Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2019年09月



こんにちは。これです。10月に入ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。まだ暑い日もあり秋はいつ来るのかという感じですね。


さて、今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『よこがお』。『淵に立つ』でカンヌ国際映画賞「ある視点」部門を受賞した深田晃司監督の最新作です。『淵に立つ』と同じく筒井真理子さんが主演ということで、期待も高まります。評判も上々なので、遅ればせながら観てきました。


で、観たところ全部は理解できなかったけど好きというのが最初の感想です。けっこう入り組んでいますよね。頭の悪い私には少し難しかったです。


では、それも含めて感想を書いていきたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。





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―目次―

・映画前半について~二つのパートを行き来して進行していく物語~
・映画後半について~明かされる衝撃の事実~
・行間が多い映画なので簡単に推測してみる





―あらすじ―

初めて訪れた美容院で、リサは「和道」という美容師を指名した。数日後、和道の自宅付近で待ち伏せ、偶然会ったふりをするリサ。近所だからと連絡先を交換し、和道を見送った彼女が戻ったのは、窓から向かいの彼の部屋が見える安アパートの一室だった――。リサは偽名で、彼女の本当の名前は市子。半年前までは訪問看護師として、その献身的な仕事ぶりで周囲から厚く信頼されていた。なかでも訪問先の大石家の長女・基子には、介護福祉士になるための勉強を見てやっていた。基子が市子に対して、憧れ以上の感情を抱いていたとは思いもせず――。

ある日、基子の妹・サキが行方不明になる。すぐに無事保護されるが、逮捕された犯人は意外な人物だった。この事件との関与を疑われた市子は、ねじまげられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活のすべてを失ってゆく。自らの運命に復讐するように、市子は“リサ”へと姿を変え、和道に近づいたのだった。果たして彼女が心に誓った復讐とは何なのか――。

(映画『よこがお』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。












※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







・映画前半について~二つのパートを行き来して進行していく物語~



この映画は、リサという女性が美容室を訪れるシーンから始まります。リサが指名したのは和道という美容師。髪を茶髪に染める傍ら、二人はお互いの仕事について何気ない会話を交わします。ここで、鏡に映ったリサの表情が印象的でしたね。ちなみに、この和道を演じたのは池松壮亮さん。これと言って特徴のない没個性な和道という人間に完全になっていて、ここまで個性消せるの凄いなと感じました。


そして、場面は転換し、大石家。ここでは訪問看護師の市子が老婆の介護をしていました。老婆はボケていながら煙草をスパスパ吸う豪傑ぶりを発揮。ここで、老婆の孫である基子が登場し、一緒に介護を行っています。この基子を演じたのは、市川実日子さんです。


『シン・ゴジラ』で個人的に一番ツボに入った好きな俳優さんなのですが、この映画でも輝いていましたね。表現力の怪物と言っても過言ではない筒井真理子さんに負けじと好演。この映画で市川さん演じる基子は青いジャージを着ることが多かったのですが、それプラス高身長も相まって凛々しさ、その一方で脆さも併せ持っていました。個人的に、一番好きなのは夜の公園でのシーンですね。あのシーン、市川さんの顔は暗くてほとんど見えていないんですが、それを補って有り余る演技を披露していました。


さて、再びリサのパート。リサは近所でばったり和道と会います。自らのマンションを教えるリサ。マンションの窓から覗き込むと、そこには基子を家に招く和道の姿が。犬の遠吠えに呼応してなぜかわんわん吠えるリサ。基子がその鳴き声に反応してベランダに出ると、窓の向こうには誰もいませんでした。リサはしゃがんで見えないようになっており、何らかの薬を飲んで寝ます。なお、この後リアルに四足歩行する筒井真理子さんをこの映画では見ることができます。エンドロールには四足歩行指導という謎の担当もクレジットされているほどの力の入れっぷりなので、ここはぜひご覧いただきたいですね。すごくレア。




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一方、市子は喫茶店で基子の看護師になるための勉強を手伝っています。そこには、基子の妹のサキも訪れて市子に勉強を教わっています(基子とサキけっこう歳離れてそうだけどそこは気にしない)。そこに市子の甥である辰男も登場。何やら大きいリュックをしょって北海道に行くと言います。塾に行こうとして、喫茶店を出るサキ。上記のあらすじぐらいは公式サイトで知っていたので、窓の向こうで手を振るシーンは、「あぁここでさようならなんだな。お大事に」と感じてしまいました。


その直後、サキは塾帰りに誘拐されてしまいます。憔悴する大石母(名前は失念)と基子。このまま数十分ぐらい引っ張るのかなと思いきや、サキは意外と早く保護されます。体感にして十五分もなかったんじゃないかな。犯人と報道されたのは、辰男でした。身内の犯行に市子も動揺を隠せません。


そのまた一方で、リサと和道は美術館を訪れています。黒の禍々しい向日葵に見とれるリサ。ポストカードも購入し、和道に見せます。「同じ向日葵でも画家によって見出したものは違う」と語るリサ。それは「よこがお」の持つ二つの側面を示唆しているようでもありました。


再び市子。なんとこのシーンでは市子はマンションの一室で、仕事仲間の男とその子供と一緒に暮らしています(ここの子供の太り具合が実によかった)。あの殺風景なマンションは何だったの?と違和感を覚えました。そして、私のその違和感はテレビで流れるニュースで確定的になりました。そこにはサキの誘拐が報じられていたのです。これまで同じ時系列で流れていたと思っていたリサと市子の物語は実は時系列がずれていたのです。いや、その前の和道の「大石家のお母さんは一か月前亡くなった」というセリフでちょっとおかしいなとは思ってたんですよ。でも、私は同じ時系列であることを疑っていなかったので、ここで最初の驚きが来ました。


そこから動物園のシーンが流れるわけですが、ここでもリサと市子のシーンが並行して流れるんですよね。ストーリーも追わなきゃいけないし、俳優さんも観たいし、セリフも聞かなきゃだし、さらに「よこがお」というタイトルであるからには、あ、今横向いてる!あ、今正面向いた!と構図も意識しなければいけない。さらに、そこに時系列の整理まで加わってもう頭にかかる負荷が凄い。シンプルな画面なのに、情報量がとても多くて脳が疲れるんですよ。キツイ映画だとは聞いていましたけど、そういう意味でのキツさかと感じました。



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・映画後半について~明かされる衝撃の事実~



ここから映画は市子パートに重点を置いて進んでいきます。辰男が逮捕されてから少しして、市子のもとに一本の電話がかかってきます。それは記者からで「あなた何か隠してるでしょ?」といった趣旨の電話でした。何も言わず電話を切る市子。電話の向こうで記者は何かを確信したようでした。


ある日、大石家を訪れた市子。大石母から厳しい口調で話しかけられます。突き付けられたのは週刊誌。そこには市子が大石家に潜入して辰男を手引きしたという記事が掲載されていました。市子は断とした否定も出来ず、大石母に問い詰められていきます。ここも「よこがお」での会話でしたね。怖かったです。大石母の「帰れ」という言葉のまま市子は大石家から去ることを余儀なくされます。


ここからの展開がけっこう胸糞悪いものでした。市子の元にはマスコミが次々と押し掛け、その影響は職場にも。また、基子はテレビの取材に応じて、市子をさらに窮地に追い込むような発言をします。ここは流石にドン引きしましたね。極めつけに市子は仕事を辞め、結婚相手とも別れて一人になってしまいます。この結婚相手との別れ話のシーン、遠くから撮っていてセリフもなかったんですけど、深田監督のセンスを凄く感じました。


ここで、嫌なのがマスコミにも基子にも他意があったわけじゃなかったことなんですよね。マスコミはただ真相を伝えたいだけですし(もちろん生活も懸かってるだろうけど)、基子も「なんであんなこと言っちゃったんだろう」と後に述べています。この善意でやってるつもりなんだけども、そこには無自覚な悪意があるという演出が凄く居心地が悪かったです。加害者と被害者は紙一重なんだぞ、鏡合わせなんだぞ、誰だって加害者になるんだぞという。オープニングシーンやタクシー、ラストシーン等で鏡に映るリサ・市子を映していたのも、人間の善意と悪意は表裏一体なんだぞという演出なんですかね?よく分かりませんけど。


このように人間の醜い部分が描かれていて、胃がキリキリしたんですけど、特に職場での吐き捨てた後の、がやがやした雰囲気が不快でした。あそこリアルすぎる。深田監督、人間のこと、世間のことかなり疑っているんだろうなぁ。じゃなきゃこんなに雰囲気が悪い映画作れないですよ。まぁいい部分だけ見て「人間って素晴らしい!」って言っている人よりかは好きですけど。




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その後もリサと和道の濡れ場などを挟みつつ映画は進行。市子の車に赤いペンキがぶちまけられてからのシーンは、居心地が悪さが極致に達していて正直目を背けたくなりました。被害者支援センターに行ってですね、市子が事情を話すんですけど、「(被害者ではなく加害者なので)私たちにできることはほとんどありません」って言われてしまうんですよ。市子だってマスコミや基子の被害者なのに。報道に踊らされてあくまで加害者として扱いますか。個人的に最も不快に感じたシーンでしたね、ここは。自覚のない悪意がひしひしと感じられて。


