Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2019年08月



こんにちは。これです。今回のブログは映画の感想になります。


今回観た映画は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(略して『ワンハリ』)。かの有名なクエンティン・タランティーノ監督の最新作です。さらに、キャストもレオナルド・ディカプリオにブラッド・ピッドと超豪華。さっそく初日の夜に観てきました。そして、結論から申し上げますととても面白く、好みの映画でした。警戒していた分かりにくさもあまりなくキャッチ―でしたしね。


では、感想を始めます。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




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―目次―


・主演三人が最高!
・ひたすら現実のことであると印象付ける前半
・でも、フィクションなんだよ





―あらすじ―


ラスト13分。映画史を変えるのは―この二人


リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)はピークを過ぎたTV俳優。映画スターへの道がなかなか開けず焦る日々が続いていた。そんなリックを支えるクリフ・ブース(ブラッド・ピッド)は彼に雇われた付き人でスタントマン、そして親友でもある。目まぐるしく変化するエンタテインメント業界で生き抜くことで精神をすり減らし情緒不安定なリックとは対照的に、いつでも自分らしさを失わないクリフ。この二人の関係は、ビジネスでもプライベートでもまさにパーフェクト。しかし、時代は徐々に彼らを必要とはしなくなっていた。そんなある日、リックの隣に時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と新進の女優シャロン・テート(マーゴット・ロビー)夫妻が越してくる。落ちぶれつつある二人とは対照的な輝きを放つ二人。この明暗こそハリウッド。リックは再び俳優としての光明を求め、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演する決意をするが―。

そして、1969年8月9日―それぞれの人生を巻き込み映画史を塗り替える【事件】は起こる。

(映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。












・主演三人が最高!


この映画の最大の売りは、レオナルド・ディカプリオブラッド・ピッドの、公式曰く初神共演にあります。この二人のかっこよさがこの映画を進めるうえでの最大のエンジンになっていると感じました。まず、白黒で二人が映されるんですけど、もうかっこよすぎて。いきなり死ぬかと、かっこよさで殺す気かと思いました。


まず、落ちぶれたTVスター・リックを演じたレオナルド・ディカプリオなんですが、トラのように鋭い眼光が最高にかっこいいわけですよ。そこから吐き出される渋い声の魅力。ぶっちゃけ最初は落ちぶれた感はゼロなんですが、徐々に弱いところも見せていって。子役の少女のシーンで自分を振り返る時の弱気な演技はそれまでのギャップで、グッときました。さらにこの映画では、いろいろな映画や番組に出演しているので、それぞれ異なる表情を見ることができます。ファンにはたまらない作品ですね。


続いて、リックの相棒であるスタントマン・クリフを演じたブラッド・ピッド。こちらはリックと対照的に、落ち着いた優しい視線が印象的でした。現実を改めて突き付けられ自棄になるクリフを抱きかかえる優しさよ。ここだけで千円分の価値はあります。一方で、ブルース・リーやヒッピーとの対決時にはキリっとした目元と、キレのあるアクションを披露していて、こちらもそのギャップにやられましたね。ラリっている時の狂気的な笑いも流石でした。


そして、この二人の関係性がまた抜群に良いんですよね。リックは落ちぶれてくるのは悪役のオファーばかり。新進の若手俳優の踏み台としての価値しかなくなりつつある。一方、クリフも年齢を重ねて今までのようなアクションはできない。どちらにも希望に満ちた未来はなく、坂を下っていくのみ。この一人では崩れそうなところを互いに支えあう関係性ですよ。軽口をたたきながらも、本音を言うことができる、心から信頼しあえているんだなと尊さ爆発でした。


さらに、この映画のキーであるシャロン・テートを演じたマーゴット・ロビーもこれまたいいんですよね。これまで『スーサイド・スクワット』や『アイ,トーニャ』で襲撃する側にいた彼女が、この映画では襲撃される側に回っているんですけど、儚さみたいなものは抑え目に、ひたすらに華やかで。スラリと伸びた脚からくるスタイルの良さはもちろん、自分が注目される女優という一種の驕りを感じさせる演技が出色で。希望の未来を約束されていて、祝福を全身に浴びているんだと思わずにはいられません。でも、自分の出演した映画を観る際は周囲の反応が気になっていて。そういういじらしいところもありましたね。最高です。




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・ひたすら現実のことであると印象付ける前半


さて、この映画は実際にあった事件、シャロン・テート殺人事件をモチーフにしています。


シャロン・テート殺人事件―

1969年8月9日に起こった実際の事件。本作でマーゴット・ロビーが演じるシャロン・テート。駆け出し女優であり、ロマン・ポランスキー監督(後に「戦場のピアニスト」でアカデミー賞監督賞を受賞)の妻でもあった彼女は、1969年ハリウッドの自宅で惨殺される。犯行は、狂信的カルト集団の指導者チャールズ・マンソンの信奉者によるものだった。事件当時、彼女は26歳で妊娠8か月だった―。この事件は今もハリウッドの史上まれに見る悲劇として語り継がれ暗い影を落としている。


(映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』公式サイトより引用)


そして、この映画を観るにあたっては、この公式サイトの情報だけでもいいので、シャロン・テート殺人事件を知っておいた方が絶対にいいと断言できます。なぜなら、事件を知っているとゴールが意識でき、映画を観る際に緊迫感が生まれるからです。


この映画は落ちぶれたTV俳優リックと、スタントマンのクリフを主人公にして描いています。しかし、二人に大きな事件というのはあまり起こりません。リックは番組の撮影に臨み、クリフはアンテナを直すなど家事をこなす他は、映画のセットに暮らすヒッピーを訪ねるのみ。そこにあるのは二人の単なる日常であり、物語性はそこまで高くありません。


