Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2019年12月



こんにちは。これです。2019年ももう終わりが近づいてきた今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか。元気で映画を観れていますでしょうか。私の方は何とか元気でいます。幸いなことに映画もまだ観られています。ありがたいことです。


さて、今回のブログは年末のお楽しみ、2019年映画ベスト10になります。ツイッターでも大きな盛り上がりを見せるこの企画。いくら弱小で零細で稚拙とはいえ、一応は映画ブログをやっている私としては、参加しないわけにはいきません。何日も前からどの映画にしようと、考えるのはとても楽しかったですね。そして、考えに考えた結果今年のベスト10を決めました。当たり前ですが、個人的には満足のいくランキングになったのではないかと思います。


では、これからベスト10を発表していくのですが、今回はまず下半期、7月~12月に観た映画のベスト10を作成し、その後に上半期と合わせた年間の総合ベスト10を選出したいと思います。下半期は下半期でベスト10を作らないと映画が少し可哀想ですもんね。やっぱり一つでも多く選びたいですし。その思いで、今回も下半期のベスト10には入らないけど、推したい3作品を選出しています。そちらも合わせて楽しんでいただければ幸いです。




さて、その選出基準ですが、私の映画ベスト10の選出基準は以下の二つです。


・2019年の1月~12月に映画館で観た作品(下半期なら7月~12月)
・私自身の好きを最優先すること



まず、一つ目。私は地方に住んでいます。地方だと東京や大阪といった大都市で公開された、特にミニシアター系の作品は、2,3か月遅れで公開されることが普通です。なので、1月~2月に観た作品でも、公開自体は去年ということが結構あるんですね。でも、ここでは公開日に関係なく私が2019年に観たことを基準にさせていただきます


また、近年ではNetflixオリジナル作品が躍進を遂げています。今年も『アイリッシュマン』や『マリッジ・ストーリー』、『失くした体』などの作品が高い評価を得ていました。しかし、私はまだ映画館で映画を観ること自体が好きなので、Netflixまで手が回せないというのが正直なところ。なので、これらの作品は今回の記事からは外させていただきます。観たいとは思っているんですけどね。来年はもっとどうにかしたいと思います。


続いて、二つ目。これは勉強不足もありますが、正直私は映画の出来がどうかについてはあまりよく分かっていません。一定のレベルを超えると、どれも良いと思ってしまう単純な人間です。なので評価も完全に主観的な評価になってしまいます。


でも、それでいいんだと思います。別に開き直るわけではありませんが、客観的な評価は評論家の方がしてくれるでしょう。しかし、近年のいわゆるバズる映画には、個人の好きという気持ちが触媒となって拡散されていっているのではないでしょうか。人を動かすのは「好き」という気持ちです。私はそのことを大切にしたいと思っています。ランキング自体も「好き」を優先して選んだほうが、十人十色、バラエティに富んだものになるでしょうしね。




それでは選考基準を説明して、ランキングに入る前に、参考として2018年のベスト10と、今年の上半期映画ベスト10を置いておきたいと思います。これを見れば、私がどんな傾向で映画を選んでいるのか少しお分かりいただけるかと。




2018年映画ベスト10

第1位:ペンギン・ハイウェイ
第2位:レディ・プレイヤー1
第3位:勝手にふるえてろ
第4位:志乃ちゃんは自分の名前が言えない
第5位:劇場版ポケットモンスター みんなの物語
第6位:万引き家族
第7位:僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ―2人の英雄―
第8位:アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル
第9位:ボヘミアン・ラプソディ
第10位:レディ・バード


詳しくはこちら↓





2019年上半期映画ベスト10

第1位:バジュランギおじさんと、小さな迷子
第2位:海獣の子供
第3位:翔んで埼玉
第4位:スパイダーマン:スパイダーバース
第5位:プロメア
第6位:メアリーの総て
第7位:女王陛下のお気に入り
第8位:さよならくちびる
第9位:居眠り磐音
第10位:小さな恋のうた


詳しくはこちら↓
















さらに続いて、こちらも参考までに下半期に観た映画を列挙していきます。これらの作品から下半期のベスト10を選びます。なお、少なくない数の映画が並んでいるので、面倒な方は読み飛ばしてもらっても構いません。




2019年下半期に観た映画一覧


・ホットギミック ガールミーツボーイ
・劇場版 FINAL FANTASY ⅩⅣ 光のお父さん
・ミュウツーの逆襲 EVOLUTION
・トイ・ストーリー4
・天気の子
・チャイルド・プレイ
・旅のおわり世界のはじまり
・アメリカン・アニマルズ
・ドラゴンクエスト ユア・ストーリー
・新聞記者
・ライオン・キング
・アルキメデスの大戦
・アマンダと僕
・イソップの思うツボ
・ダンスウィズミー
・ロケットマン
・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
・ハッピー・デス・デイ
・月極オトコトモダチ
・ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形
・いなくなれ、群青
・王様になれ
・無限ファンデーション
・台風家族
・いちごの唄
・ハッピー・デス・デイ 2U
・HELLO WORLD
・おいしい家族
・アイネクライネナハトムジーク
・見えない目撃者
・任侠学園
・よこがお
・蜜蜂と遠雷
・ディリリとパリの時間旅行
・JOKER/ジョーカー
・空の青さを知る人よ
・真実
・メランコリック
・楽園
・スペシャルアクターズ
・存在のない子供たち
・ジェミニマン
・IT イット THE END/"それ"が見えたら、終わり
・閉鎖病棟
・スタートゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて
・マチネの終わりに
・ひとよ
・エセルとアーネスト ふたりの物語
・影踏み
・地獄少女
・エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ
・ゾンビランド:ダブルタップ
・殺さない彼と死なない彼女
・決算!忠臣蔵
・ドクター・スリープ
・サンタ・カンパニー~クリスマスの秘密~/コルボッコロ
・ブルーアワーにぶっ飛ばす
・ホームステイ ボクと僕の100日間
・カツベン!
・屍人荘の殺人
・ぼくらの7日間戦争
・ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん
・宮本から君へ
・ボーダー 二つの世界
・僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング
・羊とオオカミの恋と殺人
・ヒックとドラゴン 聖地への冒険
・ガリーボーイ
・この世界の(さらにいくつもの)片隅に





以上、下半期は合計で70本の映画を観させていただきました。上半期と合わせて、今年の鑑賞本数は124本になります。去年が52本だったので、その倍以上ですね。よく行ったものです。去年の今頃は来年は80本ぐらい観られたらなと思っていたので、目標達成ということになります。やった。独り身でよかった。




それでは、前置きもこのくらいにしておいて、いよいよ本題に移りたいと思います。果たして私はどの映画を選んだのか!?


まずは、下半期ベスト10には入らないけれど推したい特別賞3作品の発表です!




※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









特別賞:月極オトコトモダチ



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―あらすじ―

「男女の間に友情は本当に存在する?」


アラサー女性編集者の望月那沙は、ひょんなことから、「男女関係にならないスイッチ」を持つと語るレンタル"オトコトモダチ"の柳瀬草太に出会う。
一方、那沙のリアル"オンナトモダチ"である珠希は音楽を通じて柳瀬と距離を縮めていき…。
仲良くなっても、「契約関係」の壁はなかなか越えられない。
恋愛と友情、夢と現実のはざまで悩む男女が織りなす、不思議な関係の行きつく先は……?

映画『月極オトコトモダチ』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





男女間との友情という永遠のテーマに挑んだこの映画。その特徴は何といっても、「軽さ」にあると思います。この映画では男女の三角関係が描かれます。三角関係はドロドロになりがちですが、この映画の持つ空気はとてもサッパリとしたもの。主人公の那沙も恋愛や結婚に焦っているキャラクターではないですし、飾ったセリフもありません。実に気軽に観ることが、私がこの映画が好きな一番の理由です。


それに、那沙役の徳永えりさんと柳瀬役の橋本淳さんは20センチ以上の身長差があり、そのギャップも見どころの一つ。全く照れずにドキドキする行動を柳瀬がするので、ラブコメとしても十分に楽しむことができます。テーマに直結する音楽の使い方も上手い。


私は、この映画を観る前は男女間に友情はないと思っていたんですけど、観た後には男女間に友情はあるなと考え方が180度変わりました。小規模公開でしたが、観てよかったです。DVDも現在、発売&レンタル中、そしてAmazon Prime Videoでも配信中です。よろしければどうぞ。




月極オトコトモダチ
徳永えり
2019-12-18












特別賞:いちごの唄




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―あらすじ―

恋をした。七夕、親友の命日にだけ会える、僕たちの”女神”に。


コウタは不器用だけど優しい心を持つ青年。たったひとりの親友・伸二は、中学生の頃2人が“天の川の女神”と崇めていたクラスメイトの千日を交通事故から守り亡くなった。10年後の七夕、伸二の命日。コウタと千日は偶然高円寺で再会する。「また会えないかな」「そうしよう。今日会ったところで、来年の今日・・・また。」毎年ふたりは七夕に会い、環七通りを散歩する。しかしある年、千日は伸二との過去の秘密を語り「もう会うのは終わりにしよう」と告げる・・・。

映画『いちごの唄』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





ぶっちゃけて言うと、人を選ぶ映画です。演技も過剰気味ですし、セリフで何でもかんでも説明してしまうという明確な欠点もあります。でも、私はこの映画超好きなんですよね。観終わった後ガッツポーズしたくなるくらいには。


この映画の何が魅力的かというと、まず主人公のコウタが挙げられるでしょう。演じたのは『ひよっこ』の古舘佑太郎さんなんですが、ピュアさが凄いんですよ。リュックの紐を触るちょっとした仕草からチェリー感も感じられましたし、とても共感したんですよね。そのチェリーのレンズを通して見た女優さんたち、石橋静河さん、清原果那さん、蒔田彩珠さん、岸井ゆきのさん、恒松祐里さんetc...が非常に魅力的で、それだけで好きと断言できるほどでした。


それに、映画の内容も好きでして。この映画って世間一般から見て「正しくない人」や「正しくない行為」が多く登場するんですよね。で、そんな彼らを肯定するのが、「正しくない」音楽であるパンクロックというのが最高なんですよね。銀杏BOYZの曲が溢れていて、特に「ぽあだむ」は泣きそうになってしまいました。「正しくなさ」が否定されないというのが、私がこの映画を好きな最大の理由です。


そんな『いちごの唄』、現在DVDが発売&レンタル中。Amazon Prime Videoでも観ることができるので、こちらもよろしければぜひ。



いちごの唄
古舘佑太郎
2019-12-04













特別賞:ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん




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―あらすじ―


 舞台は19世紀ロシア、サンクトペテルブルグ。
 14才の貴族の子女サーシャには悩みがあった。1年前に北極航路の探検に出たきり帰ってこない大好きな祖父。探索船は出たものの未だ行方が分からない。祖父と家族の名誉は失われ、祖父の名を冠する予定だった科学アカデミーの図書館も開館が危ぶまれている。ロシア高官の父は、そんな状況にあって、なんとかローマ大使の道を模索するが、そのためには社交界デビューの娘が皇帝の甥っ子に気に入られるしかないと考えている。
 社交界デビューの日、サーシャは祖父の部屋から航路のメモを見つけ、それが捜索船がたどったものとは異なる事に気付く。再び捜索船を出して欲しいとサーシャは舞踏会の場で王子に懇願するが受け入れられない。王子の不興を買い、父からの叱責を受けた娘は、自ら祖父の居場所を突き止めようと決意する。― サーシャが目指すものは、祖父との再会、それが叶わなくとも遭難した艦船ダバイ号の発見、そして何よりも真実を突き止める為の旅だった。
なんとか港までたどり着き、北方行きの商船ノルゲ号に乗せて貰おうと船長の弟に話しを持ち掛けるが、手違いもあり港に取り残される。食堂の女主人オルガの手助けにて、住み込みで調理や給仕といった未経験の仕事をしつつ船の戻りを待つ。その頑張りが認められようやく船に乗り込んだ後に待ち受ける多くの試練。船乗りの経験も無く、しかも女性であるサーシャには、想像を絶する困難が待ち受けていた。
 そして―

映画『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





フランス・デンマーク共作のこの映画。特筆すべきは輪郭のないアニメーションでしょう。ベタ塗りのシンプルな画面には想像の余地があり、頭の中で補完することでイメージがリアルなものになります。実際、北極のシーンの迫力は鳥肌もので暖房がついているのに寒く感じてしまった自分がいました。
個人的には、ちぎり絵のような雪が降る描写が好きですね。


一方、話は直球勝負。奇を衒ったことを何もしておらず、王道展開が続きます。何よりいいのがサーシャが頑張っているところ。北極圏で行方不明になった祖父を探すんだという強い思いのもと、積極的に動いていて、やはり主人公は能動的じゃないとと思わされました。この映画ってけっこうご都合主義な場面もあるんですが、それは頑張った主人公にはご褒美をあげないと、という良いご都合主義で、物語のあるべき姿を見たような気がしました。


そんな『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』、まだまだ全国の映画館で上映中&上映予定ですので、機会がある方は観てみてはいかがでしょうか。

















以上、特別賞3作品でした。どれも小規模公開ではありますが、好きな映画です。よろしければどうぞ。


それでは、ようやく下半期のベスト10の発表です。今年話題をさらったあの映画から、小規模公開の隠れた名作まで。いったいどんな映画が並んでいるのでしょうか。


まずは、第10位~第4位の発表です!









