こんにちは。これです。外出自粛が叫ばれたGWももう間もなく終わってしまいますね。私は特に何もせずのんべんだらりと過ごしてしまいました。気持ちは焦るばかりで、あまり楽しくはなかったです。来年は気兼ねなく遊べるGWになっていたらいいですね。


さて、今回のブログも映画の感想になります。今回観た映画は『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』。5月1日に配信されたばかりのNetflixオリジナル作品です。少し時間はかかってしまいましたが、見たところ想像以上の良作でした。清々しい気持ちでいっぱいです。


では、そのいい気持ちのまま感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、何卒よろしくお願いします。




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―あらすじ―


内向的で頭脳明せきな女子と心優しき筋肉バカ男子。そんな2人が同じ女の子に恋をして、3人の友情と恋心は複雑に絡み合う―。

(Netflixより引用)





映画はこちらからご覧ください。









※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。










近年になって急速なインターネットの発達は、私たちの言葉を見えにくくしました。気に入った言葉があればSNSでシェア。自分は口を閉ざし、「そうそうそれが言いたかったんだよ」と自らを納得させる方も少なくないのではないでしょうか。コピー&ペーストも容易です。偉人の名言を引用して、学があるように見せる。そうしているうちに、ますます自分の言葉は失われていきます。


私も自分の言葉がないと日々悩んでいますから。頭が悪くなっていって自分からは何も生み出せないようになってしまうんですよね。でも、この『ハーフ・オブ・イット』という映画は、そんな現代人に「自分の言葉で話そうよ」と呼び掛けているように私には感じられました。


この映画の主人公エリー・チュウは丸眼鏡の中国生まれの女の子。いかにも冴えない感じで好感が持てます。彼女は成績優秀で、他の生徒の課題を代筆することで収入を得ていました。そんなある日、彼女は面識もない男の子、ポールから代筆を頼まれます。その内容とはなんとラブレターの代筆。一度は断るエリーでしたが、生活のためにポールの依頼を受け入れます。


ここからポールの意中の相手、アスターを振り向かせるために、二人の奮闘が始まります。映画を見ながら手紙を書くエリー。文通はまあまあ順調で、アスターも自分の悩みを打ち明けるほど心を許している様子。ただ、その言葉はポールの言葉でもないし、もっと言えばエリーの言葉ですらないんですよね。二人とも他人に頼っている。自分の言葉がないキャラクターなんです。ここは頭が悪くて、言葉が出てこない私もかなり共感しましたね。


ある日、ポールは手紙からメールに切り替えようと、アスターにメッセージを送ります。これをエリーは妹が送ったものと弁解。スミスという別のアカウントを作ってそっちで話そうといいます。アスターはこれをOKしますが、訪れたファストフード店でポールはほとんど何も話せず。エリーもスミスだと自分を偽って、アスターとのやり取りを繰り返します。三人の関係はますます拗れていきます。


ただ、この辺り見ていて不快感は全くないんですよね。むしろアスターを攻略しようと作戦を練る様子はポップで楽しいものでしたし、二度目のファストフード店のシーンはどこかすれ違いコントのような可笑しさがありました。音楽も明るかったですし、一連のシーンでしっかりとエンタメ的な要素は確保できていた印象です。卓球のシーンがお気に入り。




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しかし、誤解が解けてアスターとポールが結ばれてハッピーエンド、なんて簡単な結末で終わるわけもなく。この映画で重要な要素となっていたのはエリーがアスターに想いを寄せていたということ。つまり、エリーはレズビアンだったのです。近年、LGBTQの社会的認知度が高まっていく中で、LGBTQの人々を扱う映画や物語が増えていますが、この映画もそういった要素を持っていました。性的なシーンはありませんでしたけど、苦悩や葛藤は少ないシーンでも見ることができます。


この映画には幾度となく、教会が登場します。エリーも礼拝の時間にパイプオルガンを弾いています。ということはキリスト教がベースにあるのは間違いないでしょう。ご存じの通り、キリスト教では同性愛は伝統的に罪とされています。近年は見直しが進んでいるようですが、エリーは自らの性的嗜好を言い出せずにいます。ただでさえ、中国人だからって軽く馬鹿にされていましたし、これ以上差別を受けたくはないと思ったのでしょう。本当の自分を隠していました。