一方のシャロン。こちらは映画館で自分の出演した映画を観ています。あとはほとんど何もしません。映画を撮るシーンはゼロで、クラブで踊るのみです。しかし、事件を知っていれば彼女が殺されるというゴールが見えます。そうなると起伏に欠けるこの映画に緊張感が生まれます。特に半年経ってからの逐次、時刻を表示する演出が効果的でしたね。いつ殺されるんだろうとハラハラしました。この緊張感があったおかげで、2時間40分の上映時間も思っていたよりは長く感じず、引き寄せられるように観られました。




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また、シャロン・テート殺人事件は実在した事件です。なので、最終的に彼女を殺すとなると、映画の中は現実であることを要求されます。フィクションだと思わせては緊張感に欠けてしまうからです。そして、この映画では描かれていることが現実であることを印象付けるために、様々な取り組みがなされていたと感じました。例えば、ロサンゼルスの雰囲気。その時代を生きていない私は、めっちゃ映画館多かったんだなぐらいにしか思いませんでしたが、タランティーノ監督が「人生をかけてリサーチ」したのだから、当時を生きた人には分かるようになっているのでしょう。実際私もどことなく60年代にタイムスリップしたように感じましたしね。


続いて、音楽の使い方。この映画では数々の陽気な音楽が使われていて、映画を明るく盛り上げていましたが、ここで注目したいのは曲の始まり方と終わり方です。この映画ではキャラクターたちが、レコードに針を落とす、カーステレオをつけるなど、実際の動作を伴って音楽が流れるシーンが多かったと感じます。終わる時もクリフがスイッチを切るのと連動していましたしね。いかにも映画的な音楽のかかり方ではなく、キャラクターが自ずから音楽をかけることが、この映画にリアリティを与えていたと感じました。


さらに、映画の中で番組を撮影する、映画を観るというシーンが多用されていたのもこの映画の特徴です。まず私が生きる現実。そして、映画の中というフィクション。この二つの次元のみの場合は、私は映画を現実として認識することができません。しかし、この映画は「フィクションの中のフィクション」というもう一つの次元を用意することで、私に映画というフィクションを現実のものとして認識させることに成功していると感じました。映画の中に入り込んだような感覚に囚われ、魔法にかけられたようです。


そして、私が特に印象的に残ったのが、中盤に登場したあの子役です。プロ意識が超高く、ませている態度がイラつきつつも可愛かったのですが、この子役とリックが会話するシーンがとても重要だと感じていて。リックは本を読んでいるんですよね。で、子役にどんな本かを聞かれてあらすじを語るんですけど、昔は華々しいスターだったのに、今ではすっかり落ちぶれてしまったと自分のことを喋ってしまうんです。ここに、私はフィクションではない現実であるリックの人生を感じて、架空の存在であるはずの彼が現実であるとの認識をより強くしました。


あと、余談ですけど、子役はその話を聞いて怪訝な顔をするんですけど、リックは彼女に「15年後になれば分かるよ」って言うんですよ。これは、あれかよと。この映画にも出演しているダコタ・ファニングのことかよと。子役時代に『アイ・アム・サム』で脚光を浴びながら、以後は妹のエル・ファニングに水をあけられてしまっている(※主観です)ダコタ・ファニングへの当てつけかよと。彼女自体は可愛らしいのですが、存在がとても意地が悪いなと思うのと同時に、移り変わりの激しい芸能界を象徴しているようでもありました。ダコタ・ファニングは脚本を読んだ時どう思ったんですかね。




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・でも、フィクションなんだよ



ひたすら現実のことであると印象づけてくるこの映画。しかし、映画が進むにつれて徐々に私は「これって映画を撮影している体での映画なんじゃ...?」と思うようになりました。リックがイタリアでトントン拍子で行きすぎですし、ヒッピーたちが馬に乗るシーンはいくら50年前とはいえ、あれだけ馬に乗れる人間いるか?とも感じました。しかも、テレビの中の場面がこのヒッピーのシーンで意図的に繰り返されるんですよね。あ、これ見たやつだってなり、ここで私は「これ映画なんだ」と確信しました。


ただ、シャロン・テート殺人事件を知っているので、シャロンが殺されるという展開は目に見えています。どうやって殺されるのだろう。私はそれを直視できるのかなと思っていたところに、ヒッピーたちが再登場。包丁や銃を持っています。それ来たと思いましたね。ちょうど日付も変わって8月9日になっていましたし。


ここで、仲間由紀恵さんっぽい雰囲気の女性が「世の中の大体の映画は人を殺している。私たちに殺しを教えた相手に、殺しを教えてやろう」(意訳)というセリフを吐きます。フィクションが人を殺すという大変辛い展開です。


このシーンには伏線となっていたシーンがありまして。それは大事な部分だけ隠せればいいと言わんばかりのエロい格好をしたヒッピーが「映画で人を殺しているのに」とクリフに言うシーンと、冒頭でカーラジオからベトナム戦争の死者の報道が流れてくるシーンです。現実では人が死ぬことに心を痛めていても、フィクションではそれを当然のものとして受け入れてしまう。スプラッター映画等では人が死ぬのを待ち望んでいるなど、人の死をエンタメとして消費している自分に気づいてゾッとしました。序盤のリック出演の番組がそのおぞましさをさらに強化していますね。


ここで、「人が殺される」=フィクションという図式ができ、現実とフィクションはごちゃ混ぜになります。今私が見ているのは現実?それとも映画?みたいな感じですね。その混乱状態が終わってみれば気持ち良かったです。


でも、彼ら実行犯の中にも、かつて活躍していたリックを知っている子がいたんですよね。で、彼女はナイフを取りに帰ると言って、車を走らせて彼らの退路を断ってしまう。フィクションが彼女を犯罪者にすることを防いだ瞬間で(未遂に問われるかどうかは知らん)、フィクションが一人の人を救う展開は緊迫した展開の中でひと時の清涼剤でした。




