Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2018年08月



こんばんは。これです。もう平成最後の夏が終わってしまいますね。暑い―早く終われーって言ってたのにいざ終わってみると寂しいもんです。

さて、今日のブログは移籍記事です。山雅に最後(と思われる)動きがありました。では、よろしくお願いいたします。




松本山雅FC


・ジネイ選手が完全移籍で加入


ジネイ選手 加入のお知らせ(松本公式)


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前線でのポストプレーが圧巻で、前からのプレッシングにも理解を示すFW
真面目な性格で献身的なプレーも可能
自分の武器:空中戦

(エル・ゴラッソJリーグ選手名鑑2017より引用)


甲府の攻撃の核となる1トップで収める力を期待される。
アンリ似もニックネームの理由はコリンチャンスのジネイに似ているから

(エル・ゴラッソJリーグ選手名鑑2018より引用)



ジネイ
かつてブラジル代表として活躍した(らしい)ストライカー・ジネイ。
(参考:https://www.meutimao.com.br/idolos-do-corinthians/dinei


















昨シーズンは湘南で33試合12得点とチーム得点王に輝く活躍を見せ、チームをJ1昇格に導いたジネイ選手。今シーズンは甲府に移籍してここまで12試合に出場し1得点。アルウィンでの山雅との試合にも途中出場していますね。




今シーズン唯一のゴール



しかし、甲府でエースの働きが期待されたジネイ選手でしたが、古傷だった右ひざ半月板を痛めてしまい、手術を実施。全治3か月と長い間戦列を離れ、復帰した後は終盤での途中出場が続いていました。そして、今月10日に甲府から契約解除のリリースが。かつて神戸にいたフェーフジン選手の加入に押し出された形ですね。


このままブラジルへの帰国も噂されたなか、今月23日は山雅の練習に参加していることが報道されました。なんでも永井選手と三島選手が負傷して前線の枚数が足りなくなったことが原因だとか。永井選手はようやく山雅に慣れてきたところだし、三島選手もシーズン初めのケガから復帰してこれからってところでまた負傷。ワントップには高崎選手の次にはルーキーの小松選手だけとなり、高崎選手も万全ではないとなると確かにワントップの補強は必須です。そんななかJリーグでのプレイ経験を持つジネイ選手がフリーになったことは渡りに舟だったわけですね。


公式でもジネイ選手が練習参加していることが知らされ、もう獲得は半ば決定事項みたいになっていましたが、なかなか発表されず。山雅サポがやきもきしてるなか、本日加入が発表されました。既に選手登録も済んでおり、明日の水戸戦にも出場できる準備は整っています。前線ではここまでシャドーで24試合5得点の前田選手もアジア大会で負傷したらしく、シーズン開始時のよりどりみどりだった頃が嘘のようなスクランブル状態です。なのでジネイ選手にはすぐにでも活躍してもらわないと困ります。甲府でベンチ入りしていたことから右ひざはもう大丈夫なことが覗え、水戸戦でのベンチ入りも十分あり得るでしょう。その力強いポストプレーと献身的な前線からの守備で、山雅のJ1昇格に向けてブーストをかけてほしいです。期待してます。





松本山雅FCが元ヴァンフォーレ甲府FWジネイの加入を発表 「松本山雅FCでプレーできることを夢のように思います」(ドメサカブログ)








松本山雅FC2018夏の移籍まとめ


IN
今井智基(←柏/完全移籍
アンダース・アプリン(←ゲイラン・インターナショナルFC
ジネイ(←無所属

OUT

工藤浩平(→千葉/完全移籍
前田直輝(→名古屋







お読みいただきありがとうございました。


おしまい


若者のすべて
Universal Music LLC
2016-05-25





もうすぐ9月に差し掛かろうという今日この頃。2月からスタートしたJリーグも徐々に佳境に入ってきます。優勝を狙うチームは徐々に絞られ、同時に残留争いを演じるチームも限定されて行きます。そんな時分に毎年聞こえてくるのが「こんなクラブ落ちて一からやり直した方がいい」という声。フロントと現場との意思疎通が不十分で、監督をシーズン途中で十分な説明もないまま解任してしまう場合や、フロントの自責で大きな経営問題が発覚したときなどに用いられる文句です。今回は少しこの言葉について考えていきたいと思います。拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。





さて、先々月でしょうか。朝日新聞出版から、津村記久子著「ディス・イズ・ザ・デイ」が出版されました。


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この本は帯で「サッカー2部リーグ今期最終節の『その日』を通して、ごく平凡なひとたちのかけがえない喜びを描く連作小説」と説明されているように、サッカークラブのサポーターを主人公とした小説です。初めてサッカーの試合を見た瞬間が思い起こされたり、私たちの日常にJリーグがある奇跡を改めて教えてくれ、Jリーグサポーターにとって必読の小説となっていますが、そのなかの第3話「えりちゃんの復活」にオスプレイ嵐山というチームが登場します。


このオスプレイ嵐山というチームは数年までは一部にいて、潤沢な資金を持っていながら二部で飛びぬけた存在になることはできず、何年も昇格できていないという現実のJリーグでもよくあるチームとして描かれています。その嵐山を主人公のヨシミは


他チームの分析をさぼってんのかコネがないのか強化部長が斜め下なことばかり考えてんのかブランド好きなのかわからないのだけれども、資金力のわりにとにかく補強が下手だと思う。(p75)

ヨシミが鶚(ミサゴ:オスプレイ嵐山の愛称)の試合を観に行くようになってから五年が経つので、少なくともそれだけの期間、オスプレイ嵐山というクラブは、名前はあるけれども本当にチームに必要なのかという選手ばかりを高額で獲得しては、その後安く放出するということを繰り返している。今年も例に漏れずその流れで、前線の外国人選手に投資しすぎておかしなことになっていた。(p75)


と、評しています。「オスプレイ嵐山と関わり続けることに疲れ始めていた」ヨシミでしたが、それでも知り合いのエリちゃんと一緒にオスプレイの嵐山の試合を観に行きます。そこでヨシミはこんなことを思います。

ユニフォームを着た人は三割程度で、(中略)それなりに充実した様子で座っていた。ヨシミは手あたり次第、彼らに、どう思います? このままプレーオフ行けても惰性だと思いません? もうこの試合なんか落として、今年は徹底的に望みを断って、フロントにヤキを入れた方がいいと思いません? などと終末論者のような話を吹っかけてしまいたい衝動をこらえる。(p83)


どうですかこれ?ドキッとした人も多いのではないでしょうか。まさに「こんなクラブ落ちて一からやり直した方がいい」という考え方そのものですよね。こんなこと言ってもクラブは浮上しないですし、そもそも上位カテゴリーにしがみつけるならしがみついていた方がいいんです。絶対に。






それはなぜかというと、まず上位カテゴリーにいた方が高い競技力を得られるからなんですね。やれイベントだ、スタグルだ、選手とファンの触れ合いだといったところで、サッカークラブの一番の商品はサッカーの試合です。そして、上位カテゴリーに行けば行くほどサッカーの質というものは上がります。クラブを運営しているのは会社ですし、質の高い(イコール面白いとは限らないですが)商品を提供するのは、会社の責務といえるでしょう。商品の質を高めるために会社が努力していくのは当たり前のことですし、それがJリーグではより上位カテゴリーでプレーするということになってくると思います。そして、質の高い商品を提供し続けるためには、上位カテゴリーに留まらなければなりません。これがしがみついた方がいいという一つの理由です。


