Subhuman

ものすごく薄くて、ありえないほど浅いブログ。 Twitter → @Ritalin_203

2020年10月



こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想になります。


今回観た映画は『きみの瞳が問いかけている』。吉高由里子さんと横浜流星さんが共演したラブストーリーです。本公開は10月23日なのですが、15日に1日限定で先行公開されたので、観に行ってきました。


そして、観たところなかなか興味深い映画でしたね。20年代の邦画はどうなるのか、吉高由里子さんとはいったい何なのか、考えさせられる内容でした。意外と重要な映画かもしれないです。


それでは感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―あらすじ―

視力を失くした女と、罪を犯し夢を失った男。暗闇で生きてきた2人が初めて見つけた、ささやかな幸せ。だが、あまりに過酷な運命が彼らをのみこんでいく──。

目は不自由だが明るく愛くるしい明香里(吉高由里子)と、罪を犯しキックボクサーとしての未来を絶たれた塁(横浜流星)。小さな勘違いから出会った2人は惹かれあい、ささやかながらも掛け替えのない幸せを手にしたかに見えた。
ある日、明香里は、誰にも言わずにいた秘密を塁に明かす。彼女は自らが運転していた車の事故で両親を亡くし、自身も視力を失っていたのだ。以来、ずっと自分を責めてきたという明香里。だが、彼女の告白を聞いた塁は、彼だけが知るあまりに残酷な運命の因果に気付いてしまっていた。

(映画『きみの瞳が問いかけている』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください













『きみの瞳が問いかけている』、映画を観た後にツイッターのフォロワーさんから指摘されて知ったのですが、この映画は2011年の韓国映画『ただ君だけ』のリメイクなんだそうですね。確かに地下闘技場なんてアイデアはなかなか邦画(特に恋愛映画)では出てこないような気がします。


しかし、私はそれ以上にこの映画の展開に既視感を抱きました。明香里と塁が出会い、仲を深めていく。明香里の視力を回復させるために、塁が地下闘技場での違法ファイトに赴く。予告編から推測できたストーリーから何一つ外れることなく、映画は進んでいくのです。


なので、吉高由里子さんと横浜流星さんの演技は良かったのですが、正直かなり終盤まで微妙かな......と思いながら観ていました。それでもラストの10分~15分くらいは予想を超える「ああこれがやりたかったのね」という展開が待っていて、一気に巻き返してくれたんですけど。この展開には涙を流す人がいるのも納得でした。ただ、最後まで観て、私の既視感は確信に変わりました。


この映画は2020年のケータイ小説だ」と。


ケータイ小説 - Wikipedia




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Wikipediaによると、ケータイ小説のブームは2002年~08年頃だといいます。私が小学生~中学生だった頃ですかね。当時の私は携帯電話は持っておらず、小説を読む習慣もなかったため、蚊帳の外にいましたが、何となく流行っていた記憶はあります。私の持つ勝手なイメージだと、ケータイ小説には悲惨な出来事が次々と襲い掛かり、特に死またはそれに準ずるものが安易に用いられ、感動を誘うような印象があります。それは、この映画でも多く見られました。


明香里は事故で両親を失い、視覚障害を抱えてしまいます。一方の塁も母親が入水し、孤児院に預けられています。塁には罪を犯した過去があり、許されていないと葛藤を抱えている様子。他にも、明香里に関係を迫ろうとする上司や、半グレ集団との接触など悲劇的な出来事には事欠きません。発生した困難を解決するのが物語の一つの類型とはいえ、若干多すぎるくらいです。少し悲劇が安易に用いられている気もしてしまいます。


また、最終的には純愛ものだというのもポイント。明香里は姿の見えない塁に好意を持ち、塁が消えたときには塁の顔を模した彫像まで作って悲しんでいます(少し怖かった)。また、塁も明香里に手術を受けさせようと、高額なファイトマネーを得るために地下闘技場に赴いているわけですし、二人の間には邪心は見られません。悲劇を乗り越えつつ、最後にはハッピーエンドで物語は締めくくられる。これも私が考えるケータイ小説のイメージです。


前述したようにケータイ小説のブームは2002年~08年頃です。そして、ブームは循環するものです。タピオカだって最近は陰りが見えていますが、1990年~、2008年~を経ての第三次ブームでしたからね。きっと干支が一周以上して、再びケータイ小説的純愛ものブームが来始めているのかもしれません。