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そこからは、謳い文句であるラスト13分。映画史を変えるのは―この二人。という展開に突入し、犬怖っ!大味な解決!リックの結婚相手何言ってるか分かんねぇ!となり、映画はフィナーレを迎えます。予想外の展開で、これは映画じゃなきゃできないなーとか、回想が多いのも映画だったからかーと一人思う自分がいました。この映画であることを最大限に押し出した、この映画の姿勢は私は好きですね。「昔々」という意味の「ワンス・アポン・ア・タイム」というタイトルにもちゃんと理由がありますし。


それと、私はこの映画の最後のセリフは「はい、カット」なのかなと思いながら観てたんですけど、この映画では最後まで「はい、カット」がないんですよね。エンドロールにはありましたけど、この想像の余地を持たせる姿勢、「はい、カット」は自分の中で言うのだ見たいな感じも凄くいいなと。言うならば、「はい、カット」のない「カメラを止めるな!」、または、ミルドラースが出てこない「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」のような映画だと個人的には感じました。あくまで個人的にはですよ。


あと、最近も『ボヘミアン・ラプソディ』や『ロケットマン』に批判があったじゃないですか。でも、これらの映画ってドキュメンタリー映画ではなく、劇映画なので別にいいと思うんですよね。当時を知ってるわけじゃないですし。この映画もきっと同じような批判あると思うんですけど、フィクションって間違ったことも書けるので。それを損なってしまったらフィクションの魅力も減じてしまうので。どうか目くじらを立てずに見てほしいと思いますね。この映画って明確にフィクションなんですから




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以上で感想は終了となります。映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。前半で現実であると印象付ける演出と、後半の展開がコントラストになっていて、とても面白い映画です。ご覧になってみてはいかがでしょうか。オススメです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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こんにちは。これです。日も目に見えて短くなり、もうすぐ夏も終わりますね。梅雨明けが遅れた分、短い夏だったと思います。まあまだ日中は暑いんですけどね。


さて、今回のブログは移籍記事になります。久しぶりですね。さぼりがちですいません。内容的には大したものは無いですが、よければお読みいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。










―今回のラインナップ―


・吉田伊吹選手が来季加入内定(パルセイロ)









AC長野パルセイロ



・産業能率大学から吉田伊吹選手が来季加入内定

産業能率大学所属 吉田 伊吹選手 来季加入内定のお知らせ(長野公式)


吉田選手(笑顔)


[MOM573]産業能率大FW吉田伊吹(3年)_関東2部へ導く決勝弾(ゲキサカ)




一昨年の竹下選手、去年の大城選手に続き、3年連続で新卒のFWの加入が発表されました。産業能率大学から吉田伊吹選手が来季加入内定です。来季加入内定第1号ですね。

宮城出身の吉田選手は、仙台ユース出身。クラブユース選手権にもレギュラーとして出場しており、大学は遠藤選手と同じ産業能率大学へ進学。遠藤選手の方が3年先輩なので、一緒にプレーしていた期間もあるでしょう。去年の関東大学サッカー大会昇格決定戦では、決勝点を挙げて関東2部昇格に貢献しており、今シーズンも5試合に出場し3ゴールを挙げているようです。


ポジションはFW。180㎝と高さがある程度あり、前線でのポストプレーも期待されます。パルセイロは現在FWが7人いますが、1トップを張っている斎藤選手はレンタルなので残留するかどうかは不透明。現戦力にも移籍等があるかもしれないことを考えると、一年目から吉田選手にかかる期待は大きい。早くパルセイロに慣れて試合に出場してくれるといいですね。




2020AC長野パルセイロ(8月28日現在)



FW 吉田伊吹


FW:1人 計:1人












お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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今年からF1リーグを戦うボアルース長野。しかし、ここまでの成績は2分11敗の勝ち点2で最下位。厳しい戦いが続いています。そんななかで迎えた今節の相手はヴォスクオーレ仙台。3勝2分8敗の勝ち点11で9位につける相手です。


また、この日は長野市ホームタウンデーと銘打たれ、観客数3000人を目指して、様々なイベントが催されました。残念ながら見ることはできなかったのですが、ホワイトリングは多くの方で賑わっていましたね。


それでは、観戦記を始めたいと思います。よろしくお願いします。










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この日は所用があったため、会場であるホワイトリング到着は試合開始時間ギリギリに。自転車を止める場所がなかなか見つからずさまよいましたが、ようやく駐輪場を見つけ、アリーナ内へと急ぎます。


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チラシを持っていけば長野市在住の方は1,000円で入場できましたが、時間がなく、1,500円の当日券を購入して入場です。客席へと向かう階段には選手たちの幟が立っていました。中では加藤永野市長の始球式が終わったというアナウンスがありましたね。


ちなみに、スタメンは以下の通りです。

ボアルース長野:#6西巻選手#9深江選手#16橋本選手#17中條選手#19山本選手

ヴォスクオーレ仙台:#6荒巻選手#9森村選手#10藤山選手#18丸山選手#28税田選手


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アリーナ内に入るともう選手がコートに出ています。両チームゴール裏も臨戦態勢ですね。仙台からようこそ長野へお越しくださいました。


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席について間もなく、前半キックオフ!


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ここまで未勝利とF1リーグの高い壁に苦しむボアルースでしたが、この日は開始早々に先制に成功します。前半3分、特別指定登録の#17中條選手が右サイドからシュートを決め、いい立ち上がりを見せたボアルース。その後もカウンターから仙台ゴールを脅かしますが、なかなか決め切ることができません。


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前半が終わる頃には仙台に攻められる時間も増えますが、ゴレイロの#19山本選手を中心に耐えます。女性がリードするサポーターの声援も響いてました。


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タイムアウト中には白馬のチアリーディングチーム、クリスタル・レインディアーズが登場してパフォーマンスを行います。音楽を流すと、相手チームに話の内容が伝わりにくくなって良いですね。



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そのまま1‐0でボアルースがリードして、前半が終了。今シーズン初勝利へ向けて上場の前半でしたが、まだ後半20分が残っており、予断を許しません。


コート上では長野のキャラクターと、クリスタル・レインディアーズからカラーボールを受け取った子供たちによるモップ掛けレースも行われていましたが、まだ昼ご飯を食べていなかったので、一旦アリーナから出ることにしました。


