターチキンカレー。甘口で子供にも食べやすいとの触れ込みだ。ナンorライス?という質問にはナンと答えた。


カレーは美味しかった。確かに甘かったがスパイスもちゃんと効いていた。ナンも素朴な味わいで美味い。いくらでも食べられる味だと感じた。私はJ2チームのサポーターの挨拶を聞きながらそのカレーを貪り食べた。ファジアーノ岡山サポーターが名物の桃太郎チャントを歌っていた。


J2チームのサポーターの挨拶が終わるとインターミッションとして、野球チームのユニフォームを着たファンが挨拶をした。横浜DeNAベイスターズや埼玉西武ライオンズのユニフォームが多かったように思う。前に出て喋っていた人も西武ユニだった。「今年は西武が(日本シリーズ)獲りますんで」という意気込みの後に、西武のチャンステーマが歌われた。続いてBリーグチームのユニフォームを着た人が3人前に出てきた。「BリーグとJリーグはシーズン被ってないんで、Bリーグもよろしくお願いします」ということだった。私は毎年Bリーグを観に行っているし、来シーズンも観に行きたいと考えた。新しく建設された千曲市のアリーナで。


時計は12時を回った。J1チームのサポーターの挨拶だ。名古屋グランパスのサポーターが「あなたのチームでベンチを温めている選手はいらっしゃいませんか」と呼びかける。柏レイソルのサポーターが仙台さんごめんなさいと、退団したハモン・ロペス選手のチャントを歌えば、鹿島アントラーズのサポーターが移籍した金崎選手のユニフォームを持ってきて「鳥栖サポはいませんか」と声をかける。浦和レッズのサポーターの挨拶時には愛のあるブーイングが流れ、FC東京のサポーターがフジロックのおすすめグルメを周囲のサポーターに尋ねる。挨拶時にもサポーター同士が思い思いに話している。普段のスタジアムではなかなか見ることができない光景がそこにはあった。大迫半端ないってゲーフラを掲げる鹿島サポーターの写真を撮ろうとする他サポーターの姿が印象的だった。


J1で首位に立つサンフレッチェ広島のサポーターの挨拶が終わると、全員で写真撮影という流れになった。左にポジションを取り、タオルマフラーを掲げる長野サポーター3人。とられた写真には1人しか写っていなかったが、長野サポーターは毎年来ている2人と私、ちゃんと3人いたのだ。


「来年は3人で挨拶しましょう」
「はい、ぜひよろしくお願いします」


一言二言交わして、途中松本山雅のサポーターと写真を取ったり、「全然バチバチしてない笑」と言われながら、私はJリーグ苗場支部を離れた。初めてのJリーグ苗場支部は思っていたのの半分ぐらいしか楽しむことができなかった。それは私が最初の乾杯から参加しなかったからで、アルコールが入っていればまた何か違ったのかな、と感じた。










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私の他に2人来ていた長野サポーターのそのうちの一人についていく。目指すはフジロック最大4万人の収容人数を誇るGREEN STAGEだ。曇り空の下を歩く。そしてGREEN STAGE前に辿り着いた。立ち見エリアのちょうど真ん中あたりに立った私の左斜め前にはFC東京のサポーターがいた。いや、それだけではない。他に確認できただけでも清水エスパルス、横浜F・マリノス、そしてAC長野パルセイロのサポーターの姿を確認することができた。12時50分、GREEN STAGEにSEが響く。The Birthdayの登場だ。


ステージにクハラさん、フジイさん、ヒライさんが登場し、その度に歓声が上がる。そして、最後にチバさんが登場すると、一際大きな歓声が上がった。SEが止まる。会場内が一瞬静まり返る。


とんでもない歌が 鳴り響く予感がする そんな朝が来て 俺


気づくと口が開いていた。歌っていた。私の好きな「くそったれの世界」だ。そしてそれは周りもそうだった。チバさんが一言目を発した瞬間、幾多の手が振り上げられ、声にならない声が飛んだ。「そーれーだーけーで」「どーこーとーなーく」の大合唱。みんなこの曲が好きなんだなと感じた。