そして、いくらか時間は飛び、辰男が出所するシーンとなります。ここで衝撃の事実が明かされるんですよね。それは辰男の母親が服毒自殺をしていたということ。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けました。いや、引っかかってはいたんですよ。リサめっちゃ薬飲んでたし、「あれだけ薬飲んだら死なないか?」とは感じていたんですけど、その後の筒井真理子さん四足歩行モードでかき消されてしまって。その時は流してしまったんですけど、ここにきてそう来たか!と。もしかしたら小市が騙ったリサは死んだ姉の名前なのかもですね。


ということは、この映画で筒井真理子さんは市子と、リサの一人二役を演じていたことになります。それに気づいてからはもう戦慄ですよ。市子だけで、表情や挙動でオーラを作ってセリフ外のことを雄弁に語るという離れ業を見せていたのに、リサと市子を演じ分けていたなんて。本当にベテランの貫禄といった言葉では表せないほどの凄みを感じました。特に表情ですね。タイトル通り「よこがお」だけで私たちに強く訴えかけてくるんですよ。それは、正面を向いたら言わずもがなで、特に職場の前で記者に囲まれたシーンは圧巻でしたね。本当に卓越した演技を見せていて、これ日本アカデミー賞に選ばれるのでは?というほどの熱演でした。




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・行間が多い映画なので簡単に推測してみる


リサが序盤で死んでいたという点は、この映画において計り知れないほど重要でしょう。押し入れでセックスをする市子と和道。そして、アフタートークで市子は和道に「今までの話は全部嘘」「ただ和道と寝たかっただけ」「これは復讐」と語っているんですよね。まあその後、和道に市子であることを看破されてしまうわけですが。


で、この「復讐」という言葉、観ている時は「基子と付き合っている和道をセックスすることで、基子に対する復讐」なのかなと思っていたんですけど、もしかしたら「リサが死んだことに対する復讐なのかもしれない」と観終わって思えてきました。リサが最後に見たのは和道と基子だったわけで、和道とセックスすることで、基子と和道にまとめて復讐していたのかなと。あと、自らを追い詰めた報道や世間に対しても。いろいろな意味を含んだ多義的な復讐だったのかなと感じます。


次に考えたいのが、なんでリサが自殺したのかということです。この映画における不思議な点として、なんで市子が辰男の甥だとバレたのかという点があるんですけど、結論から言ってしまえば、これリサが市子を売ったんじゃないかと私は思うんですよね。実際にリサが辰男の手引きをしていて、その罪を市子に擦り付けたと言いますか。で、匿名でボイスチェンジャーとか使って、週刊誌にタレこんだと。そして、その罪悪感から自殺した。こうすると、あの記事も説明がつきますし、〈無実の加害者〉という映画公式サイトの意味深な強調も頷けます。


まぁこれは全部推測なんですけどね。でも、この映画って情報量が多い割には、行間もめちゃくちゃ多い映画ですし、こう描かれていないことを読み取る趣深さがありますよね。一度観ただけじゃわからなかったから機会があれば、全てを知ったうえでもう一度観たいです。まぁもう一度観てもよく分からないんでしょうけど。




そして、観終わった後にこの映画の『よこがお』というタイトルに、再び戦慄するわけですよ。私たちには、リサと市子、それぞれの「よこがお」しか見えていなかったと。一側面しか見えておらず、その反対には私たちの見えない別の側面があったと。それは彼女自身も知らない悪意で、この映画のキャラクター全員にもあったと。そして、その悪意は私たちも持っていると。善意の「よこがお」の反対には悪意があると。


ここで考えたいのが、この映画には窓越し、ガラス越しのアングルが多かったんですよね。それはファーストシーンからもそうですし、マンションからリサが和道の部屋を見るという場面で印象的です。他にも洗車のシーンや売り家になった旧大石家からの視点、さらにはインターホン越しの会話もありましたよね。これだけ窓越しのシーンが多かったのには、何か意味があるはずだと。最初は私たちの目というメタファーなのかなとも思いましたが、考えていくうちにピンとくるワードが一つありました。それは「ジョハリの窓」です(というかこれしか考えつきませんでした)。




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ジョハリの窓



これを見れば一目瞭然だと思うのですが、この映画で表れていたのって「秘密の窓」や「未知の窓」に属する部分なんですよね。それは、他人からは知られていなかったり、自分でも知らない悪意です。特に「未知の窓」に属する未自覚の悪意というものが、この映画のベースとなっていて、それが居心地の悪さに繋がっていたと思います。


また、「横顔」を手元の電子辞書で引くと「あまり他人に知られていない一面」という意味も掲載されています。これも「秘密の窓」「未知の窓」に共通しているのではないかと考えられます。「開放の窓」は多くは善意といった人間の良い部分でしょう。でも、その反対、「よこがお」の裏には「秘密の窓」や「未知の窓」には人知れぬ悪意が息を潜めているんだぞということをここからも読み取ることができるかと。




さて、窓というのはガラスでできています。そして、鏡もガラスでできています。前述したようにこの映画には鏡越しのシーンもいくつか登場しました。ここで考えたいのはラストシーンです。この映画はサイドミラーに鏡越しに映る市子を映したまま終わります。このように終わったのは、無理やりに考えるとサイドミラー→車の「横」にある→「よこがお」ということなんでしょうが、もう一つ意味があるように思えるんですよね。


このラストシーンの前、市子は信号待ちをしています。そこに現れたのは看護師になった基子。しゃがんで何やらガラス片を拾っています。そして、ギアをドライブにし、ブレーキから足を離す市子。轢かれてしまうとヒヤヒヤしましたが、市子は文字通りブレーキを踏み、思いとどまります。一線を超えなくて本当によかった。


そして、盛大にクラクションを鳴らして自己の存在を知らせた後に、鏡越しの市子で終わりという幕引きなのですが、ここで考えたいのが鏡が表す二面性。前述したように、私はこの映画における鏡は、善意と悪意は表裏一体ということを表していると考えます。この時点での市子は基子を轢こうとした、つまり悪意がありました。しかし、思いとどまったということは、轢くことはないという善意が市子の中に芽生えたのではないでしょうか。それが鏡越しのラストシーンに現れていると私は感じます。


さらにうんと飛躍すれば、それは多くを失い、前のシーンで入水自殺を仄めかすほど絶望していた市子が、それでも生きていくという微かな希望を手に入れたシーンであると言えるのではないでしょうか。絶望と希望も実は合わせ鏡なんだと。筒井真理子さんの表情はシリアスでしたが、この前向きなラストは私は好きですね。着地すべきところに着地してくれて、心からよかったと思いました。居心地が悪く、複雑で、一回観ただけでは全容を把握しきれない映画『よこがお』ですが、私はお勧めしたいです





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あと、これで本当に最後なんですが、ツイッターで深田監督が「劇場用の音設計にした」みたいなことを言っていたじゃないですか。それはラストでけたたましくクラクションを鳴らしていたことからもはっきりと感じ取れたんですけど、この音に関することで一つ聞きたいことがありまして。私が観たときには中盤の動物園の前のシーンくらいから、鳥のさえずりがアラームのように聞こえてきたんですよ。右上の方から。


かなりの長い時間さえずっていて、エンドロールに入ってもさえずっていて、「これ演出かな?だとしたら凄いな」と思ってたんですけど、映画が終わって明るくなっても、まだしばらくさえずってたんですよね。さすがにスタッフの方に確認してしまったぐらい。これって本当に演出だったんですかね?その辺分かる方は教えていただけると幸いです。





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以上で感想は終了となります。映画『よこがお』、簡単ではないですが良質なサスペンスとなっていますので、興味のある方は観てみてはいかがでしょうか。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。

おしまい



よこがお
深田 晃司
KADOKAWA
2019-07-19



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こんにちは。これです。もう9月も終わってしまいますね。季節も完全に秋です。


そんな秋深まる中、私は今日も映画を観に行っていました。今回観た映画は『任侠学園』。正直に申し上げますと、他にちょうどいい時間帯で見られる新作がやっていなかったので、消去法での勧奨となってしまったのですが、これが想像以上にいい映画でした。びっくりするくらいいい話だったんですよね。


では、それも含めて感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。





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―目次―

・キャストについて
・キャラクターに愛着を持たせるためのギャグが満載
・最後は学生である彼らに委ねる阿岐本組のスタンスよ






―あらすじ―

困っている人は見過ごせない、義理と人情に厚すぎるヤクザ”阿岐本組”。
組長(西田敏行)は社会貢献に目がなく、次から次へと厄介な案件を引き受けてしまう。今度はなんと、経営不振の高校の建て直し。いつも親分に振り回されてばかりの阿岐本組NO.2の日村(西島秀俊)は、学校には嫌な思い出しかなく気が進まなかったが、“親分の言うことは絶対”!子分たちを連れて、仕方なく学園へ。待ち受けていたのは、無気力・無関心のイマドキ高校生と、事なかれ主義の先生たちだったー。