さらに、カテゴリーが例えば一部だったらそれだけでクラブに箔というものがつきます。日本のトップリーグにいることで、スポンサーに安心感をもたらせるんですね。これはビジネスの場面を思い浮かべると分かりやすいと思います。例えば、東証一部上場の会社と東証二部上場の会社、そして未上場の会社があれば、当然こちらは受ける印象は違ってくるでしょう?一部上場していると「おっ」となり、この会社なら信頼できるかもと思ってくると思います。


そしてこれはサッカーも同じことが言えると思います。実際に地域の会社に営業していって「でも御宅二部でしょ?三部でしょ?」といわれるクラブのなんと多いことか。私は実際にその現場を知っているわけではないですが、こう言われているだろうなということはなんとなく想像がつきます。ただ、ここで「私のクラブは一部に所属しています。日本のトップカテゴリーです」と言えたならどうでしょう。相手も「日本のトップリーグ」ということで一目置いてくれ、交渉も比較的スムーズに進むのではないでしょうか。降格するということはこのアドバンテージをみすみすと失うということなのです。


また、去年のJリーグ入場者数を見るとJ1が1試合平均18,883人、J2が6,970人、J3が2,613人となっています。カテゴリーを下げると、当たり前ですが、入場者数も減っていきます。


私たちがスタジアムに足を運ぶとピッチに、壁に、幟に様々なスポンサーの看板を目にします。スポンサードの方法は様々ありますが、私たちにとって一番目につくのはスタジアムの看板です。スタジアムに来る人が減るということは、その看板を目にする人も減るということです。看板を見て、自らの会社を認知してもらうことと引き換えに、スポンサーはクラブにお金を出資しています。それを見る人数が減るとなると、費用対効果は小さくなり、あまり効果が得られないとなると、スポンサーの頭には出資額の縮小や撤退という選択肢がよぎります。


2017年の営業収益の中でも広告料収入は、J1平均が1,813百万円、J2平均が714百万円、J3が229百万円となっており、カテゴリーが下がるにつれて収入が少なくなることが分かると思います。そして収入が少なくなると、チームに回せるお金というのも当然減っていき、活躍してくれた年俸の高い選手は放出対象になってしまい、年俸を抑えられる、ということは言い方は悪いですが、そこまで活躍していない選手が残ることになります。さらに入ってくる選手も年俸は低めとなり、年俸=選手の実力という相関関係があるので、チーム力は上位カテゴリーにいたときよりも下がってしまいます。こうして降格はチーム力の低下に直結している。そう考えると「落ちて一からやり直した方がいい」とは軽々しく言えないことが分かると思います。





しかし、それでも「こんなクラブ、落ちて一からやり直した方がいい」という人が絶えないのはなぜでしょうか。それは、「落ちて復活できる」と信じているからです。これは私たちの好きな「逆転の物語」に関係しているのではないでしょうか。私たちが憧れたヒーローは、強大な敵の前に一時はピンチに陥りながらも、仲間の協力などで再び立ち上がり、劣勢を覆して勝利します。この「逆転する姿」に私たちはカタルシスを感じ、惚れ上げるのです。


もしくは、現実で上手くいった他のクラブを見ているからかもしれません。過去には経営難からクラブ存続の危機に陥るものの、復活したクラブが幾チームもありました。また、経営難とはいかずとも、降格して一年で昇格していったチームは枚挙にいとまがありません。「あのクラブにできたんだから、自分たちのクラブでもできるはずだ」と、そう考えてしまうのですね。


しかし、全てのクラブがそううまくいくわけではありません。過去にはスポンサーが離れて経営難に陥り解散してしまったクラブだってあるわけですし、降格したまま何年も上がれず、「繰り返す」と揶揄されているクラブもあります。「自分たちのクラブがこうなるわけがない」と誰が言いきれるでしょうか。「必ず戻ってこられる」と思っているならば、それは慢心というほかありません。成功か失敗か、可能性はどちらにもあるのです。


降格により収益が減少して、チーム力が低下してしまうことは先に述べました。さらに、選手のモチベーション低下という問題があります。


たとえばあなたが100mを10秒で走るグループに所属していたとします。しかし、あなたはある日100mを12秒で走るグループに落ちてしまいます。ここであなたは前のグループと同じモチベーションを保てるでしょうか。


100mを12秒で走るグループと走るということは、あなたが多少手を抜いて100mを11秒で走ったとしても、それで勝てるということです。人間は楽をしたい生き物です。少しでも楽をしたいならそれに越したことはありません。11秒でも勝てるという感覚を覚えてしまうと、10秒で走るのがバカバカしく思えてしまい、11秒で走ることに慣れてしまいます。そうして気づけば10秒で走るグループとは大きな差がついてしまいました。


さらに、12秒で走るグループには成長の余地というものがあります。努力を重ねていった結果、何人かは11秒で走れるようになっているかもしれません。そうするとあなたはもはや、12秒で走るグループのなかでも勝てなくなっていきます。そこで、本来の10秒で走っていた自分を取り戻そうとしますが、慣れとは恐ろしいものです。11秒で走り続けていった結果、気づけば11秒ではなく11秒5で走っていることにあなたは気づくでしょう。ここから10秒に戻すのは並大抵のことではありません。まあ戻れることもありますけど、もしかしたら一生戻れないかもしれません。


しかし、サッカー選手には向上心というものがあります。サッカー選手であるならば、より上位カテゴリーで、より高いレベルでプレーしたいと思うのは当然のことです。しかし、現在自分がプレーしているのは下位のカテゴリー。その理想と現実のギャップに苦しみ、本来の力を発揮できない選手も、もしかしたらいるかもしれません。そして、そんな選手が多くなるとチームも持っている実力を発揮できず、そうなると上位カテゴリーへの復帰は遠くなっていってしまいます。


また、上位カテゴリーの復帰のためには、チームとフロントが両輪となって十全な働きをしなければなりません。「落ちて一からやり直した方がいい」という人は、必ずといっていいほど一緒に「フロントを刷新しろ」といいます。これに対しては私も反論の余地はないですが、その交代したフロントは果たして上位カテゴリーに復帰するだけの働きをしてくれるでしょうか?勝てる監督、勝てるスタッフ、勝てる選手を集め、正しい方向に導くだけの技量があるでしょうか?それは完全に未知数なもので、上手くいくこともありますが、反対に上手くいかないこともあります。変わったからって必ずしも前より良くなるとは限らないのです。「必ず復活できる」という人はこのこともぜひ考えてほしいなと思います。フロントを変えることだけを考えて、その先を考えない姿勢はどうこう。






最後に、これが私が一番言いたいことになるんですが、「こんなクラブ、落ちて一からやり直した方がいい」と思っている人に応援されて、選手は嬉しいでしょうか。「降格しろ」ということは「負けろ」ということです。こう思っている人の応援が選手の力になるでしょうか。


「負けろ」と思っている人がスタジアムに行くとネガティブな気持ちが周囲に伝播してしまいます。そして、スタジアムは重い雰囲気に包まれてしまい、その中では選手が本来持っている力を発揮することができません。


そこで提案したいのですが、どうせ伝播させるならポジティブを伝播させませんか。「このチームに勝ってほしい、いや勝てる」と思ってスタジアムに行きませんか。「勝てる」と思っている人の応援は、必ず選手に届きます。スタジアム全体をポジティブな雰囲気で観たし、選手たちに気持ちよくプレーさせることが残留への一番の近道だと思います。なのでお願いします。「負けろ」なんて考えないでください。


