こんにちは。これです。昨今はコロナウィルスが猛威を振るい、Jリーグなどのイベントにも影響が出ていますが、そんなことは知らないふりをして、私は今日も映画館に行っていました。たぶん明日も明後日も行きます。


そんな三連休初日、私が見た映画は『Red』。直木賞作家・島本理生さんの同名小説を、『幼な子われらに生まれ』の三島有紀子監督が映画化した一作です。去年『ブルーアワーにぶっ飛ばす』を観て、より好きになった夏帆さんが主演とあれば観ないわけにはいきません。


そして、観たところ想像を超える好きな映画でした。今年は『ラストレター』や『ロマンスドール』など邦画の恋愛映画に良作が出てきていますね。良いことです。


それでは感想を始めたいと思います。なお、原作は未読です。拙い文章ですが、よろしくお願いします。




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―目次―

・赤は不完全燃焼だと思う
・塔子を取り巻く三人がとても良い
・ジェンダーロールからの解放と迷い
・『ホットギミック ガールミーツボーイ』を思い出した
・男女を越えた根源的な問いが投げかけられている





―あらすじ―

大雪の夜、車を走らせる男と女。
先が見えない一夜の道行きは、ふたりの関係そのものだった。


誰もがうらやむ夫、かわいい娘、“何も問題のない生活”を過ごしていた、はずだった塔子。
10年ぶりに、かつて愛した男・鞍田に再会する。
鞍田は、ずっと行き場のなかった塔子の気持ちを、少しずつ、少しずつほどいていく…。
しかし、鞍田には“秘密”があった。
現在と過去が交錯しながら向かう先の、誰も想像しなかった塔子の“決断”とは――。

映画オリジナルの愛の行方、その結末に、切なく、心揺さぶられる。


(映画『Red』公式サイトより引用)






映画情報は公式サイトをご覧ください。













・赤は不完全燃焼だと思う


タイトルである『Red』が指し示す通り、この映画には実に多くの赤が登場しました。赤い布、トンネルを始めとした赤い照明、クリスマス、赤ワイン、コーラの缶に橋桁。そして、流れる血。大小合わせればこの映画に登場した赤は枚挙に暇がありません。その赤の中でも私が印象に残ったのは、煙草の火やライターの炎といった赤です。


赤は情熱的な色と見られ、燃え盛る熱情を表していると一般的に見られています。ですが、私にはこの映画が持つ赤の意味合いは、それとは違っているように感じられたんですよね。燃えてはいるものの、それは不完全燃焼なのではないかと。


これは生活の知恵としてお馴染みですが、ガスコンロの火は青ければ安心とされていますよね。ちょっと調べたところ、炎の色は基本は青だそうです。酸素が足りていないときに炎は赤く燃えるそうで、これが塔子をはじめとしたキャラクターの心情を物語っているような気が私にはしました。酸素を求め、もがき揺らいでいる姿がそっくりだと感じたんです。


この映画の主人公・村主塔子は一流商社勤務の夫を持ち、娘もいて、傍から見れば幸せそうに見える生活を送っています。あの『パラサイト』を思い起こさせる豪邸からも、その裕福さが分かります。ただ、姑からのプレッシャー等もあり、現状を幸せとは明言できない様子。出産を機に仕事も辞めて、モヤモヤした不完全燃焼の日々を送っています


この映画で、その塔子を演じたのは夏帆さん。元々個人的に好きな女優さんだったのですが、映画を観て「この映画は間違いなく夏帆さんの代表作になる」と確信しました。ちょっとした仕草や今までのイメージを拭い去るような大胆なベッドシーンなど観ていただきたい箇所は山ほどあるのですが、一番はその表情ですよ。


あの心の機微を正確に映し出すかのような表情。同じ焦燥でもその全てが微妙に違う。観ていて素直に圧倒されました。今年観た映画の中でも、本職女優さんというくくりの中では一二を争う強い印象を残しました。ブルーリボン賞などの映画賞を受賞してくれるといいなと思います。単純に。



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・塔子を取り巻く三人がとても良い


この映画は屋外の雪のシーンからスタートします。風に舞う赤い布。結ばれている木材から離れ、電話をしている塔子の元へと飛んでいきます。そばにいたのは夫の真ではなく、10年ぶりに再会した鞍田でした。この映画はその後も少しずつ、塔子と鞍田が雪道を走るシーンを挿入してきて、この演出は少しずつ期待を煽っていくようで好きでしたね。夜の雪道と言うのはそれだけで危険なムード満点ですし、赤いトンネルの光も「ハレルヤ」の緩やかな曲調も心に残りました。