(映画『任侠学園』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。











・キャストについて


この映画で主人公である日村誠司を演じたのは、西島秀俊さん。凛々しい立ち姿と低い迫力のある声には、ヤクザ感がありシンプルに怖い。でも、鋭い目つきから発せられる、気の抜けたセリフにはギャップがあり、思わず笑ってしまいました。自らを拾ってくれたおやっさんの言うことは絶対で、その振り回される困惑っぷりも面白かったです。それでも、キメるところはちゃんとキメていてカッコよくて満足です。終盤のカタギの解釈と、そこからの乱闘及び強がるシーンは痺れました。


続いて、阿岐本組の組長である阿岐本雄蔵を演じたのは、ご存じ西田敏行さんです。柔らかな外見とは裏腹に、重々しい口調がズシンと来て、これは逆らえないなという迫力がこれまた普通に怖い。特に終盤の白竜さんとの交渉のシーンなんて、間の取り方や声のトーンから全てに至るまで言い表せない緊張感がありました。でもここ『アウトレイジ』っぽくて、私は観てないですけど、ご存知の方には笑えるシーンなんでしょうね。照明がバッチリついたメチャクチャ明るい部屋で交渉するのが、今までになく新鮮でした。


他にも阿岐本組の組員は全員がいいキャラクターをしていて二ノ宮稔(伊藤淳史さん)は、小物感があってよかったですし、三橋健一(池田鉄洋さん)は、まっとうに怖くて料理をする姿との落差が凄かった。志村真吉(佐野和真さん)はチャラい見た目に反して友情に厚いところを見せてくれましたし、市村徹(前田航基さん)は、阿岐本組のマスコットのように思えて愛くるしかったです。カレーを食べるシーンや「どうぞ!」の件に代表されるようにとても仲が良く、がっちりとした信頼関係に基づいている。「カタギには手を出さない」というルールもあり、安心して観ていられることができます。




でも、この映画で私が一番いいなって感じたのって、葵わかなさんだったんですよね。学園一の問題児である沢田ちひろを演じていたんですけど、それがもうむっちゃ可愛くて。もちろん、葉山奨之さんや桜井日奈子さんと言った他の学生役の方も良かったんですけど、この映画の葵わかなさんが個人的にめちゃくちゃツボでして。


葵わかなさんと言えば、朝ドラの『わろてんか』で脚光を浴び、その後も様々な映画やドラマ等に出演しているんですが、正直私そのどれも観たことなくて。朝ドラをはじめとしたドラマはあまり見ない人間ですし、『くちびるに歌を』は観たんですけど、そこまで目立つ役柄ではなかったように記憶していますし。今回、初めてちゃんと葵わかなさんを観たという感じなんですが、今まで観てこなかった自分を恥じるくらいの存在感を放ってました。


まずですね、ちひろの少し攻撃的な雰囲気とタメ口が、髪を短く切った葵わかなさんのサバサバした雰囲気にマッチしているわけですよ。初登場シーンの威勢の良さで、これはいいんじゃないかと思ったのも束の間、ガラスを割るシーンで見せる複雑な表情に虜になってしまって。球根を植えるシーンで日村に心を許してからの、あの距離感は大好きですし、ダンスをしている写真はハッとするほどアクティブでした。いや、これ現時点での葵わかなさんの代表作になるのでは…?というほどの勢いです。こんな魅力的な女優さんだったんですね…!今まで観てこなくてすみませんでした…!いや、本当『任侠学園』の葵わかなさんはぜひ多くの人に観ていただきたいなと思う次第です。プッシュしていきたいですね。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・キャラクターに愛着を持たせるためのギャグが満載



さて、『任侠学園』のジャンルは公式サイトでは"世直し"エンタテインメントと謳われています。その言葉通り、『任侠学園』は紛うことなき娯楽映画でした。


まず、特筆すべきはそのギャグの多さです。最初にタバコを吸うのかと思わせておいての綿棒。Vシネ通りに割れないビール瓶(水曜日のダウンタウンで検証していたヤツだ...!)等々、隙あらば!という勢いで随所にギャグを投入していきます。ドスのシーンは分かっていても笑ってしまいましたしね。いい展開になりそうなところをあえて外して、日村をへこませるなど、ただのギャグではなく、キャラクターに愛着を持たせるためのギャグになっているところがまたいいんですよね。


例えば、豚の頭の照り焼きを日村が組員に食べるように勧めますが、みんな避けるところ。稔が徹に服をプレゼントしているのに、徹は着ないところ。「どうぞ!」の件もそうですけど、こういった小さなギャグの積み重ねで阿岐本組の関係性を描いていくのは上手いなと。小さなギャグがあることでヤクザであるはずの阿岐本組がとても微笑ましく見えてくるんですよ。本当にいい人たちばっかりで、観終わった後、阿岐本組にまた会いたいなと思ってしまいましたからね。この点で『任侠学園』は大勝利でしょう。





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それに、阿岐本組が誇張なくマジで良いヤクザというのもいいですね。義理人情に厚くて、弱きを助け、強きをくじく任侠道を貫き通す様子は、現代のヒーローそのものと言っても過言ではありません。シノギは商店街の見回りで、治安を守ることで収入を得ていますからね。さらに、学園の前も浴場や美術館などを立て直しており、社会貢献もそんじょそこらの企業よりしています。本当にこの人たちヤクザか?と思わず疑わずにはいられないほどです。


でも、手元の電子辞書を引いてみると「やくざ」というのは「役に立たないこと。まともでないこと。つまらないこと。また、そのさま。そのようなものをもいう」と説明されていて、公序良俗に反する行為とは、何一つ書かれていないんですよね。つまり道徳を遵守して、誓って犯罪行為をしないヤクザがいても別にいいんじゃないかと。全くのフィクションですけどね。(ちなみに「暴力団」は、「暴力あるいは暴力的脅迫によって自己の私的な目的を達しようとする反社会的集団」と説明されており、社会貢献を目的としている阿岐本組はこれにそぐわないと言えるでしょう)


でも、ヤクザっぽい雰囲気は校長先生との初対面のシーンや、半カタギの小日向とのシーン、その小日向のバックについている隼勇会の組長・唐沢とのシーンなど随所にビンビンに出ていましたね。白竜さんが出るとVシネ感が500倍くらいに増します。でも、特徴的なのがこれらのシーンって日中の太陽が差す明るい部屋の中で行われていたんですよね。Vシネだと蝋燭の灯りが照らす暗い部屋みたいなイメージがあるので、結構新鮮でした。阿岐本組のしている行為はお天道様に顔向けできる真っ当な行為だということを強く印象付けていたと思います。この辺りもこの映画のスッとする味に繋がっていて好きですね。




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・最後は学生である彼らに委ねる阿岐本組のスタンスよ


『任侠学園』で、阿岐本組が経営再建を任された仁徳京和学園高校は、ランクで言えば中の中の中といった平均的な高校です。創立以来、大きな問題は起こっていません。しかし、思春期特有の行き場のない感情は、この高校にも渦巻いていました。


高校では、ガラスが割られる事件が頻発しています。夜な夜な窓ガラスが割られる描写は少し古臭さを感じますが、事態は深刻。そこで、阿岐本組は犯人を探し出して、日村は説教を行います。その時犯人が言ったガラスを割った理由は「なんかすっきりするから」でした。行き場のないモヤモヤした感情が、窓ガラスを割るという行為によって発散されていたのです。


『任侠学園』で、主に描かれていた行き場のない感情は言葉にすると、何かをしたいけど何をすればいいのか分からない。失敗するのが怖くて始めから諦めてしまうというものだったように私は感じます。犯人たちはもちろん、ちひろも、ちひろを撮るカメラ小僧・祐樹も、生徒会員の優等生・美咲も抱えていました。


でも、それを助けるのが”役に立たない”ヤクザである阿岐本組っていうのがいいんですよね。阿岐本組が社会貢献をする姿勢は、組長である雄蔵の「俺たちは日陰者で、花道を歩けるような人間じゃないから、その分人様の役に立たなければいけない」という考えに基づいたものでした。これめっちゃ良くないですか。”役に立たない”ことを自覚しておいて、それでもなお”役に立ちたい”って言っているんですよ。これってもう自らの存在を世の中に認めてもらおうとする切実な叫びじゃないですか。で、叫び続けた結果、”役に立たない”ヤクザが”役に立つ”という反転現象が起こっているわけで。それってとても理想的で気持ちいいことなんだなって感じました。




しかし、この映画で大切なのが、阿岐本組がすることが場を整えたり、背中を押すだけにとどまっていること。結局、最後の一歩を踏み出すのは自分自身なんですよね。「一歩踏み出せば、世界は簡単に変わる」と日村も言っていましたし、この最後は学生である彼らに委ねる姿勢は全面的に肯定したいです。行動した結果、たとえ上手く行かなくても得られる何かがあるということも描いていますし、悩んでいる人を勇気づける映画でもあるのかなと感じます。


まあこれって綺麗事なんですけど、フィクションでくらい綺麗事が見たいじゃないですか。綺麗事に勇気を貰いたいじゃないですか。最後なんてベッタベタにベタな展開なんですけど、私少し泣きそうになってしまいましたからね。こんないい映画だとは思いませんでしたよ。


