もうすぐ9月に差し掛かろうという今日この頃。2月からスタートしたJリーグも徐々に佳境に入ってきます。優勝を狙うチームは徐々に絞られ、同時に残留争いを演じるチームも限定されて行きます。そんな時分に毎年聞こえてくるのが「こんなクラブ落ちて一からやり直した方がいい」という声。フロントと現場との意思疎通が不十分で、監督をシーズン途中で十分な説明もないまま解任してしまう場合や、フロントの自責で大きな経営問題が発覚したときなどに用いられる文句です。今回は少しこの言葉について考えていきたいと思います。拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。





さて、先々月でしょうか。朝日新聞出版から、津村記久子著「ディス・イズ・ザ・デイ」が出版されました。


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この本は帯で「サッカー2部リーグ今期最終節の『その日』を通して、ごく平凡なひとたちのかけがえない喜びを描く連作小説」と説明されているように、サッカークラブのサポーターを主人公とした小説です。初めてサッカーの試合を見た瞬間が思い起こされたり、私たちの日常にJリーグがある奇跡を改めて教えてくれ、Jリーグサポーターにとって必読の小説となっていますが、そのなかの第3話「えりちゃんの復活」にオスプレイ嵐山というチームが登場します。


このオスプレイ嵐山というチームは数年までは一部にいて、潤沢な資金を持っていながら二部で飛びぬけた存在になることはできず、何年も昇格できていないという現実のJリーグでもよくあるチームとして描かれています。その嵐山を主人公のヨシミは


他チームの分析をさぼってんのかコネがないのか強化部長が斜め下なことばかり考えてんのかブランド好きなのかわからないのだけれども、資金力のわりにとにかく補強が下手だと思う。(p75)

ヨシミが鶚(ミサゴ:オスプレイ嵐山の愛称)の試合を観に行くようになってから五年が経つので、少なくともそれだけの期間、オスプレイ嵐山というクラブは、名前はあるけれども本当にチームに必要なのかという選手ばかりを高額で獲得しては、その後安く放出するということを繰り返している。今年も例に漏れずその流れで、前線の外国人選手に投資しすぎておかしなことになっていた。(p75)


と、評しています。「オスプレイ嵐山と関わり続けることに疲れ始めていた」ヨシミでしたが、それでも知り合いのエリちゃんと一緒にオスプレイの嵐山の試合を観に行きます。そこでヨシミはこんなことを思います。

ユニフォームを着た人は三割程度で、(中略)それなりに充実した様子で座っていた。ヨシミは手あたり次第、彼らに、どう思います? このままプレーオフ行けても惰性だと思いません? もうこの試合なんか落として、今年は徹底的に望みを断って、フロントにヤキを入れた方がいいと思いません? などと終末論者のような話を吹っかけてしまいたい衝動をこらえる。(p83)


どうですかこれ?ドキッとした人も多いのではないでしょうか。まさに「こんなクラブ落ちて一からやり直した方がいい」という考え方そのものですよね。こんなこと言ってもクラブは浮上しないですし、そもそも上位カテゴリーにしがみつけるならしがみついていた方がいいんです。絶対に。






それはなぜかというと、まず上位カテゴリーにいた方が高い競技力を得られるからなんですね。やれイベントだ、スタグルだ、選手とファンの触れ合いだといったところで、サッカークラブの一番の商品はサッカーの試合です。そして、上位カテゴリーに行けば行くほどサッカーの質というものは上がります。クラブを運営しているのは会社ですし、質の高い(イコール面白いとは限らないですが)商品を提供するのは、会社の責務といえるでしょう。商品の質を高めるために会社が努力していくのは当たり前のことですし、それがJリーグではより上位カテゴリーでプレーするということになってくると思います。そして、質の高い商品を提供し続けるためには、上位カテゴリーに留まらなければなりません。これがしがみついた方がいいという一つの理由です。