第10位:JOKER/ジョーカー



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―あらすじ―

本当の悪は、人間の笑顔の中にある。

「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母親の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。
都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに密かに好意を抱いている。
笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる〈悪のカリスマ〉ジョーカーに変貌したのか?
切なくとも衝撃の真実が明かされる!

映画『JOKER/ジョーカー』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





今年のベネチア国際映画賞で金獅子賞を受賞し、下半期最も話題になった映画といっても過言ではない『ジョーカー』。他の人はどうだか知りませんが、私は観ている最中はとてもノリノリでした。間違いなく私も虐げられる側にいるので、アーサーによって反旗を翻される様子が痛快だったんですよね。アーサーに深く感情移入しながら、とても楽しく観ることができました。「『ジョーカー』、最高!!」って親指を立てたい気分でしたよ。


でも、それは観ている最中の話で、観終わった後は、この映画を楽しんでいる自分に死にたくなったんですよね。アーサーは外的要因によって多くを失って、唯一残されたのが簡単な犯罪でした。私の境遇に近いところもあって、アーサーのように犯罪に走るのなら死んだほうがいいと思ったことが一つ。自虐ネタで自らの身を傷つけるアーサーにいたたまれなくなったことが二つ。


『ダークナイト』のジョーカーは理解できない絶対悪だと思うんですけど、この映画の「ジョーカー」は理解できる悪になっていて、私たちが引いている境界線を乗り越えてきたのが、この映画の特徴でした。現代ではアーサーのような人々が増えてきていますし、様々な議論を巻き起こした今年を代表する映画だと思います。なのでベスト10に入れざるを得ませんでした。まあ、これもジョーカーの手のひらの上かもしれませんけどね。


DVD/BDは1月29日に発売&レンタル開始。デジタル先行配信も1月8日にスタートです。








第9位:いなくなれ、群青




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―あらすじ―

 ある日突然、僕は〈階段島〉にやって来た。ここは捨てられた人たちの島で、どうして僕たちがこの島に来たのか知る人はいない。この島を出るには、失くしたものを見つけなければいけない。だが、疑問さえ抱かなければ、島の日常は安定していた。幼馴染の彼女に再会するまでは──真辺由宇。この物語はどうしようもなく、彼女に出会った時から始まる。「納得できない」と憤慨する真辺は、島から出るために、僕と周囲を巻き込みながら島にまつわる謎を解き明かそうとするのだが──。やがて明かされる真相は、僕らの青春に残酷な現実を突きつける。

映画『いなくなれ、群青』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





隔離された離島・階段島を舞台にファンタジックな雰囲気が漂うこの映画。キャストは横浜流星さんや飯豊まりえさんなど、これから注目されるであろう若手俳優さんたちが出演しています。その誰もが好演を見せていて、映画もその若手俳優さんたちの魅力に行方を委ねているのですが、その采配は大成功していたように思えました。本当に全員好きで、思春期の迷いや諦めをこれでもかというほど感じられるんですよね。個人的には真面目な学級委員長を演じた松本妃代さんが特に好きでした。


そして、映画の内容を一言で表すならば「人間の悪い部分が沈殿した映画」だと思います。人間には様々な側面があり、大人は「良い人間」でいることを押し付けてきます。成長していくにつれて、自分の悪い部分は見ないように蓋をされる。でも、この映画ではその悪い部分にスポットライトが当たっているんですよね。私には悪い部分しかないので、これは私の映画だ!私も階段島にいる!と強烈に感じました。


しかし、長所は短所で、短所は長所。この映画では、悪い部分が反転して人を助けることに一役買っており、悪い部分もあっていいのかもしれないという希望を抱かせてくれます。だから、私はこの映画を下半期のベスト10に推したい。多くの人に見ていただきたいのですが、ソフト化や配信の予定は今のところないのが残念。出演した俳優さんたちが有名になり、いつかもっと広まることを望みます。










第8位:見えない目撃者



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―あらすじ―

日本中を震撼させる女子高生連続殺人事件。
唯一の手がかりは、目の見えない目撃者だった――

警察官として将来を有望視されながら、自らの過失による事故で視力も大切な弟も失い、失意の底にあった浜中なつめ(吉岡里帆)は、ある夜、車の接触事故に遭遇。なつめは慌てて立ち去る車の中から助けを求める少女の声を耳にするが、彼女の訴えは警察には聞き入れてもらえない。視覚以外の人並外れた感覚、警察学校で培った判断力、持ち前の洞察力から誘拐事件だと確信するなつめは、現場にいたもう一人の目撃者高校生の国崎春馬(高杉真宙)を探し出す。

事件に気づきながら犯人を見ていない目の見えないなつめと、犯人を見ていながら少女に気づかなかった高校生の春馬。
“見えない目撃者”たるふたりの懸命の捜査によって、女子高生連続猟奇誘拐殺人事件が露わになる。
その真相に近づくなつめたちに、犯人は容赦なく襲いかかる。絶命の危機を前に、彼女らは、誘拐された女性を助けることができるのか。

「わたしは、あきらめない」




感想はこちら↓





2011年公開の韓国映画『ブラインド』をリメイクしたこの映画。正直、説明しすぎな部分が目について、映画としての評価は必ずしも高くありません。この映画よりも高い評価の映画は、ベスト10外にもあります。ただ、私がこの映画を下半期の8位に推すのは、この映画が私にぶっ刺さったからなんですよね。


まず、何がぶっ刺さったかというと主演の吉岡里帆さんですよ。見えないのに見透かされているような目力の強さ。真犯人を突き止めようとする強い姿勢は、ある意味狂気的でもありました。今まで明るい役が多かった吉岡里帆さんのまさに新境地といったところ。コンビを組んだ高杉真宙さんも負けず劣らず良かったですし、この二人の演技は映画の大きな長所となっていました。


ただ、それ以上にぶっ刺さったのがストーリー。この映画ってインザダークの人の物語なんですよ。暗闇の中で光を求めてもがいている人たちの話なんですよ。私も先が見えない日々を送っていて、毎日挫けそうになるので、この映画はまさに自分事。そして、終盤に主人公のなつめが発したあるセリフにはめちゃくちゃ心を揺さぶられました。それでも生きるという強い決意表明ですよ。これが聞きたかった!もう色々と度外視して大好きです。


なお、DVDは来年の2月5日発売とのことです。

















第7位:エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ



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―あらすじ―

中学校生活の最後の一週間を迎えたケイラは、「学年で最も無口な子」に選ばれてしまう。不器用な自分を変えようと、SNSを駆使してクラスメイト達と繋がろうとする彼女だったが、いくつもの壁が立ちはだかる。人気者のケネディは冷たいし、好きな男の子にもどうやってアプローチして良いか分からない。お節介ばかりしてくるパパはウザイし、待ち受ける高校生活も不安でいっぱいだ。中学卒業を前に、憧れの男子や、クラスで人気者の女子たちに近づこうと頑張るが…。

映画『エイス・グレード 世界で一番クールな私へ』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





SNS時代の新たな青春を描いたこの映画。主人公のケイラは再生回数0回の動画をYoutubeにアップし続ける毎日を送っています。まず、このケイラのキャラクターがよかったですよね。SNSでは笑顔になれるけど、現実ではうまく他人と関わることができないという。私もこんな弱小零細ブログをやっているので、ケイラにはすごく共感しましたし、それゆえプールのシーンは残酷で、目を背けたくなるほど辛かったです


これは分かるかどうか知らないんですけども、ケイラって「ストレンジカメレオン」なんですよ。the pillows(ザ・ピロウズ)の。周りの色に馴染まない出来損ないのカメレオンなんです。彼女も、私も。


でも、この映画が良かったのはそんなケイラが否定されないことですよね。ケイラのお父さんはケイラの動画にも理解を示してくれていますし。ケイラは多数からの承認を求めていたんですけど、お父さんからの承認だけで救われることができたという。まさに「拍手は一人分でいいのさ」(これもストレンジカメレオン)ですよね。SNSに居場所がある人も現代に入るはずで、その人たちもないがしろにしない優しい青春映画だと感じ、下半期の7位に選ばせていただきました。













第6位:劇場版FINAL FANTASY ⅩⅣ 光のお父さん




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―あらすじ―

「この人が死んだ時、僕は泣いたりするんだろうか」 ── 父親の背中を見ながら、心の中で呟くアキオ(坂口健太郎)。広告代理店に 勤めるアキオは、ずっと単身赴任中だった父の暁(吉田鋼太郎)のことを何も知らない。そもそもアキオが子供の頃から、典型的な仕事人間の父はいつも出張ばかりだった。たまに家にいる時も、ムスッと押し黙ってテレビを睨んでいる。そんな父が、突然会社を辞めて、家へ戻って来た。何があったのか一切語らない父に、母の由紀子(財前直見)も妹の美樹(山本舞香)も困惑するばかり。
父のことが知りたい、そう思ったアキオは、ある計画を閃く。すっかり忘れていたが、父と遊んだ思い出が一つだけあった。かつてゲーム「ファイナルファンタジーIII」で一緒に戦ったのだ。アキオは今自分がプレイしているオンラインゲーム「ファイナルファンタジーXIV」に 父を誘い、正体を隠して共に冒険へ出ようと考える。アキオは顔も本名も知らないからこそ、本音で語り合えるゲーム仲間たちに協力を依頼する。
さっそく、退職祝いの名目で、父にゲームソフトをプレゼントするアキオ。父は自分の“光の戦士”に、“インディ・ジョーンズ”と名付けてゲームを始める。父に気付かれないように、自室のパソコンから参加するアキオの名前は“マイディー”だ。数日後、思い切って“インディ”にフレンド申請してからは、父のもう一つの顔に驚くばかりのアキオだった。最初こそ、言葉づかいも 硬かったが、仲間と共に戦ううちに、「一人で冒険するより皆さんと一緒の方がずっと楽しいです! 」と、オンラインゲームの素晴らしさに目覚めたのだ。
そんな中、先輩の吉井(佐藤隆太)と重大なコンペに参加することになり、アキオを慕う同僚の里美(佐久間由衣)が心配するほど、 急に仕事が忙しくなるアキオ。ある夜、久々にログインすると、父はすっかりこの世界を楽しみ、アキオが「これ、本当に父さんだよな?」 と呆然とするほどはしゃいでいた。協力して強敵を倒し、また一歩心の距離が縮まった“インディ”に、“マイディー”は仕事で悩んでいることを打ち明ける。すると“インディ”は、自分の経験から的確なアドバイスをくれる。その言葉を活かしたアキオは、見事仕事を 獲得するのだった。
仲間たちと、さらに胸躍る冒険へと突き進む父とアキオ。「もっと、感動したいです」とコメントする“インディ”に、“マイディー”は 最強の敵への挑戦を持ちかける。アキオはこの勝負に勝ったら、自分の正体を明かすと決めていた。だが、約束の金曜日の21時、思いもかけない出来事が二人を待ち受けていた──。


映画『劇場版 FINAL FANTASY ⅩⅣ 光のお父さん』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





この映画、公開自体は6月ですが、観たのは7月なので下半期の映画として扱います。そして、下半期に観た映画の中でも最も優しい映画でした。


この映画は、FFを通じた父子のコミュニケーションを描いているのですが、FFを知らなくても全然大丈夫。ゲームの画面は映画館の大スクリーンに耐えうるどころか、とても綺麗で圧倒される出来。吉田鋼太郎さん演じるお父さんがゲーム初心者あるあるを連発してくれるので、笑えるポイントも多かったのも個人的にはお気に入りです。身構える必要はなく、とてもありがたい映画でした。


そして、この映画って「救い」の映画でもあるんですよ。ゲームってただ生きるだけには必要ないモノじゃないですか。でも、『エイス・グレード』もそうなんですけど、その必要のないモノに救われている人だって確実にいるんですよね。実際、この映画ではFFが二人を救ったわけですし、それが結実したお父さんの最後の台詞には泣いてしまいました。