本当、『任侠学園』は観る前は少し訝しんでいたんですけど、観終わった後には素直に良い映画だったと思える映画でした。行き場のない感情が微粒子レベルで渦巻いている現実にも阿岐本組がいてくれたらなと思います。エンドロール中も、エンドロール後にもお楽しみがあるので、ぜひ最後まで席を立たずに観ていただきたいですね。続編も期待しています。原作はまだ3冊あるのでネタは十分。やってくれるならまた観に行きますよ。私は。阿岐本組をまだ観ていたいので、よろしくお願いします。




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以上で感想は終了となります。映画『任侠学園』。ギャグも多いですし、多くの人が楽しめる映画だと思います。西島秀俊さんや西田敏行さん、葵わかなさんをはじめ俳優陣も魅力的ですし、観て損はないかと。興味があればぜひご覧ください。オススメです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


任侠学園 (中公文庫)
今野 敏
中央公論新社
2012-01-21



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こんにちは。これです。いきなりですが、今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『見えない目撃者』。吉岡里帆さん主演の映画です。評判がかなり良くて、気になったので観てきました。で、実際観たところぶっ刺さりましたね。めっちゃ好きです。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章の上、最後の方は変なテンションになっていますが、何卒ご笑覧いただければ幸いです。よろしくお願いします。




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―目次―

・俳優さんはいいけど、作品自体は正直あまり…
・インザダークの人々の物語になっているのが超好き!
・私はこういう映画が観たいんだよ!!





―あらすじ―

日本中を震撼させる女子高生連続殺人事件。
唯一の手がかりは、目の見えない目撃者だった――


警察官として将来を有望視されながら、自らの過失による事故で視力も大切な弟も失い、失意の底にあった浜中なつめ(吉岡里帆)は、ある夜、車の接触事故に遭遇。なつめは慌てて立ち去る車の中から助けを求める少女の声を耳にするが、彼女の訴えは警察には聞き入れてもらえない。視覚以外の人並外れた感覚、警察学校で培った判断力、持ち前の洞察力から誘拐事件だと確信するなつめは、現場にいたもう一人の目撃者高校生の国崎春馬(高杉真宙)を探し出す。

事件に気づきながら犯人を見ていない目の見えないなつめと、犯人を見ていながら少女に気づかなかった高校生の春馬。
“見えない目撃者”たるふたりの懸命の捜査によって、女子高生連続猟奇誘拐殺人事件が露わになる。
その真相に近づくなつめたちに、犯人は容赦なく襲いかかる。絶命の危機を前に、彼女らは、誘拐された女性を助けることができるのか。

「わたしは、あきらめない」



(映画『見えない目撃者』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。






※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。










・俳優さんはいいけど、作品自体は正直あまり……


まずはじめに。『見えない目撃者』は2011年の韓国映画『ブラインド』のリメイクとなります。主人公・浜中なつめの目が見えないという設定や、事件をもう一人の目撃者と共に解き明かしていくという基本構造は一緒ですが、『見えない目撃者』では、多くの部分に改変が加えられていました。まず、最初のシーンからして違いますしね。オリジナル版では、最初はダンスバトルのシーンなんですけど、この映画では、なつめの警察学校での訓練の様子が描かれています。


夜中に出歩いている弟を連れ戻しに行くなつめ。しかし、そこで事故を起こしてしまい弟と自らの視力を失ってしまいます。ここはオリジナル版と大体同じですね。この映画で、主人公である浜中なつめを演じたのは吉岡里帆さん。これまではどちらかと言うと明るい役が多く、コメディエンヌといった印象でしたが、この映画ではそれが一変。真面目な面持ちで真相に迫ろうとする姿には、今までの面影は感じられず、まさに新境地といった印象を受けました。


視覚障害者の演技もよかったですし、見えないのにこちらを見透かされているような目力の強さ。『ホットギミック』でもそうでしたけど、吉岡さんにはもしかしたらシリアスな役柄の方が、見た目から受ける明るさとのギャップがあっていいかもしれませんね。あと、オリジナル版のキム・ハヌルに雰囲気がよく似ていますし、スリラー映えするという意味でもよかったと思います。


夜道を歩くなつめ。車から「助けて」という女性の声を聞きます。しかし、車は走り去ってしまい、女性は誘拐されてしまいます(ここオリジナル版ではひき逃げでした。事件の入り口からして違います)。警官に証言をするなつめですが、見えていないということもあってイマイチ信用されません。もう一人の目撃者を探し出して、証言を補強しようとしますが、もう一人の目撃者・国崎春馬となつめの証言は食い違い、事件の捜査はいったんは終えられてしまいます


しかし、確かに助ける声を聞いたと納得がいかないなつめ。春馬と一緒に事件の真相に迫り始めます。今回、なつめとコンビを組む国崎春馬を演じたのは、高杉真宙さん。オリジナル版では、あまりかっこよくなかったもう一人の目撃者でしたが、リメイクに当たってイケメンに改変されていますが、抜擢された高杉の演技がまたよかったんですよね。振り回されている間、付き合わされている感満載で。小さくない悩みも抱えていますし。でも、映画が進むにつれて主体的に参加するようになっていって。顔つきも凛々しい方向に変わっていったのが好きでした。




そして、ここからはなつめと春馬とのコンビが事件を捜査していくのですが(春馬暇すぎじゃない?というツッコミはある)、一つ言っておくと、この映画ってR15+なんですよね。これはどういうことかと思っていたんですけど、映画の中で耳だったり鼻だったり手だったり、人体の一部がえぐり取られた後の姿が映るんですね。これちゃんと理由があってのことなんですけど、まあまあグロかったので、これはR指定入るなと。ただ、個人的にはPG12でもいい気はしましたけどね。直接的なシーン1つしかなかったわけですし。


また、この映画はオリジナル版とはかなり違っているんですけど、要所要所で同じところもありまして。まず地下鉄のシーンですね。あのシーン、春馬がなつめの目になって犯人から逃げるといったシーンなんですけど、ここオリジナルと同じように手に汗を握りました。さらに、犯人とのラストバトルの構図も大体一緒。刑事二人がやられてしまうのも既定路線ですし、春馬が刺されてもなお犯人に抵抗しようとしがみつくのも一緒です。ちなみに、ここ停電の時に犯人がかざすのが、オリジナルではライターの火なんですけど、この映画ではスマートフォンの懐中電灯アプリで、現代風にアレンジされていましたね。こういった諸々含めてオリジナルの再現度は40%ぐらいといったところでしょうか。基本別物です。


ただ、なつめと春馬のコンビが事件を追っていくという展開はいいのですが、いかんせん説明が多すぎます。警察でのシーン全般とか、欠損したぬいぐるみとか。特に犯人が明らかになる時の國村隼さんの説明は要らなかったんじゃないかなぁ。いかにも結論ありきで進めている感じはどうしてもしてしまったので、ミステリーとしては正直あまり良いものではないと思います。サスペンス要素はいいですけど、犯人が分からない以上完全なサスペンスではないし...。緊張感はあって、吉岡さんをはじめとした俳優さんも概ねよかったんですけど、ただ作品自体の評価はそこまで高くないかと...。


でも、私はこの映画が好きなんですよね。それはこの映画で描かれた物語が好きだからです。




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・インザダークの人々の物語になっているのが超好き!


この映画とオリジナルの大きな相違点。それは、この映画がインザダークの人々の物語であるということです。この映画って光を求めて暗闇の中でもがいている人の物語なんです。


オリジナル版からこの映画に付け加えられた要素として、被害者のパーソナリティへの言及と言うものがあります。この映画での被害者は、家出少女でした。親に関心を向けてもらえず、家出をしてネットカフェで暮らし、風俗に辿り着く少女たち。犯人は、殺しても身元が明かされることはない彼女たちを狙って誘拐と殺害をしていました。親に認めてもらえず、その日暮らしの彼女たちには、明るい未来なんて見えるはずもありません。光が見えず、暗闇の中にいます。


そして、これは春馬も同様でした。この映画で新たに付け加えられたシーンとして、春馬の三者面談のシーンがあります。ここで春馬の親は登場せず、春馬自身にもやりたいことは特にありません。先生からは「ほっとけば社会のレールから外れるお前みたいな人間には構いたくない」と言われてしまいます。春馬もまた未来への展望が描けず、暗闇の中にいます。


目の見えないなつめと、未来の見えない春馬や家出少女たち。ここで、両者が「見えない」という点で疑似的ではありますが、同一の存在になっているんですよ。この構造が、私めちゃくちゃ好きで。オリジナル版に「機能の障害ではなく、心の障害」というようなセリフがあったんですけど、まさにこれなんですよ。「見えない」というのは、春馬や家出少女にとっては心理的な現象で、本当のバリアは心の中にあるんですよね。この映画ではそれに対する言及はなかったですけど、この点でオリジナル版の精神を踏襲していると感じました。