でも、どうしても「負けろ」「こんなクラブ、落ちて一からやり直した方がいい」と思ってしまう人は、津村記久子さんの「ディス・イズ・ザ・デイ」を読んでください。そこに書かれているJリーグのある喜びを感じた後には「負けろ」なんて言えなくなっているはずです。Jリーグサポーター全てが読めばスタジアムは確実に変わると思っているので、皆さん「ディス・イズ・ザ・デイ」を読んでください。朝日新聞出版から本体1,600円、税込1,728円で絶賛発売中です。よろしくお願いします。



ディス・イズ・ザ・デイ
津村記久子
朝日新聞出版
2018-06-07




一か月の中断期間を経て先週、再開したJ3リーグ。ここまで5勝7分け6敗の勝ち点22で13位につけるAC長野パルセイロの再開初戦の相手は、ここまで3勝5分け9敗の勝ち点14で16位に沈むギラヴァンツ北九州です。ただ北九州は柱谷(兄)監督に交代してからは1勝3分けと負けがなく、徐々に調子を上げてきています。ただパルセイロも目標とするJ2昇格に向けて、これ以上の足踏みは許されません。なんとしても勝ちをつかみ取りたい両チームがミクニワールドスタジアム北九州で火花を散らします。







両チームのスタメンはこちら



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パルセイロは前節からスタメン4人を入れ替え。#4内野選手#7佐藤選手#15西口選手#16阿部選手が久しぶりのスタメンです。また、阪倉体制下ではボランチで出場していた#14東選手がFWに入り、代わりに本職はFWである#7佐藤選手#6岩沼選手とダブルボランチを組みます。システムは変わらず4-4-2。





対する北九州。

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こちらは前節鹿児島と引き分けた試合と変わらないスタメン。#9ダヴィ選手#11池元選手がチーム3試合ぶりのゴールを狙います。システムはこちらも4-4-2。











前半キックオフ!


序盤はパルセイロが試合を支配します。前半4分、#14東選手#8河合選手のパス交換で左サイドを崩し、#8河合選手からのマイナスのクロスを受けた#14東選手がシュート。これは#21高橋選手にはじかれますが、そのこぼれ球を#15西口選手がシュート。これを#14東選手が触ってコースを変えますが、キーパー正面。得点にこそ至らなかったもののいい連携を見せていました。


この日前線で起用された#14東選手#30萬代選手と縦関係の2トップを形成し、少し下がってボールを受けたり、再度に良く流れたりと縦横無尽に動き回っていました。前半は北九州のボランチとCB、CBとSBの間にうまく入り、ボールを受けることで前線で起点となっていましたね。#14東選手が動き回って#30萬代選手は中央に張るという役割分担がなされていました。サイドに#30萬代選手が流れて、中に誰もいなくなるという問題に改善の兆しが見えてきました。


また、この日のパルセイロは前線と最終ラインの距離が開き過ぎないよう、陣形もコンパクトに保ちます。それにより、主に#6岩沼選手#7佐藤選手のダブルボランチがセカンドボールを拾うことができ、ポゼッション率を高めて、相手を自陣に押し込むことに成功していましたように感じます。


前半22分、パルセイロはCKを獲得します。珍しく#8河合選手がキッカーを務めたかと思えば、#8河合選手はショートコーナーを選択。ボールを受けた#6岩沼選手がクロスを上げると、そこに飛び込んできたのは#23堂安選手。ペナルティエリアの外から猛然と走り込み、完全フリーで右足で合わせますが、枠を捉えることはできず、ゴールとはなりませんでした。決まっていれば群馬戦を彷彿とさせるシーンだったんですけど。そしてファーとはいえゴール前をぽっかりと開けてしまうところに北九州の今の順位を感じます。


この日のパルセイロの両SHである#8河合選手#23堂安選手はよく、中に絞ったようなポジション、サイドと中央の間のいわゆるハーフスペースと呼ばれるポジションを取っていました。それにより空いたサイド高めのスペースをSBに使わせることで、パルセイロは厚みのあるサイド攻撃を可能にしていました。北九州の#15野口選手#8浦田選手の裏のスペースをパルセイロは試合を通して狙っていましたね。




また、前半のパルセイロはサイド攻撃に加え、今まであまりやってこなかった中央突破も見せるようになります。#30萬代選手が競ったボールを中央で#14東選手が拾い、比較的近くの、中央とサイドの間の、ハーフスペースと呼ばれるポジションに位置どった#8河合選手#23堂安選手、それに加えて#30萬代選手とのワンツーも多く使用するパス交換で相手を崩そうとする意図が見えました。北九州ががっつり中央を固めてきていたので、上手くいくシーンはそれほどみられませんでしたが、こうやって中央に意識を向けさせることで、サイド攻撃の威力はいつもより増してるように感じられました。中央・サイドとうまく織り交ぜた攻撃が前半パルセイロは出来ていたように思えます。また、北九州は#30萬代選手がボールを落とした時にディフェンスの選手がボールウォッチャーになってしまい隙が生まれるので、パルセイロは前半、その北九州の弱点を積極的に利用して責めることができていましたね。
 

対する北九州はこの日、ホームであるミクニワールドスタジアム北九州の荒れたピッチに苦しみ、思うようにパスをつなぐことができません。つなげないとみるやシンプルに#9ダヴィ選手#11池元選手にボールを当ててそこからの展開を目指しますが、そのロングボールは精度を欠き流れていったり、#4内野選手#5寺岡選手の両CBに跳ね返され続け、なかなかこの二人にボールが渡ることは前半はありませんでした。


アディショナルタイムの2分も両チームにゴールは生まれず、0-0で前半は終了。前半は概ねパルセイロが押す展開でしたね。前半のシュート数がパルセイロが7本で北九州が1本だったことがそれを物語っていると思います。#30萬代選手が落としたボールや、どちらのものでもないルーズボールを良く拾えていたことが押していた理由だと思います。しかし、北九州の人数をかけた守備や#21高橋選手の幾度ものセーブでゴールを割ることはできませんでした。前半攻めていたチームが後半になって、流れが変わって逆に攻められるということはサッカーでもよくあることですし、前半でゴールを決められなかったことがこの試合ではとても痛かったように感じました。


一方守備では前半パルセイロは、前線からプレスに行くことはせず、ブロックを作ることを優先するリトリートする守備を選択して印象です。北九州は中盤を省略してきたんですけど、それはピッチ状態に手間取っていたのに加え、4-4のブロックが作られていてボールを出すところがなかったというのも関係してると思います。前半のパルセイロはよく動いて、北九州の攻撃をロングボールのみに抑えることに成功していました。










両チーム選手交代はないまま、後半キックオフ!