だって、ケータイ小説ブームの時の中高生はもう20代後半~30代ですし、ブームが去ってからネットに触れたのが今の中高生です。前者には懐かしさを、後者には新鮮さを持って受け入れられるでしょう。この映画のような00年代のケータイ小説的恋愛ものをリバイバルする路線は、もしかしたら20年代前半のトレンドの一つになるかもしれません。そうなると、20年代の邦画を考える上では、この映画はひょっとすると重要な映画になるかもしれないですね。










繰り返しになりますが、ケータイ小説の読者だった中高生は20代後半~30代に。Wikipediaにはケータイ小説は女子主人公が多いと書かれています。当時の中高生は、主人公に自分を重ねて読んでいたのでしょう。でも、年を取った今はそういうわけにはいきません。では、どうするか。この映画は大人の女性を主人公にするという方法を取ってきました。


劇中の明香里の年齢は明言されてこそいないものの、事故発生が2015年でその当時大学生だったという描写から考えると、おそらく25~27歳あたり。これは2006年~の第二次ケータイ小説ブーム時は高校生だった計算になります。さらに、明香里を演じた吉高由里子さんは現在32歳で、これは2002年~の第一次ケータイ小説ブームにピンズド。年齢的にはケータイ小説の少女主人公が、大人になったのが明香里であるともいえそうです。


現在20代後半~30代の女優さんは何人もいます。それでも、明香里は吉高さんでなければ務まらなかったと私は映画を観終わった後に感じました。それは人気があるという理由だけではなく、女優としての吉高さんの特性ゆえです。


結論から申し上げますと、明香里が吉高さんでなくてはいけなかった理由。それは、そのリアリティの薄さです。映画を観てもらえば分かると思うんですが、あんな明るい喋り方する人、現実にはあまりいないじゃないですか。自然体とは真逆で、めちゃくちゃ作っている感じがしたんですよね。例えば、「でも大丈夫」の言い方。あれは完全に三井住友銀行のCMのソレですよ。






この映画の吉高さんって、厳密に言えば柏木明香里を演じてはないんですよ。いや、視覚障害の描写には力を入れていましたけど、それ以外では「パブリックイメージとしての吉高由里子」を演じているように私には見えました。でも、それを全うできること、フィクションをフィクションとして演じられることが吉高さんが今ドラマなどに引っ張りだこな理由かなとも思いました。


なぜかというと、ここにも近年の傾向があると思うんですが、最近ってやったらめったらリアリティが重視されるじゃないですか。現実性、整合性、自然体というものが持て囃されている感じが私にはするんですよね。CGだって壮大なものとリアルなものに二極化していますし、また共感をより重視する時代になって、感情移入のためにリアルな演技というものが追求されがちです。


でも、これだけライフスタイルや嗜好が多様化した現代に、万人が共通的にイメージするリアルなんてものはもう存在しないわけですよ。それならフィクションの方が、現実から離れているという部分では共通しているのかもしれないです。で、この映画を観て感じた吉高さんの優れている部分って、ある程度現実離れしているところなんじゃないかって感じました。


何しろ表情筋の使い方が上手いんですよね。笑顔だけで何種類バリエーションがあるんだという感じです。さらに、少し上ずった感じの口調がリアルとリアルじゃない間の絶妙なラインを突いていました。「こんな人現実にはいないよ」と思わせつつ、最後には共感させて泣かせる。そのバランス感覚が抜きん出ているんですよね。若手俳優さんだとどっちかに振りきれがちになるので、さすがの演技だなと感じました。





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繰り返しますが、この映画の吉高さんはリアルすぎていません。きっとそれがリアル志向の10年代へのカウンターとして機能しているんだと思います。飽和するリアリティに疲れた現代の人が欲している絶妙なリアリティとフィクションのバランス。それを今日本で一番体現できるのが吉高さんなんだと感じます。時代が求めているとも言えそうですね。だからドラマ等の出演が途切れないんだと思います。


でも、吉高さんが活きたのは、相手役の横浜流星さんが徹底的にリアルに演じていたからというのを忘れてはいけません。この映画の横浜さんは静かで繊細な演技を心掛けていて、特にまだ明香里に戸惑っている前半の靴を気にしたりとか、距離を測りかねている感じが良かったです。受け身の演技が光っていました


しかし、映画の後半からは攻めに転じるので、そのギャップも見どころ。鋭い目つきと鍛えられた肉体は誰が見てもきゅんとすること間違いなしです。やはり横浜さんは20年代の主役の一人になりそうな俳優さんですね。




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長くなってきたので、この辺でまとめると『きみの瞳が問いかけている』は、


