Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2018年06月





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 散った桜の花びらが玉川上水にぽつりぽつりと浮かびはじめる4月の半ば。2階のネットカフェと一緒に慎ましく営業しているような、狭い狭いTSUTAYA。そこで借りた、3人の後ろ姿がギザギザの線で描かれたCD。それが私のチャットモンチーとの出会いだった。窮屈そうに肩を寄せ合って並ぶ縦長の長方形のなかで、上段2段目くらいだったと思う、他とは距離を置き、胸を張るかのように堂々とした正方形。それが目に留まった。上京したての私は慣れないセルフレジに慄きながらも、なんとかお会計を済ませ、お馴染みの黒い袋に入れてそれを持ち帰った。





 野球をする高校生の「ファイオー」という声が、一番離れていても聞こえてくる部屋。私はこたつに入りながら、高校受験のときからお世話になっているラジオカセットにCDをセットし、1980円のイヤホンを耳にはめ、スイッチを押した。「薄い紙で指を切って 赤い赤い血が滲む」。今までに味わったことのない感覚が私を襲った。「ハナノユメ」の生々しい歌詞、「シャングリラ」の胸が躍る四つ打ちのドラム、「親知らず」の実家を思い出すような暖かさ。「染まるよ」のエモーショナルな転調。その全てが私を刺激した。選りすぐりの17曲が終わるころには、私は既にチャットモンチーの虜になっていた。





 次の日、私の通う大学では赤、青、緑、色とりどりの幟があちらこちらに飾られていた。入ってきたばかりで右も左も分からない新入生たちを、木製のテーブルで今か今かと待ち受ける上級生。サークルの新入生入部期間が始まったのだ。自転車置き場から道路を横切ってすぐ右手。大学に3つあるバンドサークルのうち、1つがブースを構えていた。私は同じく木製のベンチに座り、ノートに名前を書いた。まだ、私の名前の他には何も書かれておらず、好きなバンドの欄には「チャットモンチー」、ではなく「the pillows」と書いた。まだ、昨日ベストアルバムを聴いただけで深く聴かれると困るなと考えてのことだった。





 ともかくも、一か月間の仮入部を経て、私はそのサークルの正部員となった。あれは文化祭でのことだったと思う。先輩を中心にしてチャットのコピーバンドが組まれた。もちろん、私は入っていなかった。前日にみんなで作った仮初めのステージでの先輩たちの演奏に、私はたぶんハイになっていた。格好よくあって、可愛らしくもあって、とても凛々しかったのを覚えている。初めての文化祭は盛況のうちに終わり、その後も定期ライブで、合宿で、文化祭で、いたる所でチャットのコピバンは組まれた。年の半分くらいは誰かがチャットを歌っていた。私もコピーしたいと思ったが、在籍した2年間で結局一回もチャットをコピーすることはなかった。





 問題は、私が男だったということだ。しかもあまりイケてない、どちらかといえば陰キャに分類されるような。そんな私がチャットをコピーしたら周りの目にはどう映るだろうか。答えは一つ、気持ち悪いだった。チャットのコピバンをやりたいと思っていても声に出せず、「次チャットなにやるー?真夜中遊園地とかいいよねー」という周囲の話をただただ聞かないふりをしながら、でも聞いていた。私の中のチャットをやりたいという気持ちは燻ぶり続けた。


ただ、幸運だったのはその頃私がキーボードを始めたということ。インターネットには、様々なアーティストの曲をピアノで弾けるようにアレンジした楽譜を販売しているサイトが有難いことに存在していて、そのなかにチャットもあった。私は「世界が終わる夜に」と「風吹けば恋」の楽譜を買って、夜な夜な自分の部屋で弾いていた。まったく上手くはならなかったけど、誰にも見せる予定のない独りよがりのチャットのコピーは、それはそれは楽しかった。自分とチャットの距離がほんの少しだけれど縮まった気がした。





 小さな遠慮が邪魔をして、話したことはあまりなかったけれど、たぶん私がいたサークルのみんながチャットを聴いていたと思う。髪色を金や青や緑にちょくちょく変えてピアスを両耳にぶら下げていたあの人も、徹夜でマージャンをしていた(と思われる)あの人も、背が低くて似合わない縁なしの眼鏡をかけていたあの人も、やる方も見る方もみんなチャットのコピバンを楽しんでいた。たぶん私たちのなかで、チャットモンチーは共通言語で最大公約数だった。


おそらく今もそのサークルではチャットがコピーされ続けているのだろう。とくに3ピース時代のチャットの取っつきやすさはものすごいものがあり、それは時を経ても変わらないと思われるから。本人たちは完結しても、こうやって聴き継がれて歌い継がれていくというのはとても素敵なことだとふと思う。


 







 一人で家にいた2017年11月のことだった。私がスマホでツイッターを見ていると、トレンドにチャットが上っていた。何事かとタップしてみると公式HPには「CHATMONCHY Last Album 2018 Release」とだけ。それ以外はどこをタップしても何の反応もなく、それがさらに私の不安を駆り立てた。そしてその翌日、「チャットモンチー 完結」が正式に発表された。チャットモンチーが、終わる。とても信じられることではなかったが、ネットの反応を見ていくうちにそれが本当のことだと思い知らされた。


「チャットモンチーやめないで」という声が多かったと思うが、一方でこの完結に前向きな反応を示している人も確かにいた。それに触れるにつれ、私の気持ちも前向きになっていった。チャットモンチーが終わってしまうのはすごく寂しいけれど、たぶん二人はこれからも音楽を続けていくはずだし、今度はそれを楽しみにしていたいなという気持ちに。そして翌4月。ラストアルバム「誕生」の6月27日リリースが発表された。最後の最後で「誕生」。なんてインパクトのあるタイトルだろう。


その日はあっという間にやってきた。



 あれ?今って梅雨だよね?と聞きたくなるような晴れの日だった6月26日。チャットモンチーLast Album「誕生」のフラゲ日。私はその日の仕事をつつがなく終え、自転車を漕いで、急いで駅前の書店に向かった。エスカレーターを昇って3階。本館との連絡通路のすぐ隣のCD売り場の新譜コーナー。私はそれを目にしたとき驚いた。形状がDVDそのものだったからだ。困惑したままアルバムを手に取り、裏面を見てみる。緑色の翼竜が翼を広げている。左上には「Headphone Recommended!!」。私はレジに向かい3500円を支払った。


店の中のベンチに座りビニールを剥いで中身を確認。そこでもう一度驚いた。歌詞カードが本になっているではないか。ページをめくると歌詞とその英訳。ここまではよくある、英訳が載っている時点で希少ではあるが、サプライズはその先。レコーディング風景のスナップ写真が20点ほどに、さらに「『誕生』に寄せて」という二人のライナーノーツまで載っている。これはまさに「買い」だ。そう思った。


まず、私はアルバムの楽しみ方は曲を聴くだけではないと考えている。それはジャケットだったり、歌詞カードだったり、CDの盤面だったり。そういった様々が合わさってアルバムは一つの作品となる。だから、私は「誕生」をiTunesでダウンロードしても、アルバムは絶対に買おうと決めていたのだ。そしてその予感は見事に的中した。心の中でガッツポーズをしながら、持参した黒のポータブルCDプレイヤーにCDをセットした(その日は外せない用事があった)。


聴き終わり、配信とはまた違った、よりダイレクトに響いてくるような、印象を受けた。用事が終わって家に帰ったら、あのラジカセで、今度はオススメされたようにヘッドホンをつけて、聴いてみようと、そう考えた。