さらに、カテゴリーが例えば一部だったらそれだけでクラブに箔というものがつきます。日本のトップリーグにいることで、スポンサーに安心感をもたらせるんですね。これはビジネスの場面を思い浮かべると分かりやすいと思います。例えば、東証一部上場の会社と東証二部上場の会社、そして未上場の会社があれば、当然こちらは受ける印象は違ってくるでしょう?一部上場していると「おっ」となり、この会社なら信頼できるかもと思ってくると思います。


そしてこれはサッカーも同じことが言えると思います。実際に地域の会社に営業していって「でも御宅二部でしょ?三部でしょ?」といわれるクラブのなんと多いことか。私は実際にその現場を知っているわけではないですが、こう言われているだろうなということはなんとなく想像がつきます。ただ、ここで「私のクラブは一部に所属しています。日本のトップカテゴリーです」と言えたならどうでしょう。相手も「日本のトップリーグ」ということで一目置いてくれ、交渉も比較的スムーズに進むのではないでしょうか。降格するということはこのアドバンテージをみすみすと失うということなのです。


また、去年のJリーグ入場者数を見るとJ1が1試合平均18,883人、J2が6,970人、J3が2,613人となっています。カテゴリーを下げると、当たり前ですが、入場者数も減っていきます。


私たちがスタジアムに足を運ぶとピッチに、壁に、幟に様々なスポンサーの看板を目にします。スポンサードの方法は様々ありますが、私たちにとって一番目につくのはスタジアムの看板です。スタジアムに来る人が減るということは、その看板を目にする人も減るということです。看板を見て、自らの会社を認知してもらうことと引き換えに、スポンサーはクラブにお金を出資しています。それを見る人数が減るとなると、費用対効果は小さくなり、あまり効果が得られないとなると、スポンサーの頭には出資額の縮小や撤退という選択肢がよぎります。


2017年の営業収益の中でも広告料収入は、J1平均が1,813百万円、J2平均が714百万円、J3が229百万円となっており、カテゴリーが下がるにつれて収入が少なくなることが分かると思います。そして収入が少なくなると、チームに回せるお金というのも当然減っていき、活躍してくれた年俸の高い選手は放出対象になってしまい、年俸を抑えられる、ということは言い方は悪いですが、そこまで活躍していない選手が残ることになります。さらに入ってくる選手も年俸は低めとなり、年俸=選手の実力という相関関係があるので、チーム力は上位カテゴリーにいたときよりも下がってしまいます。こうして降格はチーム力の低下に直結している。そう考えると「落ちて一からやり直した方がいい」とは軽々しく言えないことが分かると思います。





しかし、それでも「こんなクラブ、落ちて一からやり直した方がいい」という人が絶えないのはなぜでしょうか。それは、「落ちて復活できる」と信じているからです。これは私たちの好きな「逆転の物語」に関係しているのではないでしょうか。私たちが憧れたヒーローは、強大な敵の前に一時はピンチに陥りながらも、仲間の協力などで再び立ち上がり、劣勢を覆して勝利します。この「逆転する姿」に私たちはカタルシスを感じ、惚れ上げるのです。


もしくは、現実で上手くいった他のクラブを見ているからかもしれません。過去には経営難からクラブ存続の危機に陥るものの、復活したクラブが幾チームもありました。また、経営難とはいかずとも、降格して一年で昇格していったチームは枚挙にいとまがありません。「あのクラブにできたんだから、自分たちのクラブでもできるはずだ」と、そう考えてしまうのですね。


しかし、全てのクラブがそううまくいくわけではありません。過去にはスポンサーが離れて経営難に陥り解散してしまったクラブだってあるわけですし、降格したまま何年も上がれず、「繰り返す」と揶揄されているクラブもあります。「自分たちのクラブがこうなるわけがない」と誰が言いきれるでしょうか。「必ず戻ってこられる」と思っているならば、それは慢心というほかありません。成功か失敗か、可能性はどちらにもあるのです。


降格により収益が減少して、チーム力が低下してしまうことは先に述べました。さらに、選手のモチベーション低下という問題があります。


たとえばあなたが100mを10秒で走るグループに所属していたとします。しかし、あなたはある日100mを12秒で走るグループに落ちてしまいます。ここであなたは前のグループと同じモチベーションを保てるでしょうか。