「くそったれの世界」で観客の心を一気に掴んだThe Birthdayはそのまま「LOVE GOD HAND」「FULLBODYのBLOOD」へと流れ込む。観客は早くもヒートアップし、一応は禁止されているはずのモッシュを前方で繰り広げている。何人かが担がれてそのまま前に運ばれて行く。それを、屈強が服を着たような外国人スタッフが押し返す。初めて見たその様子がなぜか可笑しかった。


「晴れバンド The Birthdayです」とクハラさんが曲の合間に声を上げた。山とあって天候が変わりやすい苗場スキー場の空は雨こそ降っていなかったものの、このときは曇っていた。日照時間が短い地域の人は空が雲に覆われていても雨さえ降っていなければ晴れと言うが、それと同じ感じだろうか。それともフジロックの特殊な全能感ある雰囲気がそうさせたのか。


「カレンダーガール」の後、チバさんによる短いMCが挟まれた。

今日は晴れてるな。うん?曇りか。まあいいか。

そして演奏されたのは「24時」。ヒライさんの妖しいベースが印象的な曲だ。会場にその重低音がクハラさんのドラムと合わさって、これでもかというぐらい響く。ドシンとくるという言葉がぴったり当てはまるようだった。


「Red Eye」では間奏でチバさんがハーモニカ―を吹いていた。武骨な外見とは正反対のハーモニカの音色がとても綺麗だった。


そして新曲の「THE ANSWER」を会場に浴びせかける。クールな曲だが観客のテンションは鎮まること様子など魅せずどんどんヒートアップしている。


MCを挟んで披露されたのは「COME TOGETHER」。フジイさんのギターのリバーブが会場に響く。そして「Get up, COME TOGETHER」 の大合唱。会場は確実に一つにまとめられていた。


チバさんがギターのフレーズを弾いた時にまた歓声が上がった。「電話 探した あの子に 聞かなくちゃ 俺 今どこ」。


俺とお前のフジロックだ!!


チバさんのこの一言で堰が切られた。観客が横から後ろから飛び出してくる。まるで強力な磁石に引き付けられるクリップのように。標的をロックオンした蜂のように、前列ではより激しいモッシュが形成された。私は巻き込まれまいと必死にこらえた。前にやたらかわいい女性が出てきてドキッとした。口を精一杯開けて「涙がこぼれそう」と歌った。本当に涙がこぼれそうだった。


その勢いのままThe Birthdayは「なぜか今日は」と畳みかけてきた。サングラスを外したチバさんの視線にドキリとした。顎ひげを蓄えたその姿が何もかも吹き飛ばしてしまうぐらい格好よかった。


最後に「1977」を演奏し、観客のテンションを天井を突き破るほどに上げたまま帰っていったThe Birthday。4人ともがすごくセクシーで、大人の色気に溢れていて格好よく、こんな年の取り方をしたいと感じた。これだけでもフジロックに来てよかったと、そう思えた初めてのThe Birthdayのライブだった。




















The Birthdayのライブを終え、観客がぞろぞろと動き始めた。オアシスエリアに向かいたいが、牛の歩みのごとく、なかなか前に進まない。それでもオアシスエリアに到着すると、人の流れは幾分か解消された。私はオアシスエリアを右に曲がり、ドラゴンドラと呼ばれる山頂へのゴンドラへと歩みを進めた。木陰で人々が椅子に座って涼をとっていた。


屋根付きステージRED MARQUEEのそばの券売所で乗車券を買う。料金は1500円。サービスデーなら映画が1本観られる料金だ。正直お高い。フジロックは全体的に何でもお高かった。大人一枚分の乗車券を購入し、私がさらに右へと歩き始めた。


ゴンドラに着くまでは軽い登山ともいえる登り坂を上った。階段があるところはまだよかったが、ドラゴンドラ直前の坂はきつかった。20度くらいの傾斜があるうえ、石がごろごろしている。少しでも油断したら足を取られて転びそうで、しかし私はずんずんと前を歩く人を何人か抜かしながら歩き、ドラゴンドラ乗り場に辿り着いた。


やってきたドラゴンドラは全面が青く塗られていた。その青に大きな窓がはめ込まれている。空の青よりも数段青いそれに乗って山頂への旅が始まった。ドラゴンドラの情報には少し隙間が空いていて、そこから風が入ってきていたが、特に涼しいということはなかった。うちわが置いてあったのが助かった。


