こんばんは。これです。昨日はメンズデーで一般男性は1100円で映画が見れたので、「ペンギン・ハイウェイ」観てきました。原作は未読です。


感想としては、ちょっとすごい映画に出会ったって感じです。誰もが通ってきたジュブナイル、10代の頃を鮮やかに表現していて、まるで自分が子どもの頃に戻ったかのようにドキドキワクワクしました。どこを取っても完璧。現時点での今年のベスト3に入るくらい個人的なツボにはまりました。


例によって、今回のブログはその感想になります。今回はちょっと背伸びして、考察みたいなものも書いてみました。では、拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。










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※ここからの内容は映画のちょっとしたネタバレを含みます。ご注意ください。







~あらすじ~

小学4年生のアオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録している男の子。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、「きっと将来は偉い人間になるだろう」と自分でも思っている。そんなアオヤマ君にとって、何より興味深いのは、通っている歯科医院の”お姉さん”。気さくで胸が大きくて、自由奔放でどこかミステリアス。アオヤマ君は、日々、お姉さんをめぐる研究も真面目に続けていた。

夏休みを翌月に控えたある日、アオヤマ君の住む郊外の町にペンギンが出現する。街の人たちが騒然とする中、海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか……。ペンギンへの謎を解くべく【ペンギン・ハイウェイ】」の研究を始めたアオヤマ君は、お姉さんがふいに投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。

「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」

一方、アオヤマ君と研究仲間のウチダ君は、クラスメイトのハマモトさんから森の奥にある草原に浮かんだ透明の大きな球体の存在を教えられる。ガキ大将のスズキ君たちに邪魔をされながらも、ペンギンと同時にその球体”海”の研究も進めていくアオヤマ君たち。やがてアオヤマ君は、”海”とペンギン、そしてお姉さんには何かつながりがあるのではないかと考えはじめる。

そんな折、お姉さんの体調に異変が起こり、同時に街は異常現象に見舞われる。街中に避難勧告が発令される中、アオヤマ君はある【一つの仮説】を持って走り出す!

果たして、お姉さんとペンギン、”海”の謎は解けるのか―!?
(映画「ペンギン・ハイウェイ」公式HPより引用)










・雰囲気がいい


まず、「ペンギン・ハイウェイ」は画が綺麗なんですよね。舞台となる町は丘の上に立っていて高低差があるんですけど、丘の上から見下ろす風景は広大でいい眺めですし、下から見上げる風景は立ちはだかるようで得体のしれないものを感じます。でもどっちにしても吹き抜けるような開放感があるんですよね。


映画中盤で、森の中を抜けて青々とした草原が出てきたときには、視界が開けて解き放たれた気持ちになりますし、「海」も不気味な存在なんですけど、それでもクリスタルのような輝きを放っていて綺麗でした。


そして、ぜひとも観てほしいのが「海」の中でのシーン。空も海もどこまでも青くて、そこに浮かぶ家々や電線の不思議さ。その不思議さが二人とペンギンが歩くシチリア島のような街並みを際立たせます。その風景に圧倒されること請け合いです。


それに、この映画って基本的に画面が明るいんですよね。曇っているときも雨が降っているときもどこからか日の光が差しているかのような明るさ。停電のシーンも真っ暗にはならず、二人の姿ははっきりと見えます。画面の明るさと夏という季節が相まって、とてつもない清涼感を醸し出していました。とにかく見ていて気分が沈むことがないので、とても気持ちよく観ることができました。












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・みんな可愛い


「ペンギン・ハイウェイ」の特徴として、男女問わず出てくるキャラクターキャラクターに可愛げがあるというところがあると思います。


主人公であるアオヤマは映画が始まって一言目から「僕は賢い」と言っちゃうような男の子です。利口な上に毎日勉強を怠らないのだから「大人になればもっと偉くなっているだろう」と信じて疑いません。頭がよくて大人びていて、まるで「ドラえもん」の出木杉みたいです。でも、アオヤマはまだコーヒーも飲めず、乳歯も生えている子どもです。まだ子供なのに、文語的な喋り方をするなど、その背伸びをしている姿がいじらしい。子どもっぽいところも時折見せるので、クソガキ感も少なく、北果那さんのあどけない演技も合わさって、ストレスなく見ることができました。まあ同じクラスにいたら嫌ですけど。