さて、前述したように塔子は主婦として何不自由ない日々を送っています。しかし、不満はどことなく燻っている様子。ある日、夫の付き添いで訪れたパーティ(?)で、10年前に愛し合っていた鞍田と再会します。再開するやいなやいきなり激しいディープキスを二人はかましていて、びっくりしたと同時に色めき立ちました。


その鞍田を演じたのは妻夫木聡さん。言わずと知れた日本を代表する俳優さんでしたが、今回もさすがの演技を見せていました。40歳目前ということで、安定した演技を披露するのかなと思いきや、この映画ではわりと不安定に揺れ動いているんですよね。語る言葉の節々にもどこか迷いがあって、ベッドシーンも振り切れきれていない切なさみたいなものを感じました。


また、この鞍田と肩を並べる小鷹を演じた柄本佑さんと間宮祥太朗さんも良くて。小鷹は鞍田の事務所の従業員で、塔子に思いを寄せているのですが、柄本さんの演技は塔子の良き理解者という感じ。その風貌もあってかっこつけたいのにかっこつけられない空気が好きでした。それでも男女関係を意識しているところは、等身大として見えましたけどね。比較的軽いキャラクターで映画の良いアクセントになっていました。


加えて塔子の夫・真に扮した間宮祥太朗さんの好青年感よ。見るからに仕事ができそうな雰囲気を醸し出しています。でも、その反動なのか、家庭にはけっこうノータッチな部分があり、価値観も前時代的。この映画では真はヘイトを集める役割も担っていたと思うのですが、間宮さんの真摯な演技がその役割を十分に果たしていた印象です。あと、直近で観た間宮さんは高校生の役を演じていて(『殺さない彼と死なない彼女』)、演技の幅が広いなぁってバカみたいに思いました。



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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。









・ジェンダーロールからの解放と迷い


映画に話を戻します。塔子は鞍田の事務所で臨時職員として働くことになり、鞍田との関係をより深めていきます。趣味で家の模型を一緒に作ったり、鞍田の家で激しい行為をしたり。一方、仕事も順調で、正社員にもなり浮かれ気分の塔子。しかし、その間に娘が幼稚園のジャングルジムから落ちて怪我をしてしまいます。真は、塔子が仕事で遅くまで残って迎えにいかなかったからだと塔子を責めます。この辺りから真と塔子の夫婦仲に徐々に亀裂が入っていきました。


真が言うには、仕事に勤しむ塔子に、家庭を疎かにしていない?と。「塔子らしくないよ」と。ここでこの映画のテーマが浮かび上がってきました。それは役割です。この映画で描かれた役割は「男は外に出て働き、女は家で家事に勤しむ」という前時代的なジェンダーロールです。それは、優位な立場にある(と見られている)男性が勝手に規定したルールで、塔子の主体性は奪われてしまっています。「良妻賢母」に落とし込められています。


これは、大雪で出張している新潟から塔子が帰れなくなったシーンもそうでした。新幹線が運休になり、塔子が電話をすると、真はなんとか帰ってきてくれないかと。その心は娘を迎えに行ってほしいから。なぜなら、塔子は「母親」だから。塔子も言っていた通り、真だって「父親」なのに、その役割を半ば放棄して。ガッチガチのジェンダーロールに塔子は縛られてしまっているんですよね。で、雪の中帰りざるを得ないと。


この映画で描かれたのは、そんな塔子のジェンダーロールからの解放でした。雪の中を進む塔子の前に現れたのは鞍田。持病が悪化し、病床に臥せっているはずの鞍田です。鞍田は塔子を乗せて東京へと帰ろうとするその途中。塔子は公衆電話から真に電話をかけます。両者譲らない静かな水掛け論を繰り広げた後に、塔子は真に「結婚って何?」と問いかける。


真の煮え切らない答えは、塔子を一生「妻」として、「母」として固定するものでした。でも、塔子だって一人の人間で自由意思があります。自分の人生をそんな言葉で決めつけられたくないとでも思ったのでしょうか、塔子は電話を切って結婚指輪を公衆電話に置いていきます。それは塔子の主体性を持った判断で、「良妻賢母」というジェンダーロールからの解放でした。しかし、正直、当の塔子はこれでいいのか迷っていたように私には思えるんですよね。不完全燃焼を示す赤い布が飛んできたことも、そのことを示唆しているように感じられました。