太いワイヤーにつるされたドラゴンドラは山道を登っていく。中継地点は35あるようだ。右側にはフジロックを楽しむ人たちが豆粒のように見える。その姿はすぐに見えなくなり自然の風景となる。夏の深緑が私の目に飛び込んできた。木々は下から見上げるときは、太陽の影になって黒みがかって見えるが、遠くから眺めてみると、完全な緑になっている。絵具を水で溶かずにそのまま塗ったような景色だった。


ゴンドラは順調に山を登っていく。しかし、登ってばかりかと思いきや下る時間もあった。一つ山を越えると谷が来た。ワイヤーはピンと下に向かって伸びている。安全だと頭では分かっていてもやはり怖い。まるでジェットコースタのよう、というよりジェットコースターそのものだった。同乗者もざわついている。それをよそにゴンドラは一気に急降下し、渓流が私たちを迎える。流れる水が透き通っていて、思わず私はスマートフォンを構えた。ドラゴンドラは落ちることなくまた山を登り始めた。その当たり前のことが嬉しかった。


麓では25分程度とアナウンスされていたのに、ドラゴンドラはそれよりもずっと短く、15分ほどで私たちを山頂に連れて行ってくれた。おぼつかない足取りでドラゴンドラを降りて、外に出る。標高一三四六米と書かれた木の棒が地面に刺さっている。高いは高いとは思うが随一の山岳県・長野に住んでいる私にはそれほど高く感じなかった。


山頂にあったのは山小屋レストランと軽食を販売している売店が一軒ずつ。同じくドラゴンドラで登ってきた人が芝生の上に座って思い思いの時間を過ごしている。子供の遊び場もあり、その近くではDJによるクールなプレイがなされていた。張られた屋根の下で、それに合わせて踊る人たちの中に、26番をつけたアルビレックス新潟のサポーターもいた。私はそれを傍目に隣にある高台に上った。高台からは雄大な苗場の自然を眺めることができた。雲の隙間に時折り覗く青空。草の若緑と木々の深緑。遠くに見える湖はターコイズブルー。そこだけ時の流れが止まったかのように綺麗な風景だった。


朝早くからの活動で疲れた私は山小屋で休もうと考えた。そこではソフトクリームが売られていた。ソフトクリームは山の上で食べるのが一番美味しい。500円という高めの値段はそういった状況が込みの値段なのだ。トイレを済ませて券売機の列に並ぶ。いざ順番が来たと思ったら、ソフトクリームのボタンには赤いバツ印が灯っていた。代わりに私はポカリスエットのボタンを押した。


注文口でポカリスエットを受け取り、木でできた椅子に座り、乾いた体にポカリスエットを流し込む。その冷たさが心地よくて一気に半分以上を飲んだ。細胞が潤うのを感じた。


5分ほどそのままで座り、そろそろ下山しようと席を立つ。山小屋レストランを出ると、トラとカラスの着ぐるみが前を横切った。ひどくくたびれた着ぐるみだった。年代物なのだろう。その2匹についたお姉さんが、これからライブをしますと呼びかけている。10人ほどの子供たちが前に座り、2匹と1人は何かを始めた。私はそれを横目で見ながらドラゴンドラ乗り場に吸い込まれていった。行きは景色が見えにくい側の席に座ってしまい、帰りは見えやすい位置に座ろうと考えていたのに、また景色が見えにくい席に座ってしまった。


ドラゴンドラは山を下っていく。すれ違った家族は手を振っていた。後ろを振り返り、降りていく様を眺める。ふと空に目をやると、一目見てヤバいと分かるぐらいの灰色の雲が空を覆っていた。ただならぬ様子の苗場の空は、これから一雨降らせてやるぞと意気込んでいた。