後半に入ると前半とうって変わって北九州が主導権を握ります。#9ダヴィ選手#11池元選手を中心に前半は抑え気味にしていた前線からのプレスを敢行。パルセイロのディフェンスラインはプレッシャーを受けて余裕が削られ、前線に大きく蹴り出す回数が増えます。それを#2有薗選手#4川上選手らディフェンダーがきっちりと跳ね返し、パルセイロの前線にボールが渡ることを許しません。


さらに、攻撃ではパルセイロのディフェンダーが少し疲れてきたのもあり、#9ダヴィ選手がボールをキープすることができるようになります。それによって前線に為ができ他の選手が上がる時間を促していました。#9ダヴィ選手はその競り合いの強さでロングボールからシュートへの中継役にもなっていましたね。前半#30萬代選手が担っていた役割を後半の#9ダヴィ選手はパワーアップした形でこなしていました。


さらに#22藤原選手#30村松選手が積極的な攻撃参加で#9ダヴィ選手からボールを受けようとします。パルセイロは中に絞ってきたSHの選手がFWからのボールを受けようとしていたので、このあたり両チームで異なりますね。北九州のSHはパルセイロのSHよりも外にポジションを取っているように感じました。


それともう一つ北九州が攻めていた要因としてあると思うのがパルセイロの攻守の、特に攻→守への切り替えの遅さですね。奪われた後の最初のディフェンスが前半よりも遅くなっていたんですよね。プレッシャーに行く前にパスを出されて、またプレッシャーに行く前にパスを出されるの繰り返しで。さらに戻って4-4のブロックを作るのも前半より遅い。これは単純に前半飛ばして入ったことによるものだとは思いますが、まだ、守備ブロックが上手く整っていないところ、具体的に言えばボランチとCBとSBの真ん中にボールを入れられて、ボールをキープされるというシーンが後半は増えていました。それにプレッシャー自体も相変わらず緩い。相手に自由を与えるには十分な距離を取ってディフェンスをしていたので、毎回言ってるんですけど、もう一歩詰めてほしいなと思います。




後半19分、このいい流れをさらに確実なものにしようと北九州が先に動きます。#8安藤選手に代えて#19川島選手#11池元選手に代えて#25前田選手を投入します。結果的にこの采配が当たった形になってしまいました。


後半21分、北九州は#19川島選手が左サイドを上がってきた#8浦田選手にパスを出します。#8浦田選手は相手のプレッシャーが弱いと見るやクロスを上げ、それに中で合わせたのは#25前田選手。叩きつけるヘディングでゴールを奪いました。


この失点でパルセイロとしてはまず簡単にクロスを上げさせてしまったのがまずかったですね。ディフェンスに行ってた#15西口選手はボールを持っている#8浦田選手との距離を3メートルほど開けています。これではプレッシャーがかかっているとはいえず、#8浦田選手はほとんどノープレッシャーで精度の高いクロスを上げさせてしまっていました。というかその直前にも、跳ね返したとはいえ、右サイドから#15野口選手に簡単にクロスを上げさせてしまっていますし、サイドでの守備は大いに改善の余地がありそうです。中で跳ね返そうと割り切ってるなら話は別ですが、たぶんそうではないはず。


加えてまずかったのが#25前田選手をだれも見ていなかったことです。#5寺岡選手#4内野選手の意識は#9ダヴィ選手に向いており、そのどちらもが#25前田選手を見ていませんでした。#9ダヴィ選手を警戒しすぎていたことと、#25前田選手を入ってきたばかりで誰が見るかを決めていなかったことが重なった失点でした。上手く#5寺岡選手#2松原選手の間に上手くポジションをとっていた#25前田選手もよかったんですけどね。


先制をしたことで俄然勢いづく北九州。パルセイロはこの空気を変えようと、後半24分、#8河合選手に代えて#25有永選手を投入します。#8河合選手は前半は果敢にドリブルを仕掛けていましたけど、後半になって若干存在感が希薄になってしまっていましたし、テコ入れするには妥当なところだとは思います。#25有永選手#8河合選手のいた左SHではなく、右SHに入り、右SHにいた#23堂安選手が左SHに移りました。




その後のパルセイロは連係から右サイドに移った#23堂安選手が抜け出すなど惜しいシーンも作りましたが、後半28分、#14東選手が足をつってしまい、#10宇野沢選手と交代になりました。#14東選手は前半ボールを拾うために動きまくっていたので、その反動が来た形ですね。#10宇野沢選手はそのまま2トップの一角に入りました。


何とか1点をもぎ取りたいパルセイロですが、奪っても相手がすぐプレスをかけてくるので、後ろに下げるしかなく、攻撃のスピードが前半よりも鈍化していました。前半飛ばして入ったのでしょうがない部分もありましたが、攻守の切り替えのスピードは北九州の方が早く、あっという間に4-4のブロックを整えられ、パスを出せるところが少なくなっていました。


これをパルセイロは相手が手薄なサイド、主に自分たちから見て左サイドを重点的に攻めようとしますが、高い位置で#2松原選手#23堂安選手がボールを受けても、球離れが悪く、なかなかクロスにまでつなげられず、また上げられてもそのクロスは精度を欠くもので得点にはつながりませんでした。


後半39分にパルセイロは最後の選手交代を行います。#30萬代選手に代えて#9津田選手が投入されました。#9津田選手はパルセイロのチーム得点王ですし、#30萬代選手も疲れていたので、もっと早く投入してほしかったんですが、けが明けでまだコンディションが万全ではないんですかね。そのままFWのポジションに入りました。


残り時間が少なくなってきて焦るパルセイロ。ファウルも多くなってなかなか相手ゴール前までいけない時間が続きます。しかし、後半のアディショナルタイムに入ってからパルセイロは怒涛の攻撃を見せます。後半アディショナルタイム1分、#7佐藤選手#23堂安選手に縦パスを入れ、#23堂安選手#10宇野沢選手とのワンツーから抜け出し、チャンスを迎えますが、シュートは#21高橋選手に防がれ、決めきることはできません。#23堂安選手は右足に持ち替えて時間が無くなってしまったのが痛かったですね。


が、パルセイロはこの攻撃でスローインを獲得。#2松原選手がロングスローを入れ、これが相手にクリアされ、パルセイロにCKのチャンス。しかし、このCKとそのあともう一本あったCKのどちらも決めることができず、0-1で試合終了。パルセイロはリーグ再開初戦を白星で飾ることはできず、手痛い連敗を喫してしまいました。内容は悪くなく、十分勝てる試合だったので、この負けは悔やまれますね。これでパルセイロは5勝7分7敗の勝ち点22で順位を一つ落として14位になってしまいました。















<ハイライト動画>





監督コメント(Jリーグ公式)


選手コメント(Jリーグ公式)


【8/25vs北九州】監督・選手コメントをアップしました(長野公式)

2018明治安田生命J3リーグ第20節|試合結果(北九州公式)

AC長野は無得点で2連敗(信濃毎日新聞)





思えば、J3が中断に入って一か月。一か月待たされて、焦らされたことで、我々サポーターの期待が高まっていました。必ず勝ってここから巻き返すと信じていた。何かが変わってると思いたかった。でも、北九州の地で突き付けられたのはJ3で13位という現実。17チーム中13位ということは勝つよりも負ける方が多いということ。その当たり前を改めて思い知らされました。昇格圏内の2位の鹿児島とは勝ち点で12も開いてしまっており、もう今シーズンのJ2昇格は風前の灯火です。


ただ、試合は続きます。たとえ目標の達成が絶望的になっても目の前の試合には勝ちたい。それが相手のいるスポーツだと思います。そしてチームが試合に勝つためにはサポーターの応援が必要になってきます。


この日のミクニワールドスタジアム北九州には、Summer Festivalと称してイベントを多数用意するなど集客に力を入れた結果、13,312人とJ3では異例の大人数が集まりました。どこを見ても黄色と赤のストライプが目につき、それがパルセイロの選手に威圧感を与えていたことは想像に難くありません。思いを同じにした人たちが集まって生まれる圧倒的ホームの雰囲気に、後半パルセイロの選手は飲まれていたように感じました。


これを長野でも実現しましょう。長野Uスタジアムに一人でも多くの人数を集めて、ただならぬ気配を醸し出し、相手選手にはプレッシャーを、パルセイロの選手には勇気を与えましょう。パルセイロの次の試合は9月9日17時から、長野Uスタジアムで藤枝MYFCとの対戦です。藤枝も今シーズンは6勝3分け9敗の勝ち点21で15位に沈んでおり、不調から抜け出すための勝利が欲しいのはどちらも同じです。今シーズン開幕戦で敗れた雪辱を晴らすためにも、ご家族ご友人をお誘いのうえ、ぜひともスタジアムに来てください。一緒にパルセイロを応援しましょう。よろしくお願いします。




がんばれ!AC長野パルセイロ!!



