こんばんは。これです。W杯、日本がコロンビアに勝ちましたね。正直勝てるとは思っていなかったので嬉しいです。明日のセネガル戦も頑張れ日本。

さて、そんなW杯開催中でも、私は今週も今週とて映画を観にいってました。今回観た映画は「羊と鋼の森」です。2016年本屋大賞を受賞した宮下奈都さんの小説を映画化した今作。原作も未読ですし、正直最初は見る予定はなかったんですが、けっこういい評判が聞こえてきたので観にいくことにしました。

そして今回のブログはそんな「羊と鋼の森」の感想ブログになります。拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。









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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。

























まず、「羊と鋼の森」はピアノ調律師をモチーフにした映画だけあって、ピアノを演奏するシーンが多く出てきます。そのどれもが印象に残るもので、「羊と鋼の森」の一番の主役は音楽であると言えます。



「羊と鋼の森」でピアノによって演奏された曲は11曲で、それぞれどのシーンもいいんですけど、私が一番好きなのは主人公である外村が一番最初に一人で調律しに行ったシーンですね。外村が行った家はゴミがあらゆるところに散乱していて、ピアノも物置と化していました。依頼主はうつむいたまま一言も喋りません。そんななか、外村によって14年ぶりにピアノは調律され、依頼主はあまり気乗りしない様子でピアノを弾き始めます。



依頼主がピアノを弾いてると、彼が子供だったときの思い出が蘇ってきます。優しかった両親に見守られてピアノを弾いていた日々。でも14年前に両親は不慮の事故かなにかで二人とも亡くなってしまっていました。塞ぎ込んだ彼の隣に寄り添ってくれていたのは飼っていた子犬のみ。その子犬も年月が経つにつれて亡くなってしまいました。ピアノを弾いてる彼の周りに家族、そして飼い犬がオーバーフローしていくのが印象的なシーンでした。弾き終わった後に彼が笑ったのがグッとくる。



これはエンドロールで気づいたんですけど、このとき彼が演奏していた曲というのが、かのショパン作曲の、その名も「子犬のソナタ」。胸の奥から込みあげてくるものがありましたね。なんてシーンに合った選曲なんだろうって。



さらに、今回「羊と鋼の森」で劇伴奏、劇伴を担当したのが世武裕子さん(チャットモンチー乙女団の人や)でした。公式HPによると「語らない。だが語るところは語る」劇伴を目指したらしく、俳優さんの演技を引き立てつつ、確かな存在感もあってとても素敵でした。



この「語らない。だが語るところは語る」というスタンスは映画「羊と鋼の森」の大きな特徴ですよね。まず、雄大な大自然。オープニングで外村が彷徨ってた森は作りものだったみたいですが、途中で挿入されるドローンで撮影された森の綺麗なことといったら。スクリーンに新緑がとても映えていて圧倒されました。



さらに、「羊と鋼の森」では最高級のスーパーアナモフィックレンズなるものが使用されたようで、それが大自然の明るく静かに澄んだ面や、厳しく深いものを湛えている面を克明に映し出してました。自然は何も喋らないんですけど、それでも私たちの胸に訴えかけてくるものはそこにあって。こういった自然の描写に私はとても引き込まれました。これは是非ともスクリーンで確かめてほしいです。



それと、俳優さんたちも「語らない。だが語るところは語る」という演技をしてましたよね。特に脇を固める調律師の先輩方。一生懸命もがき苦しみ、でも少しずつ進んでいく外村や佐倉姉妹を余裕を持って見守っていました。温かさがものすごくあった。鈴木亮平さん演じる柳は外村のことをちゃんと一人前の調律師として認めたうえで接していましたし、光石研さん演じる秋野は厳しい言葉の裏にもちゃんと思いやりがあった。でも、やっぱり一番は三浦友和さん演じる板鳥ですよ。