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ドラゴンドラを降りて、転びそうになりながら坂道を下り、再びオアシスエリアに戻ってきた。何かを口に入れたかった私は、飲食店を見渡した。白いご飯や焼き色のついたお肉、黄金色に輝くビールが私に手を差し伸べてくる。そのなかで私はラーメン店の手を取った。頼んだのは、にんにく醤油まぜそば720円。容器の熱さに耐えながら適当な日陰でしゃがむ。橋を割って麺を混ぜると茶色のスープが顔を出した。十分に冷ましてから口に入れる。強烈な濃い味付けが舌に刺激をもたらし、それが脳に届く。正直そこまで好きではない味だった。100円でプラスできる温玉があればもう少しマイルドな味わいになったのかもしれない。こんなににんにくの入ったまぜそばを食べたら、ライブのとき隣の人に迷惑だろうなとは、食べ始めてから気がついた。


なんとかまぜそばを平らげ、私はそばのRED MARQUEEに向かった。15時50分からここでライブを行うのはSuperorganism。「インターネットを介してイギリス、オーストラリア、ニュージーランドそして18歳の日本人Oronoが集結した8人組多国籍ポップカルチャー・ジャンキー集団」と公式サイトで説明されている彼ら彼女らを私が知ったのは、テレビ番組「関ジャム 完全燃SHOW」がきっかけだった。音楽プロデューサーのmabanuaさんが上半期楽曲ベスト5として、Superorganismの「Everybody Wants to be Famous」を紹介していたのだ。簡単な私はそれで彼ら彼女らに関心を持ってしまい、今回ライブを見ることにした、という運びである。


開演10分前にRED MARQUEEに入ると、既に9割が埋められていた。彼ら彼女らに対する注目度の高さが覗われる。普段はイギリスで活動しているだけあって外国の人も多かった。メンバーが多国籍だとファンも多国籍になるのかな、と感じた。私は前列30列目ぐらい、PA卓の近くにポジションを取った、いや、取らされた。メンバーの姿は当然見えそうにない。周囲から上がる歓声でメンバーが登場したのを知った。


ライブが始まった。スローテンポ、もしくはミドルテンポで展開される曲は、心地よかったが、どこか不穏なものを感じさせた。「It's so Good」というシンプルなフレーズがダウナーに繰り返される。それは大いなる中毒性を孕んでいた。スクリーンでは彼ら彼女らのMVが流れている。様々な動物が口をパクパクさせる映像がサイケだった。カバが多く登場したのが強く印象に残った。


RED MARQUEEはフジロック唯一の屋根付きステージだ。直射日光が当たらない代わりに、観客から放たれる体熱は上へと昇る。外に出ることもできずに残った熱は下の涼しい空気を制圧する。会場内はまさに蒸し蒸しとしたサウナだった。誰だか分からなかったがメンバーの一人も片言で「アツイ、メチャアツイ」と言っていたくらい。


その暑さに耐えきれず、会場の外に出る観客も相当数いた。会場の一人が出ると、その空いたスペースに後ろの人が入る。それを繰り返して少しずつ前に進んでいくのかと思いきや、そんなことはあまりなかった。そのスペースには後ろから別の観客が割り込んでくることも多々あり、前に進む進まないを繰り返して、それでも私は少しずつステージに近づいていった。


だが、相変わらずメンバーの姿はほとんど見えない。たまに人と人との合間からコーラスの3人がちょっと見えるくらいだった。一応は禁止されているはずの出演者の撮影。掲げられたスマートフォン越しにしかメンバーの姿が見えなかったのは、皮肉なものだった。


そんななかでも、ライブは続く。ゲーム音楽をふんだんに取り入れた遊び心溢れる曲や、セルフタイトルと思しき曲が演奏される。前の人に倣って手拍子をしてみたり、手を上げたりしているうちに少しずつ私は彼ら彼女らの作り出す独特な世界観にはまっていった。


そして、最後の曲として「Everybody Wants to be Famous」が披露され、ライブは幕を閉じた。少しずつハマりかけていたところだった私は「え?もう終わり?」と感じた。ここからが見所というところで、急にチャンネルを変えられた気分だった。後ろの人が「いや、最高」と感慨深げに呟いた。私は今回のライブでそこまでは達することができなかった。おそらく私には少し早かったんだと思う。ポップなのにも拘らず、「よく分からない」という感想が一番に出てきたのだから。でも、今まであまり聴いてこなかった音楽を知れてよかった、とも思った。