おしまい



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Universal Music LLC
2016-09-28




こんにちは。これです。

今回のブログは映画「ポノック短編劇場『ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間』」の感想になります。昨年の米林宏昌監督の「メアリと魔女の花」がその年のベストに入るくらい好きだったので、ルンルン気分で映画館に行ってみたら、スクリーン内に私一人で、その注目度の低さに凹みました。


では、気を取り直して感想はじめます。拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。






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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。












・「カニーニとカニーノ」



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「メアリと魔女の花」が記憶に新しい米林宏昌監督作品「カニーニとカニーノ」。まず特筆したいのがその風景の美しさです。舞台となる擬人化された虹色のトンボが舞う沢は光に溢れていて、手書きの川辺とCGの川の流れが絶妙にマッチしていました。川の中も幻想的で、まるで夢の中にいるようでした。この短編の一番のストロングポイントです。正直ストーリーは二の次にしてでも、このキレイな風景を楽しんでほしいと思います。


そんなキレイな沢の中にカニの兄弟カニーニとカニーノは暮らしています。ある日、二匹の父親トトはカニーノを助けようとして激しくなった川の流れに飲み込まれてしまいます。


二匹はトトを探す大冒険に出かけます。魚から逃げるようにして陸に出た二人。そこに狸が通りかかりますが、ここで改めて二匹の小ささが強調されます。想像以上に小さかった。10㎝もないんですよね。


飛び込んだ別の沢の中でトトを見つけたカニーニとカニーノ。そこに予告でも出ていたあのリアルで気持ち悪い魚が現れます。子どもがトラウマになりそうな魚に対峙する10㎝もない二匹。世界から見れば私たちも10㎝、もしくはそれに満たない小さな存在です。気持ち悪い、二匹からすればあまりに大きな魚は、私たちにとっての上手くいかない残酷な現実です。しかし、そんな残酷な現実に、怯えながらも立ち向かうカニーニとカニーノの姿は私たちにも勇気をくれます。「カニーニとカニーノ」は正統派の冒険ファンタジーでした。


「カニーニとカニーノ」は今回の三作品の中では、一番対象年齢が低めだと思います。未就学児や小学校低学年ぐらいの子どもがメインターゲットなんじゃないかと。それは彼らが言葉を話さないことにもあります。作中で彼らはお互いの名前を呼ぶくらいしか声を出さないんですよね。これはまだ単語や二語文ぐらいしか話せない2~3歳の子どもにも見てほしいという配慮なんじゃないかなと。そんななかでも同じ言葉で様々な感情を表していた木村文乃さんや鈴木梨央さんは上手でした。


カニーニとカニーノが子どもであることも、見るであろう子どもたちが身近に感じることを助けると思います。絵は綺麗でそれだけでも子どもたちは「すげー」と感動するでしょうし、カニーニとカニーノが互いの弱いところを励まし合って立ち上がる姿は、他の人と助け合う大切さを教えます。自分たちと似た二匹の冒険は、好奇心旺盛な子どもたちをワクワクさせることでしょう。


また、「カニーニとカニーノ」では、厳しい部分もちゃんと描かれているんですよね。途中カニーニがトンボの翅を見つけて持っていきますが、ということは翅をむしられたトンボはもう死んでいるということになります。また、2匹とその父親トトを食べようとした魚は鳥に丸飲みにされてしまいます。こういった優しいだけじゃない厳しい部分も描くことはとても教育的なことで、そういった意味でも未就学児が見るのにうってつけだと感じました。














・「サムライエッグ」




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「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」など長らく高畑勲監督作品の中核を担った百瀬義行さんが監督を務めた「サムライエッグ」。少年シュンの成長物語であり、命の象徴である卵を通したシュンとその母親の物語でもありました。命に係わるほどの重大な卵アレルギーを持つシュン。幼いころから卵を食べてしまって何度も救急車に運ばれています。母親はそんなシュンを思い、毎日卵抜きのお弁当を作ったり、アレルギーが発生したときには適切な初動処置を施したりと尽力していました。


そんな親子の物語はパステルで手書きしたかのような柔らかなタッチで描かれます。やってることは命に係わるほどに重大なことなのに、絵の暖かさがそれを和らげてくれます。


しかし、ときにその柔らかさは荒々しさにも変わります。「サムライエッグ」で一番印象に残るシーンといえば、予告編にもあるシュンが階段を下るシーンですよね。必死に階段を下るシュンの姿が、勢いを持って荒々しく書かれていて、今までのギャップの激しさにどれだけシュンが必死だったのかが伝わってきます。湿疹がシュンの体の外にまで飛び出してますからね。その必死さが胸を打ちます。


「サムライエッグ」は絵やアクションで魅せる他二作品とは違い、今回の短編劇場の中では一番ストーリーに軸足を置いている作品でした。設定をしっかりと決め、それを元にストーリーを組み立てる。他の二作品は描きたいシーンから逆算して描いていたように感じられたので、話の説得力は「サムライエッグ」が一番あったように思います。


ただ、私はこの作品にそこまでハマることはできませんでした。それは多分キャラクターに愛着を抱くことができなかったからだと思います。


シュンは意固地で、でも純粋で、メジャーリーガーに憧れるようなよくいる男の子像をなぞった感じのキャラクターで、その母親もシュンのことを心配する良妻賢母みたいなキャラクターでした。なんかそんな二人を現実のものとして感じることができなかったんですよね。あまりもいい子いい子しすぎてて逆にアニメぽかったというか。三作品の中では一番現実に近いはずなのに。


ただ、これはものすごく個人的なことですが、この作品の舞台である東京の方の府中には、私は何回か行ったことがありまして。くるるの中にあるTOHOシネマズにたまに行ってたんですよね。なので、駅前の風景や二人が雨宿りしたビルに懐かしさを感じました。二人が入ったお店は、私が映画の後によくご飯を食べていた駅前のサイゼリヤに似てましたし、夏祭りもあれ、たぶん会場は大國魂神社ですよね。そういったところに親しみを感じて、楽しく観ることができました。自分が知ってる街が映画の舞台になるっていいですよね。















・「透明人間」




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さて、今回のポノック短編劇場の中で私が一番好きなのがこの「透明人間」。他の二作品とは明らかに纏っている空気の違う異色作です。「ハウルの動く城」「崖の上のポニョ」など、長きにわたって宮崎駿作品の中核を担ったアニメーター・山下明彦さんが監督を務めています。


主人公は都会の片隅に住む透明人間。職場でのパソコンはエンターキーを押しても彼が入れた文字を受け付けず、同僚のペンを拾っても感謝されることはありません。コンビニの自動ドアは開かず、ATMを彼を拒み、店員は隣のレジのお客さんを優先して相手をします。まるで、彼は最初からこの世に存在していなかったようです。


彼は認識されないことからヤケになり、自分を地上に繋ぎとめていた消火器を投げ捨てようとします。それはなんとか思いとどまりますが、彼は重力からも無視されるようになり、上空へと浮かんでいきます。手を伸ばしても何かを掴むことなどできず、風によって壁にたたきつけられてもなお浮かんでいく。彼の目から見た町はどんどん遠ざかっていき、このまま天に召されてしまうのではないかという勢いです。