私はこれを映画に置き換えて考えていて。映画もただ生きるだけなら必要ないですし、私は現実に向き合わずに映画にばかり逃げているので、このままでいいんだろうかというのは毎日思っています。でも、この映画は、そんな映画自体や私をも肯定してくれたようで、観終わった後には心がジーンと暖かくなりましたね。


なお、この『光のお父さん』、DVD/BDが現在発売中。レンタルもされており、Amazon Prime Videoでも視聴可能です。良ければ年末年始にご覧ください。


















第5位:王様になれ




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―あらすじ―

「もしかしたら必然かも、ピロウズと出会ったの。」

カメラマン志望の祐介(岡山天音)は、叔父の大将(オクイシュージ)のラーメン屋で働いている。
亡き父の影響で始めた写真にのめり込みプロのカメラマンを目指すも、夢を叶えるには現実は厳しく苛立ちと焦りにさいなまれながら過ごす日々。
初めて足を運んだthe pillowsのライブで、思いを寄せるユカリ(後東ようこ)をみかけ、話すようになる。
ユカリとの距離が近づくにつれて、祐介はthe pillowsの魅力にもどっぷりはまっていく。
カメラマンとして崖っぷちの自分を奮起させるべく、ライブ撮影を行うカメラマン虻川(岡田義徳)の存在を知った祐介は弟子入りを直談判し、仕事のチャンスを掴む。
微かな可能性に必死に食らいつこうともがく祐介と、応援しつつも自分の人生に不安を抱えるユカリ。
二人は未来に向かって一歩を踏み出していく――。

映画『王様になれ』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





the pillows結成30周年のアニバーサリーの一環として制作されたこの映画。ベスト10に選出したのはもう完全なる偏愛です。


というのも、私が一番好きなバンドがthe pillowsなんですよね。高校2年の時に出会ってから今までずっと好きで。主人公じゃない人間の不完全な音楽にずっと支えられてきたんですよ。辛いときに聞いて何度も励まされて、今の私が生きていられるのもピロウズのおかげです。そんなピロウズの映画となれば、ベストに選出しないわけにはいきません。最初から最後までピロウズ愛に溢れていて最高でした。


ただ、これは単なる色眼鏡じゃなくて。何者でもない主人公が立ち上がる劇映画として良くできていたんですよ、この映画は。ただのドキュメンタリー映画でも好きと言っていたとは思うんですけど、このある種ベタともいえるライジングストーリーがめちゃくちゃ骨身に染みました。あと曲が使われるタイミングも完璧でしたしね。『ハイブリッドレインボウ』と『この世の果てまで』が特に良かったですね


ポスターに「昨日まで選ばれなかった僕らでも、明日を持ってる」とありますよね。『ハイブリッドレインボウ』のこの一節。ピロウズが歌ってきたのって、まさしく「昨日まで選ばれなかった僕ら」の歌なんですよ。その精神性がこの映画にも受け継がれていて、後半はもうずっと泣いてました。下半期だと一番泣いた映画です。だって私も昨日まで選ばれていませんし。世の中に多くいる「昨日まで選ばれなかった僕ら」に観てほしいと心から思えた映画でした

















第4位:ホームステイ ボクと僕の100日間



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―あらすじ―

「当選しました」その声で、死んだはずの“ボク”の魂が、自殺した高校生ミンの肉体に“ホームステイ”することになった。ミンの自殺の原因を100日間で見つけ出さないと、“ボク”の魂は永遠に消えると告げられ、手にはタイムリミットを告げる砂時計が残されていた。新生“ミン”として“ボク”はもう一度人生をスタートさせる。初めて訪れた街で見知らぬ家族や同級生に囲まれ、違和感だらけの学校生活を送る “ミン”。誰にも気づかれないように謎解きを始めるうちに、秀才の美少女パイと出会い一瞬で恋に落ちる。バラ色の日々もつかの間、1台のパソコンの存在を知り、自殺したミンを苦しめた残酷な現実と対峙することになる・・・。

映画『ホームステイ ボクと僕の100日間』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





この映画も偏愛枠です。今、これを読んでいる方の中には「え?こんな映画あったの?」とお思いの方もいらっしゃるのではないでしょうか。実際あまり観られてはおらず、2019年ベスト10に上げる方もごく少数。でも、私はこの映画が大好きなんですよ。それは、フィクションとしての理想が完璧に描かれていたからです。


この映画は森絵都さんのベストセラー小説『カラフル』を、『バッド・ジーニアス』の制作陣がタイで実写化した作品です。『カラフル』はアニメ映画もありましたが、こちらはそれとはまったく違うタイ風のアレンジ。厳しい学歴社会や当たり前のように出てくるドリアンなど、タイのお国柄をビンビンに感じられる映画となっていました。


また、この映画では今時珍しいくらいのストレートな青春をしているんですよね。主人公の"ボク"とヒロインのパイが一緒に屋上で花火を観たり、良く分からない罰ゲームで笑いあったりしているんです。今日びキラキラ映画でも観ることのできない青春。正直ずっと観ていたかった。ここだけでもこの映画の評価は、私の中でうなぎのぼりです。


ただ、この映画の一番いいところは終盤の展開。詳しくは言えませんが、この映画は「死にたい」が「生きたい」に変わる瞬間を描いているんですよ。常々私はフィクションは生を肯定してナンボだと思っていますし、私が映画を観るのだって生きるためのエネルギーを受け取るためという理由もありますからね。だって毎日「もう死ぬべきだな」と思って生きていますし。なので、その「死にたい」が「生きたい」に変わる瞬間は涙しながら観ていました。あれはズルい。今年屈指の名シーンだと思います。


公開初週は『ジョーカー』の陰に隠れ、第二週は台風が直撃と、運に恵まれなかったこの映画。このまま埋もれさせるにはあまりにも悔しい。2/5にDVDが発売開始ですし、おそらくレンタルもされると思います。本当にお勧めなので、よろしければぜひ。




ホームステイ ボクと僕の100日間 [DVD]
ティーラドン・スパパンピンヨー
株式会社ツイン
2020-02-05

















以上、第10位~第4位の発表でした。いかがでしたでしょうか。『王様になれ』や『ホームステイ』といった映画は、ツイッターを見てもほとんど選出している方がいないので、少し意外に感じられたのではないでしょうか。私が選ばなければ誰が選ぶの!?といったテンションで選出させていただきました。また、選出した映画を観るとその傾向が浮き出てきますね。まあ、そういうことです。


では、ここからは下半期のベスト3を発表させていただきます。さあ、1位に輝いたのはどの映画なのか!?








第3位:空の青さを知る人よ




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―あらすじ―

山に囲まれた町に住む、17歳の高校二年生・相生あおい。将来の進路を決める大事な時期なのに、受験勉強もせず、暇さえあれば大好きなベースを弾いて音楽漬けの毎日。そんなあおいが心配でしょうがない姉・あかね。二人は、13年前に事故で両親を失った。当時高校三年生だったあかねは恋人との上京を断念して、地元で就職。それ以来、あおいの親代わりになり、二人きりで暮らしてきたのだ。あおいは自分を育てるために、恋愛もせず色んなことをあきらめて生きてきた姉に、負い目を感じていた。姉の人生から自由を奪ってしまったと…。そんなある日。町で開催される音楽祭のゲストに、大物歌手・新渡戸団吉が決定。そのバックミュージシャンとして、ある男の名前が発表された。金室慎之介。あかねのかつての恋人であり、あおいに音楽の楽しさを教えてくれた憧れの人。高校卒業後、東京に出て行ったきり音信不通になっていた慎之介が、ついに帰ってくる…。それを知ったあおいの前に、突然“彼”が現れた。“彼”は、しんの。高校生時代の姿のままで、過去から時間を超えてやって来た18歳の金室慎之介。思わぬ再会から、しんのへの憧れが恋へと変わっていくあおい。一方で、13年ぶりに再会を果たす、あかねと慎之介。せつなくてふしぎな四角関係…過去と現在をつなぐ、「二度目の初恋」が始まる。

映画『空の青さを知る人よ』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





『あの花』や『ここさけ』の長井龍雪監督の最新作。予習として『ここさけ』を見たんですけど、思春期のアンビバレントな感情が描かれていて好きな映画でして、この感じでやってくれるのならこの映画も好きだろうなと思っていたんですよ。ただ、この映画はその期待を超えてきまして。中高生向けかと思ったら、今を生きる全ての大人たちへの応援歌だったんですよ。


子供は学校という狭い世界で生きている。でも、大人たちは社会という広い世界を生きている。狭い世界から広い世界に移るということは視野が広がったり得るものもある一方で、失うものもあるんですよね。それは身の程知らずの夢だったり、自分の可能性に対する期待だったり青い感情と呼ばれるものです。


この映画はそんな狭い世界にいたかつての自分が、広い世界にいる今の自分に発破をかけるという映画なんですよ。しんのが慎之介に「こうなりたいって思わせてくれよ!」と言うように。でも、出した結論は狭い世界に回帰するのではなく、広い世界で生きること。過去の自分というフィクションから力を貰って。最後の慎之介の「まだ諦めていない」という言葉は、彼を始めとした大人の前向きな変化を表していてグッときました。


で、この映画は確かに大人に響く映画なんですけど、私は学生にもこの映画を観てほしいと感じていて。なぜなら、進学するにつれて彼ら彼女らの世界は広くなっているはずですし、幼い子供のころの夢は捨てた人も多いと思うんです。学生だって悩んで失っている。だとすると、この映画で描かれたことは学生も共感できるはずで、全年代に向けた映画になっていると感じました。


吉沢亮さんや吉岡里帆さんを始めとした声優陣も素晴らしかったですし、あいみょんさんの主題歌が流れるタイミングも最高。主人公のあおいはベーシストで音楽映画としても好感度は高いですし、もっと観られてもよかった映画かなと思います。私は公開されてから3日で2回観ました。それくらい好きな映画です。













第2位:チャイルド・プレイ



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―あらすじ―

最先端テクノロジー企業・カスラン社の期待の新商品、“バディ人形”。
引っ越しをして友達がいない少年アンディは、誕生日に音声認識やセンサー付きカメラ、
高解像度画像認識などの機能が付いた高性能人形を母親からプレゼントされる。
自らを“チャッキー”と名乗る人形だが、実は欠陥品だと判明。
的外れな受け答えに最初はあきれるアンディだが、「君が一番の親友だよ」と話す
チャッキーに次第に夢中になる。
その後、“彼”が豹変することなど知らずに―。


映画『チャイルド・プレイ』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





1988年公開の『チャイルド・プレイ』をリブートしたこの一作。私は「好きなホラー映画は?」と聞かれたら、『チャイルド・プレイ』と答えるぐらいにはオリジナル版が好きなので、この映画も公開されて初週に観に行きました。そして、観て驚きましたよ。単なるホラー映画ではなく、現代社会の問題を含んだ社会性のある作品として生まれ変わっていたのですから。


まず、オリジナル版よりもホラー要素は増しています。今度のチャッキーはAI搭載。オリジナル版ではほぼ包丁で刺すのみだったチャッキーが、この映画では芝刈り機、電動ノコギリ、自動運転車の暴走など実に多彩な殺し方をしています。特にドローンのシーンは、制作陣はドローンに何か恨みがあるのかというぐらいのおぞましいシーンでした。


それに、孤独だったアンディの成長物語としてもこの映画は優秀で。アンディに友達ができて、彼の鬱屈した感情は無くなっているんですよね。最後の展開は『IT』や『スタンド・バイ・ミー』を観ているようでした。


ただ、この映画が重要なのはその社会性。オリジナル版ではチャッキーには連続殺人鬼の怨念が宿っていますが、この映画では、ただのしがない一工場員です。しかし、彼の社会的地位は低く、会社をクビになり、「誰も助けてくれない」という絶望の中で死んでいっています。誰かに認められたい。この映画のチャッキーの行動原理は承認欲求だと私は思います。しかし、アンディの承認は他者に向けられていて、チャッキーはその承認を自らに向けたかった。これがチャッキーの殺人の動機だと私は考えます。


そして、同じことは世界中で起こってしまっているわけですよ。もちろん日本でも。この映画って『ジョーカー』に通じるところがあると私は思います。私も社会的弱者なので、この映画は評価しなければならないという強い使命感を抱きました。年間の1位に選ばなければならないと思ったほどです。