 リレーでトラック1周400mを全力で走り終えた後のように疲れた体を引きずりながら帰宅。母親が作ってくれた暖かいご飯を食べて2階へ向かう。よく熟れたりんごのような色をしたブックレットをカバーから取り出し、もう一度二人のライナーノーツをじっくり読んでみる。テーマは同じなのに、二人で切り口がまるで違うのが面白い。CDをセット。ヘッドホンのプラグをラジカセのジャックにイン。擦れて三角形もよく分からなくなったスイッチを押す。さあ始まった。変わらず心が躍り出す。


1曲目は「CHATMONCHY MECHA」。打ち込みのドラムから始まり、今までのチャットモンチーとは一味違うぞというところを見せつけるかのようなインスト曲。ゲームのオープニングのようで楽しい。


2曲目は「たったさっきから3000年までの話」。暗くて壮大でどこか神秘的。後半で加速するのが、未来に向けてギアを上げた感じがあって印象的。ここのギターやベースの歪み具合が好き。それと、「ボケたボケてない」のところは「Last Love Letter」のMVを思い出す。どうでもいいことなのだけれど。


3曲目は「the key」。正直、最初に聴いたとき「うへぇ、重い」って思ってしまった。でも、恐竜の足音みたいな打ち込みドラムから、サビで生音主体のバンドサンドに変化するのは、開放感があって気持ちいいなあ。


4曲目は「クッキング・ララ feat.DJみそしるとMCごはん」。このアルバムで一番明るくて楽しい曲。ここまで2曲重い曲が続いていたのでホッとする。DJみそしるとMCご飯さんのラップも等身大でとても素朴でいい。心の氷が融かされるよう。


5曲目は「裸足の街のスター」。「今も群れるのは嫌いさ」や「派手に転がるのはごめんさ」のひねくれっぷりがたまらない。ミドルテンポで展開されているのも、歌詞の一言一言や音の一つ一つに存在感が感じられて、個人的には好きだなあ。


6曲目は「砂鉄」。元メンバーの高橋久美子さんが作曲した曲で、もう当然のように泣いた。こんなの泣くに決まってる。これについては思うところが大きいので後述したい。


7曲目は「びろうど」。終わりからまた新たに生まれる始まり感が強い。ここまでさんざ、メカメカ―打ち込み打ち込み―ってやってきての最後にアコースティックが最高に沁みる。曲中の「青い血」は「ハナノユメ」の「赤い血」との対比になってるのかな。とても鮮やかな対比。チャットモンチーの最後を飾るにふさわしい曲だなあ。


………。


ブックレットに私の目線は釘づけにされ気づいたら30分が経っていた。どの曲も本当に素晴らしくて、まるで時間の経過を感じない。橋本さんと福岡さん、そして2人を支えるたくさんの人達によって、魔法にかけられたような心地だった。この魔法を一人でも多くの人に味わってもらいたいと心の底から思う。ありふれた言葉だけれど本当に。
 




 がっつり書きたい。ここから、「砂鉄」のことを。がっかりしないよう最初に伝えておきたい。この項の文章は全て推測で妄想だということを。


「砂鉄」はその曲もいいけどやっぱり高橋さんの歌詞が最高だ。「だめでもだめだめでも許すよ」という歌詞は、「やさしさ」の「明日ダメでも 明後日ダメダメでも 私を許して それがやさしさでしょう?」のアンサーになっている。泣ける。でもそれだけではなくて、注目は2回目のサビの歌詞。「どうせ嫌いにはなれない」。これが「変身」の「どうせ嫌いになんてなれないだろ?」の意趣返しになっているのだ。先日刊行された高橋さんのエッセイ集「いっぴき」でも、チャット退団後の高橋さんの苦悩が少しだけだが綴られている。(まだ読んでいない人は早く買ってほしい)


脱退して初めて私はチャットモンチーだったんだと実感した。(中略)やっぱり私はどこへ行ってもチャットモンチーの高橋なのだった。最初は参ったなぁと思ったが、今は超える必要のない勲章なんだなと思える。
(高橋久美子著「いっぴき」より引用)


脱退直後は高橋さんもチャットの幻影に苦しんでいた、ようだ。しかし、高橋さんも「変身」して、それを受け入れられるようになっての「どうせ嫌いにはなれない」である。チャットのことを嫌いになりそうになったときもあったが、それを乗り越えたという重みが感じられる。このフレーズで私の心のダムは決壊した。曲の素直な展開も相まって本当に泣いた。チャットモンチーは最高だ。


さらに、これは高橋さんから橋本さんと福岡さんの2人に贈るはなむけの言葉でもあると私には感じられた。チャットを完結させた後も、これからいろんなところで「元チャットモンチー」は付いて回るだろう。元チャットという部分だけが注目されて、今自分がしていることがクローズアップされないかもしれない。でも、大丈夫だよ。私もそうだったから。受け入れられる日がきっと来るよ。そう高橋さんが橋本さんと福岡さんに話しているように私には聴こえた。友達ではないけどそれ以上のつながりで繋がっている3人。なんて美しい関係なんだろうと思う。やっぱりチャットモンチーは素晴らしい。


以上、100%妄想と推測で塗り固められたこの項は終了。書きたかったから書いた。それだけ。












 ところで、時は止まらない。どんなに素晴らしい音楽を聴いても、どんなに美味しいものを食べても、どんなに極上の魔法をかけられても、だ。時間をゆっくり感じたり、時間の経過を感じなかったりはあるかもしれないが、それで時が止まるわけではない。時は今この瞬間も変わらずに流れ続けていて、チャットモンチー完結の瞬間も刻々と近づいてきている。7月4日の、チャットモンチー最後のワンマン、武道館はもう1週間もないし、7月21,22日の、チャットモンチー最後のステージ、こなそんフェスはもう1ヶ月もない。チャットモンチーがチャットモンチーではなくなる瞬間が確実に迫ってきている。

先に私は、「チャットモンチー完結を受け入れた」と書いたが、この「誕生」というアルバムを聴いてやっぱりこう思う。完結してほしくないと。





 産声を、全編打ち込みという新しいスタイルで、大きく高らかな産声を上げたチャットが、「誕生」を経て、次はどんなアルバムを作るのだろうかと楽しみにしている自分がいる。しかし、その機会は永久に訪れることはない。それはとても悲しいことだ。もっとチャットモンチーの音楽を聴いていたかったし、行ったことのないライブにも行きたかった。武道館にもこなそんフェスにも私は行けそうにない。その事実が私をより悲しくさせる。

CDをラジカセにセットしてもう一度初めから聴いてみる。私は再び魔法にかけられる。チャットモンチー最後の曲「びろうど」ではこう歌われている。「生きていくのよこれからも」。そうだ。生きていくのだ。これからも。橋本さんも、福岡さんも、高橋さんも、それを支える多くの人たち、顔も名前も知らないけど同じチャットを聴いている大勢のリスナー、そして私も。生きていくからにはそこには音楽が生まれる。橋本さんと福岡さん、そしてそれを支えるたくさんの人達による、新しい音楽の「誕生」を心待ちにしたいと、改めてそう考えた。


あの春の日、チャットモンチーに出会えて本当に良かった。


最後にもう一度。チャットモンチー、ありがとう。



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おしまい


誕生(初回生産限定盤)
チャットモンチー
KRE
2018-06-27





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前節、鳥取に0‐1で敗戦し、連敗中のパルセイロ。ここまで2勝6分け4敗の勝ち点12で14位に沈みます。鳥取戦後に浅野さんが監督を退任し、この盛岡戦からはヘッドコーチだった阪倉さんが新たに指揮を執る仕切り直しの一戦となります。
対するグルージャ盛岡はここまで3勝2分け7敗の勝ち点11で15位。ただここ2試合は無失点で1勝1分けと結果を残しつつあります。上り調子の盛岡に対してパルセイロは果たしてどう戦うのか。






両チームのスタメン。



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パルセイロは前節からスタメン5人を入れ替え。#1小澤選手がGKに、#20都並選手が右SBに、#6岩沼選手が左SBに、#29前田選手がボランチに、#19三上選手が右SHに、そして#10宇野沢選手が2トップの一角に入ります。システムは変わらず4‐4‐2。



対する盛岡。

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盛岡は前節からスタメン一人を交代。#39小谷選手に代えて#26山田選手が先発となりました。勝てばパルセイロと順位を入れ替えることができる盛岡。システムは最近好調の3-4‐2‐1で臨みます。



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前半キックオフ!