ただ、家出少女たちにも救済が訪れます。それは「救様」といって自らを風俗の世界から連れ出してくれる存在。暗闇の中にいる彼女たちにとってはようやく見えた光で、そこに向かっていくのは至極当然のことです。ただ、結果的に彼女たちは殺されてしまうんですよね。救いの光なんてない。お前らはずっと暗闇の中にいるしかないと突き付けられているも同然のきつい展開です


ちなみに、この事件は儀式殺人で「六根清浄」という仏教や神道の概念に基づいていました。目、口、鼻、耳、手、意識の六つを清らかにすることで、完全に調和した理想的状態に至るという。ここ非常に日本っぽいなって感じましたね。だって、オリジナル版が作られた韓国って儒教ですもの。日本ならではの改変ですね。




あの、この映画で凄く、分かる!ってなったセリフがあったんですけど。それが映画の終盤で犯人が言った「俺は世の中にも自分にも絶望している」というもの。分かるわー、めっちゃ分かるわー。私もヘイトが渦巻くこの世界が嫌いですし、何より世界を嫌っている自分が嫌いですからね。


それに、今ってコミュニケーション能力が人間にとって、一番大事な能力みたいに捉えられているじゃないですか。でも、私全然人と話せないんですよね。というか人が全く信頼できなくて。失礼なこと言って殴られるんじゃないか。どこに怒りのツボがあるか分からない点で、すぐ噛みついてくる野犬と同じだよなーとか思っているので。人が信じられる人ってどんな人生歩んできたんだろうって疑問に思うんですよね。だって私にとっては人が信頼できないのが普通ですし。あと、単純に人の話し声がうるさくて嫌ですし。


でも、話している人を見ていると自分が置いてけぼりになっている感じがバリバリにするんですよ。話せてるからチャンスもらえて、成長できんだろうなーみたいな。暗闇の中にいる感覚がずっとあるんですよね。たぶん生まれた時からずっと。仕事も単純作業で給料低いし、この先上がる見込みもそんなないし。何のスキルも身につかないで、年ばっかり取って。坂を転げ落ちている感覚があって、これからも落ちる一方なのだから、一番高いところにいる現時点で終わらせた方がいいのではないかということはいつも思っています。明るい未来なんて全く見えてないですし、春馬や家出少女の気持ちが痛いほどわかるんですよね。




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・私はこういう映画が観たいんだよ!!


しかし、この映画ではその犯人の台詞に対する返答としてなつめが「私は諦めない!世の中も自分も!」って言ってるんですよね。これマジで強くないですか。弟を失って盲目になって、この映画で一番辛い思いをしているなつめが!私なんかよりずっとずっと辛い思いをしているなつめが!「諦めない!」って言ってるんですよ!光が無くても、救済が無くても「諦めない!」ですからね!もう最高のシーンでしたよ!


で、またいいのが最終的になつめが誘拐された家出少女を救っていることなんですよね!救いなんてはねのけたなつめが、救いを求める家出少女を救っているこの構図!諦めとはまた違う現状の受容と、それを上回る強い意志が、人の命を救っているんです!その後の手を握って「ありがとう」というシーンは言葉にならないくらい良くて!しかもこのシーンオリジナルにはないので、本当にナイス改変ですね!


それにラストシーンも最高で!春馬が「俺、警察官になる」って言うんですよね!これオリジナルと同じ展開なんですけど、春馬のバックボーンを描いたこの映画では感動が段違いですよ!暗闇の中でもがいていた春馬に、光が差した気がしてとてもいい!なつめも壁を一つ乗り越えていて、二人の心のバリアが取っ払われたシーンでめっちゃいい締め!盲導犬も死んでない!好き!




これは暗闇にいる私だからこそ思うんですけど、明るいところにいる人間なんていないのでは?みんな暗闇の中でもがいているのでは?そういった意味では盲目のなつめと私たちは何も変わらないのでは?私たちは世界をちゃんと見られている?半径5メートルの世界じゃなくて、スマートフォンの画面に映る世界じゃなくて、もっと広い世界を!見る世界が広がれば、光ももしかしたら見つけられるのでは!?


もうね、この映画は「私は諦めない!世の中も自分も!」というセリフに集約されると思うんですけど、私が観たいのってまさにこういう映画なんだよ!自分も世界もいいものでは決してないけど、それでも諦めず生きていくっていうのが!文句なんてあるはずもないわ!作品自体の評価は100点満点中60点くらいだけど、きわめて個人的な謎の加点+20000点がついて、結果的には100点満点中20060点!大好き!作ってくれてありがとう!


これを読んでいるあなたも、自分が暗闇にいると感じているなら、必ず響くはず!ぜひ観てね!オススメ!!




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以上で感想は終了となります。映画『見えない目撃者』、気になるところはありますが、刺さる人にはぶっ刺さる映画だと思うので、これを読んでいるあなたが刺さる人かどうかは分かりませんが、興味があれば観てみることを勧めます。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


見えない目撃者 (小学館文庫)
豊田 美加
小学館
2019-09-06



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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『アイネクライネナハトムジーク』。伊坂幸太郎原作の小説を、今泉力哉監督で映画化した作品です。今泉監督と言えば4月の『愛がなんだ』がとても好きな映画だったので、今回映画の存在を知ったときから、観ようと心に決めて楽しみにしていました。原作も珍しくちゃんと読みましたしね。原作だけで面白く、これをどう映画化するのかと考えると期待しかありませんでした。


で、観たところ、こちらの大きな期待を上回るほどの作品でした。あまり使わない言葉を使わせてもらうと、「傑作」です。では、その感想をこれから書いていきたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―

・10年前の話である前半パート
・現在の話である後半パート
・出会いやきっかけは愛おしいが、いいことばかりではない
・終わりに





―あらすじ―

仙台駅前。大型ビジョンを望むペデストリアンデッキでは、日本人初の世界ヘビー級王座を賭けたタイトルマッチに人々が沸いていた。そんな中、訳あって街頭アンケートに立つ会社員・佐藤(三浦春馬)の耳に、ふとギターの弾き語りが響く。歌に聴き入るリクルートスーツ姿の本間紗季(多部未華子)と目が合い、思いきって声をかけると、快くアンケートに応えてくれた。紗季の手には手書きで「シャンプー」の文字。思わず「シャンプー」と声に出す佐藤に紗季は微笑む。

元々劇的な〈出会い〉を待つだけだった佐藤に、大学時代からの友人・織田一真(矢本悠馬)は上から目線で〈出会い〉の極意を説く。彼は同級生の由美(森絵梨佳)と結婚し、2人の子供たちと幸せな家庭を築いている。変わり者ながらも分不相応な美人妻と出会えた一真には不思議な説得力がある。佐藤は職場の上司・藤間(原田泰造)にも〈出会い〉について相談してみるが、藤間は愛する妻と娘に出て行かれたばかりで、途方にくれていた。一方、佐藤と同じく〈出会い〉のない毎日を送っていた由美の友人・美奈子(貫地谷しほり)は、美容室の常連客・香澄(MEGUMI)から紹介された、声しか知らない男に恋心を抱き始めていた。
10年後―。織田家の長女・美緒(恒松祐里)は高校生になり、同級生の和人(萩原利久)や亜美子(八木優希)と共にいつもの毎日を送っている。そして佐藤は、付き合い始めて10年になる紗季に、意を決してプロポーズをするが…。 果たして佐藤と紗季の〈出会い〉は幸せな結末にたどり着けるのか。美奈子の恋は、藤間の人生は―。思いがけない絆で佐藤とつながっていく人々が、愛と勇気と幸福感に満ちた奇跡を呼び起こす。


(映画『アイネクライネナハトムジーク』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。








※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。











・10年前の話である前半パート


この映画は、街頭アンケートをする佐藤のシーンから始まります。過行く人々に必死でアンケートを依頼する佐藤でしたが、誰にも気にかけてもらえません。この佐藤を演じたのが三浦春馬さん。爽やかオーラ全開のイケメン俳優さんですが、短髪に切り揃えた今回はどうみても一般人。オーラなどどこ行ってしまったの?と思うくらいありふれた佐藤でした。さすがは日本で一番多い苗字。その凡庸さよ。でも、イジメられている中学生を助けるのはなかなかできないよなぁ。カッコいい三浦さんもこの映画では十分に堪能することができます。あと、2㎞ぐらいひた走るのでそちらにも注目です。


ここで斉藤さんという謎のストリートミュージシャンが歌う「小さな夜」が流れ、引きで仙台駅を映しておいてタイトルの登場。原作ならばこの次に紗季と出会うのですが、映画ではなんと順番が入れ替わり、映画館にはドライヤーの音が流れます。スクリーンに映ったそこは美容室で、客の板橋香澄と美容師の美奈子が会話をしています。「出会いがないから彼氏がいない」と漏らす美奈子。香澄は自分の弟に美奈子に電話をさせるように言い、美奈子は電話の向こうの相手に恋をしてしまいます。名前も知らないのに。この映画で美奈子を演じたのは貫地谷しほりさん。前半は恋する乙女、後半は夫に理解のある妻として、二つの顔を見せていて、そのどちらもがよかったです。ゴキブリに慄くところ可愛かった。