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階段の上からはグッズ売り場を見下ろすことができます。やはり、チームカラーの赤が多いですね。


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アリーナの外にはキッチンカーが7台ほど出店していて、何を食べようか迷いましたが、ここは普段あまり食べられないものを食べようと、みちくささんのガレットをいただくことにしました。


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選んだのは、ベーコンのガレット(700円)。注文を受けてから焼いてくれるので、時間は少しかかりましたが、ベーコンは脂が滴り、そば粉の生地は歯ごたえが良く、大変美味しくいただきました。珍しいものを食べられるアリーナグルメはいいですね。


また、この日はアリーナ内に出店していた、かいぶつ農園さんのスイートコーン『味来』さんも購入。生でもいただけるということで、席でかじりつこうかとも思いましたが、それはやめ、家に帰って蒸し焼きでいただきました。


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こちらも粒が立っていておいしかったです。しっかり甘かったですし。


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昼ご飯を食べてアリーナ内に戻ると、もう後半が始まってしまっていました。遅刻です。


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エンドが変わった後半は仙台が攻勢を強めます。ボアルースは自陣に釘付けになりますが、何とかしのぎます。しかし、1‐0のじりじりするスコアのまま迎えた後半13分。左サイドから#19加藤選手にミドルシュートを決められ、試合は振り出しに戻ってしまいます。




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1‐1のままで迎えた後半17分ごろ。仙台はゴレイロの#28税田選手を下げ、フィールドプレイヤーを投入するパワープレーに出ます。パワープレーに出るのは、最下位でF1リーグ残留のためにはなんとしても勝ち点が欲しいボアルースの方だと思っていたので、この展開は少し意外でした。


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ピッチにフィールドプレイヤーが5人。数的不利でヤバいと思いましたが、次の一点は何とボアルースに入ります。後半18分。ボールを奪うと、ゴレイロがいなくなったゴールめがけて、#18田口選手がロングシュート。これが決まってボアルースが追加点を奪いました。お手本のようなパワープレー返しでした。


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しかし、10秒もしないうちに、数的優位を生かした攻撃から再び#19加藤選手に決められて、ボアルースは追いつかれてしまいます。勝てると期待が浮上してきたアリーナ内のテンションは一気に沈下。今日もこのまま勝てないのかという不安がよぎります。




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しかし、また30秒もしないうちに#17中條選手がボールを奪い、自陣から無人のゴールに向かってシュート。これが決まり、ボアルースが土壇場で勝ち越します。不安は吹き飛び、アリーナ内は得点の喜びに立ち上がる人が大勢見られました。


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その後もパワープレーを続ける仙台と耐えるボアルースという構図は続きます。残りは7秒。仙台のゴールキックからのスタート。アリーナ内は5秒前から終了のカウントダウン。時計はコンマ数秒を映す。歓喜は風船につまって膨らみ、破裂する寸前。誰もが勝ったと思った残り0.2秒。ボアルースは逆サイドにフリーにしてしまっていた#19加藤選手に三度ゴールを決められてしまいます。






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風船は空気を抜かれたように急速に萎み、カウントダウンの声も一斉にして静まってしまいました。そして、そのまま3-3で試合終了。ボアルースは待望のF1リーグ初勝利を、本当に土壇場の土壇場で逃す、本当にショッキングな引き分けとなってしまいました。


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試合後のインタビューを受ける横澤監督も話し出すまでに時間がかかります。無言の時間は悔しさを押し殺しているようで、アリーナDJの方の「負けたわけではありません」という強がりが、アリーナ内に一人響きます。


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ホワイトリングの出口で、伊藤園とコラボした「お~い長野」を貰いましたが、悔しさで一気飲み。体は潤っても心は潤わず、満たされない心のまま自転車を漕ぎ出しました。悔しい試合でしたが、サッカーではなかなか見られない試合終盤での点の取り合いを見ることができ、非常に面白い試合だったと思います。これで勝てたら本当に最高だったんですけどね…。それでも、観客数は今シーズン最高の2,028人を記録し、最後は結構盛り上がったので、そこはよかったと思います。また機会があれば行ってみたいですね。











スコア結果(Fリーグ公式)

F1順位表(Fリーグ公式)

【F1リーグ第14節】ヴォスクオーレ仙台戦(長野公式)












何とも悔しい結果になってしまいましたが、Fリーグはまだまだ続きます。勝ち点を3に伸ばしたボアルースの次のゲームは8月31日(土)の15:30~、アウェイ・丸善インテックアリーナで名古屋オーシャンズと対戦。その後はアウェイをさらに2戦挟んで、次回のホームゲームは9月16日(祝)。13:00~、ことぶきアリーナ千曲でシュライカー大阪との対戦です。祝日ですので、都合の合う方は応援をよろしくお願いします。


頑張れ!ボアルース長野!!


お読みいただきありがとうございました。


おしまい






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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ロケットマン』。エルトン・ジョンの半生を描いた音楽映画です。私はエルトン・ジョンをあまり知らないんですが、去年の『ボヘミアン・ラプソディ』が良かったので、今回も観に行ってみることにしました。で、結論から申し上げますとエルトン・ジョンを知らなくても十分に楽しめる映画である一方、少し違うんじゃないかと思うところもありました


では、それをこれから書いていきたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いいたします。




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―目次―

・基本的には楽しめた
・「本当の自分」って何なのさ






―あらすじ―

両親から愛情を与えられず、不遇の少年時代を過ごしたエルトン・ジョン。天才的な音楽センスを持つ彼はロックに目覚め、運命的な出会いをきっかけにスターダムを駆け上がる。だが、全世界で成功を収めるほど孤独になっていき…。