最初のシーンで少ない言葉で外村を導いていったのには貫禄が感じられましたし、「ここから始まるんですよ」と外村に自らのチューニングハンマーを渡したのには、若者を応援する気持ちが込められていた。そして圧巻はドイツ人ピアニストが弾くピアノを調律する一連のシーンですよ。ここセリフが全然ないんですよね。全てを所作や表情で表してる。けっこう最初の方で外村に気づいた板鳥が手本を示すかのように調律する姿は、地面に顔を付けていてもかっこよかったですし、最後に一度は返されたチューニングハンマーを外村にもう一回渡して微笑むシーンなんて、もう最高でした。



もちろん、主人公である外村を演じる山崎賢人さんの演技や、ピアニストの高校生姉妹・佐倉姉妹を演じる上白石萌音・萌歌姉妹の演技も抜群に素晴らしかったんですが、それを包み込む大人たちの多くを語らない演技が「羊と鋼の森」のキーになっていてとても素晴らしいなと感じました。








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「羊と鋼の森」は新人調律師・外村の成長物語だと公式HPでは説明されています。悩み、迷い、悔み、それでもただ前を見て進んでいく外村。でも、途中まで外村は目指す方向やたどり着く場所を決めずにただ森の中をかき分けて進んでいただけでした。私が思うに、この映画の外村の姿勢に共感できる人って結構多いと思うんですよ。



だって、私達だって森の中にいるわけじゃないですか。人生という名の森の中を常に彷徨ってる。中学高校時代、いわゆる青春と言われる年代、なんて特にそうですよね。光の入らない鬱蒼とした森の中を、この道でいいのかどうか確信も持てないまま、進んだり戻ったり。選択肢は無数にあるのに、いや無数にあるからこそどこを目指したらいいのか分からない。自分には何が向いているのか、自分には何ができるのか。分かってればいいんでしょうけど、分からない人の方が大半です。不安だらけで、出口に、光に向かっているのかもわからないまま歩き続ける。辛いですよね。



それは大人になってもそうで。むしろ大人になってからの方がより彷徨ってますよね。大きな目標も持たずに、ただ訪れる毎日をそれとなくやり過ごす日々。自分は一体どこに向かっているのか。このままただ歩を進めるだけでいいのかと悩んでいる人も多いんじゃないでしょうか。実際、外村も同じようなことを思って焦ってます。ピアノの調律という往く森は定まってますけど、進むべき方向は決まってません。迷いに迷ってます。



でも、外村は調律師の先輩たちやピアニストの高校生姉妹と関わっていって、いろんなことを経験して最後には進むべき方向を見定めるんですよね。映画終盤、森の中を進む外村は、木々に遮られながらも確かに自分を照らしている光に気づき、走り出します。そして、走り続けて開けた場所に出る外村。ここの開放感が清々しさに溢れていてとても気持ちいい。



さらに、自らの進むべき道を見定めて成長したのは外村だけではありませんピアニストの高校生姉妹佐倉和音と佐倉由仁もそうです。着実な演奏で見る者の心を掴む和音と、派手な演奏で見る者を魅了する由仁。そんな対照的な姉妹にも、外村との交流により変化がもたらされます。同じところを目指していたはずの姉妹に訪れる、ピアノを弾けなくなるという試練。紆余曲折を経ながらもその試練を乗り越え、別々の光を目指して森の中を歩き始める二人。将来を想像して思わず応援したくなるような、まるで姉妹の親になったような。映画を観終わった後にはよかったなあと安堵で心が満たされます。


この映画は、光は木々の緑に遮られながらも、変わることなく私たちを照らし続けているそれに気づかない私たちがいるだけだ、ということを私たちに教えてくれます。観終わった後、目の前も明るくなっていることでしょう。顔を上げて光を見たくなる。そして、目印にして一歩一歩進んでいくことができる。そんな前向きな気持ちになれる映画でした。








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さて、映画「羊と鋼の森」では、タイトルが出た後の最初のシーンで調律師の仕事が説明されます。これがもう頭から煙を吹き出しそうになるほどの工程を持ったものでして。調律師って大変なんだなあって思わざるを得ませんでした。まあ調律師の仕事は大きく分けると整調、整音、調律の3つに分かれるよっていう説明だったんですけど、ここで私が注目したいのは「整調」です。なんでかって?「整調」と「成長」は同じ「セイチョウ」って読むからだよ



整調とは...