・00年代のケータイ小説的純愛ものを主人公を大人にしてのリバイバル
・10年代のリアル志向へのカウンター



という二つの要素が含まれている映画だと、私は感じました。この二つの潮流は20年代前半の邦画の一つのトレンドになりそうな予感がします。よくある純愛映画に見えて、後々振り返ってみたら大きな意味を持つ映画だった、ということになるかもしれないですね。既視感はあるかもしれませんが、興味のある方はご覧になってはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 





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こんにちは。これです。今回のブログも映画の感想です。


今回観た映画は『パブリック 図書館の奇跡』。7月に公開されてからいくつか好評が届いていたので、観てみたいリストには入っていたこの映画。10月になってようやく地元でも公開されたので観に行ってきました。


結論から申し上げますと、傑作ですね、この映画。いっぱい笑いましたし、最後には泣きそうになりました。今年観た洋画の中でも一二を争うくらい好きです。


それでは、感想を始めたいと思います。拙い文章ですがよろしくお願いします。





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―あらすじ―

米オハイオ州シンシナティの公共図書館で、実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が常連の利用者であるホームレスから思わぬことを告げられる。「今夜は帰らない。ここを占拠する」。大寒波の影響により路上で凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターが満杯で、行き場がないというのがその理由だった。
約70人のホームレスの苦境を察したスチュアートは、3階に立てこもった彼らと行動を共にし、出入り口を封鎖する。それは“代わりの避難場所”を求める平和的なデモだったが、政治的なイメージアップをもくろむ検察官の偏った主張やメディアのセンセーショナルな報道によって、スチュアートは心に問題を抱えた“アブない容疑者”に仕立てられてしまう。やがて警察の機動隊が出動し、追いつめられたスチュアートとホームレスたちが決断した驚愕の行動とは……。

(映画『パブリック 図書館の奇跡』公式サイトより引用)





映画情報は公式サイトをご覧ください







※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。







あらすじにもある通り、『パブリック 図書館の奇跡』は一言で言うと、大寒波で行き場を失ったホームレスたちが図書館を占拠する映画です。ユーモラスな雰囲気で包まれていますが、切実な問題提起がなされていて、観終わった後にはホームレスのことについて調べたくなるような、何かしたくなるような映画となっていました。


そして、調べてみたところビッグイシュー基金のHPによると、日本のホームレスと呼ばれる方々は2020年1月時点で3,992人いるとのこと。これは2007年から8割ほど減っていますが、ネットカフェ難民と呼ばれる方々は東京都だけでも一晩に4000人いるとのこと。このコロナ禍で失業したであろう数多くの人も含めると、日本でもまだまだ貧困問題は解決されているとは言い難いですね。


この映画でなされたのは、そんなホームレス問題、貧困問題への問いかけです。象徴的だったのが市長選のPRですね。印象悪く描かれていた検察官のデイヴィスはもちろん、善人っぽく描かれていた牧師も実はホームレス支援については何も語っていなくて。まあ住所がないと選挙の際に投票所入場券が届かないので、投票できないんですよね。政治家の身になってみれば、いくらアピールしても票が見込めないのでは、その時間や労力を他の政策に回した方が得策です。


そんな事情から職を失い、政治や公的扶助にも救われず、大寒波に震えるホームレスたち。図書館で暖を取っていましたが、閉館した夜には外に放り出されてしまいます。そして、寒さにさらされ凍死する者まで出てきてしまう。こんな状況にはもう耐えられないと、ジャクソンという黒人のホームレスをリーダーに公共図書館に居座ります。政治から見放された彼らが、公共の場に救われることには何かメッセージめいたものを感じてしまいますね。


彼らの事情を察して、図書館に居座ることを許可するのは一介の職員に過ぎないグッドソンです。もちろん、彼に夜間開放を認める権限はなく、刑事のラムステッドの説得に遭ったり、イメージを上げて選挙戦での逆転を狙うデイヴィスに、グッドソンが起こした立てこもり事件だと事をややこしくされてしまいます。


その中でも悪い意味で印象に残ったのが、中継をするリポーターですね。局の意向かもしれませんが、グッドソンを人質事件の犯人へと仕立て上げ、事実を正しく伝えません。ありのままの事実を伝えれば、事態は良い方に向かうにも関わらずです。


私にはこの報道は、自分たちが選んだ政治家が、ホームレスに支援をしなかったせいで、このようになってしまったという事実から目を背けているように感じました。自分たちにもほんの少しですが責任があるという真実を受け止めたくなくて、事件という分かりやすいストーリーにしているのかなと。