このシーンの見せ方がものすごく上手くて、風にあおられることで彼のシルエットが浮かび上がっていましたし、カメラが高速で動くことで、躍動感が溢れます。彼の目から見た町が遠ざかっていく様子は見ているこっちが怖くなってくるほどです。近くをかすめる鳥や雷の音の近さが彼のピンチをより一層際立て、私は手に汗を握りました。緊迫感溢れるシーンでした。


彼は何とかこの窮地を脱し、コンクリートの川辺に座り込みます。ここで犬とその主人のおじいさんが彼の存在を認めてくれるんですよね。おじいさんは目が見えないという設定がありますし、それを裏付けるかのように目元が画面に映ることはありません。しかし、そんな盲目のおじいさんが自分を認めてくれた。ここで他の人にあまり認められていない私も報われたような気になって、神妙な気持ちになりました。


私がこの「透明人間」が一番好きな理由として、三作品の中で一番キャラクターに共感したってことがあります。私も自分は透明人間だなと常日頃から思っているので、彼の無視され続ける姿には物凄い共感を覚えて、胸が苦しくなりました。


SNSで「死にたい」と呟いてみたところで何の反応もないですし、こうやってブログを更新しても全然読まれないですし。昨日書いた「ペンギン・ハイウェイ」の感想なんて何PVぐらいあると思います?たったの30PVちょいですよ。雑魚すぎですよね。こんなんじゃ最初から存在していないのと何も変わらないですよね。こんなちっぽけな自分なんて誰も興味ないよな、いる価値ないよなっていつも思います。


というかネットの世界ではこういう人が大半だと思います。一部のインフルエンサーと呼ばれる著名な人を除いて、ほとんどの人の言葉は誰にも引っかからず流れていくだけです。まるで透明人間である彼のように。最初から存在していないかのようにスルーされ続けます。やっぱり人間って承認欲求があるじゃないですか。誰かに価値を認めてほしいんですよね。でも、誰からも見向きもされない。存在すら認識されない。私たちの多くは、彼と同じ透明人間なんです。この寂しさを抱えている人なら、透明人間である彼に共感できるはずです。


それと印象的だったのが、透明人間の彼がいちいち認識されないことに落ち込んでいたこと。もし本当に透明人間だったら認識されないことにはもう慣れちゃってるはずですよね。諦めてるはずですよね。でも、彼はいちいち凹んでいた。これは私の勝手な考えですけど、彼は透明人間じゃないと思うんですよ。彼を透明にしていたのは周囲なのではないかと。


朝、彼は鏡をのぞき込みますよね。このとき彼は自分の姿をちゃんと視認できていたと思うんですよ。ただ、周りが彼を存在しないものとしてみていた。同僚にペンを渡すシーンがあるんですけど、その時の同僚が「こんなところにあった」っていうんですよね。もし彼が本当に透明人間ならペンは浮いていて「こんなところにあった」じゃ済まないじゃないですか。つまり彼は周囲からも見えていたが、周りの人はそれをシカトしていたと。いわば、社会的に「透明人間」にされてたと思うんですよ。それはまさにイジメそのもので、観ていて胸が痛くなりました。


ここで怖いのが、これが明日、私の身にも起こるかも知らないってことなんですよ。物理的に透明人間にするのは無理でも、社会的に透明人間にすることはできます。明日は我が身と思うと彼に怒っていることはどうしても他人事のように思えません。「透明人間」は透明人間というファンタジーな題材を扱っていながら、その実三作品の中で最も現実的な物語なんじゃないかと思います。「世にも奇妙な物語」的な怖さがありますね。














・3作品を通して


この「ちいさな英雄」のターゲット層は子どもだと、私は見るまではそう思っていました。でも、違ったんです。この「ちいさな英雄」のメインターゲットは実は「親子連れ」なんです。


今回の「ちいさな英雄」の特徴は、それぞれの作品の対象年齢が違っているところにあると思います。「カニーニとカニーノ」は先ほど書きましたが、未就学児~小学校低学年、「サムライエッグ」は小学校低学年~高学年、「透明人間」は小学校高学年~大人が対象となっているように感じられます。


子どもは「カニーニとカニーノ」に魅了され、大人は「透明人間」に身をつつまされます。それぞれがそれぞれの話に共感を覚え、そして、それを繋ぐのが「サムライエッグ」です。


「サムライエッグ」は卵アレルギーを持つ少年シュンとその母親の物語です。ここでは無邪気な少年の姿が描かれ、子どもたちはそれを身近に感じることができます。そして、親御さんも自分が子育てに苦労した姿を重ね合わせて、母親を身近に感じることができると思うんです。「サムライエッグ」は親子の両方がターゲットになっており、今回の「ちいさな英雄」において象徴的な作品になっていると思います。何か一本選べといったら私はこの「サムライエッグ」を勧めたいですね。


さらに、「ちいさな英雄」では対象年齢が後半になるにつれて上がっています。それもグラデーションで。主人公の年齢もどんどん上がっていきますし、ここには「子供の成長」というものが隠されているように感じます。子どもが年齢を課されて成長していく様を対象年齢を上げていくことで示したかったのかなって。


これも親御さんに対するものですよね。子どもたちは自分が成長していく過程というものは知らないけど、経験してきた親御さんたちは知っています。「ちいさな英雄」が年齢を上げていく姿を、「ああこうだったなあ」という自分の過去と、「ああこうなるんだろうな」という子供の未来とを重ね合わせてみることができます。一本一本の作品としては子どもを狙っているんですけど、全体の構成としては大人を狙っていますね。


小さな子どもだけで、それこそ未就学児だけで映画館に行くことってあまりないじゃないですか。親に連れられて、「親子連れ」で行くことが大半だと思います。親子連れで映画館に来てもらうためには、まず親に訴求しないといけない。いくら表面的には子ども向けだとはいえ、子供とそれを一緒に観てくれる親の存在は外せません。なので、ノスタルジーを感じられるシーンを入れたり、全体の構成を大人向けにしたりしているのではないかと。


今回の「ちいさな英雄」は「子もその親も狙っていく」というスタジオポノックの宣言なんだと思います。親に連れられて子どもが映画を観に行って、その子どもが大人になってまたその子どもを連れて行って映画を観に行ったり。そういう流れを改めて作りたいのではないかと感じました。子供向けアニメはどこも大体そうですけど、その最前線に立ちたいという野心あふれる作品です。





ただちょっといただけないのは、引っ掛かりが少ないっていうところなんですよね。あまりにも優等生すぎて、毒がないといいますか。明るいだけの物語でなく、ちょっと毒とか考えさせられる場面がないと、見た私たちの心に引っかからず、するっと落ちて記憶に残らない作品になってしまうので、次はもう少し毒のある、子ども心に考えさせられるような作品が見たいです。その方が我々大人の心にも残りますしね。その辺はよろしくお願いします。





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以上で感想は終了になります。


「ちいさな英雄」は長くないし、夏休み最後で親子連れで観るにはうってつけの作品だと思います。ただそれ以外の人間が観ると「うーん」と感じてしまうところもあるかも。ただ、この作品たちがある程度結果を出さない限りは、スタジオポノックの次回作はないので、興味のある方はぜひとも観にいってみてください。


お読みいただきありがとうございました。



おしまい







こんばんは。これです。昨日はメンズデーで一般男性は1100円で映画が見れたので、「ペンギン・ハイウェイ」観てきました。原作は未読です。


感想としては、ちょっとすごい映画に出会ったって感じです。誰もが通ってきたジュブナイル、10代の頃を鮮やかに表現していて、まるで自分が子どもの頃に戻ったかのようにドキドキワクワクしました。どこを取っても完璧。現時点での今年のベスト3に入るくらい個人的なツボにはまりました。


