こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。
今回観た映画は『劇場』。行定勲監督がメガホンを取った山崎賢人さんと松岡茉優さんのダブル主演作です。当初は4月公開予定でしたが、コロナ禍で公開延期。しかし、7月という案外早いタイミングで公開されることに。ただ、公開規模はかなり縮小し、私の地元のシネコンでも上映は取りやめとなってしまっていました。
それでも、なんとそういった方々への救済措置として、Amazon Prime Videoでも公開日とともに同時配信という日本映画でも類を見ない状態に。一番近くで上映している映画館が松本にある私にとっては、ありがたいことこの上ないです。本当は映画館で観たかったのですが、今回は配信での鑑賞となりました。
そして、観たところ、私みたいなワナビーには刺さる映画となっていましたね。配信という形にしてくださったことを心から感謝したいくらいの良作でした。
それでは感想を始めます。拙い文章ですが何卒よろしくお願いします。
―あらすじ―
高校からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で脚本家兼演出家を担う永田(山﨑)。
しかし、前衛的な作風は上演ごとに酷評され、客足も伸びず、劇団員も永田を見放してしまう。
解散状態の劇団という現実と、演劇に対する理想のはざまで悩む永田は、言いようのない孤独を感じていた。
そんなある日、永田は街で、自分と同じスニーカーを履いている沙希(松岡)を見かけ声をかける。
自分でも驚くほどの積極性で初めて見知らぬ人に声をかける永田。
突然の出来事に沙希は戸惑うが、様子がおかしい永田が放っておけなく一緒に喫茶店に入る。
女優になる夢を抱き上京し、服飾の学校に通っている学生・沙希と永田の恋はこうして始まった。
お金のない永田は沙希の部屋に転がり込み、ふたりは一緒に住み始める。
沙希は自分の夢を重ねるように永田を応援し続け、永田もまた自分を理解し支えてくれる彼女を大切に思いつつも、理想と現実と間を埋めるようにますます演劇に没頭していき―。
夢を叶えることが、君を幸せにすることだと思ってた―
(映画『劇場』公式サイトより引用)
映画情報は公式サイトをご覧ください。
『劇場』は予告編や宣伝では、"恋愛映画"と銘打たれていました。主演に山崎賢人さんと松岡茉優さんという今を時めく人気俳優の二人を据えており、予告編でも沙希が永田を受け入れるシーンや、自転車での二人乗りのシーン、「一番会いたい人に会いに行く、こんな当たり前のことがなんでできなかったんだろうね」という決め台詞など、少し不穏な空気はあるものの、概ね恋愛映画としてアピールしています。
しかし、これはとんでもないミスリードでした。確かにこの映画の着地点は恋愛映画となっていますが、そこに至るまでの過程は、むしろ何者でもない永田があがく姿に焦点が当てられています。純文学的なモノローグが、才能がない人間が夢を追うことは緩やかな地獄であることを浮かび上がらせていて、じりじりと忍び寄ってくる苦しみみたいなものを私は感じました。
もう最初の「いつまで持つだろうか」というモノローグからグサグサ刺さってくるんですよね。趣味で誰にも読まれない小説紛いを書いている私の身からすれば。全く評価されないどころか、酷評ばかり。みんな失敗しているならいいですけど、成功している人もいるのが劣等感に苛まれる。そんな中でモチベーションを保つことは簡単じゃないですよ。映画はいきなり山崎さんの目線のアップから始まるんですけど、世の中を睨むような目にいきなり引き込まれました。
この映画で主人公である永田を演じた山崎賢人さんは、世間が持つ爽やかなイメージとは一変して無精髭を生やしていて、ぱっと見ランチパックのCMの人とは同一人物とは思えない風貌。夢を追っていると言えば聞こえはいいですが、実際は沙希の家に転がり込むヒモ。夢の実現には程遠く、どんどんと追い詰められていく永田の憔悴を山崎さんは過不足なく表現。沙希に受容されて、ごまかすように生活を続けていく背徳感みたいなものが、時にオブラートに包まれながら、時に爆発。関西弁が残る口調も効果的で、『キングダム』など話題作への出演が続くのには、確かな理由があるのだなと思わされました。