100mを12秒で走るグループと走るということは、あなたが多少手を抜いて100mを11秒で走ったとしても、それで勝てるということです。人間は楽をしたい生き物です。少しでも楽をしたいならそれに越したことはありません。11秒でも勝てるという感覚を覚えてしまうと、10秒で走るのがバカバカしく思えてしまい、11秒で走ることに慣れてしまいます。そうして気づけば10秒で走るグループとは大きな差がついてしまいました。


さらに、12秒で走るグループには成長の余地というものがあります。努力を重ねていった結果、何人かは11秒で走れるようになっているかもしれません。そうするとあなたはもはや、12秒で走るグループのなかでも勝てなくなっていきます。そこで、本来の10秒で走っていた自分を取り戻そうとしますが、慣れとは恐ろしいものです。11秒で走り続けていった結果、気づけば11秒ではなく11秒5で走っていることにあなたは気づくでしょう。ここから10秒に戻すのは並大抵のことではありません。まあ戻れることもありますけど、もしかしたら一生戻れないかもしれません。


しかし、サッカー選手には向上心というものがあります。サッカー選手であるならば、より上位カテゴリーで、より高いレベルでプレーしたいと思うのは当然のことです。しかし、現在自分がプレーしているのは下位のカテゴリー。その理想と現実のギャップに苦しみ、本来の力を発揮できない選手も、もしかしたらいるかもしれません。そして、そんな選手が多くなるとチームも持っている実力を発揮できず、そうなると上位カテゴリーへの復帰は遠くなっていってしまいます。


また、上位カテゴリーの復帰のためには、チームとフロントが両輪となって十全な働きをしなければなりません。「落ちて一からやり直した方がいい」という人は、必ずといっていいほど一緒に「フロントを刷新しろ」といいます。これに対しては私も反論の余地はないですが、その交代したフロントは果たして上位カテゴリーに復帰するだけの働きをしてくれるでしょうか?勝てる監督、勝てるスタッフ、勝てる選手を集め、正しい方向に導くだけの技量があるでしょうか?それは完全に未知数なもので、上手くいくこともありますが、反対に上手くいかないこともあります。変わったからって必ずしも前より良くなるとは限らないのです。「必ず復活できる」という人はこのこともぜひ考えてほしいなと思います。フロントを変えることだけを考えて、その先を考えない姿勢はどうこう。






最後に、これが私が一番言いたいことになるんですが、「こんなクラブ、落ちて一からやり直した方がいい」と思っている人に応援されて、選手は嬉しいでしょうか。「降格しろ」ということは「負けろ」ということです。こう思っている人の応援が選手の力になるでしょうか。


「負けろ」と思っている人がスタジアムに行くとネガティブな気持ちが周囲に伝播してしまいます。そして、スタジアムは重い雰囲気に包まれてしまい、その中では選手が本来持っている力を発揮することができません。


そこで提案したいのですが、どうせ伝播させるならポジティブを伝播させませんか。「このチームに勝ってほしい、いや勝てる」と思ってスタジアムに行きませんか。「勝てる」と思っている人の応援は、必ず選手に届きます。スタジアム全体をポジティブな雰囲気で観たし、選手たちに気持ちよくプレーさせることが残留への一番の近道だと思います。なのでお願いします。「負けろ」なんて考えないでください。


でも、どうしても「負けろ」「こんなクラブ、落ちて一からやり直した方がいい」と思ってしまう人は、津村記久子さんの「ディス・イズ・ザ・デイ」を読んでください。そこに書かれているJリーグのある喜びを感じた後には「負けろ」なんて言えなくなっているはずです。Jリーグサポーター全てが読めばスタジアムは確実に変わると思っているので、皆さん「ディス・イズ・ザ・デイ」を読んでください。朝日新聞出版から本体1,600円、税込1,728円で絶賛発売中です。よろしくお願いします。



ディス・イズ・ザ・デイ
津村記久子
朝日新聞出版
2018-06-07