続いてお姉さんですけど、これはもうこの映画のハイライトですよ。無邪気で明るい性格とミステリアスな部分とのギャップに惹かれました。蒼井優さんの落ち着いた声が圧倒的な「お姉さん」感があって、アオヤマを軽くあしらう姿がとにかくいい。年上であることをいかんなく発揮して、大人びたアオヤマをからかう姿がこれまたいい。まさに正しいおねショタそのもので、観ていてハッピーになりました。期待していてよかったです(「未来のミライ」でもこういうおねショタを見せてほしかった)。あとはおっぱいですかね。脱ぐシーンはなかったんですけど、その服が膨らんでいる様子がエロいと思いました。よかったです。




そして、この映画の主役であるペンギン。まず、オープニングが一匹のペンギンがとことこ歩いている様子を追ったものなんですけど、これがもう悩殺的に可愛くて。短い足で一生懸命歩く姿が愛くるしすぎるんですよ。バックの風景や流れる明るい音楽もいいですし、今年見た映画のオープニングでは一番好きです(2番目は「恋は雨上がりのように」)。


この映画はアオヤマが空き地にペンギンを見つけたところから始まります。じっとこちらを見つめるペンギンたち。観ているうちに無表情のようなすっとぼけたような様子がだんだん可愛く見えてくるから不思議です。その後ペンギンは列をなしてアオヤマたちの前に現れます。この規律正しく歩く様子とヨチヨチ歩きとのギャップがまた可愛かった。


それからも、コーラ缶からいきなりペンギンになって戸惑っているシーンも可愛かったですし、「海」の下で身震いするシーンもいじらしかった。そのくちばしで「海」を割るところも好きです。でも、なんと言っても圧巻は終盤で集合するシーンですよね。


アオヤマとお姉さんの周りにどんどんペンギンが集まってきて、お姉さんの掛け声で一斉に手を挙げて走り出す姿は勇ましいものがありましたし、その後もどんどんとペンギンが増えていって、二人を乗せて走り続けるシーンとか、二人の目線カメラもあったりして、自分もペンギンに乗っている気分を味わえました。すごく壮観で爽快感に溢れる、私がこの映画で一番好きなシーンです。




他にもウチダはその弱気な姿を応援したくなりましたし、ハマモトは可愛いなかにも品みたいなものがありましたし、いじめっ子のスズキでさえ、ハマモトと面と向かって話していると照れるところが愛おしい。大人たちも含めて誰もが愛すべき点を持っていて、このキャラはちょっとなぁという抵抗を一切感じることなく観ることができました。ストレスフリー。





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※ここからの内容は映画の重大なネタバレを含みます。あと文字ばっかです。それでもいいよという方はどうぞ。













・内容についてちょっと考えてみる



「ペンギン・ハイウェイ」は大人びた少年・アオヤマとお姉さんのひと夏の冒険の物語です。


世界について日々勉強したことをノートに書き込み、どんどんと知識をつけていく少年アオヤマ。「大人になっていれば自分は偉くなっているだろう」という高慢な態度が鼻につきます。しかし、そんなアオヤマにも知らないことは当然あります。彼は海も見たことがなければ、川がどこから流れてるかも知らず、好意を持っているお姉さんの本当の姿すら分かりません。


そんなアオヤマの前に空き地にペンギンが出現するという科学では説明できない現象が起こります。アオヤマはそれを地道に筋道立てて考えようとしますが、コーラ缶をペンギンに帰るお姉さんや、得体のしれない「海」の存在など、ますます謎は深まるばかりです。