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でも、ホームレスがこの世界にいるのは事実で、本当は全員に定住する場所があることが理想なんですよね。健康で文化的な最低限度の生活に、衣食住の三要素が含まれているのであれば、ホームレスがいることは国の政策としては失敗なんですよね。映画でも、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』から「全ての成功を帳消しにする失敗」(うろ覚え)というような言葉を引用していましたけど、まさにそれですよ。


そして、失敗は誰しも直視したくないものです。駅や道路に座るホームレスに声をかける人間が果たして何人いるでしょうか。私も東京に住んでいたころに、立川に行くとホームレスの方が毎月ビッグイシューを配ってましたけど、一度も受け取ったことなんてなかったですからね。こうやってこの映画を観なければ、わざわざこうしてホームレスの方に思いを馳せることもなかったでしょうし。


この映画は、そんな直視されない、見られないホームレスが「ここにいるぞ」と声を上げる映画なんですよね。俺たちの存在を知らしめるんだという。もう本当にのほほんと生活している自分を恥じたくなりましたよ。


最近の映画でLGBTを扱った映画が増えているじゃないですか。これも今まで顧みられなかったLGBTの方々の存在を知らせるという意味があるでしょうし、最近で言うとBLT(Black Lives Matter)運動もそうです。この運動も、人種差別の意識が薄い私たちに、いまだに人種差別が存在していることを強烈に訴えかけていました。


この映画の脚本が書かれたのは大体3年位前なんでしょうが(HPには制作に11年かかったと書かれている)、「(デイヴィスのイメージアップのために)何か事件起こらないか。黒人が射殺される以外で」というセリフがあったのにはビックリしました。そう考えると、ジャクソンが黒人であることも重要な意味を持ってきそうですね。


最近、某監督が「社会問題は誰も見ない」と呟いて物議を醸していましたけど、私は映画には記録装置という意味合いもあるので、どんどんと社会問題を扱ってほしいなと思います。普段目の届かない人に目を向けるきっかけになりますし。まあ、社会問題が入っているから高評価するっていう傾向は危ないとは思ってますけどね。ほら、多様性を必須条件としたアカデミー賞の新基準が話題になってましたし。









と、ここまで書いてきた限りでは、この映画はホームレス、貧困問題という社会問題を扱ったお堅い映画なのかなと思うかもしれません。でも、社会問題だけを伝えているのではなく、この映画はエンタメ性も十分に兼ね備えているんです。


まず、説得を狙うラムステッドと応じるわけにはいかないグッドソンとの駆け引きは手に汗握りますし、占拠中も次から次へと問題が発生して飽きさせません。事態をややこしくするデイヴィスの顔芸も見どころですし、何より映画に登場するホームレスがみんな明るい。誰一人として、必要以上に悲愴感を漂わせることなく、占拠はあくまで平和な雰囲気の中で行われているので、映画の雰囲気も決して重くなることはありません。血もほとんど流れないですし。


そして、最高だったのが、その落とし方です。警察の機動隊が突入する。もう悲劇的な結末しかない。そう思わせといてのアレにはびっくりしました。カメラが見えなくなったところで、「あ、これ全員いなくなってるヤツだ」と思ったんですが、全然違いました。初見では戸惑いとともに笑いがこみ上げてきます。まさか今年の某邦画を上回る映画を今年中に見られるとは思ってなかった。


でも、考えてみるとこれ以上ない平和的な解決方法だと思うんですよね。万国共通でインパクトも十分ですし、あれを見た住人はきっと忘れられない光景になったと思います。私もあの光景はしばらくは忘れることができないですし、ポスターの「忘れられない夜になる」という言葉の意味に思わず膝を叩いてしまいました。最後にセリフだけですけど、「低体温症になる温度は?」とか「ホームレスの人数は?」と聞かれていて、「ああこの出来事は住人の心を動かしたのだな」と感動してしまいました。


そして、私の心も動きました。もしこの映画を観ていなければ、最初に述べたようにホームレスの方々の現状を軽くでも調べることはなかったでしょう。それに、何かできることはないかとビッグイシュー基金にも少しですが協力させていただきました。今は微々たるものですが、人の役に立つことをしたという爽快感でいっぱいです。本当にこの映画を観てよかったなと思います。


参考までにビッグイシュー基金のURLを貼っておくので、映画を観たりしてホームレス問題を何とかしたいと考えた方は、寄付を検討してもいいのではないでしょうか。

https://bigissue.or.jp/how_to_join/donate/





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以上で感想は終了となります。映画『パブリック 図書館の奇跡』。社会問題をエンタメに乗せて届けている傑作です。上映している映画館はもう少なくなりましたが、興味のある方はぜひご覧ください。お勧めです。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい






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