映画情報は公式サイトをご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・基本的には楽しめた


私がエルトン・ジョンを知らなくてもこの映画を楽しむことが出来た理由。それはひとえに、エルトン・ジョンを演じたタロン・エガートンの素晴らしい演技のおかげです。『キングスマン』などで知られるタロン・エガートンは、まず外見からエルトン・ジョンに寄せていきました。体重も映画が進むにつれて増やしていき、奇抜な衣装も着こなしています。エンドロールで両者の比較がなされるのですが、そのシンクロ率にびっくりするほどです。


さらに、演技自体も素晴らしく、いきなり売れてしまったエルトン・ジョンの苦悩を十分に表現しています。パーティーのシーンでの孤独感や、鏡を見て笑うシーンが印象的ですね。酒や薬で自暴自棄になっているシーンも良かったです。でも、ステージとなると切り替えて、一気に明るい表情になるんですよね。人が変わったようなその変貌ぶりがとても怖かったです。痛みを隠して、プロとしてエンタメに徹している姿に、心がキリキリと痛みました。


それに、タロン・エガートンは劇中歌も吹替なしで歌い上げているそうで。エルトン・ジョンの名曲群をときに繊細に、ときにパワフルに歌い上げていて、演じる以上に歌でエルトン・ジョンの心情を雄弁に物語ります。特に大人になって第一声の『土曜の夜は僕の生きがい』は、インパクトがあってよかったですね。ここ大人になって一発目で大事なところだったんですけど、掴みに十分成功していました。夜の遊園地の灯りをバックに大人数が揃ったダンスを披露するのも気持ちよかったですしね。




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この映画を観て思い出すのは、去年ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』かもしれません。実在の人物を描いた音楽映画という大きな共通点が両者にはありますが、その中身は全くの別物。『ボヘミアン・ラプソディ』は主にステージやレコーディングでのみ歌っていたのに対し、『ロケットマン』は会話シーンや食事シーンで普通に歌っています。それはもはやフィクションのようであり(『ボヘミアン・ラプソディ』もだいぶ脚色しているとはいえ)、ミュージカル映画そのものでした。むしろ『グレイテスト・ショーマン』や『ラ・ラ・ランド』の方が近いですね。


なので、『ロケットマン』は、『ボヘミアン・ラプソディ』とは似て異なる映画です。そもそも二匹目のどじょう狙いと言ったって、製作期間けっこう被っているでしょうし。二匹目のどじょう狙いというのは2年か3年後に出てくるものを言うのでは。そんなに早く映画作れるわけないでしょうに。


それは置いといて、このミュージカル的演出が『ロケットマン』の最大の魅力であることは間違いありません。まず最初に『あばずれさんのお帰り』(なんつータイトルだと思うけど公式サイトにそう書いてあるので仕方ない)で、少しモノクロ気味の人間を踊らせて観客の興味を引き、『アイ・ウォント・ラヴ』で、この作品のテーマである「愛」を誰もが求めていることを示します。この曲歌い手がコロコロ変わるのが新鮮でしたね。お前も歌うんかい!みたいな。


そこからは息つく暇もなく音楽を連打。公式サイトによると全22曲あるそうなので、1曲あたり1分30秒だとしても実に33分、映画の4分の1は何かしら歌っていることになります。もちろん長い間効き続けられている曲なのでキャッチ―な名曲揃いですし、一糸乱れぬダンスも綺麗で、思わず楽しい気分になってしまいました。特にレストランでの『ホンキー・キャット』が好きですね。テンポよく酒を飲むところとか。あ、これ余談なんですけど、デザート頼むところあったじゃないですか。あそこで「アイス全種類」って言ってますけど、あれ覚醒剤のことですからね。隠語。


それに演出も奇抜なものが多くて。スローで浮かんでみたり、ステージをぐるぐる回してみたり、何か曲と同時に思い出をオーバーラップさせてみたり。それはそれで楽しかったんですけど、一番はステージで物理的に飛ぶシーンですね。足にロケットエンジンが点火して実際に飛んで行ってしまうんですよ。夢の中ですけど。ここはギャグだと私は受け取って、一人笑っていてしまっていました。


こういうミュージカル形式の映画だと、歌ってばかりで物語が進まないという課題が出てきますけど、『ロケットマン』はその課題をある程度クリアしていたと思います。もちろん冗長なところはありましたよ。でも、それ以上に歌で物語を進めたり、心情を語っているシーンが多くて。『ユア・ソング』では、バーニーとの関係を歌って彼を励ましていますし、『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』では、エルトンとバーニーがそれぞれ同じ歌を歌うことで、失ったものの大きさを強く印象付けています。


極めつけは表題曲の『ロケットマン』ですね。酒と薬の依存からくる性格の変化。それによって周囲の人間が離れていき、孤独になるエルトン。その孤独を宇宙飛行士に例えるのは感動しますし、普通の暮らしを望むエルトンの切望が伝わってきます。エルトン・ジョン本人が製作総指揮を務めているだけあってよくできた展開ですね。この孤独なエルトンという展開は好みです。救急車からステージに直行する流れも含めて。




このように、『ロケットマン』はタロン・エガートンの白眉の演技を見ることができ、ミュージカル的演出も多く、エルトン・ジョンを知らなくても楽しめる映画だと言えると思います。実際、私も大いに楽しんだのですが、終わってみると腑に落ちない箇所も何か所かありました。




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・「本当の自分」って何なのさ


この映画のテーマは「エルトンが『愛』を手に入れる」ことです。エルトンは父親から冷たくされ、愛情を受けていると感じられていませんでした。また、同性愛者であることから、世間一般の異性間の愛も受けることはできません(このへん「おっさんずラブ」と被ってるかも。見てないけど)。しかし、エルトンは最後になって「愛」を手に入れることができるんですよね。家族から、バーニーから向けられた愛は「恋愛」ではなく「親愛」で。愛されていると自覚したエルトンは、また衣装を纏って外に飛び出していきました。おしまい。


でも、ちょっと待ってください。この映画にはもう一つテーマがあります。それは「彼が『本当の自分』を手に入れる」ということであり、この映画の終わり方はどうもそれをおざなりにしているように私には思えました。