見たら分かりますが、「ペンギン・ハイウェイ」にはSF的な要素があります。かつて、藤子・F・不二雄先生は「SFとは少し不思議」の略であると仰っていました。


思えば、子供の頃の私たちの周りには不思議だらけでした。「なぜ、空は青いのだろう?」とか、「なぜ、飛行機は飛ぶのだろう?」とか、「なぜ、大人はくたびれた顔をしているのだろう?」とかそういうことを不思議に思っていたはずです。アオヤマも種類は違えど不思議に思っていること自体は私たちと同じです。アオヤマのなんでも不思議に思う姿勢は、私たちに好奇心旺盛だった子供のときのことを思い出させてくれます。


そして、大人になっても私たちの周りには不思議だらけです。分からないことだらけです。そのなかの最たるものをアオヤマも考えていました。




それは「なぜ、人は死ぬのか?」ということです。




映画の途中には、アオヤマの妹が「おかあさんしんじゃうの?」とアオヤマに泣きつくシーンがありました。それに対してアオヤマは「動物はみんな死ぬんだよ」と当たり前の答えを返し、アオヤマのお母さんがアオヤマの妹を慰めていました。でも、私は見ていてちょっと疑問に思ったんですよ。「このシーンいる?」って。前後との繋がりがあんまりないんですよねここ。でも、入れて来たからには何か重要な意味があるんじゃないかと。


ここでヒントになると思われるのが、序盤のプロジェクト・アマゾンです。プロジェクト・アマゾンとは「川がどこから流れてくるのかを調べる」というものです。この調査中にアオヤマは「果てなんかなければいいのに」と口にしていました。その後に「いや果てがあるのは分かってるんだけど」と自ら否定していますが、「果てなんかなければいい」というのはアオヤマの偽らざる本音でしょう。


もう一つヒントになると思われるのが、レストランでのアオヤマと父親との会話です。ここではアオヤマの父親が「世界の果て」について話します。アオヤマの父親は「世界の果ては近くにあるかもしれない」と話し、アオヤマに「持っていた巾着袋に世界を入れることはできるか」と問います。ここでのアオヤマの表情は何やら神妙な面持ちでした。


ここからこじつけに入ります。これはあくまで私の考えですが、アオヤマは「世界の果て」と「人生の果て」を一緒くたにして考えていたと思います。世界が果てるとき私たちも果てますし、アオヤマがこう考えるのも無理はありません。


そして、アオヤマは「海」が「世界の果て」が裏返った姿であるという仮説を立てます。この仮説とアオヤマの考えを照らし合わせると、「海」=「世界の果て」=「人生の果て」という図式が成り立ちます。そして、「人生の果て」=「死」です。つまりは「海」=「死」なのです。


先ほどアオヤマは「果てなんてなければいいのに」と述べていました。これはアオヤマが「死」というものを受け入れることができていない証拠だと思います。アオヤマは泣く妹に現実を諭す一方で、心の中で「死ぬのは嫌だ」と泣いていたのかもしれません。







さて、そんな「海」に対し、お姉さんは、そしてペンギンは、どのような意味を持って存在していたのでしょうか。


アオヤマはお姉さんのことを「完璧」だとか「理想的」だと評していました。つまり、お姉さんはアオヤマの憧れそのものだったと思われます。「死ぬのが怖い」というアオヤマの憧れ。それは「永遠」です。お姉さんはアオヤマにとって「永遠」の象徴として存在していたと私は考えます。


子どもは誰でもいつかは「人は死ぬ」ということを知ります。「死にたくない。永遠に生きたい」というのは誰もが一度は考えることです。当然アオヤマもそう考えていたことと思います。いくら大人びているとはいえ、まだ10歳。死が怖いのは当たり前です。その死に対する恐れと永遠の生への憧れが、お姉さんを作り出したんじゃないかなと思います。お姉さんのおっぱいが大きいのも安心感を増すためでしょう。