それでも、この映画は基本的には「偽ることは罪」というスタンスを取っていて、罪には罰が与えられます。だって、エリーとポールは本当のことを告白しないといけない懺悔室で、偽りのラブレターを書いていましたからね。この辺りもキリストの逆鱗に触れたのかもしれません。エリーがレズビアンだと言い出せなかったのは自分のせいではないのに。周りのせいなのに。


何とも理不尽ですが、この映画のルールに則れば、エリーは罰を受けなければいけません。ポールにキスを迫られるところをアスターに見られたり、最後までアスターと結ばれることはなかったり。そもそもエリー自身が冒頭で「望みが叶う話じゃない」と予告していますからね。それでも温泉のシーンで同じところを向いていたり、最後も希望を持たせる終わり方をしていたりと救いは持たせていますが、その後はどうなるかなんて誰にも分かりませんしね。










けれども、この映画のルールは裏返せば「正直は美徳」ということになるんですよね。それは自分の言葉で話すということ。それは、エリーが自分の曲を歌って拍手喝采を受けるシーンや、エリーの父がポールに向かって中国語で話すシーンなど随所に現れていて、それが顕著だったのが、終盤の教会でのシーンでしょう。


ここではまず、クラスの人気者が他者の言葉を引用して、アスターに告白するんですね。で、アスターはこれを受け入れるんですが、エリーがちょっと待った、と。ここでエリーがレズビアンであり、スミスであることがアスターにバレるのですが、ここで重要なのはエリーが自分の言葉で喋ったことなんですよね。自分の言葉で愛について語ったことなんですよね。だから、その後ポールが「愛の形は一つじゃない」って援護してくれたわけですし。


この映画って、LGBTQというモチーフを扱っているので、「愛」がテーマの映画なんですよね。いきなり出てくる言葉が、プラトンの「愛とは完全性に対する欲望と追求である」ですからね。これを説明するには、古代ギリシャ人の昔話を始めなければなりません。


この映画はまず、紙のアニメーションで幕を開けます。古代ギリシャ人が言うには、人間はもともと四つの手足と二つの頭を持っていて完璧な存在でした。神様がそれを恐れて、二つに割った。一緒だった片割れを探して、元の一つに戻ることはこれ以上ない喜びだそうです。完全性に対する欲望と追求。プラトンが愛と呼んだのはそれです。一見すると難しい哲学的な概念ですが、可愛く見せてくれるので、ポップな入りになっていました。




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このプラトンの言葉、実はエリーは冒頭で一回否定しているんですよね。でも、これは心の声に過ぎなくて。思っていても言葉に出さなければ思っていないのと一緒です。しかし、この教会のシーンでは声に出して否定しているんですよ。プラトンの言葉も、誰かが言った愛に対する綺麗事も。そして、こう言うわけですよ。自分の言葉で。


愛は厄介でおぞましくて利己的


この映画では何回か偉人の名言が紹介されました。それらと比べると、このエリーの言葉は不格好なものでしょう。でも、どんなに不格好でも自分で考えて、自分から発した言葉に価値があるのです。それは誰に否定されることはありません。この言葉が画面に映ったときに私は痺れましたね。なんてカッコいい演出なんだろうと。


そして、自分が考えたことには言葉ならず、行動も価値があるんですよね。この映画のラストはエリーとポールの別れのシーンなんですけども、エリーは大学に進学するために地元の町を離れるんですよね。電車に乗って別れを告げるエリー。でも、ポールはその電車を走って追いかけます。何ともクサい演出ですし、実際エリーも陳腐だと唾棄していました。でも、どれだけありふれた行動だろうと、自分で考えて取った行動にはそれだけで価値があるんですよね。そのことがこれ以上なく表れていて、私の心は温かくなり、良い気持ちで映画を見終えることができました。


私は、この映画を見て自分の言葉の大切さに改めて気づかされました。これからもできる限り自分の言葉でブログを続けていきたいと改めて思いましたね。そういう意味でも『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』は、私に大きな気づきをくれました。映画自体も面白いですし、良作だと感じました。




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以上で感想は終了となります。映画『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』。決してハッピーエンドではありませんが、観終わった後に清々しい気持ちになれるおすすめの一作です。GWはおわってしまいましたが、お時間のある時に見てみてはいかがでしょうか。


お読みいただきありがとうございました。


おしまい 


Netflix
Netflix, Inc
2020-05-02




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