立ち上がりから盛岡は前線からの積極的なプレスで主導権を握ります。#18宮市選手#10谷村選手#25谷口選手を中心としたハイプレスにより、パルセイロの守備陣は慌ててしまいパスミスを連発。タッチラインを割って結局スローインから盛岡のボールとなってしまう場面が目立ちました。ハイプレスはボールを奪えればめっけもんですが別に奪えなくてもパスコースを限定することでミスを誘い、自らがブロックを敷いて待ち構えているゾーンにボールと相手をおびき出すこともできます。 また、パルセイロはハイプレスにビビって今日も横パスを連発。パルセイロが後ろでパスを回してる間に盛岡は守備陣形を整えることができ、これもパルセイロの攻撃が不発に終わっていた原因の一つでした。



盛岡は攻守の切り替えがパルセイロより早いんですよね。ボールを奪われたとしても奪われた選手がちゃんとプレスをか掛けに行く規律のあるチームで、パルセイロはその盛岡の攻守の切り替えの早さに苦戦しまくっていました。すぐ寄せられるから下げるしかできない。そこで躱せればいいんでしょうけど、今の自信を失ってしまったパルセイロではそれも難しいのかなあ。J3の中では技術のある選手が集まってると思いますし、出来ないことはないと思うんですけど。もっと思い切ってプレーしてほしいです。



でこの攻守の切り替えの早さは攻→守だけじゃなくて、守→攻でも発揮されていて。ボールを奪った瞬間にボールを奪った選手はまず前に行くですよね。そしてその選手の横を周りの選手が追い越していく。切り替えの遅いパルセイロの守備陣が付き切れていないところを突いてボールを回し、少ないパスでシュートにつなげるスピーディーな攻撃が盛岡は多かったです。



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前半26分、盛岡はCKを獲得します。ショートコーナーから折り返しを受けた#19白石選手が左サイドから中にクロス。それを#3福田選手が折り返し、#6河津選手が頭でゴールに沈め盛岡が先制します。まずショートコーナーを使うことでパルセイロのマークがズレたことが失点の原因の一つとして挙げられますね。#3福田選手についてたのは#5寺岡選手で、身長的には181㎝と179㎝であまり大差はないはずなんですけど空中戦で競り負けてしまったのが痛い。あとは#6河津選手#9津田選手の前に入る動きが上手かった。



点を決めてからはパルセイロもボールを奪って攻撃するようになるんですけど、相変わらずスピードが遅い。上がるスピードも遅いですし(盛岡が自陣に戻るスピードの方が圧倒的に早い)、アタッキングサードのサイドでボールを持てても止まって勢いを殺してしまう。味方の上りを待ち過ぎていてシンプルにクロスを上げるっていうことがなかなかできないんですよね。あと選手間の距離感が遠くてサポートが少ない。浅野さんのときだったら4人くらいよってサイドを崩そうとしてたと思うんですけど、阪倉さんになって明らかにサイドにかける人数が減りましたよね。ボランチが寄って来なくなったのが一番の違いかな。人数をかけるとショートパスでミスが出て奪われる、人数を掛けなくてももたついてしまって奪われるってことで今はどっちも上手くいってませんけど、これから先この阪倉さんの新戦術が実を結ぶことを願いましょう。



今シーズンここまで12試合で17失点と守備に問題を抱えているパルセイロ。その原因はプレスの遅さ・弱さにありましたが、阪倉さんに監督が交代して最初の試合だった盛岡戦でも改善は見られませんでした。全然寄せてないのでシュートコースもパスコースも全くといっていいほど切れておらず、シュートを打たれ放題、決定的なパスを通され放題でした。盛岡前半だけで10本くらいのシュートを打ってますからね。明らかに打たれ過ぎです。毎回言っていますけどもう一歩寄せてほしいです。



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それと盛岡戦でもパルセイロは距離感があまり良くなかったですよね。盛岡の両ボランチである#6河津選手#26山田選手は結構下がって攻撃の組み立てに参加するので(ボランチってそういうポジションだろ)、それに釣られて#17明神選手#29前田選手が少し前に釣り出されてしまうんですよね。一方ディフェンスラインも裏を取られることを警戒してなかなかラインを上げられず(盛岡全然オフサイドなかったと思う)、CBとボランチの間に大きなスペースができてしまい、そこを盛岡の2シャドー、#10谷村選手#25谷口選手にいいように使われてました。CBとボランチの間に上手くポジションを取った二人にボールが入ると片方のCBが釣り出され、その穴を埋めるためにパルセイロの選手がスライドし、その選手の元いたポジションにスペースが生まれて、そこをさらに利用されるという悪循環。パルセイロは攻撃でも守備でも常に後手後手を踏んでしまっていました。



パルセイロもセットプレーから何本かシュートを打ちますがどれも枠外。逆に盛岡にも変わらずバンバンシュートを打たれますが#1小澤選手が何とか防いで、前半は0-1で盛岡リードで終了しました。パルセイロにとっては監督交代した効果はあまり感じられないまま前半を終えてしまいました。これは不味い。




両チーム選手交代はないまま後半キックオフ!



後半になってもギアが上がらず、盛岡にいいように攻められるパルセイロは後半10分#10宇野沢選手に代えて#30萬代選手を投入します。#30萬代選手はそのまま宇野沢選手のいた2トップの一角に入りました。



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#30萬代選手の投入により前線に起点ができパルセイロは少しずつゴールに近づいていきます。後半15分、#8河合選手がドリブルで持ち込み放ったシュートは相手DFに当たり、ゴール前にこぼれたところを#19三上選手がフリーの状態で触りますが、シュートに力はなく#1中島選手に難なくキャッチされてしまいます。決定機だったので決めてほしかったシーンでした。



しかし、その直後の後半16分#21小澤選手からのボールを受けた#20都並選手が自陣右サイドでボールを奪われ、一気に盛岡のショートカウンターに持ち込まれます。ボールを奪った#18宮市選手はドリブルで持ち込む。パルセイロのディフェンスラインは#18宮市選手、外から斜めに走り込んできた#8菅本選手、ゴール前に入ってきた#10谷村選手にそれぞれついており、遅れて入ってきた#25谷口選手を誰も見ていませんでした。#18宮市選手は冷静にフリーの#25谷口選手にマイナスのパスを出し、それを#25谷口選手が落ち着いて決め盛岡が2点目。パルセイロは勢いが出てきた時間帯に逆にゴールを決めら
れ、とても大きなダメージを喰らいました。