現在、DVD/BDが発売中。またレンタルも開始されており、Amazon Prime Videoでも視聴可能です。よろしければご覧ください。




チャイルド・プレイ(字幕版)
オーブリー・プラザ
2019-11-20






このように私に大きな衝撃を与えた『チャイルド・プレイ』。ですが、その『チャイルド・プレイ』よりも強いインパクトを残した映画が、下半期に一つだけありました
















第1位:ホットギミック ガールミーツボーイ



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―あらすじ―

都内のマンションに住む女子高生・成田初は、優しい兄・凌、元気な妹・茜と両親と、ごく普通の家庭で暮らしていた。ある日、茜に頼まれて内緒で購入した妊娠検査薬を、同じマンションに住む橘亮輝に知られてしまう。バラされたくなければ"奴隷"になれ、という条件を突き付けられ、その日を境に初は亮輝の無茶な命令に振り回されるようになる。そんな時、小学校の時に突然転校してしまった幼馴染・小田切梓がマンションに帰ってくる。今や人気雑誌モデルとして第一線で活躍する梓が、昔と変わらず自分を守ろうとしてくれるその姿に初は自然と心惹かれ、2人は遂に付き合うことに。幸福感に溶けてゆく初だったが、ある夜、彼の本当の目的を知ってしまう。動揺し、深く傷ついている初を心配し、常に寄り添い愛情を注いでくれたのは兄の凌だ。昔から兄としての優しさも絶やさず、しかし凌も知られざる秘密を抱えていた。3人の男性との恋に揺れ動きながら、少しずつ自分の中に芽生える本当の気持ち。初は悩みながらも1つの答えに辿り着く。喜び、痛み、迷いの先にある、物語の最後に彼女が見出した、その想いとは―――。

映画『ホットギミック ガールミーツボーイ』公式サイトより引用)



感想はこちら↓





今年の下半期映画ベスト10、第1位は『ホットギミック ガールミーツボーイ』です。こちらも公開されたのは6月なのですが、観たのは7月だったので下半期のランキングに入れさせていただきました。『溺れるナイフ』『21世紀の女の子』の山戸結希監督の最新作だったこの映画は、観ている途中ずっと圧倒されっぱなしで、終わった後に思わず「凄い……」と呟いてしまう。語彙力を全て奪われてしまうほどの凄まじい映画でした。


この映画、一人の女の子に三人の男子が言い寄ってくるという、設定だけ見れば典型的なキラキラ映画のように思えます。しかし、山戸監督はこのキラキラ映画の枠をぶち破ってきました。カット数が異常に多く、カメラワークもバンバン切り替わるので圧倒的なスピード感があり、数本の映画を観たような情報量が頭に叩き込まれます。さらに、オープニングから静止画を多用するなど山戸監督の演出や、それを実現する編集も冴えに冴えていました。揺れ動くなんて甘っちょろい言葉じゃとても説明できない、初の激動がひしひしと伝わってきます


さらに、特筆すべきはその台詞回しです。私は山戸監督の映画の真骨頂は、テンポが異常なほどいい台詞回しにあると思っていまして。それは『21世紀の女の子』内の短編『離ればなれの花々へ』でも存分に発揮されていましたが(こちらもレンタルできるので見てほしい)、この映画ではさらにそれが進化。体言止めを多用し、歯切れのよい台詞回しで観ている人の脳みそを強烈に揺さぶります


また、山戸監督の映画の特徴として挙げられるのが、全編にわたって音楽が流れている時間が多いということ。これは観ないと分からないのですが、キャラクターが喋っているんじゃなくて歌っているんですよ。しかも音楽が流れていない時間帯でも、頭の中にはすっと音楽が流れていてキャラクターが歌っているという一種のトランス状態に私は陥っていました。


もう気がつくと泣いていたんですよね。そんな泣くようなシーンじゃないのに、その演出力のあまりの高さに。今観ているのは映画なのだろうか?もっと恐ろしい何かではないだろうか?そう感じて、途中で逃げ出したくなったんですよね。こんなこと初めてですよ。


ここまで外側の話ばっかりしてますけど、映画のストーリー自体も抜群に良いんですよね。山戸監督曰く、この映画は「主体性を得るための失恋」というものを描いているらしくて。今まではボーイミーツガールで、女子が男子に恋して自らを委ねて主体性を失っていったのに対して、この映画はその真逆をやっている。フェミニズム?やジェンダー論?みたいな難しいことは良く分かりませんが、私にとってはその演出の斬新さも合わせて、とても新鮮なものとして受け止めることができました。最後の初が主体性を獲得するシーンなんて、感情の爆発が凄かったですからね。途轍もなかったです。


以上、『ホットギミック ガールミーツボーイ』が下半期1位の理由とそのインパクトについて語ってきましたが、実際文章で読むよりも映画を観た方が早いでしょう今、この映画はNetflixで全世界に配信されています。山戸監督の演出にあまりハマらない方もいるとは思いますが、私はぜひ観ていただきたいです。強く勧めます。




2019下半期映画ベスト10一覧

特別賞:月極オトコトモダチ
特別賞:いちごの唄
特別賞:ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん

第10位:JOKER/ジョーカー
第9位:いなくなれ、群青
第8位:見えない目撃者
第7位:エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ
第6位:劇場版 FINAL FANTASY ⅩⅣ 光のお父さん
第5位:王様になれ
第4位:ホームステイ ボクと僕の100日間
第3位:空の青さを知る人よ
第2位:チャイルド・プレイ
第1位:ホットギミック ガールミーツボーイ



















というわけで、2019年下半期のベスト1は『ホットギミック ガールミーツボーイ』でした。インパクトという面では他の追随を許さない映画でしたね。山戸監督の次回作も楽しみです。




それでは、ついに!とうとう!2019年映画ベスト10を発表したいと思います!!


と、その前に注意事項。もうすでにこの記事は15,000字をオーバーしてしまっています。いい加減長い。なので、ここからはコメントはなしで、タイトルのみの発表とさせていただきます。上半期公開の映画でランクインした映画につきましては、や各映画の感想記事を参照ください。何卒お願いします。


では、2019年映画ベスト10の発表です!!!











2019年映画ベスト10





第10位:プロメア



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感想はこちら↓








第9位:王様になれ




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第8位:ホームステイ ボクと僕の100日間



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第7位:スパイダーマン:スパイダーバース



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感想はこちら↓











第6位:空の青さを知る人よ



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第5位:翔んで埼玉



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感想はこちら↓













第4位:海獣の子供



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感想はこちら↓











第3位:チャイルド・プレイ




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第2位:ホットギミック ガールミーツボーイ



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第1位:バジュランギおじさんと、小さな迷子



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感想はこちら↓













というわけで、2019年映画ベスト1は、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』でした。いかがでしたでしょうか。


こうして見てみると、今年ベスト10に選出した作品には音楽が印象的な映画が多かったように感じます。『プロメア』、『王様になれ』、『空の青さを知る人よ』、『ホットギミック ガールミーツボーイ』、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』。上半期だと『小さな恋のうた』、下半期だと『いちごの唄』と音楽が映画に占めるウェイトの大きさを改めて思い知らされた一年でした。音楽が良いとそれだけで満足度は上がりますしね。来年も映画に耳を傾けていきたいと思います。


また、私のランキングの特徴は、優しい映画が多いことだと思います。年間ベスト10でも、『チャイルド・プレイ』と『ホットギミック』の他はすべて優しい映画ですし、下半期の6,7位が『光のお父さん』と『エイス・グレード』であることにそれは顕著ですよね。というのも、これは私のパーソナリティに起因してのことです。


私って生きていちゃダメな人間なんですよ。映画を観ていちゃダメな人間なんですよ。給料も最低賃金で、コミュニケーション能力も低いから友達もいない。そのくせろくに努力もせず口をついて出るのは不平不満ばかり。こんな人間が生きていていいと思います?違うでしょう?


でも、私はやっぱり生きたいんですよ。生きるためには癒されなくてはならなくて、人とのかかわりの中で癒されない私は、映画などのフィクションに逃避するしかないんです。なので、そんなフィクションには私が求めているものって「生きていることを肯定してくれること」。生きていていいんだって思いたいんですよ。


もちろん現実に向き合わなければならないのは分かってますよ。でも、たまには逃避したっていいじゃないですか。このベスト10は言い方を変えれば、そんな私を癒してくれた映画です。生き延びさせてくれた映画です。すいません、ものすごく気持ち悪い理由で選んでしまって。でも、これが私の胸中です。切実な思いです。分かってくださいとは言いません。ただ、貶さないでください。お願いします。




湿っぽい話はこれくらいにして、ここからは未来の話をしましょう。ここで、他のブロガーの方がしているように大きな目標を掲げられたらいいのですが、あいにく私にそんな余裕はなく、現在で既にいっぱいいっぱいの状況です。そもそも飽きっぽい私が、ブログを2年続けているだけで奇跡的ですしね。なので来年の抱負としては、


・新作映画を100本観る
・そのうちのなるべく多くの映画の感想をブログに書く



この2点を目標に頑張りたいと思います。


最後になりますが、改めて本年中のご愛顧、誠にありがとうございました。弱小で、零細で、稚拙で、いつ突然終わるかも分からない不安定なブログですが、来年もこんなちっぽけな私の感想にお付き合いいただけるのであれば、これほど嬉しいことはありません。2020年も何卒よろしくお願いします。


一年間の感謝を込めて。


お読みいただきありがとうございました!!!


おしまい


バジュランギおじさんと、小さな迷子 [DVD]
サルマン・カーン
Happinet
2019-08-02



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こんにちは。これです。いよいよ年の瀬が迫ってきました。映画ファンにとって、この時期の楽しみといえば年間ベスト10の選定ですよね。私も今、少しづつ書いているところです。30日に出せればと思っていますので、そのときはまたよろしくお願いしますね。


さて、おそらく通常の映画の感想も、今年は今回が最後。今回観た映画は『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。こうの史代さんの原作『この世界の片隅に』を2016年に映画化した一作が、250以上もの新規カットを加えて装いも新たに再登場です。私はリアルタイムでは見ていないのですが、NHKで放送されていたのは観たことがあります。高い評判も頷ける映画でした。


では、その『この世界の片隅に』からこの映画はどう変わったのか。感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。


なお、この感想では2016年に公開された『この世界の片隅に』を便宜上、オリジナル版と表記します。また、原作やドラマ版は未見ですので、ご承知おきを。




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―目次―


・すずさんの「戦い」は居場所を守るための戦い
・戦争も居場所を守るための戦い
・居場所を守るための戦いは現代も続いている





―あらすじ―

誰もが誰かを想いひみつを胸に 優しく寄り添う

広島県呉に嫁いだすずは、夫・周作とその家族に囲まれて、新たな生活を始める。昭和19年、日本が戦争のただ中にあった頃だ。戦況が悪化し、生活は困難を極めるが、すずは工夫を重ね日々の暮らしを紡いでいく。
ある日、迷い込んだ遊郭でリンと出会う。境遇は異なるが呉で初めて出会った同世代の女性に心通わせていくすず。しかしその中で、夫・周作とリンとのつながりに気づいてしまう。だがすずは、それをそっと胸にしまい込む……。
昭和20年3月、軍港のあった呉は大規模な空襲に見舞われる。その日から空襲はたび重なり、すずも大切なものを失ってしまう。 そして、昭和20年の夏がやってくる――。

(映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。







※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・すずさんの「戦い」は居場所を守るための戦い


この映画はオリジナル版と同じ昭和8年から始まります。学校でのすずさんと哲の追加シーンを挟みつつ、物語の前半は基本的にオリジナル版と同じシーンが続きます。この映画独自の展開を見せるのは映画も中盤に差し掛ってから。すずさんと、遊郭で働くリンが再会するシーンからいよいよ追加シーンが多くなっていました。


基本的にこの映画の追加シーンというのはリンさんとのシーンが中心なのですが、他にもオリジナル版を補完するシーン(例:台風で土砂崩れが起きたシーン)も多数あり、この映画の魅力をより深化させていましたね。主演ののんさんも心なしか、オリジナル版よりも落ち着いた演技をしていた印象を受けました。


さて、この映画とオリジナル版の大きな分岐点である、すずさんとリンの再会シーン。ここで、リンはすずさんに、家庭におけるすずさんの役割を尋ねます。すずさんの答えは「出来の良い跡取りを産む」こと。それが戦いに出ることのできない女性の戦いだというんですね。今は違いますけども、戦時中はこのような意識がまだ残っていたという。


まあリンに追及されて、すずさんは答えることができなくなってしまうんですけども、この映画はすずさんの「戦い」というものが、オリジナル版よりもフィーチャーされていると感じました。その戦いとは「生活を守る」戦いです。この映画でのすずさんは戦地に赴くことはありません。やっていることといえば炊事や洗濯など一般的な家事ばかり。でも、それは戦争という脅威から自らの生活を守るための必死の戦いだったんですよね。すずさんも「暮らし続けるのが私たちの戦い」と言っていましたしね。戦地に赴いて戦うということが、戦争における戦いではないということです。