永田は友人と劇団「おろか」を主宰していますが、評判は散々。劇団員との仲も良くなく、映画が始まってからずっと追い詰められています。そんなある日、渋谷で同じ靴を履いた沙希と出会います。この沙希を演じたのが松岡茉優さん。シリアスな役柄を演じることもありますが、今回の沙希は明るくて、無邪気で、純真で、無垢。
猫なで声っぽい声で永田を引っ張っていく沙希には、松岡さんの可愛らしさがこれでもかと発揮されています。優しい口調は、孤独を感じている永田を引きずり込むには十分なほどで、天使を通り越して悪魔的。終盤にエセ関西弁を使うところとか、可愛さがエグかったですね。かと思えば、終盤にはシリアスで怖い一面も見せる。その落差の大きさが演技力を如実に表していて、思わず息を呑みました。
喫茶店で少し話した後、軽くデートみたいなこともして、永田は沙希の部屋に行くようになります。お互いの好きな音楽に影響されるという正しく恋愛映画みたいな描写も経つつ、永田は自身が書いた演劇の主演女優に沙希をキャスティングします。ここの松岡さんの舞台上の演技が生き生きとしていて良かったですね。沙希を主演に据えた演劇は成功を収めますが、その後、永田が自身の演劇に沙希を起用することはありませんでした。沙希に頼るのが情けないと感じていたのかもしれません。その直後の演劇は、わざとやってるのかってくらいつまらなかったですし、沙希を起用し続けていたらまた違った未来があったのかもと、この時点でさえ思わずにはいられません。
そして、ここから夢を追うことの苦しさが波のように押し寄せてきます。「おろか」は定期的に公演が打てるようになりましたが、そのせいで日雇いのバイトは入れられなくなり、永田は貧乏になって沙希の部屋に上がり込む。夕方にようやく起き出し、言い訳みたいに散歩をするけど、演劇のことはほとんど何も浮かばない永田。才能がない人間が夢を追う姿が可視化されると、ただただ辛いだけなんだなと思わされます。
でも、沙希はそんな永田のことを徹底的に甘やかすんですよね。「ここが一番安全な場所だよ」とか言って。変われない永田を叱咤することもなく、その明るさで受容する。そして、永田もお面を被ってふざけるシーンに代表されるように「沙希がずっと笑ってくれれば、それで良かった」みたいなことをモノローグで言ってしまいますし。一見幸せそうに見えて、底には嫌味みたいなものがずっと流れており、心がねじれていくような感覚を味わいました。二人でゲームをやる姿は虚無以外の何物でもありませんでしたね。
ただ、やっかいなのが永田のちっぽけなプライド。掃いて捨てるような微かなプライドですが、そのプライドが邪魔をして、永田はだんだん沙希にイラつくようになってしまいます。「彼女の姿を見ていると、劣等感が刺激され、苦しみが増すことがあった」という永田の吐露は、思わずそうだよなと頷いてしまうものでした。
現実から目を背けるように、演劇に打ち込む永田の姿は事情を知らなければ、求道者みたいに格好よくも見えるのでしょうが、彼の心情を知ってしまったからには哀れにしか見えませんでした。沙希が男友達からもらったバイクを壊すの、本当にダメ人間って感じだったんですけど、心は痛かったですね。こういったワナビーが現実にもたくさんいるんだろうなって、思いを馳せてしまいました。
そんな背を向け続ける二人にも、現実は容赦なく襲い掛かってきます。沙希は専門学校にも行かず、昼間からゲームをするようになり、永田も演劇が上手くいっている様子はありません。沙希が専門を辞めて?朝から夜まで働くようになると、永田は完全なヒモになり、酒を飲んで苛立ちをごまかすようになります。夜通しゲームをやるシーンはどんどん堕落していくようで、キツかったですね。