で、実はこの美奈子のエピソードというのは、原作では2話目の『ライトヘビー』で描かれていて、順番が変わっているんですよね。原作では5本の短編と、それらをまとめるプラス1本という構成だったのですが、映画では一本の物語にするために、だいぶ大きな再構築がなされています。例えば、原作ラストの『ナハトムジーク』。こちらは現在、9年前、19年前とが混在するエピソードなのですが、映画ではこの19年前のエピソードが、ところどころに散りばめられています。佐藤がいじめっ子を助けるシーンや、佐藤の上司の藤間がボクシングのチケットをオークションで落としたというのがそれに当たりますね。さらに、映画同様にそれぞれのエピソードもいくつかの改変がなされていて、そのどれもがとても好きで、映画の感動をより高めていると感じたんですけど、それはまた後ほど。




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佐藤は大学の同級生である織田一真の家にやってきます。ノリと勢いと他人の助けでなんとか生きてきたような男・織田一真を演じたのは矢本悠馬さん。日頃からその軽薄な性格と裏に見せる思慮深さで、多くの邦画を支えてきた矢本さんですが、この映画でもそれは健在。他の人が思っていても口に出せないようなことをバンバン言っていて物語を引っ張っていましたね。


そして、その織田一真の妻・織田由美を演じたのは、森絵梨佳さん。大学時代は学校のヒロインとみなされていましたが、それも納得の華がありました。その一方で2児の母であり、家庭的な側面も見せていてよかったですね。細かいですけど、「子供を家に置いていくわけにはいかない」と言ったところ、まさにお母さん!という感じがしました。腹が痛いからと居酒屋を休む子供のような一真の面倒を、やれやれながらも見ていたのも良きです。


一真は佐藤のことを「ソロ活動中」と称します。それに対する佐藤の反論は、「出会いがないから」という美奈子と同じものでした。「劇的な出会い」を望む佐藤を、そんなもんないと一蹴する一真。別のシーンで「『自分が好きになったのが、この女の子で良かった。俺、ナイス判断だったな』って後で思えるような出会いが最高だ」と、一真的出会いの真髄を語ります。


そして、いよいよ佐藤は紗季と出会います。それはたまたまアンケートに答えてくれただけの、劇的でもなんでもない出会いでした。ここ斉藤さんの「小さな夜」が再び流れたんですけど、映画的演出として最高だったと思います。この映画で紗季を演じたのは多部未華子さん。こちらもグレーのスーツに後ろで縛った髪と、本当に通行人と変わらないくらいの存在感でした。オーラを三浦さん同様に消していてたのは凄いなと。それでも、レストランとかでのちょっとした仕草が可愛かったですね。鉢植えに水をあげるところ好きです。




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一方、電話越しの相手(自称・事務職)との交流を続ける美奈子。しかし、ある時を境に相手からの電話はなくなります。それを香澄に相談すると、電話相手は今度のライトヘビー級タイトルマッチで、挑戦者のウィンストン小野が勝利すれば、美奈子に告白すると言います。それを聞いて「他力本願じゃん」と言う美奈子。しかし、電話相手の正体はそのウィンストン小野でした。ウィンストン小野は勝利時のインタビューで、「次の挑戦はある女性に会うことです」と述べます。


感動的なシーンですが、実は原作ではここに至るまでに、いくつかエピソードがあるんですよね。斉藤さんも何度か登場して、「小さな夜」以外の歌を歌っています。このカットは2時間という尺に収め、映画ならではの見せ場を作るための英断ではあるのですが、興味のある方は原作もチェックしてみてください。


しかし、ウィンストン小野はその後の防衛戦で敗戦。人気のないジムで手紙を読み、それを美奈子が見つめるというシーンで、この映画の前半は終了します。この映画は10年前と現在の2部構成になっていて、その10年後とスクリーンに映った後、後半がスタート。舞台は一転し、高校となります。




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・現在の話である後半パート


10年後のとある高校。合唱コンクール用に生徒たちが歌を練習しています。音程を外す男子生徒に注意する先生。これに異を唱えるのが、萩原利久さん演じる久留米和人です。和人はペコペコ頭を下げている父親を見て、「社会の歯車にはなりたくない」と言ってしまうようなこれまた典型的な高校生。これに、萩原さんの持つイケメンなんだけど、どこか影のある感じが絶妙に馴染んでいたと思います。


ある日、和人はクラスメイトの美緒に声を掛けられます。彼女が言うには駐輪場の料金60円をちょろまかした犯人を一緒に捕まえてほしいと。この美緒を演じたのは恒松祐里さん。少しきつめの演技なんですが、それが美緒の意志の強さに現れていて好きでした。駐輪場で張っていた二人は犯人を発見。指摘する美緒に、食い下がる犯人。うろたえる和人ですが、ここで現れたのが父親である邦彦。犯人に「この子がどなたの娘かご存知ですか」と、それとなく脅し、事態を解決に導きます。


実はここも原作から大きな改変がなされているんですよね。このエピソードは原作では4話目の『ルックスライク』という話で描かれているんですが、原作では深堀先生というキャラクターが登場するんです。まず、20年前、ファミレスで深堀先生(旧姓:笹塚)が、バイト先のファミレスでクレーマーに絡まれているときに、邦彦が「この子がどなたの娘かご存知ですか」と言って事態を収束させたといういきさつがあるんですね。で、現在になってピンチの二人の前に現れたのは、原作では邦彦じゃなく深堀先生なんですよ。いわば、映画ではステップが一つ省かれているんです。これは群像劇というよりも恋愛劇の色が濃い映画版において非常に効果的だったと思います。




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『アイネクライネナハトムジーク』では、原作と映画で同じく「出会い」がキーワードになっています。劇的な出会いでなくても、人は知らず知らずのうちに出会っている。そのことが何よりも愛おしいというのは原作と映画で共通しているスタンスですが、映画ではさらに独自のキーワードを入れています。それは「きっかけ」です。この「出会い」と「きっかけ」は「始まり」という点で共通しています


映画では原作ではあまり描かれなかった、佐藤と紗季が再会して10年後の様子が描かれています。砂糖の不器用なプロポーズや二人のすれ違いが見られて、恋愛劇の印象が強まっていますが、このオリジナル展開で紗季はこの映画のキーとなるようなセリフを口にします。それは「人間、年を取ってくると色々なことに慣れてしまうから、何かきっかけがほしいんだよ」(意訳)というものです。


この映画では様々なきっかけが描かれています。それらのほとんどは、目にも留められない微かな出会いです。しかし、ちょっとしたきっかけが人生を大きく変えてしまう様子が、この映画では描かれていました。それは、ウィンストン小野とある少年の出会いです。


少年は同級生からいじめられていました。それを助けたのが、佐藤であり、現場には一真と小野も駆けつけています。耳が聞こえづらく、姉とは手話でやり取りをする少年。そんな少年に小野はボクシングをしてみてはどうかと提案します。少年の目の前でシャドーボクシングを披露する小野。その場にいる全員が折れなかった木の棒を容易く折ってみせる小野。小野に憧れ、部屋にポスターを張る少年。ですが、小野は防衛戦に負けてしまいます。少年の姉から送られた「期待させないでください」という手紙は、原作にはなく胸の詰まるものでした。


10年後、小野はタイトルに再び挑戦します。唐突なセコンドのサンドウィッチマンの二人に思わず笑ってしまうのですが、煽り屋チャンピォンとのタイトルマッチがスタート(このチャンピォン、原作では映画の10倍くらい煽ってます)。若いチャンピォンに、小野は劣勢に立たされます。ここまでは原作通りなのですが、ここからが映画オリジナルとなり、私は思わず目頭を熱くした大好きなシーンです。


5ラウンドを終えて、チャンピォンの殴打に視界がかすみ始める小野。何とか客席を見渡します。そこには一人の青年が立っていました。彼は木の枝を持ち出し、二つに折ります。彼は、かつて小野と出会い、勇気を与えられたあの難聴の少年だったのです。ここの藤原季節さんの儚い顔に似合わない目線の力強さがよかったです。さらにここでね、大丈夫と言う手話を小野がするんですよ。ボロボロなのに。そして小野が盛り返すという。小さなきっかけが人を勇気づけ、いい方向に変えていったという、この映画ならではの名シーンです。


この小野と青年のような意趣返しはこの映画で多く用いられていて。佐藤と紗季は最初と終盤のシーンで、同じやり取りをするんですけど、立場が逆になっていたり。佐藤が上司に聞いたことを、終盤では部下が佐藤に聞いていたり。伏線がいくつも張られていて、それが回収される気持ちよさが『アイネクライネナハトムジーク』にはありましたね




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・出会いやきっかけは愛おしいが、いいことばかりではない



さて、この映画では出会いやきっかけは、新しい何かが始まる瞬間として概ね肯定的に捉えられていますが、全ての出会いやきっかけが良いものとは限らないように、コインの裏として悪い面も描かれています。それを如実に表していたのが、佐藤の上司である藤間の存在です。