また、お姉さんはイコール「死」である「海」を食い止めるために存在していました。いわば「海」のカウンター的な役目を負っており、「死」に対するカウンターとしての「永遠」はそれなりに対比性があり、これもお姉さんが「永遠の象徴である」ことを裏付けるものになるのではないでしょうか。


そして、そんな「永遠の象徴である」お姉さんが生み出すペンギンとは何者なのか。それは「希望」であると私は考えます。永遠に続く「生の喜び」。それがペンギンに託されていたと私は考えます。


劇中でアオヤマは「光が差すところで、お姉さんはモノをペンギンに変えることができる」という仮説を立てていました。光は希望を想起させますよね。実際に暗い≒希望の少ないところでは、チェスの駒はペンギンではなく、コウモリになっていましたし、このことからもペンギンには希望というメッセージが乗っかているといえそうです。


ならば、「希望」であるペンギンを食べるジャバウォックはさながら「絶望」の象徴ということでしょうか。確かに永遠に生きるということは、ある意味では終わりがないという絶望でもあります。お姉さんは「アオヤマがいなくても、自分でジャバウォックを生み出していた」と語っていますし、このこともジャバウォックが「絶望」であることを裏付けるものになると思います。









先ほど私が好きなシーンにペンギンがたくさん登場するシーンを挙げました。アオヤマとお姉さんが歩いているところからばったばったとペンギンが登場するんですが、これを「ペンギン=希望」論に当てはめると、希望が二人の歩いたとこから生まれてくることになるんですよ。気持ちよくないですかこれ。ペンギンが画面いっぱいに満たされるっていうことは、希望でアオヤマの心が満たされているっていうことのメタファーなわけですよ。すごい爽快ですよね。そして、数の力でペンギン(希望)がジャバウォック(絶望)に勝利するんです。燃える展開じゃないです。


そして二人は「海」の中、言ってしまえば死後の世界に入っていきます。二人は「海」に飲み込まれた調査隊を見つけますが、このときにアオヤマは海を「ちょっと残すことはできないか」と問います。これは「海」を失くしてしまうと、同時にそのカウンターとして存在しているお姉さんを失くしてしまうことによる危惧からですね。しかし、お姉さんはそんなことは意にも介さず、「元の世界に戻ろう」とペンギンたちに「海」を破らせます。これを「生の喜び」が「死」を破ったシーンとしてみればこれほど感動的なものはありません。


しかし、「海」がはじけた後にもお姉さんは残ります。これは「死」である「海」の一部がアオヤマの中に入って、それをアオヤマが認めたってことになると思います(いささか強引が過ぎる)。そして、アオヤマは「死」を受け入れた。ということは、「永遠はない」と知り、それはすなわちお姉さんとの別れです。アオヤマは「大人になってもう一度お姉さんに会いに行く」と言っていましたが、「永遠の象徴である」お姉さんとはたぶんもう会えないと思います。希望を持たせる終わり方でしたけど、アオヤマは永遠なんてないことを知っちゃいましたからね。憧れである「永遠」を失ったアオヤマの心の痛みが印象的です。


ここまで長々と語ってきましたけど、こういった「死を受け入れる」「永遠などないと知る」という心の痛みは私たち誰もが経験して、また持ってるものだと思うんですよね。「ペンギン・ハイウェイ」で死を受け入れたアオヤマに、私たちは自分の子どもの頃の姿を重ねることができると思います。誰もが通ってきた道だと考えると「ペンギン・ハイウェイ」はとても普遍的な物語であるといえそうですね。そこを少し不思議でとても鮮やかに見せているところが、「ペンギン・ハイウェイ」の面白いところだと私は思います。












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以上で感想は終了になります。「ペンギン・ハイウェイ」、本当に素晴らしい作品なので、アニメだからと敬遠せずに、多くの人に観てもらいたいです。個人的にはもっと話題になってもいいと思うので、ぜひ映画館でこの少し不思議な夏の思い出を味わってみてください。全力でオススメします。


お読みいただきありがとうございました。



おしまい



ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-11-22