バックバンドをしていたレジ―は、黒人のミュージシャンから改名の話を聞きます。「『なりたい自分』になるために改名する」と聞き、改名を決意するレジ―。エルトン・ジョンと自ら名乗ります。ここでの「エルトン・ジョン」は、まだ憧れの対象であって、レジ―と同一ではありません


そして、成功を収めるエルトン。しかし、『ロケットマン』にもあった通り、普通の暮らしを、「レジー」でいることを望みます。なりたい自分になった結果、元の自分が恋しくなった。ここでもやはり「エルトン・ジョン」とレジーは同一ではありません。


それでも、最後には愛されていることを自覚するエルトン。家族の親愛の対象は「レジー」で、バーニーの親愛の対象は「エルトン」。両者が愛されていると知った彼。ここで「レジー」と「エルトン」が同一のものになったと私は考えます。そこまではよかったのですが、疑問なのは最後の選択。彼は衣装を着て「エルトン」でいることを選びます。ここで私は「レジー」を「エルトン」が駆逐してしまったように思えてしまったんですよね。




話は変わりますが、この改名という行為は日本でも見られた時期がありました。それは武士の時代における元服です。幼名から成人名へと名を改める重要な儀式です。『ロケットマン』での、改名も違う自分になるということで、元服と同じとも取れますが、両者には改名前の名前が残るか残らないかという相違点があります。元服とは違い、芸名では本名は残ります。


確かに、名前などというものは所詮は他人と区別するための記号なのかもしれません。『ロケットマン』の結論は、名前に左右されない自己を獲得したと言えるかもしれません。でも、名前が自己を決定するとも言えます。自分の名前がないと、私たちは自分を何と呼んでいいのかわからず、自己の輪郭を保つことはできなくなるでしょう。その点で名前とは単なる記号ではなく、アイデンティティの最たるものだと言えると私は考えます。


『ロケットマン』では、最後に彼は「エルトン・ジョン」を選択します。ここで、どちらか一つしか選べないと分かっていても、選ばれなかった「レジー」の立場は?とどうしても思ってしまうのです。家族にとっては「本当の自分」は「レジー」なのだから、「レジー」を選ばなかったということは家族の愛より大衆からの愛を選んだということなのでは?普通の「レジー」としての暮らしを欲していたはずでは?そのゴールは映画のテーマと少し違うのでは?と思わずにはいられません。映画が進むにつれて、ゴールが変わっていったのかもしれませんが、少なくとも私は「レジー」になることがゴールだと思っていたので面喰ってしまいました。




あと、名前で言うと最初のシーン。あれはおそらくアルコール依存者の自助グループ・アルコホーリクス・アノニマス(以下AA)だと思います。このAAは匿名性が特徴のグループで、自分の名前を明かすことはなく、ニックネームで呼び合うのが習わしとなっているそうです。とはいえ、彼普通に「エルトン・ジョン」って言っちゃってるんですよね。間に良く分からないミドルネームをつけていて、これがニックネームなのかなとも思いますけども。


でも、この本当の名前を隠すというのが、「本当の自分」を手に入れるというこの映画のテーマに沿っているのかもしれませんね。ニックネームも本当の自分の一部になっていて、名前に依らない根源的な自分を発見できると言いますか。彼も本名の「レジー」は言ってないですし。そう考えると、彼が過去を語る場所にAAが選ばれたのは必然だったのかもしれません。


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映画の撮影じゃなかったらただの変質者だよこれ。




さらに、ハマらなかったところは他にもいくつかあります。まずはその曲の多さ。歌っている時間がさすがに多すぎて、少し疲れてしまいました。それに以前ならそんなことなかったんですけど、『ダンスウィズミー』で、「今まで普通に喋っていた人がいきなり歌って踊り出すなんておかしくない?」という疑問を植え付けられたため、いきなり歌い出すシーンに何回か疑問を感じてしまったのも否めません。歌うシーンと普通のシーンがはっきりしている『ボヘミアン・ラプソディ』の方が個人的には好みですね。


それに、やはりライヴ・エイド的なブチあがるシーンがなかったのも痛い。『ボヘミアン・ラプソディ』は、最後の盛り上がりに向けて少しずつ上っていき、大きなピークに繋げるという印象でしたが、『ロケットマン』では、そのピークが分散してしまっています。さあ、エルトンが「愛」を手に入れた後のステージはどうだ?と思っていたら、そのまま謎のMV調の歌で終わってしまうではありませんか。その後を見て盛り上がりたかったのに、肩透かしに終わってしまった印象はどうしても拭えません。『ボヘミアン・ラプソディ』の後という状況は不利ですが、それを覆すだけのパワーはどうしても感じられませんでした。なので楽しめたんですけど、評価自体は絶賛というほどではないです。もうちょっと盛り上がりたかったです。




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以上で感想は終了となります。『ロケットマン』、気になる箇所はありますが、全体としては楽しめる映画です。エルトン・ジョンの曲とダンスに彩られた映画ですので、興味があれば観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。




参考:

映画『ロケットマン』公式サイト
https://rocketman.jp/

アルコホーリクス・アノニマス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/アルコホーリクス・アノニマス

名前とアイデンティティ|高田夏子
https://www.jrc.sophia.ac.jp/pdf/research/bulletin/ki21/takn.pdf




おしまい





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こんにちは。これです。昨日、金曜ロードショーで『千と千尋の神隠し』の後に『ポノック短編劇場 ちいさな英雄』の中から『透明人間』が放送されたようですね。私は『透明人間』が『ちいさな英雄』の中で一番好きなのですが、見逃してしまいました。録画もしてなかったしな...。残念です。あ、『千と千尋の神隠し』は、お酒を飲んで酔いつぶれていたので観れませんでした。


気を取り直してブログにいきましょう。今回観た映画は『ダンスウィズミー』。『ウォーターボーイズ』『ハッピーフライト』などで知られる矢口史靖監督の最新作です。日本ではあまりないミュージカル映画のようですね。正直不安です。


では、それも含めて感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いいたします。




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―目次―

・はじめに
・キャストについて
・ダンスシーンの連続で飽きさせない
・おわりに





―あらすじ―

催眠術のせいで、音楽が聞こえるたびに歌い踊り出すカラダになってしまったミュージカル嫌いの静香!所かまわず踊るせいで恋も仕事も失ってしまい…。さらに、裏がありそうなクセ者たちとの出会いと、度重なるトラブルが!静香を待つ、ハチャメチャな運命とは!?果たして無事に元のカラダに戻れるのか!?