藤間は長年連れ添ってきた奥さんと子供に逃げられてしまっています
。そこには浮気のような分かりやすい理由はなく、藤間にもその原因は不明。佐藤が結婚式の二次会の話をすると、とうとう我慢できなくなり、物に当たってしまいます。しかし、それが結果として佐藤と紗季を出会わせているので、恋のキューピッドであると言えなくもないのですが、常識に鑑みればあまりいいことではありません。


この藤間を演じたのが原田泰造さん。気丈に振舞いながら、哀愁を滲ませています。その演技はとても見事でしたが、注目してほしいのは何も喋らないカット。あそこの悲しさを我慢しているんだけど、我慢しきれていないという表情が絶妙なんですよね。終盤の年老いた姿もいいですし、ラーメン屋でのシーンは、細かいですが彼の、藤間の人生を感じさせました。


しかし、時間が経つにつれて藤間は、妻子が自らのもとを去った理由を少しずつ理解していきます。それは、出したハサミをしまわなかったりだとか、ほんの小さなきっかけでした。しかし、それが積み重なって、彼女らの風船は弾けてしまったのです。この積み重ねというのは、「小さな夜」でも歌われている通り、この物語の重要なファクターになっていたんですよね。


人間というのは、日々小さなきっかけを積み重ねて生きています。それは、空が晴れだとか、コンビニの弁当が割引だとか、些細なことが大半です。ここが私がこの映画を好きな最大のポイントなんですけど、この映画はその小さなきっかけを愛おしいものとして扱っていながら、決して全肯定はしていないんですよね。


だって、一真のだらしない姿を世話する由美には、不安が溜まってそうだなと不穏なものを感じますし、佐藤と紗季だって10年の間のちょっとした積み重ねが水槽に溜まっていって、ある日溢れてしまったわけじゃないですか。小さなきっかけを積み重ねることを人生とするならば、それは尊重されるべきものだけど、人生全てがいいことじゃないぞっていう。この疑念の眼差しがあるのが、個人的には超好きで、この少し下げることによって、終盤の感動が大いに増しているんですよね。



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この映画は出会いやきっかけといった「始まり」を最後は肯定して終わるんですよ。それは、和人と美緒の改変に一番に現れていると思います。和人は小野がリベンジマッチに勝ったら、美緒に告白しようと決めていました。これは他力本願以外の何物でもありません。結果としては、小野は負けてしまうのですが、その奮闘に和人は美緒に告白することを決意。ここで、小野が和人にきっかけを与えています。そして、ここからの展開が先ほどのワンステップ飛ばした成果になります。


美緒はファミレスでバイトをしています。しかし、原作の深堀先生と同様にクレーマーに絡まれてしまう美緒。ここで、登場するのが和人なんですよね。和人は「この子がどなたの娘かご存知ですか」作戦を使い、クレーマーを黙らせることに成功。そして、その勢いで美緒に「好きです」と告白してしまうんですよ。ここ、小野と和人の父親の邦彦が、和人に告白するきっかけを与えていて、うわー繋がってるとなった大好きなシーンです。そして、この映画の最後は斉藤さんの「小さな夜」を聞く和人と美緒というシーンで終わりますし、これは二人のこの先の未来を予感させる恋愛劇としては最高の終わり方だったと思います。夜なのに悔しくなるほど爽やかでしたよ…!


さらに、この映画は佐藤と紗季の最後もある出会いによって好転していますし、藤間にも救いがある終わり方をしています。出会いを、きっかけを、その積み重ねである人生を肯定していて、後味は非常に軽やかなものでした。私たちが気づかないうちに過ごしているかもしれない、小さな出会い、きっかけ。その愛おしさ、そして素晴らしさを改めて確認したくなるような素敵な映画でした。間違いなく、傑作と言っていいと思います。




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・終わりに


最後になりますが、この映画の立役者である4人の方への感謝を述べて、この感想を終えたいと思います。


まず、脚本の鈴木謙一さん。素晴らしい原作の風味を残したまま、見事な再構築で新たな味わいを加えていて、最高でした。前半と後半の2幕というシンプルな構成にしたことで、分かりやすくなり、多くの方の心に残る映画になっていると感じます。映画オリジナルのシーンも完ぺきにはまっていましたし、斉藤和義さんの曲も「小さな夜」一本に絞ることで、さらに印象深いものになっています。ありがとうございます。


続いて、音楽の斉藤和義さん。まずは、「小さな夜」という素晴らしい主題歌をありがとうございます。歌詞と映画の内容がリンクしていて、エンドロールにキャラクターのことを思い浮かべ、感慨深い気持ちになりました。また、劇伴も映画の雰囲気にあっていて、特に美緒と和人が自転車で坂を下るシーン。あそこ青春!って感じがして大好きです。本当にありがとうございます。


さらに、監督の今泉力哉さん。キャラクターに寄り添う暖かみのある演出が印象的でした。どのキャラも無下にしない優しい雰囲気が大好きです。特に、佐藤が紗季から離れられて、一人で牛乳を飲むシーン。あそこの長回しは俳優さんへの信頼とキャラクターへの愛が無ければできない演出で、佐藤の孤独感が出ていて、とても好きでした。来年公開の『mellow』『his』も楽しみです。


最後に原作の伊坂幸太郎さん。著作の中では唯一の恋愛小説とのことですが、心がジーンと暖かくなるような小説をありがとうございます。この映画ではカットされてしまいましたが、『ドクメンタ』や『メイクアップ』といったエピソードも大好きです。恥ずかしながら、他の作品は『チルドレン』ぐらいしか読んだことがありませんが、ぜひ他の作品も読んでみたいと思います。


その他、キャスト・スタッフを含めた映画『アイネクライネナハトムジーク』に関わった全ての方々へ。素晴らしい映画を本当にありがとうございます。これからも何とか頑張れそうです。多くの人に観てもらえることを切に願っています。




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以上で感想は終了となります。映画『アイネクライネナハトムジーク』。今秋公開の映画の中でも屈指の傑作です。小さなきっかけを愛おしく感じられる傑作なので、ぜひ映画館でご覧ください。超オススメです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい





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こんにちは。これです。最近、肌寒くなってきましたね。もうTシャツ1枚ではだいぶ厳しく、秋の訪れを感じます。


まあそれとは関係なく、今回のブログも映画の感想です。今回観た映画は『おいしい家族』。『21世紀の女の子』にも参加したふくだももこ監督の初長編作品です。『21世紀の女の子』に参加した監督の作品はできる限り見ておきたいという思いがあり、また好きな松本穂香さんが主演しているということで、今回観に行ってきました。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―


・キャストなどについて
・私たちは色を持っている
・この映画におけるメイクの重要性について
・漂白できない色を背負って生きていく





―あらすじ―

銀座で働く橙花は、夫と別居中。
仕事もうまくいかず都会での生活に疲れ気味。
ちょうど母の三回忌を迎え、
船にゆられて故郷の離島へ帰ってきた。

すると、実家では父が、亡き妻の服を着て
おいしいごはんを作ってまっていた!

唖然とする橙花に追い打ちをかけるように、
見知らぬ居候が登場。
それはお調子者の中年男・和生と
生意気な女子高生・ダリア。

「父さん、
みんなで家族になろうと思う」

突然の父の報告に動揺する橙花とは裏腹に、
一切気にも留めない様子の弟・翠が加わり、
みんなで食卓を囲む羽目に…。
みんなちがってそれでいい。
のびのびと過ごす島の人々と、
橙花の暮らしがはじまった。



(映画『おいしい家族』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください。










・キャストなどについて


『おいしい家族』で、主人公の橙花を演じたのは、ドラマ『この世界の片隅に』での好演が記憶に新しい松本穂香さんです。私は『アストラル・アブノーマル 鈴木さん』という映画を観て、松本さんいいなと思ったのですが、今回の松本さんもなかなかいい感じにやさぐれてました。仕事も結婚も上手く行かないというバックボーンからくるやりきれなさがよかったですし、酒に酔って道路で前転をしたり、犬の鳴きまねをしたりとまた新しい松本さんを見ることができました。でも、年下を見守ったり、父親の青治と向き合ったりという正統派の演技も見せていて、どちらも目いっぱい楽しめました。個人的には夕日に照らされて歩くシーンが一番好きですね。


また、橙花の父親である青治を演じたのは板尾創路さんです。突然「母さんになる」と言い出す突飛なキャラクターなのですが、とにかく、誰もを否定しない優しさがよかったですね。映画全体を見守るお父さんのようであり、お母さんのようでもある存在でした。でも、口調の端々に母親を失った悲しみを滲ませていて、胸にずしんと来るようなシーンもありました。こういう影を持っているんだけど、隠して振舞うみたいなキャラクター好きです。


他にも、同居人の和生を演じた浜野謙太さんは、いい感じに情けなくてよかったですし、橙花の弟の翠を演じた笠松将さんも、あっけらかんとした感じと橙花を諭すシーンのギャップが好きです。でも、嬉しかったのは和生の娘・ダリア役で、モトーラ世理奈さんが出演していたことですね。『少女邂逅』での神秘性がめっちゃ良くて好きな女優さんだったんですけど、『おいしい家族』では一転、ひとかどの女子高生を演じていて、こちらもかなり好感触だったんですよね。出で立ちだけで、悩みを抱えているのに説得力がありますし、大きな描写をしなくてもいいのは強みだと思います。ダンスシーンも良き。