この失点は#20都並選手がまずいけないです。縦へのチャレンジングなパスじゃなくて横へのセーフティなパスを奪われたのが余計性質が悪い。でもこれはチームの失点なので#20都並選手一人の責任じゃなくてチーム全員の責任です。この失点のシーンでも土曜日のパルセイロの距離感の悪さがそのまま出てしまいました。#19三上選手#17明神選手は高い位置を取りすぎてたからフォローが遅れて、それが失点につながりましたしね。加えて、パルセイロのディフェンスラインが誰も#25谷口選手を見てなかったのも悪いんですけど、これはしょうがない(許されることではないですが)。これについては#18宮市選手のドリブルや#8菅本選手の中に入る動きを評価するべきでしょう。二人がディフェンスを上手く引き付けたおかげで#25谷口選手がフリーになれたわけですしね。盛岡の連携がきちんととれていたゴールでした。



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2点を失ってパルセイロは攻撃に出るしかなくなりました。でも変わらずディフェンスラインでボールを回してばかりでなかなかボールを前に運べません。阪倉さんに監督が代わってからよりボールを繫ぐっていう意識が高まったんですかね。あるいは選手が自信喪失してチャレンジを恐れたのか。いずれにせよ、ロングボールがめっきり少なくなりました。自陣でFKを獲得しても近くにいる味方に繋いでばかりなんですよね。たまにはアクセントで前線の#30萬代選手に当ててもいいと思うんですが、それはしませんでした。ショートパス主体でボールを前に運べないのだから、ロングボールで無理くり前に行くって言う選択肢もあったんですけど、それをしなかったのは「時間がかかってもこの繋ぐサッカーを形にするぞ」ってことを優先したからなのかな。もう昇格は風前の灯火ですし、割り切ってスタイルを築く方向に舵を切ったとか?まあ違うと思いますけど。



攻めあぐねるという段階にさえ到達できないパルセイロは後半23分、#20都並選手に代わって#14東選手を投入します。#20都並選手は今日は良くなかったですね。失点に直結したミスもそうですし、相手に簡単にクロスを上げさせていました。攻撃でも積極性はあまりなくクロスの精度も良くなかった。次戦のスタメン危ういかもしれないです。そして#14東選手は右SHに入り、右SHにいた#19三上選手#20都並選手のいた右SBに移りました。



時間が経つにつれてとにかく点を取りたいと前がかりになるパルセイロと、そこをカウンターで突く盛岡という構図が明確になっていきます。盛岡は守備時にWBが下がる5‐4‐1で守り、さらに、横幅を狭くコンパクトに守ることでパルセイロがサイド攻撃をするように誘導していました。パルセイロの2トップに対し盛岡は3バックで常にひとり余らせることができ数的優位に立てることから、中央攻撃は望みが薄いとパルセイロは判断したのか、盛岡の誘導に乗っかってしまいます。前述したようにパルセイロはアタッキングサードのサイドでボールを持った時に勢いを止めてしまうので、盛岡はその間に素早く帰陣し、ペナルティエリア内に人数をかけることで、パルセイロのクロスを跳ね返していました。パルセイロのクロスの精度がそもそも悪かったこともありますが、盛岡は体を張ってしっかりと跳ね返し、シュートを許しません。

これをかき分けるにはミドルシュートを打って盛岡のCBを前に釣り出せればよかったんですけど、バイタルエリアでボールを貰っても横に流すことしかしなかったですからね。土曜日のパルセイロは。誰もが人任せではゴールが決まるはずもないです。これも自信喪失によるものなのかな。もしかしたら今のパルセイロの一番の課題はメンタル面なのかもしれない。



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この状況を打開するためにパルセイロは後半31分に最後の交代カードを切ります。#17明神選手に代えて#28松村選手を投入。#17明神選手はこの日どちらかというと攻撃に出る機会が多かったですね。#29前田選手とは、特に後半、ある種の縦関係に近いポジション取りをしていました。まあそれが失点につながったんですが。

そして投入された#28松村選手は右SHに入り、#14東選手#17明神選手のいたボランチに入りました。たぶん。



しかし、パルセイロの攻撃は実らず逆に後半42分、自陣浅い位置でボールを受けた#29藤沼選手(10分ほど前に交代で出場していた)がドリブルで持ち上がります。そのままするするとゴール前まで上がり、#6岩沼選手#5寺岡選手のディフェンスを躱して、ゴール左隅にシュートを流し込み盛岡が決定的な3点目を奪います。これは酷い。はっきり言ってお話にならないくらい。



まず#29前田選手、完全にボールウォッチャーになっていて背後に走る#29藤沼選手のことを全く見ていません。#29前田選手のこのミスにより#29藤沼選手は完全にフリーになってしまいました。そして#5寺岡選手#29藤沼選手がボールを受けたときには後ろに誰もいなかったので遅らせるディフェンスを選択したのはセオリー通りではありますが、全然遅らせることができてない。体をぶつけることもせず相手と並走しているだけなので、相手のスピードが全く落ちていません。#29藤沼選手が右に切り返したときに一回離れたのは何なんですか。横の選手を警戒したのかもしれないですけど、そこは#29藤沼選手についていかなきゃいけない場面でしょう。そのあと#6岩沼選手が行きましたけど、#5寺岡選手、その後のカバーリングが全くできていない。ボールとゴールを結ぶ一直線上に全然立ってないんです。#29藤沼選手がシュートを打ったのはニアサイドで、そこに#5寺岡選手が経っていればこの失点は防げた失点だったかもしれないです。寄せが甘くて全然シュートコースを防げていなかった#6岩沼選手にも問題がありますが。

ただここで忘れてはいけないのが、#29藤沼選手はこの10分ほど前に投入されたばかりのフレッシュな選手だったということです。90分に近い時間を走り続けてバテバテだったパルセイロディフェンスに対し、#29藤沼選手はまだ疲れておらず、動きにキレがあった。ゴール前での2度の切り返しも疲れ切っていた#5寺岡選手#6岩沼選手には効果抜群で、二人はまだまだ元気な#29藤沼選手の動きについていけていませんでした。そこがこのゴールの決め手となったと思います。盛岡の菊池監督の采配が見事的中した感じですね。



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残り少ない時間でまず1点を返したいパルセイロでしたが、盛岡の最後まで落ちない運動量と、前線の選手の交代によって最後まで続けられたハイプレスによって、なかなかボールを前まで運ぶことができません。3分という表示だったのに実際4分半くらいあったアディショナルタイムでも特に何も起きることはなくそのまま試合終了。運動量多く、選手同士の距離を近くすることでセカンドボールを拾い続けたグルージャ盛岡の前に0-3でパルセイロは敗れました。これでJ3リーグ参入以後初の3連敗です。



阪倉さんに監督が代わっても明るい兆しは未だに見えてこないパルセイロ。この惨憺とした状況を打ち破るには攻撃面のスピードアップ、手数を掛けないシンプルな速攻、守備面ではボールホルダーへの厳しいプレスとディフェンスラインを上げることが必要だと思われます。土曜日の盛岡はそれが全てで来ていたので、パルセイロにとっては大いに参考になるかと思います。特に守備、ボールホルダーの厳しいプレスが、今の失点の止まらない一番足りてないと私は考えてるので、戦術同行の前にまずはここを改善してほしいと切に願います。これ以上は負けられない。






<ハイライト動画>




選手コメント
(Jリーグ公式)

監督コメント(Jリーグ公式)

2018明治安田生命J3リーグ 第14節の結果(長野公式)

2018明治安田生命J3リーグ   第14節 vs グルージャ盛岡|イメージギャラリー(長野公式)


【試合情報】あおばようちえんプレゼンツ2018明治安田生命J3リーグ第14節vsAC長野パルセイロ 菊池監督会見コメント(盛岡公式)

AC長野3連敗 阪倉監督初陣飾れず(信濃毎日新聞)

グルージャ連勝 今季初、長野に3-0(岩手日報)




さて、パルセイロの次節の相手は今シーズンここまで5勝5分け3敗の勝ち点20で6位と好調のY.S.C.C.横浜。ワンタッチで行われる素早い速攻を武器としたチームで今のパルセイロが苦手としているタイプです。だけれども4連敗は何としても避けたい。もうJ2昇格という大きなことは言いません。目の前の試合に今持てる全ての力をぶつけて一戦一戦勝っていく。求めることはそれだけです。失った自信を取り戻すためには勝利が一番の良薬。頑張れ!AC長野パルセイロ!!