そして、どうして生活を守るのかと言うと、夫や父親が帰ってくる場所を守るためが一つ。自らが生活する場所を守るためというのが二つです。どちらも共通しているのが生活する場所、すなわち居場所です。この映画では「居場所」という言葉がキーワードの一つになっているように私には感じられました。


オリジナル版では、すずさんが北條家に嫁がされた理由は明かされないままでしたが、この映画では追加シーンによって、それが明らかになります。すずさんの夫・周作とリンは以前にも会っていました。周作は身寄りのないリンを、遊郭から連れ出そうとします。しかし、それを青い考えだと叔父と叔母はみなし、すずさんをあてがうことで身を落ち着けさせ、リンを諦めるように仕向けた。これがすずさんが北條家に嫁がされた真相でした。


きっと、すずさんは北條家に嫁いできたときに、自分が歓迎されていないような雰囲気を感じ、一人だと思ったのでしょう。実際、すずさんも後にそう言っていますし。つまり、北條家にすずさんの居場所はなかったのです。となると、すずさんは北條家に居場所を作る戦いをしなければいけません。


ただ、すずさんと北條家の人々は対立することはなく、変わっていったのはすずさんの認識だというのが、私がこの映画の好きなところ。すずさんは北條家のために倹約しながらも、一生懸命炊事などの家事を行い、一緒に食卓を囲むことで認められているという感覚を持てるようになっていて。劇的な出来事があるんじゃなく、徐々に徐々にというのは個人的には好みでした。



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北條家に居場所を得たすずさん。しかし、戦争の波は呉にも迫ってきていて、配給は減らされ、生活は苦しくなっていきます。すずさんは今度は生活を、居場所を守るために戦わなくてはならなくなりました。野草を取ったり、米をかさ増ししたり、ときには防空壕を掘ったりと、なんとかして生活を続けていきます。


ここで大切なのが、すずさんが他の人と助け合っていたことですよね。暮らしは皆苦しいのに、お互いに助け合うことで生活を守ろう、居場所を守ろうと。すずさんだけじゃなく、さらにいくつもの「戦い」が呉で、いや映画では描かれなかった日本中で行われていたんですよね。


オリジナル版でもあった哲の「すずは普通じゃのう」というセリフ。これも追加シーンを踏まえるとまた響きが変わってきます。私が思うに、すずさんが普通なのは戦っていたからだと思うんですよね。みんなと同じように戦争から居場所を守るための戦いをしていた。だから、「普通」なんだと。


さらに、哲がすずさんに一緒に行こうと誘い、すずさんが断るシーン。これもまた見方が違ってきますね。すずさんが周作を好きだったこともありますけど、今の居場所を失うことが怖かったという気持ちも、すずさんにはあったのではないかと私は感じました。至極「普通」の考え方ですね。


それに、この映画の追加シーンで、すずさんが子供ができないことに悩むというシーンがあります。すずさんには、子供を作らなけらばならないという無言のプレッシャーがあったと考えられます。子供を作れず、役割を果たせない自分は北條家に居場所がないという思考に、すずさんはなっていたのではないかと。これも現代からすれば非難ものでしょうが、当時の考え方からすると「普通」のことのように思えてきますね。




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・戦争も居場所を守るための戦い


これまで見てきたようにどこをとっても、すずさんはあくまで「普通」。それがオリジナル版から変わらないこの映画の最大の特徴なんだと思います。でも、戦争はこの時代に「普通」に暮らしていた人々の居場所を容赦なく奪っていくんですよね。空襲や原爆で街は焼け野原。家も壊され、人も死んでいきます。


それは、すずさんの身の回りも例外ではなく、径子は夫を亡くし、すずさん自身も父親や兄を亡くします。リンも、この映画に新たに登場したテルも、戦争により居場所を失って、遊郭で働かざるを得なくなっています。そして、やはり一番辛いのが晴美ですよね。すずさんの心の拠り所の一つになっていた晴美のシーンは、居場所というものを繰り返し描いてきたこの映画では、より重く受け止められました。そのシーンが来るの本当に嫌でしたからね。オリジナル版以上に辛かったですよ。


もちろん、戦争はダメですし、絶対になくなった方がいいに決まっています。でも、この映画は単なる反戦映画じゃないと思うんですよね。もし、反戦映画にしたいんだったら、もっと悲惨な描き方だって可能だったでしょうし。


この映画の優れているところというのは、生活も戦争も同じ線上にあることを示したことだと私は思います。戦争には相手が必要で、周作の父親の円太郎が言っていたように、相手には相手の生活があるわけですよ。「生活・居場所を守るための戦い」の延長線上に戦争があるとこの映画は描いていると感じます。


例えば、望まざる状況に身を投じられたすずさんの状況は、戦争によって苦しい生活を強いられる「普通」の状況のミニチュア版でしょう。望んで戦争に巻き込まれているわけじゃないでしょうし。「自分の居場所を守るため」という動機は同じで、それが大きいか小さいかの違いしかない。人と人とが暮らすうえで衝突は不可避なものですし、もしかしたら戦争というのは生活と同じくらいの人間の営みなのかもしれません。


でも、この映画で描かれた戦争の現実というのは、とても堪えるものでして。焼け野原になった呉や広島の街は当然のことながら、それに伴う遺児の問題。配球の停止によって苦しくなる生活。さらに追加シーンによって、リンは義務教育を満足に受けていないことが示されますし、新たに登場したテルに至っては博多弁で、生きるために遠くから連れてこられた背景が透けて見えて悲しい。


でも、戦争は人間の営みで止むことはないのだとすれば、文字通り「とてもやりきれない」ですよ。単に戦争はダメだというんじゃなく、戦争はあるものとして考えなければいけないという現実を突きつけられて、何が正しいのか分からなくなり、とても複雑な気分にさせられました。考えさせられる映画というのはまさにこの映画のことを言うんだと思います。本当に、定期的に見返されるべき映画ですね。せめて、年に一度、8月にでも。




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・現代も居場所を守るための戦いは続いている


ここまで見てきたのは、家や生活といういわば物理的な居場所です。これはオリジナル版でも描かれていたことですが、この映画ではさらに精神的な居場所というテーマが付与されているように感じました。


それを最も感じたのが、空襲の途中に追加された花見のシーンです。先の再会の後、離ればなれになっていたすずさんとリンですが、ここで三度、再会。リンは戦艦大和になぞらえて「人間死ぬときは一人かもしれない」と語ります。


確かに人間は死ぬときは一人でしょう。ただ、関わってくれた人たちに自分の思い出を残すことができます。葬式に来てくれた人の人数がその人の人生を表しているとはよく言われることです(私は決してそうは思いませんが。大事なのは人数じゃない)。人に思い出を残すということは、その人の心に自分の居場所を作ることでもあるんですね。そして、それは物理的に生活や居場所が奪われたからといって、決してなくなるものではないと。


追加されたシーンでは、すずさんにリンから口紅が手渡されます。オリジナル版では、周作が海軍に向かうシーンで、すずさんが口紅をつけているという謎の描写がありましたが、この追加シーンによって、その理由が明らかになっていました。そして、口紅が撃たれて壊れるというシーンは、オリジナルでは何ともなかったのに、この映画ではとても悲しく映りました。リンの物理的な存在証明が壊されてしまったのですから。


でも、すずさんはリンのことを忘れずに、焼け野原になった遊郭を訪ねるんですよね。すずさんの中にリンとの思い出が残っていたことの証明で、死んでもなお居場所は残るという描写に泣きそうになりました。焼け野原になった広島では誰もが誰かを探しているのも、故人の精神的な居場所がその人に残っていたからですよね。


この映画は新たに精神的な居場所もテーマにしている。そう思うと、リンの「この世界にそうそう居場所はなくなりゃせんよ」という言葉は、すずさんを励ましているようで、その実自らも勇気づけている。強い決意と希望の言葉だと感じました。




この「居場所」というテーマは現代にも通じるものだと私は思います。居場所を求めていて、彷徨う人たち。手にした居場所を守ろうと、日々の生活を送る人たち。誰かに自分の精神的な居場所を見出したいと、かかわりを求める人たち。現代も「居場所を守るための戦い」は続いているんですよね。個人レベルでも国家レベルでも。この映画は戦時中の話にもかかわらず、現代にも通じる普遍性を持っているのかなと感じます。


そのことを踏まえると、この映画の「それでも生活は続いていく」という終わり方は最高ですよね。だって、すずさんたちは戦争から生活を、居場所を守ることに成功したのですから。勝ってはいないけど、負けてもいない。負けなかっただけで十分ですよ。強く生き抜いたすずさんたちを見て、私たちも頑張ろうという気にさせてくれます。


そして、居場所のない子供にそのすずさんたちが、新たに居場所を与えるというのも実に良い。これもすずさんたちが負けなかったからこそできたことで、あの子も大きくなってまた別の子に居場所を与えるんでしょうね。物理的にも精神的にも。そうして人間の営みは続いていく。もちろん戦争は起こりますけど、そこから自分たちの居場所を守るための戦いの大切さや愛おしさを、この映画は教えてくれました。私たちの何気ない生活にも価値があるように思えて、励まされますね。オリジナル版でも感じましたけど、やはり私はこの映画が好きなようです。




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以上で感想は終了となります。映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。少し長いですが、新規カットの数々によって、前作よりも深化した味わいが得られるので、オリジナル版を観ている方にもお勧めしたいですね。もちろん、まだ観たことないという方にも。ねんまつねんし、ぜひ観てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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こんにちは。これです。もう年末ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。平成から令和に変わった今年、様々なことがあったのではないでしょうか。


私は今年はブログを書いたり、小説(のようなもの)を書いたり、とにかく何か書いていた一年でした。少しずつ書くことは大変になってきていますが、楽しさもなくはないので、来年も続けていけたらなと思っています。


さて、今回のブログは年末のお楽しみ、2019年映画ベスト10!ではなく、今年観たけれど、感想を書かなかった映画の感想を短いけれど、まとめて書いちゃおうという企画。題して、「2019年この映画も観てました」です。


私は、今年観た映画は実に124本。その中でも多くの映画の感想をブログに書いてきたのですが、時間がない、どう書いたらいいか分からない、書いている途中に寝落ちしてしまったなどの理由で、感想を書かなかった映画も数本あります。それらの映画に対しては、常々申し訳ないなと思っていたので、短くてもいいから思ったことを書こうと、今回の企画を思い立ちました。


古いもので半年前から、最近のものだと先週観た映画まで。映画の内容を思い出すのはなかなか大変な作業でしたが、観た後にブログ用に書いていたメモがあったおかげで何とか書くことができました。


なお、今回取り上げるのは9本です。それぞれ短く、また拙い文章ですが、何卒ご笑覧していただければ幸いです。では、よろしくお願いいたします。





―目次―


・Noise
・ライオン・キング
・存在のない子供たち
・ひとよ
・影踏み
・地獄少女
・ゾンビランド:ダブルタップ
・屍人荘の殺人
・羊とオオカミの恋と殺人











・Noise



faa




舞台は東京・秋葉原。10年前の秋葉原無差別殺傷事件の被害者遺族である桜田美沙(篠崎こころ)を軸に、家出する女子高生、生活苦の配達員の3人の等身大の地獄を描いた一作です。その地獄っぷりは今年観た映画でも随一。地下アイドルの傍ら、JKリフレで働く桜田。「お前が死ねばよかったのに」という叫び。彼ら彼女らの姿はまさしく生き地獄といえるもの。絶望一色で、ちっぽけな暮らしに価値があるなんて幻想を粉々に破壊してきていて、個人的には『ジョーカー』よりも堪えました。1シーン1シーンが長めなのが少しキズですけど。


それと、主人公三人の中では配達員を演じた鈴木宏侑さんがとても良くて。価値が見えてこない生活を繰り返す中での無気力が痛いほど伝わってきました。でも、そんな現実にはやはり抗いたくて。鬱屈した感情が爆発した電話ボックスのシーンはもう心が痛んで見ていられない。鈴木さんの責め立てるような口調が、諭す警察官の優しい口調に虚しくされていて、とても残酷。「生きていればいいことあるよ」という楽観論を「お前に何が分かんだよ」という悲痛な叫びで叩き潰す


現代の日本は無差別殺傷事件が頻発し、格差も拡大。残念ながら、この映画に収められた彼ら彼女らの姿はマジョリティーになりつつあります。現在、上映している映画館はなく観ることはできないのですが、機会があれば観ていただきたい映画です。彼ら彼女らと私たちは紙一重であることがお分かりいただけるかと。