例によって、今回のブログはその感想になります。今回はちょっと背伸びして、考察みたいなものも書いてみました。では、拙い文章ですが何卒よろしくお願いいたします。










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※ここからの内容は映画のちょっとしたネタバレを含みます。ご注意ください。







~あらすじ~

小学4年生のアオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録している男の子。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、「きっと将来は偉い人間になるだろう」と自分でも思っている。そんなアオヤマ君にとって、何より興味深いのは、通っている歯科医院の”お姉さん”。気さくで胸が大きくて、自由奔放でどこかミステリアス。アオヤマ君は、日々、お姉さんをめぐる研究も真面目に続けていた。

夏休みを翌月に控えたある日、アオヤマ君の住む郊外の町にペンギンが出現する。街の人たちが騒然とする中、海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか……。ペンギンへの謎を解くべく【ペンギン・ハイウェイ】」の研究を始めたアオヤマ君は、お姉さんがふいに投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。

「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」

一方、アオヤマ君と研究仲間のウチダ君は、クラスメイトのハマモトさんから森の奥にある草原に浮かんだ透明の大きな球体の存在を教えられる。ガキ大将のスズキ君たちに邪魔をされながらも、ペンギンと同時にその球体”海”の研究も進めていくアオヤマ君たち。やがてアオヤマ君は、”海”とペンギン、そしてお姉さんには何かつながりがあるのではないかと考えはじめる。

そんな折、お姉さんの体調に異変が起こり、同時に街は異常現象に見舞われる。街中に避難勧告が発令される中、アオヤマ君はある【一つの仮説】を持って走り出す!

果たして、お姉さんとペンギン、”海”の謎は解けるのか―!?
(映画「ペンギン・ハイウェイ」公式HPより引用)










・雰囲気がいい


まず、「ペンギン・ハイウェイ」は画が綺麗なんですよね。舞台となる町は丘の上に立っていて高低差があるんですけど、丘の上から見下ろす風景は広大でいい眺めですし、下から見上げる風景は立ちはだかるようで得体のしれないものを感じます。でもどっちにしても吹き抜けるような開放感があるんですよね。


映画中盤で、森の中を抜けて青々とした草原が出てきたときには、視界が開けて解き放たれた気持ちになりますし、「海」も不気味な存在なんですけど、それでもクリスタルのような輝きを放っていて綺麗でした。


そして、ぜひとも観てほしいのが「海」の中でのシーン。空も海もどこまでも青くて、そこに浮かぶ家々や電線の不思議さ。その不思議さが二人とペンギンが歩くシチリア島のような街並みを際立たせます。その風景に圧倒されること請け合いです。


それに、この映画って基本的に画面が明るいんですよね。曇っているときも雨が降っているときもどこからか日の光が差しているかのような明るさ。停電のシーンも真っ暗にはならず、二人の姿ははっきりと見えます。画面の明るさと夏という季節が相まって、とてつもない清涼感を醸し出していました。とにかく見ていて気分が沈むことがないので、とても気持ちよく観ることができました。












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・みんな可愛い


「ペンギン・ハイウェイ」の特徴として、男女問わず出てくるキャラクターキャラクターに可愛げがあるというところがあると思います。


主人公であるアオヤマは映画が始まって一言目から「僕は賢い」と言っちゃうような男の子です。利口な上に毎日勉強を怠らないのだから「大人になればもっと偉くなっているだろう」と信じて疑いません。頭がよくて大人びていて、まるで「ドラえもん」の出木杉みたいです。でも、アオヤマはまだコーヒーも飲めず、乳歯も生えている子どもです。まだ子供なのに、文語的な喋り方をするなど、その背伸びをしている姿がいじらしい。子どもっぽいところも時折見せるので、クソガキ感も少なく、北果那さんのあどけない演技も合わさって、ストレスなく見ることができました。まあ同じクラスにいたら嫌ですけど。




続いてお姉さんですけど、これはもうこの映画のハイライトですよ。無邪気で明るい性格とミステリアスな部分とのギャップに惹かれました。蒼井優さんの落ち着いた声が圧倒的な「お姉さん」感があって、アオヤマを軽くあしらう姿がとにかくいい。年上であることをいかんなく発揮して、大人びたアオヤマをからかう姿がこれまたいい。まさに正しいおねショタそのもので、観ていてハッピーになりました。期待していてよかったです(「未来のミライ」でもこういうおねショタを見せてほしかった)。あとはおっぱいですかね。脱ぐシーンはなかったんですけど、その服が膨らんでいる様子がエロいと思いました。よかったです。




そして、この映画の主役であるペンギン。まず、オープニングが一匹のペンギンがとことこ歩いている様子を追ったものなんですけど、これがもう悩殺的に可愛くて。短い足で一生懸命歩く姿が愛くるしすぎるんですよ。バックの風景や流れる明るい音楽もいいですし、今年見た映画のオープニングでは一番好きです(2番目は「恋は雨上がりのように」)。


この映画はアオヤマが空き地にペンギンを見つけたところから始まります。じっとこちらを見つめるペンギンたち。観ているうちに無表情のようなすっとぼけたような様子がだんだん可愛く見えてくるから不思議です。その後ペンギンは列をなしてアオヤマたちの前に現れます。この規律正しく歩く様子とヨチヨチ歩きとのギャップがまた可愛かった。


それからも、コーラ缶からいきなりペンギンになって戸惑っているシーンも可愛かったですし、「海」の下で身震いするシーンもいじらしかった。そのくちばしで「海」を割るところも好きです。でも、なんと言っても圧巻は終盤で集合するシーンですよね。


アオヤマとお姉さんの周りにどんどんペンギンが集まってきて、お姉さんの掛け声で一斉に手を挙げて走り出す姿は勇ましいものがありましたし、その後もどんどんとペンギンが増えていって、二人を乗せて走り続けるシーンとか、二人の目線カメラもあったりして、自分もペンギンに乗っている気分を味わえました。すごく壮観で爽快感に溢れる、私がこの映画で一番好きなシーンです。




他にもウチダはその弱気な姿を応援したくなりましたし、ハマモトは可愛いなかにも品みたいなものがありましたし、いじめっ子のスズキでさえ、ハマモトと面と向かって話していると照れるところが愛おしい。大人たちも含めて誰もが愛すべき点を持っていて、このキャラはちょっとなぁという抵抗を一切感じることなく観ることができました。ストレスフリー。





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※ここからの内容は映画の重大なネタバレを含みます。あと文字ばっかです。それでもいいよという方はどうぞ。













・内容についてちょっと考えてみる



「ペンギン・ハイウェイ」は大人びた少年・アオヤマとお姉さんのひと夏の冒険の物語です。


世界について日々勉強したことをノートに書き込み、どんどんと知識をつけていく少年アオヤマ。「大人になっていれば自分は偉くなっているだろう」という高慢な態度が鼻につきます。しかし、そんなアオヤマにも知らないことは当然あります。彼は海も見たことがなければ、川がどこから流れてるかも知らず、好意を持っているお姉さんの本当の姿すら分かりません。


そんなアオヤマの前に空き地にペンギンが出現するという科学では説明できない現象が起こります。アオヤマはそれを地道に筋道立てて考えようとしますが、コーラ缶をペンギンに帰るお姉さんや、得体のしれない「海」の存在など、ますます謎は深まるばかりです。