そんな中、永田は一緒に劇団を旗揚げした友人に誘われ、「まだ死んでないよ」という劇団の演劇を観に行きます(ここで登場する評論家たちに注目)。そこで永田は涙を流すほどの感動を覚えますが、作・演出の小峰ダイが同い年だという現実がのしかかってきます。天才とつけられたえげつない差。さらに、屈辱的なことに元劇団員から演劇の感想を書く仕事を回される。プレイヤーと傍観者の間には、埋めがたい差が横たわっていて、永田にしてみれば、それは自らの負けを認めるようなものだったのかもしれません。
それでも、永田は仕事を受け、なんとか自分で生活ができるようになり、沙希の部屋から離れます。しかし、たまにどうしようもなく会いたくなり、酒を入れてから沙希の部屋へと舞い戻るというクズ男ムーブを発揮。一方、沙希も居酒屋でのバイトもあり、酒に溺れるようになります。最初あんなに明るかった沙希がやさぐれていくのは、松岡さんの演技力もあり、もう見ていられません。勝手に合鍵を出して、部屋に入った永田に沙希が告げた「私、お人形さんじゃないよ」という台詞は二人の関係がこじれにこじれまくったことを如実に表しているように感じました。
とまあここまでの展開を見れば、持たざる者の苦悩がメインに描かれています。この挫折の物語のどこが恋愛映画なんだと、私は感じていました。しかし、ラスト30分でこの映画はコペルニクス的転回を見せて、恋愛映画へと着地していきます。
その最たるものが、予告編にもあった自転車を二人乗りするシーンでしょう。恋愛映画でありがちなシーンですが、この映画がオリジナリティを持っているところは、一方が全く喋らないこと。永田が一人で喋っていて、沙希は全く喋らないんです。何も喋らない沙希は最初は怒っているのかなと感じ怖かったのですが、永田の話を聞いているうちにだんだんと物腰柔らかになっていくんですよね。これを表情と仕草だけで表した松岡さんは凄いなって。無言の芝居でもこれだけ伝えられるんだと圧倒されてしまいました。桜が咲く道をそれまでの時間を清算するかのように、走っていくのは薄暗いとはいえ、画的にも綺麗でしたしね。
そして、ラストの展開ですよ。正直、グッときました。二人が一緒に過ごした数年間は、夢を目指したものの、何も変わらず、何も叶わず、間違っていた時間だったのかもしれません。地元の友だちは結婚して家庭を築いているという焦りも沙希にはありました。たらればを言えばキリがないですが、青森にいたままだったらまた違う人生があったかもしれない。でも、二人は最後にその時間は過ちではないと肯定するんですよね。舞台に出さないことで、永田が沙希の未来を奪ったのかもしれないし、沙希が甘やかしたせいで、永田は堕落していったのかもしれない。でも、二人で過ごした時間は間違いじゃなかったと肯定するんですよ。これを"恋愛"映画といわず何といいますか。
そして、これは現実にも多くいるであろうワナビーを救うことにも繋がっていると私は思うんですよね。作っても作っても報わらない日々。いつまで持つだろうかという不安。振り返ってみれば、自分は何も誇れるものなど残してきてはいないし、このまま苦しみが続くなら、いっそのこと辞めた方が良いのかもしれない。この映画は「続けようぜ」と励ますようなことはしないんですけど、「君が選んだ道は、過ごした時間は間違いじゃない」とは言ってくれていると思います。夢をあきらめた人、つまりほとんどの人間に、響くようなそんな映画だと感じました。
以上で感想は終了となります。映画『劇場』。山崎賢人さんと松岡茉優さんの演技のアンサンブルが楽しめるだけでなく、かつて夢を持っていた方々の琴線に触れるような、そんな良い映画になっていると感じました。上映している映画館は少ないですが、配信でも観られるので、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。
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お読みいただきありがとうございました。
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