おしまい







こんばんは。これです。W杯盛り上がってますね。見ました?アルゼンチン対アイスランド。アイスランドの魂のこもったプレー。感動しました。

さて「IT~それが見えたら、終わり~」を観てからおよそ半年。なんかまたホラー映画を観たくなってきた私は今日、「ベルリン・シンドローム」を観てきました。で、今回のブログはその感想です。いつもより短めになっているのでサクッと読めるかと思います。では、よろしくお願いいたします。















※ここから先は映画の内容のネタバレを存分に含みます。ご注意ください。











まず、あらすじです。



<あらすじ>

歴史と芸術の街ベルリン、オーストラリア人の女性カメラマン、クレアは、
ベルリン旅行中にアンディと名乗る男と出会う。彼女はアンディの部屋に泊まることになるが、
その日からアンディの部屋に監禁されてしまう…。
この男は一体何者なのか?彼女に近づいた真の目的とは?
叫び声も誰にも届かない、
脱出不可能な部屋から彼女は脱出できるのか!












えーとこの映画、結論から言っちゃうと全然怖くありませんでした。なにが「神経が切断されるほど恐ろしい!」だよ。何の神経も切断されなかったわ!強いて言うなら退屈で、途中何度も意識が切断されそうになったくらいだよ。まあ連日夜遅くまでW杯を見ていて、寝ぼけ眼で行った私も悪いんですが。



とりあえず予告を見てください。





どうです。怖いでしょう。でもこの予告にあるシーンが、映画の怖いシーンの80%くらいを占めちゃってるんですよね。この予告でうわー怖そうだなって思ってワクワクしながら観に行った私が魅せられたのはサイコ野郎と旅行者の女のよく分からない日常。サイコ野郎を刺して、血みどろで絶叫しながら逃げようとするシーンとかもっと見たかった。

これはホラー映画をあまり見ない私の浅はかな考えになるんですけど、ホラー映画が描く恐怖には2種類あると思っていまして。まず分かりやすい殺人鬼や悪霊が出てきて、このままじゃ殺される、逃げなきゃっていう、ダイレクトに命に関わってくる恐怖。もう一つが周りで不可解な出来事が起こり、それがどんどん主人公に近づいてくる、非日常に日常が徐々に浸食されていく、ダイレクトに命に関わらないかもしれないけど、言いようがない不安が心をざわつかせるという恐怖。前者は「13日の金曜日」や「エクソシスト」を、後者は「世にも奇妙な物語」をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれないです。

今回、予告だったりHPだったりを見て私は「ベルリン・シンドローム」に前者の恐怖を期待して観に行ったんですね。サイコ野郎に女が分かりやすく追いつめられるっていう。もう血みどろでドンドン泣き叫んでくれと。でも下の映画ポスターを見て気づくべきだった。「ベルリン・シンドローム」は後者のジワジワ来る恐怖を描いたものだって。



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話は逸れますけどこのポスターもちょっと酷いですよね。こんな文字数要らんだろうと。「この部屋、出口なし。」だけでいいじゃないですか。説明しすぎですよ。大事なのは何を書くかじゃなくて何を書かないかなんですよ。文字が多いことで地雷臭がマシマシです。これはいただけない。





戻ります。

憧れの街ベルリンを訪れたクレア。そこで出会ったアンディに監禁されるわけなんですけど、二人が一般的に生活してるシーンが多く、少し冗長になっている印象がしました。クレアは監禁されていますし、アンディは数々の女性を虐殺してきたサイコ野郎で、普通に見えて全然普通じゃない不気味さがこの映画の要になってますね。それは別にいいんですけど、アンディのサイコさが全然足りなかった。

アンディは普通に朝起きて、教師として働いて、でも実は監禁虐殺を繰り返してるやべーやつ、すぐ近くにある恐怖の象徴みたいなキャラクターだったんですけど、個人的にはそのヤバさの片鱗をもっと見せてほしかった。普段は優しくしているのに、スイッチが入るといきなりキレだすとか、ブチギレ成分が足りなさすぎるんですよ。もっとそのギャップで魅せてほしかったていうのはあります。淡々としすぎなんですよね。メリハリが少ない。

でもってアンディがクレアに変に優しくするもんだから、見てるこっちは「アンディ全然ひどい奴じゃないじゃん」ってなるんですよね。アンディがマジでやべーやつなら「クレア早く逃げて―!」ってクレアに感情移入もできると思うんですけど、アンディの怖さが足りなかったから、クレアにあまり感情移入できないんですよね。だから切実さもそこまで感じられませんでしたし。そこがイマイチ私が乗り切れなかった原因じゃないかと思うんですよね。アンディが全然やべーやつに感じられなかったところが。



でもって、ポスターにある「そして度肝を抜く戦慄のラスト!」という謳い文句。もうほとんど公開してる劇場がないから結末もバラしちゃいますけど、クレアはアンディの生徒と協力して部屋を抜け出し、アンディを逆に閉じ込めることに成功するんですよね。そしてクレアがタクシーの窓からベルリンの街を眺めて映画は終わります。

上の謳い文句でハードルを上げて、退屈な途中でも「度肝を抜く戦慄のラストがあるぞ」と気持ちを振るい立たせながらなんとか映画を観ていた私。そしてエンドロールが流れ出した瞬間に思いました。

メッチャ普通やん!

私が「度肝を抜く戦慄のラスト!」で想像したのは、クレアがアンディに刺されて死んだり、やっとこさ空港に辿り着いたクレアが飛行機に乗ろうとするところでアンディに腕を掴まれ、また、今度はより酷い監禁生活に逆戻り、みたいな感じだったわけですよ。もう「鬱エンドもどんと来い!逆に鬱エンドじゃなかったら凹む!」みたいな感じで構えていたのに、最後はクレアが抜け出して、アンディを閉じ込めてっていうベタベタなエンド。心の中でずっこけましたよ。逆に悪い意味で度肝を抜かれましたよ。なら「度肝を抜く戦慄のラスト!」とか言わないでくれよって。まあそうやって興味を惹かないとお客さんが入らないことを考えると仕方ない部分もありますけどね。



まとめると、「ベルリン・シンドローム」は、冗長な展開、薄い恐怖、想定内のラスト、どれをとってもあまりいい印象はなく、心の無い言い方ですけど「B級ホラーにもなりきれていないな」っていうのが私の率直な感想です。この映画は私には合いませんでした。ごめんなさい。