鍵盤やアクションなどピアノ内部の調整を行うことです。具体的には、引きやすいタッチを作り88鍵(全鍵盤)を均等にそろえる作業を行います。
(参考:http://blog.shimamura.co.jp/entry/20100923/1285206078

打弦機構の動きを正常の状態に直線状に揃え、所定の運動ができるようにすることで、その最も重要な目的は弾きやすいタッチを得ることです。88鍵盤全体を正しいタッチに揃え、演奏者の気持ちをそのままピアノに伝えることができるようにすることです。従って整調とは調律と同様重要な作業なのです。
(参考:https://www.otanigakki.co.jp/maintenance/piano-tuning/



ええと、難しくて私にもよく分かりませんが、とにかく整調とはピアノ内部の調整で、演奏者の気持ちをそのまま伝え、表すことができるようにするということですかね。映画を観てて、外村は映画の中で、整音や調律よりもこの整調を中心に行っていたと思うんですけど、どうでしょう。



で、この整調の「ピアノ内部の調整」って、人間に例えると「心」や「気持ち」といったものの調整なんじゃないかなって思うんですよね。映画の中でも「ピアノ調律には技術よりも大事なことがある」みたいなニュアンスのこと言ってましたけど、それがこの整調なんじゃないなかなって。気持ちなんじゃないかなって。


例えば、外村が佐倉家のピアノの調律を失敗したのも、鍵盤が沈んでいるのを直すっていう整調がきっかけだったんですよね。沈んだ鍵盤は連弾で妹・由仁が弾いていた高音パートに位置するものでした。由仁のパートの鍵盤を外村は整調しましたけど、結局は上手くいかなかった。この沈んだ鍵盤は由仁の沈んだ気持ちを表していると考えれば、外村はそれを調整できなかった。物語途中でピアノを弾けなくなるという展開があるんですけど、ここが伏線になっていたのかもしれないです。



このように、登場人物の気持ちの調整はピアノの整調と密接に結びついています。そもそも整調が弾き手の気持ちをダイレクトにピアノの演奏に表すためのものですしね。つまりピアノの内部に手を入れるということはその人の心の内部に手を入れるということで、外村は映画の中でこの整調を通してピアノと、そしてその弾き手の心に触れていると考えることができます。外村の弾き手の心に触れる「整調」を通して佐倉姉妹は試練を乗り越え「成長」していった。そして、外村も「整調」を通してたくさんのピアノに、人の心に触れていって「成長」していったのです。



そして「整調」されたのは映画の登場人物やピアノだけではありません。観ている私たちの心もです。その時々のシーンに合った染み入るような音楽。雄大な大自然。多くを語らないことでそれらをより引き立てる俳優さんたちの演技。これらが全てが私たちの心をプラスに調整、「整調」してくれました。観終わった後には清々しさが残り、前を向こうという気分にさせてくれます。「羊と鋼の森」はそういう気持ちの良い映画でした。いい映画です。








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今回、私は周囲の好評判にハードルを上げて観に行ったんですけど、「羊と鋼の森」はそんな高く上がったハードルをちゃんと飛び越えてくれるような映画でした。つまりは期待以上だったってことです。公開から2週間経ちますけど、まだまだ多くの映画館で上映されているので、是非観にいってはいかかでしょうか。



お読みいただきありがとうございました。また機会があればよろしくお願いいたします。では。



おしまい


羊と鋼の森 (文春文庫)
宮下 奈都
文藝春秋
2018-02-09