見たら分かりますが、「ペンギン・ハイウェイ」にはSF的な要素があります。かつて、藤子・F・不二雄先生は「SFとは少し不思議」の略であると仰っていました。


思えば、子供の頃の私たちの周りには不思議だらけでした。「なぜ、空は青いのだろう?」とか、「なぜ、飛行機は飛ぶのだろう?」とか、「なぜ、大人はくたびれた顔をしているのだろう?」とかそういうことを不思議に思っていたはずです。アオヤマも種類は違えど不思議に思っていること自体は私たちと同じです。アオヤマのなんでも不思議に思う姿勢は、私たちに好奇心旺盛だった子供のときのことを思い出させてくれます。


そして、大人になっても私たちの周りには不思議だらけです。分からないことだらけです。そのなかの最たるものをアオヤマも考えていました。




それは「なぜ、人は死ぬのか?」ということです。




映画の途中には、アオヤマの妹が「おかあさんしんじゃうの?」とアオヤマに泣きつくシーンがありました。それに対してアオヤマは「動物はみんな死ぬんだよ」と当たり前の答えを返し、アオヤマのお母さんがアオヤマの妹を慰めていました。でも、私は見ていてちょっと疑問に思ったんですよ。「このシーンいる?」って。前後との繋がりがあんまりないんですよねここ。でも、入れて来たからには何か重要な意味があるんじゃないかと。


ここでヒントになると思われるのが、序盤のプロジェクト・アマゾンです。プロジェクト・アマゾンとは「川がどこから流れてくるのかを調べる」というものです。この調査中にアオヤマは「果てなんかなければいいのに」と口にしていました。その後に「いや果てがあるのは分かってるんだけど」と自ら否定していますが、「果てなんかなければいい」というのはアオヤマの偽らざる本音でしょう。


もう一つヒントになると思われるのが、レストランでのアオヤマと父親との会話です。ここではアオヤマの父親が「世界の果て」について話します。アオヤマの父親は「世界の果ては近くにあるかもしれない」と話し、アオヤマに「持っていた巾着袋に世界を入れることはできるか」と問います。ここでのアオヤマの表情は何やら神妙な面持ちでした。


ここからこじつけに入ります。これはあくまで私の考えですが、アオヤマは「世界の果て」と「人生の果て」を一緒くたにして考えていたと思います。世界が果てるとき私たちも果てますし、アオヤマがこう考えるのも無理はありません。


そして、アオヤマは「海」が「世界の果て」が裏返った姿であるという仮説を立てます。この仮説とアオヤマの考えを照らし合わせると、「海」=「世界の果て」=「人生の果て」という図式が成り立ちます。そして、「人生の果て」=「死」です。つまりは「海」=「死」なのです。


先ほどアオヤマは「果てなんてなければいいのに」と述べていました。これはアオヤマが「死」というものを受け入れることができていない証拠だと思います。アオヤマは泣く妹に現実を諭す一方で、心の中で「死ぬのは嫌だ」と泣いていたのかもしれません。







さて、そんな「海」に対し、お姉さんは、そしてペンギンは、どのような意味を持って存在していたのでしょうか。


アオヤマはお姉さんのことを「完璧」だとか「理想的」だと評していました。つまり、お姉さんはアオヤマの憧れそのものだったと思われます。「死ぬのが怖い」というアオヤマの憧れ。それは「永遠」です。お姉さんはアオヤマにとって「永遠」の象徴として存在していたと私は考えます。


子どもは誰でもいつかは「人は死ぬ」ということを知ります。「死にたくない。永遠に生きたい」というのは誰もが一度は考えることです。当然アオヤマもそう考えていたことと思います。いくら大人びているとはいえ、まだ10歳。死が怖いのは当たり前です。その死に対する恐れと永遠の生への憧れが、お姉さんを作り出したんじゃないかなと思います。お姉さんのおっぱいが大きいのも安心感を増すためでしょう。


また、お姉さんはイコール「死」である「海」を食い止めるために存在していました。いわば「海」のカウンター的な役目を負っており、「死」に対するカウンターとしての「永遠」はそれなりに対比性があり、これもお姉さんが「永遠の象徴である」ことを裏付けるものになるのではないでしょうか。


そして、そんな「永遠の象徴である」お姉さんが生み出すペンギンとは何者なのか。それは「希望」であると私は考えます。永遠に続く「生の喜び」。それがペンギンに託されていたと私は考えます。


劇中でアオヤマは「光が差すところで、お姉さんはモノをペンギンに変えることができる」という仮説を立てていました。光は希望を想起させますよね。実際に暗い≒希望の少ないところでは、チェスの駒はペンギンではなく、コウモリになっていましたし、このことからもペンギンには希望というメッセージが乗っかているといえそうです。


ならば、「希望」であるペンギンを食べるジャバウォックはさながら「絶望」の象徴ということでしょうか。確かに永遠に生きるということは、ある意味では終わりがないという絶望でもあります。お姉さんは「アオヤマがいなくても、自分でジャバウォックを生み出していた」と語っていますし、このこともジャバウォックが「絶望」であることを裏付けるものになると思います。









先ほど私が好きなシーンにペンギンがたくさん登場するシーンを挙げました。アオヤマとお姉さんが歩いているところからばったばったとペンギンが登場するんですが、これを「ペンギン=希望」論に当てはめると、希望が二人の歩いたとこから生まれてくることになるんですよ。気持ちよくないですかこれ。ペンギンが画面いっぱいに満たされるっていうことは、希望でアオヤマの心が満たされているっていうことのメタファーなわけですよ。すごい爽快ですよね。そして、数の力でペンギン(希望)がジャバウォック(絶望)に勝利するんです。燃える展開じゃないです。


そして二人は「海」の中、言ってしまえば死後の世界に入っていきます。二人は「海」に飲み込まれた調査隊を見つけますが、このときにアオヤマは海を「ちょっと残すことはできないか」と問います。これは「海」を失くしてしまうと、同時にそのカウンターとして存在しているお姉さんを失くしてしまうことによる危惧からですね。しかし、お姉さんはそんなことは意にも介さず、「元の世界に戻ろう」とペンギンたちに「海」を破らせます。これを「生の喜び」が「死」を破ったシーンとしてみればこれほど感動的なものはありません。


しかし、「海」がはじけた後にもお姉さんは残ります。これは「死」である「海」の一部がアオヤマの中に入って、それをアオヤマが認めたってことになると思います(いささか強引が過ぎる)。そして、アオヤマは「死」を受け入れた。ということは、「永遠はない」と知り、それはすなわちお姉さんとの別れです。アオヤマは「大人になってもう一度お姉さんに会いに行く」と言っていましたが、「永遠の象徴である」お姉さんとはたぶんもう会えないと思います。希望を持たせる終わり方でしたけど、アオヤマは永遠なんてないことを知っちゃいましたからね。憧れである「永遠」を失ったアオヤマの心の痛みが印象的です。


ここまで長々と語ってきましたけど、こういった「死を受け入れる」「永遠などないと知る」という心の痛みは私たち誰もが経験して、また持ってるものだと思うんですよね。「ペンギン・ハイウェイ」で死を受け入れたアオヤマに、私たちは自分の子どもの頃の姿を重ねることができると思います。誰もが通ってきた道だと考えると「ペンギン・ハイウェイ」はとても普遍的な物語であるといえそうですね。そこを少し不思議でとても鮮やかに見せているところが、「ペンギン・ハイウェイ」の面白いところだと私は思います。












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以上で感想は終了になります。「ペンギン・ハイウェイ」、本当に素晴らしい作品なので、アニメだからと敬遠せずに、多くの人に観てもらいたいです。個人的にはもっと話題になってもいいと思うので、ぜひ映画館でこの少し不思議な夏の思い出を味わってみてください。全力でオススメします。


お読みいただきありがとうございました。



おしまい



ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)
2012-11-22

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