・ライオン・キング




fab




言わずと知れたディズニーの名作が満を持して実写映画化。超実写版と銘打たれているだけに、映像は目を見張るものでした。毛並みの一本一本にまでこだわられたCGは、リアルな動物の姿をスクリーンに完全再現。人間は最後まで一人も出てこず、動物だけで押し切ったのには新時代の到来を予感させます。「サークル・オブ・ライフ」が流れ、数多の動物たちが映されるオープニングは圧倒的でした


ただ、正直このオープニングが映画のピークだと感じてしまいました。オリジナルのアニメ映画版を全くなぞったストーリー展開。アニメを先に見ていたので展開は全て分かってしまい、退屈に感じた瞬間も多数。虫ばっかり食べていたシンバがどうしてあんなに立派に成長したのだろうという疑問もあり、実写になったことでかえって、アニメ映画版の寓話的な風味を失ってしまったようにすら感じられます。


それでも、オリジナルにはない展開があるかもしれないと信じながら観ていましたが、最後まで真新しい展開は見られず。悪い意味で原作に忠実でした。エンドロールに入ったときには、怒りすら覚えましたからね。今年観た映画の中でもワーストの部類です


『メリーポピンズ・リターンズ』や『アラジン』(観てない)もそうでしたが、近年のディズニーはネタ切れなのかリメイクや続編ばかりに走っていて、個人的にはあまり好きではないです。もっとオリジナルが見たい。その意味でも、来年の完全新作『2分の1の魔法』には注目ですね。









・存在のない子供たち



fac




アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされたレバノン映画。身分証明もされず、学校にも行けない少年ゼインの苦闘を描きます。妹は金持ちの男に売られ、家出をするゼイン。途中、赤ちゃんのヨナスと二人きりで暮らすシーンは、誇張されないこの世の地獄を観ているようで、ただただ辛かったです。大人は嘘つきで、神様なんていない。それでも最後には希望を持って終わるのが、この映画の良いところ。あのゼインの笑顔は、今年でも指折りのラストでした。


日本にも戸籍のない人は存在していますし、何も考えずにセックスして、子供を産んで、産んだ子供を虐待する親も珍しくありません。「世話できないなら産むな」というゼインの主張はもっともでしょう。なんとかしてこの映画を義務教育に組み込めないかと、観終わった後思わず考え込んでしまったほどです。中国でもヒットしている事実が重い。夢を操る機械があったら、私はこの映画を見せるために使いますね。


でも、何も考えずセックスする人の方が動物としては正しいですし、この映画を観ると、子供を授かろうとはあまり思えなくなるはず。でも、この映画が多く見られることで、存在を知られて救われる子供も確かにいると思うんですよね。観てほしくないけど、観てほしい。そんな複雑な気持ちになる映画でした。














・ひとよ



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『凶悪』『孤狼の血』などで知られる白石和彌監督の最新作は家族がテーマ。ある大雨の夜、父親を殺した母親。当然収監され、三人の子供は母親を失い、苦労の日々を送ることに。そして15年後、釈放された母親の帰宅により、子供たちにも変化が起きる―といったストーリーです。一見すると重い内容ですが、映画自体は笑えるシーンもあり、予想以上にポップな仕上がりとなっていました。想像していたものと少し違って面喰いましたし、この軽さは白石監督にはあまり合ってないのでは、と個人的には感じてしまいました。


でも、俳優さんたちは全員が良かったんですよね。佐藤健さんは母親の帰宅を受け入れられない次男の不器用さが、鈴木亮平さんは現実を受け入れるしかなかった長男の悲哀が、松岡茉優さんは母親の帰宅に素直に喜ぶ一方で、夢を諦めざるを得なかった長女の複雑さがそれぞれ光っていました。三人でタバコを吸うシーンは、なんてことないシーンでしたが、蓄積を感じられて好きなシーンです。また、母親役の田中裕子さんが変に重くなりすぎず、努めて明るく振る舞っていたのが、映画を明るくしている一方で悲しかった。俳優さんの演技の掛け合いを存分に楽しむことのできる映画といった性格が強かったですね。


ただ、心残りなのが、あくまで個人的なことなんですけど、度の合わない眼鏡でぼやけた状態で観てしまったこと。楽しむよりも疲れが先に来てしまったんですよね。で、もう一回ちゃんと観てから感想を書こうと思ったんですけど、地元の映画館ではすぐに上映が終わってしまって、できませんでした。本当に申し訳ありませんでした。










・影踏み



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「ノビ師」と呼ばれる泥棒・真壁修一が、親友の刑事の死を解き明かしていくミステリー。山崎まさよしさんはなかなか映画で観ることはないですが、渋くてカッコよかったですし、北村匠海さんの自然体な感じも好印象でした。尾野真千子さんの芯が通っている姿も良かったです(山崎まさよしさんと同年代には見えないけど)。ただ、ストーリーは淡々と進んでいくので、それほど惹かれず、あまり良い映画ではないのかな......と思っていましたが、後半の展開で一気に好きになりました。


この映画の肝は修一には双子の弟、啓二がいたということ。啓二はもう死んでしまったのですが、その過去編で北村匠海さんが、一人二役で修一と啓二を演じているんですよ(北村匠海→小栗旬→山崎まさよしという系譜です)。黒髪の修一と金髪の啓二。私は北村匠海さんが好きなので、ここだけでもう1億点くらいの加点ができます。


『寝ても覚めても』でも思ったんですけど、私は画面に同じ俳優さんが二人いるというのが好きみたいです。「北村匠海分裂ムービー」として、拍手を送りたくなりましたね。正直、話はそれほど面白くないですし、ヤクザとかいろいろほったらかしですけど、北村匠海さんが二人いれば全てOKなのです。


そして、終盤には滝藤賢一さんまで分裂しだすのですから、もう大変。好きに拍車がかかり、よく分からない興奮状態に陥っていました。『影踏み』は話以外の部分が面白かった映画ですね。それだけに、もっと話の部分で面白みを感じたかったかなと思います。











・地獄少女



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望む相手を地獄に送ることができる「地獄通信」にまつわる人々を描いた『地獄少女』。アニメも漫画も何にも『地獄少女』に触れたことのない私が、なぜこの映画を観に行ったかというと、ひとえに玉城ティナさんが主役の閻魔あいを演じていたからです。この映画の玉城ティナさんは期待以上の凛々しさを披露。雰囲気が全く違う異形の存在。日本人形みたいにかっこよく、観ていてゾクゾクしました。「いっぺん、死んでみる?」という決め台詞があるのは強いですね。これだけでも、私はこの映画好きですよ。


また、この映画は『コワすぎ!』などの白石晃士監督がメガホンを取っただけあって、ホラー的な要素が結構強めでした。斬首や轢死などグロ描写からも逃げていなくてそちらも好印象でした。CGも結構頑張っていましたしね。あと、今回の敵が教祖化するV系ミュージシャンということもあり、意外なほど音楽が印象的な役割を果たしていました。ある意味、今回の『地獄少女』は音楽映画ともいえるかと思います。


ただ、少し残念な点として、主人公の動機が薄いかなという感じはしました。この映画の主人公・美保は『天気の子』の森七菜さんが演じていて、森七菜さん自体はピュアで良かったのですが、友だちを取り返すためというのは……。他の人たちが息子を殺されたり、未来を断たれたりしているのに比べると、弱いというのはあるのかなと。正直、あの二人がそこまでの仲だとは思えませんでした。


あと、映画公式サイトの相関図が映画の内容を全てネタバレしちゃっているので、そこはどうにかしてほしかったです。


















・ゾンビランド:ダブルタップ



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2009年公開の『ゾンビランド』が、10年の時を経て続編登場。コロンバス、タラハシー、ウィチタ、リトルロックのキャラクターは大体そのままで、実家のような安心感がありました。リトルロックはふくよかになってましたけどね。ゾンビランドの世界だと食べるものが無くて、痩せそうな気がするんですが。


映画自体は、とにかく観ている人を楽しませることを優先。オープニングでメタリカはテンションが上がりますし、コロンバスとタラハシーのそっくりさんも出てきて、迫力のあるバトルを展開します。新キャラクターのマディソンの軽いノリが、いい意味でウザくてよかったですね。吹替をした安達祐実さんは流石でした。4人のピンチに助太刀が入るという熱い展開もしっかり確保されており、とても優秀なエンターテインメントだと感じました。


また、前作では殺されるためだけに登場したビル・マーリーが不憫でした。制作陣もどうやら同じことを考えていたようで、エンドロール後にビル・マーリーの活躍するシーンがあったのは嬉しいサプライズ。ただ、それを踏まえても個人的には前作の方が好きなんですよね。『ダブルタップ』も良かったんですけど、ノリに慣れてしまって新鮮味が薄くなっていった面は否めないと思います。










・屍人荘の殺人




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話題のミステリー小説を映画化したこの作品。予想外の展開を含んでいて、ネタバレが大きな致命傷となるタイプの映画なので、ネタバレをしない範囲で言うと、まず俳優さんたちが最高。神木隆之介さんは頼りないけど成長していく主人公をさせたら一級品ですし、中村倫也さんは真面目に小さなことをやるギャップがおかしかった。浜辺美波さんのコメディエンヌっぷりも際立っていて、えげつないくらいの可愛さはこの映画の一番の長所です。個人的には『ミスミソウ』や『小さな恋のうた』に出演した山田杏奈さんが脚光を浴びていたのが嬉しかったですね。


また、この映画は結構序盤で予想外の展開になります。ただ、「ああだから『屍人荘の殺人』っていうタイトルなんだ」と納得できるもので、事件のトリックにもそれを利用していたのが新鮮でしたね。特に殺人の手段を持たない犯人に、上手く手段を与えていてうまいなと感じました。


ただ、全体的にはレントゲンなどコメディっぽい演出が多く、あまり乗り切れず。終盤の展開にはガッツポーズですけど、ラストシーンは別になくても良かったんじゃないかなと。ミステリーにもあまり詳しくないので、専門的なことも書けず、気づいたら感想を書かずにマクドナルドでハンバーガーを食べてました。好きか嫌いかで言えば、好きなんですけどね。どうやって書くか迷ってしまった感じです。











・羊とオオカミの恋と殺人




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マンガボックスの人気漫画『穴殺人』の映画化です。この映画について言えることは、とにかく福原遥さんがかわいい。この映画の福原さんは殺人鬼なんですけど、人を殺した後の笑顔にはこんな表情出来るんだと思わされました。特徴的な声も殺人鬼とのギャップでいい方に働いていましたしね。また、屋上のシーンなど福原さんをかわいく取ることに成功していて、これだけでもこの映画には価値があると思います。


また、杉原遥亮さん演じる黒須は自分に生きている意味がないと思っています。彼が暮らす部屋の汚さ暗さは今年観た部屋の中でも随一の生活感がありました。そんな黒須が生きたいと思うようになるストーリーの骨子はベタだけれど好きなものでした。人は悪い部分も含めて人をまるっと好きになれるのか?というテーマも良いです。


ただ、黒須のリアクションや(飲み物を3回も吹き出すのは流石に……)、江口のりこさんのいかにもWEB漫画的なキャラクターなど細かいところが気になり、全体的にはあまり乗り切れず……。最後の福原さんのアクションも、それまでのリアリティラインを越えてしまったように感じられました。好きか嫌いかで言えば好きなんですけどね。

















以上で、「2019年この映画も観てました」は終了となります。いかがでしたでしょうか。


こうしてみると、個人的にはあまり乗り切れなかった映画が多いですね。『存在のない子供たち』は年間ベスト30くらいには入りますし、好きな映画もあるんですけど、やはり取っ掛かりがないと書きにくいようです。


でも、それも映画館に観に行ったからこそ感じられたことで、観る映画観る映画全てが傑作というわけにはどうしてもいきません。このような感想を書きづらい映画も、私にとっては必要な映画でしたね。


やはり映画は観てみないと分からない。まだ知らない面白い映画に出会うために、来年も多くの映画、具体的には100本前後を目標に映画館に足を運んでいきたいと思います。そのなかには感想を書けない映画もあるでしょうけど、こうやって少しでも感想を述べられたらなと思います。来年は年末に一気にまとめてやらずに、5本ずつにしようかな。その方が記憶も新鮮ですし。


それと最後に宣伝なのですが、2019年映画ベスト10。こちらも明日には投稿したいと思います。上半期ベスト10と同じように、まず下半期映画ベスト10と、ベスト10には入らないけれど推したい特別賞3作品を選出しておいて、その後、2019年の通年のベスト10を選出する予定です。おそらくあまり見られていないであろう映画もランクインしていますよ。どうぞお楽しみに。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
今村 昌弘
東京創元社
2019-09-11



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こんにちは。これです。クリスマスですね。私は相も変わらず一人です。でも、昨日はサイゼリヤでチキンステーキを食べました。寂しくなんてないですよ。