最後に。

観終わって私はやっぱり「13日の金曜日」や「エクソシスト」みたいな、人が殺されるといった分かりやすい恐怖があるホラー映画が好きなんだなって思いました。そういう明快なホラーを好む私には「ベルリン・シンドローム」は残念ながら合わない映画でした。なので、これから見ようっていう人がもしいたら、この映画は「世にも奇妙な物語」みたいなジワジワ来る恐怖の映画なんだよ、ポスターや予告編に騙されちゃいけないよ、っていうことを伝えたいです。最初からそう分かっていればこの映画をより楽しめるはずだと私は思います。明快な恐怖を求める人にとってはあまり怖くないんですけど、そのあたり、心して観てみてください。心構え、大事。



おしまい


ベルリン・シンドローム [DVD]
テリーサ・パーマー
Happinet
2018-10-02




こんばんは。これです。いよいよW杯始まりましたね!!!今このブログを書いてる時点ではまだ1試合も見れてないですが、頑張って多くの試合を見たいと思っとります。まずは今夜のポルトガル対スペインから。楽しみです。

そんな今回のブログはW杯一切関係なく映画の感想です。今回観た映画は去年韓国で話題沸騰の「タクシー運転手 約束は海を越えて」です。いつもと比べてネタバレは少々多めですが、何卒、今回もよろしくお願いいたします。





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まず、この映画は韓国は光州で起きた実際の事件をモチーフにしています。


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(映画公式HPより)

というわけですね。この短い文章でもなかなか辛いものがあります。



この映画の主人公はソウルの個人タクシー運転手です。このソン・ガンホ演じる冴えないおっさんタクシー運転手マンソプがとてもいいんですよね。冒頭は上手くいかないこともありながらもそれでも明るく振舞っていました。「まあ何とかなるだろう」という両津勘吉スタイルで、別の運転手の客を横取り。韓国南部の街・光州に行って戻ってくるだけで10万ウォンを貰え、滞納していた家賃も返済できるとあって、最初はノリノリです。ドイツ人記者ヒンツペーターとの英語での会話が上手くいかなくてもノープロブレム。「俺にもツキが回ってきたな」とシメシメ顔です。



そして光州に到着。しかし光州は歩いている人が見当たらない状態。光州では、民衆が独裁をする軍部に対してデモを起こしていました。というのは建前で本当は軍隊が民間人を暴行して多数の負傷者を出していました。民間人何もしてないのに。いたぶって言うことを聞かせる恐怖政治ですね。



この軍部の民間人の傷つけ方がえぐい。警棒でバキッ。脇腹にキックをズドン。一人に対して複数人でリンチ、そしてリンチ。観る者をあまりよろしくない意味で画面に釘付けにします。病院はケガ人で対応が追い付かないほど。



そして、それを屋上から撮影するドイツ人記者ヒンツペーター。ヒンツペーターは真っ当なジャーナリズム精神から光州の現状を世界中に伝えようとします。しかし、光州では軍部が睨みを利かせ、言論統制を敷いています。ニュース番組では軍部の死傷者ばかりを報道して印象操作をし、真実を伝えようとした地元紙の記者たちも、社長に会社を潰す気か妨害され発行できず。光州で起きていることの真実を伝えることにはたいへんに危険なことでした。



そんな危険な光州の状態を目の当たりにしたマンソプ。こんなとき冴えないおっさんが取る手段は一つ、逃走です。それも当然でマンソプは自ら首を突っ込んだとはいえ、光州で起きていることを知らず、成り行きで巻き込まれただけですから。やってられないと思うのも当たり前でしょう。ヒンツペーターから前金5万ウォンを受け取ったままトンズラしようとしたマンソプは地元のタクシー運転手たちにクソミソにけなされます。



マンソプとヒンツペーターは光州で一人の青年ジェシクと出会います。歌謡祭に出たいからと些細な理由で大学に入学した彼も、ヒンツペーターの通訳を務めることにより否応なく事件に巻き込まれていきます。



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中盤このジェシクが私服軍人に捕まるシーンがあるんですが、ここのジェシクがめっちゃかっこよかったんですよね。こめかみに銃を突き付けられた絶体絶命の状況で、軍人に二人に助けてもらうよう言えと指示されますが、ジェシクは軍人には伝わらない、ヒンツペーターにしか伝わらない英語で「俺はいいから逃げろ」と伝えます。「俺はいいから逃げろ」。ああなんてカッコいいセリフ。男子が人生で一度は言ってみたいセリフのベスト10には入りますよね、「俺はいいから逃げろ」。痺れます。



命からがら逃げ延びたマンソプとヒンツペーター。マンソプは実家に置いてきた娘が心配だということで、ソウルに帰ることを決意します。タクシーを走らせソウルに向かうマンソプ。マンソプは途中で立ち寄った街である飯屋に立ち寄ります。そこで聞いたのは光州の現状についての噂話。そこで目にしたのは軍部によって校閲された新聞。そこで口にしたのは塩味の効いたおにぎり。飯屋を出てタクシーの中これでいいのかと考えるマンソプ。ここでのソン・ガンホの葛藤する演技がもう最高です。唇をわな震えさせ、目を細かくしばかせる。そして出した答えは意を決してのUターン。娘に「迎えに行かなきゃいけないお客さんがいるんだ」と電話で伝えたときの決意の眼差しには凄く惹きつけられました。



覚悟を決めたマンソプ、そしてそのマンソプの励ましにより失意から立ち直ったヒンツペーターとは対照的に軍部による攻撃はますます過激になっていきます。とうとう銃を持ち出してきたのです。罪のない民間人に対して降る銃弾の雨。助けに行きたいのに、助けに行くと自分も撃たれるのでむやみに助けにいけない、もどかしいなんて言葉では表しきれないむごったらしい状況が続きます。心がすごい痛む。ここで立ち上がるのが地元のタクシー運転手たち。タクシーで颯爽と助けに負傷者を助けに参上します。ここ凄いテンション上がりました。まあこの後でもっとテンション上がったんですけどね。






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この映画を観て私が感じたことは「ヒーローだな」ってことです。世間的には生き延びて光州の真実を伝えたヒンツペーターが分かりやすいヒーローなんですけど、でもヒンツペーターが真実を伝えられたのも彼を光州まで送り届けて、彼の折れた心を繋いで、そして無事にソウルの空港まで送り届けたマンソプがいてこそじゃないですか。でそのマンソプとヒンツペーターもジェシクや地元のタクシー運転手たちの助けがなければ死んでいたはずだと考えると、ヒーローはマンソプやヒンツペーターだけではなく一杯いるよなあって感じました。



何がいいかってヒンツペーター以外の彼らが私たちと変わりない存在だっていうことなんですよね。どこにでもいるような本当に市井の人々。マジ小市民。日々を大きな目標や確固たる信念を持つことなく何となく過ごしている。でもそんな彼らでも強い信念が芽生えれば、ヒーローになれるっていうのがとても魅力的で。だって普段は女子高生に「キモーイ」って軽蔑されるような人たちですからね、映画に出てきた光州のタクシー運転手たちって。でもそんなかっこ悪い彼らが終盤、助太刀に参上したときには最高に胸が熱くなりました。何でこんなに輝いて見えるんだろう。自ら身を挺してマンソプとヒンツペーターの二人を逃がすのがもう最高にかっこいい。彼ら自身は自分をヒーローだとはこれっぽっちも思ってないでしょうけど、私から見て彼らは十分すぎるほどにヒーローでした。