(映画『ダンスウィズミー』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。













・はじめに


いきなり結論から申し上げますと、『ダンスウィズミー』は、想像をはるかに上回る面白さのドエンターテイメント映画でした。正直思っていたより100倍面白かったです。じゃあどんだけ期待していなかったんだっていう話になるんですが、そうなのです。私はこの映画に全然期待をしていなかったのです


というのもこの映画を観る前に、同じ矢口監督作品だからと『ウォーターボーイズ』を初めてちゃんと見たんですよね。それがまっっっっっっっったくハマらなくて。もう悲しくなるぐらいに。あのウェイ感と度を越したご都合主義が受け付けませんでした。特に最後のシンクロは初期メンバーの5人でやった方が良かったんじゃないかと今でも思っています。


で、こりゃいかんとなって、矢口監督の現時点での最新のモードを知っておかなければと思い『サバイバルファミリー』も見たんですけど、こちらは好きでした。険悪さとドキュメンタリー感があって。ただ、そのドキュメンタリー感は音楽をあまり使わないことでもたらされていたので、音楽をガンガン使う『ダンスウィズミー』とは真逆。なので、見終わった後には、この後の『ダンスウィズミー』を受け入られるかどうかかなり不安になりました。




それに、私は運動神経が悪いのもあるんですけど、踊るのが好きではないんですよ。とにかく恥ずかしい。ちょうど私の頃に中学の体育の授業でダンスが必修化されたんですけど、あの時間も早く終わらせたくて必死でしたしね。発表の時のグダグダ感は今思い出してもきついものがあります。評点は2でした。欠席しない限り2は取れるので事実上の最低点です。




また、2010年代になってからフラッシュモブというものが出てきたじゃないですか。あの性質の悪いリア充の自己満足でしかない嫌悪すべき存在が。あれも私大嫌いで。特にプロポーズの手段に使うヤツ。控えめに言って、フラれるだけでは甘っちょろい、手の指全部折ってやりたいって思います。


でも、この前偶然フラッシュモブを見る機会がありまして。まああまりにも突然だったので、呆気に取られて嫌悪する暇がなかったというのが正直なところなんですけど、それほど悪くは感じなかったんですよね。で、何が違うんだろうなって考えたときに、「物語」の存在だなって。私が見たフラッシュモブには1ミリも物語なかったですもん。きっと誰かの物語を押し付けられた時に不快に感じるんでしょうね。お前の事なんて興味ねぇんだよと。


でも、ミュージカルって自分からお金を払って、勧んで物語を押し付けられに行くじゃないですか。私はミュージカルは見たことがありませんし、ミュージカル映画もそれこそ『ウエスト・サイド・ストーリー』と『ラ・ラ・ランド』、それにインド映画をちょっとしか見たことがないです(今年の1月に公開された『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は超絶大傑作だったので観てほしい)。でも、その心構えがあるだけでだいぶ違うというのは、今回『ダンスウィズミー』を観て感じたことの一つでした。




と、ここまで観てきた通り、私はこの映画をかなり懐疑的に思っていたのですが、観終わった後にはそんな気分はどこそこに吹き飛んで行ってしまいました。残ったのは幸福感と、想像以上に良かったという少しの困惑だけ。年に一本はこういう映画を観ないとなという感じです。そう思わせてくれたのは、まず第一に主演の三吉彩花さんをはじめとする俳優さんたちの好演。第二に、ダンスや音楽を次々に投入する演出のおかげです




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※ここからの内容は映画のネタバレをやや含みます。致命的なネタバレはしてないと思いますが、ご注意ください。







・キャストについて



まず、鈴木静香役を演じた主演の三吉彩花さん。初めましての俳優さんでしたが、知らないからといって批判的に判断してしまうのは間違いだなと痛感させられました。有名企業勤めのOLとはいえ、不満が溜まっている様子を十全に演じていましたし、催眠がかかってからはオーバーめな演技で、この映画がコメディであることを印象付けます。車の中での「夢の中で」の楽しそうな歌唱が良かったですね。これからコメディエンヌとしての飛躍を思わせる演技でした。


そして、それ以上に冴えていたのが歌とダンス。まず、ダンスシーンに入ったときのスイッチが切り替わったようなキリッとした目がかっこいいですし、歌もダンスもキレッキレ。手足の先に至るまで集中されたダンスは、500人以上のオーディションから選ばれたのも納得せざるを得ません。公式サイトによると250時間以上の歌とダンスのトレーニングをしていたようで、その成果が存分に発揮されていました。


また、今回準主役である斎藤千絵役に抜擢されたのは芸人のやしろ優さん。こちらも演技経験はあまりなく、観る前は不安しかありませんでしたが、いざ蓋を開けてみるとその不安を払しょくするかのような活躍。まあモノマネも広義の演技に含まれるとも言えなくもないのですが、だらけていて中途半端な人間のモノマネの域を超えて、だらけていて中途半端な人間そのものになっていたのにはびっくりしました。きっとモノマネで鍛えた観察眼が生きたのでしょう。三吉さんとのミスマッチ感もハマっていましたね。