それはさておき、今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『ガリーボーイ』。スラム街からラップでのし上がる青年を描いたインド映画です。最近新たな謳い文句になりつつある「ロッテントマト100%フレッシュ」に釣られて観に行ってきました。


では、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―あらすじ―

ムラド(ランヴィール・シン)は、雇われ運転手の父を持ち、スラムに暮らす青年。両親はムラドが今の生活から抜け出し成功できるよう、彼を大学に通わせるために一生懸命働いていた。しかしムラドは、生まれで人を判断するインド社会に憤りを感じ、地元の悪友とつるみ、内緒で身分の違う裕福な家庭の恋人と交際していた。ある日大学構内でラップをする学生MCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)と出会い、言葉とリズムで気持ちを自由に表現するラップの世界にのめりこんでいく。そして“ガリーボーイ”(路地裏の少年)と名乗り、現実を変えるためラップバトルで優勝を目指す事を決意する。

(映画『ガリーボーイ』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。










この映画の一番の注目ポイントは、実は字幕です。この映画はインド映画で、しかもラップを題材にしたとあって歌のシーンが多い。普通だとニュアンスを汲み取って、それなりの翻訳になりそうなものですが、この映画は違います。字幕でもしっかり韻を踏んでラップの快感を再現しているのです。


耳ではなんとなく韻を踏んでいることが分かりますが、所詮それは外国語。しかし、字幕でも韻を踏むことで、視覚的に私たちに訴えかけています。頭の中でトラックを流すことで、韻を踏む心地よさが味わえるという設計になっており、まさに観るヒップホップ。さすがは日本語ラップの第一人者であるいとうせいこうさん監修です。そのオーダーに答えた日本語字幕の藤井美佳さんも見事な仕事ぶりでした。字幕だけでこんなに楽しかったのは初めてで、これだけで観てよかったと思えました。後半のバトルの応酬なんて圧倒的でしたからね。










※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。








さて、肝心の映画の内容はというと、全ての創作者への応援歌。これに尽きるでしょう。自分の言葉で語らないと何も動かすことはできないんだと。自分の言葉で語ろうとする創作者の背中を、ムラドの快進撃を持って、強く押すようなそんな映画でした。


この映画の主人公・ムラド(ランヴィール・シン)はスラム街で暮らしています。そこは生きていくためになんでもしなければならない場所。お金を得るために車を盗んだり、子供の生活を守るために、子供が麻薬の売買に参加したりと、キツイ描写も少なくありませんでした。特にキツかったのが、ムラドの家が観光ルートの一つとして組み込まれていたことですね。ショーアップされた貧困を演じなければいけないムラドの辛さ。貧困がビジネスとして消費される様は、富裕層との分断をより印象付けていました。


しかし、スラム街といえば学校にも通えず、文字も読めない子供たちを想像しがちですが、ムラドはどうもそうではない様子。大学にも通うことができて、スマートフォンも持っています。想像以上に私たちに近い暮らしをしていて、まずそのことにビックリしました。まあ親の尽力あってのことなんですけどね。


また、ムラドは親に隠れて裕福な家庭の娘・サフィナ(アーリア・バット)と交際していました。このサフィナは自分をしっかりと持っている強いヒロインだったのですが、少しそれが行き過ぎているかなという感じはしました。ムラドに近づいた女性を突き飛ばしたり、瓶で頭を殴ったりするなど、今時珍しいくらいの暴力系ヒロインだったんですよね。口も悪いですし、若干引いてしまいました。ムラドが彼女を好きでいることに疑問符がついてしまったんですよね。そこが、この映画であまりハマらない部分ではありました。



ある日、ムラドは大学で学生のライブが行われているところに通りかかります。女性歌手にヤジを飛ばす不埒な観客。女性歌手は耐えきれず、ステージから下がってしまいます。しかし、次に登場したMCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)がラップを用いて、その観客を追い返します。これがムラドとラップの出会いでした。


(余談ですけど、この映画、ランヴィールもシッダーントも筋骨隆々でめちゃくちゃごついんですよね。インド映画の主演ってそういうごつい方が多いように見受けられますし、インド人の好みなんでしょうか)


一方、ムラドの父親はある日怪我をしてしまいます。これでは運転手の仕事は務まりません。代わりにムラドが運転手の仕事をするようになります。裕福な家庭の送り迎え。周りがパーティを開く中で、一人車の中で待つムラドの姿は、計り知れない哀愁がありました。ムラドはその悔しさを、詞にしてノートに綴ります。思えば、ここがラッパー・ガリーボーイのスタートでもありました。


また、ある日。ムラドは、シェールが廃屋でフリースタイルバトルを開くことを知ります。ムラドは自分の詞をシェールに歌ってもらうよう頼みますが、シェールの答えは「自分で歌え」。大事なのは自分でやること。やはり自分の言葉で語らないと、何も始まらないということでしょう。どんなに下手な創作でも、自分で考えて、自分で発表したものにはそれだけで価値があるということですね。たとえ認められなかったとしても。




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ムラドは勇気を出して自分で歌った結果、シェールに認められます。ラップのレコーディングもさせてもらえて、MVまで作ってもらえます。社会への不満を歌い、カット割りにも凝ったMVは見られるのも納得の出来でした。そして、そのMVにスカイというユーザーが食いつく。スカイはアメリカの音大に通っていて、ムラドのプロデューサーに名乗り出ます。


MVは多くの人に見られ、プロデューサーを得たムラドは、自分が育ったスラム街で第二弾のMVを撮影することになります。このMVはダンスシーンも盛り込んでおり、インド映画はこうでなくっちゃというMVでしたね。こちらのMVもバズり、40万再生を記録。ムラドはガリーボーイとしてちょっとした有名人になりました


まあぶっちゃけこんなものはフィクションですよ。現実はこんなに上手くいかない。確かにMVは素人レベルを超えていましたが、それでも全く無名の人間の動画が、いきなりこんなに見られるなんてあり得ないですよ。


私もブログを2年くらいやっているんですけど、アクセス数あまり伸びていませんからね。この記事も全く読まれない自信があります。10PVも読まれればいい方でしょう。それにnoteで小説(のようなもの)を少し書いているんですけど、それも大体1話あたり30ビューがいいとこ。スキがついてもそれは読んでもらった上でのスキじゃない。それに、先月文学フリマにも初めて出展させていただいたんですけど、合計で50冊くらい刷って、たったの2冊しか売れなかったですからね。知られていないことに深く絶望しましたよ。まあ私の創作物のクオリティが低いということもあるんですが、知られることはとても大変だということです。


それでも、ムラドのラップが聴かれた理由は、弱者の歌だったからに他ならないでしょう。現代は、貧困層と富裕層の格差がますます広がりを見せています。そして、多数を占めるのはもちろん貧困層です。だからこそ、『ジョーカー』はあれだけのヒットを見せたのでしょうし、『パラサイト 半地下の家族』や『家族を想うとき』(どちらもまだ観てない)など貧困層を描いた映画が多く登場しているのでしょう。そして、その貧困層は満たされていないんですよね。物理的にも精神的にも。


ムラドも先程の仕事で、パーティに興じる人々との差を痛感させられていますし、満たされていなかったのは確かだと思います。ムラドの創作の原動力となっていたのは、満たされていないことによる悔しさです。その悔しさを感じている人が多かったからこそ、MVはバズり、「私のことを歌ってくれた」みたいなコメントがついたのだと思います。やはり創作においてマイナスの感情というのはとても大切なものですね。


また、私の話になるんですけど、私が今noteで書いている小説(のようなもの)って、覚醒剤にハマっていく男の話なんですよね。彼が、まあこの話の主人公は私自身なんですが、覚醒剤を使い始めたのも、今の生活に満たされていなかったからです。というか私の書く話って、大体満たされていない人間が主人公なんですよ。どこかの感想にも書きましたけど、満たされていない人間を救う話を書くことで、私自身も救われたいなというのが、私が小説(のようなもの)を書く一番の理由なんですよ。その思いが間違っていないんだなというのは、この映画を観て思いましたね。










映画に話を戻します。ラップで名を上げていくムラド。ムラドの世界は徐々に変わっていきます。そして、交友関係も変わる。ムラドはスカイと一夜を共にします。それを知ったサフィナにブチギレられ、二人の仲は疎遠になってしまう。何かを手に入れるということは、何かを失うということでもあるという展開が映画の中盤は続きました。


その中で、ムラドに訪れた最大の危機は一家の離散でしょう。ムラドがラップをしていると知った父親はブチギレ。自分のようにはならないために、苦労して大学まで行かせているのに、ラップに現を抜かすとは何事だと、ムラドを何度も殴打します。果てには、母親や弟と一緒に家から出て行けという始末。ムラドは家からの退出を余儀なくされました。


この父親の考えの根底にあったのは、身分は変えられないという思い込みでした。「使用人の子は使用人」だと、かつてのカースト制度が今も深く根付いていることを思い起こさせます。日本でもかつて存在した身分制度。ムラドの父親はその見えない鎖に縛られていました。


でも、音楽は本来、そういった身分に関係のないものではないかと思います。誰だって歌を口ずさむことはできますし、今日の様々な音楽の基礎となったブラックミュージックは、アメリカの黒人奴隷から生まれました。音楽は、身分を飛び越えることができるもの。そのことがこの映画では描かれていたように思えます。


まあ言ってしまえば、これもめちゃくちゃ理想的なことではあるんですけどね。いくら実話に基づいているとはいえ、現実はコネ、圧力、保守的思想が渦巻く世界。この映画のように上手くいくとはあまり思えません。でも、理想でいいんですよ。


確かに「音楽で世界を変えるというのは理想でしょう。与えられただけの音楽じゃ、世界も現実も変わりません。格差も差別もなくなりません。でも、聴いた誰かの慰めにはなります。何も変わらないやるせない世界に悲しんでいても、それを慰めてくれる存在がいたとしたら。慰められて、もう少し生きてみようと思えたら。それだけで十分じゃないですか。だから、あのラストは私は好きですし、あそこだけでこの映画を高く評価することができます。


そして、音楽は、創作物は世界全体を変えることはできないけれど、一人の世界を変えることはできます。ラップバトルに果敢に挑んだムラドが現実を変えることができたように、自分の言葉で創作をしていれば、いつか自分の世界を変えることができるかもしれない。この映画は全ての創作者にとってエールであり、希望ですよ。私も励まされました。もうちょっとだけ、ブログや小説(のようなもの)を頑張ってみたいと思います。




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以上で感想は終了となります。映画『ガリーボーイ』。ラップやヒップホップ好きの人にはもちろん、何か創作をしている人にとっては励みとなるような良い映画でした。何も作ってなくても、何かしてみたいと思うかもしれない。少し長いですが、よろしければ映画館でご覧ください。


お読みいただきありがとうございました。

おしまい 

ガリーボーイ [Blu-ray]
ランヴィール・シン
株式会社ツイン
2020-02-19



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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』(『ヒックとドラゴン3』)。『ボス・ベイビー』などのDREAMWORKSが製作した『ヒックとドラゴン』シリーズの第3作目です。ツイッターで激押しする方がいたので、そんなに言うならと、観てきました。観るにあたって1,2もバッチリ予習。楽しみにしていた作品です。


そして観終わったところ、確かに面白かったです。でも、同時に観たかったのはこれじゃない……というもやもやした気持ちもありました。


では、なぜそう思ったのか。感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。




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―目次―


・最初から最後まで楽しめる
・前半は好き
・ヒックの成長があまり感じられないのが問題だと思う






―あらすじ―


"ヒック"と"トゥース"たちが暮らすバーク島、定員オーバー!
新たな聖地を求めて旅立つ、壮大な〈引っ越し〉アドベンチャー!