また、それを私にさらに印象的に感じさせたのが、彼らの誰も自らを誇示していないことです。自らが風に吹かれれば飛ばされて消えるような小さい存在だと知っている。歴史に名を残すような大それたことなんてできるはずもない。現実の私たちの多くと同じように。そんな彼らがこの映画では大活躍するんです。これに燃えなくて何に燃えますか。名前のない(実際名乗ってないですし)彼らの奮迅に大きな勇気を貰えます。



そして、ヒーローは名乗らない。映画の最後に至るまでヒンツペーターはマンソプのマンソプという本名を知りません。でもそれがいいんです。そこで安易に名乗ることのない潔さの美学。「あなたは誰ですか、あなたの名前を」「なに、通りすがりのタクシー運転手さ」みたいな。超かっこよくないですかこれ。「通りすがりの~」って言うセリフも男子が人生で一度は言ってみたいセリフのベスト10に入りますよね。まあ照れもあったとは思いますけどあくまでも自分を大きく見せることなく、名前のない一タクシー運転手でいたいっていうマンソプの姿勢は本当の意味で漢でした。外見あんな冴えないのに。



ここに至るまでかなりネタバレしましたけど、まとめると、「タクシー運転手 約束は海を越えて」は最高に私たちの胸を熱くしてくれる映画なので、みんな観た方がいいよってことです。これから全国各地のミニシアターで順次公開されて行くようなので是非とも足を運んでみてはいかがでしょうか。オススメです。



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お読みいただきありがとうございました。


おしまい








 私が高橋久美子さんを最初に知ったのはチャットモンチーのベストアルバムを借りてからだ。私がチャットモンチーを知った2013年4月、高橋さんは既にチャットモンチーを脱退していた。橋本絵莉子さんの子供と同じように、私も高橋さんのいた、三人の頃のチャットモンチーを知らない。 それどころか、今よりもずっとずっと無知だった私はベストアルバムのライナーノーツの「高橋久美子が卒業した」という文字を見てもしばらくは、チャットモンチーは橋本絵莉子、福岡晃子、高橋久美子の3人で構成されたバンドだと、そうであると信じていたのだ。まったく恥ずかしい話である。



 それから時間が少し経ちチャットモンチーが二人組のバンドであると分かってきたことと時を同じくして、高橋さんが作家・作詞家として活動していることを私は知った。今どういったことをしているのだろうと気になったことはあったが、実際それまでだった。その頃の私は文章を読むことなど眼中になく、次から次へと現れ出るロックンロールバンドの数々に夢中になっていた。「ヒトノユメ」展にも行かず、エッセイが乗った雑誌も手に取ることはなく、「思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、」という本が出ていたことなど知る由もなかった。「ヒトノユメ」展が私の地元である長野でも開催されていたことも「いっぴき」を読んで初めて知ったぐらいだ。あの頃知っていたら実家の帰省の際に行ったのに。長野と上田は高速道路を通れば30分もかからない。新幹線なら8分だ。そんな近いところで憧れの人による展覧会が開催されていたなんて。



 そんな作家としての高橋さんの顔を知らない私にとって、高橋さんの姿を見つけることができたのは高橋さんが作詞したチャットモンチーの曲の中だけだった。「ハナノユメ」「シャングリラ」「風吹けば恋」。どの歌詞もとても魅力的だった。カラオケ、練習室、ライブハウス。いたる所で高橋さんの歌詞は歌われていた。そのたびに私は「やっぱり高橋さんの書いた歌詞っていいなあ」と10歳くらい退行したかのような感想を抱いた。もちろん橋本さんと福岡さんのとても歌詞もよかったのだけれど、高橋さんの書く歌詞はなんというか身近な感じがしてそこがたまらなく好きだったんだと思う。







 いつものように安く音質がいいとは決して言えないイヤホンでチャットモンチーを聴いていた去年の11月24日。それは起こった。橋本さんと福岡さんの二人が「チャットモンチーを来年の7月で完結させる」と発表したのだ。ショックだった。「最近チャットアルバム出してないよなーそろそろ出てもいいよなー」と感じていた矢先の出来事。当時SNSでも大騒ぎになったのを覚えている。チェックマークのついた業界の人から名前も知らないアニメのキャラクターをアイコンにした人、自撮り写真の人や原色を背景にした楕円の卵たちが次々とチャットモンチーに対する思いを露わにしていた。そしてその中に高橋さんもいた。文言は覚えていないが「二人の決断を応援したい」的な感じだったと思う。私は高橋さんのアカウントをフォローした。3万7千何人目かのフォロワーだ。





 そしてフォローして幾日か経ったとき私は高橋さんが6月に本を出すことを知る。「いっぴき」というタイトルの力いっぱいにジャンプするムササビが表紙に書かれた本。福岡さんの帯コメントと橋本さんの解説が載った本。チャットモンチーがラストアルバムをリリースする6月に出版される(タイミングが出来すぎだ)本。「買うしかないな」と直感的に思った。ちょうど私が本を読み始めた頃というのもあり高橋さんがどんな文章を書いているのか俄然興味が出てきたからというのもある。まあともかくも私は「いっぴき」を買った。そして仕事終わりの空いた時間を利用して少しずつ読み進めていった。








 読んでみて、そこには難しい言葉など何一つなかった。日常的にありふれたような言葉でできた見事な文章が346ページに渡って綴られていた。地球の自転の理由とかパブロフの犬とかじゃなくて、本当に私たちが日頃発するような何気ない言葉たちが、前ならえをして長短さまざまな列を作っていた。
 

 前ならえというと、ピシッと一直線になった、低いところから高いところへグラデーションになっていく列を想像するかもしれないがそれとはまた少し違う。少し横にずれたやつ。前のやつより身長が低くて必死につま先立ちをしているやつ。やる気満々なやつがいればそうでないやつもいる。体育大学のような厳しい前ならえとは似ても似つかない、でこぼこの前ならえ。でも、そんなでこぼこがたまらなく愛おしい。みんながみんな違う「いっぴき」。きっと人はそれを「個性」と呼ぶのだろう。『いっぴき』は作家・高橋久美子さんの一面性ではない様々な個性が詰まった本だと言えるのかもしれないとそう思った。






 『いっぴき』の中で私が印象的に思ったのは、まず「自然」の描写が多いこと。緑になった桜の木。プランターの中の家庭菜園。愛媛の葡萄畑。そして3.11。他にも自然に対する描写は驚くほど多い。そして、高橋さんのきめ細やかな筆致がその時々の風景を浮かび上がらせる。行ったこともなければ見たこともない風景なのに(あ、緑になった桜の木はあるか)、それを私たちも元々知っていたんじゃないかと錯覚させるほどにリアルで爽やか。



 人間は自然から来ている。どれだけ科学が発達して「ドラえもん」に描かれる22世紀のような世界が実現したとしても、それだけは確かで、なんだかんだで人間には母なる自然を求める心がどこかにあるんじゃないかと思う。『いっぴき』に書かれている「自然」はそんな私たちの基本的欲求を少し満たしてくれる。だから読後感がこんなにも気持ちいいんじゃないかなあ。デトックスデトックス。








 また、『いっぴき』では高橋さんが、数えてないけど5分の1ぐらいは、どっかに旅している。フィレンツェやラトビアといった海外から新潟や南予といった国内まで実に色んな所に。観光名所を巡って名物料理を食べて、といういかにもな「旅行」もあるにはあるんだけれどそれは少数。むしろネットに頼らず、自分の目と耳と口を使って、その地域の人たちの「日常」に触れる、そんな「旅」が『いっぴき』には多く描かれている。