加えて、chayさんは、正直不慣れで怪しいところもあったのですが、地元出身らしく新潟弁が流暢。個人的には、ギターを振り回してウェディングケーキを粉砕するというロックな活躍を見せてくれたので、それまでのマイナス要素は一気にチャラになりました。他にも、ムロツヨシさんは情けない感じが良かったですし、三浦貴大さんはその色気で主人公である静香の壁になっていましたし、宝田明さんの胡散臭さとダンディな歌は最高でした。誰もがコメディであることを意識していて、変に重くすることなく気持ちよく観ることが出来ましたね。




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・ダンスシーンの連続で飽きさせない


さらに、『ダンスウィズミー』では、103分の上映時間の中に10曲以上の曲を投入しています。まず、最初に宝田明さんのダンディな歌唱を響かせ、周囲を色とりどりの衣装を着た女性ダンサーで囲む。華やかなオープニングです。そこからは、飽きさせないように次から次へと曲を流します。三吉さん演じる静香が一人で踊る「Act Show」は、様々な角度から撮られていて、映画への没入を助けますし、会社での「Happy Valley」は、フロア総出で息の合った爽快なダンスを見ることが出来ます。


その後もレパートリー豊富にダンス&ダンス。「狙いうち」では、テーブルクロス引きやシャンデリアぶら下がりなど多くのパフォーマンスを披露。その後も「夢の中で」を手振りを加えて口ずさんだり、唐突にダンスバトルが始まったり、果てには「くたばっちまえ」とchayさんが大暴れするなど、趣向を凝らしたダンスシーンの連続。これには、ストーリーが進まない、もしくは薄くなっているという向きもありますが、私は素直に肯定したいですね。だって単純に楽しかったから。特に最後の2曲は。コーヒーを飲みながら観ていたんですけど、途中でコーヒーを飲むのを忘れるくらい映画の世界に没入していました。明るい曲調の曲ばかりだったのも気分が盛り上がってよかったですね。


ただ、この歌やダンスは、言ってみれば前半は静香の妄想なんですよね。「Happy Valley」では銀テープが舞っていてますが、現実はシュレッダーにかけられた紙くずですし、「狙いうち」ではシャンデリアにぶら下がる静香を止めようとする警備員がカメラに移されています。きっちり損害賠償請求もされていましたし。いわば否定的に見られていたんですよね。それは、「なんでいきなり歌ったり踊ったりするの?」という静香の台詞そのもので、冷めた観客の目線でもあります。私は「まあそういうもんでしょ」と特に気にかけたことはないのですが、暴走する静香に引いてしまった部分も正直ありました。


でも、映画が進むにつれて、歌やダンスは静香の妄想ではなく、現実になっているんですよね。静香の周囲にも千絵や洋子(chayさんの役名)と、彼女を肯定する人が増えていっていますし、ダンスバトルのあたりから、静香のダンスが好影響を与えるようになっています。ここで私の中の静香に対する否定は徐々に肯定に変わっていき、最後のダンスでピークを迎え、多幸感あふれるエンディングは思わず泣きそうになってしまいました。


それに、映画の途中で静香がもうダメだと何度も諦めかけたのもいいです。『ウォーターボーイズ』よりも確実に挫折は多く、ご都合主義も幾分か薄まっていました(なくなったとは言ってない)。『ウォーターボーイズ』では、正直主人公たちが失うものがなさ過ぎて(もしくは軽すぎて)、やべーやべー言っていても全く共感できなかったのですが、静香には仕事という失うものがありますからね。その違いが、ピンチとそれを跳ね返すミュージカルシーンの振れ幅をより大きくしていたのも良かったと思います。


あとは、物語の着地点もいいですね。静香は三浦貴大さん演じる村上のチームには入れることを喜んでいて、実際クビになる期限までに催眠を解いて戻るのが主目的となっていました。でも、千絵との旅を経て自分の本当にやりたかったことを見つめ直す。これはかなりよくあるストーリーですが、それだけ使われるということは、やはりそれなりの効果があるのでしょう。言いたいことも言えなくなりまくっている現代の病理から抜け出した静香は、とても輝いて見えました。やりたいことを胸に秘めている多くの方に観てほしい映画です。




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・おわりに



最後も自分語りになってしまって申し訳ないのですが、私は人間はクソだし、世界もクソだと思っています。他人のこと全く信用してないですし、その他人が作る世界も同じく信用していない。で、映画とかも人間のクソな部分が表れていたりとか、どうしようもない世界が描かれていたりとか、そういったものを好む傾向にあるんですよ。最近だと前者は『イソップの思うツボ』、後者は『天気の子』などですかね。自分の思想を補強したいんです。クソですよね。


だからこそ、やっすい言い方になってしまうんですけど、人間の絆を強調したりだとか、多幸感にあふれた映画がたまに欲しくなってしまうんですよね。ダークサイドに落ちすぎないように。その点で『ダンスウィズミー』は、純度100%のハッピーミュージカルコメディだったので、私が求めているものとちょうど合致した形です。見事に浄化されました。だからこそここまで褒めてばかりいるんですが。毎回はキツイですけど、年に一本はこういうハッピーな映画を観て、楽しい気分になりたいと願っているので、それを叶えてくれた『ダンスウィズミー』には、感謝しかないです。本当にありがとうございました




それと、『ダンスウィズミー』は、何も考えずに楽しめる映画なので、ぜひとも幅広い年代の方に観てほしいなと思います。特に家族連れですね。大人は懐かしのヒット曲に心躍るかもしれないし、子供は明るい曲調と派手なダンスにワクワクするかもしれない(集中力が続かないかもですが)。『天気の子』や『トイ・ストーリー4』など話題作は数多ありますけど、私は今年の夏休みは『ダンスウィズミー』を一番に推したいと思います。ぜひ、映画館で多幸感に包まれてください。オススメです。




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以上で感想は終了となります。『ダンスウィズミー』、楽しくハッピーでこの夏イチオシの映画です。よろしければ映画館でご覧ください。観ていい気分を味わってください。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


ダンスウィズミー
オリジナル・サウンドトラック 音楽:Gentle Forest Jaz Band/野村卓史
ワーナーミュージック・ジャパン
2019-08-14



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