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そのまま、うまく働いてくれない頭をぶら下げながら、しばらく歩いた。GREEN STAGEは次に登場するバンドの準備をしていた。KIDS LANDでは大小さまざまな遊具で、子供たちが無邪気に遊んでいた。気にぶら下がっているイカのような謎のオブジェにぎょっとした。WHITE STAGEでは海外のバンドがロックンロールで大きな波を起こしていた。それらの一つ一つに視線を向け、少ししたらまた逸らして、私は歩いた。


どれくらい歩いただろうか。歩いても歩いても目的地に辿り着かない。何度も立ち止まっては、駅で貰った地図で自分が向かっている方向を確認した。途中自分が知らない国に来てしまったのではないかと思って不安になった。それでも、人の流れに流されながらも一歩一歩歩いていった結果、目的地に辿り着くことができた。RED MARQUEEから歩いて15分弱。FIELD OF HEAVENに到着した。ここで17時10分からハンバートハンバートがライブを行うのだ。


私がハンバートハンバートを知ったのは3年くらい前。大学の文化祭でバンドサークルの先輩がコピーしているのを見たのがきっかけだった。その時はいいなと思うに留まっていたが、今回フジロックに行くにあたってタイムテーブルを見ると、2人が出演するではないか。見に行こうと決めることに大した時間はかからなかった。


サウナのようなRED MARQUEEにいて、しばらく歩いて、私の喉はカラカラだった。ポカリスエットを売っている店を探したが、なかなか他のステージにある青い看板が見当たらない。やっとの思いで売っている店を見つけて、列に並んだ時には開演3分前だった。早くしないとライブが始まってしまう。私の心は逸った。


あと3人というところまで順番が回ってきたころ、ステージにドラゴンドラに負けない鮮やかな青い服を着た佐野さんと、水面のような模様がプリントされたシャツを着た佐藤さんが登場した。2人はすぐに演奏を始めるのではなく、MCから入った。台風とそれを心配する佐野さんお母さんみたいな話だったと思う。私は店員さんからポカリスエットを受け取り、ステージに急いだ。中央やや右のポジションが空いているのを見つけ、そこに入り込んだ。前にはガンバ大阪のユニフォームを着たサポータが立っていた。


大したオチもないまま、ライブはいきなり始まった。佐藤さんがギターを優しく鳴らす。佐野さんが会場を包み込むように歌う。


いついつまでも 暮らす家 探しに出かけましょう ミサワホーム


「ミサワホームかいっ」と、私は心の中でずっこけた。同時にこの歌を歌ってるのってこの人たちだったんだと初めて知った。


前半は佐野さんと佐藤さんの二人でのステージだった。「結婚しようよ」や「小さな恋のうた」など、多くの人が知る曲のカバーを中心にライブは進んでいく。二人の歌声のハーモニーが聴いていて気持ちよくて、豆犬と触れ合っているときのように、心の中が浄化されていく感じがした。私がよく知る「小さな恋の歌」も2人によるアコースティックなカバーだと、また違った味わいがあった。白いご飯のような安心感だった。シャボン玉がステージ左下から上がっていた。


何曲か演奏した後にまたMCが入る。佐野さんがしたのは電車で寄りかかって寝てくる人の話について、佐藤さんがしたのはラーメン屋さんで見たおじさんの話について。話を始めて間もないころから佐野さんは堪えきれず笑っていた。それにつられるように観客も笑う。とても和やかな空間だった。


そのMCの後に披露されたのは、歌による二人の掛け合いが印象的な「おなじ話」。二人の歌声。佐野さんのハーモニカ、佐藤さんのギターの音色、全てが美しく会場はすっかり聴き入っていた。


そして、二人は「ぼくのお日さま」「虎」と曲を重ねていく。どちらも私には思うところが多い曲だった。


「ぼくのお日さま」は、言葉に詰まる吃音持ちの子の気持ちを歌った曲で、私は吃音を持ってはいないが、言いたいことが上手く言えないのは同じで、「家に帰ると ロックが僕を 待っていてくれる」も、まさに高校時代の自分そのものだった。そういえばあの先輩も文化祭でこの曲をコピーしていたなあと思い出し、胸のなかのダムが水位を上げた。