かつてドラゴンは人間の敵だった。弱虫のバイキングの少年“ヒック”と、傷ついたドラゴン“トゥース”の活躍で彼らは共存する道を選び、バーク島で平和に暮らしていた。だが、ドラゴンが増え続けたバーク島は定員オーバー!
亡き父の跡を継ぎ、若きリーダーに成長したヒックは、島を旅立ち、みんなと新天地を探し求める決断をする。
目指すはヒックがかつて父から聞いた地図に載らない“幻の聖地”。この場所さえ探し出せれば、きっと平和に暮らせるはずだ。
しかし、大移動の旅の途中、最凶のドラゴンハンター、グリメルに命を狙われ、“トゥース”の前には白い謎のドラゴン“ライト・フューリー”が姿を現す…。
そして彼らが辿り着いたのは、人間は住めないドラゴンたちだけの<隠された王国>だった―!
人間とドラゴンとの共存は、本当に幸せなのか? “ヒック”と“トゥース”は別れる運命なのか?今、彼らの友情が試される―。

(映画『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』公式サイトより引用)




映画情報は公式サイトをご覧ください。











・最初から最後まで楽しめる


劇場に入って、定刻通りに上映がスタート。いくつかの企業CM(最初に流れる結婚式場のCMが最近新バージョンになった)を経て、予告編です。私は、この予告編を見るのが嫌いではなくて。「映画館にああこういう客だと思われているんだ」と知ることができるので、むしろ好きなのですが、この映画では予告編なしで、いきなり映画泥棒となりました。一回上映が10分くらい遅れて、予告編なしという事態には遭遇したことがありますが、定刻通りに始まった映画で予告編なしというのは初めてです。


その代わりに流れたのは、『ヒックとドラゴン』の1,2のおさらい映像です。それも日本オリジナルの。思えば、『ヒックとドラゴン2』は日本では劇場公開されなかったので、そこに対する配慮もあったのでしょう。2はYoutube等で配信されていますが、全員が観たわけではないので、これはありがたい。私は、前日と当日に1、2を観たので記憶が新鮮なままでしたが、この映画から初めてヒクドラに入る人も置いてけぼりにしない親切設計でしたね。(なら、『ヒクドラ2』を劇場公開しとけやという話ですが)


それに、この映画って本編が終わった後のエンドロールにもお楽しみがあるんですよね。3作全部観た人へのスタッフからのプレゼントみたいでした。さらに、黒バックに白字のいわゆる普通のエンドロールでも、楽しく見られるように考えられていて。映画を作る過程が、古代画みたいに合間合間で流れるんですよ。次は何が来るんだろうと心待ちにしている自分がいて。最初から最後まで楽しめるようにこの映画はなっていました。私が観たときはエンドロールで帰ってしまう人が何人かいたんですけど、これから観る方には、ぜひ最後まで楽しんでいただきたいです。




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・前半は好き



舞台はヒクドラ2の1年後。ヒクドラは1,2ともに、「ここはバーク島」というヒックのナレーションで始まっていました。なので、この映画もその始まり方を踏襲するのかなと思っていましたが、それは全く違くて。暗闇の中、ヒックたちがどこかの船を奇襲するシーンから始まるんですよね。とはいえ、悪いことをしていたのはこの船団の方で、ドラゴンを捕縛していて、ヒックたちはそれを助けようとしていました。この始まり方は少し意外でしたが、いきなりバトルを持ってくるのは観客の興味を引き付けるという点では良かったと思います。


そして、ヒックたちは解放したドラゴンをバーク島に匿います。ヒックが言うにはそこは人間とドラゴンのユートピア。島は発展し、カラフルな建物が立ち並び、ドラゴンが自由に空を飛んでいます。しかし、バーク島で匿えるドラゴンの数はもう限界に達していました。


ヒックの回想でドラゴンが生まれる島があるというのが示され、今回のゴールが提示された後、今回の敵グリメルがヒックを襲います。グリメルはナイト・フューリー殺し。これまでの敵の中でも最も賢い敵。「人間とドラゴンは共存できない」という考えを持ち、ドラゴンを殺そうとします。かつてのバイキングのようですね。


この映画のテーマは「人間とドラゴンは本当に共存できるのか?」というものだったように思えますが、このグリメルの問いにヒックたちが満足いく解を出すことができたかというと、正直答えはノーかなと。別に結果の話ではなくて、その過程の話ですね。これについてはまた後で述べたいと思います。




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一方、この映画ではトゥースの方にも変化が訪れます。ある晩、トゥースが出会ったのは全身が白い謎のドラゴン。ナイト・フューリーのメスであるそのドラゴンの名はライト・フューリー。白くてつるっとした質感のあるその姿は、可愛さと神秘性を兼ね備えていました。


また、この映画ではトゥースもかつてないほど可愛いんですよね。この映画はドラゴンパートが今までで一番多かったんですけど、そこのトゥースがどれも可愛い。特にライト・フューリーに求愛のダンスを贈るシーンといったら。二本足で立ってステップを刻もうとするんですけど、そのぎこちなさが可愛いんですよね。これまで以上にトゥースが人間くさく見えて、ここはこの映画の大きな強みだと思います。


ヒックの方に話を戻します。グリメルは一度は退却していったものの、またバーク島にやってくるといいます。そこでヒックが取った対策は、バーク島から逃げて、ドラゴンが生まれる島を目指すというもの。大勢のドラゴンとともにバーク島の住民は西を目指し、途中にあった島で拠点を張ります。しかし、その行程はグリメルに後を追われていました。


しかし、そんなことは露知らず、トゥースはライト・フューリーに夢中。二人で雲の上を飛び交い、ついにはドラゴンが生まれる島に辿り着きます。帰ってこないトゥースを心配したヒックとアスティは、トゥースを探しに出かけ、その島を見つけます。


そして、中に入るとそこには、きらびやかに光る岩肌が。ドラゴンの卵がオレンジに光り、付加したばかりのベビードラゴンが光のシャワーのように降り注ぎます。ヒクドラの売りの一つが迫力の3Dアニメーションにあることは言うまでもありませんが、この映画でもそれは健在。このドラゴンの生まれる島のシーンは、とても幻想的。さらには、ドラゴンや人だけでなく、雲や海水がよりクリアに描かれ、ヒクドラ2からの進歩を感じます。『アナと雪の女王2』を観ていない身分で言うのもなんですが、今年屈指と言える出来だったのではないでしょうか。こちらもオススメです。


と、ここまでは良かったんですけど、問題はここからなんですよね……。この後半があまり楽しめなくて……。もちろんヒクドラを観続けた人には感動する展開なんですけど、個人的にはドラゴン頼みが過ぎると感じてしまいました。




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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。また、批判意見ですので、『ヒックとドラゴン』がお好きな方はご注意ください。










・ヒックの成長があまり感じられないのが問題だと思う


この映画は「人間とドラゴンの共存」というテーマの他に、もう一つテーマがあると思います。それは「ヒックの成長」です。むしろ、こちらの方が三作を通じて描かれた、最も大きなテーマと言っていいかもしれません。臆病なもやし野郎だったヒックはトゥースと出会い、交流の中で成長し、ドラゴンと人間は共存できることを訴え、バーク島の住民の考え方を変えました。これが1。そして、母・ヴァルカとの再会や、更なる強敵との戦い、さらには父の死を乗り越えて、バーク島の長として認められるまでに成長した。これが2。どちらも共通しているのは、ヒックの成長はドラゴンありきだったということです。


ただ、この映画ではトゥースは一人で飛べるようになっていて、ヒックを必要とする機会も少なくなっています。そこで、ヒックは自分には何ができるのか悩む。「あの子はドラゴンがいないと何もできないと思い込んでる」とヴァルカが語るように、ヒックにとってトゥースを始めとするドラゴンは自らを成長させてくれたかけがえのない存在。しかし、いつまでもおとぎ話に頼るわけにはいかず、別れのときはやってきます。この映画では「ヒックの自立」が描かれていました。でも、ここに私は不満を感じています。


この映画を観て、いや、観る前から私の頭に思い浮かんでいた映画があります。それがこちら。


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トイ・ストーリー3』です。


私がツイッターでフォローしている人の中に、ヒクドラが大好きな方がいまして。めちゃくちゃヒクドラ関連のツイートをリツイートしてくるんですよ。それでこの映画の評判も観る前から結構入っていたんですけど、そのなかに「ヒックとトゥース、それぞれの決断」みたいな言葉があったんですね。あ、これ『トイ・ストーリー3』じゃんって。かけがえのない存在との別れを描くんだなというのはこの時点で薄々感じていました。ちょうどシリーズの3作目ということも同じですし。


ですが、この別れの描写は『トイ・ストーリー3』に軍配が上がってしまうかと、個人的には思います。理由はその別れ方にあります。





この映画では、ライト・フューリーを人質(ドラゴン質?)に取られて、トゥースを始めとしたドラゴンが奪われてしまいます。今までドラゴンに頼りきりだったヒックは、ここで初めて、ドラゴンなしで事態に立ち向かうことを余儀なくされます。今まで自分を支えてくれたかけがえのない存在の喪失。それはヒックにとって体の一部を奪われたに等しい痛み。当然、悩み沈んでしまいます。


ここでアスティが説得に入るのですが、ちょっとここあっさりしすぎていたかなと。だって、ヒックにとっては今までの人生、自分の存在価値すら揺るがすような、大きな課題なんですよ、これは。そこを2分にも満たない説得で解決されるのは、簡単すぎると思います。課題が大きいだけに、もっと悩んでほしかった。もっとへこんで、そこから仲間の助けによる再起が観たかったというのは偽らざる思いです。だってそっちの方が私は好きですし。


言ってしまうと、この映画って人間ドラマが薄いんですよ。ドラゴンと人間のドラマはしっかり描けています。ただ、それは前2作でやったことですし、3ではもっと別のものを見せてほしかった。それこそ、『トイ・ストーリー3』でアンディが悩んでいたのと同じように。人間ドラマが薄かったせいで、その後の別れにもあまり説得力がありませんでしたし、ヒックとアスティの結婚式に至ってはちょっと置いていかれた感じになりました。




それに、この映画って繰り返すようですけど、ドラゴンとの別れを描いています。いわばファンタジーな存在との別れ。ここで映画を観終わって私が思い出したのはドラえもん、その中でも「さようならドラえもん」です。


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はい、ここは皆さんご存知の有名シーンですよね。なので説明はしませんが、問題はこののび太並みの決心がヒックにあったどうか。こちらも残念ながらノーと言わざるを得ません。


なぜかというと、最後のヒックの作戦もドラゴンが助けてくれることありきだからです。対人のバトルは確かに、ドラゴンの力に依らないものでしょう。まあこちらもめっちゃドラゴンに頼っていましたけど、いいとします。しかし、決着がトゥースの新能力でついたことがまずい。トゥースの雷を呼び寄せる力に頼らず、ここはヒック自らの力で決着をつけてほしかった。こんなの「さようならドラえもん」で、のび太が秘密道具に頼るようなものですよ。感動も何もないですよ。つまり、最後の最後までヒックはドラゴン頼みから卒業できていないんです。


それにも関わらず、ヒックたちはドラゴンと別れます。理由は「自分たちといるとドラゴンに危害が及ぶから」。まあ分からなくもないですが、これって消極的な理由ですよね。「自分たちは不安だけど、ドラゴンとは別れる」という未練ある別れですよ。


一方の、『トイ・ストーリー3』。アンディは「自分にはもうおもちゃが無くても大丈夫」と、他の子におもちゃを譲ります。『ドラえもん』でも「自分はもうドラえもんがいなくても大丈夫」であることを、ジャイアンとのケンカでのび太は示します。この「自分はもう大丈夫」が、この映画にあったかといわれると、残念ながら私にはそうは思えませんでした。後ろ向きな別れ方じゃなくて、『ドラえもん』や『トイ・ストーリー3』のように前向きな別れ方をしてほしかった。別れのシーンはヒクドラを観続けた人にとっては感涙ものですが、私はヒックの成長をあまり感じることができなかったので、泣くことはありませんでした。




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あと、これは完全に個人の好みですが、終わり方この映画ではヒックとアスティ、そしてその子供が、トゥースとライト・フューリー、そして同じくその子供と再会し、空を飛ぶシーンで終わります。「ドラゴンは存在している。でも、僕たちはそれを秘密にしておこう」というのは、夢のある終わり方で全く悪くはありません。でも、個人的にはこの不完全な別れよりも、もう二度と会えないという完全な別れの方が好みなんですよね。


いや、分かるんですよ。完全な別れを描いたら、それこそ『トイ・ストーリー3』になってしまうというのは。どうにかして、『トイ・ストーリー3』と被らないように腐心したのも見てとれます。でも、個人的には完全な別れの方がなぁ。そちらの方が成長も描けるような気がして好きなんですけど、うーん……。


まあ、映画の評価なんて主観で結構ですよね。客観的な評価は評論家の方に任せておけばいいですし、思っていた終わり方と違うからといって低評価を下すのは完全なお門違いです。私の考えていた、ヒックの子が、さらにその子にドラゴンの話をおとぎ話として聞かせる。雲の上ではドラゴンの飛び交う姿が、みたいな終わり方ってありがちすぎますし。でも、私はこっちが観たかったんだよ……。本当に自分勝手ですみません。




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以上で感想は終了となります。


映画『ヒックとドラゴン 聖地への冒険』、好きか嫌いかで言えば好きなんですけど、微妙に好みから外れた映画でした。要するに私にはあまり合わなかったということですね。でも、観る価値は存分にあったので、後悔はしていません。気になっている方がいたら、映画館で見ることをお勧めします。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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