 その人の住む地域によって「日常」は姿を変える。日本ではご飯を食べるときにお箸を使うけれど、欧米ではナイフとフォーク、インドでは直接手を使って食べる。しきたりも信じる神様も全然、もう予想だにしないくらい違う。それらは何ら意識しないまま勝手に「日常」に変換され、その「日常」の集まりが「文化」を形作るんだと思う。つまり「文化」に触れるということは、そこに住む人々の「日常」に触れるということなのだ。


 『いっぴき』で高橋さんはこうした「違った日常」に触れに触れまくっている。クロアチアの家庭に泊まり、地元の人しか知らないような南予の酒蔵に行く。私たちがしたくても勇気が出ずにウジウジしてできないことを、高橋さんは平気(じゃないのかもしれないけど)でやってのける。その羨ましさたるや。本当にいい「旅」をしているなあ、って心の底から思う。でも不思議と妬みはない。それは文章から高橋さんが、大変なこともあるけれどそれも含めて、楽しそうにしている姿が伝わってくるから。「いいなあ。行ってみたいなあ」と思わせるとても優れた旅の日記。『いっぴき』にはそういう一面もあるのだ。





 『いっぴき』というタイトルは高橋さんがチャットモンチーも事務所も離れフリーになった自らに対してつけたものだ。『いっぴき』という言葉の響きからは、孤独という暗いイメージがどうしてもつきまとう。でも、読んでいくうちにその「いっぴき」のイメージがどんどんと覆されていく。それは、高橋さんが人とのつながりを大切にしているからだと私は感じた。



 人間というのは誰しもが「いっぴき」だ。他に変わりはいないという意味での「いっぴき」。いくらよく似た双子だろうと、それぞれ別の遺伝子を持っている。もしも「いっぴき」じゃなくなるときが来るとするならば、それはヒト用クローン技術が完成の目を見たときだろう。倫理観の問題で当分実現しそうにはないが。

 
 そしてやっぱり、人は一人で「いっぴき」で生きていくことは出来ない。一人で何でもできるスーパーマンなどフィクションの世界にしか存在しないのだ。私たちはスーパーマンではない。長所も短所もある「いっぴき」だ。現実はそんな「いっぴき」同士がジグソーパズルのように互いに足りない部分を埋め合って生きている。


 「一人になったはずなのに私は一人じゃなかった。私を必要としてくれる誰かが必ず待ってくれた。」
(お仕事)


 なんて暖かいんだろうか。人は完全なる「いっぴき」になることはやっぱり不可能だよなあ。うんうん。


 現代はSNSの隆盛で、現実での人と人との結びつきが希薄になっているとよく言われている。何年も前から隣に住んでいる人の名前を知らない時代だ。


 そんな時代だからこそ、現実での人と人とのつながりを大切にしている高橋さんの姿勢は深く胸に突き刺さる。私はこの本を「自分は友達がいない」だとか「自分には価値がない」と思っている人に読んでほしいと思う。この本を読んで人と人のつながりがたまらなく愛おしいということを感じてほしい。


 別に友達が多いから偉いわけでも何でもない。昨今のなんでもかんでも「絆」を求める風潮は私も正直どうかと思う。でも、たとえ使い古された言葉でも「あなたは一人じゃないよ」ということを知ってほしいのだ。「人に必要とされていない自分に価値がない」とは思わないでほしい。価値のない人なんていない。価値の種類が違うだけだ。あなたにも私にも生きる価値はある。きっと。『いっぴき』を読んで柄にもなくそんなことを考えたりした6月の夜だった。


 







 『いっぴき』のなかで、どの章も好きだけれど、特に私が好きな章がある。それが「バイバイフェチ」という章だ。
 

 高橋さんは人の別れ際を見るのが好きなのだという。バイバイは「人の生々しさの出る場所」であり、「それぞれの性格が見えるから面白い」、らしい。私はそんな感情を持って、人の別れ際を見たことがないのでビックリした。世の中にはいろんな人がいるもんだなあ。でも言われてみればそんな気もする。「元気でね。ありがとう。バイバイ」に込められた感情。それは10人いれば10通り、100人いれば100通りの感情がある。その感情を想像してみると...。確かにこれは面白い。他人の感情というのは自分の想像が及ばない領域だ。いわば広大な余白。その余白に思いのままに画を描いていく。自分の好きなようにできるのだ。これはなんて楽しいことなのだろう。「バイバイフェチ」はそんな新しい気づきを私にくれた。


 そして、「バイバイフェチ」にはバイバイは「バイバイとともにやってくる新しい自分」と向き合い、「たった一人の自分に戻って、大きく深呼吸をし、胸を張ってスッと歩き出す」ためのものだとある。私がまだチャットモンチーを知らなかったあの日、高橋さんはどんな顔をして、どんな言葉で、二人にバイバイを告げたのだろうか。たぶん笑顔だったんだろうなあ、最後の瞬間は、3人とも。そして来月、その二人はどんな顔をして、どんな言葉で私たちにバイバイを言ってくれるのだろうか。泣いてる姿は見たくないよなあ。やり切ったっていう達成感に満ち満ちた顔でいてほしいな。そんなことを思わずにはいられなかった。










 いろいろ、本当にいろいろなことを考えながら、今日、『いっぴき』を読み終わった。私は月面に立っているような感覚を味わった。つまりとても体が軽くなったと感じたのだ。体だけでなく心もそうだった。万能感。今ならスパイダーマンよりも身軽にビル街を闊歩できて、ハルクとの腕相撲にだって勝てる。そんな根拠のない自信が私の心を満たした。


どんな山だって、どんな傷だって、越えられる気がする。今、超無敵。


 私は本来後ろ向きな人間ではあるが、こんな前向きな気持ちになったのも、高橋さんの紡ぐ言葉のマジックのおかげだよなあ。私はこの世に2人とない「いっぴき」。でも「いっぴきじゃない」。胸を張って歩ける。前を見て歩ける。それがとても幸せなことなんだよなあ。こんな若輩者の私に生きる勇気を与えてくれて、ありがとうございます。『いっぴき』に出会えてよかった。










 そんなことを考えながら、読み進めていた終盤、「音楽2」の最終段落。


「人間は必ず前に進まなければいけないことになっている。歌詞でも何でも『新しい未来』とか『前に進もう』とか歌いがちだけれど、それだけが正解ではないのではないか。一瞬の燃えるような情熱を胸に秘めて生きていくだけでよしにしてくれないか。」


 バールのようなもの(実際には純然としたバールらしいが)で頭を殴られたような衝撃を感じた。あなたがそれを言うか、と。私に前を向かせてくれたあなたが。


 でも、これは高橋さんが36年生きてきてたどり着いた一つの答えなんだとも感じた。バンドでも作家でも前を向いて進み続けた、けど「いつも同じ場所にいた」高橋さんなりの。


 24歳の私は今はまだ前に進むのが絶対的な善だと考えている。「過去の中にこそ、新鮮な未来が見える瞬間があるのだ」という境地には至っていない。私にとって何もしていない過去は振り返りたくもないものだけれど、いつかそう思えるようになる日が来るのだろうか。干支をもう一周したときが楽しみである。その時、その瞬間もチャットモンチーを聴きながら、高橋さんの書いた文章や歌詞を読んでいたい。そう強く願った。
 



おしまい




いっぴき (ちくま文庫)
高橋 久美子
筑摩書房
2018-06-08


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