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・『ホットギミック ガールミーツボーイ』を思い出した


この映画を観て思ったんですけど、この映画って去年公開された『ホットギミック ガールミーツボーイ』と構図的に似ているように感じたんですよね。両映画とも一人の女性を三人の男性が取り巻くという構図は一緒ですし、間宮祥太朗さんは両映画に出演しています(これはあまり関係ないけど)。観ている最中、いや観る前からあらすじを読んでいて「この映画は大人の『ホットギミック』だ」と感じていたんですが、今考えるとそれもちょっと違うなと。


最初は大人って子供より縛るものが多いから大変だなあ、よりキツくて生々しい『ホットギミック』だなあぐらいに感じていたのですが、思えば『ホットギミック』も大概生々しかったですし、子供だからといって縛るものが少ないわけじゃないなって。大人は家庭や仕事に縛られているけど、子供だって勉強だったり学校という狭い中での友達関係に縛られていて、そのキツさってあまり変わりないんじゃないかと感じました。つまり縛るものの種類が違う。大人は「大人の女性像」、子供は「少女性」というよく分からないものにそれぞれ縛られている。


そして、この両映画は主体性を持って、自らの足でその呪縛を抜け出すことを描いているわけなんですが、ぶっちゃけこれって誰でも同じだと思うんです。ジェンダーロールなんて不明瞭な言葉を使わなくても、「キャラ」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。


自分はこういうキャラだからと、心に南京錠を取り付けて、本当の願望を封印している。「キャラ」とは個性じゃなくて、集合体の中で与えられた役割に過ぎないと私は思っていますし、そこからの解放という意味ではきっと多くの人が思い当たる節があると思います。結婚とか不倫とかわりとどうでもいいなぁと思っている私ですら、そうなのですから。



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・男女を越えた根源的な問いが投げかけられている



あと、この映画を観て「フェミニストと呼ばれる人たちは喜びそうだなぁ」とも思いました。だって、この映画で描かれていることって男女が逆転したら叩かれそうなことじゃないですか。不倫って。
現実問題として、直近で不倫をした某俳優さんとその相手の方は必要とされる量の三万倍くらいのバッシングを受けていますし、女性が不倫をしたらいいのかと言われれば、それはそれで叩かれる。まあ私は結婚という制度自体に興味がないですし(相手がいないということもある)、完全なる他人事だからどうでもいいんですけど、そんな私でも嫌になるくらいの過熱ぶりですよ。


今、「フェミニズム」という言葉を電子辞書で引いたら「男女同権主義」とか「女性解放思想」とか、私の文章力では手に余る言葉が出てきたんですけど……。シンプルに言えば「良いことも悪いことも男女に等しく与えられるべき」みたいなことでいいですかね……。


ほら、最近某アニメのポスターで一騒動あったじゃないですか。性的消費だーみたいなことをフェミニストの方たちが声高に叫んで、ポスターが取り下げられた騒動。5年ぐらい前から何も変わってないなーって、正直辟易しているんですけど。なんか女性が良いことばかりを享受すべきみたいな女性優位の発想になってない?男女同権じゃなくない?みたいに思って。というのも……。


まあここからの話はいろいろ面倒なので止めときましょう。私が言いたいのは、この映画を観て「女性解放だー」みたいな単一的な見方をするのは違うんじゃないかってことなんです。もっと性別に依らない根源的な問いだと思うんですよね。男女以前に一人の人間としてどう生きるのかという。そこが男女に縛られていると見えてきにくいんじゃないかなというのは思います。フェミニズム的でいて、実のところ現代社会で暮らす私たちへの普遍的な問いを投げかけている映画だと私は感じました。フェミニズム思想に縛られると、窓から外を覗いたように一部分だけしか見えないですよ、この映画は。


だから、私はこの映画が好きなんですよね。自分にも当てはまる問題提起がなされて、その答えを、迷いながら、揺らぎながら、もがきながら主人公が出していて。最後は悲しいシーンなのになぜか勇気づけられましたもん。だって、不完全燃焼のままでも「行きましょう」という決意を固めたんですよ。最後に白い灰になろうが、黒い炭になろうがそれは知ったことではない。主体性を持って選んだ結果なら悲しくても受け入れなければ。そんなメッセージを私はこの映画から受け取りました。


今年観た映画の中でも結構上位に食い込んでくるほど好きです。本当にありがとうございました。夏帆さんだけでも何らかの賞を取ってくれることを願ってます。



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以上で感想は終了となります。映画『Red』、個人的な好みにドンピシャで当てはまった作品でした。R15ということもあり、人を選ぶかもしれませんが、個人的にはぜひともお勧めしたい映画です。よろしければ映画館でご覧ください。

おしまい 



Red (中公文庫)
島本 理生
中央公論新社
2017-09-22



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