「虎」だってそうだ。私にだってブログを書いていて、誰かの胸に届く言葉が書けたならと思うときがないとは言い切れない。今までそれは力不足で一回もできたことはなく、いつも書いた後「こんなんじゃダメだな」と思うことの繰り返しだ。だが、この曲はそんな気持ちもあっていいと教えてくれる、そんな曲だった。二人の伸びやかな歌声が会場全体を包む。ダムは決壊寸前だった。


「虎」のあと、再びMCがあった。それは感動的なMCではなく、アルバムの宣伝だった。結成20周年を記念して、二人きりの弾き語りアルバム「FOLK 2」が発売されたという宣伝だった。また、曲一切なしのMCのみを集めた70分のCDも存在しているらしい。そんな、さだまさしさんみたいな。


後半はサポートメンバーを招いてのバンド形態でライブは進んだ。その一発目の曲は、かの有名な、たまの「さよなら人類」。「今日人類がはじめて木星に着いたよ」が、観客席に横揺れが起こした。私も手を左右に振った。まさに「さよなら」という趣だった。


「がんばれ兄ちゃん」「国語」と曲が披露されていく。そのころ、灰色の雲にも持ち堪えていた苗場の空が、もう限界と雨を降らせた。しとしと降り始めた雨は少しずつ勢いを増し、雨合羽を着る人も出始めた。私も持参したパルセイロオレンジの雨合羽を着る。それは、無色透明の雨合羽のなかで、ひとつだけの暖色だった。


雨の中ライブは続く。テンションの上がった佐藤さんが「楽しいんで、もうちょっとやってもいいですか」と発し、演奏されたのは「おいらの船」。楽しい歌謡曲に観客も手拍子で合わせる。すると、いきなり佐藤さんが聞き覚えのあるギターリフを弾き始めた。ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」だ。私は思わず手を叩いて喜んだ。周りも同じように盛り上がっている。昔話のなかの人たちも、振られた打ち出の小槌から小判が出てきたときに、同じように盛り上がったのだろうか。サビの「Hello, Hello, Hello, So long」を、佐野さんは「太郎、次郎、三郎、四郎」と変えて歌っていた。そして、いきなり歌謡曲に戻る。その落差に私は再び心に中でズッコケた。


そして、最後は佐藤さんがギターをバイオリンに持ち替えて、披露されたのは「ホンマツテントウ虫」。ハンバートハンバートのフジロックでのライブは最後まで楽しいままで幕を閉じた。


初めて見たハンバートハンバートのライブは前半は癒され、後半は楽しく、とても素敵なものだった。このライブで私は一気にハンバートハンバートが好きになった。機会があればCDも買ってみたいなと思う。それと、私にハンバートハンバートを教えた二人の先輩にも感謝しながら、私はFILED OF HEAVENを後にした。










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急いで向かうはWHITE STAGE。時刻は18時10分。ユニコーンのライブ開演時間はとっくに過ぎている。空は暮れ始め、私は歩みを強めた。しかし、そこに立ちはだかるは「入場規制」の4文字。私達は迂回路を行くことを余儀なくされた。ゆっくりゆっくりカタツムリのようにWHITE STAGEを目指す。進まない列に気持ちは逸るばかりだ。そんななかWHITE STAGEに近づくに連れて、ユニコーンの演奏が聴こえてくる。それに勇気づけられながら、歩みを止めることなく進み続ける。


そして、WHITE STAGEに到着すると、そこには人がごった返していた。いや、ごった返すなんて言葉じゃ足りない。殺人的に思えるほど多くの人々がユニコーンのライブに駆けつけていた。1万5000人収容のWHITE STAGEのキャパシティギリギリに近いほどの人々が、民生さん、手島さん、EBIさん、ABEDONさん、川西さん5人が織りなすロックンロール・マジックに聴き入っていた。


たぶん「ペケペケ」が演奏されていたくらいだと思う。私はわずかな隙間を縫って観客の間に侵入していき、後ろから数えて3列目くらいに立っていた。5人の姿はテントに遮られて、全く見えない。上で5人の姿を映すスクリーンが頼りだった。


私は恥ずかしながらこのライブまでユニコーンのことをほとんど知らなかった。知っていたのは「大迷惑」と、宇宙兄弟の曲ぐらいだった。ただ、途中からでも、メンバーの姿が見えなくても、曲を全然知らなくても、ユニコーンのライブは感動できるものだった。