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さて、橙花は東京で仕事も結婚も上手く行かず、苦労しています。そんな橙花が母親の三回忌で、離島の実家に帰ります。東京パートを本当に秒で終わらせて、すぐ島に行ったのは展開が早くて好きですね。弟が運転するトラックに載せられ、実家に帰ると、そこには母親の格好をした青治がいました。さらに、同居人の和生とその娘のダリアまでやってきます。和やかに食卓を囲む彼らでしたが、橙花だけ明らかに馴染めていません。戸惑う橙花に青治は告げます。「父さん、結婚しようと思う」「父さん、母さんになろうと思う」と。これに動揺した橙花は「認めない」と言って、思わず家を飛び出してしまいました。


『おいしい家族』で軸となっているのは、橙花と青治の和解です。橙花は青治に反発していたのですが、島の人たちとの交流や、青治の思いを知って徐々に態度を改めていきます。島の人たちはとても優しく、暖かく、そこはまるでこの世界にはない理想郷のようで。映画全体も暖かみに満ちていますし、観ていて橙花と同様に心が洗われるような心地がしました。主題歌を含め、音楽も明るいものが多く楽しく観られましたしね。


また、この映画って『おいしい家族』のタイトル通り、ご飯がとても美味しそうなんですよ。まず、橙花を除く鈴谷家がすき焼きをつつくシーンから始まり、わりと本格的なお弁当に、納豆ご飯やそうめん。手で食べるスリランカ料理は見た目の鮮やかさもあって食欲をそそりますし、ありふれたおはぎがとても美味しそうに見えるのは、何か魔法がかかっているからとしか思えない。あと、ビールをはじめとしたお酒も結構登場しますし、看板に偽りなしの飯テロっぷりでした。ぜひ、食事にも注目してご覧いただけたらと思います。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・私たちは色を持っている


『おいしい家族』には、色が名前についたキャラクターが登場します。主人公の橙花に始まり、父親の青治、弟のと鈴谷家は全員色の名前で統一されています。映画は色とりどりの口紅で始まっており、東京のレストランのシーンで、赤と白が対照的に用いられています。橙花は名前の通りオレンジの服を着て実家に帰ってきており、そこではかつて母親が着ていた紫の服を着た青治がいました。このように『おいしい家族』は、映画序盤から色というものを大いに印象付けてきているように感じます。


おそらく、人間は生まれたときには真白のキャンバスなんだと思います。そこに、経験という色が付けられ、その人固有の色になっていくのではないでしょうか。その色は彩度や濃淡の違いもあり、一人として同じ色はないのだと思います。


もしかしたらその色は、傍から見たらくすんでいたり、みっともなかったりするのかもしれません。実際、橙花は仕事がうまくいかず、結婚相手とも別居中で、自らのことを「できそこないの娘」だと称するぐらいのキャラクターです。また、青治にも妻との死別という過去があり、青治の結婚相手である和生も多くのものを失って島にやってきています。ダリアだって実の娘じゃないかもしれません。多くのキャラクターは、オークションに出しても何の値段もつかないような凡庸、あるいはそれ未満の色です。私たちの多くと同じように。


でも、『おいしい家族』では、キャラクターの誰もが否定されることはありません。告白して即フラれるキャラクターはいますが、根源的な否定はない。青治の母さんになるという宣言だって、橙花以外にはすんなり受け入れられていますし、橙花も私は認めないというだけで、青治を否定することはしていません。


和生は青治と結婚する理由を尋ねられた時に、「愛があればいいんじゃないかな」と語っていました。また、ダリアの同級生・瀧は本当の自分の姿を父親に見られてしまいますが、父親は「たった二人の親子なんだから」と、瀧を抱きしめます。自らを「できそこないの娘」と言った橙花に、青治は「生きてさえいればいい」と、存在自体を肯定します。世間の「普通」という理想から外れてしまった橙花のみならず、青治自身にも、そしてこの映画のキャラクター全てに向けられたとても優しい言葉のように感じました。





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・この映画におけるメイクの重要性について


『おいしい家族』で、橙花は銀座の化粧品売り場で働いています。さらに、メイクをするシーンがこの映画には多くあり、メイクが重要な要素になっていると考えられます。この映画におけるメイクというのは、顔というキャンバスに色を付けるという意味で、人生の縮図となっている行為だと私は感じました。はじめは橙花のメイクは否定されていますが、後半でこの橙花のメイクが人の役に立っているのが、この映画の良いところです。


このメイクで印象深いのが、ダリアの同級生・瀧のエピソードです。瀧は島に不満を感じていて、学校に来て、入り江に来ては「どこにも行けないと言われているみたい」と窮屈さを感じています。さらに、母さんになるという青治のことをおかしいと感じており、この点で橙花と一致しています。入り江ではしゃぐシーンは青春を感じましたね。松本穂香さんとあんなことができるなんて羨ましいぞこの野郎。


しかし、映画中盤になって、瀧は髪を栗色に染めて再登場します。本当の瀧はメイクが好きで、それを周囲に言えないでいました。ダリアと一緒にメイクをしあい、フリルのついた服を着て、スポットライトを浴びて踊るシーンは、清々しかったですが、ここで大事なのは本当の自分って、生まれたときの真白のキャンバスではないということなんですよ。それはメイクによって今よりもっと多くの色がついた自分で、引き算ではなく足し算なんですよね。大体、本当の自分を探すときって、余計なものをそぎ落としていくアプローチを取ることが多いので、その真逆を行っているのはとても面白ないと感じます。


そして、瀧にとってメイクによって色を足していくということは、経験を経て大人になるということでもあります。本人も早く大人になりたいと言っていましたし、その抑圧が彼をメイクに向かわせたのではないでしょうか。ただ、彼のメイクは間違っていてそれを修正するのが橙花なんですよね。ここで、橙花が瀧を大人へと導いていたとするのは私の考えすぎでしょうか。否定されていた橙花のメイクが、一人の少年の役に立つというとても暖かい気持ちになれる展開で、とても好きですね。


でも、メイクというのは落とすことのできるもので、瀧は大人になりたいと背伸びをしていました。それは現在の自分を認めることができないということ。その葛藤が瀧をああいった行為に及ばせたのだと思います。しかし、瀧の父親は背伸びをした瀧も、等身大の瀧も全部ひっくるめて肯定します。それは胸がすくようなシーンで、この映画の持つ優しさが大きく発揮されたシーンだと感じました。




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・漂白できない色を背負って生きていく



また、メイクとは少し違いますが、青治は亡くなった母親の服を着て、「母さんになろうと思う」と言っています。これは形から母さんになろうというアプローチです。そして、このアプローチは上手く行っていて。実際、「母さんの服を着てからおはぎがうまく作れるようになった」と青治は語っています。ここで、服を着るという行為も足し算であるならば、飾るという点でメイクや人生と似通っていると考えられます。


また、おはぎが多く登場したのも、単に三回忌というだけではない意味があると私は感じていて。終盤におはぎを作るシーンがあるんですけど、米の外にあんこやきな粉をつけて作っているんですよ。白い米があんこやきな粉といった服を着ていると考えれば、これもメイクや人生と同じなんですよね。つまり、あのおはぎは、青治とその妻の人生を表していたと。それがおいしいおいしいといって受け入れられるのには、なんか泣きそうになってしまいました。ここ撮り方もいいんですよね。すき焼きの時は遠くから遠くから撮っていたのに対し、終盤のおはぎのシーンでは、カメラが近くに寄っていて。暖かみを感じて好きです。


ただ、メイクは落とすことができますし、服は着替えることができます。おはぎも洗えば、あんこやきな粉はある程度落ちるでしょう。しかし、人生においてはそれは全く異なります。過去の経験を消し去ることができないのと同様に、一度ついてしまった色は漂白することはできません。もとの真白のキャンバスには戻れず、生まれ変わることなんてできないんです。所詮は自分の色を背負って生きていくしかない。どんなにみっともなくても。


映画の終盤。橙花は「お父さんがお母さんになったら、お父さんはどこへ行ってしまうの?」と青治に訪ねていました。ラストシーンの前、それに対する返答のように、青治は自らのことを「父さん」と呼んでいるんですよ。それは生まれ変わることなんてできないという現実を、改めて突き付けているようでした。でも、青治はそれを受け入れるんですよね。その後の結婚式のシーンでは、色とりどりの服を着た人々が青治と和生を祝福し、バックには綺麗な青色の海が。青治の服装も完全な白無垢ではなく、オレンジの着物を着ていますし、リセットはされていない。どんなにみっともなくても、今までの人生でついた色を肯定して、先に進むという非常に明るい終わり方でした。多くの人に受け入れられるいい映画だと思います。




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以上で感想は終了となります。映画『おいしい家族』。松本穂香さんが魅力的なのはもちろんのこと、観ていて暖かい気持ちになれる素敵な映画だと思います。機会があれば観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい


おいしい家族
ふくだ ももこ
集英社
2019-09-26



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