5人はそれぞれ胸にある熱い思いを楽器にぶつけていた。その演奏は熱く、どこか抜けていて、そして何より楽しいものだった。5人は本当に楽しそうに演奏するのだ。その熱や楽しさといったものが、観客にも伝播していき、最後列まで届く。そこには大きな一体感が生まれていた。「WAO!」のときに、最後列に近いところにいた私でさえ、自然に手を振って横に揺れることができた。それもユニコーンの作り出す一体感あってのものだった。


後列にいる観客でさえ否応なく巻き込み、ユニコーンのライブは進んでいく。「デジタルスープ」でゆっくりその演奏を聴かせたかと思えば、グランジ感のある「TEPPAN KING」で、雨のWHITE STAGEに大合唱を響かせる。その合唱がまるで空にまで届いたかのように雨は少しずつ弱まっていった。


感動したことがもう一つある。ユニコーンがライブをしている、その左側の空が夕焼け色に染まっていたことだ。そのオレンジ色は強烈で、どこにいても必ずといっていいほど目に入った。暖色であるオレンジ色は人の気分を上げる効果がある。夕焼けが観客のギアをさらにもう一段階あげ、それに呼応するようにメンバーの演奏もより一層熱を帯びる。異様とも言ってもいい空間が、WHITE STAGEでは形成されていた。


ABEDONさんが「まだまだいくぜー!!」と観客を煽る。そして、コールされたのは「大迷惑」。手島さんのギターがかき鳴らされる。ここで、会場のテンションは一気に爆発した。間違いなくこのライブ一番の盛り上がりだった。民生さんはステージを右に左に動き回り、観客を煽りまくる。観客もそれに応え、前列も後列も声を張り上げる。このまま大気圏を突き抜けて宇宙にまで行ってしまいそうな勢いがそこにはあった。


そして、ライブは最後の曲「OH! MY RADIO!」に突入した。名残を惜しむかのように、歌い続ける観客のおかげで、この曲の持つ希望がより浮かび上がっていた。大きな大きな希望が会場を包んでいく様に、私はとてもとても感動したのだ。初めて見るユニコーンのライブはフェスという特殊な環境が生み出す、エモーショナルな一体感によって、私にとても印象深いものになった。改めてフジロックに来てよかったと感じた。


















すっかり満足した私は、このユニコーンのライブを後に苗場を去ることにした。終電の時間が気になったというのもあるけれど。


いざ帰ろうとしても、列はやっぱりなかなか進まない。正規の道ではなく、BOARD WALKによる迂回路を通って帰ったが、その迂回路もなかなか進まない。ただ、それにももう慣れてしまっている私がいた。幸いゆっくりとはいえ止まることはなかったので、比較的スムーズにボードの上を進むことができた。


通りがかったGREEN STAGEでは、私の知らないケンドリック・ラマ―というラッパーが2万人ほどが集まった会場を熱狂の渦に巻き込んでいた。正直そこに入っていきたい気持ちもなくはなかったが、最後まで見ていたら終電に間に合わないなと思い直し、後ろ髪を引かれる思いでGREEN STAGEを通り過ぎた。


ライトアップされたゲートを通る。最初通った時には明るかったのに、帰るときにはもうすっかり暗くなってしまっていて時間の過ぎる速さを感じた。「また、来年ここに来よう」とはっきりと思った。目の前ではサーチライトが空に向けて光の筋を放っていた。照らされた雨が幻想的だった。










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バスに乗って少しスマートフォンを見たあと、すぐに眠った。行きとは違って新幹線で素早く帰った。かかった時間は行きの半分以下だった。そして、The Birthdayを歌いながら家に帰った。シャワーを浴びて、ベッドに横たわる。リストバンドはハサミを使って切った。切りながら「来年は行きも新幹線を使っていこう」と、そう思った。


私は横になった。明日もきっといい日になるよと、枕の隣のリストバンドが語りかけてきた。私は頷き、目を瞑った。いつもよりいい夢を見られるような気がした。







FUJI ROCK FESTIVAL'18 オフィシャル・パンフレット
SMASH CORPORATION
リットーミュージック
2018-07-26